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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

世紀の大実験

Mark Rosewater
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2020年5月25日

 

 『イコリア』の発売以来、私のところに多くの質問が寄せられている。(その多くについては先週と先々週の2週で答えてきた:その1その2。)しかし、最も多かった質問については、その回答が興味深いが長いものになるので、今回こうして別の記事で答えることにした。その質問とは、「『イコリア』の複雑さはどうなっているのか」というものだ。これまでに何度も記事の中で「新世界秩序」など単純さの重要性について語ってきた。一体どうしてこのセットはこの複雑さに到ったのか。これはいい質問であり、回答のために今日の記事を費やすだけのものなのである。

短い回答

 まず最初に、簡単に答えておくことにしよう。その後で、もっと深く掘り下げた説明を求める諸君のために長い回答を続けていく。『イコリア』は実験なのだ。マジックは、常に自ら再発明し続けるゲームである。誰がプレイするのか。誰とプレイするのか。どのようにプレイするのか。どこでプレイするのか。いつプレイするのか。なぜプレイするのか。これらの質問への答えは変わり続けるものであり、それに対応してマジックは変化していく。マジックを作るという仕事の中には、これらのさまざまな要素に意識を払い、マジックをそれに合わせて調整するということも含まれている。そこにおいて重要なのは、実験や許容限界を広げることをいとわないということである。

 未来に向かうために必要な情報は、試すことによってのみ得られる。こういった質問の中の1つが、「本流のセットでの複雑さの限界はどこにあるのか」である。(開発部では、スタンダード向けだというイメージを少しばかり強く与えすぎる「スタンダード・セット/Standard-legal set」という語を使うのをやめることにした。その代わりとして、ユーザーがどのようにマジックをプレイしているかに合わせ、さまざまなフォーマットをプレイしているので、それらを「本流のセット/premier sets」と呼ぶことにしたのだ。)我々は何年もかけて、本流のセット向けの複雑さの下限(つまり、楽しい範囲内でマジックで可能な限りもっとも単純な状態)はどれだけかということに取り組んできた。しかし、上限(理解可能な範囲内でマジックで可能な限りもっとも複雑な状態)はどれだけかということも知りたいのだ。さまざまな理由(後述)から、『イコリア』はこの問題の実験場として最適だということがわかっていた。

長い回答

 あらゆるものを中核まで突き詰めていくと、マジックのデザインとは、あらゆるプレイヤーにとって楽しいゲームを作ることである。最大の課題は、プレイヤーが求め必要とするものはさまざまに異なっており、すべての本流のセットはあらゆるプレイヤーに何かを提供しなければならないということである。上述の通りの複雑さにおける焦点となるのは、マジックが新規プレイヤーがゲームプレイを覚えるのに充分単純であり、そして経験豊富なプレイヤーが心ゆくまで掘り下げるのに充分複雑である、そんな良い中間点を探すことである。下限を上げ過ぎれば、マジックは覚えるのがあまりにも困難なものになってしまう。上限を下げ過ぎれば、マジックは経験豊富なプレイヤーにとってあまりにもつまらないものになってしまう。

ドラニスの判事》 アート:Kieren Yanner

複雑さの下限

 我々は過去10年間、マジックの複雑さの下限にかなりの焦点を当ててきた。この努力は新世界秩序を遥かに超えているが、ついにこの探究結果を公表する時期が来たのだ。逆方向に押しているものを目にして、諸君は我々が重要だと言ってきたものを無視しているかのように感じたことだろう。複雑さの上限についての話に入る前に、複雑さの下限に関する見方に影響を与えるような環境の変化について少し語ることにしよう。ここで注目したい大きな変化は2つあった。

導入口

 「導入口/on-ramping」とは、そのゲームをしていない人がそのゲームをプレイするに到るまでの方法について語る用語である。長年の読者諸君は、私が「参入障壁/barrier to entry」(新しいゲームを学ぶためにかかる努力の量)がマジックの最大の弱点だと考えているということを知っているだろう。実際に学ぶのが難しいゲームであるという以上に、学ぶのに近寄りがたいゲームなのだ。ウィザーズは何年も何年もかけて、導入口として最善のものが何かを理解しようとしてきた。

 わかったことはこうだった。指導者は必要である。手取り足取り一歩ずつ詳しく教えてくれる誰かが必要である。教本を提供したり、画像で示したりしてプレイヤーが自学自習できるようにするというのは、最悪の失敗を招いた。なぜか。プレイヤーが陥りやすい落とし穴が大量にあり、それを自分で気づいて直す助けになるものが存在しないからである。文を読んで、書き手の意図と違うように思い込んでしまったら(よくあることだ)最悪だ。指導者は、間違った思い込みに気付いて訂正してくれる。

