MAGIC STORY

イクサラン:失われし洞窟

EPISODE 06

メインストーリー第6話

Valerie Valdes
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2023年10月21日

 

ファートリ

 インティは死んだ。

 戦いは空に荒れ狂っていた。コズミューム礁のうねる金属片の中、太陽帝国とオルテカの戦士たちは変貌した薄暮の軍団の兵士たちを追っていた。ファートリは地面にひざまずき、ずたずたになった従弟の身体を抱きかかえていた。故郷から遥か遠い大地の土にその血が飛び散っていた。

 彼を守れなかった。戦士は常に死と隣り合わせ、けれど喜んでその抱擁に身を委ねる者はいない。家族に何と言えばいい? これまでにも戦友を亡くしてきた。彼らを愛していた者たちに様々な言葉をかけてきた。だが今はそのどれもが口の中で砂と化していた。

 突風と翼の羽ばたき音が敵の到来を告げた。ヴィトは川守りの地下都市で見た時と同じ槍を手にしていたが、その姿は堕落して人とコウモリの忌まわしい混ざりものと化していた。

「お前を捧げたならアクロゾズは喜ぶだろう」ヴィトの声は以前よりも荒々しく、牙は長くなっていた。「神の勝利は目前だ」

 ファートリは立ち上がり、剃刀刃の盾と剣を構えた。ティロナーリよ、我が敵を討つ力を――彼女は無言で祈りを捧げた。

 槍を彼女の心臓に向けつつ、ヴィトはファートリの周りを歩いた。「トレゾンに帰還したなら、私は聖者へと叙せられるだろう。弱き女王と偽りの聖者エレンダによって汚されていない、純粋な血の福音を民にもたらすのだ。忠実なる者は改心してアクロゾズの真の儀式を受け入れるか、さもなくば粛清されるのみ」

 カパロクティがまだ生きているなら、それを聞いて喜んだだろう――吸血鬼たちが既に殺し合いを始めているなら、トレゾン侵略は容易なものとなる。だが今、ファートリはそのようなことを気にかけはしなかった。

 ヴィトが切りつけた。ファートリは横に避けながら相手の槍先を叩き落した。矢継ぎ早に攻撃が続いたが、彼女は身を翻して離れた。

「私はヴォーナと共に、主の傍にて統治するのだ」彼は続けた。「我々は神の家に永遠に住まい、神が囚われていた間も忠実に仕えていた者らがこの地を統べるのだ。血と力の同盟だ」

 この男はお喋りを止めないのだろうか? ファートリは隙を伺った。この戦いの形勢を変えなければ。

「お前を生かしておいても良いのだぞ」ヴィトは牙をむき出しにした。「我が言葉を正典として記す者として、屈した敵の詩人以上に相応しい存在があるだろうか? 間もなく記憶のみとなる帝国へと、我が勝利を伝える者としてこれ以上相応しい存在があるだろうか?」

 ファートリは感覚を広げ、周囲の大地へと魔力を伸ばし、探った。呼びかけた。返答に耳を澄ました。

「お得意の演説はどうしたのかね、戦場詩人殿?」ヴィトが嘲った。「アクロゾズの帰還に舌が動かなくなったか? それとも大切な執事長くんの死か?」

 ファートリは片膝をつき、魔力をごく薄い膜のようになるまで伸ばした。周囲の音が消えた。彼女は山々や森へと、平原へと、谷へと呼びかけた。更なる声が返答し、そのすべてを脳内から溢れさせまいとして眩暈がするほどだった。

「私の慈悲に身を委ねるのかね?」ヴィトは尋ねた。再びの攻撃に、その槍先がファートリの上腕の鎧を弾き飛ばした。痛みが彼女の意志を刺激した。

 自身が呼び起こした膨大な声の猛攻撃にふらつきながら、ファートリは立ち上がった。そして転ばせようと狙うヴィトの攻撃を飛びのいて避けた。魔法によって集中力は分散していたが、その機敏な動きは長年の訓練の賜物だった。

 ヴィトは宙へと跳躍し、その高さと距離を生かして優位に動いた。ファートリからの攻撃は届かず、彼女はただ盾で攻撃を受け流し続けた。既に筋肉は酷使に痛んでいた。まもなく疲れてしまうだろう。まもなく倒れてしまうだろう。

 まだだ。インティの復讐を遂げるまでは。足元の地面が震えた。

「愚かな希望を捨てよ」忌まわしい影のように、ヴィトはファートリの上空に浮かび上がった。「アクロゾズは蘇った。神による永遠の支配は必然なのだ」

 ヴィトはファートリへと槍を突き落とした。彼女はそれを盾の溝で受け止めてひねり、相手の武器をねじり取った。

「必然なのは死だけよ」ファートリは言った。「あなたであっても」

 叫び声がひとつ空を裂き、ヴィトはその源を探して振り返った。一体の恐竜が空から降下して体当たりをし、彼は地面に転がった。そして別の方角からパントラザが、ファートリの鎧が放つ光を目標に突進してくると巨大で鋭い足の爪でヴィトを切りつけた。灰色の皮膚に二筋の長い傷が穿たれ、ヴィトの腐敗した心のように黒い膿が流れ出た。

「よくも!」ヴィトは金切り声を発した。

 大地から、空から、恐竜が次々と馳せ参じて歯と鉤爪で吸血鬼へと群がった。ヴィトは飛び立とうとするもその度に落とされ、地面の上では包囲されて四方八方から襲撃された。

 ファートリはあの槍を拾い上げた。悪しき手によって振るわれた極上の武器。ふさわしい最期のために。

 ヴィトは一体の恐竜を放り投げ、包囲に隙間を作った。ファートリは咆哮をあげて駆けた。怒りと悲嘆が、そして力が腕に満ちた。その槍は吸血鬼がまとう板金鎧の隙間へと滑り込み、心臓を貫いて地面にまで達した。

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アート:Marta Nael

 ヴィトは動きを止めた。驚きに、そして願わくば苦痛に。彼は両膝をつき、怪物のような両手で無益に槍を抜き取ろうとした。自身の血がその掌握を滑らせた。

「アクロゾズよ」彼は囁いた。「何故私を見捨てたのですか」

 ヴィトは横向きに倒れ、黒い大地にその血が溜まっていった。ファートリが黙って見つめる中、怪物のような両目から赤い光が消えた。

 太陽帝国の危険な敵がひとり取り除かれた。それでもファートリは無意味だと感じた。この吸血鬼が死んでも、インティが蘇るわけではない。

 恐竜たちはヴィトにそうしたように彼女を取り囲んだ。そして襲いかかるのではなく鼻をすり寄せ、羽毛で彼女の肌を撫でて慰めた。パントラザは心地良い鳴き声をファートリに向けた。まるで父親が傷ついた子供へと歌ってやるかのように。

「ありがとう」ファートリは呟き、鎧にきらめく三相の太陽の光に触れた。けれど戦いはまだ終わっていない。吸血鬼はまだ沢山残っており、アクロゾズは今もこの地を闇に落としている。

 ファートリは心で命令して恐竜たちを送り出した。空を飛べるものたちはコズミューム礁へ、そうでないものたちはアカル執政や他の仲間たちのもとへ。彼女は自身の乗騎にまたがり、家族や敵の死体を後にした。そしてインティへと約束した――中心核からすべての吸血鬼を滅するまで戻らないと。


