MAGIC STORY

久遠の終端

EPISODE 15

第10話

Seth Dickinson
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2025年7月4日

 

Revision15 覗き見好きのための宇宙戦争

 暗闇の中、セリーマ号は無限導線をめがけて落ちていく。

 暗闇には歯が一杯だ。

 サミは望遠鏡を通して最初のひとつを見た。まるで宇宙そのもののように冷たい。「あれは?」尋ねるが、タヌークはわからないらしい。「アルファラエル、あれは何だ?」

 「吸着フォルミン。質量ヒルだ。こちらを調べたくてくっついてくる。殺されることもある」

 「射程距離は?」

 「わからない」

 サミはセリーマ号の状況ディスプレーを指差した。近くの複数の宇宙船の進路と航跡が示されているが、まるで怒れるユニコーンの角同士が先端を触れ合っているようだ。「じゃあ、あの船がどうなるかを観察して、それに応じて操舵しよう」

 抜け殻のような民間船が無限導線から逃げ出していく。高速の核融合動力船はとっくに姿を消しており、低速の船もほとんどが久遠の柱を登ってソセラを離れていた。だが頑強なプラズマ船や帆船のいくつかは、ソセラの冷たく黒い風に乗って今なお航行を続けている。古びた一隻の音響船でさえ、核爆弾の鎖を揺らしながらウスロスへと向かっていた。

 「あいつらが脱出できれば、たぶん大丈夫だ」とサミ。「もしできなかったら、質量ヒルを倒す魔法を金属男がかけてくれたらいいんだけど」


 「この宙域はピナクルの管理下にあります。あなたがたはピナクルの法令に違反しています。直ちに退去しなければ、久遠の柱の使用権が剥奪されます。誘導空間での交通を危険にさらす行為は、恒星間航行の禁止を含む、ピナクルによる制裁の対象となります」

 暗闇の中でただひとつきらめきながら、セリーマ号は秒速50キロメートルという超高速で無限導線をめがけて落下していく。

 停止は難くなりそうだった。修理したばかりの核融合エンジンを点火した瞬間、誰もが自分たちの姿を見ることになる。そしてもし時間をかけすぎたなら、減速した際に無限導線を放射線で汚染してしまう。絶対にしてはならないことだ。サミは嘘つきで泥棒だが、下手な操縦士ではない。

 「あとどれくらい?」暗い操縦席の背後からハリーヤが尋ねた。

 「減速まで、約一時間」

 セリーマ号は器量よしではあるが、一介の民間船だ。慣性質量減速装置によって多少は軽量化されているものの、乗組員を守る戦闘用結晶フィールドは備えていない。燃焼の最後の瞬間まで、全員がすさまじい加速度に耐えることになるのだろう。

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アート:Borja Pindado

 「戦闘通信を拾ったぞ。暗号化はされてない」タヌークが言った。「暗号化せずに通信する奴がいるか?」

 「帯域幅と時間を節約しているのよ」とハリーヤ。「兵器やセンサーのために、できるだけ多くの周波数帯域が必要なの。敵に聞かれても大した問題じゃない。戦闘通信は、敵が既にこちらの居場所と行動を把握していることを意味するから」

 「聞いてみてくれ」サミが命令した。

 柔らかな詠唱が操縦席に響き渡った。「切り倒す者よ、おお、切り倒す者よ。我に座標を与えたまえ。証言するは3、証言するは井戸の上に70、至急の証言。生き、並べ、虚無の彼方へ、おお、落ちゆく切り倒す者よ、騒音、気泡、占術、12、6、雹7の3、証言は9、証言はなし。証言は――」

 「さっぱりわからない」ハリーヤとは反対側の隅でアルファラエルが言った。「潜伏工作員への伝言かもな」

 これまでに見かけたことのあるモノイスト船は、そもそも見かけたならばの話だが、二種類に分かれていた。ひとつはススール・セクンディや他のまばらな進路からやって来る小型船、もうひとつは無限導線付近の中心グループで、重力戦列艦が指揮している。小型のモノイスト船はセリーマ号やフリーカンパニーの小型駆逐艦と大差ないが、重力戦列艦はそうではない。黒く巨大な船で、貪欲に空間を食らい、その飛跡には事象が永遠の同時性へと崩壊していく時系列を残す。これまでのところ、フリーカンパニーの攻撃は重力戦列艦に集中していた。

 あらゆる方向から船が無限導線に向かって落下してくる。まるで暗闇から放たれた無数のナイフのようだ。それも刻一刻と加速しながら――中には秒速数百キロメートルで移動しながらも、なお加速を続けているものもある。

 モノイストとサンスター・フリーカンパニーは入札合戦を繰り広げている。払うものは速度だ。当初は両者とも、無限導線に辿り着いてまともな戦闘を行えるだけの速度で勝負をつけようとしていた。だが今や減速を諦め、無限導線を飛び越えようと躍起になっている。止まる隙もなく戦闘へと突き進み、敵に爪を立て、続く攻撃の戦況を覆すほどの損害を可能ならば与えることを目指しているのだ。

 それはまるで、アーマーをまとう騎士たちがひとつのスイカを巡って馬上槍試合をする様を見ているかのようだ。誰もスイカを傷つけたくはないが、誰も最初に脱落したくはない。しかも騎士たちは全員、互いを撃つためのミサイルも持っている。

 「信じられない」サミは恭しく、静かに言った。

 「ひでえもんだ」タヌークは苛立っていた。「もし奴らが編隊を組んで戦ってるなら、こっちもどう割って入るか考えることはできた。けどこんなのはただの混乱だ。巻き込まれたら全員死んじまうぞ、べったべたの塊みたいになってな」

 サミはハリーヤに視線を向けた。「フリーカンパニーの通信を聞かせてくれるか?」

 かなりの口論の後、ハリーヤはサンスター・フリーカンパニーの周波数跳躍パターンをセリーマ号の受信機に合わせた。そして、圧縮によって抑揚をほぼ失った声が聞こえてきた。

 「マスタークラスからホワイトホットへ、マスタークラスからホワイトホットへ、ブロックチェーン接続。新規軌道、第二行程、第十五度、熱的ブルーム軌道。ジップラダー反応装置、ステルス船の可能性あり。照光をヴィラボルトに要請しますか?」

 「レーダー船だ」サミは推測した。「警告してる。新しい接触が別の船にあったんだ」

 「ホワイトホットからマスタークラスへ、追跡を確認。対象名はクラ-4。クラ-4を照らしてください。」

 セリーマ号のESMブロックが薄気味悪い音を発した。核分裂式標的レーダーの二次放射、まるで灯台がその目を細めているような。そして激しい雑音が弾けた。誰かが灯台の顔に唾を吐いたのだ。

