EVENT COVERAGE

第30回マジック:ザ・ギャザリング世界選手権

トピック

The Week That Was:世界選手権30年史

Corbin Hosler

2024年10月23日

 

 全てを懸けた闘いがここにある。

 「第30回マジック:ザ・ギャザリング世界選手権」の開催が目前に迫る。数日後、100人以上のプレイヤーが世界中からネバダ州ラスベガスに集結する。懸けられているのは、“すべて”だ。世界王者というの称号は、マジックにおいて他に類を見ないものだ。過去数十年でこれを手にしたものはほんの一握りのプレイヤーのみ。その重みは、マジックプレイヤーであれば誰でもよく知っている。これは、名誉の殿堂入りを目指す者たちにとっての最後のピースであり、カイ、ジョン、パウロなど、史上最強と称されても遜色ないプレイヤーたちが頂点へと登り詰めたトーナメントなのだ。

 世界選手権は、年間を通じて数十のイベントを勝ち抜いたプレイヤーのみで構成されている。地域チャンピオンシップ、プロツアー、アリーナ・チャンピオンシップ、Magic Online上のイベントの全てが、「第30回世界選手権」へと繋がっているのだ。ダークホース、強豪、元世界王者、現世界王者のジャン=エマニュエル・ドゥプラ/Jean-Emmanuel Deprazや、多くの殿堂プレイヤーたちが一堂に会する。しかし、悪魔は『ダスクモーン:戦慄の館』ブースタードラフトの細部に宿る。ヘッドジャッジが "pick up your first pack (最初のパックを手に取ってください),"と呼びかけた瞬間、経歴などは一切関係なくなるのだ。重要なのは、この3日間の激闘に向けてどれだけ準備が整っているかだけである。

 私たちの目の前にあるのは、マジックの新たなる10年の幕開けを世界中で祝う、競技史上のマイルストーンだ。では、後ろには何があるのだろうか?この瞬間を可能にした過去29年間の世界選手権はどのようなものだったのか?

 ここで朗報だ!フランク・カーステン/Frank Karstenと私は、過去6ヶ月間にわたり、Magic.ggで世界選手権の歴史を詳細に記録してきた。ミルウォーキーでの最初の世界選手権、カイ・ブッディ/Kai Buddeの台頭、ESPNの時代、唯一無二の世界選手権二連覇、偉大なるストイアの物語、そして昨年にはドゥプラの舞──私たちは全てを見てきた。

 さて、ここまですべてを追うにはちょっと宿題が必要かもしれない。だが、心配はいらない。2024年10月25日金曜日午後2時EST / 午後8時CEST / 午前3時JSTに開始となる、世界選手権の生放送に向けて、準備を整えるためのハイライトをここにまとめた。
 

始まり

 マジック初となる世界選手権は、1994年8月19日から21日までの日程でGen Conにて開催された。「フォレスト・ガンプ」が公開され、グランジがシアトルで流行していた頃だ。マジック:ザ・ギャザリングは、発売からわずか1年で世界中に広がっていた。512人のプレイヤーが参加した、シングル・エリミネーションの本イベント。当時存在したセットは、『アルファ版』、『ベータ版』、『アンリミテッド』、『リバイズド』、『アラビアン・ナイト』、『アンティキティー』、『レジェンド』だけだ。今日使用されている基本的なデッキ構成のルールである、60枚の最低限と15枚のサイドボード、4枚制限は、ちょうどその時に生まれたものだ。ザック・ドラン/Zak Dolanが使用し、見事優勝を飾った「エンジェル・ステイシス」を振り返る記事でフランクが見たように、本当に異なる時代だったのだ。

1994年、私たちが30年後に彼の勝利を振り返ることになるとは想像すらしていなかった、初代世界王者ザック・ドラン。


 マジックの歴史愛好家はその後のストーリーを知っている。1993年のGen Conでの幸先の良いスタートが1994年の世界選手権につながり、マジックは爆発的にその人気を高めた。その後4年間、マジックは更に世界的な広がりを見せ、世界選手権はより身近なものへと変わっていった。アレクサンダー・ブルンク/Alexander Blumke、トム・チャンフェン/Tom Chanpheng、ヤコブ・スレマー/Jakub Slemrがそれぞれスイス、オーストラリア、チェコ共和国に世界王者のタイトルを持ち帰り、スレマーの戴冠がESPNで放送されたことにより、マジックが初めてメインストリームへとなり始めたのだ。

