MAGIC STORY

ゼンディカーの夜明け

EPISODE 03

メインストーリー第2話:ムラーサのスカイクレイブを目指して

A. T. Greenblatt
2018_Daily_WOTC_icon_0.jpg

2020年9月9日

 

 ナヒリは上機嫌で、同時に憤慨していた。上機嫌なのは、あの古の鍵がポケットの中にあるためだった。問題の解決策がすぐ手元にあるのだ。憤慨しているのは、先日のニッサとの冒険によって、ムラーサのスカイクレイブを単独で訪れても生き延びられそうにないと、この上なく明らかになったためだった。そう考えたくはなかったが、アクームのスカイクレイブでニッサがいなかったら、この鍵を入手はできなかっただろう。

 幸い、そびえ立つ海門の入り口の前に立ち、ゼンディカーでも最高の冒険家たちが見つかる場所をナヒリは知っていた。

 前回、この海門を訪れてから結構な時が過ぎていた。覚えている光景と完全に同じではなかった。エルドラージとの戦いで元の海門は壊滅し、再建されたものの、建物にはまだ傷跡が残っていた。

 そしてその人々にも。

 街路を速足で進むナヒリを、罪悪感が追いかけた。彼女は視線をまっすぐ前方へと保った。街の入り口に堂々とそびえる灯台に長居はせず、人間やコーやマーフォークが群がって値切り合う市場の屋台を見つめることもしなかった。戦勝記念碑も、通り過ぎる際に一瞥しただけだった――巨大な円形の台座に、石造りの巨大な面晶体が等間隔に並べられ、元の海門の瓦礫の破片を取り囲んでいる。この街の人々とは異なり、ナヒリには、失ったものを思い出させる巨大な記念碑は必要なかった。

 冒険家の組合に近づくにつれて街路は狭くなり、食堂から漂う新鮮な魚や焼いた肉の匂いが満ちた。鷹匠や貪欲な商人が彼女に近づいたが、目が合うとすぐさま避けた。凡庸な冒険家相手に時間を無駄にはできなかった。ポケットの中の鍵が重く感じた。

 海門探検協会に到着し、ナヒリはその鋳鉄製の扉を押し開けた。すぐさま騒音と熱と、古臭いエールと旅人たちの匂いが叩きつけられた。そう広くない空間にあらゆる種族の人々が詰め込まれ、酒杯を手にして傷んだテーブルを囲み、もしくは報奨金を値切る依頼人との交渉に熱中していた。そしてその混沌の中央に、嵐の目のように、この探検協会の長であるケセンヤが座していた。

 彼女は長身の堂々としたコーで、銀の鎧と紫色の高級な衣服をまとっていた。白髪は複雑に編まれ、首を飾る眩い赤色のネックレスこそ、あの「ドラゴンの襟飾り」に他ならなかった。ケセンヤは出資者や取り巻きに囲まれ、その全員が彼女の注目を惹こうとしていた。だがケセンヤはナヒリの姿を認めるとすぐさま立ち上がり、周囲の人々に幾らかの謝罪や挨拶をして、部屋をまっすぐに横切って向かってきた。

「後援者様」 静かな声で彼女は言った。「ようこそおいで下さいました」

「私の投資が実を結んだようで何よりです」 低い声でナヒリは応えた。「内密のお話があります」

「かしこまりました」 ケセンヤはナヒリを奥の部屋へと案内した。小さいが設備は整っており、長椅子にはクッションが敷かれ、壁にはスカイクレイブの地図が貼られていた。二人分の新鮮なエールが持ち込まれ、テーブルに置かれた。

「正直に申しますと」 ナヒリの向かいに座り、ケセンヤは切り出した。「ここにいらしたことは驚きでした。ナヒリさんは普段その少々……超然とされている、とでも言いましょうか」

「必要に応じているだけです」 ナヒリが返答する声には少しの棘があった。彼女はポケットの中の鍵に触れた。「そして今、勇敢で有能な冒険家たちを探しています。とても貴重でとても強力なものを手に入れてこられるような」

「それでしたら、ここはうってつけの場所です。どのような者たちをお探しですか?」

 ナヒリは微笑んだ。


古代を継ぐ者、ナヒリ》 アート:Anna Steinbauer

 探検協会の個室にて、四人の冒険家がナヒリの前に座っていた。コーの女性、アキリはその綱投げの技でゼンディカー中に名を知らしめていた。小柄な人間のウィザード、大きく精巧な杖を持つ女性はカーザという名で、噂によれば炎を熱愛しており、その両目には悪戯な輝きがあった。コーの司祭オラーは長く白い髭が特徴で、その脳内には図書館一つに匹敵する知識が詰め込まれていた。そしてザレス、鮮やかな赤毛に髭を編み込んだマーフォーク。四人のうち、彼だけは座らず背後の壁に背を預け、腕組みをし、疑念の視線でナヒリを見つめていた。彼女はすぐさま悟った、この男には気をつけねばならない。

