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MAGIC STORY
久遠の終端

サイドストーリー 虚空間狩人
2025年7月3日
ケイル・ステーションは、長い間放置されていた場所特有の静けさに包まれていた。
ヴォイドの静寂は普通のものとはどこか異なる、より緊迫した質感を帯びていた。じっと待ち、何かを切望しているような。縫い目破りで空間を切り開き、ヴォイドからその基地の暗く残骸まみれのアーケードへと一本の光り輝く青い線を刻んだ瞬間、ガーンはその変化を感じとった。彼は素早く足を踏み入れ、星間を移動するための虚空間渡りの儀式を締めくくる最後の言葉を急いで唱え終えてから、背後の切込みを閉じた。ケイルに来たことはなかったが、全く同じ基地を何十と見てきた――もぬけの殻となったアーケードの配置や、名もなき恒星天体を見渡せる楕円形の窓に至るまで全く同じものを。
破損した荷物、散乱した荷箱。そして骨。床に散らばる残骸を避けながら慎重に進むたび、足音が周囲にこだまする。この基地が放棄されてから二十年、物あさり達が訪れているのは明らかだ。しかし、このかび臭く淀んだ空気に漂う不穏な雰囲気は、けちな窃盗とは全く関係ない。ドリックスが初めて薄層へと道を開いて戦争中の宇宙を発見した時代の遺産、古来の本能が、ガーンに逃げろと叫んだ。ドリックスは混沌壁と沈黙壁の間の星々に生息する多くの知的生命体とは異なる。エルドラージ、そしてあらゆる現実を破滅の瀬戸際へと追いやったあの戦争のことを覚えているのだ。
そしてガーンには、ほとんどのドリックス以上にエルドラージを憎むさらなる理由があった。
苛立ちと本能は脇へと追いやる。虚空間狩人は理由があるからここに踏み入ったのであって、混沌の匂いを嗅いだ途端に逃げ出すためではない。逃走本能はその本来の用途を失って久しいが、彼はそれを逆に利用して基地の奥深くへと歩みを進めさせた。
アーケードの下層に位置する荒廃した入渠係留所の基地壁に、今しがた開かれた大きな穴があった。壁を突き破った何らかのエネルギーによるその穴の鋭い縁は、まだかすかに熱を残していた。この破壊痕が二十年前のものではないことは誰の目から見ても明らかではあるが、ガーンにはその破壊痕に重なるもうひとつの外傷も判別できた。基地の構成基盤ではなく、虚空間そのものに残された傷だ。かさぶたこそ出来ていたものの、完全に治ってはいない。縫い目破りでこのような傷を開くことはできない――では、これは何なのだ? エルドラージ腐敗の悪臭が漂う。なぜこのようなものができたのか、経験からある程度の推測は可能だ。しかし最も重要な問いに対する答えが無ければ、どんな仮説も意味を持たない。つまり、"これからどうするか?"だ。あの傷そのものが今の自分の不安の源だ。しかしそれが何であれ、それを引き起こしたものはとっくにここから消え去っている。
ソロシルならどうすべきか知っていただろう。
その思考が逃走への衝動を再び呼び起こした――これは自己の本能から来るものであり、長年にわたる戦いの中で種族に刻み込まれたものではない。ガーンは手首の通信器を口元に当てて起動する。腹立たしいほどに陽気な起動音を無視し、終端を経由して信号を送信した。「ジャドニス。俺だ」
自分の言葉がヴォイドを通して伝わるのを待つ。ジャドニスはペレリフェのピナクル記録保管所に配属されている顧問だ――自分の生き方と比べた時に、これほどまでにかけ離れた生活を送っているドリックスは他にいない。
「ガーン? 何週間経ってると思ってるの」ジャドニスの言葉はそれぞれが重なり合い、続く言葉をぼやけさせていた。「あなた……いえ、"大丈夫か"なんて聞くのは馬鹿馬鹿しいわね、やめておくわ」
「頼みがある」ピナクルの記録管理人と知り合いというのは何かと役に立つ。そしてその事実を利用することに躊躇はしない。「ケイル・ステーションにいるんだが、今見ているものが――これが何なのか判断できない。虚空間の裂け目だが、縫い目破りによるものではない。このステーションの記録を調べてもらえないか? 星間横断に関する新しい方法の研究に関するものか、あるいは……」
