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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

なぜ多くの制限を設けるのか

Mark Rosewater
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2024年1月8日

 

 私はTumblrで「Blogatog」というブログを開いており、そこで毎日寄せられる質問に答えている。多くの質問にはブログで答えられるが、ときおり話が長くなるものもあり、そういう場合はポッドキャストの「Drive to Work」で答えるようにしている。本日のコラムは、最近ポッドキャストで答えた質問をもとに書いている。その質問が気に入ったので記事にすることにしたのだ。(これこそが、さまざまな媒体でコンテンツを作ることの相乗効果である。)

 多くの投稿者から寄せられた質問とは、以下のようなものだった。

 開発部が最近、カードにさらに多くの制限をかけていることに気づきました。「ソーサリーとしてのみ唱えられる」や「1ターンに1回のみ使える」や「あなたのターンにのみ使える」という風に。これはなぜですか?

 この質問に答えるために、まずそこへつながるいくつかの質問に答えていこう。

そもそもなぜ制限を設けるのか?

 この質問に答えるために、ゲーム・デザイナーの役割というものについて少し話そう。何年も前のことになるが、私は「良いデザインの10原則」(その1その2。リンク先は英語)という記事を書いた。その記事で私は、ドイツのインダストリアルデザイナーであるディーター・ラムス/Dieter Rams氏による、良いデザインに必要な原則について語った。ディーター・ラムス氏は、Apple社の主要製品でインダストリアルデザインを担当したジョナサン・アイブ/Jonathan Ive氏に最も大きな影響を与えた人物だと考えられている。私が書いた記事のポイントは、デザインの普遍性についてだった。家電製品や照明器具を手がけた人物が、私が2本立ての記事を書くほどマジックのデザインにも大いに関わる、デザインの原則を生み出したわけだ。ただし我々には、デザイナーとして逸脱した点が1つあった。

 ディーター・ラムス氏をはじめとするインダストリアルデザイナーが照明器具を作るとき、その照明器具の目指すところは可能な限り簡単に使えることだ。電源の入れ方、光量の調節、必要な場所に光を当てられるよう動かすこと。それらすべてが直観的であるべきだ。ユーザーに使い方を考えさせる時間を最小限にすることが目標になる。自然な流れで使える感覚が必要なのだ。一方、我々がゲームを作る場合、照明器具で言うところの電源の入れ方は必ずしも簡単である必要はない。なぜならゲームの目標は、ユーザーに知的挑戦を行うことだからだ。そう、我々はプレイヤーにゲームの駒の使い方は直観的に理解してもらいたいが、ゲーム・デザインの核心は、我々ゲーム・デザイナーがプレイヤーたる諸君に挑もうとしていることにあるのだ。

 これがゲーム・デザイナーと他のデザイナーの違いだ。我々の主な目標は、ユーザーに障害を用意することだ。自身の知を試し、そのゲームの目標を達成できる技術があるか確かめることこそ、ゲームの醍醐味なのだ。つまり制限はデザインの副産物ではなく、欠かせない部分ということになる。

 2011年に、私は「ゲームに必要な10のこと」という記事を書いた。これは私の娘の5年生のクラスで、良いゲームを作る上での核となる要素について語った話をもとにしている。その中で私はゲームに必要なこととして、目標と、それを達成するために許されることについてのルールを挙げた。良いゲームを作る上で、目標は簡単すぎてはならず、ルールは大きな障害にならなければならない。もしマジックの目標が「先にカードを引いた方が勝利」だったなら、特に楽しいゲームではないだろう。

 これは、私がまだ1本の記事に仕上げていないトピックにもつながる。エンターテインメントにおける「安全体験」という概念だ。我々が体験したいと思うことは多々あるが、現実世界では危険がともなうものがある。例えば恐怖体験は、実際にその身が危険にさらされる可能性がある場合は問題で、現実世界で楽しむのは難しい。だがホラー映画なら、安全な空間の中で同じ感情を味わえる。エンターテインメントが人々に提供できることの1つは、結果を恐れず何かを体験できることなのだ。

