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コラム

企画記事

『エルドレインの王権』物語ダイジェスト:第4回 不可解な幻視

原著:Kate Elliott
作:若月 繭子

真冬の旅立ち

 冬が来ました。容赦ない嵐が吹き付け、忠誠の円環に支えられた頑強なアーデンベイル城ですら揺れていました。ウィルは広間の隅、落ち着かない気分で立っていました。いつもの冬には賑やかな社交場となるこの場所には、今や不安と疑念が渦巻いていました。

 三か月前、大巡行の初日の夜。父が消息を絶ちました。同行していた従者二人は森の中、死体で発見されました。大きな刃傷が死因でした。ウィルはあの夜以来、頭痛に悩まされていました。それは同時に恐怖と喪失を否応なく思い出させるものでした。

 無人の玉座の背後に、一振りの剣が下げられています。柄と刃に黄金が刻まれたその剣は、かつて探索する獣が候補者へと与えた武器です。祝福の魔法こそ費やされて消えながらも、今その剣は崇王の象徴として飾られているのです。とはいえ探索する獣は候補者を二人選び、それぞれに剣を与えたはずです。アーデンベイル城に飾られているのは一本だけ。リンデン女王が受け取ったとされる剣は何処へ行ったのでしょうか? ウィルとローアンは一度だけ尋ねましたが、それは自分たちと探索する獣だけが関わることだというのが返答でした。

 その女王は背筋を伸ばし、玉座の隣に置いた簡素な木の椅子に座っていました。何人もの領主や騎士や使者が女王を取り囲んでいます。それぞれが国のあちこちから危機の知らせを伝えにやって来たのです。決然として穏やかな女王の物腰は揺るがず、けれど時折その視線が無人の玉座へと揺れ、肩がわずかに落とされるのがわかりました。

 小さな口笛がウィルを呼びました。見ると、妹のヘイゼルが手招いています。もう片方の手には、屋内での使用が禁止されているスリングがありました。ウィルは後を追い、階段から上の廊下へ向かいました。ヘイゼルはそこでスリングを構え、慣れた手つきで石を放ちました。二つが壁に当たり、ですが一つが空中で不意に止まって落ちました。そこへ向かうと、青い妖精の死骸がありました。口に鋭い歯がぎらつき、盗んだペン先で作った剣が転がっています。妖精の体は塵へと崩れ、その武器だけが残されました。鋭い先端に気を付けながら、ウィルはそれを拾い上げました。

「すごい一発だったじゃないか」

「妖精がお城の中に入ってくるなんて。お母様に知らせる?」

 勝ち誇るよりも不安そうにヘイゼルが尋ねました。ウィルは辺りを見渡しますが、他の妖精が廊下を飛ぶ様子は見えません。とはいえ天井の梁に隠れてでもいたら、見つけるのは困難です。

フェアリーの荒らし屋

「こんなことで母上を困らせたくはないよ。僕たちが何とかする。来て」

 ヘイゼルを連れて、ウィルはローアンを探しに向かいました。階段を降りて兵舎の階まで来たところで、低い声が耳に届きました。疑念に満ちた囁き声です。ウィルは立ち止まり、黙って耳を澄ましました。兵士が二人、こちらへ向かって歩いてきます。

「……崇王様が失踪したのは、女王にとっては好都合じゃないのか? ただの配偶者じゃなく、自分が支配者になるために」

「探索行を終えてないってのは奇妙な話だよな。ケンリスを手に入れるために双子の実母を殺したって噂だろ」

 ウィルは飛び出し、その男の肩を掴むとその顔面を拳で殴りつけました。男はその勢いに、壁へと叩きつけられました。

「どういうつもりだ、女王に対してその無礼な物言いは」

 両手に氷を浮かべ、ウィルは吐き捨てるように言いました。もう一人の兵士が後ずさり、降参するように両手を掲げました。

「ケンリス王が探索から長いこと戻ってこなかったことは、誰だって疑問です。それを責めたって――」

 かつて父は探索行のさなか、数か月に渡って行方不明となっていました。そして母が、彼と明らかに別の女性との間に生まれた双子を連れ帰ってきたのでした。

「リンデン女王は僕の母だ。けど続けろ、お前がそう思わない理由を話せ」

 ウィルは二人を見つめました。白髪交じりの金髪、騎士の徽章はありません。一つの騎士号すら持っていないことを、ウィルは卑劣に指摘したくてたまりませんでした。ですがそのような子供じみた罵りを母に聞かれたら、心から失望されてしまうでしょう。