マルコム

 帝王マイコイドの軍勢はこの清純な大地に、そう……悪性の菌類が感染するように広がっていた。ように、ではなくその通りなのだ。吸血鬼と闇と古の邪悪の帰還はともかく、見たところのどかなこの地にその問題を持ち込んでしまったことにマルコムは罪悪感を覚えた。

 そう、何もかもがまずい状況だった。

 クイントがアブエロという名の精霊――「残響」と言っていたか――と話し合うのを聞きながら、マルコムはヴラスカを、そして彼女から聞かされた他の次元や街や海の話を思い出していた。会いたかった。けれどヴラスカはあの侵略で死んだ、少なくともそう聞いた。あんなに強い人が、無敵といっていいかつての船長が死ぬなどとは信じたくなかった。けれど戦争はいつも人々の美しい幻想を剥ぎ取り、醜い現実に置き換えてしまう。ウェイタがそのいい例だった――川守りの魔法をかけられた草よりも速く成長することを強いられた子供。彼女は近くに立ち、一方でブリーチェスは地元の果物を貪欲に食らっていた。マルコムも同じく食べても良かったのだが、不安で食欲は失せていた。

「試してみないことにはわかりません」クイントはそう言い、一本のキープを掴んだ。アブエロは決意の表情で頷いた。

「あいつらは何をしてるんだ?」マルコムはウェイタへと尋ねた。

 彼女は肩をすくめた。「魔法」

 クイントは地面にキープを伸ばして置き、その上に揺らめく青色の印を描いた。魔法はキープへと広がり、衣服に結び付けられた結晶が光を帯びて青色が桃色へと変化した。アブエロは息を止めているかのようにじっとしていた。

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アート:Zoltan Boros

 青緑色の光の泡が衣服の上に生まれ、マルコムの肩の高さまで浮かび上がった。その光が広がって小さな嵐のようにうねり、そして一瞬にして女性の姿をとった。首にはキープをかけ、身体にポンチョをまとって。彼女はアブエロを見上げ、皺だらけの唇に笑みを浮かべた。

「見つけたわよ!」興奮の声だった。「あのタイタンにやられたと思っていたわ」

 アブエロはくすりと笑った。「その通りだよ」

「あら本当、そうみたいね」彼女は辺りを見渡した。「他のコモンはどうなったの?」

「わからない。けれど君を新しい友達に紹介させてくれ。皆、この人がアブエラだ」

 アブエラは大気の匂いをかいだ。「帝王マイコイドが近づいているわね。他の残響を集めないと」

 ブリーチェスは咀嚼していたものを飲み込み、うろたえた。「ユウレイふえる?」

「キノコだらけの恐竜よりいいだろ」マルコムは小声で言った。

 近くの丘の向こうから光が差し込んだ。マルコムが偵察のために空へ飛び上がると、そのポンチョとキープからオルテカと思われる人々が見えた。彼らは先端に桃色の結晶を付けた杖を携え、また何人かは彼が見たことのない、毛皮で覆われた首の長い生物を連れていた。彼らの顔には刺青が入れられており、その一部は太陽が隠れた暗闇の中でかすかに輝いていた。

 マルコムが仲間たちのもとへ戻ると、アブエラが興奮して幽体の手を叩いていた。

「庭師さんたちのおでましよ!」

 アブエロは頷いた。「こんなに早く来てくれるなんて、私たちは幸せだ」

「そいつらは何ができるんだ?」マルコムは尋ねた。

 その問いに答えたのはアカル執政だった。彼女の声には目的意識がみなぎっていた。「沈黙の時代の始まりより、彼らはこの敵と戦うための研鑽を続けてきた。決して必要とならぬよう願っていたが、備えておきたかったのだ」

 庭師のひとりがアカル執政に近づき、恭しく敬礼して頭を下げた。「タン・ホロムと同士たる残響から、くれぐれも宜しくとのことでした」

 庭師たちはそれぞれ異なる物品を取り出した――首飾り、頭飾り、小さな水晶の仮面、ぎざぎざの剣、その他にも。そしてそれらの物品に繋がれる霊魂が姿を成した。あるものははっきりとした形ととらず、またあるものは人間らしい姿ではなかった。けれど全員が執政へと首を垂れて次なる命令を待った。

 アカル執政は一同を見渡した。「我らが古の仇敵が帰還した。千の月はチミルを救うために戦っている。其方らはこの地を奴らの帰還から守らねばならぬ」

「オヘル・カスレムとともに」庭師のひとりが返答した。「そして炎と嵐をまといしオヘル・アショニルよ、神々よ、我らに力を授けたまえ」

 近くに立っていたはぐれ吸血鬼が――アマリアという名だったか――ズボンの片脚を押さえながら、緊張した面持ちで前に出た。「私もお力になれるかもしれません。私の地図で、地形を変化させることができます」

 アカル執政が指をさして言った。「では庭師たちと協力するのだ。全員が力を合わせねばならぬ」ケランが――いつ見てもアマリアの傍から離れないあの若者が――彼女の肩を掴んで支え、えくぼのある笑みを向けた。

「我らが神々の導きあらんことを」アカル執事が続けた。「チミルを救い、中心核を救うのだ!」咆哮がそれに応え、編成されたばかりの軍勢は出発していった。

 黄金の扉からの菌類の流入はようやく止まっており、マルコムはそのキノコの群れをめがけて飛んだ。その不気味な緑色の輝きは、他の光源から発せられる白や桃色や真紅とは異なっており、暗闇の中で容易に彼らの姿を際立たせていた。群れの中央にはキノコの頭部を持つ巨大な生物が二体、繊維状の網を用いて帝王マイコイドを高く掲げていた。

 マルコムは震え、辺りを見渡してから皆のもとへと戻った。

「帝王マイコイドは近くまで来てる。向かってるのは……」ここで適切に方角を指示するにはどうすればいい? 太陽は動かないのだ。やがて彼は指をさして言った。「あっちだ」

 庭師がアマリアへと振り返ると、彼女は背負った箱から地図と羽ペンを取り出した。そして指を噛んで傷つけて灰の缶に押し付け、血と灰の混合物を注意深く地図に塗りつけた。マルコムはそれを覗き込んだ。地図の一部は埋まっていたが、白紙の部分もあった。魔法のインクが広がり、地図の空白に付近の詳細な地形が描かれていった。キノコの軍隊までも、黒い染みとして示された。

「鉄面連合もそういう魔法を使えればいいのにな」彼はアマリアへと言った。「船を飛ばしたくなったら、そう言うんだ」

 アマリアは小さな、当惑したと言っていい笑みを見せた。

「地図が埋まるまで待って下さいよ」ケランがそう言い、腰で彼女へと促した。

 アマリアは庭師へと尋ねた。「何処に地割れを作れば良いですか?」

 その庭師は地図に指を走らせた。「ここに、できるだけ深く。そうしてくれればあとは私たちがやる」

 アマリアは頷き、紙へと羽ペンを下ろした。彼女は一呼吸おき、そして地図を一閃した。

 地面が小刻みに、そして大きく震えた。マルコムはよろめいた。再び地図を見ると、キノコの軍隊の前に深い裂け目が描かれており、更にはそれらを取り囲んでいた。退却は困難だろう。

