MAGIC STORY

久遠の終端

EPISODE 09

第5話

Seth Dickinson
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2025年6月27日

 

第3幕

Revision11 現カヴァーロン

 「タン、何か本当に、すごくいいことが起こりそうな感じがしたことってあるか?」

 「人間の禁忌を犯さずにその質問に答えられるかわかんねえよ」タンはセリーマ号を飛ばしている。「もっと突き進める権限が必要だ。」

 サミは10分前にタンへと超過推進の権限を与えていた。「いやいや、そういうのじゃない。私が言いたい『感じ』ってのは予感みたいなものだ。運命が上向きになりそうだな、っていう」

 「ああ」タンは考え込むように言った。「不安の反対のことか? 掴まってろ」

 船が悲鳴をあげた。「接近!」セリーマ号は横転し、右舷に大きく揺れ、続けて同等の激しさで正反対に。サミはシートベルトの中で跳ね上がり、歓喜の叫び声をあげた。

 直径7キロメートル、質量1000ギガトンの砕けた惑星の破片が、秒速9キロメートルでセリーマ号のすぐ横を通過した。最接近時の距離は約2キロメートル。もし転がり方が違っていたら衝突していただろう。

 セリーマ号のプラズマ磁石が絶え間ない騒音を発しているものの、航行時の静寂は絶対的でうんざりするほどだ。まるで、山ほどの大きさの弾丸を狙撃兵が耳のすぐそばに撃ち込んできて、友が「山だ!」と叫んで初めてそれに気づくような。

 セリーマ号のコンピューターから警報音が鳴り響く。悲鳴のような、泣き叫ぶような音――愚かな操縦士たちに、もっと良い選択をするよう懇願しているのだ。カチッ、カチッ。深い満足感とともにサミはスイッチを操作してマスターアラームをリセットした。まるでギロチンを操り、危険な者の首をはねるような感覚だ。最高だ。サミはそれをもう一度繰り返した。

 セリーマ号は船尾からモルドレインの環を突き抜けた。目的地は現カヴァーロン、そしてあの宝物を封じ込める停滞容器だ。

 「モルドレインの環のいいところは」サミはタンに言う。「ソセラほどの大きさのコンピューターがなければ、ここの巨大な岩がどう動くのかは計算不可能だってことだ」

 「船長は好きだよな、俺がもう知ってることを説明するのが」

 「タン、お前が何を知っているかじゃない。その事実が私に何を感じさせるかが重要なんだ。私は『宇宙の法則』が悪党を守るためにどう機能しているかを考えるのが好きなんだよ」

 「もし誰かがソセラを巨大なブラックホールコンピューターに変えちまったら、残念なことになるだろうな。環で活動する無法者は全員仕事を失っちまう」

 「ああ。そうだ。それはいい指摘だ」

 無線がぼんやりと受信状態に戻り、巨岩の音が一時的に消えた。「セリーマ号、こちらはケイマントラックです」カヴァーロン記念軍艦隊、誘導を担当している管制官の声だ。「進路を外れています。非常部隊を向かわせます。拒否しますか?」

 カヴは航行管制にヴィイを用いない。セリーマ号と通信をして着陸させるという絶対に成功しない任務を割り当てられた不幸な者が誰なのかはわからない。だが生粋のカヴであり、サイマー語の舌話法にもあまり習熟していない! 人間は、他の種族が自分たちの言葉を話そうとしている様子を面白いと考える。まるで赤ん坊みたいだからだろうか? 面白いとサミが思うのはそれが理由だろうか? 無線で喋っているカヴは大きな赤ん坊みたいだから?

 「タン、人間が面白いって感じる物事は、進化の過程での欲求に究極的に結びついてるものだけなのかな」

 タンはマイクに向かってうるさく咳をし(カヴのあの声のひとつだ、サミがシャワーを浴びている時に気が付くといつも真似している)、サミも大まかには理解できるカヴ操縦士の決まり文句を大声で叫んだ。「いいか、こっちは大丈夫だ。でもいまいち良くないことをしてる。俺たちを見失ってくれるとありがたい。死ぬなら死ぬ。お前のせいじゃない」

 「罪を犯したなら、あなたの親類を殺します」無線の声が言う。「もう助けることはできません。あなたがたが不運に見舞われますように。泥棒は出て行きなさい」

 「それこそが私たちだ!」サミが言う。「シグマで盗んだ破滅を持って、金属男のところへ帰る途中。救いようのない道中にある。カヴよりもそれをよくわかってる奴はいない。なあタン?」