 そして、最も効果的な指導者には2種類あることがわかってきた。友人と、コンピューターである。友人は、自分とのつながりがある。自分のことを知っていて、学ぶための最善の方法を選んでくれる。自分の反応を予想し、正しい理解を助けてくれるのだ。信頼関係のおかげで、その体験が楽しいものになることが多いだろう。現在の環境では、カジュアルにプレイするもっとも一般的な方法(ほとんどの初心者が始める方法)は、多人数戦、主に統率者戦である。今や、指導者は1人の友人ではなく、何人もの友人たちなのだ。また、多人数戦では技術が同等でなくても相殺されるので、学んでいる途中でもゲームから排除されることはなく、間違いを犯したときにも優しく指摘してくれるだろう。

 コンピューターは、評価を下さないという点で良い指導者である。何かを新しく学ぶ上で恐怖の大部分を占めるのは、他の人の前で失敗することだ。同じ失敗を6回繰り返したとしてもコンピューターは気にしないし、それを言いふらすこともない。また、コンピューターは環境を管理できるので、注意深く、学ぶべきものだけを使えるようにすることができるのだ。最後に、コンピューターはすべてを確認することができるので、誤解をすぐに見つけ出すことができる。コンピューターはデジタルゲームの中核部分であり、デジタルのマジックは勃興期にある。(世界的流行の前からだ。)

 つまり、現在の最も一般的な導入口は、多人数戦とデジタルなのである。

感情的学習

 もう1つ、我々がマジックを作る上で大きな飛躍となったのは、人々が何かをする理由を調査する能力が高まったことである。例えば、プレイヤーの動機を理解することに焦点を当てたグループが作られた。また、プレイヤーについてのデータを可能な限り集めることに焦点を当てたデータ調査グループも作られた。そしてこの10年間の多くの進歩により、テクノロジーとデジタルプレイの勃興によって過去よりも多くのデータを集められるようになったのだ。最後に、データを解析してその意味を理解することに特化したグループが作られている。これらすべての副産物として、我々は人々がなぜどのように学ぶのかをはるかによく把握できるようになったのだ。

 得たものは多くあったが、この論点においてもっとも重要なものはこれである。プレイヤーは、学ぶことが自分の感情的需要を満たすときにもっともよく学ぶ。私はしばしば、最初のプレイ会の終わりに最も重要なのはもう一度プレイしたいという欲求であるということについて語ってきた。では、もう一度プレイしたいと思わせるものは何なのか。結局のところ、何か明白なものがあることによって、つまりゲームによって感じたことなどの自分への影響を理解することによって、もう一度プレイしたいという欲求は大きく強まるのだ。デザインにおいてこれは、ゲームプレイ上の何かがプレイヤーに響くようにする必要があるということを意味する。プレイヤーがカードを楽しむことのほうが、それを完全に理解することよりも重要なのである。(諸君、我々はこれを知るために長い年月がかかったのだ。)

 ここでこの2つの変化について取り上げたのは、これらから、下限はどうあるべきか、そして今日の本題である上限はどうできるのかをを再評価することに繋がったからである。

生存者の絆》 アート:Randy Vargas

複雑さの上限

 私は複雑さを、「理解上の複雑さ/comprehension complexity」「盤面の複雑さ/board complexity」「戦略の複雑さ/strategic complexity」の3つに分類している。理解上の複雑さは、カードが何をするのかを理解することの難しさに注目したものである。例としては、カードを読んで正しく使うことができるかどうかが当てはまる。盤面の複雑さは、さまざまな領域にあるカード群がお互いにどのように相互作用するかを理解することの難しさに注目したものである。例としては、カードAとカードBの能力を組み合わせてある効果を生み出すことができることを理解できるかどうかが当てはまる。戦略の複雑さは、カードを最も効率的に使ってゲーム上の効用を最大化する方法を理解することに注目したものである。例としては、通常は自分を対象として使うカードを、対戦相手を対象にすることでゲームに勝利できるということ(対戦相手にカードを引かせることでライブラリー切れに追い込むなど)に気づけるかどうかが当てはまる。

 私はこれまで、経験の浅いプレイヤーにとっての複雑さを増やすことなく経験豊富なプレイヤーにとっての複雑さを増やす方法をいろいろと掘り下げてきた。その観点から生まれたのが「レンズ状のデザイン/lenticular design」という用語であり、これは経験の浅いプレイヤーに見えない場所に複雑さを置くことで隠すというものだった。(レンズ状のデザインについてはこちらの記事に詳しい。)私は相変わらずレンズ状のデザインの熱烈な支持者だが、デザインの問題に関して新しい解決策を常々模索している。