「ナヒリといいます。伝説に値する冒険をこなしてきました。そのひとつに加わる気はありませんか」

 冒険家たちは返答しなかった。全員が様々な程度の懐疑の表情を見せていた。

 良いことだ、ナヒリはそう思った。彼らは物事を額面通りには受け取らない。

「ケセンヤは私について何と言っていました?」 椅子に背を預け、ナヒリは尋ねた。

「基本的なところだけです」 アキリがゆっくりと返答した。彼女がこのパーティーのリーダーらしい。

「他の世界へと旅することができる。命令で石を自在に操る。エルドラージと一対一で戦って倒せるほど強い」 オラーが身を乗り出して言った。「本当ですか?」

――最後のも本当であれば良かったのに。

「ええ」 一瞬押し黙った後、ナヒリは答えた。

 オラーはにやりとした、まるでお気に入りの物語が現実の出来事だったとわかって喜ぶ子供のようだった。アキリは肩越しに振り返り、ザレスと視線を交わした。

「じゃあ、そんなあんたが何で俺たちみたいな大したことない冒険家を必要としてるんだ?」 ザレスが尋ね、背筋を伸ばしてテーブルへと向かってきた。

――何故なら、私は罠に踏み入ってしまうだろうから。

「石成の核と呼ばれる古の物品があります」 ナヒリは言葉を切り、自尊心をぐっと飲み込んだ。「それを手に入れるための助力が必要なのです」

「それは何処に?」 アキリが尋ね、腕を組んだ。

「ムラーサに。最近上昇したスカイクレイブに」 ナヒリはそう返答し、その名を聞いた冒険家たちは興味から僅かに身をのり出した。「聞いたことがありそうですね?」

 彼らは再び視線を交わした。「登れた者は誰もいないって」 心配そうにカーザが言った。

「まだ誰も最善を尽くしていないということ」 ナヒリはそう言って内心微笑み、少し背筋を伸ばした。

「それで俺たちにとってどんな利益がある?」とザレス。アキリが視線を投げかけたが、彼は片手を挙げて続けた。「いや――危険に飛び込んでいくのであれば、何のためかは知っておくべきだろう」

 ナヒリは僅かに憤慨し、だが焦りを抑えた。「私が探しているのは、ゼンディカーのあらゆる傷を治すとされるものです。私はこの世界を再び安全な、繁栄する場所にしたい。エルドラージが来る以前のような」 ナヒリはゆっくりとエールを口にし、わざと黙った。「世界を救った者たちが手に入れる富と名声を想像してごらんなさい」

「この世界の傷は、莫大なものです」とアキリ。

「私はエルドラージに家族を奪われました」 オラーが静かに言った。

「俺は友達を」とカーザ。

「皆、近しい誰かを失いました」アキリは再びザレスを振り返った。「そして誰もが、もっと安全な世界を夢見ているでしょう。とうてい不可能に思えるものを」アキリは前を向き、ナヒリをまっすぐに見つめた。その瞳にナヒリは希望の火花を見た。「ですがもし貴女のその偉業が半分でも真実であれば、可能性はあるかもしれません」アキリは椅子にもたれかかり、瞳のかすかな希望の光は消えた。「それも、私たちが貴女を信じればの話ですが」

「俺は信じないね」とザレス。「あんた無しにその核を俺たちが手に入れようとしたら?」

 ナヒリは微笑んだが、目は笑わなかった。「鍵を持っています」彼女はポケットからそれを取り出した。小さな星を取り出すように、ナヒリはそれをテーブルに置いた。鍵は眩しく脈動し、冒険家四人は本能的に後ずさった。

「わあ」 カーザが息をのんだ。

 ナヒリは鍵をポケットに戻し、自らに言い聞かせた。もっと辛抱強くなければ。

「返事をする前に、俺とひとつゲームを楽しまないか?」とザレス。

 ナヒリは疑念に目を狭めた。だが正直に言えば、心のどこかでそそられたのも確かだった。「どんなゲームです?」

「ザレス」 咎めるような声でアキリが言った。

「カードだよ」 彼はそう返答し、アキリへと向き直った。「依頼を受ける時には必ずやってるやつだ。今回も例外じゃないだろ?」

 アキリは眉をひそめた。ナヒリは真面目に疑問だった、彼らは本当にこれを今まで依頼人とやってきたのかと。だが興味はあった。「では、教えて頂けますか?」

 アキリは席をザレスに譲り、だが彼の背後に立ってその肩に手を置いた。彼は愛情の笑みでアキリを見上げ、手を重ねた。

 もう片方の手で、彼は使い古したカードを何処からどもなく取り出した。「ちょっとしたゲームだ。冒険家のパーティーは『征服』って呼んでる」 慣れた手つきで彼は十五枚のカードをテーブルの上に円形に並べた。その輪の中心を手でつつくと、カードは宙に浮かび上がって回転を始めた。

