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MAGIC STORY
久遠の終端

第11話
2025年7月7日
Revision15 巨人と飢えたもの
サミは叫んだ。「あれは何だよ!」
「エルドです!」チェックメイト・マンティスが甲高い声で答えた。3人をその異質生物から遠ざけるべく、生き残った最後の戦闘メカンが彼らを掴む。そして無限導線の第三ドッキングアームの中央シャフトへと飛んだ。
「何の説明にもなってませんよ!」
その何物かは3人の背後を通過した。大きなジッパーを開けるような音、緩んだレールを走る列車が振動するような音。砕氷船が血栓の塊を突き破るような音。
メカンたちは最先端のピナクル製エフェクターで、分子レベルの精密さを誇るビームで、そして貫通力に優れた成形爆弾でそれを切りつけた。傷はつけたかもしれない――肉が切り裂かれ、白骨が吹き飛ばされる――だがそれは奇妙な空間的方向に回転し、するとそこには無傷の新しい肉があった。
メカンたちはグラフの塊へと変えられた。
「古いものだ」タヌークはうめき声を上げた。「エルドってのは、古くて掘り出されたものって意味だ。カヴァーロンの中から出てくるものみたいに」
「いかにも! 古いものです。お分かりでしょうが、ピナクル宙域は何もかもが新しすぎるのです。若すぎるのです! 今頃、宇宙は生命に溢れ、それらに支配されているはずでした――なのに私たちは静かで孤独な星々で育ちました。ですが時々、非常に古いものが見つかります。そしてドリックスがやってきて……」
「今そのドリックスに現れて欲しいんだけど!」サミは吠えた。
前方でシャフトの壁が白亜へと変化した。
突然、別の異質生物が進路に現れた。
先程のものとは様相が異なっている。長く隆起した頭部を痣のような紫色の網状組織が覆い、枝分かれした肢を束ねている。サミは気づいた――その網と、自分たちを追いかけてくるものが残したグラフとの間には共通の論理がある。だが同時に、それが自分たちを食らおうとしていることにも。
反射神経に優れるメカンは即座に方向転換をした。
それは横方向の突起を通って中央シャフトからジグザグに動き、半ば空の巨大な格納庫へと出た。背後で非常用隔壁が勢いよく閉まり、スポットライトが点灯する。格納庫の中央には、セリーマ号と大差ないひとつの船体が防護網の中に漂っていた。修理中か、航行の障害になるため解体中かのどちらかだろう。
「悪い兆候だ」サミは呟いた。
「原子炉があるな」とタヌーク。「核融合推進装置はどれも熱格納容器に入ってるが、核分裂炉は無傷だ……」
「武器を作りたいのですね?」可能な限り柔らかに、チェックメイト・マンティスは鳴いた。「ですが私たちの武器は通用しません」
「理由はわかる、簡単だ」タヌークが言った。ありがたいほど安定した集中力で、タヌークはこの戦いを分析していた。カヴはそれができるよう進化してきたのだ。原始の時代、惑星カヴァーロンの巨人たちに踏みつけている間にも考え続けられるように。
「これに対応する集合体自我を私は持ち合わせていません」チェックメイト・マンティスは認めた。
「怪物の殺し方なんて誰も教えてくれなかったよ」サミも言った。
「ああ、俺もだ。でも基本的な仕組みはわかる」タヌークは音を立てて作業用の鉤爪を開閉した。「俺たちの武器があれに当たるたびに、少し切り裂かれる。あるいは少し吹き飛ばされる。でも大部分はそこにはない。どこか別の場所にある。もしかしたら薄層の中に埋まってるのかもな。ちょっとしか見えないのに、どうやって残りの部分を攻撃すればいいんだ?」
「燃やすのです!」チェックメイト・マンティスが声を震わせた。「毒を与えるか、酸をかけるか。そうすれば連鎖的に攻撃できます!」
「感電させろ!」サミも言った、セリーマ号での80件以上の感電を思い出しながら。
「どれも効きそうだな。ただ必要なのは……」
非常用隔壁が崩れ落ちた。背後のシャフトから何本もの触手が伸び、目に見えない味の勾配に沿って格納庫の中を進んでくる。
「時間だ」サミはタヌークの言葉を言い終えた。
「あなたは仕組みをわかっているのでしょう」チェックメイト・マンティスが言った。「私の方が代替可能です。私があれを誘います。行きなさい」
そして抗議する間もなく、メカンはサミとタヌークを船体へと放り投げた。
ピナクルは攻撃を受けていた。
この巨人は温厚だ。必要に迫られない限り武器を振るうことはしない。贈り物、賄賂、嘆願、取引、甘言、差し止め、そして強制の方を好む。
だが無限導線へと災厄が解き放たれていた。その広大な空間には穴が開けられ、不完全な物質がその中を駆け巡っている。そして今、ソーラーナイトと重力死の聖騎士たちを満載した搭乗船がウイルス体のように襲来していた。彼らは敵からの激しい迎撃を突き抜け、無限導線の青く広大な横腹を粉砕して好戦的な乗員たちを送り込もうとしている。狙いはセリーマ号と、セリーマ号の唯一の脱出手段である久遠の柱の制御だ。
心穏やかな巨人でも、これは我慢の限界を超えていた。
無限導線の主動力は失われたかもしれない。その神経は切断されたかもしれない。だがこの巨人に当てはまる言葉がひとつあるとすれば、それは――「非集中」だ。
基地の至る所で、ピナクル戦術実行組織体の隊員たちはそれぞれ独自に判断を行い、同じ決断を下した。「この暴力行為の代表者を放り出せ」
無限導線の各所に点在する集積所からアークジェットが放たれ、メカンたちを解き放った。それらはエフェクターや不気味な戦闘用アンテナを沢山生やした両軍の軍艦に飛びかかっていく。小石ほどの大きさのものもあれば、切断機のような、あるいはフリゲート艦のようなものもある。才能なきものへの贈り物だ。
それらは去勢鋏のように信仰の軍艦へと襲いかかった。
狙う場所はあらゆる戦闘艦の最も脆弱な部分――放熱器だ。それを切り離せば、戦闘の熱は逃げ場を失って艦自体へと向かう。そして自ら融けるか、降伏するかだ。
だがサミズム戦闘艦の冷却機能である溶融金属の循環路を塞いだり、燃え盛る放射板を塗りつぶしたりするのは容易ではない。モノイスト戦闘艦の、船体奥深くの装甲磁気孔に埋め込まれた特異点ヒートシンクを破壊するのも容易ではない。
そして無限導線自体には、暴力を逃がすヒートシンクは搭載されていない。従って戦争の当事者同士は衝突した。
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| アート:Cristi Balanescu |
ここでついに、聖戦を切望していたサンスター騎士団と重力死の聖騎士たちが、鍛冶場の鎚のように激突した。
カタリン卿という女性がこの戦いに参加している。マレディクトの戦いにおける英雄だ。彼女は総和の褐色矮星的な側面を崇拝している。粗末な、星の失敗作――だがその中に揺るぎないものを持っている。隊列を維持できなくなった彼女は、従者と光電歩兵たちの先陣を切った。突撃する先はモナステリアットに愛される、命運の鎧をまとう“間引く者”だ。
第三ドックの基底部で両者は激突した。だが“間引く者”の特攻兵であるヤムノが、狂乱した意志に駆られて至近距離から素早くふたりの間に割って入った。寡黙なカタリンはその男を焼き尽くした。熱は一瞬にして冷え切り、ビームは一撃でそのアーマーを破壊する。アレイビル金属でそれを止めることはできない、ゆえに「事象」と呼ぶ。ヤムノは無情にも倒れ、そのアーマーが音を立てた。
“間引く者”は、命運の鎧をまとうモノイストは、集中の逸れたカタリンをその潮汐力で掴んだ。光電歩兵が槍を放つも、相手の装甲はその武器を跳ね返す。重力死とは重力による死を意味するが、死に引き寄せられる場所を表すもっと簡単な言葉がある。「墓」だ。“間引く者”のことは「墓の殺し手」と呼ぶのがいいだろう。この男は敵が死期を迎える前に殺す。周囲全体が、この男の墓が引き寄せる重力によって振動した。
カタリン卿の従者、若きイシドールは騎士の危機を目の当たりにした。彼は鏡細工師の家に生まれながらも、戦火の血と火花をその鏡に映すために選ばれ、主の傍らに寄り添ってきた。彼の過ちは、それは善なる本性からではあるが、騎士の傍に留まり続けたことだった。運命の拳がすべてを掴む。かつて母が、鏡を磨く技を教えてくれた。だが今や彼は平らになるまで潮汐力に削られ、外皮を剥ぎ取られてしまった。引き伸ばされ、切断され、目に見えない球体に包まれて砕け、その悲鳴は混沌壁と沈黙壁にまで届く。
無限導線は至る所でこのような様相だった。戦争だ。どちらが勝っているのかは誰にもわからないが、ひとつだけ確かなことがある。
乱戦の中、宇宙から到来した飢餓がうねり、食らう。光電歩兵とピナクルのメカンを食らう。サンスターの騎士たちを、アーマーで身を固めたピナクル戦術実行組織体の執行部隊を食らう。避難警告に従わなかった愚か者や、ピナクルに加勢するために留まった友軍を食らう。
だがそれはモノイストを貪り食らってはいない。
ひとりとして。
この飢餓はポテンシャルを食らうのだ。それはやがて多くのものになる能力。そしてモノイストたちが崇拝するのはただひとつ。
言うまでもなく、賢い巨人であればその法則に気づくはず――時間と感覚があれば。
Revision15 よりよい総和
「時に、あまりにもひどい失敗をしてしまうことがある」ヴォンダム卿は言った。「取り返しのつかない失敗を。そういう時は、自分の人生にそれを記録するしかない。私はそうしてきた。上手くいった時はその前に、失敗した時はその後に。謝ってもどうしようもない。正すこともできない。ただ失敗と共に生き、二度と失敗しないように努力するしかない。殺してくれと君に頼まれたあの時、そうすべきだった。だが私はしなかった。できなかったのだ。だから私も君も、その失敗と共に生きねばならない。これが私からの教えだ。聞き入れてくれるだろうか」
ハリーヤは言おうとした――アルファラエル、ここから出てセリーマ号に戻って、あの石を使って!