 今回は、まったく異なる方法で複雑さの上限を上げようとする新しい概念について語っていこう。私はこれを「示唆的デザイン/evocative design」と呼んでいる。示唆的デザインの考え方は、経験の浅いプレイヤーに見えないように追加の複雑さを隠すのではなく、追加の複雑さを正面に出すというものだ。「これは複雑ですよー。理解するのには時間がかかりますよー。」と主張する。そして、それを非常に芳醇なフレイバーで包むのだ。このフレイバーには2つの意味がある。1つ目に、その複雑さが何をしようとしているのかという全体像を見せる。経験が浅いプレイヤーはその複雑なものが厳密にどう作用するのかを理解できないかもしれないが、何が起こっているのかの全体は何となくわかることになる。2つ目に、そのカードを心躍るものにする。経験が浅いプレイヤーがその新しいものを学ぼうとする動機づけになるのだ。感情的学習についての教訓を思い出してくれたまえ。プレイヤーが新しいことに心を躍らせることは、それを理解することよりも重要なのだ。

 示唆的デザインの働きの例として、変容を取り上げよう。この新メカニズムを使って、既存のクリーチャーを変容させることができる。経験の浅いプレイヤーは変容の作用をすぐに厳密には把握しないかもしれないが、変容を持つクリーチャーを使って他のクリーチャーを変容させ、変化させるのだ、という大枠では理解する。2体のクリーチャーを選んで混ぜ合わせられるというのはフレイバーに富んでいて非常にクールだ。厳密にどう作用するのかがすぐにはわからないかも知れないが、心躍るものなので彼らは知りたいとと思うことになる。

 これが、展望デザインでの変容の最終形である。我々は怪物の次元というコンセプトに則り、この論理的なメカニズム的結論に到り、そして最終的にこの示唆的デザインに行き着いたのだ。ここで、我々は示唆的デザインを作ろうとしたわけではないということを強調しておくべきだろう。(そもそもそのコンセプトすら存在していなかった。)我々はただ、怪物セットに必要だと感じたものを作ろうとしただけなのだ。最終的にできたのが、非常にフレイバーに富んでいて、非常にクールで、複雑なメカニズムだった。最初は、私の通常のデザイナー的直感が働いた。マジックの本流のセットにはただ複雑すぎる。

 しかし、これまでに示したあらゆる情報を検討していくと、心躍る、楽しい、フレイバーに富んだメカニズムには複雑さという代償を払う価値があるのではないかと気がついたのだ。経験の浅いプレイヤーは、すぐには理解できないものをただただ拒絶するだろうというのは、古い考え方かもしれない。それは、データが示していることと整合しなくなっていた。これは、複雑さの上限を上げるための新しい方法かもしれない。私の仕事は、踏み込んでいく新しいデザイン領域を見つけることだ。これは新しいデザイン領域だったので、このセットに残したのだった。

 次に進む前に、1つ関連した問題について触れておきたい。複雑さについて考える場合、「実際上のルール問題/practical rules issues」と「理論上のルール問題/theoretical rules issues」にははっきりした区別がある。前者は、そのフォーマットで想定されるゲームプレイの中で実際に発生するものである。後者は、ルール上の回答は必要だがそうそう起こらないであろうカードの組み合わせである。例えば、ほとんどのプレイヤーにとって、変容と『イコリア』のカードがどう相互作用するかということを理解することは、それがリミテッドで起こりうるので重要である。ほとんどのプレイヤーにとって、変容が変異とどう相互作用するかを理解することは重要ではない。情報が公開されるべきではない、という意味ではないが、複雑さについて見る場合には理論上のルール問題よりも実際上のルール問題に集中することになる。マジックには、2万枚以上のカードがある。ほとんどの新しいことはマジックの歴史上の何かとおかしな作用をすることになる。そのために、新しくて興味深いカードやメカニズムを作らない理由にはならないのだ。

夢の巣のルールス》 アート:Slawomir Maniak

これですべて、ではなくて

 怪物のセットを具体化しようとする中で作ったフレイバーに富んだものは変容だけではない。その途中で、キーワード・カウンターと相棒も見つかったのだ。キーワード・カウンターは、変容とはまったく違う方向性で複雑さを押し上げているところが興味深い。理解するのは難しくないので、理解上の複雑さは低い。飛行カウンターは、飛行を与える。無数のプレイテストの中で、誰一人としてキーワード・カウンターの使い方を間違えた者はいなかった。戦略の複雑さも、非常に高いというわけではない。確かに、以降のターンにどのような影響を与えるかを考えなければならないことはある。(これは経験の浅いプレイヤーはあまりやらないことだ。)しかしほとんどの場合、これらのカウンターを使うのはその能力が必要な時になる。盤面の複雑さは上がるが、興味深いことに、それはほとんどのカードが持つ盤面の複雑さとは理由が異なる。キーワード・カウンターには、物理的複雑さが存在するのだ。つまり、それらについての情報を追わなければならないということである。我々はパンチアウト・カードとして記憶の助けになるトークンを作り、この問題をいくらか抑えた。ところで、このセットでは、製品にパンチアウト・カードが入るという前提なしにキーワード・カウンターが存在していたことは一度もない。