 「マスタークラス、そちらの追跡を見失いました」

 「ホワイトホット、クラ-4が激しく点滅、急速燃焼を試みています――」

 「マスタークラス、ストライガ、ストライガ、ストライガ! 6機確認、走光性、目に――」

 ハリーヤはひるんだ。

 「――追跡再開、回避、迎撃のためにフレームアップを発射――」

 「――クラ-4に斬撃、切断――」

 「――ストライガに刺突、2機撃墜、フレームアップ交差、2機撃墜。ストライガ2機、反射トラッキング――」

 「――クラ-4、消滅!」

 映像が遠くの光を見せた。最初は衛星のように小さな幾つかの点、そして激しい緑色の閃光が次から次へと弾けては踊る。散弾銃の弾痕のように開き、消えていく。小さな白い点のひとつが他とは違う形で爆発し、熱い突き刺し傷と化す。それは何か反射するものに当たり、ぎらつく。小さな蛍が四方八方に散らばっていく。戦闘機か、残骸か。判別はできない。誰かが撃たれて死んだのか、それとも生き延びたのか。

 暗い空から数度離れたところで、真っ赤な燃えさしが暗闇を染めている。軍艦のラジエーターがレーザー砲の熱を放出しているのだ。

 「宇宙での戦闘に参加したことはあるか?」静まりかえった操縦席へとタヌークが問いかけた。

 はっきりと返答する者はいなかった。

 「不気味なもんだ。とてつもなく速く移動する物体について、淡々とした状況説明が続く。こっちは冷たい椅子に座ってる。強烈な推進力で身体が重く感じてるかもな。息ができない。機械が小さい音を立てる。無線からは雑音が吠える。誰かがミサイルを発射してくる。画面上でアイコンがどんどん近づいてくるのを見てると、ある所で突然自分の宇宙船が高速で動き出して、めちゃくちゃに振り回される。そして当たる。当たらないかもしんねえ。結果、死ぬ。死なないかもしんねえ。長距離船に乗ってるのに、着陸できるかどうかもわからないみたいな気分なんだよ」

 「こんなことが一時間も続くの? 耐えられそうにない」とハリーヤ。

 だが、彼女は耐えねばならない。全員が耐えねばならない。



 

Revision15 三つの嘆願

 戦闘は激化していった。ミサイルとレーザーパルスの列が無限導線にいよいよ迫り来る。サンスターの哨戒艦2隻が無限導線へと接近しすぎた所で、ピナクルが牙を剥く――遮蔽シールド、つまり自機の核融合エンジンの放射線から艦体を守る小さな金属の翼をレーザーで破壊するのだ。これは哨戒艦の燃焼を強制的に止める。非致死的かつ礼儀正しい方法――だがその一分後に哨戒艦はモノイストに撃墜されてしまう。

 セリーマ号は刻一刻と接近している。あと50分。40分。35分。33分。時計が遅れているのだろうか? それとも遅れているのはサミの時間だろうか?

 レーダーが彼らの頭上を這い回る、狼がその湿って黒い鼻で匂いを嗅ぎ回るように。後戻りできない検出限界にじりじりと近づいていく。

 レーダーの雑音のひとつが止まり、変化した。素早く、不審なクリック音。

 「何かがこっちを見てるぞ」とタヌーク。

 「核融合エンジンの起動までは?」

 「まだ20分ある」

 「くそ。くそ、わかったよ。レーザーコムをくれ」

 「もう入ってるぞ」

 サミは最初の録音を再生した。自分自身の声が聞こえる。

 「無限導線、こちらセリーマ号。エコー7、バベル590。そちらに向かっています。提供したい情報があり、そちらの指導を希望します」

 「マロウマスを求める最後の機会だ」とタヌーク。

 「いや。これから無限導線で盗みをするのに、そんなことはしない。レーザーコムを一番近くのモノイストに繋いで、アルファラエルの伝言を送ってくれ」

 電気メッキされたニッケル製スイッチの音。「送信」

 アルファラエルの声が響いた。「私はセクンディのアルファラエル。カム=シクであり、特異点に選ばれた者だ。私の双子の姉はソセラへの垂直落下にある。いずれかの御方に対面するはずだ。私はこの船に乗っている。不可避終焉によって、時の終わりの目的によって送られたものとともに。それが私をここに導いた。それはワープ航路に向かうことを望んでいる。私は安全にそれを導きたい。力を貸して欲しい。我らの信仰を試すものなし」

 「ハリーヤ!」サミは叫んだ。「君の番だ!」


 それはできない。できるわけがない。

 外では皆が死に向かっている。ウォーカーやキニダード、同輩たちが。皆がここで死に向かっているのは、自分がカヴァーロンのヴォンダム卿にあの石を返さなかったから。この戦いと、それによるすべての死は、自分が招いたものなのだ。

 「でも、皆は誓いを立てた」ハリーヤは声に出して呟いた。「死の危険も受け入れた。義務のために死ぬことは喜びなのよ」

 だが自分はその誓いを破った。

 違う! 私は誓いを守った。暁の連祷を守ったのだ。曙光を頌えよ、創造の火花を/暁が訪れる時、我らもまた昇る。「我らもまた」、それは全員。例外はない。カヴも除外されるべきではない。たとえ何かの……抽象的な汚染の疑いがあったとしても。

 だが戦闘に参加していた船の乗組員たちは、自分が見たものを見ていない。ヴォンダム卿の行き過ぎた行動の責任は彼らにはない。どうすれば皆を引き入れられるだろうか? 終焉の石をフリーカンパニーに引き渡せば戦いは終わり、それは信仰にとって利益になるのでは? そうすれば、こう言うこともできるかもしれない――ヴォンダム卿、私は閣下のもとを去りましたが、見捨てたわけではありません。どうか癒され、元の閣下にお戻りください。頭部にあいた穴がすべての原因ではありませんか?

