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コラム

週刊連載インタビュー「あなたにとってマジックとは?」

「あなたにとってマジックとは?」最終回:殿堂プレイヤー編 後編

週刊連載インタビュー「あなたにとってマジックとは?」最終回:殿堂プレイヤー編 後編

by 瀬尾亜沙子

 世界中で2千万人を超えるプレイヤーとファンを持つ世界最高の戦略トレーディングカードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング』。この記事では、5月末開催の記念すべき「モダンマスターズ・ウィークエンド」から、8月末開催の「世界選手権2015」まで、「あなたにとってマジックとは?」というインタビューをまとめた記事を毎週連載していきます。

 『マジック・オリジン』、この夏発売の新セットでは、5人のプレインズウォーカーが何故プレインズウォーカーになったのかという理由が明かされます。プレイヤーの象徴でもあるプレインズウォーカーにも、それぞれ違った人生背景が隠されているのです。では、「マジックプレイヤーは何故マジックプレイヤーになったのか?」そこにはどんなストーリーが隠されているのでしょう......この連載記事でその謎を明らかにしてみます。


 さまざまな方に「あなたにとってマジックとは?」という質問を投げかけているこの企画。5月から連載してきたこのインタビュー記事もついに最終回です。ラストを飾るのは、プロツアー殿堂入りした日本人プレイヤーたち。前編に引き続き、残りの3名を後編にてご紹介します。

津村健志

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2005年にプレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得、2012年にプロツアー殿堂入り。最近はスタンダードの分析記事やニコニコ生放送が好評。通称「コガモ」。


――あなたにとってマジックとは?

津村:ローリー(藤田剛史)さんにそれを聞かれて「人生」って言ったら、チャラいって言われました(笑)。でもあえて「人生」です。11歳でマジックに出会ったので、もう16、17年ですかね。友人もマジックを通じて得た人がほとんどですし、今では仕事にさせてもらってますし。

――人生と言わざるをえない感じですか。マジックを始めたきっかけは?

津村:「ジャンプ」で紹介されてたのを見て、おもしろそうだなと思ったらたまたま仲のいい友達がお兄ちゃんとすでにやっていて、教えてもらって始めました。しばらくしたらみんな中学受験だったり、僕も部活のサッカーが忙しくなったりしてやめたんですけど、中学に入ってからまた別の友達に久しぶりにマジックやろうぜって誘われて、そこからはとんとん拍子ですね。毎週大会に参加するようになって、その過程でどんどん友達が増えて、最終的には毎週じゃなく毎日お店に通うようになって、マジック漬けの日々になりました。

――最初のころはどんなカードが好きでしたか?

津村:始めたのが『第5版』くらいだったんですけど、《巨大化》のネズミがでっかくなってる絵がめっちゃかわいいなと。イラストが日本の見慣れた感じと全然違って新鮮だったのは今でも覚えてます。あのころのイラストはなんか味がありますよね。昔懐かしいってのもあるんですけど、今も昔の枠のほうがなぜか好きで、極力古い枠のカードを使ってます。

――お店に通うようになって、どんな感じでマジックをやっていましたか?

津村:僕らお店では一番若いほうだったんですけど、けっこう真面目にやってました。わいわいやりつつもみんなで成績競ったりして。

――それは広島のカードショップですか?

津村:そうです、今もある広島の「ハトヤ」ってお店に毎日毎日通ってました。

――今もあるんですか。

津村:こないだも行ってきました。お店のおばちゃんが僕に「そろそろ店を譲りたい」って言ってたんですけど、お値段2億って言われて、ちょっと出せないです(笑)。

――「広島にマジックの聖地を作ろう!」って、キックスターターでお金を集めたらどうですか? 名入りのプレートをお店の壁に飾るとか、たくさん払うと1日津村さんとマジックできる権とか(笑)。

津村:そんなんだったらいくらでもしますけど、2億は無理ですね(笑)。でもほんとに、おばちゃんがずっとお店やっててくれたおかげで、僕ら遊ぶ場所に困りませんでした。日によってバラバラですけど毎日5人以上はいたと思います。週末だと15人とか。マジでお金使わなかったんで、クソ迷惑だったと思います(笑)。ほんとは月500円の入場料が必要だったんですけど、お金ないからタダにしてって頼んでたレベルでした。

――そこで強い人に出会って、上を目指し始めた感じですか?

