MAGIC STORY

久遠の終端

EPISODE 14

第9話

Seth Dickinson
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2025年7月3日

 

第4幕

Revision14 金属男、来たる

 ハリーヤは壁にもたれて座り、船の振動を背中と太腿で感じながら、音響レンダリングに映る皆を眺めていた。

 座っている場所にも意味がある。いかなる武装解除の試みも防げるような戦術的位置取りだ。目的はアルファラエルがこの船を奪取したり、あの“もの”を使用したりするのを阻止すること。

 アルファラエルはまるで浮かれた昆虫のように、空想上のカゲロウのように……一日だけ生きて死ぬはずだった何かのように、せわしなく動き回っていた。身体を洗い、歌い、掌の穴を見つめ、そこにいない誰かへと話しかける。黒リコリス酒をがぶ飲みし、そしてそれは尽きた。

 サミ船長とタヌークは核融合推進装置の修理を試みていたが、明らかに絶望的だった。だが立派なことに、ふたりは絶望的な状況への挑戦にかなり慣れているらしい。

 船内はますます暑くなっていた。熱源探知を逃れるために冷却装置が船内に引き込まれたのだ。アーマーの表面には結露ができていた。フレーメンによると、空気はカビ臭くなっている。

 サンドッグ号はこちらを捕捉していない。

 自分自身の長期的な目標は、ヴォンダムのもとに辿り着き、自分の選択を報告すること。そうすれば自分の選択は正しくてヴォンダムの選択が間違っていたのか、それとも自分が間違っていたのかがわかるはず。ヴォンダムがカヴを皆殺しにして、自分を生かしたのは正しかったのかどうかが。

 けれどそれまでにできることは何だろうか? あの石を壊しに行くことはできる。だがそれはマロウマスに反する。そしてもしマロウマスが壊れたなら、アルファラエルと、自分の邪魔をする者全員を殺さずにいる理由はない。

 殺す、そう考えるだけで吐き気がした。タロ・デュエンドで目にしたもののせいで、肝臓や腎臓まで汚れてしまったように思えた。

 身体を洗いたかったが、そうしたところで慰めにはならないともわかっていた。


 結局、ハリーヤから話し合いの提案があった。

 彼女は今なおアーマーを着たままでいた。もしかしたら、それを脱いだらサミ船長が船室に窒素ガスを吹き込むのではと心のどこかで恐れているのかもしれない。自分ならやってやろうと思うかもしれないが、それはマロウマスの重大な違反でもある。マロウマスは客人を守る義務を定めており、武器を差し出すかどうかは客人の判断に委ねられている。

 ハッチの鍵はかかっていない。こちらが入ると、ハリーヤの両目が一瞬だけ動きを追った。

 だがアルファラエルにはハリーヤの目が見えた。彼女はヘルメットを透明にしていた。

 彼女は痩せて小柄、癖のある髪の毛を頭巾の中に押し込んでいる。頬骨とヘルメットの間に汗が溜まっている。耳周りはひび割れそうなほど乾燥しており、脱毛した眉毛が半分生えかけている。その顔つきにアルファラエルは苛立ちを覚えた――よそよそしく、自己中心的だ。けれど一方で、窮屈そうにも不機嫌そうにも見えなかった。全く見えなかった……ラファエラとは違って。

 「私とあなたとの間に、協定を成立させないといけないわ。互いを殺し合う必要性から解放されるような緊張緩和を」

 アルファラエルは慎重に頷いた。「今のところは上手くいっているな」何故なら彼は自由に船内を動き回っている一方で、ハリーヤは船室に閉じこもっているためだ。

 「それも長くは続かないでしょうね。私はずっと総和を計算しているの」

 アーマーが発した探知光が壁に数学の光を映した。彼女はとても装飾的なフォントを選んでおり、アルファラエルはそれを批判したい衝動をこらえた。

 彼は尋ねた。「何かを決断する方法を他に知らないのか?」

 「間違った決断をする方法なら沢山知っているわ。総和は良い決断をするための境界を示してくれるとされているのよ、遠くの光に向かって導かれるようにね。私はこの船の全員を、私を含めて殺すべきだったと総和は言っている。でも私はそうしなかった。どうして?」

 今がその時だ。この女をモノイズムに改宗してやれる。ただ自分はしくじったモノイストなのだが。楽園への扉に背を向けたのだが。どうすればこの女を改宗させて、僕は生きるに値すると信じさせられるだろうか? アルファラエル自身、どうして心を変えたのかをわかっていなかった。

 「僕自身、まだよくわかっていないんだ。どうしてセカーを摂らなかったのかな」それはアルファラエルの本心だった。

 「それはあなたが臆病者だからよ。私も?」

 「モノイズムでは」……ああ、偽善者のような説教だ。「『自らに迫り来る物事を行うべし』と教えている。自分に迫りくるからこそ、それは正しいんだ」

 「やりたいことを全部やれるわけじゃない。人というのは自分勝手なものよ。助け合うことなんてない。マロウマスは、ドリックスにとっては自然なことかもしれないけれど、私たち人間は? 努力が必要よ。そして追い詰められた時、最初に捨ててしまうのが努力というもの。辛い経験をしたことがあれば誰でもそれはわかるわ」

 「違う。僕たちはそうは思っていない。人は本来、守りたい、与えたいって思うものだ。奪って、税を課して、軍隊を編成して、支配者を任命する――どれも、ひとつの過ちの後に来るものだ。次なる久遠では、そんな過ちを繰り返しはしない」

 「この世界は酷すぎて救いようがないから、あなたたちはより良い宇宙を作ることを諦めた。すべてを穴に放り込めば、ちゃんと着地する。そしてあなたたちもそれを追って飛び降りて楽園に落ちられると思っているのよ」

 「これって、聞いたことのある他の誰かの議論を繰り返しているだけじゃないかな?」

 「そうね」ハリーヤはほんの少し微笑んで言った。上の前歯が一本、まるで力一杯吸ったかのように傾いている。「私に迫り来たのがそれだから。つまり正しいんじゃない?」

 「どうして僕は生きることを選んだのか」賢くなったような気分で彼は言った。「今、それを理解しようとしている。理解しようとしているっていうこと自体は正しいことだって感じている。そしてあんたはどうして自分が殺されなかったのかを理解しようとしている。誰かを死地に送り込むのは間違っている、って僕があんたに言ったらどうする? 命を絶つ者として選ばれるべきじゃない、って言ったらどうする? 何によって選ばれるにしても」

 「その啓示が降りて来たのはいつなの? 切り倒す者の名において自分の存在を終わらせようとした、その瞬間?」

 「僕の姉さんはソセラに送られた。僕は姉さんが地獄の端で永遠に燃えている夢を見た。その時だ」

 「夢に変えられる程度なら、あなたの信仰は儚いものだったということよ」

 「何千人というカヴが焼死しても信仰を変えることができないなら、それは恐ろしいことだ」

 ハリーヤは再びヘルメットを不透明にした。

 アルファラエルはそこに座り、彼女を見つめながら掌の穴をいじり回した。ひどく怒らせてしまったかもしれない。

 「あなたとあの“もの”の関係を理解したいの」ハリーヤは無感情に言った。「掌に穴があいているのよね。他に何かできることはあるの?」

 「もしあの石が、僕たち全員が思っている通りに作用するとしたら。その場合、僕は自分がやっていることに気づくのかな?」

 「きっと気づくわよ。なぜなら物事がずっとあなたの望む通りに進むのだから。これがあなたの望み? 宇宙船に乗って虚空を漂いながら、何かが起こるのを待つことが望み?」

 「いい休憩だよ」

 「つまり、それがあなたの望みだった。一番楽な逃げ道。選択肢も力もない。ただ……物事が良くなるのを受動的に待つだけ。次なる久遠で、かしら?」

 姉から学んだ不機嫌な表情を彼は向けた。「あの石がいつも楽な道をくれるなら、あんたは死んでいたよ。そのために石なんて必要なかった。あんたが麻痺している間に目にナイフを突き刺すだけでよかったんだからな」

 「それは違うわ。何故なら、ヴォンダム卿がこの船を撃ち落としていたでしょうから。あなたは私を生かしておいて、話をする必要があった。だから、あなたが私の目にナイフを突き刺さないのはひとえに、あの“もの”が私をヴォンダム卿から遠ざけかったから、なのかもしれない」

 畜生。その通りだ。

 「あの“もの”が逃げるってのはそんなに悪いことなのか? あんたたちは何を怖がっているんだ?」

 「あなたがあれをソセラに放り込むかもしれないということ。ヴォンダム卿曰く、そうすればすべてを変えてしまえるんですって。宇宙のすべてを。私は総和の道から外れたかもしれないけれど、そうはさせないわ」

 「ソセラに行く気なんてない! 教団が石を持っていたなら、そうするっていうのか? 僕ごと投げ込むっていうのか?」アルファラエルは怒りに燃えて立ち上がろうとしたが、ふくらはぎを上げたところで宙に浮いて回転してしまった。両腕を振り回しながら彼は続ける。「僕を見ろ! 聞けよ! 僕は垂直落下が怖いんだよ! あんなところへ行くつもりはない!」

 「つまり、あなたは背教者ということ」ハリーヤは嬉しそうに言った。「それは良かった。あなたの弁護を引き受けるわ」

 「え? 弁護?」

 「ヴォンダム卿のところへ、フリーカンパニーに戻って報告する時には、あなたがモノイズムを捨てたことを証言できる。スラッツ艦長があなたを生かしたのは正しかったということも。あなたの助命を願ってあげる。つまり、私にはあなたを殺す義務はないということ」

 アルファラエルは思った――つまりこの女は、これを話したかったのか?