 そしてサンスター騎士のアーマーをまとって、冬が終わった故郷惑星に戻るのだ。深部避難壕のひとつをこじ開けて、中の寄生虫たちに「団結」の正しい意味を見せつける――

 「ハリーヤ!」

 アルファラエルが自分を揺さぶっている。その背骨くらい片腕で砕いてのける。そんな考えが浮かぶが、実際にやりたいとは思わない。ただ、アーマーに備わる力を意識しているだけだ。

 ハリーヤは言った。「この船には爆弾がふたつ設置されているの。あなたを探しに来た時に設置した。ひとつは翼に、けれど今それは関係ないわね。もうひとつはメインドライブの遮蔽シールドに。爆発させればこの船はもう止まれなくなる。戦いに勝った誰かが救助してくれるまで、宇宙空間を飛び続けるだけ。そうすれば私の任務は果たしたことになる。その先は知らないわ」

 アルファラエルは両手を握りしめ、そして、意志によって力を抜いた。「あんたは言っただろう、僕たちの力になってくれるって。僕の弁護をしてくれるって、助命を願ってくれるって言っただろう。あんたは自分の言ったことを守らないのか?」

 「モノイストにとっては、それってそんなに簡単なことなの?」ハリーヤは純粋な興味から尋ねた。「一度選択したものは永遠に続くの? 例えばスーパーヴォイドに落下しても絶対に後悔しないの?」

 「わからない」アルファラエルは激しく息を切らした。「姉さんが後悔していたかどうかはわからない。姉さんはスーパーヴォイドに落ちた。だから聞くこともできない」

 ハリーヤはアーマーの一時記憶装置に起爆コードを書き込んだ。

 「でも僕が後悔していないのは、信念を失ったことだ。次なる久遠の間際でためらったせいで、今こうして生きている。疑って、後悔して、正しい選択だったのかって自問しながら。あんただってできる。諦めるなよ」

 「サンスター騎士なら、こんなことが起こるのは絶対に許さないわ」

 「ハリーヤ、あんたはサンスター騎士には向いていないのかもしれないな。何もかもに確信を持つことには向いていないのかもしれない」

 「ハリーヤ!」通話装置が鳴り響く。「君が必要なんだ!」

 「騎士になりたいのか?」アルファラエルはハリーヤを押しのけ、彼女が顔を向けている壁に体当たりをし、片膝をつこうとした。「従者様、切にお願いします。私は信仰を捨てた背教者です。今、終端のあらゆる大きな力が私を追っています。どうか安全な場所へ連れて行ってください。私の身に何が起こったのか、理解するための助力をお与えください。私の命は貴女の手にかかっています」

 「ちょっと、やめて」ハリーヤはうめいた。「本気なの?」

 この男はただの人間だ。宇宙の運命を危機にさらす、嘘つきの卑怯な人間。ただ助けを求めるふりをしているだけだ。

 けれど、自分はこの男を弁護することに同意したのだ。赦免を願い出ることに。


 操縦席に入り込みながら、アルファラエルは尋ねた。ハリーヤもいる。「この船に爆弾がふたつ設置されているのは知っていたか?」

 「ああ」タヌークが答えた。「イルヴォイが核融合エンジンを修理している時に見つけて、捨てた」

 「あら」とハリーヤ。

 サミは手を振って言った。「急かすつもりはないけれど、この作戦が機能するのは、相手陣営が終焉の石を手に入れようとしているって両方が確信している場合だけだ」

 「ええ、大丈夫。繋げて」

 「録音じゃなく?」

 「ええ。直接話すわ」

 ハリーヤにはハリーヤ自身の魅せ方がある。それを尊重してサミは頷き、レーザーコムを操作した。「どうぞ」

 「こちらハリーヤ、カンデラ号のヴォンダム卿の従者です。この船に乗っています。ここには、忌異のアーティファクトが停滞状態で積載されています。私はごく短時間ですがその存在にさらされました。サンスターの規範に対する耐え難い違反行為と、信仰の名のもとに無辜の人々へと振るわれた残虐行為を目の当たりにしました。そのためヴォンダム卿の指揮下を離れ、放浪しています。冠主と直接、内密に話し合うまで、忌異のアーティファクトを手放すことはできません。敵から離脱するため、あるいはご自身とこの船を守るためだけに発砲してください。そうすれば、無限導線経由でそのアーティファクトをお届けします」

 サミは彼女を注意深く見守った。落ち着きと確信があるように見える。

 無線から特徴のない合成音声が聞こえた。「カンデラ号の従者ハリーヤ、確認します。メイザー書405章、アヤ751節を朗じてください」

 ハリーヤは該当する詩文を正しく暗唱した。どうやら記憶しているらしい。サミはアルファラエルに指を突きつけた。「何を着ていくのか、わかってるかい?」

 「着ていく?」

 「あの黒いローブで行くんじゃないぞ、狂信者。着るのはアーマーだ」

 「予備の……カビ臭いアーマーで? 僕に合うのはあるのか?」

 「カビ臭くはない。けれど君には合わないかな。タン、着せてやってくれ」


 戦闘は止まらない。

 ミサイルの一斉射撃は反撃と妨害をかき消し、殲滅へと殺到する。戦闘機はサーベルの切っ先のように弧を描き、弾丸を投下しては再び飛び去る。死ぬか逃げるか。黒く冷たい塊と、白く熱い流体が最後まで試し合う。メカンの僚機がビームに身を投じ、あるいは生贄の囮となって崩れ去る。レーダーは暗闇へと吠え、答えを乞う。死はどこにある? どれほど速くやって来る? どれほど間近にある?

 だが、戦闘はセリーマ号に触れることはない。

 結局のところ、終焉の石を掌握しているのは敵ではない。自分たちだ。真の信仰だ。

 サミは訝しんだ――つまり、こういうことだったのだろうか? 終焉の石が全員をこの場所へ連れてきたのだろうか――自分は船を、アルファラエルはモノイストたちを、ハリーヤはフリーカンパニーを運んできた。すべては、どちらの信仰にもピナクルにも捕まることなく、終焉の石が永遠の柱を通過できるようにするためだったのだろうか?

