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テーロス

EPISODE 03

王子アナックス その2

読み物

Uncharted Realms

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王子アナックス その2

Tom Lapille / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2013年9月25日


(その1はこちら

 アナックスは中央砦コロフォンの端近くにある館へと近づいた。小さな門と小さな柵、そして門の両脇には「シノン」と彫られた巨大な石が鎮座していた。

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 館そのものは中程度の規模だった。シノンは厳密には貴族ではないが、彼はパンクラチオンの大会に三回連続で優勝しており、その完全なる勝利が彼に決して少なくない富をもたらしていた。

 アナックスが門をくぐると、一人の使用人が彼に近づき、頭を下げた。「殿下、この平凡なるシノンの邸宅にいかなる御用でしょうか?」

 アナックスはその使用人を冷静に見た。「彼と直接話がしたいんです」

「かしこまりました、殿下」 使用人は急ぎ足で去った。

 数分後、彼は戻ってきた。「どうぞ、こちらでございます」

 アナックスは使用人に案内され、一人の男が、背の高い男が座る部屋に入った。彼は頭にも身体にも一房の毛髪すらなく、その腕には張りつめた筋肉の繊維が編み上げられていた。

 アナックスはその男に向かい合って座った。

「何か御用でしょうか?」 男はアナックスを凝視した。その目は何事をも見逃さないようだった。

「競技会に向けて、貴方から訓練を受けたいんです」

「立って下さい」 その言葉にアナックスは彼を睨みつけたが、従った。シノンは上から下まで彼を眺め、そして立つとアナックスの周りを一周した。「14歳でしたか?」

 アナックスは振り返って年長の男性に顔を向けた。「先月、15になりました」

 シノンは目玉をぎょろつかせた。「15歳、ふむ。ですが弟子は一人しか取る余裕が無いのです。そして、貴方は私が既に訓練している者よりもいささか有望ではなさそうだ」

「え?」

 彼は館の庭園へと顔を向けた。「ティモテウス様、すぐに参ります!」 シノンはアナックスを再び見て、肩をすくめた。「すみません」


「状況は良くないみたいですね」 ゾティコスが言った。いつものように、この夕方も競技場はほぼ無人で、その少年の声の届く範囲にいるのはアナックスだけだった。

 アナックスは両脚を広げ、左の膝を曲げ、右の腱を伸ばした。「ええ」

 ゾティコスは腕を空中に振り回した。「別の競技を選ぶことだってできますよ」

 アナックスはしばし、足指の先を掴んだ。「父上にもう言ったんだ、僕はパンクラチオンに出るって」

「そうですか」 ゾティコスは腕を下ろした。「お手伝いはできると思います。必要なことは全てやりましょう」 彼らは砂場の脇へと砲丸を移動させた。「まず、どういうふうに戦うんですか?」

「気絶するか、降参するまで戦う。だけど噛みつきと目潰しは禁止されてる」

 ゾティコスは片眉を上げた。

「はい」

「そして、貴方は少し小柄だ」 ゾティコスが言った。「ですから、打撃はあまりいい手ではないでしょう」

「僕は、向こうが降参するまで関節技で攻めようと考えてる。打撃で倒せるとは思っていないよ」

 ゾティコスは頭をかいた。「それが良さそうです」

 アナックスは肩をすくめた。「さあ、やろうか?」

 ゾティコスは膝を少し曲げて腰を落とす体勢を取り、彼の視線は冷たく真剣になった。アナックスは同じようにした。彼はかがんで、ゾティコスの重心よりも腰を低くしようとしたが、相手はぎりぎりの土壇場で動き、アナックスの首の後ろを掴んだ。ゾティコスは強引に押し、アナックスはゾティコスの足元に倒れると顔面から砂へと突っ込んだ。年長の少年はアナックスの上に乗るとその右腕を掴み、引っ張った。