だが口から発せられたのは一言だけだった。「閣下……」
「誰にでも欠点はある」ヴォンダム卿は言った。
アルファラエルは動こうした。ヴォンダムは一瞥もせず、アルファラエルがまとう分厚いブーツをそのアーマーから切り落とした。カヴのアーマーはヴォンダムが放つ輝きに耐え切れなかった。合金はたちまち劣化し、巨大な高摩擦・低圧足裏パッドが外れる。無重力状態の中、アルファラエルは四肢を振り回しながら操作盤へと倒れこんだ。切断されたアーマーの足首から、靴下をはいた踵が哀れな様子で見えていた。
「誰にでも欠点はある」ヴォンダムは繰り返した。「それを乗り越える道を選ぶことはできる。だが選択には呪いもつきまとう。誤った選択も許してしまうことだ。そしてあの忌異は――終焉の石は――最悪の選択を見つけ出す。それを私たちに押し付けることもできる。そしてそれができない時は、私たちがさらに大きな失敗を犯す必要がある時は、私たちを傷つける武器を見つける。君のように。そうだろう? 私の脳に穴を開けた君のように」
ヴォンダムはアルファラエルに向けて話していた。
「閣下」ハリーヤは声を絞り出した。「それは閣下の選択ではありません。私の選択です。終焉の石を持ち帰らなかったのは私です。閣下の責任ではありません」
「そうだ。それは君の過ちだった。だからこそ、君を殺すのが私の責任だった。だがそれは果たせなかった。愛が義務を凌駕したために。従者よ、その過ちからひとつでも善いことを生み出そうではないか」
ヴォンダムは手甲の片方を彼女に向けて開いた。その下の皮膚に巻かれた聖布が見えるようだ――聖なる包帯、故郷惑星で冬に作られたミイラのそれのような。
「戻ってこい」嘆願するようにヴォンダムは言った。
ああ。心からそうしたい。
「君は私が育てた中でも最高の従者だ」
それは真実だ。ヴォンダムはそう考えているとスラッツ艦長が言っていた。
「あの石へと向かわせていなければ、君は私よりも優れた騎士になっていただろう。だが石は君を掌握した。私たちはふたりとも失敗した。私の代わりに君を行かせたのは私の失敗だった。そして私たちのせいで、石が私たちの中に見出した弱点のせいで、石はここまで辿り着いたのだ。逃亡寸前まで。何千という信者、何千という無辜の者たちが、私たちのせいで死んでいく。その責任を取ろう。信仰に立ち返ろう」
「閣下……」
できない。拒否はできない。
けれど、拒否しなければならない。
自分の選択を受け入れ、それを貫かねばならない。変えることのできない自分自身の必然的な結果、自分の選択としなければならない。
なぜなら、それが自分の選択でないなら、変えられるなら、それはあの石の選択ということになるから。
ハリーヤの心には愛があった。ヴォンダム卿のもとへ行きたいと叫んでいた。
「閣下。私は理解しています、なぜ自分がああしなければならなかったのかを。総和です。私たちは総和を、人の力を超えたもののように扱います。ですが閣下――」ああ。そうだ。ようやく言葉にできる。どう言えばいいのかがようやくわかった。
「総和の算出結果には私たち自身の選択が含まれます。そこには私たち自身の、先の選択も見込まれています。閣下が、総和を増やすという名目でカヴの虐殺を選んだのだとしたら、そして私の目にもそれが明白だったとしたら、私は服従と栄誉をもって報います。終焉の石を騎士団へと持ち帰り、冠主へと捧げます。そうすることで、私は総和の算出結果を変えます。何千というカヴの死を通して、勝利へと導く道を切り開きます。
「ですが私は思うのです。総和が増大していく過程で、何千という無辜の者の死を越えていくべきではないと。曙光が無力な者や小さな者を焼き尽くすわけがないのです。ならば数千という人々を虐殺したなら総和が減少するように、私がその減少の原因となります。自らの選択によって総和を修正します。従者が反逆しても、総和は増大しません。それは総和の中にあるはずなのです。
「私は、あの石を持ち帰って英雄になるつもりなどありません。閣下、私は信仰に心を尽くしています。総和の義務に。閣下に。ですがフリーカンパニーが、何千というカヴの死を越えて目的を達成する道を見つけることは許容できません」
「舌だ」
「はい?」
「君を殴る時に、舌を噛まないように気をつけるのだな」
アルファラエルが壁から離れた。アーマーの足が切り落とされていようとも、その不完全な足で彼はヴォンダムへと突進した。
ヴォンダムが彼の前に立ちはだかった。「慈悲を与えただろう!」
卿はアルファラエルを切り捨てるつもりなのだ。そしてハリーヤは、無力な男が切り捨てられる様を見たくはなかった。
彼女は腰から長柄のブラディエーターを抜き、ヴォンダム卿を払った。アルファラエルはその横を過ぎ、壁に激突した。
ヴォンダムはヘルメットを閉じた。
「従者ハリーヤ」かろうじて絞り出したような声。「サンスターの同志として不相応な行為、及び総和への甚だしい侮辱のため、フリーカンパニーの騎士としての権限により、君を破門する。従者としての君を照らす光は消える。私への奉仕を禁ずる。騎士への道は閉ざされる。アーマーを脱ぐがいい。傷はその下にある。従軍の勲章を外すがいい。もはや意味を持たない。武器を差し出すがよい、それは信仰を傷つけたのだから。私の言葉が理解できるか?」
血管が脈打つ音が聞こえる。彼女はかろうじて声を発した。「はい、閣下。理解しております」
ヴォンダムは自分をフリーカンパニーから追放した。
自分は、殺されるほどの力でヴォンダムに殴られることを許したのだ。
そして張り裂けそうな心で、無益だとわかっていながらも、ハリーヤはひとつの選択をした。
もし終焉の石を持ってカヴァーロンを離れたことが間違いだったとしたら、それは自分自身の未来を捨て、何千人もの命を奪うこの戦いを無駄に引き起こしたことを意味する。それを真実だと認めることはできない。そんな現実に生きることはできない。自分の選択が正しかったと信じる道を選んだのだ。そうでなければ破滅してしまうから。
だからこそ、この選択が正しいものとなる。
Revision15 ふたつの計算
あの怪物はチェックメイト・マンティスとその戦闘メカンを追っていった。サミとタヌークは20秒ほどの猶予を与えられた。
「ケーブルだ!」タヌークが叫んだ。「原子炉は稼働させた。動力も供給されてる。次に要るのはPTSメインケーブルだ!」
ケーブル、ケーブル……サミが見る限り、未使用のケーブルは一本もない。この作業現場は散らかりすぎだ! 格納庫を取り囲む足場には熱格納容器や停滞容器が取り付けられている。工具や予備部品はそこに入っているはずだ。そのうちのどれかに予備のケーブルがある!