 ではその概念をゲームに当てはめてみよう。ゲームは、問題解決能力や創造的思考を発揮するチャンスを与えてくれるが、失敗が現実世界に影響を及ぼすことはない。だからこそ、ゲームがプレイヤーを試すことが重要なのだ。ゲームは、プレイヤーがそれぞれの能力に合ったレベルで挑戦できるようにデザインする必要がある。その一環として、他の人との対戦や複数人での対戦が一般的なものとなる。対戦相手の目標は通常、あなたの目標に反するからだ。近い技術レベルのプレイヤーとの対戦を選べば、良い知的トレーニングになるだろう。そしてその上で、ゲーム・デザイナーもまたゲームに適切に関与し試されていることを確認したい。つまり我々は、プレイヤーが試される環境を生み出せるよう目標やルールを構築しなければならないのだ。

 以上の内容はすべて、何よりもまず制限はゲーム・デザイン体験の核心である、ということを伝えるためのものだ。ではなぜ我々はゲームに制限を加えているのか? それは、ゲームをより良くするためだ。

 すると次の疑問が続く。

制限がなければマジックは楽しくないのか?

 簡単に答えるなら「No」だが、私は次のように答えるのが良いと思う。マジックは『アルファ版』の当初から、常に制限を取り入れてきた。

 リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldが最初からゲームに組み込んでいた制限を見てみよう。

タップ
Llanowar_ElvesProdigal SorcererSamite_Healer

 タップ・シンボルは『リバイズド』までなかった(それから長い年月の中で何度か変わった)ものの、『アルファ版』の時点でタップはゲームに組み込まれていた。リチャードはタップを2つの重要な方法で利用した。第一に、マジックにはマナを筆頭にプレイヤーが1ターンに一度しか使えないリソースがあるが、タップはプレイヤーがそのリソースを使用したことを示す方法として使われた。第二に、リチャードにはプレイヤーに決断させたいことがあった。例えば、あなたがクリーチャーで攻撃することを選んだ場合、それを戻してブロックさせることはできない(警戒を持つクリーチャーは除くが、『アルファ版』にはクリーチャー1枚とオーラが1枚あるだけだった)。クリーチャーの活動の一部を示すタップは、この2つの理由をかけ合わせたものだった。タップによってクリーチャーの用途を限定し、毎ターンどのように使うかをプレイヤーに選択させたのだ。能力を使うためにタップすることには、攻撃できないという代償がともなうというわけだ(能力を使うタイミングによっては、ブロックも)。

特殊タイプ「Mono」
Black_LotusCyclopean_TombDisrupting_Scepter

 こちらはリチャードが『アルファ版』で導入したものの、すぐに廃止された。初めはアーティファクトにもさまざまなタイプがあったのだ。モノ・アーティファクトは、1ターンに1回しか起動できなかった。ポリ・アーティファクトは、能力のコストを支払える限り何度でも起動できた。コンティニュアス・アーティファクトは常に「スイッチON」の状態の能力を持っていた。アーティファクト・クリーチャーも別のカテゴリーだった。ここでこれを取り挙げたのは、リチャードが「1ターンに1回だけ使える」ということを非常に重要視していて、さまざまな方法でそれを実行したからだ。モノ・アーティファクトはのちに、タップ・シンボルを含む形に変更された。

「ソーサリー・タイミング」
ArmageddonClockwork_BeastAnimate_Dead

 当時は1つのカード・タイプを除いて、すべてのカードがあなたのターンにのみプレイできるものだった(まだ瞬速は存在しなかった)。さらに言うなら、あなたのメイン・フェイズの間にのみプレイできた(メイン・フェイズが複数になるのも後の話だ)。リチャードはなぜそのようにしたのか? 彼は、プレイヤーが何かをするときにそれに集中してほしかったのだ。そのことがゲームプレイの形成を促進し、戦略的な判断というものを育んだ。ゲーム・デザインにおいて重要なのは、ゲームの流れ、つまり物事が起きる順序を作ることだ。直観的でありながら、最高のゲーム体験につながるような行動を促したい。ほとんどのゲーム要素に制限が組み込まれているのには、理由がある。リチャードが物事のタイミングを設けたのは、ターンの基本的な進行をプレイヤーたちに理解してもらいたかったからなのである。同時に、彼はインスタントを作り、起動型能力はほとんど「インスタント・タイミング」で機能することにも注目したい。プレイヤーが対戦相手のターンに行動するべきときがあることに彼は気づいていたが、それは最小限に留めたいと考えていたのである。