 腕が外れて飛び出てしまうのではないかとアナックスは感じた。「君の勝ちだ!」

 ゾティコスは圧迫を止めた。アナックスはまだ痛む肩を回した。「今の、どうやるの?」

 ゾティコスは立ち上がった。「わかりません、ただ......やっただけです」 彼は立ったまま、眉間に皺を寄せた。「多分、お役に立てないと思います」

 アナックスも同じく立ち上がった。「そんなことはないさ」

 ゾティコスは難しい顔をした。「これではお力にはなれないと思んです」

 アナックスは頷いた。「それはそうかもしれないな」

 遠くで、競技場の扉が開き、そして閉じられた。

 ゾティコスは砂場の脇、砲丸を置いた場所を見た。「でしたら......砲丸投げ、もう少しやりますか?」

 アナックスは首を横に振った。「今夜はもう十分だと思う。また明日よろしく」


 次の日、王子が授業へと姿を現した時には、ゲオルギオスは既に教室でアナックスを待っていた。「用事はいかがでした?」

 アナックスは溜息をつきながら座った。「シノンはもう僕の弟を訓練していたし、他の弟子はとれないって」

 ゲオルギオスは眉をひそめた。「それは残念でしたな」

「ええ」 アナックスは思案した。「ですが、あの人は適切な教師ではないかもしれません。あの人は本当に大きいけれど、僕はそうじゃありません。あの人は競技会で三回連続優勝していますが、もっと小柄な誰かがいずれ勝つに違いありません」

「カレートーをご存知ですかな? お父上の相談役の一人なのですが」

「杖をついて歩く、ねじれた膝のご老人ですか?」

 ゲオルギオスは頷いた。「彼は何年もの間、パンクラチオンを戦っておりました。怪我をする前も然程背は高くなく、お力になれるやもしれません。ですが話かける時はお気をつけて、その怪我は決していい思い出ではありませんから。彼はあなたと話すことを拒むことはできないでしょうが、とはいえお父上も彼に貴方を手助けするよう強制はしないでしょう。貴方にかわって、私から今夜彼に話しておきましょう」

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「ありがとうございます、先生」

 老人は頷いた。「命題:貴方は私にあまりに頼りすぎている」

 アナックスは笑った。「毎日競技場に行くのは僕が考えたことですし、僕は自分でパンクラチオンを選んだ、先生に言われたからではないです。僕は宮殿にいる全員の経歴は知りませんが、僕は師匠になる人を探しているってきちんと先生に言いました。それと」 彼は続けた。「『あまりに』というのは全然具体的じゃありません。それは弁護できません」

 師は頷き、笑みを浮かべた。「お見事です!」


 カレートーの書斎は質素で、机一つと椅子が二つあるだけだった。彼自身も同じように厳格そうな人物であり、整った顎と四角い頭が共に癖のある銀の髪と髭に覆われていた。眉は厳しくその面貌に深く刻まれ、そしてその腫れた膝は彼が杖として使用している曲がった枝のように節くれだっていた。

 カレートーは困惑を隠さず、座ったまま王子の姿を認めた。「貴方の先生から聞きました、今から四ヶ月でパンクラチオンの競技に参加したいと」

 アナックスは可能な限り背筋を伸ばした。「僕は父上に、参加することを約束しました。ですが正直に言います、上手くやるにはまずどうしたらいいかわからないんです。貴方にご助力頂けないかと思いまして」

「貴方様の階級で優勝するほど強くなるには、四ヶ月は十分ではありませんな」

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 アナックスは否定した。「僕は優勝する必要はないんです。ただ、皆に印象づけられればいいんです」 彼は考えた。「そして、弟と対戦する時には、確実に打ち倒さないといけない」

 カレートーはその銀の髭をこすった。「努力を厭わないのであれば、その機会をお与えできるでしょう」

「それともう一つ、シノンが僕の弟を訓練しています」

 老人の目に炎がともった。「そうとあらば、是非ともお力にならせて頂きたい」

 アナックスは貪欲な笑みを浮かべた。「毎日夕方から、僕は競技場で友人と一緒に訓練しています。遅い時間なので、ほとんどの人が僕達を見ていません。そこに来て頂けますか?」

 カレートーは杖に手を伸ばした。「参りましょう」


 カレートーは言葉の通りに、まさにその夜からアナックスとゾティコスへと教授を始めた。そのねじれた膝のため、彼自身が技術を披露することはできなかったが、その怪我にもかかわらず彼は有能な指導者であることを示した。

 カレートーの最初の教えは、アナックスは素早く敵に近づくべきだというものだった。アナックスよりも小柄な相手は、ひとたびアナックスが相手を地面に倒してしまえば勝つのは容易い。アナックスよりも大柄な相手は掴み合いに持ち込む以前に長い攻撃範囲を持つ。頭部への不運な一撃で早々と倒される危険を冒す理由はない。そして取っ組み合いにのみ集中することはまた、彼らの訓練期間を節約してくれた。