 ケランはふらつくアマリアの肘を掴んで支えた。「すごい技ですよ」

 アマリアの頬が浅黒くなった――赤面しているのか? 吸血鬼は赤面なんてしない。この若者は大した奴だということだ。

 マルコムは再び帝王マイコイドとその軍勢をめざした。先行する小さなキノコの斥候が地割れを発見した。深く急峻で広く、降りることも跳び越えることも不可能。そして数体が、数十体が、数百体が到着した。マルコムが恐怖したことに、彼らはその裂け目へと身投げをはじめた。

 違う。彼らは互いを掴み、繋がり、太いキノコの鎖を作っていった。空を飛べる個体が裂け目に降下し、鎖の先端のキノコを掴むとそれを対岸へと運んだ。更なる数が重なり、すぐに頑丈な橋が裂け目に渡された。

 作戦は失敗だ、マルコムはそう思った。

 帝王マイコイドへと更に近づくよりも早く、マルコムは自らの頭上に何かを察した。菌類に追われたコウモリが急降下し、彼はかろうじて避けた。同じような生物が更なる数で空を埋め尽くしていた。それらの動きは彼に比較したならぎこちなく大仰だったが、純然たる数で圧倒されてしまうように思われた。

「今じゃない、臭い奴は来るな」彼はそう言い残して撤退した。

 眼下では残響たちが霊の編隊となって進み、何よりも早くキノコの軍勢へと辿り着いていた。マルコムはブリーチェスとクイントの隣に降り立ち、身振りをして尋ねた。

「あいつらは何をしてるんだ?」

 クイントがゴーグルを下ろして答えた。「見ていてください」

 むき出しの頭蓋骨の顔をもつ残響が一体、浮遊しながら小型のキノコへと近づいた。相手は困惑したかのように立ち止まった。無言で、残響はそのクリーチャーの内へと滑り込んで消えた。

 最初は何も起こらなかった。そしてそのキノコは次第に身を震わせ、皮膚に眩しい青緑色の筋が走って裂けた。まるで不可視の炎に燃やし尽くされたかのように、それは青い煙と化して消えた。

 残響が再び姿を成し、次の敵へと向かっていった。他の残響たちも同じように続き、キノコの兵士たちは一体また一体と消し去られていった。

「彼らは自分たちを病気そのものに変化させているのです」クイントが説明した。「マイコイドだけがかかる病気に――ああ、マイコイドとはあのキノコたちのことです」

「すごいな」マルコムは言った。「けど向こうの数は多すぎるぞ」

「感染返しはひとつの技に過ぎない」ひとりの庭師が言った。「こんなものもある」

 庭師たちは三人ずつに分かれ、肩を並べて立つと杖を掲げた。その先端に埋め込まれた結晶から桃色の光の細い輪が放たれ、波紋のように広がっていった。そして叫び声ひとつとともに彼らが武器を下ろすと、光の輪は宙を切り裂いてマイコイドたちへと駆けた。

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アート:Manuel Castañón

 その光が触れたキノコはひとつ残らず燃え上がった。何十体という数が悶えながら倒れ、動きを止め、燃え尽きて灰と化した。

 それでも更なる数が襲いかかった。戦いは乱戦へと発展し、一部のマイコイドは槍や剣を振り回した。他のマイコイドは呪文を唱え、悪臭を放つ胞子でオルテカを窒息させた。ケランはアマリアの傍から離れず、二振りの魔法の剣で優美に敵をいなしていた。クイントの目の前には広げられた巻物が盾のように浮いていた――そしてそれはまさしく盾として機能しており、魔法的に固化した紙が槍や矢を跳ね返していた。更にクイントが別の巻物を鞭のように振るうと、魔法の印から黄金色のエネルギーがリボンのように飛び出して敵を取り囲み、剃刀のような鋭さで切り裂いた。マイコイドたちは傷つきながらも前進し、その後には崩れた菌類の山を残していった。

 タイタンは重すぎてキノコの橋を渡ることができず、裂け目の向こう側に留まっていた。帝王マイコイドはその間にぶら下がり、悪意に満ちた緑の瞳で敵を睨みつけていた。

 マルコムがブリーチェスの姿を捉えると、彼はキノコの王を見つめていた。標的のポケットの深さを推し量っている時と同じ、洞察の表情を浮かべて。やがてそのゴブリンは歯をむき出しにして笑い、指をさした。

「ダイバクハツ!」

「それで帝王マイコイドを殺せるって思ってるのか?」マルコムは疑いを隠さず尋ねた。

 ブリーチェスは頷き、にやりとした。彼は背負い袋からひとつの武器を取り出した。孤高街で借金の返済として手に入れたもの。それは腕の長さほどの金属製の筒で、表面には精巧な蔦の模様が刻まれており、引き金は突き出た一枚の葉で先端は花弁の形に成型されていた。以前の持ち主がこれを手放すことに同意した時、マルコムは驚いたものだった。だが実際にその働きを見ると、彼はどちらかといえば大砲の方を使い続けたいという結論に至った。その価値以上に破壊的で信頼性の低い代物なのだ。

 その品質が今、役に立ってくれるかもしれない。

 マルコムはブリーチェスを掴んで飛び立ち、南――と呼ぶことに決めた方角を目指した。「たぶん機会は一度きりだ。外すなよ」

 ブリーチェスは腹を立てたように睨みつけた。

 マルコムはそれ以上言わなかった。確実に何かには命中するだろう。ただそれが自分ではないことを彼は願った。

 帝王マイコイドを支えるタイタンの一体が、皺だらけのアミガサタケの頭を回転させ、マルコムとブリーチェスが近づいてくる様子を見つめた。咆哮をひとつ発し、それは近くにいたマイコイドを掴んで放り投げた。その小さなキノコは肢を振り回し、近づいてくるマルコムとブリーチェスを槍で攻撃しようとした。

 マルコムは降下して避けた。だが次の一体が、そしてまた次の一体が続いた。いずれ孤高街に戻り、この到底信じられない日の出来事を酒とともに友人たちに語ってやりたい、彼はそう願った。

「キノコだよ」そう言うのだろう。「賢いキノコが大砲の弾みたいに飛んできて、俺を突き刺そうとするんだ。馬鹿言うな、本当のことだ。歌に誓ってもいい」

 生き延びることができればの話だが。そして彼は是非とも生き延びたかった。

「いつでもいいぞ、ブリーチェス」マルコムの声が張りつめた。

 ブリーチェスは金属の筒を帝王マイコイドに向けた。

 だがキノコに覆われた一体の恐竜が急降下してきた。マルコムはすぐさま避けたがブリーチェスは筒を取り落としかけ、それは両手の間をくるくると踊った。だが地面に落ちていく前に、彼は尻尾を振るってそれを受け止めた。不幸にも、その花を模した先端は今やマルコムの顔面に向けられていた。

「気をつけて狙え!」マルコムは叫んだ。「早くあの帝王マイコイドを攻撃しろ!」

「ジョウズにトべ!」ブリーチェスが言い返した。彼はそれを尻尾から足へ、手へと渡し、筒の中央付近をしっかりと持った。

 マルコムが声をかけた。「撃つ前に合図――」

 フーーーーッ!