「こんなふうに進める」 ザレスは説明を始めた。「一枚のカードが無作為に選ばれる」その言葉に、回転する輪から一枚のカードが中央に滑り出て表返った。宝石と目を入り組んだモチーフにした、美しい絵が描かれていた。その中央には一言「狡猾」とあった。「で、そのカードの言葉にまつわる、本当に自分がやり遂げた出来事を語る。それがつまらなかったら、別のプレイヤーがカードを引く」

「とても単純ね」とナヒリ。実に単純だ。

「ああ」とザレス。「けど一つ。もし俺が勝ったなら、その核がゼンディカーに一体何をするのか、きちんと教えてもらおう」

 ナヒリは椅子にもたれ、両手指を組み合わせた。「私が勝ったなら、あなたと仲間の皆さんは私とムラーサのスカイクレイブに向かう、ということで」

 冒険家四人は再び視線を交わし、アキリはナヒリへとひとつ頷いた。

「俺からだ」 ザレスはそのカードを熱心に見つめた、まるでそれに相応しい狡猾な物語を探すかのように。「ある時、俺は本売りに出会った、学者ってよりも泥棒に近い奴だ。俺は珍しくて危険な呪文の巻物を持ってると嘘をついて、交渉してる間に俺はそいつが海門の図書館から『借りた』呪文書を盗り返してやった。そいつは気づきもしなかった」

「狡猾」のカードはザレスが伸ばした手に滑り込んだ。ナヒリは眉をひそめ、ザレスはにやりとした。「俺はトリックスターとして知られていてね」

――つまり、この男を信用してはいけない。目を狭め、ナヒリはそう心した。

「私の番」 ナヒリが言った。再び、一枚のカードが輪から離れて中央に浮いた。その言葉は「敵」だった。

 ナヒリは微笑んだ。簡単だ。「私にとっては父親のような人がいた。けれど何世紀も過ぎてから、そいつは私の信頼を裏切った。そう遠くない昔、世界が終わらせるような戦いの間にそいつと戦って、私は勝った」

 ザレスともう三人が彼女を見つめた。

「そんなに歳をとっては見えないけど」とカーザ。

「それに、エルドラージ以来、そのような規模の戦いはありません」オラーがゆっくりと言った。

 ナヒリはエールを一口たっぷりと飲み、にやりとした。そっと手を伸ばすと、カードがその掌に勢いよく入った。「この世界じゃない所でね」

 一瞬、ザレスの自信が揺らいで見えた。

――上等ね。ナヒリは思った。

「俺も参加させてよ」 カーザがそう言いながら椅子をテーブルに寄せた。彼女のカードは「勝利」だった。

 カーザは物語をまくし立てた。かつてエルドラージの群れ一つを少しの呪文と爆発瓶一本の鋭い狙いで片付けた様を。だがナヒリは聞き流していた。この単純なカードゲームには何かあると踏んでおり、彼女は罠が作動するのを待っていた。

 作動はしなかった。

 何かを感じるまでは。彼女のポケットに触れる指は軽く、ごく僅かな感触だった。床が石製でなかったなら、それを通してトリックスターの動きを感じ取れなかっただろう。だがカードから顔を上げると、ザレスの手は両方とも再びテーブルの上に置かれていた。

「あんたの番だ」 悪賢い笑みでザレスが言った。

 上向きのカードには「力」とあった。

 ナヒリは椅子の背にもたれ、しばし相手を見つめていた。

 そして彼女が指を鳴らすと、全てのカードが花崗岩と化した。ザレスとカーザは驚いて跳び上がり、持っていたカードを落とした。それらはテーブルに大きな音を立てた。ナヒリが手を伸ばすと、カード全てがその掌に滑りこんだ。

「私の勝ち」 ナヒリはザレスを見つめた。「さあ、返してもらいましょうか」 彼女はもう片方の手を差し出した。

 唖然とし、ザレスは上着から鍵を取り出すと、言い訳もせずにそれを手渡した。

 その隣で、カーザが爆笑していた。「ザレス、あんたの負け!」

「この人の勝ちですね」とアキリ。「とはいえ、あなたと遊ぶ際に『公平』の言葉は絶対に引くべきではありませんね」 彼女は片腕をザレスの肩に回し、そしてナヒリへと尋ねた。「いつ出発しますか?」