 いずれ、このことをすべて理解する必要があるだろう。

 サミは無限導線と面会するための交渉を行った。管制官は一介のヴィイだが、それでも嬉しそうな声で職務を遂行している。「セリーマ号、近点通過後の逆噴射を許可します。マロウマスを所望しますか?」

 サミはゆっくりと息を吐いた。これは暗号化されていない周波数帯だ。誰もが聞いている。

 厄介なことに、それはできるのだ。燃料と、久遠の柱の安全な通貨を求めることができるのだ。そしておそらく、ピナクルはそれを認めるだろう。それがピナクルの使命なのだから。誰も助けようとしない時にそこに存在し、手を差し伸べること。

 だが自分がそうしたなら、終焉の石を追い求めている信仰者たちは、それが持ち去られることを知るだろう。そして介入するだろう、残酷に。

 タロ・デュエンドのすべてのカヴが、自分とタヌークとアルファラエルをフリーカンパニーから守るために立ち上がった。

 タロ・デュエンドのすべてのカヴはそのために死んだ。

 無限導線の全員にそんなことを求めるつもりはない。

 「いいえ」サミは送信した。「私たちは別のものの保護下にあります」傍受している戦闘員たちにはそれぞれ解釈させておこう。

 サミは通信を切り、席に座った。操縦席に残っているのはハリーヤだけで、是非とも仕事を欲しがっているように見えた。

 「そのスイッチを切り替えられる?」サミは尋ねた。

 「これ?」

 「いいって言うまで切り替えを続けてくれるかな。無限導線までは到達できると思うよ。次の大きな問題はワープ船の暗号を解読することだ」

 「それはテゼレットが?」

 「アルファラエルがやる。君は作戦通り、彼を守ってくれ。私はピナクルと話をする」

 「それについての作戦はあるの?」

 「ああ。私は詐欺師で悪党だ。ピナクルは人々に必要なものを与えることで成り立っている社会で、だからこそ……」

 「騙されやすい?」

 「その逆だよ。彼らは詐欺を見抜くのが本当に得意なんだ。だから彼らには真実を話す。全部だ。そうすれば、君たちがワープ船に辿り着いてセリーマ号と繋ぐのに必要な時間が稼げるはずだ」

 「私、ここから初めてソセラに来たのよ」ハリーヤはスイッチを上下に鳴らしながら言った。頑丈なチタン製で、先端には膜状の突起がついている。心地よい音。「久遠の柱を通って。あなたは?」

 久遠の柱を双方向の門だと理解しているなら、これは奇妙な質問に聞こえるかもしれない。だがそうではない。久遠の柱は宇宙船がワープでソセラから出るための発進台ではあるが、上方薄層から恒星空間へ帰還するための標に過ぎない。久遠推進装置を解除するために久遠の柱が必要というわけではない。解除する場所を知るのに役立つというだけなのだ。

 これは重要だ――なぜなら、ソセラに戻ってきたいと思った時に、無限導線を経由したくない理由があるかもしれないためだ。

 「ああ」サミは言った。「ワーム語り号に乗って。ここで会合があったんだ。イルヴォイ、ユーミディアン、人間、カヴ、いろんなのがいたのを覚えてるよ。船がソセラの端へ向かう前に……」

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アート:Diego Gisbert

 ワーム語り号は旅から戻ってこなかった。

 「ごめんなさい。わからないのだけれど、それは重要なことなの?」

 「ワームウォールの声と話をしに行ったんだ。私は厨房の手伝いをしていたんだけど、戻ってきてくれた奴は少なかった。スイッチはもういいよ」

 ハリーヤは作業を止めた。「これは何だったの?」

 「何回切り替えたかを数えるんだ。でもすごく気持ちいいだろ?」

 「ええ」ハリーヤは微笑みかけた。「すごく。私、この船気に入ったわ」

 「めちゃくちゃだけどね」とサミ。「でも、私をここまで連れてきてくれた。聞いてるか、セリーマ号? あと少しだ


 

Revision15 ユーミディアンと話す技術

 セリーマ号は無限導線に辿り着いた。

 モノイストの質量ヒルが獲物を捕らえている。それらが襲いかかるのは、近くにいて動きの遅い標的だけだ。ホープライトやクロミオンが秒速100キロで飛び交い、パルサーのように輝いて攻撃を挑発している時には姿を現さない。だが蒼星が無限導線の脇に滑り込んで居場所を確保しようとしたなら、不意に怒りの拳に砕かれて破片と化す。

 サミズム信者はその長所を生かして完全制圧することはできていない。

 だがモノイストも、優位性を確保できるほどの宙域を安定して維持することはできていない。

 停戦を隠れ蓑にし、両陣営は無限導線に群がった。生存者の救出、船の修理、撤退を行いながらも、セリーマ号から終焉の石を奪って追跡者を殲滅する時を待ち構えている。

 荷役メカンたちが、データと動力ケーブルをセリーマ号の待機アダプタに取り付ける。船は無限導線に挨拶し、乗っ取りを丁寧に拒絶する。燃料タンクと水道管が接続され、だが開くことはない。

 暗黙のうちに、セリーマ号は逮捕されていた。

 「それは戦闘用アーマーですね」サミとタヌークが通路を渡って基地のドックに入ると、ピナクルの制御管理ヴィイが通信してきた。「礼を尽くす会合にふさわしい服装ではありません」

 「外では戦闘が繰り広げられてる」サミはそう返信した。「両方ともこっちのものを狙ってる。身を守らなければどこにも行けないんだ」

 「あなたがたは無限導線に上陸しています。ピナクルがあなたがたの安全を保証します」

 「私は誰の安全も保証できない。マロウマスを要求したわけでもない。悪意を持ってここにいる可能性もある」

 「チェックメイト・マンティスにその旨を伝えておきます」

 前方の天井にはオーロラが青緑色に輝いている。ソセラのあらゆる生物種のための大気タンクが、アーチ型をしたその天井の下に列をなしている。

 エアロックの外には、戦闘ドローンの隊列を従えたひとりのユーミディアンが待ち構えていた。サミはその光景に息を呑んだ。

 そのユーミディアンは女性で、ピナクルの黒い正装を身にまとい、逞しい四本の腿にピンで留めている。細い脛と足根は宝石を思わせる深い紫色だ。猛禽類のような前脚は、胸郭に丁寧に折り畳まれて待機している。両目は小さく、離れており、虹色に輝いている。この女性はまさに、大多数の人々にとって、ピナクル宇宙における古典美の象徴と言えるだろう。サミはユーミディアンの多数派ではないが、それでもその姿には心を揺さぶられた。

 人間が自分たち自身について語る物語は――多様で、自立心があって、故郷を愛しているというのは――ほとんどが虚偽、あるいは少なくとも不完全だ。けれどその多くは、ユーミディアンにとっては真実である。そのため人間とユーミディアンは天敵同士、あるいは崇拝者同士と言っていい。

 「チェックメイト・マンティス殿ですね」サミはお辞儀をしながら言った。「お会いできて本当に安心しました」

 「正当な航行計画なしに核融合船を運用するとは」チェックメイト・マンティスが軋むような声で言った。まるでバイオリンのような、腕で弦を弾くような響き。「検査調整の期限も過ぎています。セリーマ号は無謀な船であり、公宙の安全を脅かす存在です。あなたがたは客人として来たのですが、それとも泥棒として来たのですか?」