「つまりこう言いたいんだろう、女王は四つの騎士号に相応しくないと。それとも、探索する獣が女王を選んだことに疑問を持っているのか?」

 二人はやり返したがっているように見えましたが、そうはしませんでした。殴られた方がもう一人へと言いました。

「崇王様の息子を怒らせる前に退散するぞ」

「もう怒らせているよ」

 そして二人は立ち去り、ウィルとヘイゼルが残されました。鼓動と呼吸が収まると、手が痛みだしていることに気づきました。指を開くと、妖精の鋭いペン先がありました。この小さな武器が自分の怒りに火をつけたのでしょうか?

「あの人たち、どうしてあんなひどい事言うの?」

 ヘイゼルが震える声で尋ね、ウィルの腕にしがみつきました。父親が失踪してからというもの、この勝気な妹は常に泣き出しそうでした。ウィルは妹の肩を抱きしめました。

「みんな、いろんなことを噂してるの。お兄様とお姉様が、お母様の本当の子供じゃないこと。殺したんじゃないかって、それと――」

「なあ! そんな人たちの言葉なんて聞かなくていい」

「けどお兄様だって! あの人を殴ったじゃない!」

「当たり前だろう。僕は怒っていたし。けどもっと自重しないとな。母上も父上も、いつも僕たちに本当のことを話してくれる。ローアンと僕の母親は、僻境でひどい死に方をしたって言われている」

「お父様はその人を愛していたの? お母様より前に?」

 ウィルは困惑しました。彼自身、実の母については何も知らないに等しいのです。そしてその人物のことを考えるのは、自分とローアンを愛し育ててくれた女性への裏切りであるようにも思えました。

「父上と母上は探索する獣に選ばれてから、それぞれ何年も探索行に出ていた」

「そして出会って恋に落ちたのよね」

「その通り、けど別々に旅をすることもよくあった。父上から聞いた話だけど、ある時僻境で大変な目に遭って怪我をした。そこでとある女性に出会って、愛しているって言われて、父上の方もしばらくの間、その人を愛しているって思ったらしい。けど人の心は変わるものだ。愛が冷めたのか、そもそも愛じゃなかったのか、もう運命の相手に出会っていたけれど、まだそれがわかっていなかっただけなのか」

「お母様とお父様みたいに」

「ああ。けどその女性は身ごもって、双子を産んだ。それが僕とローアンだ。だから、それが責任だと思って父上はそこに留まっていた。その後その人は邪な魔法に殺された。僻境ではよくある話だ。何にせよ重要なのは、僕らの母上は僕らの母上だってことだ。もし皆がひどいことを言っても、その人たちがそう思っているだけだってことだ」

 ヘイゼルは溜息をついて、ウィルの腕に顔を押し付けました。

「お父様、本当に帰ってくるの?」

「もちろんだよ」

 ウィルは強く力を込めて言い、再び階段を降りはじめました。けれど脳裏には、あの兵士の言葉が渦を巻いていました。何故あの勇敢で決断力のある母が、騎士号を四つで止めたのだろう? 五つめを得て、父の伴侶というだけでなく玉座を手に入れられただろうに。突然双子の世話をしなければいけなくなったから? そうではないと思いました。とはいえ、自分が作り出したわけでもない緊急事態へすぐに飛び込んで行くというのは母らしい行動です。だとしても子供を育てるのを助けてくれるような、信頼する知己はたくさんいたはずです。父が崇王に認められると、母は再び探索に出はしませんでした。諦めたのか、それとも父が思いとどまらせたのか。明らかに人々は疑い始めています。それとも、今までそれを表に出す理由がなかっただけなのかもしれません。