サミは推進装置を駆使して容器から容器へと飛び移り、開けては閉めていった。中は中性子で腐食した原子炉遮蔽物が満載で――
頭上にひとつの影が伸びた。格納庫の鋭い投光照明が投げかけた影。
それは戦闘メカンの部品を三次元化したグラフだった。あの異質なものに食われてしまったのだ。
チェックメイト・マンティスはおそらく死んでいるか、あるいはもっとひどいことになってしまったのだろう。美しい女性だと思ったのは間違いだったかもしれない。けれど自分が間違っていることにしておこう。
「気をつけろ!」サミは叫んだ。「あの化け物が向かってきてるぞ!」
「俺は大丈夫だ! ケーブルを早く!」
熱格納容器は放射線で汚染された金属で満たされており、漁っても意味はない。サミはひとつの停滞容器に飛びついた。計時器によると10年以上も閉じられている。ラベルには「禁制品、密封、種別不明。慎重に処分してください」とある。
サミはそれを解除し、開けた。ヘッドランプが中を照らす。
緑がかった金色の、一対の目が輝き返した。
サミの心臓は一拍も止まらなかった。飛び跳ねた。
橙と茶色の猫が毛を逆立て、停滞容器の奥にうずくまっていた。その唸りはかすかな鳴き声となって格納庫の薄い空気を横切る。その髭は白く長く、とても無遠慮だ。
「ミリー?」サミは唖然としたまま言った。
そうだ。ミリーだ。艶やかで、健康的で、本物の。ああ、ようやく見つけた……一日も老けていない。停滞容器の中にいたのだ。セリーマ号で何かに驚いて虚空間渡りをして、セリーマ号によく似た船に行きついて、そこの停滞容器の中に出たのだ。だから戻って来られなかったのだ。時間が凍り付いていたのだから。そしてその船はソセラのほとんどの民間船がほぼ必ず行きつく場所、つまり無限導線で修理か解体されることになった。けれど誰もその停滞容器を開けなかった、何故なら誰も中身を覚えていなかったから――
ミリーは無事だ。大丈夫だ。自分自身がセリーマ号を離れたことすら知らない。サミが何年も自分を捨てていたなんて思っていない。
サミはヘルメットを開いた。
ミリーは身体を強張らせた。
「シーッ」サミは囁いた。「大丈夫。私だ――」
恐ろしい音が聞こえた。あの怪物が近づいてくる。
ミリーは鳴き声とともに姿を消した。虚空間を渡ったのだ。
「そんな!」サミは悲鳴をあげた。「駄目だ、行くな、ミリー!」
「船長!」タヌークが怒鳴った。
「ミリーがいたんだ。ここに。まさに今――」
「あれが来るぞ!」
サミは泣きながらも、次の停滞容器へと飛び移った。もしかしたら、この中に……
ミリーはいなかった。その容器は稼働すらしていなかった。
だがその中には、標準型の動力伝達ケーブルが新品同様の状態で保管されていた。
「あったぞ!」サミは振り返り、ケーブルの片端をタヌークに投げつけた。そしてもう片端を停滞容器の壁に固定し、線状レイピアでコネクタを叩き落とす。超伝導コアは雷撃を予感させる輝きを放っている。サミはケーブルのさらに奥の絶縁体にレイピアを突き刺し、箸で巨大な麺を掴むように持ち上げた。
停滞容器の底がパズルのように分かれた。白くも飢えた何かが照明の中に光る。あの異質なものがここにいる。
「繋ぐぞ!」タヌークが怒鳴った。「船長、感電するぞ!」
サミは悲鳴をあげなかった。代わりにレイピアを停滞容器の中央へとまっすぐに突き刺し、それは骨板に命中した。レイピアがケーブルを押し出す。接触によりケーブル内の超伝導体がショートし、その間に電流が跳ねた。
驚くほどのノイズ音。一筋の閃光。あの怪物の身体を貫くエネルギー。それは複数の座標方向に痙攣し、沢山の肢が回転して現れ、また消え、そこにないものへと掴みかかる。紫色をした巨大な水かきの袋が脈打つように痙攣し、青と赤へと破裂する。蒼白の肢に炎が広がり、サミの頭には収まらない形を描いていく。
「いいぞ!」タヌークが吠えた。
もう一体が横からサミを攻撃した。
「いいぞ」ヴォンダムは穏やかに言った。
ハリーヤはヴォンダムを攻撃し、彼はそれを胸で受け止めた。だが威力は十分ではなかった。騎士のアーマーは指向性エネルギーにも耐えられる。そうでなければアーマーとは言えない。
ハリーヤは、勝つためにはそのアーマーを切り開かねばならないだろう。
ヴォンダムは反撃した。狙いを定められたところで彼女は旋回し、ピナクル装備の頑丈な計器とマントの反射板を盾にした。それでも攻撃は当たり、だが生き延びた。
ヴォンダムは、勝つためには彼女を切り開かねばならないかもしれない。
更なる攻撃がハリーヤに向かってきた。
ふたりは訓練場で戦った時と同じように戦った。それが最悪なところだった――何ら変わりないのだ。ヴォンダムの鋭い攻撃には、復讐心も冷酷な憎しみもない。彼はまだ従者を愛しているのだ。従者もまた。
卿は直線的な動きで、まっすぐに彼女へと向かった。ナイフ攻撃は通常、もう片方の徒手による掴みと制御とともに行う。だがヴォンダム卿に徒手はない。もし卿が攻撃範囲に入ったなら、秒速11回(訓練中の平均的数値)の刺突を受けてアーマーが壊れてしまうだろう。
ならば自分は反対の動きをするべきだ――長柄武器を用いて距離を保ち、迫りくる相手を受け流す。だがそれでは、この戦いにはいずれ負ける。時間を稼ぐことはできるため、長く生き延びられはするだろう。けれど勝利には繋がらない。やがてヴォンダムは自分を追い詰める。
真っ当な戦いで卿を打ち負かしたことは一度もない。できるわけがない。ヴォンダムは自分よりも何十歳も年上であり、長年に渡って実戦をこなしてきた殺し屋なのだから。
だが、卿はいつも言っていた――
「誰でも、戦いに負ける可能性がある。ひとつの戦いは単調な力の試練ではない。ひとつの戦いはひとつの事象、複雑なものだ。10回戦えば13の物事が起こる」
「戦いは人生と同じだ。何が起こるかを知る唯一の方法は、戦うことだ。だから私は戦いが好きなのだよ、ハリーヤ」
彼女は円形の動きを選択した。ブラディエーターを繰り出し、なぎ払う。反射板のマントが旋回する。動きは横向きに、カニのように――だがこの管制デッキは格子のように配置されている。接近と退避を促す線。ヴォンダムにとっては絶好の戦場だ。
「君を殺すことはできない!」ヴォンダムは吠えた。互いの間を武器で払うと、内部を破壊された機械から炭素結晶がこぼれ落ちる。「君もそれはわかっているだろう。私もだ! 死なない程度の傷を君に負わせるだけだ! 従者よ、私は頭に穴が開いても生き延びた。アーマーに穴が幾つか開いたとしても、君も生き延びることはできるはずだ!」
穴。そう、穴だ。
「閣下、妙案に感謝します!」彼女は叫び返した。
ハリーヤは通路を駆け下り、別のピナクル集中管制区域まで退却した。アーマーの投射装置を起動し、周囲の金属から火花が散る。自分自身の姿が見える。銀と灰色をまとう小さな、愛すべき姿が花火のフィールドへと消えていく。そしてアーマーが別次元での戦闘を知らせた――ヴォンダムもまた投射装置を作動させたのだ。互いのエネルギーを打ち消そうと、熱点を作り出して相手のセンサーを妨害しようと、劣化させようとする。そしてハリーヤの閃光がその戦いに敗れた。投射装置の戦いに負けつつある。目に見えない戦いに負けつつある。アーマーの表面が静電容量でパチパチと音を立てている。ブーツの踵が接地するたびに、一歩ごとに基地へと放電される。
息が切れる。激しすぎる、速すぎる戦いはできない。自分の身体、アーマーの限られた動力、そして熱容量のためにペースを保たねばならない。誰も信じないだろうが、長期戦は本当に頭を使うのだ。
だがヴォンダムは迫り続ける。彼はペースを定めた。ハリーヤはアルファラエルへと後退し――
「その男は介入しない……できないはずだ」一音一音を絞り出すように、ヴォンダムは低くうめいた。「私はその男をずっと……見張っている。どこか……別の場所を探すがいい」
こちらの方が射程は長い。相手の動きを先読みして長柄武器で攻撃すれば、卿を押し返すことはできる。「であれば……今……殺せばいいではありませんか!」
「その男は……無防備だ! 私は……まだ……ひとりの騎士だ!」
「それでも……タロ・デュエンドでは……止めませんでしたよね、閣下!」
ヴォンダムは一瞬、攻撃を止めた。そして告げた。「そうせざるを得なかった。プロトコルがそう定めたのだ。終焉の石に対する教義理念書のプロコトルは、その状況下にいる騎士全員に完全に同じ行動をとらせるというものだった。そうすれば、石は熱心な騎士を慈悲深い騎士とすり替えることはできない」
「つまり、カヴの虐殺を選んだのは閣下ではなかったのですね」ハリーヤは素早く後退し、アルファラエルに近づいた。「総和が選んだのです。私もそうしていたでしょう、もし私が善き騎士であったなら」