「ずいぶん広い範囲の"あるいは"みたいね。いいわ、調べておく」彼女はガーンが礼を言ったり所要時間を尋ねたりする間もなく付け加える。「調べてる間にアンデンスタレイに行ってちょうだい。あなたが説明してくれた破壊痕だけど、二日前にそこでも似たようなことがあったの。二名が死亡してる。原因になったものに関する現場からの手掛かりが無くてね」
「すぐに向かう」とガーンは約束し、回線を切った。星間輸送船がこの基地を通過するのを待つ必要は無い。虚空間を渡り歩けるのはドリックスにとって当然の権利だ。縫い目破りを担ぎ上げ、その青い電光が閃く刃の振動に共鳴する単音を口ずさんだ。虚空間に刃が触れた瞬間、空間は裂け、この体は現実の構造物を越えてより高次元の薄層へと足を踏み入れることができた。
ガーンが以前にアンデンスタレイを訪れたとき、ここは混沌壁と沈黙壁の間の至るところへと彼とソロシルを連れまわした長い狩りの道中における通過点に過ぎなかった。悪臭を放つ裏通りに足を踏み入れることで見えたものは、自分の記憶と重なっている。路面電車の線路とモノレールで作られた迷路、それに灰色がかったピンクのガスで上部が見えない高層ビルが立ち並んでいる。
あの時とは違い、獲物は近い。前にも抱いた違和感に襲われる。ケイル・ステーションの時よりももっと強くその存在が感じられた。縫い目破りの握りを道具と言うよりは武器として扱えるように持ち替え、通りを抜ける。
混み合った通りを進み、曲がりくねった行列があちこちにできている公共施設をいくつも通り抜けながら、脈々と感じ取れる不快感を頼りに歩みを進めていく。この十年間で変わっていないことがもうひとつあった。ドリックスの狩人が目的を持って闊歩すると、他者は道を譲るのだ。こちらも警戒し、周囲を観察する。ピナクルの執行代理人に見つかったら追跡を妨害されるかもしれない。自分が追っているのはここの住民かもしれないのだ。あるいはもっと悪いことに――こちらを手伝おうとするかもしれない。
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| アート:Victor Adame Minguez |
やがて柵に囲まれた広場の前にたどり着いた。中には家ほどの大きさの輸送コンテナが積み重なっている。中央を占拠している構造物には、自分の身長ほども太いケーブルが固定されている。ケーブルは上へと張られ、その先は雲の中へと伸びて見えなくなっていた。軌道エレベーターだろうか? その内にある何かに呼ばれ、任務が自分に応じるよう求めた。
縫い目破りは、現実同様にいともたやすく鎖の輪を切り裂いた。広場に入り、冷たい金属面を持つ輸送コンテナを次々に指でなぞる。混沌に触れたものが眠っているコンテナはない。では一体どこに?
「どうすりゃいいか教えてくれ」と輸送コンテナに言葉を投げかけ、ついでに蹴りつけた。
「ちょっとあなた!」もしあの汚れた存在によってこのように神経をすり減らされていなければ、この声に驚かされることもなかっただろうに。振り返ると、土緑色の制服を着た人間の女性がいた――髪は黄灰色で、おそらく壮年の年頃か。身に着けた記章には"ケソリ・アンバーリン"と書かれていた。袖章には彼女が三級エレベーター積込技術者であることが記載されている。「ここは許可者のみが立ち入れる場所です」
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| アート:Lius Lasahido |
むかつきの波に襲われる。それは、汚染の源が彼女であると示していた。
ガーンは縫い目破りを突きつけ――しかし躊躇した。虚空間狩人としての冷酷さも、自分が強みとして持つ武器のひとつだった。しかしこれまでに幾多の原初生命体を滅ぼしてきた経験から、この女性の澄んだ瞳と日々の労働による疲労がこれまでの特徴には当てはまっていないことにも気づく。
「ただ話がしたいだけだ」必要ならばその後に殺すつもりだ。だがそうせずに済むなら……
他の市民同様、ケソリは彼が持つ縫い目破りの意味に気づいていた。彼女は一歩後ずさり、片手をポケットに滑り込ませる。「嫌よ」それだけを言うと彼女は走り去った。
ガーンは無駄にしたこの一瞬を呪いながら、彼女の後を追うように走り出した。曲がり角に出入り口、彼女はこの周囲の構造をよく知っているようだ。もし見失えば、彼女が所有しているであろう何らかの恐ろしい珍品をどこかで使われてしまうかもしれない。短く鋭い口笛を吹く――その音は縫い目破りの振動音と共鳴するというよりは、振動音に紛れ込んだ――そして自らの道を切り開いた。