津村: 「Hato Beam」っていう、檜垣(貴生)さん、上野(一樹)さん、大礒(正嗣)さんってチームがあるんですけど、友達のつてで一緒に練習させてもらうようになって......実力差がすごくあって全然ついて行けてない感じだったんですけど、どうせやるならうまくなりたいと思ってたので遠征に連れてってもらったりしました。

――当時は部屋を借りて練習してたんですよね。

津村:みんなが住んでたところの近くにあった行きつけのカード屋さんがつぶれちゃって、でもみんなすごいやる気があったんでお金を出し合って狭いアパートを借りて、週末は必ずそこに集まって練習してました。金曜夜から日曜夜まで、ずっとマジックという夢のような場所でした。

――大礒さんにインタビューした時に、そこで津村さんが食パンにマヨネーズをたくさんかけたという話を聞いたんですが。

津村:それ僕じゃないですよ! そもそも僕マヨネーズ嫌いですから。別の友達がマヨネーズめっちゃかけててルーキー(大礒)が切れたんです。記憶が改ざんされてる(笑)。

――そうだったんですね。じゃあここで声を大にして濡れ衣だと言っておきましょう。

津村:まあでも、大礒さんはいいお兄ちゃん的な存在でした。こないだ(齋藤)友晴さんに何気なく「一番影響を受けたプレイヤーって誰?」って聞かれたんですけど、やっぱりルーキーが一番かなと。いまだにプレイスタイルとかもかなり影響を受けてて、似てると思います。

――身近にいて一緒に練習してたけど、向こうが先に飛び抜けて勝ったという感じですか?

津村:僕が会ったときにはもうグランプリトップ8に入ってたし、一緒に練習し出してちょっとしたらプロツアーのベスト8にも入って、身近な人がそうなったっていうのはかなり勇気をもらいました。カイ・ブッディがいくら勝っても自分がそうなれるとは思わないけど、一緒に練習してる人だったら自信につながるというか......。当時から考え方がすごくて、一番ストイックだったなと思います。

――どんなところが?

津村:事故ったときの反応が、ルーキーだけ違いました。普通事故ったら事故ったですませてゲーム展開とかはあまり振り返らないと思うんですけど、ルーキーは「あそこをこうしたほうがよかった」とか真剣に考えてて、そういう姿勢はすごい勉強になりましたね。「ツイてなかった」とかいう言葉を1回も聞いたことがなかったです。

――そうなんですね。わりとキレてるイメージがあるんですけど(笑)。

津村:最近はそうですね。心境の変化があったのかもしれません(笑)。

――プレイングについても勉強させてもらったんですか?

津村:そうですね、一時期は日本一うまいと言われてるくらいダントツだったんで、吸収できるものは全部しようと思ってました。

――どんなふうに?

津村:あまり直接聞いたりはしなかったですね。聞けば何でも教えてくれるけど、それだと身につかないと思って、直接聞くんじゃなくて、「なんでルーキーはこうしたんかな?」と自分なりに考えて結論を出すようにしてましたね。マジックってまったく同じシチュエーションは来ないですよね、似たシチューションがあるだけで。そこで同じ回答ができるかっていうと、人に聞いた答えだとあんまりできない。自分なりに考えて答えを出していれば、似たようなシチュエーションでも同じ考え方ができると思うんです。

――そうしたことで、自分で考える力が身についたんですね。今は仕事としてマジックと関わっていますが、どうですか?

津村:もう少しマジックに打ち込みたい気持ちもあるんですけど、仕事も仕事で楽しいし忙しいし、なかなか難しいですね。ようやくマジックと仕事の折り合いの付け方も多少わかってきたかなと思うので、あとは成績がついてくればという感じですね。

――1日の時間が足りない感じですか?