 ローアンは武器庫にいて、剣を研いでいました。タイタスとシーリスも一緒でした。

「妖精が廊下にいたけど、ヘイゼルが倒したよ」

 ウィルはそう切り出し、ペン先の剣を見せました。三人は驚き、ヘイゼルは勝ち誇った笑みを浮かべました。ローアンも感嘆し、ですがその表情はすぐに暗くなりました。

「僻境が広がりはじめているってこと。けど、お父様がいなくなって五つの宮廷が協力できなくなっている」

「皆、女王を軽視しているんだ。けれど、父上を見つけたらそれも終わる」

「だから私は行く。ウィルも来るんでしょう。忘れたの? 今日が私たちの誕生日よ。誰にも止められないわ」

 その通りです。けれどウィルはあの兵士とのやり取りの後、この日を待っていた気持ちが揺らいでいました。それに急すぎます。若者が最初の探索行に出発する時は、それなりの儀式が行われるのが通例です。何よりも、きちんと挨拶もせずに出ていって、母を悲しませたくありません。

「古臭い儀式を気にしてどうするの? そんな規則なんて全部、私たちを支配するためにあるのよ」

 父王が失踪して以来、ローアンはしばしば「規則」について不平をこぼしていました。時にそれは実際に正義と平和をもたらすよりも、ただ正しく見えるようにするためだけなのだと。長年の親友であるタイタスとシーリスも、一緒に行く気でいました。タイタスが頷きながら言いました。

「俺たちは永遠の親友だろう。濠に落ちて、誰にも言わないことを誓い合ったあの日から」

「お濠の壁に登っちゃいけないのに!」

 ヘイゼルが咎め、けれど続いて両目に悪賢い光がひらめきました。

「ヘイゼル、だめだよ。僕たちは運よく溺れなかったけれど、あれはすごく危ないんだ。何にせよ、この嵐じゃ出発できない」

「この中で出発するなんて誰も思わないからいいんじゃないの。ウィル、一緒に来るのよ。私たちでなら、お父様を見つけられるわ」

「それなら、まずヴァントレスに行くべきだろうな。僕にはいい秘密がある」

 ヴァントレス城には、高名な魔法の鏡インドレロンがあります。その鏡が知らない秘密を捧げることができたなら、質問に答えてもらえるのです。これまで何人もの騎士がそこへ向かいましたが、返答は得られていません。ですがウィルには考えがありました。

「それは楽しみだわ。ウィル、荷物をまとめておいたわよ。近頃の災難でお城が騒がしいうちに出発しましょう。ヘイゼルはお母様に伝えて、心配しないようにって」

「いつだって心配していますよ、母親というのはそういうものです」

 通路から聞こえてきた女王の声に、全員が驚いて振り返りました。リンデン女王は一人で下りてくると、荷物とローアンの表情を見つめました。ローアンは顔を上げ、叫びました。

「止めたって無駄です!」

「止めるものですか。私も十八歳になったその日に、自らを試そうと故郷を離れました。あなたがた二人と全く同じです。とはいえ、挨拶もせずに出発するのは寂しいことですよ」

 ローアンはしばし黙り、そして母を抱きしめました。鼻をすする音が数度聞こえました――もちろんローアンから。ウィル自身はこらえました。そして皆が部屋を出てから、ようやく彼は低い声で言いました。

「気をつけて下さい。母上について、皆が心ない噂をしています」

「可愛いウィル、私が知らないとでも? ですが心配してくれるのはとてもあなたらしい優しさですね。カドーが裏門で待っています。ともに行かせてあげて下さい。アルジェナスの失踪について誰よりも責任を感じているのです。魔女か何かが彼の姿に化けてお父様を騙したに違いないのですから」

 女王はウィルを安心させるように、額に口付けをしました。幼い頃、彼が悪夢を見た時にそうしたように。ヘイゼルはその隣で涙をこらえていました。ウィルはローアンを追って階段を上っていきました。少年時代と世界とを隔てていた壁の外へと駆け出すために。

ヴァントレス城へ

 狭い裏門から出ると、吹雪が襲いかかってきました。ローアンとウィルとタイタスは馬に、シーリスはユニコーンのソフォスに、カドーはグリフィンのヘイルに騎乗しています。ローアンは最後に一度城を振り、唖然としました。雪の流れが上空へと渦を巻いています。二体の青いドラゴンが、アーデンベイル城の上空で円を描いて飛び、魔力の輪を作り出していました。それでも城は揺るがずに立っていました。心配ですが、留まるわけにはいきません。何か月かけても、誰も父を見つけられなかったのです。自分たちが見つけるのです。