唱えることに対する制限
Siren's_CallBlaze_of_GloryFalse_Orders

 インスタントにも制限があった。リチャードは、プレイヤーが戦闘で使えるようにいくつかの呪文をインスタントにする必要があった。だが彼はそれらをいつ、どのように使えるのか明記したのだ。リチャードも柔軟性に価値があることは理解していたが、ゲームの駒の使い方を厳密に定めることがゲーム・デザイナーの仕事だった。

起動することに対する制限
Dragon_WhelpGoblin_Balloon_BrigadeNettling_Imp

 制限は呪文に留まらない。リチャードは、能力の起動方法にも制限が必要であることに気づいていた。

 以上のように、黎明期の頃から制限がマジックの核心であったことを理解するのが大切だ。制限はこのゲームを面白くするのに欠かせないものなのである。しかしそれでも私の言葉を信じたくないなら、試しに以下のようなテストをやってみたまえ。すべてのカードや起動型能力をあなたがインスタントをプレイできるときならいつでも唱えたり起動したりできる状態で、マジックのゲームをプレイするのだ。きっと知的負担は大きくなり、楽しさは損なわれることに気づくだろう。また、ルールがそのような状態に対応できるよう作られていないため、多くの混乱を引き起こすだろう。

オーケー、リチャードがこのゲームにたくさんの制限を設けたことはわかったよ。でも開発部がさらに多くの制限を加えなければならないのはなぜ?

 この質問の答えは3つある。1つは、現在のマジックはリチャードが1993年に発明し世に出したゲームと大きく異なるからだ。これは決してリチャードを軽んじているわけではない。マジックがこれほどの成功を収めると当時予測できた者はいないと思う。リチャードは、このゲームはゲーム店にある他のゲームと同じくらい成功すると見込んでいた。プレイヤーが通常ゲームに支払うくらいの金額を使い、数百枚程度のカードを集めるだろうと。もしかしたらときどきパックを1つか2つ買って、コレクションを増やすかもしれない、と。

 これこそが、マジックの初期のルールでデッキが40枚だった理由であり、またプレイ・グループ内のプレイヤー間でカードを強制的に流通させる「アンティ」として知られるルール(初期手札を引いた後の8枚目のカードを脇に置き、そのゲームの勝者が対戦相手のアンティ・カードの所有権を永久に得るルール)が存在した理由だ。当時はおそらくコモンを除いてプレイヤーが特定のカードを多く持つことはなく、コモンの出現率も高く設計されていたため、特定のカードに制限はなかった。リチャードは一部のカードが他と比べて極めて強力であることに気づいていたが、そのほとんどがレア・カードであり、1つのプレイ・グループ内に1枚か2枚より多く存在することは想定していなかった。

 リチャードはまた、カードの情報についても秘密主義を貫いた。カードの一覧はなく、レアリティもカードに書かれておらず、全部で何種類のカードがあるのかについても正式な発表はなかった(『ベータ版』では「300種類以上のカード」があると発表した)。プレイヤーが他の人との対戦で新たなカードを発見する、というのがリチャードのビジョンだったのだ。

 マジックが初めて世に出た当時に存在しなかった要素は、以下の通りだ。

  • フォーマット(最初は「何でも使用可」だった)
  • リミテッド(リチャードとプレイテスターたちはその可能性を認識していたが、初期のセットはリミテッドのためのデザインやバランス調整が行われていなかった)
  • 同一カードの4枚制限(《疫病ネズミ》のようなカードは、好きなだけデッキに採用することを見越してデザインされていた。)
  • トーナメント・プレイ(DCIが発足したのは1994年のことだ)
  • 現行のルール(初期のルールは混沌としており、『The Duelist』誌上でネズミの迷路を模して表現されたことがあるほどだった。スタックのようなものが登場するのは、『第6版』でのルール改訂からだ。)
  • 伝説のカード(『レジェンド』で初登場した)
  • 多色のカード(こちらも『レジェンド』が初出だ)
  • マナの別タイプ(混成マナ、単色混成マナ、ファイレクシア・マナ、氷雪マナなどが登場するのは先のことだ)
  • カード・タイプにまつわる変更(インタラプトは廃止され、プレインズウォーカーやバトルが導入された)
  • 非クリーチャーのサブタイプ(装備品や機体、英雄譚なども、ずっと後に登場した)
  • 常盤木以外のキーワード能力(当初名前をつけられたメカニズムは、もともとゲームの中に常にあるものだった)
  • 現在のカラー・パイ(マジックの5色は存在していたが、それぞれの色のメカニズム的な一貫性が確立するのは後になってからだ)
  • 用語の統一性(戦場や追放する、死亡するなど)