津村:というか、昔が練習しすぎだったのかなと。中学のころから、僕が人より秀でてたのは練習量がめちゃくちゃ多かったところだと思うので、それが今できない中でどうするかというのは、これから結果を出すための一番の課題かなと思います。

――大礒さんからも、時間が少ない中でどうするかという話を聞きましたね。効率化のためにまずは脳内シミュレーションをするといった話でした。

津村:昔より手や体を動かして練習できない分、考える時間は大切かもです。あとはほかのチームの練習方法を参考にしていったりとか。こないだ友晴さんが「mtgmintcard」と合流して練習していたときに、徹底した役割分担をしたり、大会前に火曜から現地に行って木曜まで規律正しい生活をして時差に対応したりしていて、練習法がよかったらしくて。その話を聞いて、そういうシステムとかもちゃんと考えていかないといけないなと。

――なるほど。

津村:もっと早く現地に行ったほうがいいのかもしれないなと。プロツアー直前の水曜と、1週間前の水曜だったら、直前の水曜のほうが絶対に大切なんです。だから移動日を早めれば、最後の一番大事な時期に練習に打ち込める。移動日をいつも水曜にしているのが、実は間違いなのかなと。ちょうどいい休みになってるという面もあるかもしれないんですけど、本当は一生懸命調整したほうが身になると思うんです。

――そう考えると、大会で勝つためにはまだまだやれることがあるんですね。でも、時間に限りがある中で、できることから一歩ずつということでしょうか。

津村:うまい時間の使い方という点では、社会人のプレイヤーを参考にしたいんですけどね。でも三原(槙仁)さんはあまり参考にならないとわかりました(笑)。土日しかやってないのにあんなに勝てるなんてすごいです。三原さんは例外です。

――八十岡(翔太)さんも、どっちかというとそういうタイプですよね。

津村:そうですね。昔4人で一緒に海外の大会を回ってたときも、直前までヤソさん1人だけデッキがない。当日の朝起きてシャワー浴びてデッキ作ってる。1人だけフライデー・ナイト・マジックかな? みたいな(笑)。

――いろんなプレイスタイルがありますけど、社会人プレイヤーだとそういうスタイルの人が有利かもしれませんね。津村さんは今後どんなふうにマジックしていきたいですか?

津村:個人としてはやっぱり大会での結果が欲しいです。配信とか記事とかでも皆さんに喜んでもらえるっていうのはこの1年でわかったことなんですけど、それは皆さんの優しさに支えられてることなんで。なんとなくですけど、あと4回くらい大会に出たら、もっとましな成績が出せるんじゃないかと......。

――ステップを踏む必要があるんですね。

津村:あくまで個人的な感覚ですけど。最近「Hareruya Pros」のチームメイトも調子がいいので、追いつけるようにがんばります。

――ぜひがんばってください! ありがとうございました。


三原槙仁

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2006年の世界選手権で優勝。ユニークなデッキビルダーであり、夫婦でマジックの強豪プレイヤーであるといった点でも知られる。2014年にプロツアー殿堂入り。


――あなたにとってマジックとは?

三原:「自己表現の場」ですね。トーナメントで勝つことが"成功"だとすると、勝ったデッキで世界を変えるのは、その上の"大成功"なんです。

――世界を変える、ですか。

三原:自分のデッキがいろんなところで使われたり、真似されたり......。そういうふうになるにはやっぱり普通のデッキではダメで、印象的なデッキで勝つのが重要なので、それを目指してますね。

――デッキビルダーとして成功したいということでしょうか。

三原:プレイヤーをジョニー、ティミー、スパイクの3つに分ける分類法がありますけど、完全に僕はジョニー寄りなんですね。

――ジョニーとは、ゲームで自己表現したい人のことですよね。

三原:その通りです。自分が勝つだけでなく、自分のデッキが勝つことも自分の勝利、みたいな感じです。たとえば自分がトップ8に残ったデッキがあって、翌週のグランプリでそれをコピーした人が優勝したら、すごくうれしいですね。

――そういうことは今までけっこうありましたよね、特に「CAL」(《独房監禁》《突撃の地鳴り》《壌土からの生命》を軸にしたコンボデッキ)なんかは世界を変えました。

三原:あれは自分の中でかなりうれしい経験です。

――ほかにはどんな自信作デッキがありますか?

三原:最近の例で言うと、プロツアー「テーロス」の《ニクスの祭殿、ニクソス》を使った赤緑信心も、自分が作ってトップ8に入ったあとでいろんな人が使って、「このデッキ面白いよ」って言ってくれて、うれしかったですね。

――デッキの発想はどこから生まれるんですか?