 ナヒリは立ち上がった。自分は勝った、だが幾つかの理由から、その勝利は甘美なものでなかった。彼女は扉へ向かった。「明日の夜明けとともに」


トリックスター、ザレス・サン》 アート:Zack Stella

 ナヒリへ鍵を返し、ザレスは自らを罵っていた。仲間たちは彼があの奇妙なコーの女性に華々しく負けたことをからかっていたが、普段通りの皮肉が返ってこない様に、それを切り上げた。

 代わりに彼らはザレスをそっとしておき、エールを飲み干すと旅の準備に向かった。だがザレスは立ち去らなかった。彼は海門探検協会の中に座りこんで、次の酒をちびちびと飲み続けた。時間は過ぎ、混み合った部屋が空いていった。

 俺の世界を変える権利がナヒリにあるっていうのか?

 真夜中近くになると、残っているのは彼一人となった。

 いや、彼とケセンヤが。それは構わなかった。この探検協会の長はいつ寝ているのだろうか。

「明日の朝に出発なのでは?」 隣にやって来て、ケセンヤが尋ねた。

「ああ。けどこの夜を楽しみたくてさ。最後かもしれないからな」

 ケセンヤはそんな彼をしばし見つめていた。「嘘ね」

「その通りだ」とザレス。「ムラーサのスカイクレイブへ探しにいく、その物体ってのが――それが不安でさ」

 探検協会の長は何も言わず、ただ続けるように合図した。

「それでゼンディカーを変えるってあのコーは言ってる。エルドラージがここに封じられる以前に戻すって」

 ケセンヤは小さく笑った。「それが悪いことみたいに話すのね、トリックスターさん」

「あの古代遺跡を見ただろ」 彼は鋭く言った。この一日溜めていた怒りが漏れ出していた。「要塞と軍隊の世界に、俺たちみたいな奴らの居場所があるって思うか?」

 思い出せる限り初めて、ケセンヤは不安になったように見えた。「そこまで単純ではないでしょう。ナヒリさんは……見た目よりも重要な人物なのです」

 ザレスはかぶりを振った。「俺があんたに言いたいのは、その核を買えるほど金持ちの変人を見つけてくれってことだけだ。それを実際に使わないような奴を。あとは俺がなんとかする」

 ケセンヤは躊躇し、葛藤した。「その核を手に入れてきて。そうすれば考えるから」やがて彼女はそう言った。

 ザレスは微笑んだ。了承ではないが、拒否でもなかった。彼にとっては十分だった。

 今のところは。


》 アート:Sam Burley

 ムラーサの切断湾にようやくたどり着くと、アキリは先陣を切ってグリフィンから降り、地に足をつけた。この島の手強い崖が目前にそびえ、巨大なヘイラバズの森が彼らを取り囲んでいた。だがアキリの目はヘイラバズの木々の繊細に絡む枝ではなく、その遥か頭上に浮かぶムラーサのスカイクレイブにくぎ付けだった。堂々とした古代の浮遊遺跡は草や低木に覆われ、滝が流れ落ちていた。破片は大気の流れに動いており、地面から見ただけでもこれは危険な登攀になると言えた。

 彼女は笑みを浮かべた。挑戦は大好きだった。

「うっひゃー」 カーザが見上げて声を上げた。「大変そう。俺たちを雇って正解だね」

「これは伝説に相応しいものになるでしょう」 アキリも同意した。

「ぐずぐずしてはいられない」 ナヒリもグリフィンから飛び降りた。「石成の核は近いわ」

「登ったとして、それがある場所はどうやってわかるんだ?」 ザレスが腕を組んで尋ねた。アキリは咎めるような視線を投げかけた。旅の間ずっと、彼は核についての質問でナヒリを困らせ続け、不服を完全に隠しはしなかった。

 ナヒリはひるませるような視線を向けた。「私にはわかるの」 彼女は背を向け、カーザとオラーが荷物を広げようとしている所へ向かった。

「答えになってない」 ザレスは低くうめき、そしてアキリだけに聞こえる声で付け加えた。「俺は信用できない」 彼はアキリの手に触れ、自らの指を彼女のそれに絡めた。

 アキリは溜息をついた。ザレスのその虚勢の中に緊張が見てとれた。彼を揺さぶる不安を感じた。

「わかっています。ですが私には感じます、あの人はとてもゼンディカーを守りたがっていると。その世界を傷つけるとは思えません、何故かははっきりとわかりませんが」 この世界にアキリが理解していない物事は多く、ナヒリはそのひとつだった。彼女はザレスの手を一度だけ固く握り締め、そして手離すと仲間たちの所へ向かった。一瞬の後、ザレスが続く足音が聞こえた。