 夜は村や町に宿をとり、もしくは探索の騎士のための避難所で休みました。毎晩、近隣の人々や知らせを求め、またシーリスの癒しの力を頼ってやって来ました。子供たちはソフォスに群がり、大人はレッドキャップの襲撃、妖精の悪戯、幼子の血をすするという魔女の噂を報告してきました。老人たちは不安に、古い言い伝えを口にしました。僻境のエルフによる真冬の狩りを、人間の中から獲物を選んでいたという時代の話を。

 やがてアーデンベイルの境を越えた所で、彼らは難民の群れに遭遇しました。村がオーガに襲われたというのです。オーガ! 若者たちの目に戦意がひらめきました。ローアンは稲妻を手にまとわせ、馬を急がせました。とはいえ不安にもなりました。これまでに戦ったことのある本物の敵は、あのレッドキャップだけです。けれどタイタスが皆の戦意を高める魔法を唱え、怖気づいた心はすぐに立ち直りました。

 そして到着したのは大きな村でした。人の倍ほどもあるオーガが、建物を次々と破壊しています。カドーとヘイルが上空を旋回するのを見て、オーガは大きく吠えました。

頭蓋叩きのオーガ

 タイタスが槍を構えて馬を駆け、シーリスはその頭越しに矢を放ちました。オーガはうなり声を上げて襲いかかってきました。ローアンが稲妻を込めたジャベリンを命中させ、オーガがよろめいたところでタイタスの槍が激突しました。それはオーガの胸低くに当たりましたが、胴回りに身に着けていたナイフと組紐のベルトに引っかかってしまいました。衝撃にタイタスは馬から放り出され、地面に体を打ち付けて倒れてしまいました。

 オーガは無防備なタイタスへ向かいますが、グリフィンの翼が強烈に宙を叩き、カドーとヘイルが降下してきました。その様子にオーガは後ずさり、狙いをシーリスへと変えました。剣を手に、ローアンとウィルは急ぎました。オーガは予想以上に速く、ですがシーリスを乗せたままソフォスが不意に止まりました。オーガの突進に合わせ、ユニコーンは身をかがめて角を構えました。オーガはその輝く角に自ら貫かれ、背中からその先端が突き出しました。シーリスは投げ出され、ですがユニコーンの獰猛な魔法のオーラが燃えると、オーガはうめき声とともに震えてそのまま息絶えました。

 そこでトランペットが鳴り響き、騎士たちの到着を告げました。村の逆側から武装した一団が見えました。青と灰色の装備はヴァントレス城のものです。オーガの死体を見て、先頭の女性が近づいてきました。そしてヘイルをしばし見つめ、声を上げました。

「カドー? またインドレロンとできもしない話をしに戻ってきたのかな?」

 タイタスの隣に膝をついていたカドーが立ち上がりました。

「ああ、エローウェンか。遅かったな、もう終わったぞ」

「は、言ってくれるね。悪意の岩で助けてあげたのはどこの伝承魔道士だったかな?」

 二人は旧知の間柄のようでした。王の従者を長年務めてきたカドーは顔が広いのです。エローウェンと呼ばれた女性は若者たちを見て言いました。

「この若い子たちは? こっちの子はろくに髭も生えてないねえ。君たちがオーガを連れてきたのかい?」

 唐突かつ無礼な物言いに、ローアンはむっとしました。ですがウィルがそれを睨みつけ、礼儀正しく挨拶をしました。

「伝承魔道士エローウェン殿、僕たちはアーデンベイル城の者です。崇王を探す探索の旅の最中です」

 エローウェンは馬から降り、何かが気になるようにウィルへと近づきました。近くで見ると青と灰の衣服の布地は所々がひどく痛んで、几帳面に修繕されています。多くの冒険を経てきた証拠です。喉元に恐ろしい傷跡があり、きらびやかな鎖で隠されていました。

「君たちから魔女の呪いの匂いがするね。かすかで奇妙な」

「魔女と関わったことなんてありません!」

 ローアンは思わず声を上げました。

「そうかもしれないけど、呪いは私の専門なんだ。興味深いよ。君たち二人はそんなに似てないけど、人生を分かち合ってるみたいにすごく深い所で繋がってる。双子、それも両方とも呪われてるなんて! 凄いね! 君たちのこと、もっと教えてくれる?」