 ユーミディアンと話をするには、ある種の技術を要する。彼らは人間よりも機敏で合理的だが、その精神は集合体自我だ――環境との共生を通して成長した、小さな専門分野の自我の集合体。相手のユーミディアンが何に熟達しているかを知ることができれば、その集合体自我がうまく扱える話題と、より綿密な論理モデルを駆使する必要がある話題とを判別することができる。それは、意識的な動きで歩いて欲しいと人間に頼むようなものだ。

 ユーミディアンと話すには技術が要るが、残念ながらそのための時間はない。

 「私はマロウマスを要求してはいません」サミはそう言い、タヌークへと合図した。「客人としてここに来たわけではないからです。私は、準惑星シグマの土から発掘されたとあるアーティファクトを手に入れました。そのアーティファクトには自らの意志があり、久遠の柱を通過することを望んでいます。私はそのアーティファクト通過させ、製作者に届けるために雇われました。この基地は貴女がたピナクルと同じく、一分の隙もありません――その安定と正義がソセラの最外縁まで届きますように――ですがこの外で戦闘状態にあるふたつの勢力が、そのアーティファクトを私物化しようとしています。両勢力はこのアーティファクトをめぐって、既に共通善に対する恐ろしい犯罪を行っています。私たちが確保したその証拠を受け取っていただけますか?」

 タヌークは片膝をつき、鉤爪を伸ばして記憶クリスタルをひとつ差し出した。セリーマ号が記録した、カヴァーロンでの出来事のすべてがその中に収められている。

 「タヌーク」チェックメイト・マンティスは考え込んだ。「カヴァーロンの倫理規範に違反したために追放刑を受け、144件以上の危険行為にて目撃されていますね。このデータは、取得したならヴィイを混乱させ、ワープ船の制御権をセリーマ号に明け渡そうとするのではありませんか?」

 「チェックメイト」タヌークが言った。「これは正直な証拠だ。フリーカンパニーが無実のカヴを殺すのを見た。俺たちが運んでるアーティファクトを欲しがってのことだ」

 「終焉の石、ですね」

 サミははっと驚いた。「ご存じで――?」

 マンティスは瞬きも頷きもしなかったが、前脚の鋭い動きは肯定の仕草に違いない。「カヴァーロンで何が起こったのか、こちらはすべて把握しています。ヴォンダム卿が投降してきています。罪を告白し、無限導線からの撤退を警告するために。終焉の石を巡る戦いが起こるだろうとその男は言いました。そして石の仕組みを教えてくれました。私たちはデータを精査し、その影響の兆候を発見しました」

 「モーキサイトの値段ですね」とサミ。「シグマのコロニーの」

 「他にもあります」マンティスの前肢が脚を掻き、低く長い軋み音を発した。不気味で悲しい音であり、人間にはそう聞こえるように調整されているに違いない。「そのような力を持つアーティファクトは、安全に封じ込めることができる唯一の機関に引き渡すべきでしょう」

 「安全に封じ込めることができる……ピナクルですね」

 「ドリックスです」

 それは確かに……理にかなっている。ドリックスは戦争を避けるためにピナクルに星間航行の力を与えた。だがその力には有名な警告が伴っている。

この星々はすべてあなたがたのもの
けれどそれらはあなたがたよりも古く
あなたがたが知るよりも古いもの

 サミは尋ねた。「それで、ドリックスはどこに?」

 「ここ、無限導線に。二日前、ひとりのドリックスがやって来ました。『囲い堰の番人』のカリブを演じています。紋章は金の壺に入った脂肪に埋もれた骨です。名前はテュムラス、あるいはバロウ」

 サミは仰天していた。ドリックスが、ここに? どんなことを喋るのだろう、どんなものを着るのだろう? ドリックスに会える人物なんて10億人にひとりもいない。「ドリックスには会えない。会わなきゃ……いや、無理だ……何てことだ」

 「その通りです」マンティスは弦のような音階を滑らせた。おそらく苛立ちだろう。「あなたがたがドリックスに会うことはできません。表向き、バロウは終焉の石に興味を示していません。それどころかこの二日間、何かを準備しています。私が思うに武器でしょう。何にせよ、その石は私たちに引き渡すべきです。石は恐ろしい重荷であり、それを扱う資格を持つ者たちに渡す機会があなたがたにはあるのです。そして私の知る限り、バロウは力ずくでそれを奪おうとしています」

 「ええ、わかってます。自分自身の欲求なんて何も信じられません。終焉の石は、その力でも変えられないほど巨大で不可解な組織に委ねないといけません。ピナクルのような。貴女がたのような」

 「その通りです」

 サミは戦闘メカンの列を見つめた。自分の人生がそっくり書き換えられ、この瞬間のために、終焉の石が用いる兵器へと仕立て上げられたとは思っていない。もしそうなら、もっと準備万端で来たはずだ。「チェックメイト・マンティス?」

 「何ですか?」

 「ヴォンダム卿は貴女を説得したのですよね。終焉の石の力を考えるに、それを私たちから奪うためには危険なほどの戦力を用いるのが適切だと、あるいは必須だと」

 チェックメイト・マンティスは長く物憂げな音を脚から発した。「そうです」

 「では、なぜそうしないのですか?」

 「私は善き者だからです。そして信じてもいます、あなたがたは――」

 何かがとても柔らかく、とても高い音を発した。それはサミの左耳から右耳へと通過していった。まるでドックを横切ってまた去っていったかのように。

 照明が消え、空調が停止した。ドックは暗闇に包まれた。非常灯が点り、深い赤と淡い紫の光が通路を照らす。

 「マンティスさん? 何がありました?」

 柔らかな反響定位の鳴き声がした。「攻撃を受けています。基地の外殻を貫通するほどの。あなたがたですか?」

 「違います」サミはゆっくりと屈みこんだ。「私じゃありません。今からアーマーのソナーを作動させます」

 「必要であれば」

 ソナーが響き、チェックメイト・マンティスが不快そうに甲高い声をあげた。音波がドックの暗闇にまで届き、気流を感知する。ドックの数箇所に穴が開いている。

 針先ほどの小さな穴。圧力警報をまだ作動させないほど小さく、それでいて電源とデータ細毛を切断するほど精密だ。まるで巨大な科学者の手で針が刺されたかのよう。まるで注射器のように。