「その核というのは正確にどの程度の大きさなのですか?」 巻いたロープを肩にかけ、オラーが尋ねた。

 ナヒリは眉をひそめた。「それはわからなくて」

「じゃあ」 カーザが元気よく言った。「必要なら俺は浮遊の魔法が使えるから。それとも吹き飛ばすか。任せてくれる?」

「覚えておくわ」 小さな笑みとともにナヒリは言った。

「で、その核が果たして機能するかはどうやってわかるんだ?」とザレス。

 ナヒリは彼へと向き直り、黙り、その感情と態度は石のように強張った。恐怖の一瞬、ナヒリは彼を攻撃するのではとアキリは思った。彼女は本能的に身構え、行動に移ろうとした。

 だがナヒリはもっと素早かった。

 かすむ動きひとつでナヒリはポケットから輝く鍵を取り出し、ザレスに向けて掲げ、アキリのわからない言葉を発した。アキリは駆け出したが、目を覆わなければいけないほどの眩しい光に立ち止まった。

「ザレス!」 狼狽し、彼女は叫んだ。

 視界が晴れるまで、長く苦しい一瞬があった。

 そして、アキリは二つのものを見た。

 一つ。ザレスはその場に立ちつくし、無傷で、同時にきょとんとしていた。アキリは息を吐き、安堵が身体に満ちた。

 二つ。ザレスの背後には怒れる巨大な獣が、飛びかかる最中で凍り付いたように宙に浮いていた。その口は大きく開かれ、長い牙をむき出しにし、六本のうち二本の脚で彼に襲いかかろうとしていた。獲物を狩ろうとしているのは明らか、だが直前で止まっていた。

 その獣に絡ませて転ばせようと、アキリは縄に手を伸ばした。

 だがそうする前に、獣は砂へと溶けた。数秒のうちに、一握りほどの黒い粒を残してその生物の痕跡は消えた。

「これが」鍵をしまいつつ、ナヒリは言った。「核の力のほんの一部よ」

「その核ですが、私たちがエルドラージと戦っていた時にはどこにあったのですか」 アキリが尋ねた。驚きに、その声は抑えられていた。「あの時、あれば良かったでしょう」

 ナヒリは再び黙った。だがこの時、その顔には罪悪感と苦痛が満ちていた。「進まないと」 彼女の声は強張っていた。「いつまでも地上にいるわけにはいかない」

「先に木を登っていて下さい」 アキリはそう言った。彼女はザレスと皆にひとつ頷いた。「すぐに追いつきます」

 仲間たちがヘイラバズの木を登りはじめる中、アキリは装具を再確認するふりをした。彼らが視界から消え、その声もかろうじて届く程になると、彼女は肩を落とした。これは伝説的な冒険になる、そう思っていた。

「慈悲深い神よ、もし聞いて下さっているなら」――アキリは崖と木々へ囁いた。準備と迅速な行動以外のものを信じるのは稀だったが、この日は違うように感じた――「どうか私のパーティーをお守り下さい」

 それは大した祈りではなかったが、神々を煩わせるつもりもなかった。アキリは肩に綱をかけ、登りはじめた。

 視界の隅に何か動くものがあった。アキリは身体を強張らせ、振り返り、近くの木の下に黒い点がうねるのを見た。ナヒリが鍵を使った場所。黒い砂の触手のように見えた。それはゆっくりと成長し、幹に絡まるようによじれ、葉を、枝を、幹を萎れさせ、固く動かないものへと変化させた。

 まるで石のように。

 アキリは震えた。

 この世界には知らないものが多くある、そしてこれもそのひとつだった。

 急ぎ、彼女は登攀を始めた。


 海門へ到着した時、ジェイスは訝しんだ。ここから始めて大丈夫だっただろうか? ラヴニカでニッサから聞いた内容によれば、ナヒリがここに、ゼンディカーにいる。そしてニッサもこの次元に戻ったと結論づけていた。そして言うまでもなく問題は、その何処なのかということだった。

 彼は結論づけた。海門は、始めるにはいい場所だ。

 エルドラージとの戦い以来ここには来ていなかった、この街が実質的に灰燼に帰した時から。入り口にある灯台は砕け、コジレックが振りまく荒廃が街の全てに広がった。

 今その灯台は再建され、高く誇らしく立ち、真新しい街路はきらめいていた。ニッサに出くわさないかと願い、ジェイスはその中を進んだ。仲直りしたかった。自分はいい友人ではなかったかもしれないが、もっと良い友人になりたかった。