一瞬の後、自分の体はケソリのわずか数メートル手前、空中で光り輝く隙間から飛び出す。彼女は悲鳴を上げて左へと方向転換した――自分もすぐに空間を閉じ終えて後を追う。ソロシルはこういう短距離跳躍を嫌っていた。"危険で、無謀だ。いつかタイミングを誤った時、君を失うことになる"と言っていた。
ガーンはアンデンスタレイの薄層へと滑り込み、積込重機が振り回すフックを躱した。ケソリは既に柵をよじ登っている。彼は流暢に悪態をつき、再び追跡を開始した。
二人いればもっと楽だったろう。一人が退路を遮り、一人が彼女を拘束すればいい。しかし今の自分は独りだ。薄層間へと飛び込み、彼女の進路を縫うように進む。この街の縦横に張り巡らされた屋内通路を抜け、路面電車の線路を越え、周囲の煙霧の中に鮮魚の臭気が流れ込む市場を横切る。モノレールの乗換で乗客がごった返している駅の乗降口までは追ってきたが、見失ってしまったか――いやまて、最上階の列車に急いで乗り込もうとしている。彼女に狙いを定め、正確かつ滑らかに空間へと切りつけた。
しかし短かった。
切る際の勢いが、ほんの一瞬、空中を蹴りつけるだけの猶予をくれた。重力に引かれる前に、これから何が起こるのか把握するには十分な猶予。まるで夜中に他に誰もいない寝床で飛び起きるような――恐怖、落下の確信。腕を振り回す。目を見開いたケソリの顔がすぐ前に見えた。自分が死んだら誰が彼女を狩ることになるのだろうか――
気づけば落下ではなく、浮遊していた。肩が裂けるような感覚――モノレールの乗降口に側面から激突したことで息が詰まる――両足で必死に空を掻く。そして自分のものではない何か大様な力によって体が引き上げられるのを感じた。モノレール内で膝から崩れ落ちると、目の前には再びケソリの顔があった。もはや驚きで口を開いている様子はなく、白い唇は固く閉ざされていた。「どうして私を殺さなかったの?」と彼女は尋ねてきた。
「一般人を殺すのは俺の仕事じゃない」肺に十分に空気を送ってから、かすれた声で答えた。「そのアーティファクトをこっちに渡すんだ」
彼女は唇を歪め、歯を剥き出した。「嫌よ。エリットにこれだけ近づいたのに」
彼女はポケットから問題のアーティファクトを取り出した。血のように茶色く、節くれだったそれは内側から輝きを放っていた。それを掴み取ろうとしたが、痛みに動きが鈍った。ケソリはよろめきながら後ずさり、そのアーティファクトのねじれた穴へと言葉を放った。奇妙な特異点がアーティファクトから渦巻き上がって彼女を包み込む。現実はそれに唸り声で答えた。それはドリックスにしか聞こえない声だったが、ガーン自身の苦痛よりもはるかに大きな苦しみを伴っていた。
「伏せろ!」とガーンが叫ぶ。乗客がそれに従うかどうかを確認する間もなく、両腕を頭上に掲げる。それと同時にケソリのアーティファクトがモノレールの通路を裂き開いて彼女を薄層間へ投げ込み、空間を経由して――
その反動でモノレールは横向きに倒れた。線路は金切り音を上げながらも列車の重量を支えた。乗客たちは悲鳴をあげながら押し合い、安全かどうかも分からない降り口の階段を奪い合っている。ガーンは何人かが落ちたと気づいていたが、下を確認することはできなかった。立ち尽くしたまま、生存者たちが出口に流れていく様を放置し、虚空間に新たに刻まれたこの傷口の荒れた縁を詳しく調べる。彼女が逃亡したということも十分問題だが、さらに悪いことに彼女は逃げる途中で人々を傷つけてしまった。彼女が何を持ち出したのかを知るのが耐え難い。
久遠推進装置の補助なしに虚空間を移動できるのはドリックスだけだった。しかしあのアーティファクトは古代の秘密を盗み出し、汚染してしまっている。そして今、ケソリ・アンバーリンはこの宇宙で唯一、空間だけではなく時間をも貫くすべを持った存在だった。
ペレリフェにあるジャドニスの事務所へとガーンが転げ落ちたとき、激しい着地の衝撃によって虚空間渡りの儀式のための最後の数節は肺から吹き飛ばされた。ジャドニスは呆れたように目玉をぐるりと向けた。彼女はガーンが紡ぎ損ねた節を歌いながら、ワークステーションの結晶面に表示された書類に最後の一行を書き込むために針ペンを滑らせた。記録管理人でもその儀式は知っている。たとえそれを用いる必要が滅多にない立場であっても。