ヴォンダムは彼女が尋ねたかった疑問に答えた。問題は彼にあるのではなく、ハリーヤにあるのでもなく、総和にあるのだ。
「その男の所に向かおうとしているな。何故だ?」再びヴォンダムが言った。「今回、私を殺すことはできないぞ!」
だがアルファラエルの手には穴があいている。
そしてヴォンダムはそれを知らない。
だが、どうすれば穴を利用できるほどに彼をヴォンダムに近づけられるだろう? 卿の波動刃はこの区画にあるものなら何でも切り裂くことができる――
私を除いて。
無辜の者と危険の間に身を置きなさい、ハリーヤ。
彼女は超伝導バッテリーを切り裂き、再び投射装置を点火した。放電により金属が燃え上がる。緊急密閉システムから泡の塊が噴き出す中、ハリーヤは跳躍して推進装置を噴射した。ヴォンダムも点火し、燃えた泡のトンネルがその軌跡を刻む。だが泡は十分なエネルギーを吸収し、彼女のアーマーを守った。被害を受けたのは等角アンテナだけだった。
ハリーヤはヴォンダムとアルファラエルの間に着地した。
アルファラエルは半壊した鎧をまとったまま、獣のように屈み込んだ。「理解したよ」彼は言った。「やろう」
ヴォンダムは骨がねじれるような速度で迫ってきた。そして撃ってきたが、ハリーヤは卿とアルファラエルの間に立ち続けた。互いの投射装置が全力で波動の刃を放ち、彼女は弱った胸部を守るためマントと左腕を掲げた。それでも完全に防ぐことはできない。熱いガラスのような匂い、喉に金属を感じるような。そしてヴォンダムが接近し、最初の刺突9発は1秒もかからずに命中した。考える暇などなく、ただ肩とヘルメットを、いや、首を守るために身をよじる。ヴォンダムは彼女の首を切り裂こうとして――
アルファラエルが背後からハリーヤに飛びついた。彼がまとうカヴのアーマーは重厚で、ハリーヤを押し潰すようにヴォンダムへと叩きつけた。一瞬、息ができなくなる。
アルファラエルの頭部にも心臓にも脊椎にも、ヴォンダムは武器を向けることができない。ハリーヤが間にいるためだ。それでも彼はアルファラエルの武装解除を試みた。右のブラディエーターがアルファラエルの左肩の駆動装置を破壊し、ハリーヤの脇下に押し込まれていた左のブラディエーターが、カヴのアーマーから右鉤爪を切り落とした――
アルファラエルの右手が露出した。
アルファラエルはハリーヤ越しに手を伸ばし、ヴォンダム卿の首後ろを掴んだ。
ヴォンダムのアーマーはアルファラエルの手に向けてマイクロ波を放つ。アルファラエルは叫び声をあげ、身をよじった。手は内側から水ぶくれと火傷を負い――
だが焼けたその手を、彼はヴォンダムの首から離さなかった。
ハリーヤのアーマーは崩れかけていた。ヴォンダム卿の刃がそれを突き刺すと同時にハリーヤは卿にしがみつき、右手の親指をアルファラエルの手の穴に突き刺した。穴を突き抜け、それはヴォンダムの首後ろへと刺さった。
彼女はヴォンダムの脊椎に親指を突き立て、勢いよく弾いた。
あの怪物の2体目が横からタヌークに激突した。
異質な肉が噴水のように溢れ、自らを飲み込んでいく。タヌークも飲み込まれていく。紫色をした網状の触手が半ば分解された船を襲い、その構造を金属板とケーブルの白い格子へと変えていく。
「タン!」サミは悲鳴をあげ、レイピアを怪物の口に突き刺した。
タヌークは咆哮し、切り裂いた。作業用の巨大な鉤爪が異質なそれをおぞましく切断する。その物体は微動だにせず、傷ついた組織をここよりも高次元に存在する身体へと引き寄せ、新たな肉を回転させて元の位置に戻す――
その新たな肉が……燃えていた。
異質な怪物は回転を続け、自らを飲み込んでは新たなものへと変えていく。だが直交方向の回転を速めるほど、分解が進む。灰。塵。千切れた細帯。
回転の果てに、それはばらばらに飛散した。まるで木の幹が消滅し、すべての枝が散り散りになったかのように。
突進していたサミはタンの隣、核分裂炉容器に激突した。「大丈夫か? お前どうやって……」
「俺じゃねえ」
「じゃあ――」
「君たちを洗わねばならない」声が聞こえた。
ふたりは同時に顔を上げた。
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| アート:Valera Lutfullina |
ひとりの人物が格納庫の天井に立っていた。葦を編んだアーマーと、その上に灰色の絹をまとっている。細身で二足歩行、腕と頭と顔があり、額の中央から青い光の線が走っている。杖を持っているが、その先端には何もない。
「君たちは潜在物質にまみれている」その二足歩行の人物は言った。「それは何にでもなり得る。どこにでもなり得る。洗い流さなければエルドを引き寄せてしまうだろう」
「あんたは……」タヌークは無重力で浮遊するあの怪物の塊を叩き落とした。「あんたがやったのか? 助けてくれたのか?」
「この杖の先端からは」その人物が答えて言った。「紫外線域で幅30メートルの黒体放射が発せられている。それはエルドの幹が宿る薄層空間へと回転して入り込んでいる。こうして私は獲物を刈る。私の名はテュムラス、あるいはバロウ。囲い堰の番人だ」
「ドリックス……」サミは息を吐いた。手首に鳥肌が立つ。「テュムラスさん、あるいはバロウさん。聞かせて下さい。猫はお好きですか?」
「いや。あれは捕食者を引き寄せる。私は先程あの美麗な昆虫を救い、持ち場へと帰させた。さあ、狩りをしなければならない。君たちの仲間にも、この潜在物質を洗い流すように伝えてくれ」
「洗い流すって、どうやれば?」
そのドリックスは宙に絵を描くような身振りをした。すると空間が自ら解け、ドリックスを包み込み、再び閉じた。バロウの姿はなかった。
「ああ……」サミは息を吐いた。「ああ、タン、駄目だ。ここを離れることはできない……」
「は? 何でだ?」
「ミリーはまだここにいるんだ。無限導線に。また虚空間渡りをしたんだ。猫は捕食者を引き寄せるってあのドリックスは言ってたけれど――」
「船長、船長」タヌークはPTSケーブルを拳で掴み、サミに向けて投げた。「しっかり掴んでこっちに来い。ミリーは大丈夫だ。あの子は大丈夫だ」
「大丈夫じゃない。あの怪物はこの場所を食ってるんだぞ! ミリーも食べられてしまう――」
「船長。ロープを握ってくれ」
「タン、お前聞いてないだろ。今すぐ外に出て、この格納庫にある全部の停滞容器を調べて、それから基地の全部の収納場所のディレクトリを調べて、全部の容器を開けるんだよ、ミリーが見つかるまでひとつ残らず。それからあの子を落ち着かせて安全を確保して、そうしたらセリーマ号に戻る。それから、二度とミリーがうっかり出ていかないように、怖がらせないように――」
「船長。サミ船長。パニック発作を起こしてるぞ」
「タヌーク、お前聞いてない――」
彼はサミを両腕で包み込んだ。そして骸骨のような船、この死んだ船から引き離した。
「聞いてるとも。俺は次に何をするかを決められねえ。だから決めてもらわなくちゃならねえ。セリーマ号に戻って金属男の仕事を終わらせるか? それともミリーを探すのか? 船長の選択だ」
それは選択などではない。どこへ行ったとしても、ミリーは探し出してやる――
あの子は安全な場所へ行くのだろう。セリーマ号のような船に乗るのだろう。そしてもしかしたら、猫の本能か何かで、停滞容器が一番安全な場所だとわかっているのかもしれない。
全くもって選択などではない。どちらの選択も結果は同じだから。
サミはタヌークのヘルメットを掴んだ。「わかってるよ、タン。私がやるべきことはわかってる」
神経インターフェイスを通じて、ヴォンダムは今なおアーマーを制御できていた。だが彼の従者は敵の手にあいた穴から指を届かせ、神経インターフェイスを切断したのだった。
ハリーヤは泣いてはいなかった。この決着を怖れてもいなかった。今すぐにすべてを終えて、立ち去りたいだけだった。
今やヴォンダムは無力だった。彼は一介の人間だ。生殖細胞の改良や遺伝子組み換えによる増強を受けていても、脊柱の重要性は変わらない。もしかしたら、今になって思っているかもしれない――神経をインカグラスに置き換えて、光で思考できればよかったのにと。
「報告は済ませました」ハリーヤは彼に告げた。「私は総和に仕えることはできません。総和は誤って算出されていると考えているためです。従って、私は総和を減少させねばなりません。そうすれば、総和は自らを増やそうとする中で計算を修正し、慈悲を示すでしょう。また、私からアルファラエルの赦免を願います。彼は不可避終焉に背を向けました。新たな人生が与えられるべきです」