 サミはカメラを回し、景色を眺めた。

 セリーマ号は船尾からカヴァーロンへと突っ込んでいく。

 けれどカヴァーロンはもうそこにはない。

 カヴァーロンもまた、救いようがない。

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アート:Roman Kuteynikov

 “惑星荒廃”はカヴァーロンを真二つに引き裂いた。現カヴァーロンは半惑星といったところだ――大気と堅固な地表、そして昼夜のサイクルを持つ。頭上に見えるモルドレインの環、空に絶えず描かれる隕石の白い飛跡、そしてほぼ絶え間なく破片を高軌道へと打ち上げるレーザーの閃光がなければ、死んだ恒星を周回するありふれた惑星にいると錯覚してしまうかもしれない。

 だがそれが現カヴァーロン。真のカヴァーロン、壊れたカヴァーロン。日々、旧カヴァーロンが少しずつ崩れ落ち、そうでないものに加わっていく。それが運命だ。

 現カヴァーロン、この惑星の失われた半分。それが宇宙空間に吹き飛ばされなかったのは、惑星荒廃の力がどれほど大きくとも、惑星の破片をばらばらにするには足りなかったということだ。それは瓦礫の塊であり、自らの重力でゆっくりと圧し潰され、そしてウランとモーキサイトが豊富な領域が崩壊し爆発するすると跳ね返った。それは地底核兵器とすら言えるもので、衛星ほどの塊を幾つも軌道上に打ち上げるだけの威力を持っていた。惑星荒廃の間、砕けた中心核から発せられた炎はあらゆる地割れを突き抜け、幾つもの亜大陸を丸ごと天へ持ち上げた。

 そして今なお、それらは落下を続けている。惑星の防御レーザー、カヴァーロンの砲台が旧カヴァーロンを守っている。世界を滅ぼすような巨大な破片を砕き、現カヴァーロンへと落下させるのだ。

 荒れ狂う空、クレーターだらけの衛星表面のような風景。砕けた驚異の宝物庫。ソセラでも最も豊かな惑星を半分に割って、片方を採掘禁止にしたらどうなるだろう?

 ソセラでも最も豊かな惑星の半分がまだある。

 もしこれが映画かダイナメーション特撮だったら、外の空では巨岩がゆっくりと砕けているのだろう。氷河のような岩が、精巧に計算されて描画された塵と化していくのだろう。

 けれどそんな衝突は何十年も前にすべて終わっている。そして動きは決してゆっくりではなく、砕けてできるものも塵ではない。公転レベルの速度で山と山が衝突する様子は、まるでふたつの弾丸が正面衝突するかのよう。そのエネルギーによって、岩石は溶けたガラスのように流れ落ちる。

 ソセラの軌道上に残った残骸は今やふるい分けられ、物理的に共動する鋭い破片、紐状に連なる岩屑、そして岩の壁というように形態的特徴をもつ塊が波となって流れていた。

 モルドレインの環を覗くと、きらめく星々が幾重にも連なり、猛烈な速度で戦いへと向かっていくのが見える。そしてそれらが衝突しても塵にはならない。破片になるのだ。白色矮星の弾丸が広がり、大気圏に突入し、長い傷跡を残して消滅する。カヴァーロンは砕かれるかもしれない、凍りつくかもしれないと思うだろう(空に塵が舞い上がって光を遮る、そしてソセラもまた死んでいる!)、だが再突入する破片の燃焼によって、カヴァーロンの大気は常に熱帯のような暑さにまで熱せられている。

 軌道上からのショットガンで絶えず顔面を撃たれ、熱せられた世界で生きるのはカヴに任せよう。

 そしてサミのような悪党なら、その熱はいつでも歓迎だ。モルドレインの環では追跡を心配しなくていい。ここでは逃げ隠れする場所はいくらでもある。

 ここでは誰も追って来られない。

 「おい」タンがすっかり寛いだ様子で言った。「一応言っておくが、戦闘機が追ってきてるぞ」

 「ええ!?」サミは悲鳴をあげた。

 「ホープライトの戦闘機が一機追ってきてる。起こりそうないいことってそれか?」

 「サンスターか。クソッ」

 「それと、ホープライトを追ってる別の船がある」

 「モノイストか」サミは推測した。「砲台に撃たれるぞ? あいつら、そこまで狂ってるのか?」

 「いや、蒼星だ。フリーカンパニーの巡視船だ」

 サミの胸に埋もれていたものが目覚めた。あの「いいことが起こりそうな感じ」は消え去った。

 シグマ区の時がこんな感じだった。着陸する前は。蒼星がいたけれど自分たちを感知せず、ホープライトを発射して追跡することもなかった。無事着陸して、無事逃げ切ったと思っていた……