三原:実はデッキ構築の考え方がほかの人とちょっと違っていて、普通のデッキ構築はいかに相手のライフを20点削るかという考えでやっている人が多いと思うんですけど、僕の場合はいかに早く相手のライフを100点削るかなんです。

――(笑)。 20点じゃ足りないんですね。

三原:100点削るデッキってなるとやっぱりコンボデッキとか、派手な動きをするデッキですよね。20点削るデッキは、同じようなデッキと当たると消耗戦になりますけど、100点削るデッキは最速でコンボを決めようとするから消耗戦に強かったりします。

――同じ土俵で戦わないんですね。三原さんは大味なカードが好きというイメージがありますもんね。

三原:それはまさにジョニーにあてはまる性質です。スパイクの人はコストパフォーマンスがいいカードを使うんです。事故らず安定するデッキを使って、平均に収束できるようにチューニングすると、勝率が上がるんですよね。僕はよく、デッキ構築をサイコロにたとえるんですけど、普通のサイコロは1から6までのところを、全部「4」にそろえようとするデッキ構築がスパイク的なやり方ですね。だけど、僕は「5」を3つ、「4」が1つ、「1」が2つみたいなバランスにしようとするんです。そういうサイコロのようなデッキを目指すと、トータルでは全部「4」よりは勝率がいいんですよ。

――運が悪ければ1の目ばかりだけど、勝つときは勝つと。三原さんって統計や記録をすごくしっかり取りますよね。なので理系っぽく平均を目指すかと思いきや、実は勝つときは勝つ、負ける時は負けるとがったデッキが好きなんですか。

三原:そういう割り切りは必要なんです。回ったら勝つ、回らなかったら負けるみたいな不安定なデッキって、使いづらいんですけど、大勝ちできるデッキって実は効率がよかったりするんです。グランプリで10位くらいに何度も入れるデッキより、1回優勝できるほうが賞金とかも大きいですからね。

――それは中村修平さんと正反対の考え方ですね。中村さんは安定してポイントを稼ぎたいから、1回優勝するより3回トップ8に入りたい派だそうなので。

三原:そうでしょうね。僕はやっぱり勝利の栄誉が一番なので。今だったら「アブザンアグロ」みたいな平均的なデッキがスパイク向けなんですよね。オールインのコンボ系のデッキはジョニー向け。

――それで先日のプロツアー『マジック・オリジン』でも「ラリー」を使ってたんですね。平均的なデッキはあまり面白くないんですか?

三原:そうですね、使ったほうが勝率がいいとわかっていても、面白くないから使わないです。昔は勝率いいデッキ使おうかなというのはあったんですけど、今は多少勝率が低くても使って面白いデッキ、勝ったときにみんなから注目されるデッキを使ってます。リミテッドでも面白いほうにピックしちゃったりします。

――ドラフトも安定性よりは面白いほうに行くんですか。

三原:ええ、こないだのグランプリ・香港2015でも4色デッキを組んだんですけど、《隕石》を入れなかったんです。入れるとマナカーブとか見た目が悪くなるので。

――見た目ですか?(笑)

三原:6マナのカードが1枚しかないのに《隕石》入れるのは変だよねと。でも絶対勝たないといけない場だったら入れるので、そこは面白さ優先というか。

――殿堂に入ったこともあって、勝率アップをカツカツに狙わなくてもよくなった感じですか?

三原:殿堂になる前からそういう傾向はあったんですけど、なってからより顕著になりましたね。

――ほかの殿堂の皆さんに比べて、1日じゅうマジック漬けになるような生活はしてこなかったと思うのですが......。

三原:いや、大学の6年間はそうでしたよ。学校とマジックとバイトしかやってなかったです。

――でも学校にちゃんと行ってるだけですごいですから(笑)。学業とマジックとを両立していたんですよね。

三原:理系なので、勉強とマジックの親和性はけっこうあったし、楽しかったので。勉強で学んだ確率や統計をマジックに応用したり、プログラムとかも利用してました。

――大礒さんと津村さんからは、仕事を始めて効率化を重視するようになったという話を聞いたんですが、三原さんは社会人として働きながら限られた時間で勝ってますよね。何かコツがあるんでしょうか。