「私たち、ヴァントレス城に向かっていたところです。鏡と話すために。急いでいます。オーガと遭遇したのはただの偶然です」

 そう、オーガです。エローウェンは兵士たちへと指示を与えました。オーガの死体をばらばらに切断して燃やし、埋めるように。そしてその足跡を僻境の出口まで追うようにと。その後、タイタスに怪我がないことを確かめてソフォスの角を清めると、エローウェンはヴァントレスまでの案内を申し出てくれました。村を離れてしばらく進むと、風景は湿地帯に変わりました。エローウェンが隣にやって来てローアンに言いました。

「君たちのことわかったよ。崇王様の上の子たちだろ」

「どうしてそれを?」

「インドレロンにも言ってない、本にも書いてない秘密をたくさん知ってるからね。私は長いこと僻境を旅してきたんだ。戦うためじゃなくて話を聞くためにね。僻境の住人の多くは、丁寧に接すればたくさんの話を聞かせてくれるんだよ。彼らは敵じゃない」

「お父様をさらった者は何であろうと敵です」

 その反論に、エローウェンは頷きました。

「毎日、新しい困り事の報告が入ってくるよ。どの宮廷もそれぞれの問題にかかりっきりだ。それとロークスワインの伝手から噂を聞いた。アヤーラ女王はドルイド評議会と交渉するために僻境に使者を送ったって。昔の生き方を守ってる長老たちだ。ケンリスが消えた今、気にしておかないといけないね。女王やその仲間が失踪に関わってるのかもしれない。冬至の三日間、女王は何処へ行ってるんだろうね?」

 ローアンは驚きました。ロークスワインのアヤーラ女王は遠い昔、僻境の親族に背を向けて王国の秩序と平和の内に留まることを選んだはずです。一方、ウィルは別のことが気になっていました。

「すみません、どうして僕たちが呪われていると?」

「私は見たままの真実を言ってるだけだよ。ご両親から聞いたことはないのかな? なら、私はこれ以上言える立場じゃないね」

 双子は困惑しました。それが本当であれば、なぜ両親は秘密にしていたのでしょうか。まだ子供だと思っているのか、知って欲しくないことなのか。あるいは、実母の死がその呪いに関わっているのでしょうか?

 やがて前方、尖った石の丘のようなものが空を突いていました。ヴァントレス城です。それが立つメア湖には所々で霧が漂い、広大な水面には岩が点々としています。水は歩ける浅さなのか、それともアーデンベイルの城を飲み込むほどの深さなのか、ローアンにはわかりませんでした。塔や屋根は旗印で飾られ、下方からの風に揺れています。湖の岸には幾つもの建物と、城へ物資を運ぶための船が並んでいました。

ヴァントレス城

 カドーはグリフィンで空から城へ向かい、エローウェンは残る面々を率いて進みました。木製の桟橋で鐘を鳴らすと、幾つかの水滴が暗い水面を打ちました。続いて幾つもの波紋が広がり、四つのなめらかな頭が水面から飛び出ました。マーフォークです。琥珀色の髪が海藻のように長くうねっています。美しいというより魅了されるよう、大きな輝く目は磨かれた黒曜石のようです。その一人が、かすれて響く声で言いました。

「あらエローウェン、可愛らしい贈り物を持ってきてくれたの? 瑞々しくって柔らかそう」

 ウィルは思わず剣の柄に触れました。それを見てマーフォークは高い声で笑い、エローウェンが説明しました。

「崇王の子供たちだよ。もし運んでくれるなら、インドレロンが認めたならあんたたちにも秘密を聞かせてくれるだろうね」

 そして全員が船に乗ると、マーフォークたちは桟橋から離れて船を動かし、湖を横切って城へ進んでいきました。その動きは驚くほどなめらかで、揺れはわずかでした。ローアンが覗き込むと、水は汚れてはいないながらも不透明で、光を食い尽くすようでした。ふとローアンは疑問に思って尋ねました。

