MAGIC STORY

テーロス

EPISODE 04

テーロスのニンフたち

読み物

Uncharted Realms

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テーロスのニンフたち

Jennifer Robles / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2013年10月2日


 一つの存在として目覚め、彼女は自身の内に大きな悲しみが渦巻くのを感じた。一つの命が――否、多くの命が――失われた悲しみ、そしてハイドラの巨体の内なる魂が永遠に失われた悲しみは、この若きニンフが知ることになる多くの感情のうち、最初に馴染んだかもしれないものだった。零れた血の下の草地から立ち上がるとすぐ、ゾーエはひざまずいてその葉の茂る額を倒れたハイドラの一つの首に当てた。星の輝く彼女の手はその生物の頭に生えた角を優しく撫で、低い声で悲しみの歌を歌った。それは彼女がテーロスに生まれてから、初めて口にした言葉だった。一本の刃がこの荘厳なクリーチャーを殺した。そのことはゾーエをも傷つけた。彼女は森の全ての魂と繋がっている。ナイレアへと仕える者の一人として、彼女が愛するほかの獣たちを、今しがた起こったような悲劇から守りたいと願った。

 陽が沈み、再び立ち上がって初めて歩き出す彼女の前に、新たな一日が始まった。ゾーエは一体のオオヤマネコを追って、淡いオリーブ色の木立へと入った。そしてそこが自分の住処なのだとすぐに理解した。ひとたび中に入ると、ゾーエは自分の創造主の存在を感じた。あの動かぬハイドラを思い、乾いた瞳でゾーエは尋ねた。「この悲しみは何なのでしょう? この世界は、そして偉大そのものである生けるものを殺すとは、どうしてそれほどまでに残酷なのでしょう?」

 ナイレアは甘美な歌のような声で話した。「定命の者達は森の美を理解しません。我らは人間の愚行と憎しみから、獣達と我らの森を守らねばなりません」

「ナイレア様、私に守れるでしょうか?」

「貴女は悲しみの芽から創られました。そしてその悲しみによって、貴女は我らが家の活力を、時が来たならば貴女なりの方法で護ることに力を尽くすだろうと私は期待しています。今は私の故郷から降り注ぐ星明りの中、姉達と共に木々の間で踊りなさい」

 その言葉とともにナイレアの存在は消え、木立を笑い声が満たした。そしてまるで幹から押し出されたように、ドライアド達が木々から現れた。彼女らは根から魔力を貰っていた――再び陽光が差すまで、ドライアド達が踊り歌うことのできる魔力を。

「新しい妹ね、遊びましょう!」 一人のドライアドがゾーエの手を掴んだ。彼女の葉はとても長く、どこまでが髪でどこからが頭上の樹なのかゾーエにはわからなかった。長く優雅な手がゾーエを導き、喜びに溢れたドライアド達は輪となって樫の木を囲み、その下の優しき大地を祝福した。柔らかな顔立ちと大きな目の彼女はとても美しく、その笑顔は愛情と喜びそのものだった。ゾーエが感じていた悲しみは溶け去った。彼女は温かさを感じ、元気を取り戻した。そして呼吸をするように自然に踊っていた。


葉冠のドライアド》 アート:Volkan Baga

 ゾーエは自分に似た多くのニンフ達が彼女とは違う神々に仕えていることを学んだ。彼女はユーフォランの一人、その中でもナイレアの手として、明確な目的のある探求の旅をすることができる存在だった。ユーフォランのニンフ達は、神々の魔法の副作用として意図されず創造された姉妹達とは異なり、その生まれの理想の具現なのだと彼女は聞かされた。このことから、ゾーエにはその森を守るという目的があり、従って危険の存在についてより深く理解する必要があった。

 ゾーエの姉妹は狩人が彼女らの木立を通りすぎる時のような危険に遭遇した際の対処方を彼女に尋ねた。どんな生き物の血も流したくないと、ゾーエはしばしば木々を揺らし、怖ろしい歌で侵入者を脅して追い払った。彼女はどこか世話人のようだった。歌を歌って姉妹を眠らせ、彼女らを見守った。朝になれば彼女は鹿と走り、夜には鳴いているフクロウを撫でた。