「昔と同じね」彼女は不満をこぼし、立ち上がってガーンの様子を見る。「ランチデートの約束をするたびに、あなたとソロシルが急にやってきて修繕をせがんでくるんだから」
「修繕は不要だ」ガーンは、怪我を負った肩をつつこうとする彼女の手を払いのける。利き腕側ではない。縫い目破りはまだ扱える。「情報が必要だ」
ジャドニスは同意してくれたが、ひとつ条件があった。公記録の閲覧を許す代わりに、あらゆる体の不調に効くと彼女の母親が絶賛していた暗紅葉のお茶を飲むこと。「これで外れた肩が元通りになるかどうかは知らないけど」彼女はそう言いながら、湯気の立つカップを席のひじ掛けに添えてワークステーションに座らせてきた。彼女は針ペンを握ると入力面で滑るように動かし、接続コードを次々に入力する。「でも鱗菌症か感染性総排出腔炎に罹ってるなら、治るかもね」
彼女に呼びかけようと顔を上げる。「脱臼はしてないぞ」しかしジャドニスはもうそこにいなかった。ピナクルの記録は自分ひとりで探せと言うことらしい。ケソリが言っていた"エリット"……それを見つけることができれば、ケソリも見つけられるかもしれない。針ペンを手に取り、ジャドニスのワークステーションの一番手元に近い入力面に名前を書き込んだ。
最初の検索は該当結果が多すぎて役に立たなかった。ピナクルにはエリットという地名が数百もあり、エリットと言う名前を持つものは何百万といる。ケソリ、アンバーリン、そしてアンデンスタレイと加えても、大量のデータは有効なほどには絞られなかった。
検索用語追加:ケイル・ステーション
今度は、たった十数件の結果が表示された。出生証明書。移入許可証。教育学歴。労働許可証。難民認定証明書。
死亡記録。
ガーンは今回の出来事に結び付く唯一の報道記事を含めたすべてに目を通していく。ジャドニスが"ランチデートの相手が食事のメインに手首イカを注文した"と文句を言いながら戻ってきた――ランチ相手は手首イカが知的生物も同然だと知らなかったのだろうか? ジャドニスはそれを知らない者とまともに付き合うつもりはなかった――そのとき、ガーンは彼女の椅子を勢いよく押し戻し、まだ手付かずだったお茶をひっくり返してしまった。
「その表情には見覚えがあるわね」くだらない愚痴はすぐさま葬り去り、ジャドニスは彼の向かい側に腰を下ろした。「聞かせてちょうだい」
「あのステーション……」と切り出すが、怒りで言葉が詰まる。作業場の土台を回転させ、作動面を彼女の方に向けて自分の代わりに語らせた。ジャドニスは袖からもう一本の針ペンを取り出し、その内容に目を通した。ケイル・ステーションの住民の命よりも高価で特別な採掘設備の回収を優先した、失敗に終わった避難活動。人間も、ユーミディアンも。大人も子供もだ。
この薄層に潜む悪のすべてが、混沌壁の向こう側にある存在との古代の戦争に端を発しているわけではない。歴史上のあらゆる場所で、誰もが自身の平凡な欲望のために、そのような暗闇へと向かうありふれた道筋を描いてきた。
ジャドニスは読み終わると、視線をこちらに向けてきた。「エリットはその人の姉か妹だってこと?」
「あのアーティファクトを破壊したら」ガーンはきっぱりと言う。「オシルス・ケイルとその残党を追いつめる。それから……」
どうするつもりだ? 普通より邪悪なだけの一般人を、原初生命体を破壊するのと同じように殺せるのか? この宇宙に存在していい正義は、自分のような者の手で形作られる正義だけだ。
ジャドニスは、まるで彼女自身の縫い目破りを振るったかのようにこちらの沈黙を巧みに切り裂いた。「違うわ。そうじゃない」ガーンは反論しようと口を開いたが、針ペンを顔面に投げつけられた。「違うわよ、ガーン。あなたの仕事はエルドラージと戦うこと。そして私の仕事は他のみんなと一緒に問題に対処すること。何もかもをひとりでやる必要なんてない。今もそうよ」彼女はそこで言葉を切った。ワークステーションの光が彼女の黒い瞳に映っていた。「ガーン、あなたと感じ方は違うってことはわかってる。でも彼は私の友達でもあったのよ」
「……わかってる」彼女の友達であり、狩りでもそれ以外でも自分のパートナーだった。「わかってるさ。すまない」
「いいのよ」ジャドニスは握手の期待を込めて手を伸ばした。ガーンは自分の頭巾に引っかかっていた針ペンを取り外し、彼女の手のひらに置いた。「私たち、そういうところも同じだものね」