 ハリーヤはヘルメットを脱いだ。その動きのあまりの鋭さに、アルファラエルはひるんだ。「もう厳密には私のものじゃないから」それを見つめながら彼女は言った。小さく動き続けるあの振り子は外してある。「フリーカンパニーのアーマーなの。これを使う権利を私は裏切った。私の選択ではなかったのかもしれないけれど。もしかしたら、時の終わりにブラックホールに囚われた邪な石がそうさせたのかもしれない。私がしているのは、そういうこと? 自分の人生を楽にするために悪と妥協して、結果として悪を受け入れているの?」

 「ラーフなら何て言うかは知っているよ」とアルファラエル。

 「何て言ってくれるの? あなたたちのその邪な宣教師は」

 「それは自分自身で解決しなければいけない、って」アルファラエルは天井に身体を固定することに成功した。「ところで、贈り物がひとつあるんだ。船長の昔の倉庫で見つけたんだけど」

 ハリーヤは彼が投げたボトルを受け止めた。「6in1パーソナルクリーニング。10年ほど前の。私、臭う?」

 「いや」そう答えはしたが、確かに少し臭いそうではある。「ただ、アーマーを着たままだから中が気持ち悪くなっているんじゃないかなって。だから少しこれを入れて……どうするのかな、中で身体をくねらせるとか」

 「アーマーに少し流し込む?」彼女は溶剤を水袋に一つまみ入れ、振って混ぜた。「どうやって?」

 アルファラエルは右手を挙げた。「穴があるよ」

 それを見て彼女は笑った。カニの脱皮のようにアーマーが裂けた――ジッパーが外れるように、固く見える箇所が分かれた。ハリーヤは彼を注意深く見つめていた。彼の方もまた、興味深く見つめ返した。人々が互いに好奇心を抱くのと同じように、ハリーヤの様子が気になった。

 だが彼女は動きを止めた。「警戒させないで」

 「え? 僕たちは命をかけて戦ってきただろう。あんたは僕を戦闘アーマーごと切りつけた。僕の喉を潰しかけた。だからって、アーマーを脱いだら僕に殺されるなんて思っているのか?」

 「そうじゃないわ。ただ、見られたくないだけ」

 世の中にはありとあらゆる慣習があり、それを説明する義務はない。けれどこの女はサミズム信者なのでは? 装飾も魅力も剥ぎ取られた個性なき戦士なのでは? 全員が揃って巨大なサウナでブロッコリーのように身体を蒸している、そう彼は思っていた。逆に、自分は共同の塩水風呂に浸かって眠ると思われているのだろう。そういう者、同じプールの中に漂うのが好きな者もいる。アルファラエルはずっと自分用の塩水風呂を用いており、それは少し子供っぽいと常々感じていた。

 「私の出身惑星では、誰もが互いを餌食にしていたの。ずっと冬が続いていて。もし水浴びをしているところを見られたら、つまり無防備で、走れなくて、寒さで死んでしまう。だから知らない人のいる所で服を脱ぐのは嫌なの。盗まれるか殺されるんじゃないかって思ってしまうのよ」

 「ああ!」まるで昔話のようだ。視線が脅威をほのめかし、他者からの非干渉が好みではなく恐怖に基づいていた時代。「それはひどいな。あんたがアーマーを脱いでも殺しはしないよ。僕は行く」

 ハリーヤは首をかしげた。「そんなに簡単でいいの? 本当に私を殺す気はないの? それが正しいことだとしても?」

 「次なる久遠では、殺し合う必要はなくなる。殺すことが正しいことなんて、絶対にないよ」

 「それでも、あなたはこの久遠でヴォンダム卿を殺すことを躊躇しなかった」

 「もちろんだ。星々の消滅と永遠の夜の到来を早めなければならないから」

 首をかしげたまま、ハリーヤは目を狭めた。「まだそれを信じているなら、あなたの助命を願うことはできないわ」

 「あんた自身の助命を願う方がいいんじゃないか、許可を待つよりも」

 その時、通話装置が鳴った。「もしもし、ふたりとも。金属男のお出ましだ。出てきて顔を見せてくれ、さもないとあっちの方から来るぞ。それと、あいつを金属男とは呼ばないでくれるかな。私がそう呼んでることも言わないで欲しい。テゼレットっていうのがあいつの名前だ」


 エアロックが開いた。

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アート:Chris Rahn

 予告はない。先触れもない。露払いのための従僕や先遣ドローンもいない。サミをその勢力に引き込んだその日から、金属男を特徴づけるものは暴力だった。肉体の暴力。思考の暴力。行動の暴力。

 その船さえも、暴力的に現れた。信じられないほど冷たく暗いそれは、どこからともなくセリーマ号に掴みかかった。黒いウニのようで、エンジンも冷却装置もない。動く手段はなく、それでも金属男の意志によって動く。

 そしてその男もまた現れた。

 冷たい落ち着きをもって、その男はセリーマ号へと突き進んできた。焦りは微塵もない。抑え込まれた潜在力と発生源のないエネルギーが激しく音を立てている。空気にオゾンと苦い油の匂いが漂う。ウスロスの雲のように、稲妻が身体に宿っている。その黒い金属殻が開くところをサミは見たことがあった。

 その頭部は人間だが、それでも奇妙だ。白髪が無重力の中を漂い、首は暗号のように複雑な黒い金属の骨組みへと繋がっている。その金属はいかなる検査も通用しない。人間の姿をしてはいるが、「テゼレットは人間だ」という表現は侮辱だろう。心底見くびった表現だと笑うのだろう。

 彼はまずハリーヤを見た。

 「お前は多量の金属をまとっているな。何をしてそれを得た?」

 再びアーマーをまとったハリーヤは、困惑した様子で答えた。「ただ生き延びただけ、だと思います」

 テゼレットは笑顔を見せた。「素晴らしい答えだ」

 サミは息を呑んだ。テゼレットと新たな手下との面談はいつも危うい。

 「お前は」金属男の視線がアルファラエルに向けられた。「霊気の崇拝者だな。それは真実か?」

 アルファラエルは頷いた、まるでテゼレットの意図を正しく理解しているかのように。「そのすべてを」

 「そしてそこから逃れたのだな? 学舎に、信条に、師に背を向けたのだな?」

 「ええ。もう少し長生きしたかったので」

 「素晴らしい!」

 やれやれ。金属男は大喜びだ。

 「タヌーク」テゼレットは一瞬を置いた。「どうれ……」

 テゼレットが近づくと、タヌークはひるんだ。金属男は苛立ち、動かないように身振りで命じると無遠慮な距離で観察する。「ラノワールからは遠いというのに……これほどの力がその姿に。繰り返されるのも納得だ」そして鼻を鳴らす。「お前はひとかどの存在となった。だというのにそれを恐れているのか」

 「何を言ってるのかわかんねえよ」タヌークはうなり声を発した。副鼻腔は閉じられ、顎の間で息が音を立てている。

 「お前は見て見ぬふりをしているだけだ」そして金属男はサミへと向き直った「そして――」

 「そして私です」

 「そしてサミ!」金属男は叫んだ。その身体は無重力でも自由に動く――まるで曲線軌道で落下するモノイストのように、ジェット噴射に乗るサンスター騎士のように。サミの頭上を浮遊する様子は、まるで黒い雲だ。「寛大なるサミ。慈悲深きサミ。はぐれ者の守り手サミ。信念は弱く、それでも生き延びた。私が欲するものを持ってきたのか?」

 「仰っていませんでしたよね、あれが何をするものなのかを」

 「何をするというのだ?」

 「それの目的にそぐうように過去を変えるんです。シグマで貴方が起動したあの鉱山、かつては人々がいましたが、全員いなくなりました」

 「その者らは生きている、ムメノンが正しければ。ただどこか別の場所で、別の生涯を送っているだけだ」

 「別の生涯は、その人たちの生涯の否定です」切迫した口調でハリーヤが言った。「変えられてしまったのですから。長年の記憶を剥ぎ取られて、置き換えられた――何にですか? その記憶は偽物ですか? 捏造ですか? それはアンストラスです。正しくはありません。あの“もの”は危険です」

 テゼレットは高笑いを発した。「聞いたか! 記憶の偽造は残虐行為、異なる歳月は犯罪だとは。その者らは何を失った? 何を犠牲にした? 何もない。サミ、この世界はあまりにも甘すぎる。百兆年後に何が起こるかを巡って、宗教戦争が起こるほどにな」

 その両手、金属の鉤爪が音を立てて閉じた。金属男はにやりと笑った。「いい場所だ」

 「そうですか」とサミ。「セリーマ号での滞在を楽しんで頂けるといいんですが」

 「お前の船はもっと良いものになる。私がこの力を完全に、自由に操れるようになり、そしてこちらを監視しているものの正体が分かったなら、サミよ、かつて造られたこともないような船を贈ってやろう」

 その両目が遠くを見つめる。船自体が脈打っているようだ――まるで巨大な親指で弾かれたかのように。「船倉にあるのだな。今から見せてもらおう」

 「承知しました、旦那様」サミは皮肉を込め、その言葉を試した。

 テゼレットは皮肉など微塵も感じていないようだった。だが通路へと向かう途中で彼は動きを止めた。

 「アルファラエル」テゼレットは穏やかに尋ねた。「お前たち教団員が垂直落下に向かう時、スーパーヴォイドに飛び込む時に感じる力があるだろう。それは潮汐力と呼ばれているのだな?」

 「ああ、そうだ」アルファラエルは右手首を掻いた。「重力が引き起こす潮汐力だ」

 「そして、そのヴォイド……虚空の中には別の世界があるのだな?」

 「次なる久遠が」

 「つまり、虚ろか。潮汐の虚ろ。探れば探るほどに……」


 「あの“もの”を手に取らせるわけにはいきません」とハリーヤ。「あれをフリーカンパニーから逃がしてしまった時、私はその責任を負ったのです。もしあなたがそれをモノイストに渡したり、ソセラに持ち込んだりするのであれば、絶対に止めなければなりません」

 セリーマ号の船倉、その中央で停滞容器が銀色に輝いていた。表面にテゼレットの姿が映り込み、じっと見つめ返している。

 「終焉の石が向かうのは、私がそれに向かわせたい場所だ。とはいえ石自体が何処へ行きたいのかを私が把握するまでは、お前の無意味な死は我慢しておけ。私はすべてを仕組んでいる、石が私を導管として選ぶように」

 「待って」アルファラエルが抗議した。「それは僕を、選ばれし者と呼んだのだけど」

 「今まさに選ぶもの、って」とサミ。「ああ、私も聞いたよ。初めて触った時に」

 アルファラエルは傷ついた様子だった。「船長にも穴が?」

 「いや、穴は開けられなかった」

 「ドミナリア人がミラーリの時に犯した過ちと同じだ。それがもたらす力と、それが求める目的を取り違えたのだ」テゼレットは停滞フィールドの表面を撫でた。それはまるで金属のよう、時空が結晶を成したかのよう。「そう、それは選ぶ者を必要とする。だが選ぶ者はその代価を払う。私は終焉の石に代価を払うつもりはない。代価を払うのではなく、売りつけてやる方がいい」

 サミは横に身を乗り出し、テゼレットの隣に自身の姿が映った。「終焉の石、ですか?」

 「教団の者はそう呼んでいるのではないか? 終焉から来た石だ」

 アルファラエルは両手を組み、顎を上げて寛いだ様子で立っていた。まるで学舎にいるかのように。もしかしたら、得体の知れない力を持つ暗黒の人影が、終末論についてしばしば彼に問いかけているのかもそれない。

 「だからこそ、それを手にしてはいけないのです」ハリーヤが魔法使いに告げる。「これは罠です。その“もの”で誰が何をしようと、すべての生命の終焉を早めることになります」