「もしエローウェンさんがいなかったら、どうやって城へ行けば良かったんでしょうか」

「手段があるなら飛んでいけばいい。それが一番安全な方法だね。探索の騎士や騎士になりたい者は、だいたい泳いでいく。真に心から知識を求めているならそうするだろ?」

 そして船は城に到着しました。尖塔からはためく旗がいくつもの影を投げかけています。賑やかな市場、討論する人々や石段の講堂を過ぎた先に、目指す建物がありました。研究室や図書室が並ぶ円形の建物、その内部階段をエローウェンは下り、やがてひとつの部屋に入りました。大きな池に石の橋がかかり、高い窓を通して太陽の光が差し込んでいます。静かな水面へと、ウィルは真剣な表情で語りかけました。

「秘密があります」

「それは正しい手順の言葉じゃないわよ。自己紹介をして、礼儀正しくお願いして――」

「時間はない、そして僕には秘密がある。きっとインドレロンも知らない秘密が」

 すると、さざ波と共にゆっくりと水面が下がり、池の中に隠されていた階段が露わになりました。ウィルはにやりとしてローアンを肘で突き、階段を下りはじめました。仲間を振り返って一つ頷くと、ローアンも続きました。水は引き続け、空間は次第に狭まっていきます。階段が終わった先でまだ道が続き、城の基礎の岩に刻まれたアーチをくぐりました。時折そこかしこの水面からマーフォークが顔を出し、輝く瞳で見つめてきます。さらに下り、やがて魔法の鏡インドレロンが現れました。

 それはヴァントレスの印、鍵穴の形をしたそびえ立つアーチでした。水はすっかり引き、鏡を取り囲む浅い池だけが残っています。太陽の光が無数の水滴に反射し、全てがきらめいていました。小さな石橋が、鏡の前の台座へ続いていました。不意に恐ろしくなり、ローアンは息をのみました。

魔法の鏡

 鍵穴が作るアーチ、その中の空間が揺らめいて鏡へと固まりました。ウィルとローアンは台座の上に立ち、自分たちの姿に対峙していました。インドレロンの声が響きました。それは空気を震わせるのではなく心臓を掴む声でした。

『ローアン・ケンリス。ウィル・ケンリス。魔女の呪いより産まれ、血染めの死より産まれ、だが愛と忠誠がそなたらを育てました。いかなる秘密を持ってきたのですか?』

「魔女の呪い? どういう意味?」

『それが問いですか? 私が知らないことを話しなさい、そうすれば返答を与えましょう』

 ウィルはローアンの足を踏みつけました。チャンスは一度だけなのです。彼はローアンの手首を掴み、けれど穏やかに言いました。

「ここに来たのは、僕たちの出生について知るためではありません。鏡さん、父上がどうなったのか、どこにいるのかを教えてください。これが僕の秘密です」

 鏡の前に浅い水たまりが残っていました。ウィルはそれを凍らせ、視線を定めました。ローアンはそれを眺め、大巡行の日に庭園で彼を見つけた時を思い出しました。氷の窓に、あの不思議な風景が広がりました。膨れた月の輝き。家ほどもあるドラゴンの頭蓋骨が森の小道を塞ぎ、その顎は大きく開かれています。顎の中を進むと、ぼやけた人影が巨大な枝の上にうずくまっています。枝は果てしなく続き、まるで世界の全てが巨木であるかのよう。そしてその光景は揺れ、眩しい鎧の騎士たちが輝く翼を広げ、飛んでいきました――かと思えば、それもまた消えていきました。あらゆる光を、あらゆる存在を吸収する一本の槍だけを残して。

 不意に強風が吹き、氷が割れて破片が舞いました。二人は顔を覆い、辺りに再び静けさが漂います。アーチの間の空気がきらめいて、ウィルの幻視へと応えました。

 危険な僻境の森の中。象牙のオベリスクが二本立っています。朝日がその間から昇ってきました。背後の茂みの中から何か大きなものがやって来ます。曙光に照らされて姿を現したのは、見事な大鹿でした。

不可解な幻視

『その大鹿を見つけなさい。そうすれば父親が見つかるでしょう』

 インドレロンの声に、双子は困惑の視線を交わしました。

(第5回へ続く)

※本連載はカードの情報および「Throne of Eldraine: The Wildered Quest」(amazon電子書籍版)の一部の抜粋や私訳をもとに、著者とウィザーズ・オブ・ザ・コースト日本支社との間で確認して作成した記事であり、一部固有名詞等の翻訳が正式なものと異なる可能性がございます。ご了承ください。

 
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