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| アート:Andrew Mar |
金と輝く青の細糸が織り合わさって、ペレリフェからガーンを導く薄層の伸張を縫い合わせていた。見る者が見れば、美しいと思うだろう。そういう視点で見ることを思い出せるときは、自分もそう思う。最近虚空間渡りをしているときはいつも、駆け足で進む自分の足音に合わせて儀式を矢継ぎ早に行い、ひとつの薄層から次の薄層へと駆け抜けるばかりだ。もちろん、狩りは常に自分を駆り立てるものだったが、急ぐ理由は他にもある。この虚空間では、いつもふたりで軽々と通り過ぎていた平凡な世界では残すことができなかったソロシルの愛が、いつまでも残っているように感じられる。それともそう思い込んでいるだけなのだろうか。時空間の基点からは解放され、だが消え去ることはない。虚空間はソロシルを最も恋しく思う場所だった。
しかし虚空間の中で時間が巻き取られ流れるにつれ、長く続いているその苦痛に加えて新たな苦痛を感じ取った。骨の髄までしみ込んだ狩猟のうずきと、ケソリに関する書類から集めた詳細な経歴がゆっくりと織り重なり、サータと呼ばれる星を指し示した。
包み込むような薄層のひだの中をうねって通り抜けつつ、接近方法を整える。あの女性を驚かせてまた追いかけまわす羽目になるのはできれば避けたい。確かに肩は脱臼していないが、別に調子がいいわけではない。測るのは二度、切るのは一度。最善の判断を下し、縫い目破りを斜めに構えて、みすぼらしい集合住宅の一室へと切り込んだ。家具も間仕切りもない。ケソリはその部屋の玄関に立っていた。片手でノブを握り、片足が部屋に踏み込んだ所だった。彼女の目は大きく見開かれ、ガーンはすぐさま立ち上がった――もちろん相手が逃げれば追いかけるつもりではあったが、少なくとも自分が彼女を確保できる状態にあると思わせるためにだ。しかし彼女はすぐさま逃げ出しはせず、ただ玄関の枠に寄り掛かるだけだった。前とは違って見える。老け込んだわけではないが、もしかして……弱っている? あのアーティファクトを使うことで、彼女は取り返しのつかない何かを失ってしまったのか。
「これはあのモノレールに乗る前かしら?」彼女は疲れた様子で尋ねてきた。「それとも後? 私のことを追跡できる自信があったんでしょう。こっちは数週間分しか跳べないのだから」
「後だ」すり足で――彼女に向かうのではなく――横へと動き、互いの間に汚れたタイルが長く伸びるに任せた。かつてここにひとつの家族が住んでいたころはどんな様子だったのだろうか、ケソリは自分とは違う視点でこの場所を見ているのだろうか、そんなことに思いを巡らせた。彼女が注目していたのはガーンの縫い目破りだった。その瞳は注意深くその青い弧を描くものを追っていた。最初に出会った時のあの躊躇いがガーンの決意に穴を開けた。今、その隙間に同情心が入り込むのを感じる。「どうやってあれを手に入れた?」
「荷物を運ぶエレベーター係なんて誰も気にしてないわ。私たちも機械の仕組みの一部みたいなものってこと」彼女はポケットに手を伸ばして安心したいのか、その手を震わせた。しかしそうすることなく、彼女はそっと部屋に入り、玄関の扉を閉めた。何のつもりかは分からないが、いずれにせよ逃げるためではないのだろう。「これが……私を呼んだの。まるで私がこれを必要としていることを分かっているかのようにね」
彼女が必要だと分かっていたというよりはむしろ、あれが制御不能になるような状況、そういう不測の事態に備えて設計者がそう仕込んでいたのだろう。気づかぬうちに犠牲となる者。傷つき、誘惑に抗えないほどに欲する誰か。真の目的を理解しないままあのアーティファクトを使ってしまう何者か。
「アンデンスタレイでお前がそれを使ったことで、そこの住民は死んだ」と伝える。顔をしかめた彼女にさらに強く追及する。言葉もまた、縫い目破りのように人を切る。「さらに大勢が負傷した。お前もそれを安全に使うことはできないと分かっているはずだ。人間には無理なんだ」
彼女の顔が引きつる。「でもドリックスさん、あなたなら使えると?」
「……そうだ」