 質問の2つ目の答えは、マジックが時間の経過とともにどのように進化するのかがこのゲームの基盤の1つとなっているからだ。我々は新しいカードを作り続け、プレイヤーたちのカードの使い方は時間とともに変化していくため、マジックは常に自身を再発明している。このことを示す最高の例が、統率者戦フォーマットだ。それはファンから生まれ、ファンに支持された。やがてウィザーズもそのフォーマット向けの製品を作り始め、テーブルトップで最もプレイされるフォーマットになった。すると今度は、マジックが統率者戦に適応することが求められた。例えば統率者戦の性質上(初期ライフが40点で、対戦相手が複数いることなど)、白と赤の強みがこのフォーマットでは活かせず、その2色は不利を抱えていた。そのことが我々に、白や赤のカードのデザイン方法や、それぞれの色の哲学に則りながらも新鮮な能力の作り方を見直すよう求めたのだ。

 常に進化を続けるというのが、このゲームの大きな強みである。マジックの成功について私は、「さくさくハッシュポテト理論/Crispy Hash Brown Theory」という1つの仮説を立てている。ゲームをハッシュポテトに喩えるなら、あるゲームをプレイする際に最もエキサイティングな瞬間は最初にある。なぜならそのゲームについての発見を味わっている段階は、ハッシュポテトの外側のさくさくした部分のようなものだからだ。しかしほとんどのゲームは、プレイヤーがそのゲームの本質を十分に理解した時点で、他のプレイヤーが先に学んだことを学び始めなければならない新しい段階へ移行することになる。これは通常、多くの暗記をともなう。チェスの場合は序盤の動きの暗記。スクラブルでは、2~3文字の単語の暗記だ。

 ゲームにおける暗記の部分は通常、発見の段階ほど楽しいものではない。もちろんハッシュポテトの内側の部分もおいしいが、外側のさくさくした部分と同じぐらいおいしいとは言えない。マジックは、常にその外側のさくさくした部分を新しくし続けており、それに合わせてゲームも変化するため、プレイヤーは常に発見の連続の中にいられるのだ。外側のさくさくした部分が何度も再生する。その性質上、マジックは適応し、変化するのである。

 質問の3つ目の答えは、何かを作るときは「反復の繰り返し」と呼ばれるものを使うからだ。反復の繰り返しとは以下のようなものだ。

  1. アイデアを思いつく
  2. 理論を組み立てる。つまり自身の経験を活かし、思いついたアイデアを実行するための最善策を考え抜く
  3. アイデアを実現する。ゲームの場合、それは通常ゲームの構成要素や、場合によっては新たなルールを作成することを意味する。
  4. それを顧客が体験するのと同じ方法で体験する。ゲームの場合、プレイテストを意味する。プレイテストでは多くの場合、視点を増やすために他の人にも参加してもらう。
  5. プレイテストからフィードバックを得る。それからそこで得たフィードバックを活かして反復工程の最初に戻り、ステップ4で学んだことを踏まえてより適応したアイデアやまったく新しいアイデアを生み出す。

 

 マジックの各セットを作る際も反復の繰り返しを使うが、マジックはそれそのものが大きな反復の繰り返しであると考えることができる。我々があるセットを作ると、何百万人ものプレイヤーがそのセットをプレイし、我々にフィードバックを寄せる。我々はそのフィードバックを活かして次のセットを作る。つまり我々はより良いデザイン手法を学び続け、それにともないマジックのデザイン技術は永遠に向上を続けるのだ。

 我々は30年にわたりマジックを作ってきた。膨大な数の反復を繰り返してきた。マジックのデザイン手法の本質は変化している。それは、マジックを作ることや人々がプレイする様子を見ることそのものが、我々が次のセットをデザインする方法を変えるからだ。

 我々がさらに多くの制限を加えるのはなぜか? それはマジックというゲームの本質が、その適応方法が、そして我々が行う反復の繰り返しによって学んだことが、我々をより多くの制限を求める方向へ動かすからなのである。

マジックは長年にわたって楽しまれてきたけど、なぜ今さらなる制限が必要なの?