 「そしてより良い世界が始まる!」アルファラエルが抗議した。

 テゼレットは冷笑するだけだった。まるで練習してきたかのような冷笑。「より良い世界だと? お前たちの世界はそれほどまでに酷いのか? どれほど酷い世界が存在しうるか、お前たちは知るよしもない。私は現実の間を行き来する力を持っているが、それでも暴君どもから逃れることはできなかった。生物種を家畜のように創造して貪り食らう主どもに烙印を押された。私は、より良い世界へ逃げるなどということはしない。私を支配しようとする者に抵抗し、対峙する。首を垂れることは二度とない。だからこそ、終焉の石は私のもとへやって来たのだ――それが欲したように、そして私が求めたように」彼は金属の手を停滞フィールドに這わせた。「何故なら、私は石に何も求めていないからだ」

 他の4人は顔を見合わせた。

 「ええと」サミが尋ねる。「その石に何も求めていないなら、どうして私たちに取りに行かせたんですか?」

 「サミ船長、同じことを言わせるな。石に代価を払うのではなく、売りつけてやるためだ」

 テゼレットは停滞フィールドに映る自身の姿に背を向けた。「それが偶然シグマに現れたとでも思っているのか? 作られ、埋められたのだ。製作者の意図ではないだろうがな。そして今それは掘り起こされ、製作者のもとへ戻りたがっている。ゆえに、始まりまで遡ってみよう。それを作ったのは何者なのかを私は知らねばならない。強者は弱者から奪う。この場所で最強なのは誰なのか、誰が私を支配するのか。それを把握してみせる」

 「旦那様」先程よりは皮肉を抑え、サミは言った。「仰ることがわかりません」

 テゼレットは貨物室デッキの接地ソケットに触れた。伸ばした鉤爪から電撃がほとばしる。「稲妻は最短経路で地面に届く。私は自らを、終焉の石が製作者のもとに辿り着くための最短経路とした。ゆえに終焉の石は私に飛びつく。稲妻のように。私がそれを、望む場所へ導くことを知っているからだ」

 「それが欲しているのは僕だと思っていたんだよ」アルファラエルは少しすねたように言った。

 「お前はライブラリとして必要だが、製作者としてではない。石よ、私の声が聞こえるか? お前の製作者に会いたい」彼はサミに手招きをした。「この装置を停止させろ。石と話して、どこへ行きたいのかを把握する」

 サミは警告した。「それに初めて触った時は皆、その……少し変になるんです。私は気絶しました。アルファラエルは、その、宙に浮かびました。もし触ったらどうなるか……」

 「触れたいのではなく話をしたいのだ、サミ船長よ」テゼレットは上機嫌に言った。「少し前であれば、私自身の身体に移植していただろうな。今は自分の向上具合をもっと徹底的に吟味する方がいい。この装置を停止しろ」

 「あなたには渡しません」とハリーヤ。

 テゼレットの両目に、暗く刺々しいものが閃いた。彼は何も言わず、だがハリーヤは驚き喘いだ――そのアーマーが粥のように泡立ち、彼女を締め上げる。

 「こんなことはしない方がいいのだが」まるで弟子に話しかけるように、テゼレットはアルファラエルに言った。「マナを食らうものもいる。ここで目覚めさせたくはない。だが時に、単なる脅しでは叶わないことを示威行動は成し遂げる」

 「その女を放せ!」タヌークが吠えた。

 「いいえ」ハリーヤは甲高い声を発した「そのまま、どうか……私を殺して……」

 「落ち着くのだな、小娘よ」テゼレットは手を振った。ハリーヤの四肢が力を失い、彼女は宙を回転しながら浮遊していった。タヌークがその後を追う。「さあ、確かめよう。終焉の石は私たちに何を望んでいるのかを」


 君に頼み事がある。テゼレットがソセラの地図の上にクリスタルを落とそうとしている。

 それをウスロス近辺のこの場所まで導いてもらえるだろうか? ここは「平衡点」と呼ばれている。ここには――そう、無限が詰まっている。言葉遊びを許してくれるならば。

> わかった。

> 断る。彼らをススール・セクンディに向かわせる。

> 断る。彼らをアダージアに向かわせる。

> 断る。彼らをカヴァーロンに引き返させる。

> 断る。彼らをエヴェンドに向かわせる。

> 断る。彼らをウスロス本星に向かわせる。

> ソセラへの最期の突入だ!

> 全員をワームウォールに追放してやる。


 

Revision15 永遠へ、そしてその先へ

 前置きと披露がすべて終わると、テゼレットはメモリ式書き込みシートを一枚取り出した。読み書きを学ぶ子供に渡すような単純な品物だ。彼はそれを平らに広げ、鉤爪で突いて硬化させた。

 そしてそれを停滞容器の中、暗く沈黙した終焉の石の隣に置いた。

 「お前」テゼレットはアルファラエルを指さして尋ねた。「巻き上げる前に最後に表示されていたものをもう一度見るにはどうするのだ?」

 「えっと。それはカマスの布かな? 僕はカマスの巾を使って育ったんだよ」

 「そんなことはどうでもいい」

 「『はじめにお読みください』ページにロゴがあるはずだ」

 「ページ? 全部ひとつのページだが」

 サミは助け舟を出そうとした。「シートに形を描いて……」

 「形? 何の形だ?」

 「そうですね、シートの素材と、記号学的基準に準拠しているかどうかによるんですが、カマスなら左回りの円を描けば――」

 「柔らかくなってしまったぞ」

 「電源を切ったんだな」アルファラエルが言った。「船長、僕が最後まで教えるから……」

 「たぶんユニリットのだろう」とサミ。「ピナクルはどこへ行ってもそういうのを配って回るんだ」

 「シートの読み方も知らないのに、宇宙船を操縦できるとでも?」ハリーヤが叫んだ。

 そんな騒ぎが続く間ずっと、タヌークはハリーヤを締め上げたアーマーと格闘していた。

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アート:Andrea Piparo

 ようやく金属男は求める画像を描き出した。ソセラの北極上空から黄道面を見下ろす星系全体の地図だ。反射的にサミはその天体を数えた。ススール・セクンディ、アダージア、カヴァーロン、エヴェンド、ウスロス、外縁、アピーロンの庭、ワームウォール、衛星に準惑星……

 テゼレットはその地図の上に身を乗り出すと、身体の裂け目からクリスタルをひとつ取り出した。その内部で星々がきらめいている。

 そして鉤爪のような指二本でそれを掴み、地図の上に掲げ、放した。

 クリスタルが回転しながら落ちる。サミとアルファラエルはそれを見ようと首を伸ばす。

 クリスタルが二度跳ね、転がり、止まる。

 テゼレットは考え込むように小さくうなり声を上げた。「ウスロス。石はウスロスへ向かおうとしている。ムメノンに連絡してイルヴォイどもを準備させよう」

 サミは咳払いをした。「金属男殿、それは正しくは……その、ウスロスの軌道です。ウスロスの現在の位置じゃありません」

 「何だと?」

 「確かにウスロスはここにあります。けれど示しているのは、ウスロスの逆行位置にあるこの場所です。つまりその、ウスロスがソセラを周回する時に後方にあたる位置です」

 「続けろ」テゼレットは促すように言った。「詳しく聞かせろ。興味がある」

 「平衡点、ソセラとウスロスの重力が釣り合う場所です。何か物を停泊させるのに適した場所です」

 「そして、ウスロス後方にあるその重力の均衡点には何があるのだ?」

 「旦那様の出身地には、通行の管理者というのはいましたか? 門なんかを監視する要員です」

 金属男は笑い始めた。どうやらこの男は笑いたい気分らしい。


送信メッセージ下書き(タイプ:超高速/CDI)
ピナクル戦略実行組織体 事故報告書
ソセラ分局//無限導線セントロメア
緊急の超高速送信を要請
テンプレートにこれ以上の入力は不可能[エラー:入力形式が違います]
狂いそうです[エラー:入力形式が違います]
本当に狂いそうです[エラー:入力形式が違います]
狂いそう[エラー:入力形式が違います]
狂いそう[エラー:入力形式が違います]
狂いそう[エラー:ユーザーは困難な状況にあります]
g3XEHiGsUk.jpg
アート:Constantin Marin
 

 局長を務めるマンティスは作業から指を離し、前脚を腹部に押し込んだ。その名前は「預言者」を意味するが、本当に必要な時までは思い出さないようにしている。彼女は触角を整え、振り動かし、思慮分別を明瞭にすると、苛立ちの感情を体内に噴射した。異種族間の混乱に対処するために訓練された集合体自我は、開けた職場で腺フェロモンをまき散らすのは無礼な行為だと考えている。それだけではなく、自分は内向的な性格だ。そのため思慮分別を用いて、攻撃的な自分の思考ではなくもっと攻撃的な匂いを感知する。

 「最悪」彼女はチェックメイトに、空気中の雑音のように話しかけた。

 「チェックメイト」とは、副操縦士と対立的カウンセラーを兼任する役割である。ピナクルはすべての局長に、異なる心理を持つ者を組み合わせることを試みている。そして彼女のチェックメイトは、四本脚の身体とイルカの口のような一本の長い砲塔を持つメカンだ。時に、チェックメイトには自意識を持つ存在が割り当てられる。だが主体を自覚しない存在である場合は、それは自身の思考を経験する必要性を測る。

 今、その必要性は縮小していた。カヴァーロンからの報告にうまく対処できなかったのだ。大量死の知らせを聞くと、その大量死を経験してしまうのだ。

 「最悪などではありません」チェックメイトが言った。「我々は安全かつ守りの固い場所で報告書を作成しております。即座の危険はありません。我々はソセラの数十億という人民の運命を握っているのです。貴女の主観的な悲嘆は道徳的視野の欠陥です。最悪とは、存在論的背信の疑いで自宅にて殺されることを指します」

 「その通り」とマンティス。ユーミディアンにとって、間違いは恥ずべきことではない――ただ、間違ったままでいることだけが恥なのだ。「自分の苦悩を過大評価しているだけ」

 だが、事態はあまりに間違った方向に進んでしまっている。そしてこの先も間違ったままかもしれない。

 カヴァーロンで六千人が死亡した。崩壊しつつあるカヴの故郷惑星では、ごく普通の日常だ――この惑星は多くのカヴを殺している。ユーミディアンであるマンティスは、故郷の大切さをとてもよく知っている。例えその故郷が自分を殺そうとしているとしても。

 だがそのカヴたちは故郷に殺されたのではない。

 フリーカンパニーはピナクルとの協定に違反した。「戦争を仕掛けるのは宗教的敵対相手のみとする」「戦争は内惑星範囲に留める」という協定を。フリーカンパニーの背後には天界帝領の巨大な力が控えており、零地点のモナステリアットとモノイズム信仰全体が同等の力で対抗している。それらの間に割って入るような危険をピナクルは冒さないが、道徳的視野の欠陥と言われても仕方ない。実際にそう言う者もいる。だがマンティスはそれをひとつの勝利と考えていた。吠えたける巨人二体が宇宙の運命を脅かしている時に中立を保つ――それが叶うだけの揺るぎない重み、質量、そして竜骨を持つものがピナクル以外にあるだろうか?