 ある夕、木立の外の森を見渡していたゾーエは一人の狩人の死を目撃した。彼女はその狩人が何も殺すことなく去るのを確認すべく追っていたが、ある時一本の矢が彼の心臓を貫き、彼は倒れた。その死にゾーエは怯えたが、外套を被った人物がその死体へと近づくのを見て、彼女は別の人間が射殺したのだと悟った。同族を殺す、その考えにゾーエは気分が悪くなった。自分の同族を殺すなんてありえるの? ゾーエがそうを考えている間に、狩人を殺した者はその死体から矢を回収するためにひざまずいたが、そこに更に二つの人影が現れて即座にその者を焼き尽くした。彼女らはゾーエと同じくらいの体格で、星空の影をまとい、柔らかで女性的な顔立ちをしていた。だが葉と枝ではなく、彼女らは明るく燃える光に包まれていた――炎に似ていたが、確かな姿をしていた。


槍先のオリアード》 アート:Todd Lockwood

 ゾーエがそのニンフ達へと姿を見せると、彼女らは驚いて振り返り、身構えた。ゾーエは静かに手を上げて言った。「私は貴女がたの魂を傷つけたくないの。教えて、どうして殺したの?」

 一体のニンフが口を開いた。「血を流した罪は許されるものではありません。この泥棒は三つの定命の魂を盗んだのです。これ以上の血を流させはしません。妹は、私達の姿を見られた際に手伝うだけです」

「それなら、貴女たちはこの一人の人間からもっと沢山の定命の命を守っていたの?」

「血の報いです。流血は戦いにおいてのみ、栄誉とともに行われるべきです。この泥棒に栄誉などありません。だから彼女は支払わねばなりませんでした」

 栄誉ある流血などが果たして存在するのか、ゾーエには理解できなかった。瞬時に、あの悲しみが戻ってきた。だが彼女は目の前に現れた新たな存在をもっと知りたいと思い、好奇心は強まった。「どうして人間は殺すの?」

「力です。彼らは......上に立つために他者を支配したがっています。我々が妹達を導くように。彼らはそうしたいのです」

「でも、それは悪いことじゃないわ。殺すこととどう繋がるの?」

 その赤いニンフはうつむいて思案し、そして口を開いた。「他の人間もまた、導く者になりたがります。誰が導くかを決めるために人間は戦うのです。戦いの中で、弱い魂は栄誉のうちに死にます。ですが時に人間は、戦いの外で導こうとします。この人間は金を求めました、力を得る助けとなる物を買うために。彼女は金のために殺そうとしました。これは不名誉なことです――罰に値します」

「貴女たちはどこに住んでいるの?」 ゾーエは赤いニンフの住処を想像しようとした。

「山の頂きの高く、私達の主パーフォロス様に近い場所です」

 ゾーエは彼女らが空を背に、その美しい身体を岩の上に休める姿を想像した。彼女らの色はゾーエの仲間達の、秋の葉の色と同じだった。その山に木々はどうやって立っているのだろうかと、彼女は不思議に思った。

 赤いニンフはゾーエをじっと見て言った。「貴女は私に似ていますね。自由な意志を持ち、考えることができる」

「それは、私達はユーフォランのニンフだから。私達はただのしもべじゃなくて、神様の魔法が持つ心から創造されたの」

「ええ。私達のような者は僅かです。私達は皆違う目的を持っていて、その道は滅多に交わりません」

 他の者がいるという考えはゾーエを鼓舞した。だが他の理想を持つそういったニンフ達は彼女自身とあまりに異なる――彼女らは森を傷つけてしまうのだろうか? 鼠を食した罪でピューマを殺すのだろうか? それは不名誉なのだろうか? 彼女が守る生物から「支払い」を受け取るという考えにゾーエは怖れ、身体に冷たい震えが走った。「オリアードの姉様達、行って下さい。私達の森を放っておいて。炎が私の家を燃やしてしまわないように」