三原:いくつかありますが、ひとつには自分がマジックというゲームそのものの構造を多少理解していると思っていて、要は何ターン目に何をするというモデルケースを考えられるのかなと。環境的に、何ターン目はこういうクリーチャーが出てこういう動きになるとか、それに対してどういう動きをしなければならないかとか。その時点で、必要なデッキの構造ってある程度絞られるんですよね。コンボデッキにしても、コンボパーツ以外はそういう部分を止められるカードで埋めないといけない、とか。

――この環境はこういうペースで進む、というモデルケースがあると。

三原:だから、デッキ構築においては経験も大事ですね。昔からコンボデッキをいろいろ考えてきて、今まで作ったデッキの中にいっぱい失敗作があるわけです。その経験によって失敗作を見つけるのが早くなったので、勝てないデッキは最初から捨てますね。このアイディアはすごくおもしろいけど、実現させても既存のデッキに勝てないなとか、コンボが6ターン目始動だから遅いなとか、そういうのはお蔵入りになります。それがまず構築の部分ですね。

――なるほど。

三原:一方プレイの部分では、うまいプレイと下手なプレイのレベル感、このプレイはどれくらいのレベルに相当するのかという感覚があるので、自分はできないけどうまい人ができるプレイというのを理解したうえで、そこの差分を分析します。そのレベルに行くためには何をすればいいかというのを考えて、実践してました。自分がミスったプレイがあったとして、「本当はこうすればよかった」で終わらずに、どういう考え方をすればそういうプレイができるのか? というところまでを考える。それを昔から積み重ねてきたんです。

――たとえばどういうことをしてきたんですか?

三原:たとえば、ドラフトで相手が同じインスタントを2枚持っていることを考慮しないプレイ、というのがあったんですよね。環境にあるコンバットスペルを一覧化して、見ながらMOやってたんですけど、「これはもう出たから」と考慮しなくて失敗したことがあって。そういう、同じカードを2連続で撃たれることを意識しだすと、やっぱり変わったんです。昔はそういう細かいトピックを1つずつメモって、「次からはこういう考え方でやろう」とかやってました。

――そういった細かい技術の積み重ねなんですね。

三原:だからうまい人のプレイを見て、「へーそんなプレイあるんだ」で終わらせてはダメで、そのプレイを自分がするためにはどうすればいいかを考える。自分で考えないと身につかないですから。そういったことをやって時間効率を上げてます。

――なるほど。普段は平日お仕事で土日マジックという感じですか?

三原:平日は通勤時間とかにMOのデッキリストを眺めるくらいで、ゲームはまったくしないですね。土日は、考えたデッキを実戦で試すこともあります。最近あまりできてないんですけど......。あとグランプリやプロツアーの前は、合宿とかで集中して練習するのが大きいです。それがないとやっぱり自分のレベルを維持できてないですね。ただデッキ構築に関してだけはなかなか難しくて、急にアイディアがひらめいて、夜2時ごろ1人で起き出して、1〜2時間デッキ回して、次の日寝不足で大変になったりすることもあります(笑)。

――そんな苦労からデッキが生まれているんですね。ところで、マジックを始めたころの話をお聞きしていませんでした。始めたきっかけは何ですか?

三原:中3のときに、友達と一緒に『第4版』の構築済みデッキを買ったのが最初です。雑誌に載ってたマジックの記事を見て、友達が先にちょっとだけ買ってたので説明書だけ借りて読んだら、面白そうだなと思って始めました。

――始めた当初、好きだったカードは?

三原:《ネクロエイトグ》。初めて買ったブースターから出て、ずっと大活躍してました。

――当時から面白いデッキが好きだったんですか?

三原:コンボデッキをずっと使ってましたね。最初の大会で使ったデッキは《ボトルのノーム》を《死体のダンス》のバイバックで使い回すデッキでしたし、「補充」や「激動サイカトグ」もずっと使ってたし。マナカーブ通りに強いクリーチャーを並べて愚直に殴るみたいな、純粋なビートダウンデッキはほぼ使った記憶がないですね。

――最後に、今後のマジックとの付き合い方はどうしていきたいですか?

三原:基本的には今と変わらないんですけど、やっぱり自分のデッキで世界を変えたいですね。あとは、最近娘が生まれたので、大きくなったら一緒に遊びたいなと。将来家族でチーム戦とか出るような、ほのぼのしたマジックもやりたいですね。

――すごく強そうなチームです(笑)。そろそろマジックも二世代、三世代になっていくでしょうし、楽しみですね。


八十岡翔太

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2006年にプレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞。「ヤソコン」と呼ばれる独特なデッキを使う。先日プロツアー殿堂入りが決定した。通称「ヤソ」。


――あなたにとってマジックとは?