「私を殺せ」
「ヴォンダム」ハリーヤはそう呼びかけた。閣下、ではない。「できないのはご存じでしょう」
「君は終焉の石を持って逃亡を試みるのだろう? こちらの艦隊は君たちの船を破壊するだろう。それに失敗したなら、艦隊は無限導線を破壊する。そのようなことになる前に私が君を止めることを総和は要求している」
「そして貴方が今できることは」ハリーヤは気づいた。「自分を殺せと要求することだけ。そうすれば私が貴方への愛を見出して、躊躇するかもしれないから」
「違う。私は滅ぼされなければならぬのだ、ハリーヤ。私が失敗したのは、終焉の石が今なお私を動かしているからだ。私はアンストラスだ。私はかつての私ではない。呪いであり、総和を減らす存在だ。耐えられない。私を殺してくれ、ハリーヤ」
彼女はアルファラエルを放し、立ち上がった。そしてヴォンダムの顔を見下ろした。傷だらけの、敬愛してきたその顔を。とても良くしてくれた。教えてもらうことはまだ沢山残っている。
だがその騎士からの教えは、別の教訓によって遮られた。総和の要求に従うことはできない。命を奪うことでよりよい明日へ向かうことはできない。もし自分と宇宙最高の運命とを隔てる川で、ひとりの男が溺れていたなら――無視して泳いで過ぎることはできない。その男を助け、岸まで連れ戻さねばならない。たとえそれが引き返すことを、そして二度と川を渡れないことを意味するとしても。
管制デッキは粉々に砕け散り、火花が散る残骸と化していた。緊急密閉剤の泡がゆっくりと溢れ出し、ヴォンダムのアーマーの上でメレンゲのように固まっていく。
「そいつは生かしておけよ」アルファラエルが息を切らして言った。酷い火傷を負い、そのために血圧が上がっている。「殺したくないんだろう。見ればわかる。だから殺すなよ。なあ、ヴォンダム。あんたも生きている方がいいんだ」
ヴォンダムはアルファラエルに視線を向けた。「何故だ?」
「わかっているんだろうに。さっきあんた自身が言ったことだ。正すことはできないって。失敗を背負って生きて、二度と失敗しないようにするだけだって。カヴに投降して処刑してもらえよ。それか恒星の下で干し葡萄にでもなればいいさ。僕はどうでもいい」
「黙れ、虚ろな男よ。お前に話しているのではない。ハリーヤ、何故だ? 君は何故、そこまで必死になってこの星系から逃げ出そうとする? 私たちが成功したからか? 忌異か? 私たちはやがてソセラを再び輝かせる。その光に耐えられないからか? だからこそ君はアルファラエルを呼び寄せて逃げるというのか?」
アルファラエルは呆れたように目を回した。「あの石と話ができると思っているのか? いいだろう。石だ。僕たちはソセラのすべてをスーパーヴォイドに食わせて、それを零地点に繋げる。そうすればそれは次なる久遠へと生まれ変わる。それは避けられない。だから僕は新しい星々へと向かう。それが切り倒す者の栄光を称える慰霊碑になるのを見るために。これで満足か?」
アルファラエルはピナクルの緊急密閉剤の泡に手足を浸した。セリーマ号への帰還に備えて再びアーマーを密閉するためだ。「行かないと。ワープ船の暗号を解読するには終焉の石が必要だ。ハリーヤ、君も行くのか? それともここに残って殉教者を演じるのか?」
「いいえ。行くわ。報告は終えたし、あなたの赦免も願い出た。フリーカンパニーからは追放されたけれど、まだサミズム信者ではあるのよ。私は放浪の旅に出ます、閣下」
「そうか」このような結果になりながらも、ヴォンダムはかすかな微笑みを浮かべた。「君が『閣下』と呼んでくれるのは嬉しいことだ。いつもそうだった。言うなれば……自分には価値があると感じさせてくれた。ああ。私たちは何をしてしまったのだろう? 何故このようなことになってしまったのだろう?」
「閣下」敬意を払う習慣は今なお捨てることはできなかった。「終焉の石のせいではありません。カヴを皆殺しにするべきではなかったのです。それがすべてです。私はそれに耐えられなかったのです。もう二度とお会いすることはないでしょう、閣下」
「そうだろうな」ヴォンダムは悲しそうに言った。「ハリーヤ、君は私が見守る存在だ。例え私の失敗だとしても」
ヴォンダムが見つめているのが耐えられなかった。ハリーヤは急いでその場を離れた。
Revision16 対象の船を追放する
サミとタヌークは無事に船へと帰還できると思われた。
だがセリーマ号のハッチのすぐ外に、巨大なアーマーがひとつ浮遊していた。黒い金属組織に包まれた巨体。凝縮された事象が紫色の脈となり、それを際立たせている。アレイビル――モノイストの戦争用金属だ。
不可避終焉の崇拝者たちがセリーマ号を奪取したのだ。
サミは減速して身を隠そうとしたが、そのアーマーの人物に正面から突っ込んでいった。それは時空の中心と化していた。
「これこそが重力の恩恵です」アーマーが震えた。紫色の単眼が頭部の中央からサミを追いかける。「重力とは目的への賜物。宇宙を自由に駆け抜ける無償の道は、まるで何も存在しないかのよう。苦もなく運命へと突き進む。そして運命へと十分に近づけば、時間と空間は入れ替わる。下降は時間の経過。力の不在、運命の測地線――」
「これは私の船だ!」サミは威嚇するように言い、線状レイピアを構えた。
サミはそれをモノイストの胸に突き刺した。衝突の事象が紫光の揺らめきとなり、アーマーの曲線に沿って漂っていく。
「終焉の石はこの船に積載されていますね」重力死の聖騎士が言った。「セクンディのアルファラエルに協力して下さい。石に導かれてその目的に向かうのです。それは不可避終焉の意志です。あなたが理解しているかどうかは問題ではありません」
失礼なことをしたような気がした。相手を刺すのは、自己紹介とはとても言えない。「私を……行かせてくれると?」
「終焉の石はここ、久遠の柱へとやって来ました。もし石が久遠の柱を通り抜けたいと願うのであれば、石はそうするでしょう。そして我々はそれを助けるのです」
「そのためにあなたがたは送り込んだんですか、ここの船全部を、兵士全員を、あれを――」
「あれ、とは?」
「あんなもんを作った奴らだ」タヌークが叫び、宇宙を漂う不愉快なグラフを指さした。「何でも食らっちまう宇宙イカだ!」
巨大なアーマーが肩をすくめるはずがないと思うかもしれないが、惣菜の肉のように重なり合うその金属は驚くほど柔軟だ。「私は何ら被害を被ってはいません。あれらが不可避終焉の敵を滅ぼすのであれば、不可避終焉の意志に合致するということです。サンスターの攻撃を受けている間は、不可避終焉の意志に従うのは困難でしょう」性別のはっきりしない低い声がくすくすと笑う。「サンスターの。彼らにとっては良い言葉なのでしょうね。私たちこそがヴォイドの穴ではありませんか?」
「それで……私たちをそのまま船に乗せてくれるんですか?」サミが尋ねた。
「はい。ですが私も同行します」
「アルファラエルも来ます」
「彼は祝福されし者。話すのが楽しみです。その双子の姉は垂直落下に向かいましたが、彼は残っている。これは吉兆です」巨大なその姿が長い音を発した。サミの骨を伸ばすような音。「敬虔なる者たちに警告。セリーマ号はまもなく飛び立つ。我々の保護は確かだ。私は戦名を得て――」
そのアーマーが紫色に閃いた。継ぎ目からエネルギーの奔流が噴き出す――閉じ込められていた事象が現実へと炸裂し、何年、何十年という戦いが解き放たれたのだ。アレイビル装甲が崩壊する中、破片とエネルギーが四方八方に散り、哀れな唸り声をあげる。
そのモノイストは一度だけ、自らを殺した者への反撃に成功した。潮汐砲が発射され、無限導線の外殻とその先の供給設備の壁に拳ほどの穴を開けた。
だが真の標的は、胸を打たれたにもかかわらず、ほとんど動きすらしなかった。
重力死の聖騎士は握り潰された金属箔のように、小さな球と化した。
タヌークとサミは恐怖とともに見つめた。
「乗船しろ」テゼレットがセリーマ号へと呼びかけた。壁の穴がひとつに繋がり、塞がった。「他にも追いかけてくる者どもがいる。お前を雇ったのは、私を終焉の石の製作者のもとへ連れて行ってもらうためだ。新たな乗客は受け入れない」
「あんな簡単に……重力死の聖騎士を……」
「ソーラーナイト相手ならもっと苦労しなかっただろうな。だがあの背教者ふたりは自力で対処した」
テゼレットが身振りをした。サミのアーマーは何も示さない。何らかの場も影響力もない。だがテゼレットが両腕を伸ばすと、潰されたアレイビル金属の球がその中に舞い降りた。
「ここの機械は実に魅力的だ」テゼレットは独り言のように呟いた。「だが、それでも私に応えてくれる」