 「私たちを調べるためにホープライトを送り込んだに違いない」

 「違う」タンが答えた「奴ら、それを打ち落とそうとしてるんだ」

 「は?」

 「蒼星がホープライトにレーザーを撃ってる」

 「フリーカンパニーが自分たちの戦闘機を落とそうとしてるのか?」

 タンは咳払いをし、限りなく寛いだ様子で両手を操縦桿から離し、角毛を引っ張った。「どうやら、厄介事を逃れようとカヴァーロンに来たのは俺たちだけじゃないようだな」


 サミはセリーマ号の予備ビーコンのひとつを保管庫から取り出し、汎用発射装置であるスリングに装填した。このビーコンには送信機の代わりに爆破装置が取り付けられている。サミは接近するひとつの岩石を選んだ。「あっちの塊をそっちの塊にぶつける。準備はいいか?」

 「吹き飛ぶだろうな。いいぞ」とタン。「急な推進に備えろ」

 「ああ、私は大丈夫だ。宇宙で生きるために生まれてきたんだから! そっちはきちんと対処できるのか?」

 「俺はそれに対処するために生まれてきた」

 「いや、違うだろ、私が笑うからそう言うだけだろ」

 「訂正しよう。俺はカヴ記念軍艦隊の操縦士としてモルドレインの環を航行して、故郷の遺跡を略奪しに来るワイルドキャットや泥棒と戦うための訓練を何年も受けてきた。それに対処するために生まれてきたわけじゃない。徹底的に習慣づけされて練習を重ねて――」

 「撃て!」サミが叫んだ。

 タンは力を抜いた。

 目標の岩がほぼ一直線に迫ってきた。ビーコンが岩に打ち込まれ、爆発し、そして速やかに消えた。爆発の勢い自体で岩と岩をぶつけるのではない。岩は勢いよく岩屑を噴き出し、軌道から外れて隣の岩に衝突した。破壊されたふたつの岩は、まるでカミソリダコのようにセリーマ号の進路へと飛び出した。

 サミはシートベルトの中に身を屈めたまま、マスターアラームの取り消しスイッチを1秒ごとに上下させた。

 タンは片方の目でレーダー画面を、もう片方の目で船の針路指示画面を監視しながら、きらめく爆風の中を航行していく。

 触覚刺激に対する人間の反応時間は150ミリ秒。一方カヴは接近する物体を避ける際に20ミリ秒の壁を破ることができる。タンはまさにそのために、生涯をかけて訓練してきたのだ。

 破片の接近速度は秒速 15 キロメートル。セリーマ号は秒速 7 キロメートルで宇宙空間を落下し、破片は反対方向に秒速 8 キロメートルで周回していく。

 タンは15キロメートルと1秒先にある致命的な破片に気づき、それを40ミリ秒かけて回避し、さらに24回の認識・反応サイクルで問題を解決できるだけの余裕がある。サミはせいぜい4回だろう。

 「最高だよ、タン」

 「俺を見くびるなよ」

 「なめてるわけじゃないさ」

 「舐めなんてしてないだろ」

 大気圏再突入を続ける中、後方のホープライトをまくことには成功したようだった。

 「高度120キロメートル」タンが報告する。「再突入インターフェース。速度6KPSで下降中。最大加熱が近い……プラズマ磁石は問題なし」

 サミは大きく息を吐いた。

 火山噴煙の塔を通過して減速する。死にゆく惑星の深部から噴き出すウランとモーキサイトが周囲の空気をイオン化し、紫色の稲妻を絶え間なく発生させている。

 「よし」タンは操縦桿を握りしめた。「カヴァーロン深部大気圏に到着だ。翼にラジエーターを展開。権限を返すぞ」

 「よくやった!」

 「カヴァーロンまでぶっ飛ばしてやるって言っただろ」タンの口調には、少しの誇らしさがあったかもしれない。「モルドレインの環も突破してな」

 「古い保管庫を探し始めてくれ。送信が必要か?」

 「ああ。俺の昔の認識信号だ。保管庫が応答して、停滞容器がまだ無傷かどうか教えてくれるはずだ」

 現カヴァーロンで何かを保管する際の問題は、常に崩壊と爆発が起きていることにある。そのため、保管庫は移動されることが多い。大気も信号を送るには適していないが、核分裂炉から送信機に電力を供給しているのでそこは問題ない。