 筒の末端から煙と火花がほとばしった。そして先端からは、コールタールのように濃くねばつく巨大な火球が吐き出された。その反動にマルコムとブリーチェスは後方へと弾き飛ばされ、体勢を立て直す中でマルコムは相棒をあやうく落としかけた。

 火球の進路にあるものはすべて潰されていった。帝王マイコイドがそれを目撃した直後、火球はタイタンの一体に真正面から命中した。帝王マイコイドは網から落下し、炎をまき散らしながら燃え盛る火球の下敷きになった。

 周囲の菌類は一斉に金切り声をあげ、糸が切れた操り人形のように倒れ込むものもいた。あるいは粘着質の炎に包まれて腕を振り回し、駆け、地面を転げ回った。数体が地割れに身を投げ、影の中に炎のちらつきが踊った。

 まもなく庭師たちが前線を突破し、彼らもまた魔法の炎で辺りの浄化を始めた。残響たちはキノコを変質させ続け、無害な煙と有害なそれとが混じり合った。かつては肥沃だった土はむき出しにされて焼け焦げ、灰の塊と死体が散乱していた。

 けれど勝利した。それは下の町も救われたことを意味する、マルコムはそう願った。

 そんな希望をまたも抱くとは、マルコムは自分の頬を叩きたくなった。どうしていつまでも諦めないのだろうか。

 呼応するかのように、暗いエネルギーの嵐が遠くの山々から弾け出た。稲妻が赤く閃き、きらめく岩石が地滑りとともに落ち、土の雲が巻き上げられた。地面が揺れ動いて人々はよろめき、あるいは倒れた。懸念の叫びが戦場を行き交い、そして遥か上空のコズミューム礁では、金属を爪で引っ掻いたような叫び声をコウモリたちがあげていた。思わずマルコムの羽毛が逆立った。

 土埃が消えると、太陽を取り囲む殻がゆっくりと、ごくゆっくりと分かれていった。大地のほとんどは影に覆われたままだったが、奇妙な夜明けの訪れとともに光の筋が差し込んだ。

 オルテカは歓声をあげ、クイントやアマリアやケランまでも喜びの輪に加わった。マルコムはその近くに着地し、ようやくブリーチェスを下ろすと痛む両腕をさすった。だが喜んでいない人物がひとりいることに彼は気付いた。

 ウェイタは見える片目を狭め、山々を見つめていた。「あれは何?」

 削り取られた山肌から、巨大な神殿の柱が伸びていた。その内からは真紅の輝きが発せられていた。アマリアがよろめき、頭を抱え込んで縮み上がった。

「アクロゾズ。あの神の神殿です。行かなければ、止めなければ!」

 そいつは太陽を覆い隠す以上の悪行をやってのけるということだろうか、マルコムはそう訝しんだ。

 アニム・パカルが笛を吹き鳴らし、そして集合した戦士たちへと振り返った。「庭師たちよ、どうか帝王マイコイドの軍勢の排除を続けて頂きたい。胞子ひとつとして生かしておいてはならないのだ。我が月たちは共に来るのだ。コズミューム食らいという病を根絶し、奴らに終わりをもたらす」

 アマリアは彼女を追い、ケランも魔法の剣を手にして続いた。アブエロとアブエラは他の残響たちと共に飛び回り、嬉々としてキノコたちを霧に変えていった。クイントは鼻に持ったハンカチーフでゴーグルを拭き、そしてそれをベルトポーチにしまい込んだ。

「これはきっと素晴らしい論文になります」

 ウェイタはむせたような音を立て、そして涙が出るほどの勢いで笑いだした。いつも冷静な彼女の態度がここまで変わる様を見るのは初めてだった――その彼女はもっと若く、幸せそうに見えた。哀れなクイントは困惑したようだったが、それでも笑みを浮かべた。

 ブリーチェスが尻尾で帽子を直し、嬉しそうに息をついた。「ダイバクハツ!」

 全然爆発じゃなかっただろ。マルコムはそう思ったが、この瞬間を台無しにしたいとは思わなかった。それでも、まもなく別の何かに台無しにされるような予感があった。


アマリア

 アクロゾズ神殿へと続く道にはコズミューム食らいたちが散らばっていた。生きているものも、死んでいるものも。千の月の軍勢は遭遇したすべてと容赦なく戦い、アマリアとケランも彼らを援護した。キノコが燃えた刺激的な煙が地滑りの土埃と混じり合い、目を細めなければならなかった。アマリアはしきりに瞬きをして目から砂を払った。羽根や爪や牙を血で濡らした恐竜たちが辺りをうろついていた。見回りをしているかのように――あるいは狩りだろうか。

「後ろです!」アマリアが声をあげた。

 ケランは身を屈めながら旋回し、輝く剣の片方で一体の吸血鬼の膝を切りつけるともう片方を振り上げ、敵の股間から鎖骨までを切り裂いた。吸血鬼の片脚がねじれ、ケランは二本の剣をハサミのように用いて相手の首を落とした。

 アマリアは青ざめて目をそらした。「驚きました、そんなに上手に戦えるなんて」彼女はそう呟いた。

「こいつらはそんなにしぶとくないですから。巨大なガチョウに絡まれたことはありますか?」

「ガチョウって何ですか?」

「こっちを恨んでる恐竜、みたいなものかな」

 彼女たちは進み続け、神殿をめざして容赦なく登っていった。戦士たちは松明や輝く結晶をかざし、一方のアマリアは魔法で浮遊する蝋燭をまだ持っていた。ベルトから取り付けられたそれは激しくちらついた。上空には暗闇が、夜よりも暗い影がまるで大気の染みのようにひとつ渦巻いていた。だが赤い閃光は止まっていた。自分たちが何を見つけるのだろうか、そうアマリアは恐れた。

 一体のコウモリ吸血鬼がケランに向かって急降下し、彼はその槍をかろうじて避けた。それは今なお薄暮の軍団の鎧をまとっており、アマリアは恐怖に震えた。ヴィトは民に何をしたというのだろう? この場を生きて脱出できたとしたら、ミラルダ女王にどう報告すればよいのだろう?

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アート:Antonio José Manzanedo

 今は進まなければ。目撃するために。この話を故郷に持ち帰るために。

 前方の遠くから笛の音が届き、一致する音がふたつ応えた。

「報告致します、入り口を発見しました」アニムに向け、斥候のひとりが言った。

 アニム・パカルは少し考え込むように首をかしげ、そしてアマリアへと身振りをした。「ついて来い。お前たちの神について聞かせてもらいたい」

 アクロゾズと自身との繋がりを思い出し、アマリアはひるんだ。彼女は懇願するような視線をケランに向けた。えくぼのある笑みが返ってきた。

「一緒に行きますよ」彼はそう言った。

 石の扉がそびえ立っていた。地震で二つにひび割れ、その先の神殿に続くぎざぎざの穴があいていた。アマリアは屋根が崩れた控えの間へと登り、そして倒れた数本の柱の下をくぐった。まるで神自身が怒り狂い、柱を払いのけたかのようだった。

 内部では、座席の列が階段状に下って底の舞台に続いていた。底の一方の端には穴がひとつ、もう一方の端からは鉄格子のはめられた洞窟が続いていた。宝石が散りばめられた長い鎖の破片が、まるで巨大な力で引きちぎられたかのように散乱していた。何もかもが壊れており、破片や塵に覆われていた。血の匂いがアマリアの感覚を満たし、彼女は悲鳴をあげそうになった。とても多くの死。何の為に? ヴィトやクラヴィレーニョや他の皆を怪物に変えるために?