 今日では、Twitchで最新のデッキテクや、勝っているデッキリストを簡単に見つけることができる。しかし、黎明期のマジックでは情報を得る手段が乏しく、調整チームを形成し、知識を共有することで、プロツアーや競技シーンは発展していった。マジック史においても最も有名なデッキのいくつかが世界選手権で勝利を収めたのはまさにこの時だ。《ネクロポーテンス》、《意志の力》、《天秤》、《厳かなモノリス》など、世界選手権の舞台で輝き、長年愛されるカードの多くが印刷されたのもこの時代だ。その中には、かの有名なブライアン・セルデン/Brian Seldenが使用した《適者生存》と《繰り返す悪夢》のコンボも含まれている。

 

GOATたちの到来

 世紀の変わり目となり、マジックは上り調子であった。プロツアーが開催されるようになったことにより、競技シーンのトップ層には大きな変化が現れた。トーナメントの前日にこれまでにはないデッキを組み上げる者から、熱量高く競技マジックに挑むプレイヤーやチームへとなったのだ。

 これにより、ジャーマン・ジャガーノートたるカイ・ブッディが1999年横浜で世界選手権を制覇するための舞台が整った。この戴冠こそが、のちにプレイヤー・オブ・ザ・イヤーのトロフィーの名を冠することとなるプレイヤーの、伝説的な物語の幕開けである。同時に、私たちはカイの名前と永遠に並び見ることとなるジョン・フィンケル/Jon Finkelの名を知ることとなる。ブッディが世界王者となった翌年に、ブリュッセルで開催された世界選手権を制覇したのが彼だ。



 

 「ジョンかカイか」の議論は、当時の世界選手権を覚えている私たちの間で決して終わることのない話題であり、正解のない議論でもある。ブッディとフィンケルが活躍したこの時代は、競技マジックが今日の姿になるための礎を築いた。

 何が最高かって?まだこの2人がマジックと共にあるということだ。今回の世界選手権も含めて。


 

 2000年代の世界選手権史において、もう一つの注目すべき点は、トロフィーが世界を巡ったことだ。フィンケルの戴冠から、2015年にセス・マンフィールド/Seth Manfieldが王者となるまで、15年もの間アメリカに世界王者のトロフィーがもたらされることはなかった。次の5年間の世界選手権の覇者は、それぞれ異なる国を出身とするプレイヤーとなった。その中にはレジェンドの1人であるカルロス・ロマオ/Carlos Romãoも含まれる。ブラジル出身のロマオは、2002年シドニーで世界王者となり、自国に初のタイトルをもたらした。その後2010年にはMagic Online Championshipで見事優勝に輝き、2019年からはマジック・プロ・リーグの一員となり活躍した。

 ロマオが世界王者となったことにより、マジックはブラジルで更なる発展を迎える。20年経った今もなお、彼が築き上げたレガシーは健在であり、現地のコミュニティやプレイヤーたちの一部として存在し続けている。

カルロス・ロマオ - 「サイカトグ」
2002 Magic World Championship / スタンダード(2002年8月13日)[MO] [ARENA]
2 《セファリッドの円形競技場
1 《ダークウォーターの地下墓地
10 《
4 《塩の湿地
3 《
4 《地底の大河
-土地(24)-

4 《夜景学院の使い魔
4 《サイカトグ
-クリーチャー(8)-
3 《チェイナーの布告
3 《堂々巡り
4 《対抗呪文
3 《狡猾な願い
3 《綿密な分析
3 《嘘か真か
3 《記憶の欠落
4 《排撃
2 《激動
-呪文(28)-
1 《棺の追放
4 《強迫
1 《嘘か真か
1 《反論
3 《恐ろしい死
1 《冬眠
1 《枯渇
1 《はね返り
1 《殺戮
1 《テフェリーの反応
-サイドボード(15)-

 

シャハール・シェンハーの連覇

 これまでに、2回以上の世界王者の称号を獲得した者はたった1人のみ。更にその選手は、2年連続での優勝という唯一無二の偉業を成し遂げたのだ。


 

 シャハール・シェンハー/Shahar Shenharは、2007年に14歳でマジックに出会い、4年後に驚くべき方法でプロツアーに進出した。彼は18ヶ月の間に3つのグランプリで優勝し、2013年の世界選手権に招待され、アムステルダムへと向かった。

 世界選手権は2012年にトーナメント形式が変更され、大規模な予選からより小規模で名誉ある招待構造へと移行した。そのため、シェンハーが世界選手権へと出場することは、約16人の世界最高峰の、超精鋭プレイヤーたちとの闘いに挑むことを意味した。

