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マジック・プロツアー殿堂 三原槙仁 これまで、これから。

マジック・プロツアー殿堂 三原槙仁 これまで、これから。

By 金子 真実(WotC 日本コミュニティ担当)

 86.80。

 この数字がいったい何かご存知だろうか?

 これは、2014年度マジック・プロツアー殿堂に選出された三原槙仁の得票率である。

 この数字はいったいどれだけ凄いのか?

 2014年現在、このマジック・プロツアー殿堂には39名のプレイヤーが選出されている。そして、その中でこの「86.80%」を超える得票率を獲得したのはカイ・ブッディ/Kai Budde、ガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassif、ルイス・スコット=ヴァーガス/Luis Scott-Vargasたったの3名なのだ。

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2014年度 マジック・プロツアー殿堂 三原槙仁

 三原槙仁。記事をご覧の方も、彼のことをご存じの方は多いだろう。世界選手権2006優勝をはじめ、数々のプロツアーやグランプリで入賞。彼が残した結果を見れば、この得票率も頷ける。

 では、三原とは一体どのような人物なのだろうか? 今回は、殿堂入りの三原槙仁本人に、インタビューを実施した。彼の歴史と強さの根幹、そしてこれからに触れていこう。

三原槙仁の、これまで。

――『マジック』を始めたタイミングと、きっかけを教えてください。

三原 「始めたのは中学3年生のころ、『ウェザーライト』が発売したくらいですね。友達にちょうどマジックを始めようとしてた人がいて。で、第4版の説明書だけ先に手に入れたんですよ。その内容を読んで、『このゲームは面白そうだ!』と思ったので、友達と第4版の構築済みデッキを購入しました。」

――最初はそういった友人と遊んでいたんですね。

三原 「はい、主に友人と遊んでいました。最初はカジュアルでしたよ。中学生から高校生の間は、地元の大分県の毎月1回の大会に出場したり、自宅で遊ぶ感じでしたね。大学生になってから、初めて『プロツアー予選』など競技イベントに出場するようになりました。」

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――競技イベントに参加されるようになったきっかけは何だったんですか?

三原 「当時はやっぱり雑誌ですね。昔って情報源が雑誌しかなかったんですよ。だから、マジックの情報が載っている雑誌は、何回も読み込みました。現代のインターネットの記事って、1回読んだら終わりじゃないですか? でも、雑誌だと、何度も読み返すんですよね。読みながら、プロツアーなどの大舞台に憧れていて。大学生になったら、九州のプロツアー予選なんかに出場するようになりました。」

――それで、どんどん勝てるようになったと。 

三原 「とはいっても、そんなにすぐに勝てたわけじゃないんですけどね。最初にプロツアー予選を突破したのが大学1年生の終わり。2年生で日本選手権に出場、3年生で日本選手権のトップ8。4年生のときにはプロツアーの権利が安定して取れて、いわゆる『グレイビートレイン』とほぼ同じようになってました。」

――いや、その勝ち方は十分「すぐに勝った」ほうですよ!(笑)。途中つまずいたりしなかったんですか?

三原 「つまずいたというか、単純にお金がなくてプロツアーに行けなかったことが何度かありました。当時のプロツアー予選って、突破しても航空券とかは出なかったんですよね。トラベル援助の賞金だけで。でもそれじゃプロツアーに行くには足りない。航空券が高くてプロツアーに行けない。ということがよくありました。それと比較すると、権利と共に航空券がもらえる今の制度は素晴らしいと思いますよ。」

――なかなか厳しかったんですね......。そういえば、三原さんといえば、地元の九州の大会であまりにも勝ちすぎて、DCIから調査が入ったという逸話がありましたが......。

三原 「毎週水曜日に大会をやってたんですよね。で、平日なので大体いつも同じ8人とかで対戦をしてまして。でも、みんなカジュアルプレイヤーだったんですよね。で、自分だけわりとガチの、いわゆるトーナメントデッキを使ってまして。で、そこで3-0し続けたんです。あまりに勝ちすぎて、大会を捏造してるんじゃないか、って疑われたみたいですね。」

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2006年度世界王者、三原 槙仁

――地元でもとび抜けて強かったんですね。その後三原さんは2006年の世界選手権優勝をはじめ、どんどん結果を出していくわけですが、マジック・プロツアー殿堂候補にノミネートされた時は、ご自身は殿堂が取れると思ってらっしゃいましたか?