 カレートーの次の教えは、いかにして相手を地面に倒すかだった。アナックスは同じ歳の少年達ほど力はない――追いつきつつあるとはいえ――そのため彼の最高の勝算は、最初に相手を地面に倒すことから生まれる。そこでは技術が力に勝る。

 それらの後、カレートーは実際の戦いで勝つあらゆる方法をアナックスに教授し始めた。腕や脚を脱臼させる固め技、そして完全に壊してしまう固め技。彼が言うにそれらは、弱い格闘者が勝つ最も簡単な方法だった。そういった固め技は沢山あり、全てを学ぶには数日かかった。

 ある夜、アナックスとゾティコスは様々な固め技を練習していた。アナックスは足首の関節を固めにかかったが、ゾティコスは身をよじらせて逃れ、代わりにアナックスは友人の足を右肩の上に持ち上げた。彼はゾティコスの膝が限界まで伸びるのを感じ、だが更なる圧迫を始めた。

「いけません!」 カレートーの声は珍しいほどに怖れを含んでいたため、彼らは止めた。「それはあまりに危険すぎます!」 彼はよろよろと、少年二人へと向かった。「アナックス様、その技に気がついたのには驚きました。しかし彼の脚を駄目にしてしまうかもしれません。降伏させるためにそこから更に圧迫したなら、相手は二度と普通に歩くことはできなくなります。その前に貴方は少なくとも降伏の機会を与えるべきです。その固め技を使用してはなりません」

 アナックスは立ったまま、腕から砂を払った。「それは、先生に起こったことですか?」

 カレートーは目を細めた。

 アナックスの顔を汗が数滴流れ落ちた。「相手はシノンだった、そうですね?」

 カレートーは頷いた。

「彼は僕の弟にその技を教えるでしょうか?」

 カレートーの表情が曇った。「そうだとしても、驚くことではありません」

「僕は、どうすればいいですか?」

 カレートーは少しの間上の空だった。「昔のことです。どうやったのか見せてごらんなさい」

 少年達は師へと先程の流れを再び示して見せた。カレートーは顔をしかめた。「ゾティコス、貴方はそこで踵を掴むことができます。王子の踵を掴んで、腹に足を押しつけて、ほんの少しひねりなさい」

 ゾティコスがそうすると、アナックスは声を上げた。「痛い!」

「それ以上強く押してはいけません。もしそれ以上続けたなら――私がそれを体現しています――貴方は足首を壊してしまいます、もしかしたらもっと重傷になるかもしれません。意地の悪い技ですが、通用するでしょう」

 アナックスは少しだけ笑みを浮かべた。「やってみようと思います」

「アナックス様」 カレートーは言った。王子は師を見上げた。「私は貴方を信頼しているからこそ、この技をお教えします。約束して下さい、この技で誰も傷つけないことを」

 アナックスは頷いた。「僕に必要なのは勝つことで、誰かを傷つけることじゃない。僕は、誰も傷つけようとは思っていません」

「宜しい。では位置を変えて、貴方にもお教えしましょう」

 カレートーはその夜、二人に腱固めを教えた。そして続く日々には他の多くのことを。ゆっくりと、痛みを伴いながら、アナックスは上達していった。そして師と弟子は信じ始めた、アナックスはやれると。


 競技場はパンクラチオンの年少部門を見ようと、その縁まで観客が溢れんばかりだった。その様子は普通ではなかった。いつもならば、観戦するのは出場者の両親のみだったが、王子たちが競うという噂がコロフォンを駆け巡っていたに違いなかった。そのため、通路までが立ち見客で一杯だった。

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 アナックスは最初の二戦に簡単に勝利した。対戦相手は両方とも彼より幾つか年下で、自分の身体がどのように動くのかもさほど把握していなかった。カレートーの訓練を受けた後では、どちらも挑戦というには程遠かった。

 しかし第三回戦、アナックスは弟と対峙した。広い攻撃範囲を持つティモテウスは、拳による攻撃から開始した。彼の最初の突きはただの牽制でしかなく、深刻な脅威となるには離れすぎていた。彼は前に進み出て、本当の突きを放った。アナックスはそれを防いで近づくことこそできたが、彼はひるみ、そして下がった。