「アクロゾズは去った」アニムが言った。「残るコズミューム食らいと薄暮の軍団の者らも。生きて戦いを逃れた者がいるのだろう」

 ひとりの戦士が咳払いをして言った。「尋問のために、コズミューム食らいをひとり捕えております」

 千の月が三人がかりでその捕虜を引きずってきた。その男の顎、そしてポンチョとキープの前面には血の跡がついていた。彼は反抗的にアニムへと唾を吐いた。彼女は赤く汚れたそれを拭い、腕を組んで尋ねた。

「アクロゾズはどこだ?」

「解き放たれた」コズミューム食らいが言った。「神は自らの子供たちを集め、まもなく第五の時代を終わらせ、新たな血の時代を開く。神のもとに集う者は永遠に弱者を食らい、逆らう者は食われるのだ」

「そんな」アマリアは恐怖した。

 捕虜の視線がアマリアに向けられた。「お前」その声は悪意に満ちていた。「裏切り者が。呼ばれながらも逃げた者。俺たちは見たのだぞ。そして神の敵とつるんでいるのだな? お前とお前の同族はひとり残らず炎と血で清められ、お前の名は忘れ去られるだろう」

 アマリアは無言で相手を見つめることしかできなかった。かつての確固とした信念は、今や床に散らばる鎖のように砕けていた。

「アクロゾズはどこだ?」アニムが再び問い質し、その男の顎を掴んだ。男は彼女に噛みつこうとし、アニムは慌ててひるんだ。

「お前たちの手などもはや届かない。だがお前たちも、神の手からは長くは逃げられないだろう」

 よろめきながらアマリアは神殿を出て、空の下に向かった。あのコズミューム食らいの笑い声が番犬のようにつきまとっていた。彼女は扉を抜けると立ち止まり、震える身体に両腕を回した。

 故郷を離れるべきではなかった。信念を捨て去ることになる旅になど、加わるべきではなかった。バルトロメは自分とケランを守って死んだ、けれどその犠牲も無駄となった。その傷は永遠に癒えないだろう。更に悪いことに、ヴィトの言うことはずっと正しかったようだった。アクロゾズはミラルダ女王をどうするのだろう。聖エレンダを。自分の家族を。すべての吸血鬼を神自身の理想に作り変えようとするのだろうか?

 誰かが腕に触れ、アマリアはびくりとした。顔を上げるとケランが、その黒い瞳で優しく見つめていた。

「ごめんなさい」アマリアは小声で言った。「私の神は遠くにいるけれど優しい、ずっとそう信じて育ってきたのです。神に仕え、神の恩寵を伝えていく、その神聖なる使命を私たちに課したのだと。ですがわかりました、神は……神は……」

「予想と違った、ですか?」

 アマリアは頷いた。「嘘の人生を送ってきたような、そんな気分です」

「ここにいる他の誰よりも、僕はわかるかもしれません」ケランは悲しげな笑みを向けた。「けど、まだ選ぶことはできます。他の誰かが決めた運命の通りに生きる必要なんてないんです」

「私は何をすれば? トレゾンに戻ってこのすべてをミラルダ女王に伝えるのですか? どうして神とともにではなく、ただの女性として生きることなど選べましょうか?」アマリアは神殿を、扉を見つめた。彼女の信念のように壊れてしまったそれらを。

 ケランはその言葉を考え込んだようだった。「神様がしたことが嫌なら、別の神様を探すのはどうです?」

「別の神?」アマリアは苦々しい笑い声を発した。「簡単に言うのですね」

「難しいとは思います」ケランは言った。「クイントさんが力になってくれるかもしれませんよ。賢いですし、あの人が言っていた学校の教授さんたちはもっと賢いと思います。その人たちに聞いてみるのはどうですか」

 他の次元。他の神々。他の吸血鬼も? それはアマリアの想像を超えるものと言ってよかった。けれど、自分が生きる世界の内側に別の世界がそっくり入っているなどという事実も予想したことはなかった。アボカドの中の種のように、貝の中の真珠のように。そして自分の中にも何かを見つけていた――真珠ではないかもしれない、けれど、やがては力強いものへと育ってくれるかもしれない小さな何かを。

「ケランさんの神々について教えてくれますか?」

「僕がいた所にはいないかな」ケランは答えた。「けどフェイについては教えてあげられますよ。神様の次に良いものだと思います」ふたりは共に来た道を戻った。廃墟から離れ、輝きを増しつつある夜明けへと。


ウェイタ

 太陽帝国からの第二の代表団は、あの戦いから一週間後にオテクランに到着した。火葬の薪はまだ燃えていたが、チミルは以前の輝きを取り戻していた。川守りたちは地底海へと撤退し、鉄面連合の者たちはあの吸血鬼と同行者を連れて地表に戻っていた。そしてオルテカは、皆が自分たちの故郷に与えた混乱を清め始めていた。

 アカル執政は背後にアニムを従え、代表団を歓迎した。その様子をぼんやりと見つめながら、ウェイタは眼帯の下の目をかいた。いわゆる特使の数人は彼女も知る顔だった。多くは戦士であり、他よりも高い地位にある者もいた。 全員が皇帝に忠誠を誓っていた。

 ファートリは機嫌の悪さを必死に隠していた。

 演説が続いた――今のところは小奇麗な言葉。交渉はこの後に時間をとって行われる。そして今、長い卓には料理が所狭しと並べられて食欲をそそっていた。ウェイタが新たに知り合った、そして尊敬するようになった人々が招かれていた。彼女の近くにはクイントが、そして吸血鬼やマイコイドとの戦いを生き延びた兵士たちの数人がいた。彼らは無言で勝利を祝い、また死者たちを悼んでいた。

 カパロクティはこの話し合いにおいて皇帝の代言者に任命されており、アカル執政の左に座っていた。ウェイタから彼らの席は遠く、話は聞こえなかった。だが執政は真剣な、懸念を帯びた表情を浮かべていた。その妹は肘でアカルを突くと果物の薄片を宙へと突き刺すように掲げた。アニムの隣にいるファートリは食事に手をつけず、皿を前に押し出した。彼女の椅子の背後ではパントラザが辛抱強くおこぼれを待っていた。

 クイントがそっとウェイタを肘で突き、彼女はあやうく果汁を零しかけた。「実は私、遠耳の呪文を使えるのです」彼女が返答せずにいると、クイントは続けた。「ウェイタさんが使わないのであれば、私が」

 ウェイタはためらい、だが頷いた。こんな公共の場で、内密の会話ができるわけでもあるまい。

 背負い袋から一本の巻物を取り出し、クイントは咳払いをした。彼はそれを解くと黙って読みはじめた。言葉のそれぞれははっきりと判別できたが、どこか消えかけてぼやけており、ウェイタに読むことはできなかった。