三原 「さすがにすぐに取れるとは思わなかったですね。他にもっと有名なプレイヤーが沢山ノミネートされてたし、単純に実績でも足りてないと思った。『殿堂になれそうだ』と思ったのは今年かな。プロツアー『テーロス』でトップ8に入って、『プロツアートップ8』が5回になったんですよ。ノミネートされている候補者でも、『プロツアートップ8が4回』にはライバルが多くて。でも、これが『5回』になったら、急にライバルがいなくなりました。ほんとはシーズン半ばとかでもう1回くらい結果を残さないといけないかな、と思っていたんですが......殿堂になれてよかったです。」

――本当におめでとうございます。これまでの結果を残すまでに、三原さんの強さを支えてきたものは何ですか?

三原 「やっぱり、地道な練習と反省かな。知ってる人も結構居ると思うんだけど、ウェブブログでずっと『今日のプレイミス』という形で反省を掲載してたんですよね。思い返してミスを書けば、同じようなミスをすることも減るし。あと、マジックのミスにはいくつかパターンがあって。だから、ちゃんと反省することでできるだけミスしないようにしました。」

――プレイミスの記録ですね。三原さんは他にも色々なものを記録されたり、データを取ったりするイメージがありますが。

三原 「データを取ったりするのは好きですね。例えば、自分がプロツアーとかに出てもまだ苦戦してたころ、勝率のデータを取ったことがあるんですよ。そうしたら、大分県だと大体の勝率が90%くらい、九州だと勝率が70~80%くらい、日本全国だと60%くらい、プロツアーだと50%くらいで。やっぱり壁はどんどん厚くなるんだな、世界の人たちは強いなぁ、と。」

――凄い勢いで勝ったようにも見えましたが、世界での勝率は最初は50%くらいだったんですね。

三原 「そうですね、自分が作ったデッキを持ち込んだりしてたんですが、全然勝てませんでした。それで、コピーデッキを使おうか、と考えたんです。」

――ふむふむ。

三原 「で、当時のプロツアーやグランプリって、オールプレイヤーデッキリストや2日目進出プレイヤーデッキリストっていう、全てのプレイヤーのデッキリストが見れたんですよ。あとは、対戦の組み合わせと結果はちゃんと残っているので、これを全て合わせれば、各デッキ間の勝率は全て出て、ちゃんとした相性が割り出せたんですよね。」

――え、全てデータを集めたんですか!?

三原 「当時プログラミングとかをやっていたので、自分で集計できるプログラムを作ったりしてました。それで一番勝率が高いデッキを使うようになりましたね。」

――完全にデータマジックですね。

三原 「相性の悪いデッキ相手でも、例えば特定の人だけ勝ち越したりしていて。で、そういう人を何人かサンプル取って、その人たちのサイドボードを見てみると、大体共通点がありましたね。そういった情報を元にデッキを選択したり、チューンしたりしていました。」

――凄いことを考えますね......。

三原 「せっかく見てる情報は使わないと! 今でいうと、ChannelFireballは同じようなことをしているって話ですね。」

――当時からデータマジックの最先端だったんですね。とはいえ、三原さんといえば、オリジナルのデッキを組み上げることも多いですよね?

三原 「私がマジックをやっていて一番『良いなと思う瞬間』は、オリジナルデッキで入賞して、世界中のプレイヤーがそのデッキを使い出すときなんですよね。使った人から「このデッキ良かったよ」と言われるのはすごく嬉しいです。知らない人が使ってくれてお礼言われることもよくありました。だから、オリジナルのデッキを構築するのは大好きです。」

――「CAL」や「64枚ヴァラクート」ですよね。  

三原「64枚ヴァラクートは、あの後すぐにエクステンデッドがなくなっちゃったんですよね......。でもプロツアーのサイドイベントとかで優勝したりはしてましたね。単純に勝って注目されるのよりも、『強いデッキを組んできた』ってことで注目されたいんですよ。単純にみんなと同じデッキ使って勝つよりも、そのほうが注目されるじゃないですか。」

――やっぱり注目はされたいですか?