 チャンドラがいてくれたら、彼はそう思った。ここに来る前に彼女を見つけようとしたが、駄目だった。そしてナヒリが行動に移るまでにあまり時間はないと思われた。

 そのようにぼんやりとしていたジェイスは、自分を呼ぶ声に反応できなかった。

「英雄さん!」 誰かが背後から彼を呼んだ。「君、戦乱の時にこの街の防衛隊にいたでしょ?」

 振り返ると、一人の女性が近づいてきていた。革と金属の軽装鎧は赤と金、外套は緑。黒髪を後ろで一本に編み、顔には皺が寄り、だが目は、鮮やかな緑色に輝いていた――正確には片目が。その顔の右半分はよじれた傷跡で覆われ、エルドラージの荒廃による傷だとジェイスはわかった。右手はねじれ、少し足を引きずっていた。

「ええ、そうです」

「そう思ったよ」 その女性はにやりとした。「その青い外套。私もそう遠くない所で戦ってたんだ」

「そうなんですか?」 ジェイスは記憶を探ったが、あの日は混乱に満ちていた。破滅に満ちていた。

「ああ。私は落とし子の群れを押し留めてたんだ。上手くいってた……荒廃にやられるまではね」 彼女は肩をすくめた。

「すみません」 だがジェイスは何と言えばいいかわからなかった。自分や他のプレインズウォーカーがもっと迅速だったなら、戦いの中でもっと決断力があったなら。

 その女性は詮索するようにジェイスを見た。「謝ることなんてないよ。やられる前に何人も逃がすことができた。それにもう一度同じ選択をすることになったとしても、やることは変わらないだろうね」 彼女は歯を見せて笑った。それは魅力的な笑みだった。「私はマーラ。記念碑まで行くんだけど、一緒にどうだい?」

「是非」 ジェイスはそう返答した。実際そのつもりでいた。

 二人はともに、六つの直立した面晶体のある巨大な台座へと歩いた。二人はともにその一つへとひざまずいた。マーラの呟きが聞こえた。戦いで失った友人たちへの謝罪を。守れなかったことを。自分だけが生き永らえたことを。

 ジェイスは胸が締め付けられる思いだった。どの友人に許しを請うべきか、わからなかった。

 彼はナヒリと、彼女がどれほど必死にこの次元の時を戻そうとしているかを思った。愛する世界のために正しい行いをした、その自らを責めるニッサを思った。

 この次元のために喜んで身を投じたギデオンを思った。

「俺も同罪だ」 彼は小さく囁いた、隣のマーラですら聞き取れないほどに。「けど、償うよ」


 不幸にも、海門の全員がそのように協力的というわけではなかった。彼に近づく人々は多くいたが、ほとんどが商人か出資者を探す単独の冒険家だった。声をかけられずに十歩進むことすらできなかった。当初、彼はタズリを尋ねた。エルドラージと戦った勇敢な将軍であり、彼の友人。だが彼女はグール・ドラズへと恐ろしい獣を狩りに行っているとのことだった。彼は話を変え、ナヒリやニッサらしい者を誰か見なかったかと尋ねたが、冒険家たちはかぶりを振り、商人は次の売り文句を放った。

 とうとうジェイスは頭にきて、幻影を用いて長い白髭に控え目な茶と緑の鱗をまとうマーフォークに変装した。そして辺りを見渡しながら海門の街路を通り過ぎていったが、この時は歴戦の、真剣な表情の冒険家たちの頭を少し詮索しながら進んだ。あのプレインズウォーカー二人を見かけたかどうかを。

 だが、何も見つからなかった。

 おそらく、だからこそ彼が海門探検協会の中へ足を踏み入れた時、ずっと間違った場所を探していたのだと気づいた。その部屋はこの協会の紋章をつけた新品の装具をまとう冒険家でいっぱいだった――ドラゴンの襟飾りの、尖った赤い輪郭。誰もが大笑いしながら、ここ最近で一番の成功を吹聴していた。