 マンティスは総和を崇めているが、それは内密な崇拝である。タマン四世や天界帝領に忠誠を捧げているわけではないが、サミズムは信じている。だからこそ彼女は、ユーミディアンであり、他のユーミディアンと共に成長へと力を尽くすべく生まれた彼女は、ピナクルのために力を尽くすことを選んだのだ。宇宙のあらゆる生命のさらなる成長に生涯を捧げることを選んだのだ。マンティス自身はエヴェンド系ユーミディアンではないものの、彼らが成長し繁栄する姿もまた見たいと思っていた。

 マンティスは今、ピナクル戦略実行組織体の全指揮官に、総和崇拝が残虐行為を招いたことを報告するという義務を負っていた。六千人の死者が重要なのではない――毎秒、毎ミリ秒、六千人が死ぬ。脳内で計算できる。そして実際に計算する。そう、ピナクル宙域における死亡率は、おそらく毎ミリ秒六千人よりもはるかに多くなるだろう。

 だが、この犯罪は……帝領とモナステリアットの宗教戦争の危険区域である星系で、保護対象の種族六千人が意図的に殺戮されるというのは、一体どういうことだろうか?

 「私たちにフリーカンパニーを強制的に追い出す力はありません。犯罪者を逮捕したり追及したりする力はありません。私たちにできるのは、その者が久遠の柱の通過を拒否することだけです」

 「我々にはその力があります」

 「ですがチェックメイト、それで私たちの役に立つのですか? カヴの役に立つのですか? この星系、戦いたいと彼らが思っている場所に閉じ込めるのですか? 星系外からの援軍を絶って、どちらの側も決定的な勝利を収められないようにするのですか? 確かに私たちにはひとつの力がありますが、それは事態を悪化させるだけです。瓶に栓をすることはできても、その中の発酵を止めることはできないのですよ」

 「モナステリアットがソセラを膨れ上がらせ、やがて星系全体を食らいつくすのを止めることができないのと同じように。我々の無力状態も同様に手詰まりです」

 ああ、自分の集合体自我は古臭く、行き詰まって感じる、まるで空気のない部屋のよう。マンティスは壁に向かって鳴き、哨戒ドローンから送られてきた久遠の柱の画像を表示させた。その柱の光景から何か意味のある連想が喚起され、新しい何かの案を思いつくかもしれない。人間やカヴのように。

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アート:Piotr Dura

 無限導線は武装を固めたひとつの円環であり、青色のオーロラと白い合金でできたヒトデに似ている。そして久遠の柱がヒトデの中心を貫いている。外宇宙から投げ込まれた槍であり、ソセラ外へのピナクル勢力範囲へと導くケーブルである。到来する宇宙船を上部構造へと導く標であり、出発する旅人を星々の間の久遠へと投げ出す発射装置である。

 「あれは何ですか?」チェックメイトが尋ねた。

 マンティスは熱画像を入念に見つめ、意識的に基本要素を分類する。高度な視覚訓練を受けた集合体自我は持っていない。「どれのことです?」

 「異方性がひとつ存在します。アーティファクトです。この画像の一部は偽造です」

 「どの部分?」

 「わかりません。画像全体のどこかにエラーがありますが、ローカルでは見つけることができません」

 「チェックメイト」と彼女は面白がるように言った。「この壁に映る前に、この画像は戦術実行組織体のあらゆる信号手段を通過して――」

 だが彼女の先を行く集合体自我は既に答えを出していた。小さな集合体自我のひとつひとつが彼女の精神の一部であり、それぞれの任務に献身している。彼女自身がユーミディアンの集団の中で、ひとつの任務に身を捧げるよう進化してきたように。

 ピナクルの戦術的信号処理を突破する方法を知る者が、ありふれた風景のどこかに隠れている。

 察知されることなく無限導線に忍び寄れるほど隠密性の高い船を所有する勢力は、ソセラにはひとつしか存在しない。

 そして、戦術実行組織体の画像処理を打ち負かす方法を彼らが学ぶことができる場所はひとつしかない――戦術実行組織体の工作員自身からだ。

 「こちらの管理宙域に、モノイストの戦艦が一隻います」マンティスは言った。

 彼女はこの知識を集合体自我に投げつけた、特に知識理論に基づいたものたちに。それらは互いに欺き、出し抜き、競い合う。そして何も言わない。マンティスは集合体自我に考えさせておき、戦術実行組織体のネットワーク部門に要請を送った。「囚人をこちらに。今すぐ尋問したいので」

 壁にひとりの人間が現れた。フレーメン機構がその匂いを生成して再現する――アセトンと罪悪感の悪臭。その男は、無限導線とピナクルの保護下に直接引き渡されるという条件で、無抵抗で船をカヴに明け渡したのだった。

 「ヴォンダム」マンティスはその名前を呟いた。自身のフェロモンが、細胞のフレーメンへと挨拶の香りを放つよう指示する。人間は適度であれば甘さも塩辛さも嫌がらない。

 その人間は瞑想を解いて顔を上げた。男は独房の壁を恒星の光球並みに眩しく、そして独房内の空気を自身の血よりも熱く燃えるように設定していた。身体からは蒸気が立ち上っている。股間以外は裸で、筋肉は身体から浮き出ているかのようだ。血管系は皮膚の下に、地図のように張り巡らされている。もし自分が人間の柔らかさに嫌悪感を抱いていたなら、この男は奇妙なサンプルとなるだろう。子供のように半透明で、殻のない姿は悪夢のよう、それでいて堅固。力強い。

 「何をしているのですか?」彼女は純粋な興味から尋ねた。

 「野蛮な女性と話をしている」とヴォンダム。醜い黒色の傷がその頭蓋骨を貫いている。衛生兵が診察を行っており、顔面麻痺、発作、精神的疲労といった合併症を引き起こす可能性が高いことが判明していた。古い傷ではない。

 「何を言っているのかわかりません」マンティスはサイマー語の文章をもう一度解析した。「元気な女という意味ならわかりますが、言外の意味があるのでしょう」

 「太陽だよ」ヴォンダムは独房の壁を身振りで示した。「昔、私の故郷惑星の人々は太陽のことを『野蛮な女性』と呼んでいた。それは女であり、そして力を込められたひとつの塊であるからだ。男のように拡散の媒介主ではなく。人間的な言い方を許してもらえるならね」

 ユーミディアンにとって、女であることは同じように機能はしない。けれどその違いは魅力の源となっている。マンティスは小さく鳴いた。構わない、続けよう。「そして野蛮とは?」

 「荒々しく、話しかけることもできないからだ。私は自分の内なる“野蛮な女性”に話しかけている」

 「話しかけることのできない相手に話しかけていると」

 ヴォンダムは肯定に頷いた。「貴女はその矛盾をわかっているようだ」

 「いいえ」

 ヴォンダムは笑った。「大丈夫だ。私の言葉に耳を貸さない相手に、何故聞いた方がいいかを伝えるための適切な言葉を探していた。ところで、私を呼んだ理由は何かな?」

 「無限導線から三十万キロメートル以内にモノイストの軍艦が一隻いると思われます。私たちの定める立ち入り禁止区域であり、ソセラにおけるモナステリアットの戦争約定に違反する行為です」

 「ああ」ヴォンダムは脚を折り曲げて座り直した。表情筋が皮膚の表情に変化を与え、感情を伝える。「奴らは知っているのだな」

 「知っているとは何を?」

 「間違いなく奴らは久遠の柱を封鎖し、ソセラからのあらゆる船の脱出を阻止しようとする。数時間以内に無限導線に接近するあらゆる船に警告を発し、破壊を開始するだろう」

 「何故です?」

 「私たちも同じ理由でそうするだろう。敵の手に渡してはならないアーティファクトがソセラに存在することを発見したのだ」

 「少し待って」

 集合体自我が次々と、新しくも不安をかき立てる考えをぶつけ合っている。マンティスはそれが止まるのを待った。普段はしまい込んでいる記憶が、勢いよく浮上してくる――警告、プロトコル、不測の事態、そしてドリックスの記憶。星々への航海手段を与え、ピナクルに数々の警告を残して離れていったドリックス。

 ピナクルの災禍目録には多くのアーティファクトが掲載されている。

 「どうぞ」彼女は囁き声で促した。

 ヴォンダム卿は両目を上げた。「フリーカンパニーは他任務から小艦隊を無限導線へと秘密裏に移動させている。封鎖線を構築するためだ。貴女がたがエンジンの燃焼を察知できていないなら、その理由は……」

 そこで口をつぐむのは誘いだった。彼女は飛びついた。

 マンティスは頭部をチェックメイトに向けた。「私は無限導線の局長を即刻辞任します。戦略監視の監査を命じ、サミズム信者による職務執行者のソフトウェア変更を全て調査してください」

 「承知しました」チェックメイトは言った。「緊急プロトコルにより、貴女の役職を引き継ぎます。私の新たな名前は無限導線局長です。貴女を我がチェックメイトに任命します」

 「ありがとう」そう言いながらも、マンティスは心から驚いていた。自分をここに留めておくとは。サミズム信者の不法侵入で情報漏洩が起こっている場所で、サミズム信者がチェックメイトを務める? それは利益相反というものだ。自分を本当に高く評価してくれているということなのだろう。

 局長は命じた。「容疑者への尋問を続けてください」

 今や彼女はチェックメイト・マンティスだ。「ヴォンダム卿。フリーカンパニーの戦力のうち、ここの久遠の柱を封鎖しに向かってきているのはどの程度ですか?」

 「回せる戦力はすべて」

 「具体的には?」

 「ドーンサイアーを守る任務に就いていない船はすべて。こちらが船を一隻動かすたびに、モノイストたちはこちらに対抗しようと持ち場から更に多くの戦力を分けている。どちらの軍も不安定な膠着状態に陥っている。無限導線を制圧するために、船の数で競りをしているようなものだ。数時間後には、貴女がたは両方の艦隊に取り囲まれているだろう」