艦隊の恐ろしい監視の下、アルファラエルとハリーヤはセリーマ号へと帰還した。
探知センサーの猛烈な熱に焼かれ、ふたりのアーマーは歪んで膨れていた。両陣営がセリーマ号を監視している。動きの兆候を――自軍が乗り込み、あの石を確保したという報告を待っているのだ。
白く細い煙、そしてふたつの明るい航行灯がアルファラエルの目にとまった。ピナクルのワープ船が掃除魚のように動き回り、セリーマ号の船首に組み付こうとしている。
「あなたがコードを推測したなんて、まだ信じられない」ハリーヤは長い沈黙を破って言った。
「不可避終焉が提供してくれた」アルファラエルはそう言ったが、懸命ではなかっただろう。何故なら推進装置を備えているのはハリーヤの方であり、その気になればこちらを宇宙に投げ出すこともできるからだ。
フリーカンパニーの戦闘艦数隻は、ワープ船での脱出は容認できないと判断したらしい。照準光がセリーマ号に噛みつき、ビームが船体を黒いピクセルで染める。
そして、すべてが静止した。
アルファラエルは上を、下を、周囲を見渡し、戦闘の速度が鈍っていると気づいた。星々は見たこともないほどに明るく輝いていた。力強い暴力の筆致が虚空を覆い尽くしていた。
「今のは何?」アルファラエルの腰を掴みながらハリーヤは叫んだ。推進装置を操り、彼がまとう重厚なアーマーを方向転換させようとする。だが上手くいかない。ヴォンダムとの戦いで彼女は多大な被害を受けていた。
「戦術的な事象の地平面」アルファラエルは気づいた。「シェラゾッドだ! 僕たちを守るために、モノイストがイネヴィターを送り込んだに違いない。ワープ船で出発する時間が確保できる!」
「あら」ハリーヤは言った。「あなたたち教団は終焉の石を欲しがっていないの? どうして私たちを助けてくれるの?」
「貰ったものに不満を言うもんじゃない、ハリーヤ!」
「それはそうだけど」
ハリーヤは彼をセリーマ号の後部エアロックに押し込んだ。密閉が確かめられると、彼はカヴのアーマーから苦労して脱出する。そしてハリーヤが入ってくるのを待たずに貨物室へと駆けこんだ。ワープ船のコードを正しく推測できたのは、終焉の石を使ったからに他ならない。けれど自分はまだ終焉の石を使っていない。もし石を静止状態から出して、使えなかったらどうなるのだろう? パラドックスが起こるのだろうか? 自分は永遠の誤りに囚われ、時間流から追放された孤児になってしまうのだろうか?
稼働している停滞容器の脇で、サミ船長は落ち着かない様子だった。「無事でよかった」船長は息を弾ませ、アルファラエルに両腕を回した。アルファラエルも抱擁を返したが、サミが何故これほどまで喜んでいるのかはわからなかった。「タヌークは操縦室で航行準備中だ。これを開けないと」
「ああ……石を使わないと……」
「そうだな。わかってる」
「船長も?」
「ワープに入ったら進路を決めなきゃいけないだろう?」
「そうだ」アルファラエルは言った。「それと、ワープ船のコードを解読するためにも――」
「でも君はそれはもう……」
「でも今やらなければ、やったことにはならないんだ」
「気にしなくていい! 開けよう!」
サミは停滞容器の解放スイッチを入れ、両手足をついた。その姿は、哀れなほど希望に満ちているように見えた。
容器が停止し、鏡の障壁が消える。
終焉の石はそこにあった。
アルファラエルはそれに手を伸ばした。まるで、自分の好きなものが全部詰まった箱のように。
その後ろの影の中で、小さな声が鳴いた。「にゃあ?」
サミは何か言おうとした。だが出てくるのはすすり泣きだけだった。
一匹の猫が、影から小走りで現れた。それはアルファラエルを疑わしげに嗅ぐと、サミが差し出した手に頭から飛び込んだ。サミが動かないので猫は後ろ足で立ち上がり、サミの頬に顔を押し付け、尾羽を踏まれたアヒルのような音を立て、サミの額を舐め始めた。ようやくサミが動こうとすると猫は「ニャー!」と叫び、片方の前足でサミの頭を掴んだ。まるで押さえつけようとするかのように。サミからは猫の匂いが全くしないということだろう。そしてそれを直すために、沢山舐めなければならないということか。
終焉の石がアルファラエルの指をかすめた。まるで「願いは叶う」と言っているかのように。
「私がいなければこの船を修理はできない」アルファラエルの背後でテゼレットが言った。「解放されたと思うなよ」
喜びの涙を流すサミには聞こえていないようだった。
テゼレットはアルファラエルの肩を軽く叩いた。重く、冷たい感触。「これを使え」彼はアルファラエルの隣にメモリ式書き込みシートを置いた。そこには既にソセラの地図が表示されていた。この男は学んでいる。
「まず、僕の推測が正しくないといけない」
「推測?」
「ワープ船を解放するためのコードだ」
テゼレットは金属の手でアルファラエルを叩いた。停滞容器の壁に叩きつけられる程度の軽さで。「コードは教えただろう。コードもわからないままワープ船を使うために、はるばるここまで来たのか? さあ、地図を使え。お前を乱暴に扱うのはこれ限りだ。これを受け取れ」
アルファラエルは我に返った。テゼレットは指の爪ほどの大きさのクリスタルを差し出していた。「僕がそれを落とせばいいのか?」
「そうだ」テゼレットは言った。「これは忘れ去られた物事を思い出させるためのものだ。終わったら返せ」
アルファラエルが触れると、クリスタルは光を放った。沢山の小さな点。星々だろうか、それとも海の波に輝く陽光だろうか。いや、もしかしたらこれは放射線ウニのようなものかもしれない――アルファラエルは急に怖くなり、クリスタルをソセラの地図へと転がした。クリスタルは二度跳ね、シートの端へと転がって止まった。星系の端でもある。「こっちへワープするのか?」
「その方向へワープしていく。目的地に到達したと石が告げるまで」テゼレットは嬉しそうにアルファラエルの肩を叩き、その勢いで彼は床に転がった。「いかなる神や怪物がこれを作ったのか、見てみようではないか。そして逃げるべきか、取引すべきか、それとも倒すべきかを私が決める」
停滞容器を再び起動するのは、サミのこれまでの行動の中で最も難しいことだったかもしれない。
だがその中でならミリーは安全だ。きちんとした食べ物が見つかるまでは。ミリーが船内を探検し、自分の匂いをつけ、安全な場所から新入りたちを観察し、再び我が家のような気分になれるまでは。
サミはタヌークの隣の船長席に勢いよく座り込み、涙を拭った。「よかった、タヌーク。よかった。船を手放さなくていいんだ」
「よかったな。出発準備は完了してる。30分後に分離。スイッチも入れた」タヌークが操作盤を叩いた。「久遠の柱との接続操作だ」
こんな操作は初めてだったが、何にせよサミはチェックリストを暗記している。大変な作業は全部ワープ船がやってくれる――セリーマ号の推進装置に指令を出し、薄層トポロジーの楔に絡みつき、専用航路でワープへと乗り込むのだ。
ワープ船がエラーを送信してきた。
「何だ?」サミは叫んだ。「タイムスタンプエラー? 柱からの応答がないのか?」
「シェラゾッドの中よ!」脚部アーマーを着けたまま、ハリーヤが操縦室に踏み込んできた。
「何の中だって?」
「戦術的な冒涜、時間の泡の中! 見えていないの?」
空は凍り付いていた。だから、係留場所を空けるという名目で誰もレーザーを撃ってこないのだ。「でも、同じ時間枠にいないとなれば柱と話すことができない。時計が合わないんだから……」
「泡から出たら駄目よ! ワープの準備をした瞬間に、フリーカンパニーの艦隊に殺されるわ!」
ここまで来たのに。あと少しなのに。それでもまだ道が見えない――
「攻撃を受けてるぞ!」タヌークが怒鳴った。
船のディスプレーに熱点や貫通痕が点々と現れた。「外にソーラーナイトが!」ハリーヤが叫んだ。「ドックから飛び降りてきているわ。搭乗される!」
こんな時に。やっとミリーを取り戻したのに。サミは唸り声をあげ、アークジェットを手動に切り替えた。両手を素早く、確実に躍らせる。
推進機構の轟音とともに、サミはセリーマ号を係留から引きはがした。推力増加、前進。無限導線の中心へと一直線に。速く。もっと速く。減速が間に合わなくなるまで。衝突は確実だ。
静止した物体とチキンレースをする時間だ。
セリーマ号はシェラゾッドから飛び出した。
タイムスタンプエラーが解消された。ワープ船が無限導線と再び通信する。
数行の診断文をサミは読んだ――
久遠の柱は送信トラフィックに対して閉じられています。同期要求は拒否されました。
近距離探知光から警告! 衝突の危険あり!