「すぐに去ります、ドライアド。ここでの私達の仕事は終わりました」

 その出遭いに、ゾーエの心に驚嘆が広がった。彼女の森の果てには何があるのか、彼女の獣達と根を傷つけうるものは誰なのかを、知らなければならない。もしかしたら、他のユーフォラン達がその危険について教えてくれるかもしれないと考え、そして彼女自身のようなそういった存在に会いたいと思った。彼女よりも旅をしたユーフォランからの教えを受けることは、森を守るという目的をよりよく果たす導きになるだろう。

 森が終わり草原が始まる所が、彼女の最初の旅の目的地だった。陽光に目を焼かれ、ゾーエは魔力を確保できる日影を求めて、低木を見つけるまで燃える太陽の下、熱い地面を半日の間さまよった。ゾーエは近くに水気を感じ、前方に緑色をした草の刃を見た。丘の上に、小さな白くふくれたものが揺れており、ゾーエはその獣達の中に魂を感じた。だがそれは会ったことのない類のものだった。

「私の動物達にさわらないで」 彼女は声を聞いた。一人のニンフがゾーエへと急ぎ近づいてきたが、以前会った赤いニンフ達に似ている所は性別と姿と物腰だけだった。彼女の頭は麦の茎で覆われ、その肌は太陽のように明るかった。「あなたはあなたの世界の深くにいるべきよ。そして私は自分の野原を守る。それが一番よ」


目ざといアルセイド》 アート:Todd Lockwood

「あなたの野原に害をなすのは何?」 ゾーエは尋ねた。立ち上がって、その白いニンフと目を合わせて。

「以前、戦士達が私の群れを殺して、毛を奪って、皮をはいで、肉を食べたの」

 動物達がそのように裂かれる様子を想像し、理解し、ゾーエは悲しみに襲われた。

「人間は、知性で劣る存在のことは気にしないの。彼らは劣るものを殺すことを悪いとは思っていない、自分達が上位に立っているって信じているから。ヘリオッド様が私の上に立つように」

「あなたはユーフォランなのね」 ゾーエは気が付いた。

 そのニンフは晴れやかな笑みとともに頷き、だが羊飼いが群れを導くように、半ばふざけた様子でゾーエを追い払った。ゾーエは理解した、このニンフは自分のように、ただ自身の家を守りたいだけなのだと。ゾーエには、あらゆる自然が人間によって傷つけられているように思えた。

 一度森の深くへと戻り、ゾーエは清流で喉を潤した。彼女は自分の森がどこまで遠くへと続いているのかを見たいと思った。そして森の木々へと滋養を与えたかった、彼女の愛する住処が乾期や酷暑を確実に耐えられるように。ゾーエはまた、水そのものにもユーフォランがいるかもしれないと感じていた。そのニンフもまた眼識を持つかもしれない――水の深みに潜む危険への。

 ゾーエは木立から二日間旅をし、断崖に遭遇した。森は突然途切れており、経験したことのない不安に彼女の心臓は跳ねた。前方には湖が――彼女の命である水が大きく広がっていた。彼女は枯渇をもう怖れなかったが、その水の中に何があるのかを不思議に思った。

 すぐに水しぶきがゾーエの目にとまった。生物だろうか? 近くへとそぞろ歩き、ゾーエは自分と同じく人間の乙女のような顔をした、だが別の存在を見た。瑞々しい葉の代わりに、そのニンフは波のようにさざめいていた。まるでゾーエの森が生きるために欠かせない水そのものから作り上げられたように。初めそのナイアードは水かきのある手をゾーエに振ったが、その後水中の穴に飛び込むとしばらくの間戻ってこなかった。


雨雲のナイアード》 アート:David Palumbo

 ゾーエは好奇心からそのまま去りはしなかった。崖のそばに座り、水面の下に影が円を描くのを見ていた。それは波の下で踊っていた、まるでゾーエが木々の下で踊るように。そして楽しそうな笑顔で青い顔が見上げた。彼女は水の中からゾーエが座る場所まで飛び、空中に留まった。その流れるような腕を伸ばすと、青い空を背に星の輝きが泳いだ。

「私とあなたの住処はすぐ側にあるけど、一緒に遊ぶことはできないの」 そのニンフは言った。「私は、水の下にいる友達をあなたの獣から守らないといけない。お願い、あなたの乾いた家に帰って」