「これは私を選んだのよ。あなたじゃない」ゆっくりと、彼女は制服のポケットからそれを引っ張り出した。見た目に変化はなかったが、それを目にしたことで胃がさらに締め付けられる。ケソリから吸い上げた生命力だか活力だかを全て取り入れ、毒にしているのだ。「あなたはエリットが死んだままでいて欲しいみたいだけど、あんなふうに死んでいいわけがない。もっと愛されていいはずだったのよ。この星から。私から!」彼女は腕を振り、薄汚れて誰もいない部屋を示した。「ここがエリットがいた場所。今いる場所。私が連れ去ってしまった――でもここに連れ戻せる。今度こそうまくいくわ」彼女は手元のアーティファクトに視線を移し、口元へと持ち上げた。
「ケソリ、やめろ――」
「大丈夫よ」と彼女は言う。そして本当にそうであると信じているかのように笑った。「どうすればいいかわかってるわ」
口笛を吹きながら縫い目破りを回転させる。今まで試みた中でも最も近い単独短距離跳躍。この貸し部屋を3メートル横切り、彼女の手からあのアーティファクトをもぎ取れれば――
その短距離跳躍が彼の命を救った。ほんの一瞬後に部屋に再突入したとき、そこはまるで爆弾が爆発したような状況だった。ケソリの行動によって外壁には穴が空き、都市の朝の霞んだ空気に虚空間の揺らめく裂け目がきらめいていた。外で、上で、そして周囲で住民が恐怖に叫び声を上げ、この共同住宅の鉄骨も軋みを上げてその合唱に加わっていた。
神経にこだまする音が響く。歯が痛みに疼くが、ケソリに近づくと力のない指からあのアーティファクトを蹴り飛ばした。彼女から何を奪い取ったのかはともかく、その仕事は終わったというわけだ。ケソリは壊れた子供のおもちゃのように横たわっていた。こんな装置を使って平気だと思いこむのは、人間が傲慢であるゆえだ。だが反面、自分に言い聞かせねばならない。判断ミスは人間だけの特権ではない。
しっくいの破片がほんの短時間降り注ぎ、一瞬の警告となった。見上げた瞬間、頭上の天井が真っ二つに裂けた。前方に体を投げ出す――遅い、いつも遅すぎる――そして、砕け散ったコンクリートの破片という無慈悲な抱擁の中に、身動き一つとれない形で着地した。
これほど多くの死、これほど多くの破壊、これは何のために? 動かせる腕が前方に伸びている――自由ではあるが、みすぼらしい床を引っ掻く以外の役には立たない。伏せた胴体の下に縫い目破りが挟まっている。体を切らずに引っ張り出すことはできそうにない。
息を吸い込む。浅いが、有意義な呼吸。行動するには十分だ。空いている方の手で力の限り体を持ち上げようとしたが、圧倒的な重量の前に肩を引っ掻くだけだった。
抜け出せなかったが、指があのアーティファクトを見つけて掴み取った。
手が震える。投げ捨てたい。しかし衝動に抗うべく、それを拳でしっかりと握り締めた。以前、ケソリはこれを起動するために祈りの言葉を用いていたが――その必要は無い。ドリックスは虚空間を通り抜けるすべを心得ている。儀式の最初の節はうめき声のように発してしまったが、虚空間のあの傷を掴んでこちらに引き寄せるには十分だった。
もしソロシルがここにいたら、これは本当にひどい考えだと言うことだろう。だがソロシルはここにいない。
そして死というものにはもう疲れ果てた。任務中のソロシルの死。不可能を追い求めたケソリの死。早すぎた、理由なきエリットの死。
虚空間の傷を大きく切り開き、無理やり突き進んだ。
良い知らせは、ここがまさにこのアーティファクトを使うのにうってつけの場所だったということだ。混沌に感染したテクノロジーを自分に順応させようと試みたが、虚空間に現れたこの新たな広がりを理解に取り込むのには苦労させられた。しかしこれは自分を過去へと引き寄せた――ここでは現実の構造は通常よりもはるかに薄く、希薄だ。下層面でこのアーティファクトの力を用いて虚空間を通るには膨大なエネルギーの爆発が必要とされる。しかしここ、ある意味ではどこにでもあるこの場所では、その間に通路を編むための力が遥かに少なく済む。層と層の間、つまり時間と時間の間だ。ケソリのように補助なしでは世界を渡り歩けない人間には決してできないことだ。
悪い知らせは、ここがまさにこのアーティファクトを使うのにうってつけの場所だったということだ。それは手の内で脈動し、ガーンを維持している生命力を引き出しながら、決して、決して触れてはいけないもの、現実を超えた場所へ触れようとしていた。沸き立つ混沌、遠い過去の時代への道を開こうと苦闘する恐ろしいひとつの中心へと。