 何かがその穴から入り込んできている。外から。明確な質量も形状もない。ソナーには干渉パターンとしてしか映らない。ドック全体に広がる位置エネルギーの波形だ。

 戦闘メカンたちがガタガタと威嚇音を鳴らした。

 「潜在物質です」とチェックメイト・マンティス。「観測不可能な状態を、技術を用いて作成したものです。何者かがそれを基地に送り込んでいます。なぜ?」

 タヌークはひとつ深呼吸をした。アーマーのフレーメン機構が何かを拾い、彼はくしゃみをする。「信じられない匂いだ。まるで……ありとあらゆる匂いみたいな」

 「副鼻腔のあらゆる化学受容体を刺激しているのです」マンティスが言った。「何か重要な意味があるのでしょうか?」

 ワーム語り号の厨房をサミは思い出した。とある調理士の言葉――「全部の種族が好む味なんて見つかりっこない。だから調理士には二種類いる。味を一切使わない奴と、あらゆる味を一度に使う奴だ」

 「私たちは味付けされてる最中ってことでしょうかね」サミはそう答えた。


 

Revision15 エルド

 「あまり早く敗北を宣言したくはないのだけど、ワープ船がいなくなってるぞ」

 ハリーヤはアルファラエルを掴む力を調整した。今の彼はアルファラエルの姿をしていない。「もう一度言ってくれる?」

 ふたりはまるで遅く進む二発の弾丸のように、セリーマ号から牽引場へと漂っていた。そこではワープ船がコウモリのように船との結合を待ち構えている。アルファラエルはカヴ記念軍艦隊の防護アーマーに身を包んでいた。そして探知されないように、サミがふたりのアーマーを発泡断熱材で覆った。つまり動くことはできず、冷えもしない。

 ハリーヤは汗だくになっていた。とても痒かった。

 ゆっくりと漂い、回転するたびにハリーヤは息を呑んだ。見とれるほどの光景がそこにあった無限導線はドーンサイアーと同規模の巨大構造物だ。青白く輝くヒトデのような形状、その中心には久遠の柱が刃のように突き刺さっている。この柱を大砲だと想像するのはたやすい。あらゆるものをはすかいに眺め、上部構造とワープ空間へ向かう。けれどそれは大砲ではない。楔であり傾斜路、ねじ、てこ、滑車――最も複雑かつ単純な機械。恒星空間から久遠へと移動するための装置なのだ。

 もし戦争がなければ、ここは商業や交流の、あるいは対立の中心地として活気に満ちた拠点となっている。そのためにワープ船が運行されているのだ。

 だがそれらの姿はなかった。

 「入る時には見えたのよ」自分の声がアーマーを通過し、アルファラエルのそれに響く。「ピナクルが中に入れたに違いないわ」

 「僕たちが何をしようとしているか、向こうは把握してるのかな」アルファラエルが尋ねた。

 「ピナクルは愚かではないと思うし、私たちの露骨な脱出計画に対して予防措置を講じていたのでしょうね」

 「制御モジュールの中に入らないと――待て、ハリーヤ。計器を確認してくれ」

 彼女は既に見ていた。

 無限導線に空気漏れが発生していた。それも多数の。無限導線基地の真珠のような外殻から少なくとも15箇所、個別に空気が噴出している。そして、無限導線の腕と中央のドーム鮮やかに彩っていた青緑色のオーロラが一斉に消えた。

 何者かが基地の動脈を切断したのだ。

 「あなたたちね」ハリーヤは言った。「特異点の珠を使った攻撃よ。そうに違いないわ」

 「一番近くの貫通穴にメカンが張り付いてる。ススール・セクンディの修道院の守り手に似ているけれど……何かのタンクがついてるな。燃料を注入しているのかな?」

 無限導線の向こう側で、金色の蛍が沢山光り輝いている。それぞれの光の先端に暗い影が浮かんでいる。あれはライトブリッジ、加速レーザーで標的へと投げつける搭乗器具だ。ソーラーナイトたちが無限導線を確保しようとしている。ハリーヤは言った。「サンスターの皆がセリーマ号を追っているわ。もう時間がない」

 「嫌な予感がする」アルファラエルが呟いた。

 次の転回にて、ハリーヤは無限導線と自分たちの間を横切る暗い点に気づいた。当初、彼女はそれをモノイストの搭乗ポッドのようなものだと思った。イネヴィターのような。

 だがその動き方、イカのような脈動は――

 ハリーヤは映像をアルファラエルに送信した。「これは何?」

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アート:ノッツオ/Nottsuo

 「質量ヒルだ。あんたたちの搭乗船があいつらを引き寄せているのかもしれない」

 「あれ、手足が何本あるの?」

 「手足?」

 「腕。脚。触手。付属肢。とにかくそういうもの」

 「何も……なあ、触角は見えるか?」

 ハリーヤは再び暗い影を捉えた。それは彼女の視界を、言葉では表現できない方向へとねじれながら横切る。空間をすり抜けていく。

 沢山の手足。それが無限導線へとまっすぐに向かっている。セリーマ号が停泊しているドックへとまっすぐに。

 「無線は使うなって言われたけれど、そんな場合ではなさそうね」


 「何かが近づいてきてるぞ」タヌークが囁いた。

 サミは暗闇に音を放ち、何かの反応が返ってくるのを待った。狂った立体がまたも現れる――ソナーの音波が相互干渉し、映像が浮かび上がる。重なり合う長椅子、ピラミッド状の柱、ループしながら積み重なるケーブル。意味がわからない。

 外殻の穴から何かが入ってきた。

 ムカデがパイプを駆け下りるような、くぐもって響く音。拡大し、成長する感覚――

 メカンのひとつが投光器を向けた。

 光がその何かを捉えた。

 美しい。ひとつの円環だ。内側も外側もない。それを覆う膜は位相幾何学に富んでいる――反転した四重球体、耳型の結び目のような三重対称の集中、押し潰された球体。それは淡い紫色光を、紫外線を放つ。斑点のように視界に明滅する。周囲の大気はねじれて歪み、上昇し、外へと流れ出す。まるで間違った空間で起こった竜巻のように。

 その膜の下には腕の束が生えている。

 膜の上には白い破片のようなものが、まるで列石のように、磁器の仮面の破片のように、何にも支えられることなく浮いている。

 それはねじれて回転し、急降下して遠ざかる。そんな動きを見せるのはワープに突入する船だけだ。

 それが移動すると、世界は泡立つ――カメラの中で燃えている古いフィルムのように、皮膚の水膨れのように、泡状の格子へと分割される。

 上方から接近し、ドックの大通路を通過すると、それは進んできた――マンティスとタヌーク、そしてサミの方向へ。

 「メカンが確保します」マンティスが声を響かせた。「意思疎通を試みています」

 メカンがそれに向けて光と音を点滅させる。それは動きを止めはしない。

 「タン!」サミは叫んだ。

 「おう!」

 「構えろ!」

 ふたりはあくまで交渉に来たのであり、武器は持っていない。だがタンはアーマーから作業用の鉤爪を展開し、サミはお気に入りの道具を取り出した。武器ではない。線状レイピアと自動ボーラ、それは低い振動音を立てて動き、掴みかかれるような破片や絡み付けるような肢を探すのだ。