八十岡:言葉で言い表しづらいんですよね。「自分を構成する何か」みたいなものかな......。

――自分の一部みたいなものですか? 自分の生活の何割を占めているとか、指標はありますか?

八十岡:そういうのはないですね。

――もっと、木の根っこの土壌的なものですか?

八十岡:そうですね、なのでやめるとか続けるとか、そういうものでもない。常に世界の一部としてそこにあるみたいな感じです。

――なるほど、深いですね。では、まずマジックを始めたきっかけをお願いします。

八十岡:中1の時のクラスメイトと部活の先輩がやってて、誘われたのがきっかけですね。『ミラージュ』とか『第5版』のあたりです。

――部活って何ですか?

八十岡:将棋部です。放課後に部活でやったり、クラスでもたまにやってるような感じでしたね。普通にプレステとかサッカーとかも遊んでたし、そういう遊びのひとつみたいな。

――始めたばかりの時にはどんなデッキを使ってましたか?

八十岡:愛用してたデッキとかは特にないですけど、一時はトロン並べて《火の玉》撃ったり、《スークアタの槍騎兵》で殴ったりしてました。《火葬》とか《分解》、《火炎破》が環境にあって、「赤スライ」みたいなデッキは組みやすかったんで。『メルカディアン・マスクス』くらいまでけっこうファンデッキ使ってて、《岩山トカゲ》で殴ってたのを覚えてます。

――プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得する2006年前後は本格的にプロマジックに力を注いで、急に生活が変わりましたよね。

八十岡:いや、うーん、あんま変わんないですね。

――日本に帰っては、すぐにまた次の海外グランプリに行くような感じだったと聞いたんですが?

八十岡:そのころ日本にいて何かしてたわけじゃないんで。バイトくらいはしてましたけど、別に家にいても海外にいてもゲームしたりマジックしたりで、やること変わんないんで。

――とすると、海外の大会に出ても時差があるだけという感じですか。

八十岡:時差もあまり気にならないほうなんで。

――その体質はプロプレイヤーに向いてますね。今は海外を回ってはいませんが、マジックをやるペースとしては、あまり変わらずずっと続けているんですか?

八十岡:2010年くらいに仕事始めたんだったかな。声がかかったので。

――仕事を始めて何か変わりましたか?

八十岡:いや特には。けっこう融通きかしてもらってるのもありますし。プロツアーとかも休みもらえますから。

――練習時間が減ったりはしていないですか?

八十岡:もともとそんな練習してなかったので......ただドラフトする時間は減りましたね。昔は平日の昼間からずっとドラフトしてましたからね。海外を回らなくなった2007年くらいからは、そんなに生活変わってないです。

――大礒さんや津村さんは仕事を始めて効率化を考えるようになったと言っていたのですが、そういうのは八十岡さんにはあまり縁がなさそうですね。

八十岡:1つのデッキを何時間も練習するとかがないので。

――そこは八十岡さんの特徴的なところですよね。

八十岡:当日の朝にデッキ変えたプロツアーもありましたからね(笑)

――前日まで、これで行こうと思ってたデッキがあったんですか?

八十岡:ありました。でも朝に、これ弱いなと思ってポイ捨て(笑)。青黒に変えて、34位とかだったかな。でもチーム戦のときはかなり練習しました。みんなのデッキ決めておかないといけないですからね。(齋藤)友晴と自分のデッキはすぐ決まったんですけど、KJ(鍛冶友浩)が使うもう1個がなかなか決まらなくて、その調整をずっとしてたような感じなんですけど。あのときが一番練習しましたね。

――それ以外のときは前もってデッキを作って練習はせず、朝できたもので戦うんですか?

八十岡:いつからかはよく覚えてないですけど、練習したデッキを持って行った記憶はあんまないですね。「フェアリー」の時代はずっと「フェアリー」使ってましたし、「ジャンド」のときもずっと「ジャンド」だったから、練習する必要がないっちゃないんですよ。何のために練習するかっていうと、デッキを決めるためというのが大きいから。決まったあとで練習することはそんなにないんじゃないかな。

――デッキを決めるための練習では、試行錯誤するんですか?