 「ですが、ススール・セクンディもドーンサイアーも、それぞれの戦略の中心でしょう。失えば、その所有者は戦争に負けることになります」

 ヴォンダムは再び頷いた。「負けるだろうな、ソセラでの戦争には」

 即座に、そして不幸にも彼女は理解した。「そのアーティファクトは、あなたがたにとってソセラの運命よりも価値があるものなのですか?」

 「それはソセラや他の多くの星の運命を定めるかもしれないのだ」

 「そのアーティファクトがカヴを堕落させた、あなたがたはそう信じているのですか?」

 「そうだ」

 「何故カヴァーロンで確保できなかったのですか?」

 「私が弱かったからだ。私は総和を増やせなかった。ある者へと義務を果たす機会を与えたが、本来ならばその機会を否定するのが私の義務だった。そして私が義務を果たさなかったことで、その者に道徳的矛盾を与え、自身の道徳観を疑わせてしまったのだ」

 「そのアーティファクトに汚染されたとあなたが信じる者は全員殺すつもりですか?」

 「そうだ」

 「そのアーティファクトが所在不明となることを防ぐために、この基地と久遠の柱を破壊し、ソセラ星系にご自身を閉じ込めるつもりですか?」

 ヴォンダムの額に汗の粒が浮かんだ。「そうだ」

 「あなたがたもモノイストも、ドーンサイアーを巡る最終決戦に備えて兵器を温存していることはこちらも把握しています。その武器がここで使用される可能性はありますか?」

 「ある」

 その意味を咀嚼するために、マンティスの集合体自我は少しの時間を要した。まるで子供に戻ったかのように彼女は感じた。集合体自我が呆然とした時、ユーミディアンはこうなる。専門知識がないということは若いということだ。

 続けて彼女は尋ねた。「あなたがここに来たのは、それを警告するためですか? それともあなたの信仰をより確固たるものとして、私たちを滅ぼすためですか?」

 「私がここに来たのは、一度は見捨てたとある女性を止めるためだ。あの子を殺したくはない。そうならないことを願う。だがあの時は、殺すべきだったのだ。そうしなかったことで、私が彼女の信仰を破壊してしまったのかもしれない」

 「見習いですか」チェックメイト・マンティスは推測した。「ソーラーナイトの訓練生ですか?」

 彼は頷いた。

 「その者はなぜここに来ると思われるのですか?」

 「あのアーティファクトが彼女を変えてしまった。異なる何者かにしてしまったのだ。彼女はそのアーティファクトを積んだ船に乗っているが、その船に久遠推進装置は搭載されていない。モノイストにアーティファクトを渡すことはないだろう。それは間違いだとはわかっているからだ。そして、私に返すつもりもないだろう。そうしたなら、何の意味もなく信仰に背を向けたと認めることになる。あの子に残された選択肢は、この星系から逃げることだけだ。そのためには久遠推進装置と久遠の柱が必要となる。無限導線には久遠の柱がある。そしてあの子が乗った船をワープさせてやれるような、久遠推進装置付きの大型輸送船があるのはここだけだ」

 「その女性は久遠推進装置を盗むためにここに来るというのですか? ソセラ最大の艦隊ふたつに挟まれ、宇宙の始まりから終わりまでを数度かけても解読不可能な暗号鍵のかかったものを? いくら何でも、成功はありえません」

 「だがそのアーティファクトはそれを成し遂げられるのだ。あり得ない状況をかいくぐって勝利へと導く、たった一本の細い道筋を見つけ出すことができる。たとえその勝利によって、この基地とその職務執行者が全員死ぬことになろうとも」

 マンティスは怒りと不安を吐き出した。

 そこで初めてヴォンダムは微笑んだ。だがむき出しにされた歯は、苦痛の証に見間違えやすい。「チェックメイト・マンティス。何故私たちがその“もの”を敵から守ろうと必死なのか、お分かりいただけただろう。何故私たちがこんなにも必死にそれを見つけ出そうとしているのか、お分かりいただけただろう


 

Revision15 長く、暗く、暑く

 捜索レーダーが暗闇の中で吠える。

 セリーマ号の違法ESMブロックはそれを帝領製の分散位相配列信号と認識した。ピナクルのコードネームRED SPOT。サンスター・フリーカンパニーのセンサーが、広大な空間の中に金属のきらめきを探している。

 故障した核融合推進装置を抱え、セリーマ号は漂流していた。テゼレットが得体の知れない方法で加速をかけ、最後の航路を進んでいる――だがそれほど遠くまでは進んでいない。カヴァーロンの加速レーザーの到達範囲からそう遠くはない。

 どこを探せばいいか、敵はよくわかっている。

 レーダーはまだ検出の閾値に完全には達していない。けれど1分ごとに近づいている。

 冷却装置が停止しているため、船はとても高温になっていた。炉の出力を上げたなら、数分で溶けて金属屑になってしまうだろう。

 サミは発見されるのを待っていた。

 フリーカンパニーのレーダーが不意に途切れた。セリーマ号は遠距離での妨害とエネルギー兵器の発射を報告した。何かがサンスターに忍び寄り、卑劣な攻撃を仕掛けたらしい。モノイストの戦闘メカンか、超流体ヴォルテックス・ドライブを搭載したステルス高機動船だろうか? 超流体ヴォルテックス・ドライブが稼働しているなら是非とも見てみたい。いや、設計通りに稼働しているなら見なくてもいい。

 ここ数日、セリーマ号の不確かな漂流経路をめぐって複数の船が争いを起こしていた。どういうわけか、モノイストは終焉の石について知ったらしい。

 だがフリーカンパニーもモノイストも、セリーマ号を追い詰めるのではなくセリーマ号の唯一の出口を塞ぐことに注力しているらしかった。何十という核融合推進装置の炎が、無限導線と久遠の柱をめがけて加速していた。

 終焉の石がそんな場所を目指しているなんて残念だ。本当に残念だ。ソセラの最重要指名手配犯として、最高に楽しい時間を過ごせるはずだったのに。

 救助はすぐに来る、テゼレットはそう約束していた。イルヴォイの塑雲師と工学メカンを満載した船がすぐに来るだろうと。

 だが救出される準備はまだ終わっていない。

 やはり、そこでタヌークがやって来た。彼はサミの気分をよくわかっている。きしむ音を立てて椅子に座り、操作レバーを調整し、ぶつぶつと低くうなり、身体を左にひねり、右にひねり、そしてようやくサミへと目を向けた。

 「船はどうだ?」

 「お前さ、何か嘘をついてるだろ」サミはそう言った。「ずっと変だったよな、終焉の石の件で」

 「ああ」

 「あれを使ったのか?」

 タヌークは黙っている。

 「気にしなくていい。もし私に嘘をついてるなら、ちゃんとした理由があるんだろ。ただ……私を守るためにお前が傷つくような嘘はつかないでくれよ?」

 「そういう嘘なんだよ」とタヌーク。「でも、その件はもう何をしたって手遅れなんだ」

 サミは何も言わず、手を伸ばして彼に触れた。

 タヌークは尋ねた。「本当にやる覚悟はあるのか? その作戦を実行していいのか?」

 サミにはひとつの作戦があった。素晴らしい作戦が。もしかしたら、これまでに考え出した中でも最高の作戦かもしれない。テゼレットにも作戦はあった。終焉の石の力を利用して無限導線へと強引に入り込み、行く手を阻む者と船はことごとく石に願って消し去るというものだ。そして石は無限導線にいるピナクルの乗員たちを、テゼレットに隷属する腐敗した取り巻きに変えてしまう――テゼレットは腐敗を愛し、取り巻きを愛し、共同事業を愛し、そして何よりも金属を愛している。セリーマ号に乗船している間、あの男は機械いじりをして過ごしていた。

 テゼレットにとって、これはすべて自身を改良するためのプロジェクトだった。自分には闇の神々の支配下に陥ってしまう悪癖がある、金属男はそう言っていた。だが今回は違う。終焉の石の創造主の目をしかと見つめ、従うに値する者かどうかを囚われる前に見抜くつもりなのだと。

 サミには遥かに優れた作戦があった。終焉の石を使う必要のない、少なくともこれまで程には使う必要のない作戦が。

 ここでは人々は助け合う、テゼレットはそれを理解していない。ここは宇宙なのだ! 宇宙で生き延びるためには規範が必要であり、その規範に最初に書かれているのは「結束すべし」だ。究極的には、自分たちは皆、宇宙という虚空に立ち向かうために結束している。モノイストのステルス高機動船であっても、熱暴走で立ち往生したフリーカンパニーの船を助けようとするだろう――たとえ捕虜を捕らえるためだけだとしても。いや、どうだろう? アルファラエルとハリーヤに聞いてみるのがいいかもしれない。

 サミの作戦は助けを求めることだ。

 まず、無限導線に情報通信ビームを送信する。内容はピナクルの支援と保護を求めるもの、ただしピナクルのマロウマス以外でと明確に述べておく。

 ハリーヤはモノイスト勢力からの脱出に協力して欲しいとフリーカンパニーに要請を送る――彼女を説得できたならの話だが。

 アルファラエルは、サンスター・フリーカンパニーに対抗するためにモノイストへと助けを求める。

 そしてセリーマ号が無限導線に十分近づけたなら、あらゆる組織に保護されながら、導線に停泊しているドローン制御式ワープ船を一隻盗んで久遠の中へと消え去るのだ。

 確かにこれは犯罪行為だ。宇宙における結束の大切さを利用している。とはいえ自ら暴力に加担しない限り、誰も殺されることはないはずだ。

 サミは作戦の失敗を恐れてはいなかった。恐れているのは……

 「タン、あの子はどこかにいるんだ。この星系のどこかに。ミリーは生きてるって私にはわかる。何故なら、もし死んだりしていたら耐えられないから。だから、どんな心構えでここを離れればいいんだ? ミリーが見つからないままソセラを離れるなんて」

 タヌークはゆっくりと深呼吸をした。「何年も、これを言う時を待ってた。今がその時か?」

 「ああ。今がその時だ」

 「本当は船長もわかってんだろ、ミリーは大丈夫だって。きっと虚空間渡りでどこかの船へ行って、けどその船は飛び去ってった。だから戻ってこれなくなったんだ。そしてそこの乗組員と生涯を全うしたんだ。暖かい所で、食べ物も沢山もらえて、幸せな猫としてな。もしかしたらその全員に愛されて、子猫を生むことになったかもな。もし船長がミリーを見つけられなかったとしても、きっと大丈夫だ。あの子は猫だ。ミリーは船長が好きで、船長もミリーが好きだった。でも他にミリーを愛する誰かが現れたなら、ミリーもそいつを愛するだろうよ。その愛が返ってくる限りは。それは……悲劇なんかじゃねえさ、船長。そんな最高のことは滅多に望めやしねえ。ひとつじゃない場所で、ひとつじゃない船で、ひとりじゃない相手と幸せになれないなら幸せじゃないってんなら、俺たちの大部分は幸せじゃないまま死んでくってことになる。ミリーはそれをわかってるんだ。どこに行ったって幸せになる方法をわかってるんだよ。猫だからな」