 「正当防衛を許可します!」マンティスの命令を受け、メカンたちが発砲した。

 それが何かはわからずとも、傷を与えることはできる。ひどい傷を与えることはできる。メカンたちはピナクル製エフェクターの一斉射撃でそれを粉砕した。その物体の位相幾何学が崩壊した。棒や三角が流れ出て、裂けた球が液体を満たしたまま収縮する。尾索動物のようにたじろぎ、先端が盛り上がる。白い磁器のような面が外側へと流れ出し、そしてそれらは回り込んで流れ下り、再び上昇して円環状のイカの腕の中に収まる。

 今の行動によってそれは回復したのだろうか? あるいは、どんなに甚大な被害があったとしても、その傷は表面的なものであったということなのだろうか?

 それは一番近くのメカンにまとわりつくように動いた。周回し、上を通り、背後を過ぎる。その腕がメカンに掴みかかり、引き、持ち上げる。紫色をした肉の輪が鋸刃のように回転し、だが何故か回転するたびに変化し――

 それはメカンを破壊はしなかった。分解もしなかった。メカンの理路整然とした思考を阻害するような肉体的腐敗を伝染させもしなかった。

 代わりに、それはメカンを綺麗に舐め尽くした。まるでその戦闘機械に砂糖か甘い花粉がまぶされているかのように。

 その結果、メカンは爆発した。

 だが弾けるように爆発したのではなかった。エネルギーを放出したのでも、燃え尽きたのでも、蒸発したのでもなかった。

 メカンの構成部品がグラフと化したのだった。白亜の格子状の塊――装甲、関節、武器、センサー、果てはメカンのコンピューター頭脳までもが弾け、埃っぽくも密な白亜の球と化していた。まるで量子井戸や接合部がグラフの一点に固定されているかのようだった。

 異質のねじれ。間違いなくそれは異質な存在だ。単に人間やユーミディアンやカヴではない存在というわけではない。あらゆる生命にとって異質な存在。

 「タン!」サミは叫んだ。

 「わかってる」タンはすっかり力を抜いた様子で言った。

 「逃げるぞ!」


 

Revision15 エントロピーと騎士たち

 「船長」ハリーヤは送信した。「サミ船長。何かが中に入り込んでいます」

 返答はない。

 「30秒が経過」アルファラエルが呼びかけた。牽引場はドックの制御ステーションに組み込まれている。それは無限導線から伸びるアームの先端に取り付けられた白色の球であり、4枚の船殻プレートに囲まれ、沢山のアンテナが暗い空へと突き出ている。どれか一本にでも近づいたなら、アーマーを焼き尽くされてしまうだろう。

 だが今は動力が停止し、広大な基地全体が暗闇に包まれている。

 そして今、真空中を脈打つクラゲのように、質量ヒルではない質量ヒルたちがあらゆる方向からやって来ていた。モノイストたちが無限導線にあけた穴へと向かって――まるで匂いに誘われるかのように。

 「あなたたち、何をしたの?」ハリーヤは彼に尋ねた。

 「わからない。あんなものは見たことがない。イルヴォイじゃないよな?」

 「あれがイルヴォイに見えるなら、私たちはスリヴァーに見えるわよ」

 ふたりは牽引場に激突し、そこで身動きが取れなくなった。装甲から断熱材を剥がすために、不格好な数分を要した。本来ならば信号を送れば溶けるはずなのだが、その断熱材は使用期限が切れており、互いの手で切りつけねばならなかった。そしてふたりは急いで内部へ入った。動力とデータが遮断されたため基地のこの区画は非常モードに切り替わっており、ふたりを熱心に助けたがっている。「ひどい警備だな」アルファラエルは不満を漏らした。

 「そうね」ハリーヤも認めた。「公共の博物館に侵入しているような気分」

 「パズル同好会はここに来ても楽しめないだろうな」

 「誰?」

 「ドーンサイアーで死んだ奴らだよ」

 「死んだ、それとも楽園に行ったのかしら?」

 「僕が思うに、楽園かな」

 「思うに?」

 アルファラエルは答えなかった。

 制御ステーションの内部はその半分が空洞になっていた。半球形の格納庫で、上部には管制デッキや医療・救助施設、事務室、そして観測所が配置されている。だが真に重要なのは格納庫の中のものだ。ワープ船のメカンたちが――何百というそれらが久遠推進装置を取り囲むように折り畳まれ、六角形のドックに差し込まれている。

 「あんなに沢山」アルファラエルは息を呑んだ。

 「なるほど」とハリーヤ。「元々、ピナクルはカヴの避難を支援するためにこの星系に来たの。カヴは久遠推進装置を持っていなかったから。だからカヴの船を星系から脱出させるために、沢山のワープ船が必要だったのよ」

 ハリーヤはアルファラエルを格納庫の先、管制デッキの方向へと押しやった。カヴのアーマーには推進装置が搭載されておらず、そもそも宇宙での使用を想定していない。きっと彼はこちら以上に過熱しているのだろう。「気を失わないでね」ハリーヤは警告した。「もうしそうなったら、あなたを無事に生還させられるかどうかわからないから」

 「僕をここに置いて行くんじゃないのかい」

 「いいえ。一緒に来てもらわないと」

 「え? 何のために?」

 彼女はカヴのアーマーを屈ませ、緊急エアロックに押し込んだ。ふたり入る余裕はない。「もし、あのイカみたいなものに出くわしたら……」

 「餌になるような逃げ足の遅い奴が必要ってことか。そんな話は何度も聞いたことがある」

 「いいえ」一語一語を真摯に、ハリーヤは答えた。「守るべき相手がいないと、どうしたらいいのかわからなくなるから」

 緊急エアロックから無人の管制デッキまではハッチがひとつあるだけだった。「ヴィイ?もしもし?」アルファラエルが声をかけた。

 「ようこそ。こちら緊急ローカル動力で稼働しております。無限導線への組織的攻撃が進行中です。あなたがたですか?」

 「いや、ワープ船に乗って艦隊を抜けて逃げるために来た。僕たちの船を運んでもらえるか?」

 「輸送許可はお持ちですか?」

 「いや」

 「それでは、私はお力にはなれません。あちらに緊急シェルターがありますのでご案内します。物的損害はピナクルが補償します。お気をつけて」

 「ワープ船の制御を無効にするコードはあるのか?」

 「はい。512 ビットの格子ベース暗号であり、戦略実行組織体の構成員のみが把握しています」

 「わかった」アルファラエルはアーマーの中で身悶えしながら言った。「コードの準備はいいか?」

 それから1分と少し、彼は延々と数字を唱え続けた。ハリーヤは70程で数え損ねた。100程でアルファラエルは止めた。

 「コードは拒否されました」ヴィイが言った。

 「何を考えていたのですか? このまま試し続ければ、偶然正しいコードを推測できるかもしれません――ですがそれはすべての星々が消滅してから何兆年も後のことです。そしてそれも修辞的近似値です。実際にはもっと長くなると思われます」