「上手くいきました?」彼女は尋ねた。

 不意にファートリの声が、まるですぐ隣で発せられたかのように聞こえた。「もう沢山のものを失いました。新たな戦いを探し求めるのではなく、再建と追悼を進めることはしないのですか?」

「アクロゾズは地表全体にとっての脅威だ」カパロクティが反論した。「あの神がここで吸血鬼どもに何をしたかを見たのではないか。あのような軍隊とイクサランで相まみえたいというのか?」

「薄暮の軍団すべてに宣戦布告せずとも、アクロゾズと戦うことはできます。小規模な軍勢を素早く動かせば、あの神が仲間を集める前に止めることができるかも――」

「小規模な軍勢で神を相手にしようというのか?」カパロクティは疑うように尋ねた。「君はあの神に対して何をするのだ。詩を聞かせるのか?」

 ウェイタは眉をひそめた。それは言い過ぎだ。

「お忘れですか、私は詩人であると同時に戦士です」ファートリは冷ややかに言った。

「その称号は先帝から授けられたものではなく、従弟のインティ君の活躍によって上手いこと与えられたものではあるがな」

 ファートリは立ち上がり、卓に手を叩きつけた。「インティの名前を口にしないで頂けますか。例えあなたがあの太陽に呪われた吸血鬼より長生きしたとしても、あの子よりも素晴らしい存在になるなんて、夢に思うことすらできないでしょうから。そう、あなたも吸血鬼と同じです。血を渇望しています」彼女はパントラザを引き連れて席を離れた。退出する直前、彼女は立ち止まってカパロクティを睨みつけた。その暗い両目には敵意が燃え上がっていた。「もう私を探さないで頂けますか、勇士様。探したなら見つけてしまうでしょうから」

 沈黙が彼女の退出に続いたが、カパロクティの表情には当惑や怯えよりも満足があった。ウェイタは彼の頭の上に用を足せと恐竜に命令したい気分をこらえた。

 アニムが姉へと身を寄せた。「我々の決定がどうなろうとも、もはやここに籠って地表を見て見ぬふりをしてはいられません」

 アカル執政は口をつぐみ、そして言った。「アクロゾズが軍を集めているとあればなおのこと。そして帝王マイコイドの残骸が広まるなら、その駆除を続けねばならぬ。庭師らが作物を育てるように」

「戦力を提供して頂けるのですか?」カパロクティが尋ねた。「残響、あるいはコズミュームでしょうか」

「適切な対応を調整しよう」アカル執政はそう返答した。

「千の月も喜んで助力しよう」アニムが言った。

「其方は自らの目で地表を見たいのであろう」アカル執政は冷淡に言った。「我らはなすべきことをするのだ」

 そのなすべきこととは? ウェイタは訝しんだ。沢山の人々がそれぞれ異なる「なすべきこと」を思い描き、自分のそれこそがそうなのだと思いたがっている。敵を倒さねばならない。このトンネルを守らねばならない。この戦線を突破しなければならない。すべてに約束が成され、その多くが血で果たされる。

 ウェイタはクイントの肩に手を置いた。「感謝します、聞かせてくれて」

「どうするつもりですか?」

「私のなすべきことを」ウェイタは意志を固め、ファートリを追いかけた。彼女は湖の水際に立ち、涼しい風がその編み髪を揺らしていた。柄頭にコズミュームの結晶を取り付けた剣がその腰から下げられていた。インティの剣が。

 ファートリはウェイタを肩越しに一瞥し、そして再び水面を見つめた。少しの間、ふたりは黙って立っていた。波が岸辺を洗い、パントラザは花から花へと飛び交う昆虫を追いかけていた。

「昔、戦場詩人になりたかったんです」ウェイタが言った。「もっと若かった頃に。オラーズカが見つかって占領される前に」

「今となっては、とても単純な時代だったわ」ファートリは呟いた。「石は雨粒を感じはしない、それでも雨粒は石を穿つのよ」彼女はウェイタへと弱弱しく微笑んだ。「あなたには、もっと重要な運命が待っているのかもしれない」

 ウェイタは肩をすくめた。「誰もが英雄である必要はありません。一本の蝋燭は三相の太陽のように眩しくはありませんが、それでも部屋を照らします」

「その通りね」ファートリは従弟の剣の柄を握り締めた。「戦場詩人でいるということは、導くということ。アクロゾズとの戦いであれば私自身、喜んで向かいましょう。けれどアルタ・トレゾンの侵略なんて。そんなことは。私自身がこの大義に身を投じることができないのに、どうやって皆の心に火をつける言葉を紡ぐことができるというの?」

 ウェイタは靴の先端で小石をつつき、水へと蹴り入れた。「とある賢い女性が教えてくれました――詩にとって大切なのは、良いことよりも正直であること。ご自身が信じる、そして帝国のためにもなる目的を見つけるのはいかがでしょうか」

「ええ、おそらくは」ファートリは考え込んだ。そして彼女はベルトから剣を外し、ウェイタへと差し出した。

「インティ様の剣を!?」ウェイタはまごついて尋ねた「それを私になんて、どうして」

「インティも喜ぶと思うの」ファートリはそう答えた。「必要な時は、彼を呼んで。あの子は今や残響として、霊魂になってこの宝石の中にいるから」彼女は柄に埋め込まれたコズミュームに指を触れた。

 ウェイタはためらい、だが柄に手を伸ばした。「言葉にできない栄誉です。あの方を守り続けましょう」

「あの子もきっとあなたを守ってくれる」ファートリの表情にかすかな喜びがきらめいた。「あなたはまだ死んではいないわ。どうか強くあれ」そして彼女はウェイタから一歩、また一歩離れ、今なおはしゃぎ回るパントラザへと水際を歩いていった。

「これから、どうされるのですか?」ウェイタはそう呼びかけた。

 ファートリは微笑んだ。「オテペクから手紙を受け取ったの。陛下の姉君から。言葉は注意深く選ばれていたけれど、熱が冷めないうちに次の戦争の火をつけたいと思っていないのは私ひとりではないのだと思うわ」

 カツタカ・フィシントリが何をしようと思っているのか、ウェイタは何も知らなかった。けれど皇帝にトレゾン侵攻を思いとどまらせることができる人物がいるとしたら、それはあの女性だろう。そして思いとどまらなかったら? その結果何が起こるかを考え、ウェイタは震えた。

 まもなく、内紛に突入するのは薄暮の軍団だけではなくなるのかもしれない。

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アート:Tyler Jacobson

マルコム

 何本もの洞窟を這い上がるのは、下るよりも厄介だと言えた。下っている時は、下の町を襲った運命の生存者を見つけられればと願っていた。だが帰路では、沢山のことを知っていた。謎は解明されたが、あの地下都市は無人のままだった。以前の住民の仕事を引き継ぐ新たな住民がいつやって来るのかもわからない。

 アマリアとケランに別れを告げると、彼とブリーチェスは疲れて汚れた身体で陽光湾に辿り着いた。風呂と柔らかな寝台の夢がマルコムを嘲った。ヴァンスに報告し、死者や行方不明者の家族に知らせ、その後は失敗の味を口から洗い流すまでエールジョッキの底に溺れることになるのだろう。