 しかし、そんなことは関係なかった。この10年後にネイサン・ストイア/Nathan Steuerが見せた活躍が示すように、シェンハーは知らないことを認知しないことの強さを誇示するように、世界選手権の決勝にて伝説的プレイヤーであるリード・デューク/Reid Dukeを「ジェスカイ・フラッシュ」で下し、記憶に鮮明に残る戴冠を果たした。プロツアーの参加権利を獲得することは難しく、ましてやトップ8に進むことや世界選手権に出場することは希少な機会だ。時には、自分が辿ろうとしている道がどれほど険しいかを知らないことが、幸運となることもある。

 とはいえ、シェンハーは翌年2014年にタイトルを防衛するために世界選手権の地に再び足を踏み入れた時には、世界王者となることがいかに困難であるかを理解していた。そして彼はその挑戦を受け入れ、最後にはトロフィーをその手にしたのだ。


 

伝説的な王者たち

 これまでの間、世界選手権は進化を続けてきた。初期に行われた試行錯誤により、今ではおなじみとなった形式となる道が拓かれたのだ。まずはドラフトから始まり、その後は構築戦に移り、トップ8でも構築戦が行われる、というものだ。

 2015年と2016年にシアトルで開催された世界選手権は壮観であった。PAX Westという人気のゲームコンベンションの一環として、シアトルの歴史的な劇場の舞台で開催されたのだ。

 そしてこの時期、私たちは後に伝説となるプレイヤーたちの台頭を目の当たりにする。彼らはプロツアーの常連であり、私が幸運にも躍進する様を見守ることができたプレイヤーたちだ。過去10年間、世界王者として名を連ねているのは、殿堂顕彰プレイヤーや若き天才、そして逆境を乗り越えた者たちだ。

 セス・マンフィールドとブライアン・ブラウン=デュイン/Brian Braun-Duinは、シアトルで開催された世界選手権を優勝で飾ると、長いキャリアの中で一段と輝く栄光の瞬間を手にした。そして、2017年にはウィリアム・ジェンセン/William Jensenがボストンで世界王者となる。20年間東海岸の競技シーンで活躍してきた彼が、故郷で戴冠したのだ。


 

 ジェンセンの卓の向こう側を見ると、彼との壮絶な決勝戦で惜しくも敗れたハビエル・ドミンゲス/Javier Dominguezがいる。

 敗北は失敗と見なされることもあれば、踏み台と見なされることもある。世界選手権の決勝で敗れることは、いずれの見方をしてもその感情を凄まじく揺さぶるものだ。ドミンゲスは、それを絶望としてではなく、証明するための手段とモチベーションとして変換することを選んだのだ。

 そしてそれは見事成功した。翌年2018年の世界選手権に再び登場すると、今度は優勝トロフィーをしっかりとその手に掴んだのだ。

決勝で敗れた翌年の2018年に世界選手権を制覇したハビエル・ドミンゲス


 私たちは2019年にホノルルへと向かった。プロツアーでは人気の開催地だ。この年にもまた新たな試みがあり、トーナメントはMTGアリーナで行われた。しかし、パウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサ/Paulo Vitor Damo da Rosaにとって、使用プラットフォームなど関係なかった。対戦の場であれば、そこはどこでもレジェンドたる彼にとっての得意領域だ。3日間の激闘のあと、誰もがそれを痛感した。

 世界線王者は誰もが難題に直面するが、2020年の王者である高橋優太ほどの逆境を経験した者はいなかった。このイベントには、プレイヤーたちが世界中からリモートで参加したため、彼らが対戦に挑む時間帯に大きな差があったのだ。それは高橋にとっては特に厳しいものであったが、《黄金架のドラゴン》を搭載した「イゼット・ドラゴン」が彼の睡眠不足を補ってくれた。《フェアリーの黒幕》がもっとも好むクリーチャータイプではなかったが、ドラゴンたちは彼に優勝トロフィーをもたらし、日本に2012年以来の初タイトルを持ち帰ることとなった。

 その後、世界選手権の開催地はラスベガスに移り、ネイサン・ストイアの驚異的な快進撃が始まる。昨年は、2021年の決勝で高橋に敗れたジャン=エマニュエル・ドゥプラが再び決勝へと舞い戻り、小坂和音を下して世界王者の称号を獲得するというドラマがあった。


 

 30年の歴史があり、今日に繋がる。数時間後、世界王者の称号を懸けて100人以上のプレイヤーがデッキをシャッフルし、対戦を始める。次の世界選手権の物語が今まさに語られようとしているのだ。

 それではラスベガスで!

  • この記事をシェアする

RANKING

NEWEST

サイト内検索