 カヴの重厚なアーマーをまといながらも、アルファラエルは衝撃を受けた様子だった。「何だって? 僕は絶対に……」

 「終焉の石を使うつもりだったのね!」ハリーヤは気づいた。「適当に推測して、将来終焉の石を手に入れて正解にするつもりだったのでしょう!」

 「まさしくその通り。ああ、何てことだ。あれを持ってくるべきだったな。さあ、セリーマ号に戻って使おう」

 「そんな仕組みじゃないでしょう! パラドックスが起きるわよ。コードを正しく理解していれば、終焉の石を使う必要もなくなるのだから――」

 「でも、コードを正しいものにするには終焉の石を使わないといけない。だから使う。パラドックスなんてない。絶対にないから……」

 「大宇宙秩序は正しいのよ!」ハリーヤは断言した。「見なさい、その未来はまだ起こっていない。現実になっていないでしょう! もし起こっていたなら、あなたはもうコードを当てているはずなのよ! でも、セリーマ号に戻ったならその未来は現在になって、あなたは石を使ってコードを正しく解読したことを思い出すでしょう。石は今から過去に影響を与えることはできるけれど、未来から今に影響を与えることはできないからよ!」

 アルファラエルは笑い始めた。「発作を起こしたみたいな言いようだな!」

 「発作ならあなたの方がよくご存じでしょう?」

 彼はさらに激しく笑い、ハリーヤも笑い始めた。

 「そうね」ハリーヤは言った。「いいわ。行きなさい」

 「ああ。行こう」

 「だめ。あなたは戻って終焉の石を使って。私はここにいなければならないから」

 「いや――ほら、僕のアーマーには推進装置がついていないだろ。僕を運んで戻ってくれないか」

 「基地の外側に沿って登っていけばいいわ」

 アルファラエルはとてつもない程の苛立ちを露わにした。「まさか、レーザー殺人の過激派教会に戻るつもりじゃないだろうな」

 「そのつもりよ。言ったでしょう、報告をして、あなたの赦免を願うって」

 「脳が蒸発したのか? 聞けよ。あの石は怠け者だ。一番単純な道を選ぶ。もし僕が石を使う時にあんたが一緒にいなければ、石はあんたがそもそもここにはいなかったことにするかもしれないんだ。もしかしたら、あんたは航行中に爆発した船の残骸に当たって死んでいたのかもしれない。もしかしたら、石があんたを消してしまうかもしれない」

 「あなたのお姉さんが消えたように」

 アルファラエルは黙った。アーマーの中のその表情は見えない。

 「ごめんなさい」ハリーヤは言った。「でも、あなたはそう思ったのでしょう? あの石のせいでお姉さんがブラックホールに落ちたとあなたは考えた。だからお姉さんと同じ所へ行くために自殺任務に志願した。そして信仰の危機に陥ってカヴァーロンに逃げた。で、私があなたを追いかけて、ふたりともセリーマ号に乗って久遠の柱への封鎖を突破させようとしている。あの石がソセラから離れられるように。そう考えているのでしょう」

 「馬鹿げたことみたいに言うんだな。僕ならそんな馬鹿げたふうには言わない」

 「馬鹿げているわ。お姉さんがその選択をした時には、石はそこにはなかったでしょう」

 「でも石は僕に触れた。そして姉さんの選択は僕の過去になった」

 「アルファラエル」精一杯優しく、ハリーヤは言った。「あなたはその……説明の必要がないことを説明するために、パラドックスを考え出しているのよ。あなたは次なる久遠を信じていなかった。だからセカーを摂らなかったのよ」

 「信じているとも――」

 「そして、私が終焉の石をヴォンダム卿に渡さなかったのは……きっと、私は総和というものを本気で信じてはいないから。長期的な総和を最大化するために何かをする価値はない。少なくとも、罪のない人々を殺す必要はない」

 「ああ、そうだ。当然だ」

 「でもアルファラエル……総和や次なる久遠を信じる人たちもいるわ。もしかしたら、あなたのお姉さんは信じていたかもしれない。お姉さんの選択に、あの石は何も関与していないのかもしれない。私の選択にも関与していないのかもしれない。今ここに留まって、その結果に向かうっていう選択に。私がしようとしているのはそれなの。わかる? フリーカンパニーに戻って、出頭して裁きを受けなければならないの」

 アルファラエルは彼女を見つめた。「ハリーヤ……」

 そのひどく怯えた声に彼女は驚いた。もし実際にアルファラエルが自分を好いているとしたら、それは途方もなく大きなトラウマの絆ということになるだろう。「アルファラエル、私は知らなければならないのよ。ヴォンダム卿がタロ・デュエンドの虐殺を命じて私を逃がしたのは終焉の石の影響だったのか、あるいはそれが頭に開けた穴の影響だったのかを。もしどちらも違うなら、つまり総和に従ってのことだったなら――総和は間違っていることを命じたことになるのよ。私が、それは間違いだとわかっていることを」

 「私が答えよう」背後から声がした。「私は総和に従って行動した、君を行かせた時を除いては。愛ゆえにそうしたのだ。君のことをよく知っているからだ。ハリーヤ。私の弱さと失敗のせいで、君が撃ち殺されるようなことがあってはいけないからだ。そして、君はいずれ戻ってくるとわかっていた」

 管制室に金色の光が広がる。

 ここにいる。管制デッキの向こう側、自分たちとエアロックの間に。

 兜が開かれ、双刃のブラディエーターが首尾一貫した威嚇の光を放った。

 「今こそ、終焉の石を手に入れる時だ」ヴォンダム卿は言った。「君と私とで。そうしたら総和と和解しよう」

「帰ろう、ハリーヤ」

 


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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