 相棒は、私がこれまで一度も話題にしたことがなかった複雑さ、いわば「デッキの複雑さ/deck complexity」の存在に気づかせてくれた。つまり、ゲームプレイの外部で起こることであるデッキ作成という行為を難しくするのだ。通常、デッキにどのカードを入れられるかということについてはそれほど多くの制約はない。相棒は新しい制約をもたらした。それほど複雑な制約ではないが、ほとんどのプレイヤーにとってデッキ作成はそもそも難しいものなので、これに何かを加えるということは複雑さを増すことである。

 そして次の疑問につながってくる。変容がこのセットに存在して、すでに複雑さの問題があることがわかっている状況下で、なぜその同じセットにキーワード・カウンターや相棒も採用したのか。これにはいくつかの答えがある。

1.キーワード・カウンターも相棒も、まったく複雑なものではなかった。

 我々は、キーワード・カウンターと相棒の両方についてかなりのプレイテストを行なった。どちらも新しい空間を広げるものだが、プレイテスターがそれらで混乱することはなかったのだ。(対照的だったのが変容で、こちらは多くの質問を招いた。)

2.それらはお互いに問題を引き起こさなかった。

 通常、複数の因子による問題というのは、それらの間の相互作用が複雑さを悪化させる場合に発生する。Aという要素が複雑でBという要素が複雑なら、AとBを組み合わせた場合にはさらに複雑になるのはよくあることだ。しかし、それは今回は当てはまらなかった。相棒は、デッキ作成中に悩む必要があるものだ。キーワード・カウンターはどうやって記憶するか考えなければならない。(そして我々はその助けとするために、ブースターパック内に道具を入れておいた。)ゲームプレイ中に悩まなければならないものは変容だけなのだ。

3.それらはこのセットとテーマ的によく噛み合っている。

 プレイヤーは、セットがどういうものなのか有機的に理解できたときにはものごとを理解しようとする傾向が強まる。キーワード・カウンターや相棒は、どちらも怪物というテーマによく馴染んでいた。

光明の繁殖蛾》 アート:Lie Setiawan

正気度チェック

 変容、キーワード・カウンター、相棒は、どれもセットデザインに進んだ。それぞれは微調整され、進化した。しかし、ここに到ってさえ、我々は一歩引き、これらすべての組み合わせが過剰でないか自問した。だいたい1か月に1回、我々は、スタジオX(テーブルトップのマジックを作っている大グループ)の全員が通常の仕事の手を止め、次の製品をプレイすることに集中する、ゲームデーを行なっている。これは我々にとって、そのセットに馴染みがなくマジックの経験の浅いプレイヤーとやりとりする機会である。彼らはこのセットをどう見たのか。気に入ってくれたのだ。フレイバーは感情を揺り動かすもので、彼らはプレイして心を躍らせた。彼らは遭遇したすべてのものを理解しただろうか。そんなことはなかったが、それでももう一度プレイして知りたいと感じるほどにクールだった。

 このセットの展望デザイン中に、私の上司のアーロン・フォーサイス/Aaron Forsytheと、『イコリア』は必要な実験だ、と話したことがある。本流のセットでの複雑さの上限をもっと理解することができれば、物事を広げることを試すことができる。『イコリア』は、試すべき要素の最高の組み合わせだと感じていたのだ。もう1つ、アーロンと同意したことは、『イコリア』は基本セット以外ではローテーション直前のセットであり、つまりスタンダードに存在する時間が一番短いセットであるということだ。実験をするのであれば、もし失敗したときに影響が一番小さくなる時期にするのが最適である。

 約束の日の後で、アーロンは『イコリア』のリード・セットデザイナーであったデイブ・ハンフリー/Dave Humpherysや私たち、このセットを手掛けている人々と集まり、そしてこのセットをそのまま作ることを決意したのだ。プレイ感は素晴らしく、プレイテスターからの反響も非常に好意的だった。この実験をするのであれば、それはこのセットでだ。

 そして、これが『イコリア』がこのように複雑になった理由である。我々は実験をしているのだ。その結果がどうなったかについては、今年のデザイン演説で語るとしよう。

検査その1、その2、その3

 今日の記事を楽しんでもらえたなら幸いである。いつもの通り、諸君からの反響を楽しみにしている。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、私がマジックについて楽しんでいることについて語る日にお会いしよう。

 その日まで、あなたがあなた自身の実験をしますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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