 俺はいつになったら学ぶんだ――道の真ん中で立ち止まり、嵐がうねる空を見上げてマルコムは独りごちた。

 陽光湾は下の町と同じように見捨てられており、帝王マイコイドの痕跡が同じように残っていた。焼け落ちた建物に魔法で焦げた壁、捨てられた物品、腐った食べ物。そこかしこの亀裂からキノコが生え、暗い隅に群生し、胞子を宙に吹き上げ、悪夢の中で永遠に見ることになるだろうとマルコムが覚悟していた恐ろしい緑色に輝いていた。

 波止場には一隻の船も待っていなかった。感染する前に乗組員たちが逃げ延びたことを願う一方で、マルコムは最悪の事態を怖れた。海賊ひとり、密航者ひとりが感染しているだけで、あの厄介ものは広がり続けるはずだ。

「孤高街へ行かないと」マルコムはブリーチェスに告げた。「警告しないといけない。もう手遅れかもしれないが」

「オオブネか? コブネか?」ブリーチェスが尋ねた。

「船なら何でもいい。行くぞ。海沿いの入り江でなら見つかるかもしれない」

 見つからなかったらどうする? それでも進み続けるのだろう。次の港で船を借りる。太陽帝国のどこかの村まで飛ぶ。オラーズカに戻って、この世界がまたばらばらになりつつあるなんて嘘だと言い張る。今はまだ止まらない。多分この先も。そうしたなら、あのキノコに追いつかれてしまうだろうから。

 空が崩れ、廃墟の町に温かな雨が降り注いだ。マルコムは顔を上げて雨水で羽根を洗い流し、考えた――この先いつか、本当に汚れを落としたと感じられる日は来るのだろうかと。


アマリア

 イクサラン大陸の標準から見ても、アマリアとケランが見つけた島は緑豊かで、分厚い壁のような密林に海岸線のすぐ近くまで覆われていた。その島へとふたりを運んでくれた商船から降りると、靴の下で柔らかな砂が沈んだ。

「本当にここがそうなのですか?」アマリアが尋ねた。

「ほとんどは感覚だけど」ケランが言った。「僕の幸運は尽きてないよ。本当に必要な時はね」

「間もなくわかるのでしょうね。どちらにせよ、ケランさんの旅は続くと」

「きっと」ケランは頷いた。「ここで諦めたら、僕は何者なんだってなりますからね」

 何者。本当に何者なのだろう、アマリアは訝しんだ。探検の衝動が彼女自身をこの場所に導いたが、今も不安と疑問が自らの内にあった。海がそれらを流してくれたと思っていたが、ただ目をそむけていただけだった。

 そして、引き返せない時はまもなくやって来る。

 ふたりは密林の中を曲がりくねる未舗装の小道を見つけた。木漏れ日が地面にまだらの影を描き、花咲く蔓や枝の屋根が日陰を作っていた。

 彼らは巨大な倒木を使って谷を渡った。その脇には滝があり、霧のように細かな飛沫に虹が浮かんでいた。そして谷の先、背の高い草に覆われた原野の中央に、ふたりは探していたものを見つけた。

 奇妙な円がうねり、光が渦巻いていた。直径は人間の身長ほどで、まるで壁に貼られた絵画のように、ずれることも動くこともなく地面の上に浮かんでいた。

 ケランが囁いた。「これです。領界路」

「大丈夫なのですか?」アマリアが尋ねた。「どこへ通じているのですか?」

「わかりません。前に通った領界路はこの次元に繋がっていましたけれど、今回はそんなに優しくないかもしれません」

「もっと悪いところに繋がっているかもしれないと? 腹を立てたゴブリンや豹人でいっぱいの洞窟よりも悪いところに」

 ケランは肩をすくめた。「そうじゃないといいなって思います。けれど願いは畑で育てて実るものじゃありませんから」

 焼けつく日差しの中、ふたりはうねるポータルを無言で見つめた。

 アマリアがケランを見ると、彼は見つめ返していた。「どうしました?」彼女は尋ねた。

「本当に、僕と一緒に行くんですか?」彼は小声で尋ね返した。「ここはアマリアさんの世界です。家族も、友達もいて、ずっと大切にしてきた色々なものも。本当にそれを置いていくんですか?」

 アマリアが目を背けていた問題が、今や巨大な、そして避けられないものとして迫っていた。ケランの面倒をみると約束したが、間違いなくその義務はずっと以前に終わっていた。彼はもう大人であり、保護者など必要ない。ケランの探索行はケランのものであり、彼女が同行する必要などないのだ。

 けれど彼女は探検するために、新たな場所を発見するために、新たな物事を学ぶために家を出たのだ。そう、国の人々の力になりたかった。そのためアクロゾズがもたらすかもしれない嵐について、家族やミラルダ女王への伝言を女王湾会社の生き残りに託していた。とはいえ、自分が信じた神と――かつての神だろうか――その片意地な信徒たちとの不和を見たくはないと強く願う自分自身がいるのも確かだった。あの神が掲げる血と征服の教えに自分は迎合できなかった。その実現を目にする前にここを離れたかった。

「覚悟はできています」アマリアはきっぱりと言った。自身の意志の固さが本物であると感じられ、嬉しく思えた。「ケランさんが良ければ、いつでも」

 ケランは彼女の手をとった。心地良いほど温かな手。親指から伝わってくる脈拍が、かすかに速まったと彼女は感じた。

「念のために言いますけれど。どこに繋がっているかはわかりませんよ。ここよりもいい場所とは限りませんからね」

「ここよりも悪い場所、例えば?」

 ケランは肩をすくめ、えくぼの笑みを彼女に向けた。「巨大なガチョウがいるとか?」

 アマリアは声をあげて笑った。この数週間で一番心が軽く思えた。それ以上の言葉はなかった。ふたりは領界路に飛び込み、そしてすべてが変化した。


クイント

「居留地の末端」とオルテカが呼んだその場所は、山の中腹から突き出た巨大な半円形の遺跡だった。層状の構造と尾根のような隆起にもかかわらず、まるで一枚の金属から鋳造されたように見えた。オテクランで見た暗夜戦争の遺跡の大きさを思えば、これほど巨大であるのも納得だった。それらはオラーズカ地下の洞窟探検にて、最初に発見したあの死体にそぐうものだった。将来の研究のため、誰かがあれも同じように保存してくれていることをクイントは願った。

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アート:Adam Paquette

「入植者たちだ」説教者が彼に言った。彼らの話によれば、かつて巨人たちが空に現れ、チミルの光を消して金属製の牢獄に閉じ込めたという。時に伝説というものは語り継がれるにつれて誇張されていくものだが、実際に太陽の牢獄を目にしたとあって、オルテカは事実を語っているとクイントは考えるようになっていた。

 彼らはまた、居留地の末端は危険であり、完全に探索はされていないため近づかないようクイントに警告していた。とはいえどのように気をつければいいかを彼はよく知っていた。アステリオンはザンタファーの探検から生還できなかったが、クイント自身は十分に注意を払っていたためにそれができた。歴史学的研究の利益のために見逃してきたとはいえ、自分も独りでここにやってきて、アステリオンと全く同じことをしようとしているのは間違いない。