「どうしました?」 扉の所で一人の男性が尋ねた。

「この協会の長を探しています」 ジェイスはそう返答した。その男は眉を上げ、ジェイスを上から下へと詮索するように見つめた。

「わかりました」 ジェイスは変装を解いた。「ジェイス・ベレレンです。お話があると伝えて頂けますか」


 個室の一つで、海門探検協会の長はジェイスに向かい合っていた。ジェイスは即座にその警戒心を感じ取った。

『なぜ?』――ジェイスはその頭の中を覗き見たいという衝動をこらえた。

 部屋は快適だった。クッションは柔らかく、目の前には茶器の一式が置かれていた。壁には地図が張られ、契約者用の机の端にはインクと羊皮紙があった。

「助けになりたいんです」 ジェイスはそう告げた。なぜだろう、自分はこの人からの信頼を得ようとしている。

 ケセンヤは眉をひそめた。「助けとは何のですか?」

 ジェイスはニッサが核について語った内容を伝えた。筋の通った解決策を見つけたく、重圧を感じた。自分とニッサ、ナヒリは過去に協力したことがあると説明した。

「ですが、ニッサもナヒリも何処にいるかわからないんです」 ジェイスはそう言い終えた。

 ケセンヤの表情は読めなかった。いけないとは知りながら、焦ったジェイスは彼女の思考を一瞥した。

『ザレスの言う通りだった』

 だが彼女はそうは言わなかった。「力にはなれそうにありません」

 ジェイスは驚き、少し身体を引いた。「心配ではないのですか?」

「心配です。あの人はここでも最高の冒険家たちを連れて行きました」

『そして、見つかりそうにないものを探している』――ケセンヤの思考がそう続いた。

「ゼンディカーは美しい場所です」 ジェイスは冷静に言った。「それを変えてしまう前に、ナヒリを説得したいんです。けれど、まずは何処にいるかわからないことには」

 ケセンヤの表情に一瞬の迷いがよぎった。ジェイスは希望を抱いた。

 だが、その感情が強張った。

「ごめんなさい、お力にはなれません」 彼女はそう言って立ち上がった。「出資者については内密にと決められております」

「わかりました」 ジェイスはそう言って、小さく、ほぼ自分に向けて付け加えた。「不幸なことに、この世界はとても広い」

「ええ、もし宿泊先をお探しでしたら、こちらが良質な宿の所在地になります」 ケセンヤは羽ペンと羊皮紙の切れ端をテーブルの端から掴み、素早く書き込んだ。「幸運を」そしてその紙を手渡した。

「ありがとうございます」 ジェイスはそれを受け取ったが、心は沈んでいた。力を使って、欲しい情報を引き出そうかとも悩んだ。

 駄目だ。それはやってはいけない一線を超える。ケセンヤの思考を一瞥したことで、ギデオンが叱りつける声が聞こえるようだった。失望した顔が見えるようだった。

 彼は協会を発ち、頭を働かせ、次の方策を見出そうとした。そして街路を半分ほど進んだところで、ケセンヤに渡された紙を見た。

 そこには「学者と海」亭の所在地が記されていた。だが羊皮紙の最下部に、殴り書きの一語があった。「ムラーサ」と。


群れのシャンブラー》 アート:Nicholas Gregory

 ジェイスは多くの次元、多くの場所を旅してきた。だがムラーサはこれまで訪れたどのような島とも異なっていた。気に入ったかどうかはわからなかった。

 まず、周囲の崖は目がくらむようで、ラヴニカで最も高い塔よりもそびえ、切り立った白い岩の表面は危険だと告げていた。周囲では、巨大なヘイラバズの木々が空へとそそり立ち、その根もアーチのように広がっていた。ブーツが僅かに泥へと沈んだ。地面はきめの粗い砂で、塩水と海藻の匂いに彼は圧倒されかけた。

 ジェイスは身震いをした。切断湾はイクサランの密林に囚われた経験をこれでもかと思い出させた。ここにチャンドラかゲートウォッチの誰かを連れて来られればと思ったが、だれも彼の呼びかけには答えていなかった。

 幸運にも、頭上にスカイクレイブが見えた。とはいえそれは高く、そこに至る道は危険に思えた。

「ああ、挑戦は大好きだからな」 彼はそう口に出した。イクサランで学んだことがあるとすれば、それは手に豆を作る手段だった。

 見るよりも早く、音が聞こえた。何か巨大なものが背後の植生を引き裂き、重々しい足音が地面を震わせた。ジェイスが振り返ったその時、貪欲な巨体の怪物が森から姿を現した。節くれ立った六本の脚、蟹のような上半身、背には青白い大きな茸がびっしりと生えていた。

「やめろ、今じゃない」 ジェイスは呟き、不可視の魔法を唱えた。

 その巨大な生物は立ち止まり、ジェイスの方を向いた。そして異様な前腕を打ち鳴らし、背中に生えた茸の群生を震わせた。そして、その巨体をジェイスに向けた。

 怪物は突進した。

 ジェイスは大急ぎで避けた。一瞬の後、その怪物は彼のすぐ背後にあった木に激突した。

 畜生、別の作戦だ。ジェイスは不可視魔法を解き、自らの幻影を作り出し、自分からできるだけ遠くに置いた。怪物は立ち止まり、プレインズウォーカー二人を交互に見た。それは再び前腕を鳴らし、耳をつんざく音が響いた。ジェイスは耳を塞ぎ、ひるんだ。再び顔を上げると、怪物は彼をまっすぐに見つめていた。