 「そうだね」サミは静かに言った。「でも私は納得しなきゃいけないんだ。ミリーは私の猫なんだ。くだらないことじゃないんだよ、タヌーク。そこまで気にかけるのは変だって、この船を離れてった奴は皆そう言った。でもそれが私の妹だったり、母親だったり、妻だったり、友だったり、戦友だったり、ワーム語り号の唯一の生存者仲間だったり、あと……一目惚れした赤の他人だったりしたら、皆もそんなことは言わなかったはずだ。そんな架空の存在を追いかけて残りの人生を過ごしたとしても、まともで誠実な人生だって言うだろうね。ただ、ミリーは小さな猫だから、人じゃないから、皆そう思うだけ。本当にそれだけなんだ。妹や恋人や仲間みたいに、献身的に尽くすほどの相手じゃないって。もしかしたらそうなのかもしれない。もしかしたら皆の方が正しくて、私が間違ってるのかもしれない。もしかしたらミリーは人よりも些細な存在なのかもしれない。お前や私が……例えば、ドリックスとか神とかよりも些細な存在なのと同じように。もし神がいるならだけど。だから? だから何だよ? それで何が変わるんだよ? 自分たちよりも些細な存在なら、自分たちよりも大切に扱うべきじゃないのか? もし神が存在するなら願うだろ、星々を越えて私を見守ってくれって。例えミリーが私よりも些細な存在だとしても、神が私を扱うように私はミリーを扱わないといけないんだ」

 「あの石よりもいい神様としてな」

 「そうだとも!」

 タヌークは椅子の上で身体を動かし、口と大きく敏感な副鼻腔をサミに向けた。

 「ミリーが見つからないまま、この船で久遠の柱を抜けてソセラを離れる。船長、できるか?」

 「私は戻って来られる――テゼレットが言ってた、私たちをここに帰すことはできるって。ここに拠点があるんだって」

 「それは駄目だ、船長。自分に嘘をつくな。作戦が成功したならピナクルが追ってくるぞ。サンスターとモノイストは俺たちを賞金首リストのトップに載せるだろうよ。ソセラに知り合いがいることもいずればれる。ソセラに来る船は全部監視されて、たとえセリーマ号を捨てたとしても……」

 「それは絶対にしない!」

 「だったら、セリーマを別のきれいな船の中に埋め込んで戻ってきたとしても、認識符号を変えたとしても……いや、案外うまくいくかもな」

 「だろ?」とサミ。「きっとうまくいく。ミリーを置いてくつもりはない。私は迎えに戻ってくる」

 「本当にそう信じてるのか?」

 「信じてるとも」

 タヌークは鼻腔から息を吹き出した。「それなら俺も信じるよ、船長」


 「あんたは僕たちの中の弱点だ」アルファラエルが言った。

 自分は弱点などではない、ただ戦闘によるダメージを受けただけだ。金属男はありえないことをした。そのため彼女はアーマーを脱いで広げ、検査している。センサーは何らかの放射や力を全く検出しなかった。だがあの男は自分を麻痺させ、玩具のように振り回したのだった。一体どうやって? こちらの戦闘力と装備をすべて掌握して、それで……嘲笑するだけなんて。

 目の前に並べた部品を彼女は見つめた。ヘルメット、ボディスーツ、肩当てと胸当て、柔軟な腹甲、長い腿当てとすね当て、そして両脚を保護し安定させるための踵付きの足甲。自分の脚は長すぎると彼女はいつも感じていた。ぎこちなく不格好に見えるのだ。小さな頃には、誰かが避難壕から出てきて、脚を食べようと襲ってくるという悪夢をよく見たものだ。

 「あなたたちは共食いをするの?」彼女はアルファラエルに尋ねた。

 「は?」

 「ススール・セクンディでは。あそこに生命はないでしょう。何を食べるの? 死体を焼いてパンにして信者に食べさせるの?」

 「普段はバーベキューであんたたちを焼くよ、文明人らしくね」アルファラエルが返す。「冗談だ。ずっとそうしているつもりか?」

 彼女の船室の壁際、そこにアルファラエルは屈みこんでいた。黒い服は洗濯中なので、小さすぎるスウェットパンツと借り物のシャツを着ている。暑いため、シャツのボタンは開けている。その身体は不快なほど骨ばっていて筋肉質で、ヴォンダムのような健康的な脂肪はついていない。一方のハリーヤは髪を隠すための帽子と――アーマーと胴着の下に被っていたものだ――安全のためにローブを羽織っていた。身体を覆い隠すのは視線を避けるためではなく、慎み深い文化の名残でもない。ただ、アーマーも武器も身につけていない姿を誰にも見られたくないというだけ。アルファラエルは何も気にしていない。互いの隔たりはどのような禁忌よりもはるかに深い。ハリーヤは生命の始まりを信じ、アルファラエルは終わりを信じている。

 「私は弱点なんかじゃない」それが嘘だというのはわかっている。「いずれフリーカンパニーに戻ってあなたの赦免を願い出て、カヴァーロンでのヴォンダム卿の行動を報告するのよ。終焉の石を破壊するのは、明らかに今の私の力に余るわ」テゼレットが乗っている以上は。あの男は一体何者なのだろう?

 「『でも』って続くんだろう?」

 「でも、終焉の石が行きたがる所へ行かせるわけにはいかない。それは駄目なのよ」

 「終焉の石を持ち帰るのがあんたの義務だからか? そうしないって決めたんじゃないのか?」

 彼女はアーマーの部品に何か明らかな不具合がないかと探した。タイル状の回路やインカグラス、そして罫線入り合金の奥底にテゼレットが掌握できるような小さな欠陥があるかもしれない。「石の命令に従って行動するなら、私たちは一体何者? 私たちもあなたと同じ。石の願いに翻弄されるだけ、何のために生きているわけでもない。もしあの石が何かを望んでいるなら、だけど」

 「タロ・デュエンドで皆殺しを命令する前に、ヴォンダムはこう自分に言い聞かせてたんじゃないかな。『石は私が慈悲を与えるよう願っている。だから慈悲を与えてはいけない』って」

 映画には、情熱を昇華させたかのような暴言を吐くという冗談がよくある。「無事に戻れ、さもないと殺してやるからな」というようなものだ。ハリーヤはそんな冗談が大嫌いだった。脅迫する側のキャラクターの印象を貶めているように見えるのだ。自分の恋人を殺してやると脅す? どれほど熱烈に愛しているかを表現するために恋人の手からリンゴを撃ち落としたり、アーマーを刺して試したりする? 軽率に暴力を振るう者はとても無神経だ。そして冗談として安全に使える暴力は、とても無力だ。

 ヴォンダムの名前をアルファラエルが口にした時、ハリーヤはこの男を殺してやりたいという衝動を感じた。そうでなければ自分が許せない。

 「僕は見たよ」とアルファラエル。

 「ねえ。私が厳しく自分を律していてよかったわね。訓練を受けていなければ、今あなたの喉を潰していたかも――」

 「訓練って、殺さないための訓練か? 馬鹿げている。殺すための訓練を受けたんだろ。タロ・デュエンドのフリーカンパニーの兵士どもと同じだ。もうソセラに住む全員が監視カメラの映像を見たはずだよ。カヴが凧を飛ばしてきたから、殺すために発砲した」

 「私は暴力を取捨選択するよう訓練を受けてきたわ。無力な状態のあなたを殺すことはしない――」

 「でも殺したんじゃないのか? あんたは僕を殺したのかもしれない。サミ船長とタヌークも。その後で終焉の石があんたに慈悲をくれたのかもしれない。それとも、慈悲を見せるような人物に変えたのかもしれない」

 「それはないわ。あの振り子があったのだから」

 「そうか、本気でそう思っているのか! 嫌じゃないのか、ハリーヤ? 自分が本当に自分なのか、それとも石にとって有用な方に変えられた自分なのかがわからないのは」

 「石はあなたが気に入っているのでしょう? あなたはどうして手放したいの?」

 「手放したいとは思っていないよ。あれを使って、姉さんが垂直落下に向かわないようにしたいんだ。あんたはヴォンダムと入れ替わるために石を使いたいって言っただろ。それと同じだ。それは卑怯な願いだったし、責任の放棄だったけど……って怒らないでくれ、まだ言い終わってないんだから。でも、それはきっとうまくはいかないんだ。僕たちがここ、セリーマ号へ辿り着くのを阻止するような何かを変えるというのはできないんだ」

 「変えられるわよ。あなたたち全員を死なせて、私がここでヴォンダム卿が迎えに来るのを待つ。どう?」

 「でもそんなことはしないんだろう。だってあの石はあんたの敵だから。石を使って何をしても、敵を助けることになる」

 ハリーヤはアーマーの部品を見つめた。壊れた部品を探す――自分に混乱をもたらした部品を。

 そして疑問を声に出した。「願いを叶えてくれる魔法の石があるけれど、その石の作者には邪悪な意図があるかもしれないとしたら、あなたはどうする?」

 「できるだけ沢山願い事をしようか、世界をよりよい終末に近づけるために」

 ハリーヤは彼をじっと見つめた。「本当に? 偽の信仰では、子供向けの物語はそんなふうに進むの?」

 「他にどう進むっていうんだ?」アルファラエルは指を突きつけた。他の指は丸めて、掌の穴の先に見えないようにしている。「ここではすべてのものにそれぞれの目的がある。この戦争の勝者次第でソセラ自体にも。ピナクル、カヴ帝国、フリーカンパニーとモノイスト。どれもそれぞれの目的のために作られた組織で、その目的はたぶん自分のそれとは違う。それでも協力し合うことで、自分自身の目的に近づくことはできるんだ。誰かの目的の力になることもできるし、自分のでもいい。あんたの目的、僕たちの目的、あの石の目的、どれも何らかの形で繋がることはできる。さあ、従者ハリーヤくん、答えを出そう。僕たちに協力する気はあるかい? 目的は合致しているかい? サミズム信者は明晰さで有名だがどうした?」

 「自殺しようとしていながら心を変えた人間がよく言うわね!」

 「ああ、そうだとも」アルファラエルは下唇を噛んだ。「忠告をくれないか?」

 「真逆のものならあげられるわよ」

 「もしかしたら僕たちに必要なのは、終焉の石でも変えることのできない道徳の形なのかもしれない。物語の中の、お気に入りの登場人物みたいに。何百万っていう読者に読まれた物語は、終焉の石でも書き換えることはできない。もしかしたら、どの物語が好きかを変えることはできるかもしれないけれど……できないかもしれない。そうだな……あんたは好きな登場人物はいるのか? 尊敬している、あんなふうになりたいっていう相手はいるのか?」