緊急衝突警報!
セリーマ号のESMブロックが対艦レーザーの照準光を検出する。こちらの船体画像を――
ワープ船の人工知能システムと無限導線は衝突を回避するための選択肢を求め、意思決定空間を探索し――
そしてサミはチキンレースに勝利した。
何故なら、選択肢はひとつしか存在しないから。無限導線に衝突する前にセリーマ号を追い払う方法はひとつしか存在しない。さもなければ船はレーザー攻撃を受けて爆発し、無限導線に激突する。
唯一の選択肢は、サミが望むものを与えること。
柱が開く。内部の薄層幾何スパイクが、ワープ船の久遠推進装置と噛み合う。まるで細胞に侵入するウイルスのように。
鍵と鍵穴が出会う。久遠が開かれる。
Revision16 最終改訂
そして――傷を手当し、アーマーを脱ぎ、武器を収納し、打撲を触診し、放射線量を測定・記録し、贅沢な無重力風呂に入浴し、打撲を触診し、停滞容器の封が一瞬だけ開けられた後――彼らはセリーマ号の厨房に集まった。
テゼレットまでもが現れた。自身が潰したモノイストのアーマーで遊んでいたのかもしれないとサミは考えた。その男は黒いウニのような船でやってきて、エアロックは用いずに船体へと穴をあけて入ってきた。
セリーマ号は修理された核融合推進装置で航行し、ワープ空間の超構造を駆けていた。卓を置くだけの重力はあった。サミはコーヒーを淹れて注いだ。特別な日のために取っておいた凍結乾燥コーヒーだ。コーヒー依存は深刻な悪癖だが、今日は素晴らしい日なので許される。
テゼレットが乾杯の挨拶をした。「私の故郷には古より生きる龍が、不浄なる機械が、そして人を凌駕する金属を持つスフィンクスが存在する。奴らは皆、この私を支配しようとした。だが私は生き延びた。何故だろうか?」テゼレットは自身の胸を叩いた。「灯だ。ここにある。可能性の炎だ。その炎は何の原動力となる? 未知なるものを既知なるものにする。己が持たざるものを発見する。そして、それを奪う。私たちは、未知なるものの欠片を手に入れたのだ」
全員が彼を見つめた。
「よくやった」テゼレットは言った。「お前たち全員だ」
「本当に?」サミの左からハリーヤが尋ねた。「ピナクルが攻撃された。何千という死者が出た」
「死者たちは自身の戦いを選んだのだ」テゼレットが答える。
「カヴを除いて。そして戦闘で死んだピナクルの乗組員も」
卓の主人であるサミは、議論が沸き起こるのを避けねばならない。「この景色は見たことがありますか、旦那様?」
サミはワープの外部カメラ映像を呼び出した。この薄層の巨大な幾何学的形状が、船の周囲に果てしなく広がっている。さながら終端の屋根裏部屋と地下室といったところか。まるで、異なる薄層の複数の場と幾何学の交差によって築かれた高層都市のようだ。位相幾何学的な天の雲間から曙光が差し込んでいる。ここには光はないが、久遠の柱の標がこの場所の幾何学を照らし出し、インスペクトラル映像はそれを温かみのある色彩として表現している。
ワープ航行は宇宙の飛行と同じだ。だが同じ場所にたどり着くわけではない。船はソセラの端、ワームウォールへと向かっていた。その進路はサミの心を乱していた。終焉の石が今何をしようとしているのか、サミは感じ取っていた。
サミは言った。「あれを出してくれ」
アルファラエルが終焉の石を卓の上に落とした。
ハリーヤは身体を強張らせた。タヌークは後ずさりし、椅子をひっくり返した。ミリーはサミの膝の上で丸くなっていたが、一瞬だけ頭を上げて再び眠りについた。
サミは説明する。「これが何かするのをずっと待ってたんだ。アルファラエルは石のお気に入りだから、アルファラエルに任せたい」
ハリーヤはコーヒーカップに一本の指を突っ込んだ。熱い浴槽に自分を繋ぎ、それを一種の統計的防護手段として使おうというのだ。「皆、その石に取りつかれてしまうんじゃないかって心配しているの? 何かをさせられてしまうんじゃないかって。選択を変えられてしまうんじゃないかって」
「私はこれまでの人生で、自分らしくないことは一度もしてないよ」サミが答えた。
「これ、前に見た時と違うぞ」アルファラエルが言った。「見てみろ。完全に卵みたいになっている」
石はきらめく筋を失い、黒く輝く卵形になっていた。卓の上で横転し、テゼレットを差して止まる。彼は飢えた犬のように、石へと獰猛に笑いかけた。
「ところで、あなたの目的は何なの?」ハリーヤは彼に尋ねた。
「遥か彼方だ」テゼレットは膝をついた。まるで石の目を見つめるかのように。「私は金属に関心がある。金属とは親しい。この奇妙な世界に流れ着いた時、私はあらゆる金属とその技術を学ぶことを自らの使命とした。シグマが私の興味を引いた。鉱石は豊富だが、鉱夫はいない惑星。これは見逃された好機か? それとも何らかの脅威か? 金属が集まる場所では、時に危険が増大する……そしてムメノンが私に教えてくれたのだ」
テゼレットは金属の指を伸ばした。その爪が石に触れそうになるが、触れない。
「ムメノンは異常存在に魅了されていた。私はあの者から言語を教わる代わりに、その追跡を手伝うこととなった。ムメノンと私は、シグマが異常存在であることに同意した。そして探索計画に着手した。その時私が何に気づいたかわかるか、サミ?」
サミはコーヒーを一口、深々と飲んだ。「私がその仕事に最適だったと?」
「私が弱かったということだ。その弱さは疑いすら抱くほどだった。私の組織には遺物の回収と取り扱いの専門家がいなかった。そのような過ちを私は決して犯さない。ならば、何故そのようなことになった?」
「いなかったわけじゃない」アルファラエルが推測した。「あんたはそいつらをシグマに送り込んだんだ。そうしたら……」
「消えた。まるでそもそも雇ってなどいなかったかのように」
「でも何でだ? 終焉の石がソセラを離れたかったのなら、それは変じゃないか?」
「何故なら、その時私はまだ終焉の石がソセラを離れる経路となってはいなかったからだ。私は気づいた。ソセラに何らかの力が宿っており、私が終焉の石を回収しようとする試みを消去できるのであれば、それに関する私の知識も消去できるはずだ。だがそうはしなかった。何故だ?」
「石はあんたに頼みたいことがあったんだ」タヌークは唸り声を上げた。「だから、あんたが俺たちを送り込んだ」
「そうだ。私は最も困り果てた、使い捨ての手駒を選んだ。シグマに隠された何かの恩恵を受けない限り、成功しないような者たちを。そして私はその何かを手に入れたなら、それが望む所へ運ぶことを心からの望みとした」
「それがずっと気になってたんです」サミは卓へとシートを投げた。ワープ空間の大まかな地図に、ソセラを横切る緑色の線として自分たちの航路が描かれている。「この進路、見覚えがあると思ったんです。アピーロンの庭へ。ソセラが吸い込む宇宙ガスが凝集して熱せられる場所です。そして、そこを越えるとワームウォールに辿り着く」
「やばい」とタヌーク。「それはやばいぞ」
「やばいって、何が?」ハリーヤが問いただした。
タンは地図へと身を乗り出した。引きちぎられた角毛に包帯が巻かれている。「カヴァーロンを去った後、俺は死にたくなった。だから惑星系の外縁で捜索救助の仕事に就いた。アピーロンの庭の基地から飛び立つんだ。一番ひどい通報は、ワームウォールで船が遭難したってやつだった。ある日、とある科学調査隊の遭難に対応するために、そこに棲む生物との交信を試した。そこで俺はサミ船長に出会ったんだ。ワーム語り号の残骸でな」