 前述の通り、制限は常にマジックのデザインの一部であり続けてきた。より大きな問題は、我々が制限をどこでどれくらいの頻度で使用しているのかだ。一番大きな変化は、我々がより遠慮なく制限を使うようになったことだろう。マジックの初期の頃は、ゲーム・デザイン上のテクニックとして私が「野菜隠し/hiding the vegetables」と呼ぶ手法を使っていた。ゲームを作る上で、顧客にとって楽しいゲーム要素と顧客が表面的に高く評価する要素は異なる。ゲームの楽しさを最大限に高めながら顧客の反感を買うような要素を最小限に留めることも、ゲーム・デザイナーの仕事の一部だ。この考え方は、親として子供に食べてもらいたいものと子供が食べたいものは異なるという考えから持ってきている。親であるあなたは、時として他の食べ物に野菜を忍ばせる必要があるのだ。

 デザインの観点で言うと、あまり無頓着に感じられないような方法で課題をクリアするということだ。説明しやすいよう、1ターンに1回しか使えない能力やカードを取り挙げよう。シンボルを付与することの利点は、言葉で伝える必要なしにコンセプトを具体化してくれることだ。それから、ゲームの核心により深く浸透していると感じられるのも良い。シンボルの問題点としては、理解するための負担が大きいため、使える量はわずかになることだろう。タップにシンボルが付与されたことは、その制限がこのゲームにおいていかに重要かを示しているのだ。

 タップ・シンボル以外にも、言葉で説明せずとも1ターンに1回だけ使えるようにするトリックはいくつもある。1ターンに1回しか誘発しない誘発型能力はその目的に適うだろう。特にポピュラーなのは、攻撃時の誘発やサボタージュ能力(このクリーチャーが戦闘ダメージを与えたときに誘発する能力)、ステップやフェイズの開始時に誘発する効果が挙げられる。また、直接言及しなくても機能上一度しか効果を発揮しないものも作っている。起動するたびに以前の起動が取り消されるものや、重ならない効果などだ。それからクリーチャーに多いが、中には2回以上起動するとそのクリーチャーが死亡するものもある。+N/-Nする効果が良い例だろう。肝心なのは、「1ターンに1回」と言わなくても1ターンに一度に制限する方法は豊富にあるということだ。

 1ターンに使える回数に制限がある能力は、『レジェンド』で初めて登場した。

Dream_Coat

 《Dream Coat》は、1ターンに1回使える能力を与えるオーラだ。興味深いことに、実際に「毎ターン1回のみ」という言い回しが登場するのは、『アイスエイジ』収録の2枚からだった。

Grizzled_WolverineDream_Coat

 この2枚は、我々が抱えていたギャップを表していた。少なくとも警戒を持たないクリーチャーは、攻撃にタップが必要だ。そのため戦闘中に機能する能力に制限をかけたい場合、タップ・シンボルは使えなかったのだ。とはいえこの2枚は特に思い出深いというものではない。この制限のかけ方が私の中で大きくなったきっかけは、《ルートワラ》だった。

Rootwalla

 このカードは、マイク・エリオット/Mike Elliottと私が別々に同じカードをデザインしたことから生まれた。我々は同じ思考パターンを辿ったのだと思う。緑のクリーチャーに《巨大化》を内蔵させたらクールじゃないか、と。ただし多くの理由から、繰り返し使えるものにはしたくなかった。第一に、「パンプする」こと(つまり複数回使えてクリーチャーのパワーやタフネスを強化する起動型能力)なら他の色でもやった。我々はより緑らしさを感じられるものにしたかったのだ。第二に、毎ターン1回しか使えない方が戦略的に面白いカードになった。

 『テンペスト』には毎ターン1回限りで強化できるカードが3種類あったことも付しておくべきではあるが、《ルートワラ》は開発部が1ターンに1回の《巨大化》効果を持つ緑のクリーチャーのことを指す用語として使うほど象徴的な1枚になったのだった。