 「いるわ。ヴォンダム卿よ」

 「別の誰かにしてくれないかな」

 「知らないわよ! もしあの終焉の石が私を変えてしまったなら? 物語に興味なんてないように変えてしまったなら?」

 「でも、興味はあるんだろ」

 「どうしてわかるのよ?」

 「お嬢さん」アルファラエルは気取って言った。「さっき僕に聞いたじゃないか、願いを叶えてくれる魔法の石を手に入れたらどうするか、なんて。いつから寝ていないんだ?」

 「アーマーを脱いでってこと? 何日も」

 「ああ、僕もなんだ。寝台に縛り付けられて寝るのは慣れないよ。水槽があればなあ」

 「後戻りはできないわよ」

 「できないな



 

Revision15 イルヴォイと作戦

 セリーマ号の横に宇宙船が一隻現れた。

 十数もの警報が鳴り響く――探知光による接近警報、星を遮るその形状。船がこれほど接近して現れたということはセンサーの故障を示唆し――そしてタヌークはすべての警報を初期状態に戻した。彼らはその船の出現を予期していた。

 サミは後方カメラからの映像に目を丸くした。「泡だ!」

 「光反応性の超流動ヘリウム球だ。絶対零度より二度だけ高い」テゼレットはまるで秘術の言葉を暗唱するかのように言った。「ヴォイドそのものよりも冷たい。見事だろう?」

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アート:Sergey Glushakov

 その船は明らかにイルヴォイ製だった。巨大ガス惑星の主要種族であり、雲を自在に操る。その冷たい球体の中には、繊細で美しい金属とすさまじい圧力に耐えうる容器が収まっているのだろう。船体は一見して優美だが巨大で、転回は難しそうだ。イルヴォイの技術の中には、高圧下から取り出そうとすれば爆発するものもある。同じように爆発してしまうイルヴォイもいるだろう。

 間違いなく、その船のイルヴォイたちは高圧にさらされている。捜索レーダーがセリーマ号の周囲を旋回する中、彼らは自分たちの船を接近させてこちらの周囲にヘリウムの泡を広げていった。「塑雲……」サミは息をのみ、赤外線カメラ越しにその過程を見つめた。泡に局所光を当てるだけでも妨害になってしまう。サミは訝しんだ――塑雲とは念動力的な技術だ。テゼレットが金属を操る技とは何か類似点があるのだろうか、それとも全く異なるのだろうか?

 イルヴォイ製のメカンが冷却ラインをセリーマ号に差し込み、冷却液で船内を洗浄した。セリーマ号は数日ぶりに冷えた。サミは船殻に頬を押し当て、安堵のため息をついた。

 そしてメカンたちはセリーマ号の船尾に群がり、核融合推進装置の修理を開始した。

 イルヴォイのひとりが乗船してきた。

 その人物は半透明の膜に覆われた頭部をもつ、巨大なクラゲだった。イルヴォイのほとんどは他の星間航行種族と同じく、人間のような狭い「多様性」には収まらない。身体にまとうのはとても上質で薄く透き通った絹で、サミは思わず推測した――イルヴォイ製のナイトクラブ向けドレスは、宇宙のどこかで高値で取引されているに違いない。かすかに沼の匂いと、ある種のコロンのような匂いが強く漂ってきた。

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アート:Joshua Raphael

 「ムメノン」テゼレットは白い髪を無重力に浮遊させながら叫んだ。「手に入れたぞ」

 そのイルヴォイは脳膜の端に仮面をつけており、意に即してそれが動いた。今、その仮面は抽象化された人間の顔を表現していた――まず喜び、そして好奇心。それはテゼレットの背後、エアロックに描かれた方位磁針マークの前に集まる4人を順に見ていった。サミ、アルファラエル、ハリーヤ、タヌーク。

 「サミ船長」そのイルヴォイが言った。「ムメノンと申します。アナタのお家にお邪魔しても宜しいでしょうか?」

 「マロウマスに基づいて。どうぞ、乗船してください」サミはそう言った。イルヴォイという種族はとても礼儀正しくて……

 「ここは臭いますね」ムメノンが言い放った。「ストラトゥンの麝香のような臭いです。それに汚い。まさしく絶望した者の強烈な悪臭です。さて、見てみましょう。あのアーティファクトを回収するために、サミ船長と6人の乗組員が向かったのですよね。もう2人はどちらに?」

 6人? 6人だって?「私の乗組員のうち4人が過去に消えたと?」

 「もし消えたのなら、そう重要ではなかったということかもしれません」ムメノンの仮面には喜びの笑みが浮かんでいた。「いえいえ、ワタシはこの船を操縦するために最低限必要な乗員を数え上げただけです。2人不足しているまま航行しているのですか?」

 「4人足りない」とタヌーク。「この2人は乗組員じゃねえ。こいつらは……」

 「顧問かな」アルファラエルが提案した。

 「捕虜です」今度はハリーヤが言った。

 ムメノンは理解した。「ああ、共犯者ですね」

 「ムメノンは面白い奴でな」とテゼレット。「そして私に助言をくれる。終焉の石が存在する可能性を警告したのも此奴だ」

 「ワタシの言葉に最初に耳を傾けてくれたのがテゼレットでした。ワタシはウスロス連合から追い出されてしまったのです。ソセラの奇妙な現象には、ウスロスの深層雲で見つかる以上の何かがあるかもしれないと言い続けたがゆえに……全く、あの膜食らいどもは」不意の風に乗り、ムメノンが向かってきた。再びの塑雲だ。その頭部の膜が深いラベンダー色に染まる。「星系全体に渡るデータ調査から、因果律を操作する存在がソセラにあるとワタシは推測しました」

 「終焉の石だ」アルファラエルが言った。

 イルヴォイの仮面がアルファラエルへと笑いかけた。イルヴォイが人間的な無礼さを見せるなどありえない。イルヴォイは人間と同じ社会規範を学ばないためだ。無礼なことをするために、ムメノンはあえて人間の礼儀作法を学んだに違いない。

 「終焉の石は数ある異常現象のひとつです」ムメノンは続ける。「この宇宙にワタシたちが持つ小さな領域は、戦争の墓場です。通過する嵐が巻き起こした渦です。死体が流れ着いて集まり、そこに引き込まれるのです。あまりに巨大で冷たいので、ワタシたちには認識できません。動いていてもわかりません。ドリックスはピナクル宇宙を『囲い堰』と呼んでいます。深い水に囲まれた乾燥した場所であり、常に水漏れの監視が必要とされるためです」

 「待って」ハリーヤはテゼレットを警戒するように一瞥した。「終焉の石は不可避終焉に作られたと思っていたのだけど。終末をもたらすために、時の終わりが作ったのだと」

 ムメノンは答えた。「時の終わりはまだ来ておりません。あるのは十中八九起こりそうな結果だけです。現在は現実、それは紛れもない事実です。あり得る多くの過去がそこに収束します。そういった過去にはアトラクターが……位相空間を支配する過去が存在します。ワタシが興味を持つのは、そういったあり得る過去に何が残っているかということです。未来は? それはアナタがたの信仰に委ねます」

 「つまり、大宇宙秩序は正しいのよ!」ハリーヤは思わず声に出した。

 「そうじゃない!」アルファラエルも言い放った。「過去と未来は実在する。質量に埋め込まれた座標として!」

 「黙れ!」テゼレットの声はエアロックされた艦橋の壁を震わせた。「終焉の石は久遠の柱へ、そしてその先のワープへ向かいたがっている。石をそこへ運ぶ。私は石の製作者にそれを売りつけ、見返りとしてその力の一旦を垣間見る。ムメノン、お前の船でサミ船長の船を無限導線の門へ急がせろ。私は最後の交換に同行する」

 「終焉の石を使うのだと思いました」ムメノンはその身体から巨大な笛のような音を発した。

 テゼレットはサミを一瞥した。「使わん。終焉の石は、絶対に必要な時以外は停滞状態にしておく」

 「ワタシは実験してみたかったのですが」

 「実験もなしだ。サミ船長の体験を聞くに、終焉の石は自我を支配する力へと深刻な危険をもたらす。議論の余地はない。私は、私自身以外によって変えられはしない。絶対に」

 「それでは、アナタはどうやって久遠の柱に辿り着くのですか?」イルヴォイの合成音声が抑揚なく尋ねた。

 「単純なことだ。終焉の石が自らの目的のために事象を操ってきたことはわかっている。つまり、ここに集合したものはすべてそのために役に立つ。それをすべて活用してやろう。ムメノン、お前の役割は素早い隠密行動の手段を提供することだ。それが終わったなら隠れ家に戻れ」

 サミは尋ねずにはいられなかった。「旦那様の……あのウニのような船はどうするんですか?」サミは以前観察していた。テゼレットの黒い骨組みの船が、軍用の結晶フィールドをも凌ぐ勢いで加速する様を。「飛び込めるかも……」

 「作戦には使わん」

 「私たちが死にそうになって、それを見捨てなければいけない場合に備えて確保しておくと」

 「無論だ」

 「少なくとも、正直ではあるのね」ハリーヤが呟いた。


 テゼレットは言った。「あの女が問題だ」

 「悩んでるんですよ」

 「あの女が手を貸さなければ、お前の作戦は上手くいかない。そしてあの女は手を貸しはしない。同意させろ。さもなければ私がさせてやる」

 「あの人に触れないでください!」サミは威嚇するように言い、テゼレットの無敵の金属殻を突いた。「マロウマスに基づいて、ハリーヤは私の客人なんです」

 「上流階級の慣習は、暗闇に隠れた船に乗る犯罪者には当てはまらん」

 「そういう話じゃない――上流階級の慣習なんて関係ありません! これは私の船なんです。私には客人を守る義務があるんです!」

 「フリーカンパニーへの伝言を録音するよう説得しろ。さもなければ、あの女の頭から暗号や符号を引き出す方法を私が見つけてやる」

 「必要とあれば、この船を爆破します」とサミ。「全員殺します。テゼレットさん、あなたはわかっていないんです。マロウマスは神聖なんです」

 「神聖なものなどない。有用というだけだ」そしてテゼレットは不意に微笑んだ。この男は大いに、恐ろしいほどに面白がっている。「だが、その客人の権利とやらが有用であると証明してみろ。さあ、小さな船長よ! 胆力の試練と思うがいい」


 「目的は、無限導線からワープ輸送船を盗むこと。輸送船はそれぞれ、短距離ドローンに据え付けられた久遠推進装置を搭載している。久遠推進装置を持たない船が渦流をワープに変換するのを助けるのがその役割だ。