八十岡:いろんなデッキを使ってみて、自分に合うかどうか。けっこう感覚的です、僕の場合。

――当日の朝にデッキを作るときには、あらかじめイメージがあるんですか?

八十岡:なんとなく、漠然としたものはありますね。だいたいコントロールになるんですけど、あとはノリとか......使いたいカード使うってのが多くて、それをメインにして、あとは環境に多そうなデッキとかに対して強く作るみたいな感じです。

――そういうスタイルであれば、今後もマジックに対するスタンスはそんなに変わらなそうですね。ただ、「これからは後進を育てたい」という話がつい最近出ていましたね。殿堂にもなられたことですし。

八十岡:その話は殿堂になる前の話なんで。ぶっちゃけ殿堂は、マジック続けてたらもらった皆勤賞みたいなものなんで、なったからといって特に何も変わらないですね。

――なるほど、殿堂だからとかは関係なく、後進を育てようと。

八十岡:まあ、もっとプロマジックが盛り上がってくれたらうれしいし、そうすると大会の賞金とかもいずれ上がってくるだろうし、最終的にめぐりめぐって自分もおいしいみたいな(笑)。

――新居に下の世代を集めてドラフトをやったりしようと考えているんですか?

八十岡:練習する場所にみんな困ってるみたいなのはあるし、僕けっこう面倒くさがりやなんで、ドラフトもできるならしたいけど、遠くまで行くのは嫌いなんで(笑)。

――自分の家に人を集めてドラフトできるなら、それが一番楽ですもんね。

八十岡:そうです。

――今後の目標は何ですか?

八十岡:まだまだ長く続けていくだろうから、短期的な目標じゃなくて、だらだらとプロツアー出て勝ちたい、みたいな。一度プロツアーとかの上の世界に行くと、ショップのフライデー・ナイト・マジックとかとは違うゲームなんですよね。その意味では、プロツアーのマジックをずっと続けていきたいとは思ってます。

――違うゲーム?

八十岡:どっちかというとコミュニケーションゲームなんですよ。プロツアーとかはトーナメントのゲーム。なので、勝負の世界に身を置きたい。

――でも、八十岡さんって変なフォーマットも好きですよね? 先日も三原さんとウィンストンドラフト(2人用のカジュアルなドラフト)をやってましたし。

八十岡:いや、あれは2人とも真剣なんで。

――変なフォーマットでも、真剣に勝ちを目指してるんですね。

八十岡:そうです。真剣に勝ちを目指すゲームしかしたくない。楽しみのためにマジックをしてる人もいっぱいいて、それはそれでいいんですけど、僕はみんなが勝ちを最優先している状況でやるゲームが好きなので。

――勝ちを追求するのが根本的に好きってことなんですね。

八十岡:好きというか、ゲームってそういうものだと認識してるというか。カジュアルだから勝ちを目指さない、っていうのも違うんですよね。別に僕、そんなガチじゃないと思うんですよ、気持ちはカジュアルプレイヤーなので。カジュアルなデッキで勝ちを目指してます。

――プロツアーでもそうなんですか? 強いファンデッキを作ってる?

八十岡:ファンデッキっていうのはまわりが決めることで、自分で言うものじゃないかなと。自分でデッキ作るなら、自分が楽しめるようなデッキにしようとは思ってますけど。

――楽しくないけど強いデッキを使うことはないんですか?

八十岡:そのへんのコピーデッキってことですかね? それはないですね。1、2回はあるかもしれないけど、そういうときはまず勝ってないですね。自分の作ったデッキで、デッキビルダーとして勝ちたいみたいなところがあるんで。まっきー(三原槙仁)や浅原(晃)さんに近いかもしれないですね。

――デッキで自己表現したいタイプですね。

八十岡:そのほうが、人として記憶に残りやすいってのはありますね。「あの大会は《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》デッキが勝ったらしいけど誰だっけ?」とかじゃなくて、「あのときは変なデッキを使った誰それが勝った」みたいな。またそのデッキが出てきたら、その人の名前が出てくるみたいなのを目指してるんで。

――実際にそうなっていると思います。今後の活躍も期待しています。どうもありがとうございました。

(終わり)

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