三原 「注目されたい、目立ちたいですね。それが原動力だと思います。」

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三原槙仁の、これから。

――さて、三原さんは見事、マジック・プロツアー殿堂に選出されたわけですが、今後のマジックとの付き合い方が、今までと変わったりしますか? 

三原 「基本的にやることは変わらないかな、と思います。マジック楽しいからやってるし、大会は楽しいから練習してるし、プレミアイベントはレベルが高いから楽しいし、そこで勝てるととても嬉しい。ただ、前にちょっとなかしゅーとかとも話したことがあったんだけど、マジックにおける『殿堂入り』って、RPGゲームでいう、『全クリ』だと思うんですよね。だからこれからは、『クリア後の世界』なんですよ。『実績集め』みたいな楽しみ方もするんじゃないかな。」

――というと?

三原 「たとえば、『トップメタのとても強いデッキ』と、『オリジナルの、トップメタには少し劣るデッキ』があったとして。前は勝つために『トップメタのとても強いデッキ』を選んでたけど、これからは『オリジナルの、トップメタには少し劣るデッキ』を選ぶことが多くなるだろうな、と。」

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――デッキ選択の自由度があがるということですね。ということは、これからは、もっとオリジナルデッキで戦う三原さんがよく見られるということですか?

三原 「期待してて下さい(笑)」

――逆に、引退する条件とかは考えていたりしますか?

三原 「なんだろう。私の場合は本当にそれで食べているプロプレイヤーとは違って、マジックはあくまで趣味の1つなので、負けたら食えなくなるとかはないですからね。でもグレイビー維持はしたい。そう思っていました。」

――グレイビーは今回の「殿堂入り」である意味達成ですよね?

三原 「そうですね。だから、突然引退とかはないと思います。マジックが楽しいうちはずっと続けるんじゃないかな。今までも、仕事の研修とかでプロツアーに行けなかったりはしたけど、マジックを休止したりはしてないしね。」

――それでは、これからも継続してプロツアーやグランプリで活躍する三原さんが見られるということですかね?

三原 「活躍できるように頑張ります。」

――期待しています! 本日はありがとうございました。

三原 「ありがとうございました。」

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奥様の三原綾さんと

三原槙仁 戦績

プロツアー
  • プロツアー『テーロス』 ベスト4
  • プロツアー『ドラゴンの迷路』 ベスト4
  • 世界選手権2011 団体戦部門優勝
  • プロツアー・ハリウッド2008 ベスト8
  • プロツアー・バレンシア2007 ベスト8
  • 世界選手権2006 優勝
グランプリ
  • グランプリ・京都2013 準優勝(チーム戦)
  • グランプリ・横浜2013 ベスト4
  • グランプリ・台北2012 優勝
  • グランプリ・神戸2011 準優勝
  • グランプリ・仙台2010 準優勝
  • グランプリ・岡山2008 優勝
  • グランプリ・北九州2005 ベスト4
その他
  • スーパーサンデーチャンピオンシップ2014 準優勝
  • 日本選手権2011 ベスト4
  • 「The Finals」2009 ベスト8
  • 日本選手権2008 ベスト8
  • 「The Finals」2007 ベスト8
  • 日本選手権2005 ベスト8
  • 「The Finals」2004 ベスト4
  • 日本選手権2004 ベスト8
  • 「The Finals」2003 準優勝
  • 日本選手権2003 ベスト8

 
脚注1 グレイビートレイン

 全てのプロツアーに出場できる状態のこと。現在でいう、プロプレイヤーズ・クラブのゴールドレベル相当。(戻る

 
脚注2 CAL

「Confinement Assault Life」の略。中軸カードの英語名から命名されている。その3枚のカード、《独房監禁》《突撃の地鳴り》、そして《壌土からの生命》を軸にしたコンボデッキであり、グランプリ・北九州2005にて三原が持ち込み世界中で話題になった。その後も一線級で活躍し続けた強力デッキ。(戻る

 
脚注3 64枚ヴァラクート

 《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》と《虹色の前兆》を中心としたコンボデッキ「オーメン・ヴァラクート」の「デッキに《》が少なく、《虹色の前兆》がない限り《風景の変容》だけではコンボが成立しない」という常識を、「デッキ枚数を増やして《》を追加する」という発想の転換によって解決したデッキ。(戻る

 
脚注4 なかしゅー

 中村修平。2011年度マジック・プロツアー殿堂顕彰者。(戻る

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