 「ワープ輸送船は解読不能の暗号で守られている。そして無限導線は今、フリーカンパニーとモノイスト艦隊の激戦の中心となっている。どちらの陣営も、相手がまとまった防衛陣形を構築するのを阻止しようと必死だ。ご想像の通り、『失っても構わない艦艇をできるだけ早く送り込め』っていう作戦はだんだんと困難になりつつある。

 「私たちは終焉の石をソセラから持ち出さなければならない。いずれは片方の勢力が無限導線を巡る戦いに負けるだろう。そして、敗者は勝者が終焉の石を持って逃げるのを許すわけにはいかない。だから敗者側は私たちの脱出を阻止するために、無限導線と久遠の柱を破壊するかもしれない。あの石がなくなるか破壊されるまで、ソセラにも、私たちにも平和は訪れないんだ。

 「突入が円滑に進むように、金属男とあのイルヴォイがセリーマ号を一部だけ修理してくれた。金属男は船に魔法をかけてくれている。イルヴォイはあの朔風船を使って無限導線まで私たちを飛ばしてくれる。発見されたら、三つの救援要請を送信する――戦闘の両陣営にひとつずつと、ピナクルにもひとつ。うまくいけばそれぞれの陣営が敵を遠ざけてくれて、終焉の石が奪われるのを防げると思う」

 「うまくいけば」は作戦の中で聞きたくはない言葉だが、サミはそう言うしかなかった。

 「無限導線に到達したら、タヌークと私が乗り込んでピナクルと面会する。そして全部正直に伝える。珍しいアーティファクトを創造主のもとに届けるために、久遠の柱を通りたいと。もしピナクルがセリーマ号を占拠したり乗り込んできたりしそうなら、フリーカンパニーかモノイストの、もしくはその両方の報復を受けるぞってブラフをかける。どちらの側も、敵は暴力的な手段で私たちを捕らえようとすると予想して、自分たちも暴力的な試みを仕掛けてくるだろうと」

 アルファラエルとハリーヤは顔を見合わせた。

 「私たちがそうしている間に、ハリーヤとアルファラエルはアーマーを装備してセリーマ号から無限導線のドッキングアーム先端に飛び移る。そこには港湾管理モジュールのひとつがあるんだ。そこでワープ輸送船を解放して、セリーマ号へのドッキングを指示して帰還する」アルファラエルは帰還するだろうが、サミはハリーヤについてあまり確信が持てていなかった。「セリーマ号に集合してワープに移る。それから石に飛びたい方向を尋ねて、先へ進む」

 サミは長く息をついた。

 「この短い人生で、私は沢山の犯罪を行ってきた。けれど今回はその中でも最大規模で、振り払うのも一番難しくなるだろう。指名手配されることになると思う。フリーカンパニーとモノイストは終焉の石を求めて私たちを狙ってくるだろうし、ピナクルは窃盗と詐欺の罪で。そして私たちが得られるのは、航行を続けられる機会だけだ。終焉の石は動かさなければいけない。熱すぎて持ってはいられないんだ。皆、いいか?」

 サミは調理室を見渡した。

 「ああ」とタヌーク。

 「いいよ」アルファラエルも言った。

 「はい」ハリーヤもまた。

 サミは驚いた。「同意してくれるのか? あの石を壊したくないのか?」

 「終焉の石をどうしたらいいのか、わからないの。私の義務は石を破壊することだったけれど、そうしないことを選んだ。ヴォンダム卿の義務は私を殺すことだったけれど、そうしないことを選んだ。どうしてなのかがわからないのよ。終焉の石が私たちを変えてしまったからなのかもしれないけれど、それだってわからない。私にできるのは、次の義務を遂行することだけ。ヴォンダム卿のところに戻って、報告をして、アルファラエルの赦免を願うということだけ」

 全員が彼女を見つめた。「そんな約束は役に立たねえよ」タヌークが言った。

 ハリーヤは真剣な表情で頷いた。微笑みはない。「わかっているわ。フリーカンパニーへの救援要請は送る。でも、それは私自身の義務を果たすため」

 「君を説得するってテゼレットに約束したんだ」サミは腕を組んで言った。今は無重力下でサミはハリーヤとは逆さまに浮いており、頭が彼女の腰の高さにある。そのため威圧的な視線で互いを見下ろしていた。「私を嘘つきにさせないでくれよ」

 「あなたは嘘つきよ」

 「私は真実の使い手だ」サミは怒りを見せた。「『私を信じて』じゃなくて、もっと君を信じる理由が必要なんだよ」

 ハリーヤは目を閉じた。「タロ・デュエンドの録画映像を見ていたの。まるで……カヴたちが死ぬところを直視すれば申し訳が立つみたいに。真剣に観察したなら共犯を帳消しにできるみたいに。そんなわけはないのに。私は何かしなければいけない。ヴォンダム卿は、あの石のせいで自分がなりたくない自分に変えられてしまったという考えに囚われた。だから何の疑問も抱かずに総和に従った。そして、それが罪のない人々を殺すことに繋がった。私は罪のない人々が自宅にいるまま殺すような者にはなりたくない。それがすべて。そんなことを受け入れる者に変えられたくはない。

 「久遠の柱に辿り着いた時に終焉の石がどうなるのか、それは私はわからない。もしかしたら不可避終焉へと戻って、すべての星々の終わりを早めるために使われるのかもしれない。もしかしたら私はアンストラスで、今喋っていることもすべて終焉の石が私の頭に吹き込んだことなのかもしれない。でも私は、故郷の惑星の避難壕にいる人たちのことをずっと考えているの。その人たちは。私たちが外で飢えて凍えている間、『自分たちの居住地の長期的な存続を守る』ために努力している。そして私は自問するのよ。『もし私がソーラーナイトだったら、避難壕を守る側に回るのが義務だろうか? それとも、外で飢えている人々を集めて、無理やり入り込むのが義務だろうか?』って――」

 ハリーヤは言葉を切り、アルファラエルを睨みつけた。まるですべてが彼のせいであるかのように。アルファラエルも、彼女の言葉を理解させられたことに腹を立てたかのように、睨み返した。

 「猫を諦めるのが正しいのかもしれない」とサミ。「でも、それが正しいなんてありえない」

 ハリーヤは笑った。「もちろんよ、船長」

 「そして君、アルファラエル。石を手放すつもりか? えーと、石が君を離さなかったら?」

 アルファラエルは掌の穴を通してサミを見た。「僕は生きたい。あの石が僕を生かしてくれた。もしかしたら、僕が生きている唯一の理由はそれなのかもしれない。だから石が行くところならどこへでも行くさ」

 全員がタヌークを見た。

 「俺は選べねえ、だから行く。二度と何かを選びたくはねえ。これが俺の望みだ。あの石は怖くて仕方ねえよ。石が欲しがるものを与えてやる以外にそれから逃げる方法はないってんなら、そしてそいつはソセラから逃げたがってるってんなら、俺がポータルになってやる。そいつを俺の喉に押し込んでみろ


 

拒否(3)

 クリスタルは、モノイストたちが無へと捧げる新たな寺院を建設中のススール・セクンディを指し示す。

 ハリーヤはモノイストに終焉の石を渡すことを望まず、暴力的にセリーマ号の航行を阻止しようとする。金属男は彼女を殺害する。私たちは間違った場所へ向かっているだけでなく、今や重要なピースのひとつを失ってしまった。

 この結果は容認できない。

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拒否(4)

 クリスタルはアダージアを指し示す。サミズム信者たちが最高評議員タマン四世の名のもとにコロニーを建設している場所だ。鏡の風景の下で風が吹き、熱く明るすぎて何も見えない。

 ソセラにおけるサミズム勢力の中心地に行くことをアルファラエルは渋った。だが彼に選択肢は与えられなかった。そしてアダージアに向かう途中、セリーマ号はフリーカンパニーの哨戒隊に発見され、拿捕された。

 この結果は容認できない。

> 戻る。


 

拒否(5)

 クリスタルは、セリーマ号が先日脱出したばかりのカヴァーロンを指し示す。

 カヴ帝国の政府は、タロ・デュエンド防衛のために大砲が乗っ取られたことを十分に認識している。フリーカンパニーとは外交紛争に発展しつつある。フリーカンパニーの方も、事件の真相究明のためにこの惑星に使節を派遣した。そして両者が警戒を強めていたまさにその時、セリーマ号が到着する。

 セリーマ号は捕らえられる。タヌークは処刑のためカヴの拘留下に置かれる。サミとアルファラエルとハリーヤは、尋問のためにカヴ記念軍艦隊の軍事法廷に連行されるだろう――多くを知りすぎているとして金属男がこの3人を殺さない限りは。

 この結果は容認できない。

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拒否(6)

 クリスタルはエヴェンドを指し示す。私たちはほとんど触れていない惑星だ。氷河期を脱したジャングル惑星であり、シードシップによって辿り着いたユーミディアンのコロニーが建設されている。

 我らが小部隊は、終焉の石の思惑を探ってエヴェンドを捜索する。だが私はエヴェンドには行きたくない。それが明白になる頃にはもう手遅れだろう。私の最終目的地は封鎖されているだろう。

 この結果は容認できない。

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拒否(7)

 ウスロスはその嵐の中に、イルヴォイだけが辿り着ける秘密を隠している。そこに終焉の石を届けられるとあっては、ムメノンは喜ぶだろう――君はまだ会ったことはないが。

 だがウスロスはソセラ星系への玄関口であり、活気に満ちている。この嵐の巨人の衛星を捜索したなら、セリーマ号は間違いなく目撃されてしまう。イルヴォイならばもっと隠密性の高い船を持っているが、それを用いたとしても彼らは何も発見できないだろう。私はウスロスには行きたくない。それが明白になる頃にはもう手遅れだろう。私の最終目的地は封鎖されているだろう。

 この結果は容認できない。

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拒否(8)

 クリスタルはソセラそのものを指し示す。この宇宙的回路の中心に位置するスーパーヴォイド。古い機械の心臓部で、新たなエンジンが動き出す。

 ハリーヤは終焉の石をそこに行かせようとはしない。アルファラエルも石をそこへ行かせたくはない。サミとタヌークはブラックホールへ飛び込む覚悟ができていない。金属男でさえ、その勇気はない。行き詰まりに陥り、貴重な時間を無駄にすることになるだろう。

 この結果は容認できない。

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拒否(9)

 君は必要以上に知っているな。ずるをしているのか?

 ああ、ワームウォールへは行こう。だがあの現実宇宙の基質に行くつもりはない。単調なのだ。セリーマ号は生きてアピーロンの庭を渡ることはできないだろう。

 戻ってよりよい選択をしてくれたまえ。

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(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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