![]() |
| アート:Hardy Fowler |
「それで、私たちはそこへ向かうの?」ハリーヤの声は悲鳴のようだった。
「いや。そこから数光分離れた場所だ」
「ああ」とサミ。「でもそれは何年も前の話です。ワーム語り号の残骸はあれからずっと軌道を周回しています」サミは地図にその船の位置を記した。「ソセラの周りを円軌道で回っていると仮定すれば、今頃はここにあるはずです」
サミはワーム語り号の残骸を引っ張り、セリーマ号の進路を示す緑の線を越えるまで進めた。
「何を言っているんだ?」アルファラエルが問い詰めた。「その難破した科学探査船に行くのか?」
「違う」とテゼレット。「そいつらを殺した場所へ向かうと言っている」
「到着までどれくらいかかる?」
サミは星々を見た。
はっとして、サミは卓に掴まった。セリーマ号は恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
「エンジンだ!」タヌークが叫んだ。「エンジンが切れてるぞ!」
「そんなはずはない、重力があるんだから――」
操縦席から接近警報が鳴り響く。ワープ空間の映像は緊急表示に切り替わる。外への視界が遮られる、何かが手のようにセリーマ号を包んで――
「ああ」テゼレットが言った。「来たぞ」
終焉の石が卓の上でゆっくりと回転した。
サミの目の前に星々が凝集していく。彼方の銀河団。分極真空の中で渦巻くパルサー。宇宙が裂ける――まさにここで、セリーマ号の厨房の只中で。
美しい、とても美しい一体の生物が踏み出た。
![]() |
| アート:Chris Rallis |
緑色の仮面のような顔は、悠久の年月をかけて酸化物で覆われている。唇、目、鼻、眉があるが、耳はえぐれた頬の上に渦巻くナイフのように伸びている。顔の裏には、ただ淡い光だけが広がっている。それを見たサミの心は原始的な満足感で満たされた。まるで人間を、よりよい姿で押し出す鋳型のよう。葉状の金属がその細い腕を、広い肩を、完璧な胸を、そして消えそうなほど細いウエストを包み込んでいる。性別はないが、性別を持つものにサミが見出す魅力をひとつ残らず備えている。腰部分を覆うのは楔のようなダイアモンドの葉が重なり合うもの。それが示唆するのは太古の官能、遠い昔には肉体と生殖との繋がりがあったという痕跡だけ。そして今やそれも縮小し、美的概念あるいは抽象概念として残るのみ。かつてこの生物は、他の動物のように美を健康の証として知っていたのかもしれない。だとすれば今やそれは美を、自身への類似性の兆候として知っている。生殖器官を持たないのは、生殖する必要がないからだ。それは完成しており、終焉であり、究極かつ完全であるためだ。
アルファラエルは終焉の石を掴んだ。
石は彼の手の中でスズメバチのように激しく音を立てた。アルファラエルは叫びとともにそれを落とした。
その人物は彼の横に移動した。
そして終焉の石はその手に収まった。
その人物はアルファラエルの顔を両手で包み込んだ。彼は悲鳴をあげた。表情は動かないが、声が聞こえる。「核に触れし者よ。祝福あれ」
アルファラエルは倒れた、まるで心が飛び去ったかのように。
ハリーヤが突撃した。アーマーの動力源がない今、その武器は分子レベルの微細な刃先でしかない。
表情なきその人物は彼女を受け止めようと手を伸ばし、ハリーヤの刃がその指二本を切り落とした。残りの指がハリーヤの喉を掴み、握りしめる。彼女は首に傷を負い、恐ろしい音を立てて倒れた。
テゼレットは切断された指を受け止めようと突進した。
「お前は霊気の匂いがする」声が言った。切られた手を伸ばし、テゼレットの胸、おそらくは存在しない心臓の上に触れる。何も起こらない。かすかに、奇妙な音がする。「お前からはあの壁を感じる」
タヌークは両手の爪を挙げ、降伏のふりをした。サミは片手を掲げた。「はじめまして。あなたはどなたですか?この石はあなたのものですか?」
ミリーはサミのズボンに爪を食いこませ、震えていた。サミはもう片方の手で猫に触れると、卓の下で線状レイピアを引き抜いた。
「私は最後のもの」その美しいアンドロイドが言った。「私」という音を発するその様は、恐ろしいほどの愛に満ちていた。「だから、それは私のもとに来た」
サミはタヌークを一瞥した。そしてテゼレットを。作戦があるようには見えない。ハリーヤの武器で切ることができるなら、レイピアの一撃で仕留められるかもしれない――けれど、どこを狙えばいい? 頭か?
「ここではない」それはサミをまっすぐに見つめた。「今ではない。だがあの蛇は英雄を必要としている。できるならば、私を見つけ出すがいい。槍を私の心臓に突き刺すがいい。徒労に終わるだろう」
サミはレイピアを放ち、そのアンドロイドの胸を突いた。
だが星々と星雲がその前で凝集し、その人物は消え去った。ただ消え去った。終焉の石も一緒に。
テゼレットの任務は完了した。終焉の石は届けられ、彼は高次の力を垣間見た。
サミは跳び上がり、ミリーを床に放ってハリーヤへと駆けた。その喉は潰れていた。治療は可能だが、今すぐに空気を吸わせなければならない。「タン、ハリーヤを寝台へ!」
「こっちは意識がない」タンはアルファラエルを放した。「お前――テゼレット、こいつを頼んだぞ!」
金属男はその爪で受け止めた指二本を見つめていた。細く優雅で、まるで実体がないかのよう。切断面には紫色の光が揺らめいていた。
彼はサミを見上げ、肉食獣のような笑みを浮かべた。「そうか。ここにもプレインズウォーカーのようなものがいるのだな」
爪を曲げ、テゼレットは指の一本の先端に触れた。薄紫色の光がまるで膿漿のように漏れ出ている。彼はそれを見つめ、深く息を吸い込んだ。
「あの存在は、実に大望をかき立てる。そう思わないか?」
何と答えていいか、サミはわからなかった。ミリーは目を大きく見開き、宇宙が裂けたその場所を見つめていた。サミはミリーを拾い上げ、しっかりと抱きしめた。ほんの少しだけ――ハリーヤの治療のためにタンを手伝いに行かなければ、
けれど、ミリーはここにいる。ミリーはここにいる、今も。そのひとつの事実は、間違いない。
完
(Tr. Mayuko Wakatsuki)
Edge of Eternities 久遠の終端
- EPISODE 01 第1話
- EPISODE 02 サイドストーリー 暗中確索
- EPISODE 03 第2話
- EPISODE 04 サイドストーリー ウスロスの扉
- EPISODE 05 第3話
- EPISODE 06 第4話
- EPISODE 07 サイドストーリー カドリックとポッド
- EPISODE 08 サイドストーリー 私を零へと圧縮して
- EPISODE 09 第5話
- EPISODE 10 第6話
- EPISODE 11 サイドストーリー 虚空間狩人
- EPISODE 12 第7話
- EPISODE 13 第8話
- EPISODE 14 第9話
- EPISODE 15 第10話
- EPISODE 16 第11話
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