ガーンは――虚空間狩人であり、ドリックスである者は――その帰還の器となることを拒んだ。自分たちは、虚空間にその意思を行使する手段を持っている。彼はあらん限りの息を振り絞り、あの太古の儀式の言葉を紡ぎつくした。儀式に身を潜め、アーティファクトの要求に抵抗する。奪い取れる限りの制御権を必死にかき集めるだけの猶予はあった。
大して制御できていなかった。しかし忘れ去るべき過去への、あの吐き気を催す窓を無理やり閉じるには十分だった。彼は虚空間狩人であり、ドリックスであり、もっと思慮深くあるべきだった頑固で無謀な愚か者だった。エルドラージの狂信者たちの玩具に負けるつもりはなかった。これは最後の、必ず勝つと誓った賭けだ。
残された力を振り絞り、このアーティファクトの焦点をもっと最近の過去、この型破りな狩りの序章へと捻じ曲げた。サータへ、まだたどり着ける時代へ――五年前、十年前、あの同じ小さな集合住宅で、何十人もの見知らぬ住民が現れては消えていった。痺れる指先と霞む視界で、時間をさらに前へと伸ばしていく。アーティファクトの影響がこめかみを激しく叩きつける。さらに先で、どこか見覚えのある姿に気づいた。その人間と、その近くに別の小さな影。ケソリとエリット。若く、元気で、幸せそうだった。ふたりに警告すべきか――それとも自分の時代へ、もっと穏やかな片隅へと引っ張り込むべきか? ジャドニスのオフィスでふたりがお茶を飲んでいるという強烈な想像が頭に浮かび、思わず笑いだしてしまう。
そんな笑いも長くは続かなかった。力を込めて最後の時の伸張を裂き、すでに起こった歴史の伸張へと踏み込もうとしたものの、その距離はあまりにも遠すぎた。踏み込めば、これは自分の生命力を食らいつくしてしまうだろう。そして生命力はほとんど残っていない。
ある考えが浮かび上がってきた。ぼんやりとして小さな、油交じりの、把握を拒む考え。そう、ケソリとエリットを若いうちに、その時間に閉じ込めてしまえば――極端で、最悪で、とても悲壮な考え。しかし自分は、手が届くほど近い過去に埋もれている者を知っているのではないか?
自分が傾いていることに気づく――あの日を求めるほうへと。あの戦い、あの原初生命体、あの血と体液。一瞬で屈しそうになった自分が、誘惑の試練に抗えなかった人間をどうして責められるだろうか?
しかし屈しない、自身のすべてがそう望んでいてもだ。過去に戻るにはあまりにも遠すぎる。自らの過ちを正そうとするなら、そんなことはしてはならない。自分の失敗とケソリの探求によって発生するあらゆる苦痛を防ぐために――複数の、命を救うため。たったひとりの命を、ではない。大事なひとりであってもだ。冷酷さが狩人を作る。そして時には冷酷さを内に向けることが求められる。
「すまない」とこぼす。自分に向けて、そしていつでも耳を傾けてくれる愛に向けて。
今の体力ではもう虚空間渡りはかなわない。虚空間を這いながら、慣れ親しんだ儀式を繰り返して慰めを得つつ、安全を確保しながら進む。アンデンスタレイに到着したところで、過去の街を映す薄膜に体を押し付け、腐った木のように崩れた時間を転げ落ちていった。
エレベーターの搬入口で、ケソリは息を呑み飛びのいた。若くはなかったが、既に手に握り締めているあのアーティファクトの要求に打ちのめされる前のようだった。数週間前、彼女の日々が循環し始める前の時期だ。「一体――あなた、大丈夫?」
ガーンは横に転がって体勢を立て直した。「企んでることがあるのだろうが」とかすれた声で言う。「そこまでする価値はないぞ」自分の手の内にあるアーティファクトを掲げると、彼女は既にあのアーティファクトを握っている手を本能的にこちらへと伸ばしてきた。対となったコピーは四次元的に折りたたまれ、ドリックスの指と人間の指とともに絡み合い、支配権を争っている。
「いいか」そう呼びかけつつ、戦いに疲れ果てた自分は卑怯な手に出ようとしている。開いている方の手を服の中へと滑り込ませて、名前と連絡先キーが刻まれたタブを取り出して彼女の足元に落とす。「一人でやる必要は無いんだ。それにエリットも君にそんなことをさせたくはないだろう」
ケソリはたじろいだ。「どうしてその名前を?」