 スカーフの緩んだ端を襟の中に押し込み、クイントは登り続けた。間もなく彼は廃墟の側面に到達し、その壁は彼の身長の十倍以上にそびえ立っていた。その規模について必死に考え込むよりも早く、彼はまさに自身をイクサランへと導いたものを見つけた――他の場所で発見したものと同じ、コインの意匠を描いた浅浮き彫り。次第に高まる期待とともにその模様を辿ると、開いた戸口に辿り着いた。日光が斜めに差し込み、外装と同じ金属質の素材でできた部屋を照らしていた。

 クイントは背負い袋から光球を取り出し、遺跡の地図の作成に取りかかった。これまでに探検してきた遺跡とは異なり、ここは不気味なほど生気がなく、山の気候から予想されるよりも寒かった。奥深くへ進むほどに、響き渡る彼の足音の下で床を覆う土や埃は少なくなっていった。錆びの原因となる水の浸入はなく、隅にもカビは全く生えていなかった。どのような墓所よりもここは固く封じられていたのだ。

 そして居住者の痕跡もまた何もなかった。背の高い長方形の物体がクイントの上にそびえ立っていた――おそらく家具であり、その製作者に合わせた大きさなのだろう。彼はそれをよじ登ることを考えたが、地図を完成させる方が先だと判断した。

 クイントは部屋から部屋へと歩き、空間の寸法を測り、それらを巻物に記録していった。傾斜路が他の階へと続いていた――好奇心をこらえ、彼は次の階に進む前に現在の階の探索を終えた。上か下か? 彼は持ち歩いていたコインを取り出して弾いた。

 下。

 下の階は最初の階とよく似ており、天井が高く、より沢山の家具が置かれていた。だがその他には何もなかった。ここにいた人々はどうやって生きていたのだろう? 食事はしたのだろうか? 睡眠は? ここを立ち去る時に所有物をすべて持って行ったのだろうか? それはまるで、綺麗に肉をこそげ取られた巨大な生物の骨を見つけて、その瞳の色を推測しようとしているようなものだった。

 とある角を曲がったところで、クイントは驚いて立ち止まった。他のあらゆる部屋とは異なり、この部屋には巨大な水槽らしきものが長い列をなして並んでいた。前面のガラスは粉々に砕け、破片が床に散らばっていた。そこに溜められていた液体あるいはガスは何であれ、遠い昔に流れ出すか蒸発してしまっていた。そして部屋の中にそれ以外の物品は何もなかった――意図的に壊されたか、生存者によって持ち去られたのかもしれない。

 クイントは溜息をついた。解明するよりも謎が増えていく。いつもそうなのだ。

 光が反射したきらめきがクイントの目にとまった。列の最後尾、水槽のひとつは割れていなかった。いかにして残っていたのだろう? オテクランに戻ったなら説教者に尋ねるべきかもしれない。

 彼はゆっくりと近寄り、ガラスの中を覗き込んだ。だが曇っていて中は見えなかった。何かが入っているのだろうか? 彼はハンカチを取り出して表面を拭き取り、中がよく見えるように両目の脇に手を立てて顔を押し付けた。

 低い金属音とともに、水槽に明かりが灯った。

 クイントは緊張した面持ちで後ずさった。自分は何をしてしまったのだろう? 何が起きているのだろう?

 水槽の中で煙っぽい空気が渦を巻き、ゆっくりと消え、巨大な生物の体が姿を現した。その背はとても高く、クイントが立つ場所からは頭部を見ることができなかった。灰色の皮膚に覆われた太い脚と、先端が鉤爪になっている手だけが見えた。

 なんという発見だろう! この標本はオテクランにあったものよりもずっと保存状態が良い。けれどどうやって運べばいいだろうか? まずは皆のところに戻って、これを運び出すための――

 その生物の指がぴくりと動いた。そして曲げられ、伸ばされ、固い拳が握りしめられた。

 いや、やめよう。逃げるべきかもしれない。すぐに。今すぐに。


帝王マイコイド

 ひとつの心は全、全の心はひとつ。

 機能するために直接の指示を必要とする身体もあれば、自らの意思で行動可能な自律性を獲得したにもかかわらず、祖の意志に従う身体もあった。他よりも強情で服従を拒否する身体もあった。それでよい。更に多くの身体が形成または同化される可能性は常にあるのだから。

 地表の密林に建つ神殿遺跡に吸血鬼が群がり、植生を伐採して野営地を築いていた。その中のひとりが膨らんだ胞子嚢を剣で突いた。胞子の雲が放出されてハエのようにその皮膚に付着した。まもなく、その吸血鬼は木々の背後から見つめるものに加わるだろう。他の者たちも。

 下の町から逃亡した海賊たちは、顔を覆いながら陽光湾をさまよっていた。彼らは多くの者の間を渡り歩き、それぞれが異なる視点を、異なる知識の流入を、感覚的投入を与えた。彼らは同化を拒否し、それは不可解で苛立つものだった。だがそうなった。彼らは手に入るはずの効率性を理解していないのだ。

 オルテカとの戦いはひとつの教訓をもたらした――大掛かりな行動に失敗しても、密やかな行動に成功する時もある。ひとつの新たな身体が船の――船というのは便利なものだ――甲板に立ち、次第に近づく孤高街を見つめていた。この個体は暗いレンズに覆われた両目以外、元の形状をほぼ残している。隠れ、もくろみ、広まるのが良い。

 十分な時間をかけたなら、すべてが屈服するだろう。すべてが加わるだろう。支配されるだろう。新たな太陽の光が、既に地表に広まりつつあるカビと傘を温めていた。

 すべての茎が燃やされようとも、さらなる数が伸びる。発展は必然。ただ時と忍耐が、そして更なる身体があればよい。


アクロゾズ

 その船倉には絶望が漂っていた。暗闇の中で生贄たちは虚ろな目を見開き、その時を待っていた。心は折れ、希望は失われていた。まもなく、信者たちが滋養たる美酒を味わうために降りてくる。さらに重要なことには、その最高の一口を覚醒したばかりの神に捧げるために。

 塩だらけの狭苦しい場所に押し込まれながらも、あれほどまでに長い幽閉の後に得られた自由は、想像をはるかに超える喜びだった。

 アクロゾズは翼を伸ばしたかった。空を舞いたかった。狩りたかった。

 まもなくこの船はトレゾンに到着する。永遠の命を約束する羊飼いを待つ羊の国。オルテカとその不出来な地上の子孫らとの戦いを生き残った者たちは、神の軍の将軍として仕えることになる。彼は子供たちの中で最も強い者たちを列聖し、自らが思い描くより完璧な姿へと作り変えるつもりだった。

 彼が誰よりも渇望する吸血鬼がひとりいる――反逆者、ヴォーナ・デ・イエード。あの娘は彼の下等な創造物が語る誤った教えを拒否し、真実への道を見つけ出した。ヴィトは敗北した。あの者はやがて忘れ去られる。だがヴォーナは? あの娘を腹心とし、我が意志が成就する様を見届けよう。

 ひとたびトレゾンを手にしたならチミルのもとへ戻り、今度こそ消し去るのだ。

 アクロゾズが不吉な一つ目を開くと船は軋み、揺れ、船倉は赤い光に包まれた。生贄たちは悲鳴をあげ、恐怖にうめき、太鼓が叩き鳴らされるように血管がその身体に脈打った。それが止んだ時には惜しいと思うほどに、アクロゾズにとっては実に甘美な音楽だった。

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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