「待って......私、ニンフの姉妹から話を聞かない限り、あなたの深みが怖いままなの。水の中にどんな危険があるか、教えて欲しいの」

 空中を歩きながら、そのナイアードは思案した。「深みにはクラーケンがいるわ。鮫も、ウナギも、他にももっと色々な生き物がね。波の上にもさらに恐ろしいものが浮かんで、いつも血を流させている」

 ゾーエは底知れぬ不安を感じたが、そのナイアードと謎かけ遊びを楽しんだ。「それは飛んでる? 浮かんでる?」

「浮かばない、飛ばない。あなたの家の高さから道具を作って、それを使って水の下の私の友達を苦しめて、殺して、盗むの。悲しいけれど、そうなの」

「なんてこと」 ゾーエは囁いた。「人間」

「その通り、その通り。肉と骨でできた、二本脚で歩く定命の者。自分達のことしか気にしない」 そのナイアードはひざまずき、くるりと回り、その冷たい住処へと再び沈んだ。

 ゾーエは彼女の安全な森へと戻る前に、少し震えた。新たな感情、絶望がゾーエの心に穴をあけた。彼女が出会ってきた獣達全てに感じてきたような愛を抱くことのない、空虚な穴が。人間はゾーエが理解できそうもない一つの生物だった。もしかしたら、もう一人のユーフォランが彼女の疑問に答えられるかもしれなかった。彼女はゾーエの近くに住まうが、孤独を好むと聞いていた。

 ゾーエはあえて森の最も暗い場所へと進んでいった。その一帯は影が這うようで、木々は生きているというより死んでいるように思えた。やがて彼女は深く暗い洞窟に辿り着いた。その中に、星が現れた。

「来ないで」 声が聞こえた。

 目を細くして見ると、暗い人影をゾーエは認めた。彼女のように細身で星の輝きをまとっていた。だがその顔は他のニンフ達のように陽気ではなく、愛がこもってもいなかった――ただ美しく、だが悲しそうだった。その顔は暗闇の中、ゾーエが存在をはじめた日に経験した悲しみを知っていた。

 静かに、忘れがたい声で、そのニンフは口を開いた。「私は死を待っているの。邪魔をしないで」

 ゾーエがその声を聞こうとにじり寄ると、清流の向こうに彼女は一人の狩人の姿を見かけた。彼は弓を引いており、その視線の先には身体を休める狼の姿があった。

「駄目!」 ゾーエは叫んだ。その人間が振り返ると、二人の目が合った。すかさずゾーエはその人間の注意を惹くために、魅惑の歌を口ずさみ始めた。

「ドライアド」 人間は呟いた。「綺麗だ」 彼は弓を下ろした。「来てくれ」 そして嘆願した。その人間はゆっくりと、両腕を伸ばしてゾーエへと向かってきた。

 ゾーエは背を向けて走った、だが大きな水音を聞いた。その音を確かめるために戻ると、彼女は人間の身体が手足を伸ばし、清流の中に溺れているのを見た。彼女は悲しみを感じはしなかった、狼の命を守った誇りがあった。

 先程の闇のニンフがその動かぬ身体へと近づくのをゾーエはじっと見ていた。その表情の硬いニンフは死体の上で身体を揺らし、憂鬱な旋律で歌いながら腕を律動的に伸ばしては引いた。そして抱え込んだ死体から、彼女の手が白い煙のようなものを引き出した。ランパードの星をまとう手がその霧を包みこむと、彼女の魔法のダンスは止まった。ゆっくりと、そのニンフは洞窟の中へと消えた。ランパードもその人間の魂も、戻ってくることはなかった。


洞窟のランパード》 アート:Volkan Baga

 騒乱が収まり、静寂の後に鳥たちのさえずりが戻ってくると、ゾーエもまた住処への道を戻った。あくる朝、ゾーエは彼女のオリーブの木立に帰ってきた。姉妹達が両腕を広げて彼女を迎え、ゾーエの旅の歌にあわせて、彼女らは木々の間を舞い踊った。


オリアードは山頂に、アルセイドは草原に

ナイアードは水に泳ぎ、ドライアドは森に休む

悲しきランパードは死の国へ魂を連れゆく

人の国の救いなき魂さえも......


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