彼女がこれに気づくか、あるいは気づかないか。彼女がアーティファクトを手放した瞬間に、儀式の言葉を叫んだ。薄層は、開いた墓に土を落とすように、周囲で崩れ落ちていった。
自分の現在へと這い戻るのにどれくらいの時間がかかったか、途中で分からなくなってしまった。虚空間の傷をかき回し、ついには落下していく。目もくらむような光景が待ち構えていた。あの共同住宅が破壊された光景と、自分が最初に到着した――あの時の――みすぼらしいが壊れてはいない元の光景が重なって浮かんでいる。自分の縫い目破りはコンクリートの廃材の下に埋もれていた。世界が一つの真実へと収斂していく中、それを掴み取る。その真実とは、自分が汚れたタイルの上であおむけに横たわり、灰緑色の体液を床にたっぷりとまき散らしているという光景だ。
もっと悪いことが真実になったかもしれないのだ。もっと悪いことが真実だった。今もそうだ。それについてはどうしようもない。
……だが、ひとつだけはおそらく。
空気よりも唾液が多い口笛を吹き、縫い目破りで小さく外科的な傷を作る。例のアーティファクトをその開口部に半分ほど差し込むと、それは手の中で震えた。しかし自分はすでに決断している、ゆえにその呼び声はもう届かない。これまでに埋め込まれたこともなかった無防備な場所にあっては届かない。
目を閉じ、儀式を最後まで歌い終える。縫い目は閉じた。アーティファクトの半分が、終わりの音を立てて床に落ちた。可能性は閉じた。物語は終わった。
あとは、深呼吸するだけでよかった。一筋の傷痕が未だに虚空間に結ばれていた。あのアーティファクトが残した時空の傷痕の縁だ。痛ましい傷だが、しかし持ちこたえた。耳鳴りがおさまると、周囲から声が聞こえてきた。夕食の準備をする住民、廊下を行き来する子供たちの楽しそうな歓声。
通信器を口元に当て、空いている方の腕を胸に乗せてから通信を繋いだ。「ケイルの調査はどうなってる?」喉の奥に粘液の味を感じながら尋ねて、返答を待つ。
「そっちこそどうなったの」ジャドニスはたしなめるように答える。「こういうのはエルドラージの残骸を片付けるよりも時間がかかるものだって知ってるでしょう。そういえば……例のアーティファクトの件が終わったら、ケソリに――」
突然起き上がったせいで、こめかみがずきずきと痛んだ。「ケソリ?」
「私の助手よ? そもそも最初にケイルの情報を持ち込んできたのが彼女でしょう? 人間の名前を覚えるのが苦手なのは知ってるけど、これは重症ね」彼女がついたため息の音が虚空間に響き渡った。「ケソリがあなたに伝えたいことがあるって。とある原初生命体がいてね。タヌークっていう名前のカヴなのだけど。カヴはピナクルに加盟してないから、私の法的手段が及ばないところで……」
ガーンは湿っぽく笑い、ジャドニスもそれに驚いて笑い声をあげた。立ち上がると、台所の床には体液と疲労が残された。後でそれは自分に跳ね返ってくるのだろうし、おまけに利息まで付いてくるのだろうと分かっていた。おそらく、何か無謀なことをしようとした時だろう。「信頼できる情報筋から、俺がエルドラージ対策を仕事にしてると知ったわけか。そうだな、その通りだ。任せておけ」片手で縫い目破りを持ち上げ、道案内の歌を紡ぎ始める。「よく聞いておいてくれよ。途中で助けが必要になる可能性が高いからな」
(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)
Edge of Eternities 久遠の終端
- EPISODE 01 第1話
- EPISODE 02 サイドストーリー 暗中確索
- EPISODE 03 第2話
- EPISODE 04 サイドストーリー ウスロスの扉
- EPISODE 05 第3話
- EPISODE 06 第4話
- EPISODE 07 サイドストーリー カドリックとポッド
- EPISODE 08 サイドストーリー 私を零へと圧縮して
- EPISODE 09 第5話
- EPISODE 10 第6話
- EPISODE 11 サイドストーリー 虚空間狩人
- EPISODE 12 第7話
- EPISODE 13 第8話
- EPISODE 14 第9話
- EPISODE 15 第10話
- EPISODE 16 第11話
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