Crazed_ArmodonPlated_Rootwalla

 当時の我々の考えは、「少しくらい『毎ターン1回』を使ってもいいんじゃないか」というものだった。

 そこから我々は他の方法ではできないことを助ける手段を使うようになっていった。これが成功を収めたので、使う頻度を増やしていった。もう「野菜を隠し」ていないが、ゲームをプレイすればそのことも十分に正当化されると我々は考えた。繰り返しの中で我々は、毎ターン1回の制限を使うことのさまざまな利点を学んでいった。

 毎ターン1回の効果はコストを決めやすい――我々がある能力のコストを決めるときは、たとえその使い方が少数派であっても最も悪用できる使い方に合わせて決定する。例えば《ルートワラ》の能力に制限がなかった場合、そのコストは{1}{G}にできなかっただろう。ゲーム終盤に大量のマナを抱えていれば悪用できるからだ。

 毎ターン1回の効果は、使われるタイミングをコントロールできる――我々の望む用途に合わせてコストを設定できるなら、我々の望むタイミングで使われるようにコストを選ぶこともできる。ゲーム・デザインの仕事で大きな部分を占めるのはプレイを促そうとすることであり、そのカードのプレイ・パターンで我々が最も楽しいと感じるものへプレイヤーの背中を押す手段が多ければ多いほど、プレイ体験は向上する。

 毎ターン1回の効果は、より大きなものにできる――複数回使える効果の場合、それを複数回使っても大丈夫なように小さなものにせざるを得ない。起動に制限がある場合は、効果の大きさを選ぶ自由がある。

 毎ターン1回の効果は、より多彩なものにできる――何かが起こるタイミングを自由に設定できるなら、その何かもより自由に設定できる。デザイン領域を広げてくれるのだ。

 ここでは毎ターン1回の効果について取り挙げたが、他の制限についても同じことが言える。まとめると、何かが起きるタイミングや方法をデザイナーがコントロールしやすければ、より良いデザインができるということだ。時間が経つにつれて制限が増えていったのは、制限のツールとしての有用性を我々が学んだからなのだ。

新しい制限の中には読んでいて気分が悪くなるものもあるけど、気にならない?

 そこが問題の核心だ。我々は現在、かつてのように「野菜を隠して」いない。もう少し表面に見えているだろう。我々はゲーム体験の質を高めることが多少の不満が出ることに値すると考え、意識的にそうしている。それでも、制限を設けることについて我々の露骨さが増していることにプレイヤーが反応している、という指摘には共感するところがある。

 この問題にはいくつかの解決策が考えられる。1つはテンプレート化だ。プレイヤーたちが能力の制限について、その能力を理解する前に制限を理解したいと思っている、という指摘を私は何度も受けてきた。それを実現するのがタップ・シンボルや誘発型能力だ。制限を使う方法は多岐にわたり、テンプレート化も複雑な作業であるため、期待に簡単に応えられるわけではないが、我々はその方法を模索している。

 2つ目に、我々が使う制限をまとめればその分プレイヤーたちが理解しやすくなる。この好例が先制攻撃だ。我々は先制攻撃について、攻撃的にのみ使えるようにしたい場合が多いことに気づいたが、そうするための文言を変え続けている(「あなたのターンであるかぎり、[カード名]は先制攻撃を持つ。」や「戦闘の開始時に、[カード名]は先制攻撃を持つ。」、「[カード名]が攻撃したとき、それは先制攻撃を得る。」、「[カード名]が攻撃しているかぎり、それは先制攻撃を持つ」という風に)。我々は、特定の制限をいつどのように使うかを統合する作業にも取り組んでいる。

 3つ目に、コミュニケーションを取ること。それこそ、私がポッドキャストを録ったりこの記事を書いたりしている理由だ。より多くのプレイヤーが制限を設ける理由とそれによりゲーム体験が向上する理由を知れば、受け入れられやすくなるはずだ。

 4つ目に、馴染ませること。我々が何かをすればするほど、プレイヤーたちはそれに慣れていく。初めてやったときは大騒ぎになったものの、今ではマジックの核となっているものはいくつもある。

「本日の授業はここまで」

 本日はこれで以上だ。我々がなぜ制限を遠慮なく使っているのか、その理由が垣間見えたなら幸いである。いつもの通り、この記事に関する意見を、メール、各ソーシャルメディア(X(旧Twitter)TumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、『カルロフ邸殺人事件』のプレビューでお会いしよう。

 その日まで、制限が考えを生みますように。


 (Tr. Tetsuya Yabuki)

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