 ティモテウスは体重を前に移動させ、アナックスの鼠径部めがけて蹴りを放った。この時、アナックスは素早く動き、その蹴りの攻撃範囲内に飛び込んだ。彼は蹴りを放った弟の大腿とその逆側の肩を掴んで押し、二人は地面に転がった。

 アナックスは彼の上に乗ったが、ティモテウスは素早く体勢を整え、身体をひねって足首を固める体勢に入ろうとした――アナックスを降伏させる、だが怪我をさせる危険性は少ない安全な動きだった。アナックスは腱固めの体勢に入るまでもう数インチ足りなかったが、ティモテウスが身体を引っ張りすぎない限り、アナックスに届くすべはなかった。

 アナックスは体重をわずかに移動させ、ティモテウスへと別の固め技の機会を与えた――カレートーの脚を不自由にした膝固めの。ティモテウスは躊躇することなくそれに向かった。だがアナックスはそれを待っており、土壇場で弟の踵を捉えた。彼はそれをひねった――ただ理解させれば十分だった――そしてティモテウスは固まり、親指を上げて降伏を示した。

 少年二人が立つと、観客は拍手喝采をした。背を向けたティモテウスの顔は憤怒に歪んでいた。

 拍手喝采がようやく止むと、アナックスは弟を軽蔑のまなざしで見た。「失望したよ」 彼は言った。皆に伝わるような大声で、だが私的な会話以上のものではないと示せるほどに柔らかく。

 ティモテウスは肩の砂を払いながら兄へと振り返った。「何だって?」

 観客に静寂が広がった。その多くが王子の言葉を聞こうと首を伸ばしていた。「お前は安全に勝つことができた、でも僕はお前に、僕の脚を駄目にする機会を与えた。シノンがカレートーへとやったように。そしてお前はそうした。だから僕は逆転できた」 群衆の多くが衝撃を受けていた。アナックスは自身への横柄な失望の表情を作った。「そして最終的に、僕はお前の足首を壊すことができた。お前は二度と歩くことができなくなるかもしれなかった。だけど、弟を不具にした王に仕えたいって思う者がいるだろうか?」 彼は三歩離れて、肩越しに振り返った。「僕は思わない」

 競技場全体にざわめきが広がった。アナックスは無言で試合場を去ると次の対戦に備えた。観衆を気にしないよう、精一杯の努力をしながら。彼は勝利の雄叫びを上げたかった。少なくとも微笑みたかった。だがそれは王子の振舞いではない。だから彼はそうしなかった。

 アナックスは次の対戦、まもなく成年となる長身の青年に敗れた。相手は彼よりも強く技術も上だった。だが皆がアナックスを尊敬の眼差しで見るようになり、彼が勝者であることを告げるイロアス神殿からの使者も必要なかった。


 アナックスは宮殿の王室専用庭園に、父、母、妹とともに立っていた。ティモテウスは庭園の中央で独りひざまずいていた。彼から15フィート離れて、鞭を持った屈強な男がいた。その男は頭上へとその鞭を振り上げた。

 一打ち。

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 ティモテウスの背に細く赤い筋が浮かび上がった。その傷は癒えるだろうが、彼はその印を永遠に背負うのだろう。それがアクロスにおいて政治的な罪を犯した者の対価だった。

 二打ち。

 二本目の線が浮かび上がった。最初の傷から血が流れ始めた。この罰はアクロスの反逆罪に対する法としては寛大な解釈だったが、アタナス王は彼の次男へと怒り狂っており、彼はこの罰を要求したのだった。

 三打ち。

 三本目の線が現れた。ティモテウスが将来の王を不具にしようとしたことを、誰も忘れることはないだろう。

 父王はアナックスへと振り返り、その厳格な表情が少しだけ和らいだ。「お前の妻となる者を探し始めている。サイミーディという名の若い娘を考えている。有力な一族の出で、ぜひとも説得したい所だ。そして彼女はとても美しい。きっと、良き王妃としてお前を立ててくれるだろう」

 アナックスは勝利の雄叫びを上げたかった。少なくとも微笑みたかった。だがそれは王の振舞いではない。だから彼はそうしなかった。

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