 それは騙されなかった。

 音で場所を感知している、彼はそう気づいたが遅すぎた。

 怪物は突進した。ジェイスはその目前から滑るように、かろうじて躱した。

「何でこの次元のものはとにかく俺を殺そうとしてくるんだ?」 彼は額に指を二本当てつつ呟き、この獣の精神を壊そうとした。

 だがこの獣を動かしているのは、頭ではなかった。

 そしてそれは近づいていた。すぐそこに。ジェイスは怪物がまとう腐敗臭を感じた。焦りがジェイスの内にうねった。何故、精神支配が効かない?

 そうか! こいつは背中の茸が動かしているんだ! だがその発見もまた遅すぎた。巨大でよじれた前腕を怪物は振り上げた。

 ジェイスは障壁を張り、衝撃に身構えた。

 だがそれは来なかった。

 怪物が現れた時と同じように、それも突然だった。

 当初、ジェイスはそれが何なのかわからなかった。周囲の木々と見紛うような生物が怪物と戦っていた。その胴は太く灰色をして、だが四肢は頭上の木の太い根そのものだった。

 新たに現れたその生物は怪物を一度、二度、病的な殴打音を上げて叩き、背中の丸い茸を幾つか落とした。怪物は悲鳴を上げ、後ずさった。

 君は一体? ジェイスの心に疑問が満ちた。

 彼の救い主は前進し、怪物を繰り返し執拗に打ち付けた。ジェイスは理解した、それは周囲のヘイラバズの木々が動き出したようだと。巨大で、覆いかぶさる根に似て、不屈。答えに至り、ジェイスははっとした。

 エレメンタルか! ジェイスは振り返り、もう一人のプレインズウォーカーを探した。

 果たしてその通り、ニッサがとある巨木に立ち、手を伸ばしていた。その姿はまさにこの次元の守護者と言えた。

 その表情は極めて残忍だった。

 数秒かからず、ヘイラバズのエレメンタルはその怪物を倒した。巨体は地面に崩れ落ち、動かなくなった。

「大丈夫?」 ニッサが尋ね、枝から飛び降りてきた。二十フィートの落下ではなく、階段をほんの一段降りるかのように。

「ああ。ありがとう」

「どういたしまして」 彼女は微笑み、だが目は笑っていなかった。その視線はヘイラバズのエレメンタルへと移った。それはもう一度戦いたがっているように、怪物の屍の前をうろついていた。「ヘイラバズのエレメンタルを召喚したのは初めてだったの。ギデオンは好きになったかも」

「こんなのが。凄いな」 ジェイスは感服した。

「これがゼンディカーなの」 ニッサの声は強張っていた。「強いのは当たり前」

 内心でジェイスは自らに蹴りを入れた。「馬鹿にするつもりは――」

「わかってる」 ニッサは穏やかに言った。「エレメンタルはその……私にとっては本当に大切なものだから。他の誰よりも前からずっと、私に寄り添ってくれた。ナヒリさんに傷つけさせはしない」

 ジェイスはニッサの肩に手を置いた。「俺は全部理解してるなんて言わない。けどそのエレメンタルが君にとって大事なのはわかる。だからそれを守る力になるよ」

 ニッサは破顔した。長いこと見ていなかった笑みだった。彼の心が高揚した。

「ありがとう。ナヒリさんはここを登っていったわ」ニッサは堂々としたスカイクレイブを指さした。

「何でわかるんだ?」

「ゼンディカーが教えてくれた」

 ジェイスは眉間に皺を寄せた。この次元は本当にわからない。彼は尋ねた。「どうやって向かうのが一番いい?」

「私の蔓で」 ニッサはそう返答したが、困った様子だった。「ナヒリさんの石術ほど速くはないし、簡単でもないわ。ジェイス、大丈夫?」

 彼女は唇を噛み、胸の前で両手をひねらせた。拒否されると思っている、ジェイスはそう気づいた。

 罪悪感にジェイスの胃がうねった。昔のジェイスなら確かに拒否しただろう。ヴラスカと共にイクサランを生き延びる前のジェイスならば。

 そしてニッサとの友情のために、ゲートウォッチのために、来たる戦いのために、やらねばならない。

「ああ。行けるよ」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

  • この記事をシェアする

Zendikar Rising

OTHER STORY

マジックストーリートップ

サイト内検索