 「大声が返ってきたぞ」タンが穏やかに言った。

 「保管庫からの応答か?」

 「いや、他に誰かがいる」

 サミは現況ディスプレイから顔を上げた。「誰だ?」

 「歴史収集隊だ」記念軍艦隊の墓守たち。「俺たちと同じ古い保管庫に向かってるのかもしれん」

 サミは注意深く見渡した。怯えたカヴを直視しすぎるのは良くない。まるで隠れようとして失敗しているような気分にさせてしまうからだ。

 タンはシートベルトの中でぐったりと横たわっている。コックピットのスピーカーから応答信号が鳴り響く。

 「タン。そいつら、お前の信号だってわかってるのか?」

 「ああ。わかってる」

 「うわ」

 少しして、保管庫自体からの応答が届いた。サミは最後にもう一度気象レーダーを確認し、その結果に顔をしかめながらセリーマ号をゆっくりと南へ、そして西へ向かわせる。船の下では、惑星荒廃に変貌させられた古い国々の残骸が駆け抜けていく。それらに敬意を表して、是非とも名前を知っておくべきだろう――

 セリーマ号の調査望遠鏡が激しく警報を鳴らした。

 明るく熱い何かが宇宙から落ちてくる。

 「畜生」タンが悪態をつく。「ホープライトだ、近づいてくる――」

 セリーマ号の背後で火山噴煙から火柱が噴き出し、ディスプレイはそれを恐ろしくも毒々しい紫色に染めた。それは極超音速プラズマの衝撃であり、自然のものではない――宇宙船が核融合エンジンを大気圏内で点火したのだ。その結果、船は熱核融合の火球と化した――絶えず爆発し続ける原子爆弾と化したのだ。

 正気とは思えない速度でホープライトの戦闘機が空から矢のように現れ、自らのエンジン燃焼で生み出した放射線と業火の中を急降下していく。そしてまっすぐに進んでいく――唯一の航法指標、眼下の砕け散った惑星から発せられる無線ビーコンへと。

 タンの古い保管庫へと。

 「ああ、どうして」サミはうめいた。

 ホープライトは惨害の煙とともに降下し、自殺的なエンジン燃焼で保管庫を巻き添えにし、岩の上に墜落した。

> 保管庫のホーミング信号がうめき、そして消えた。


 

Revision11 ホープライト

 サミは洪水玄武岩の平原にセリーマ号を着陸させた。それは現カヴァーロンの内から吹き出た、石でできた血だ。そして惑星壊滅レベルの終わりなき嵐がそこにガラスの粉塵をまき散らした。地面は絶えず地震で揺れ、風によって黒曜石のナイフのように砕かれた火山ガラスが空に突き刺さる。まるで地質規模の傷跡のようだ。

 足元で火山岩がザクザクと音を立てて潰れる。信じられないほど心地よい感触だ。

 空を見上げ、サミは噴煙の列を都市の塔のように考えてみた。光ではないソセラの光が空の裂け目から差し込み、下の岩に輝く道を刻んでいる。雲は稲妻の線を交わしている。

 ふたりは保管庫を目指して出発し、タンは時折地面に伏せて様子を伺った。記念軍艦隊の歴史収集隊が運転する地上車が15キロほど離れた付近におり、同じ方向を目指しているらしい。

 「タン」サミは尋ねる。「もしもあの船の操縦士がまだ生きていたら、カヴはそいつをどうするんだ?」

 「大気圏内で核融合エンジンを点火したらどうなる? それは航行犯罪だ。操縦士はその場で殺されるだろうな。船長、この辺りでは法律がほとんどないんだよ。『永続的緊急事態』ってのは遠回しな表現だ」

 「私たちの方針は……」

 関わらない。はぐれ者を追いかけ回さない。それに、タンをこの惑星から追放した者たちに近づけたなら、彼を危険にさらすことになる。

 「ちょっと見てもいいと思う」サミはそう結論づけた。「何か回収できるものがないか探してみよう。ホープライトだぞ、タン! 収集家だったら垂涎の品だ」

 「想像する限り、いい案には到底思えないんだが」

 「まあ、私は想像力が豊かなんでね」

 タンは腹ばいのまま、黒い火山土を爪で二掴みした。「船長、もし俺が捕まったら……ここじゃ法律なんてほとんど存在しないんだぞ」

 「お前に危害は加えさせない。約束する」サミは約束を絶対に守る。「でも、あの船は何なのかを知りたいんだ。妙だと思わないか、タン。どうして仲間から逃げるんだ? どうして環をくぐって私たちを追いかけて、こんな大変な所に突っ込むんだ? 操縦士は馬鹿なのか?」

 そして、どうして自分は心の奥底に一筋の恐怖を感じているのだろうか?

 「その馬鹿は放射線症候群でそのうち死ぬぞ」とタン。「自分から放射線の火球の中に落ちていったんだから」

 「すぐに会えれば大丈夫だ」

 「船長……俺たちの問題解決の鍵はセリーマ号にあるだろ。金属男が欲しがってるあのアーティファクトだ。あれを封じるための停滞容器さえあれば渡せる。船の修理もできるし、乗組員も雇える。これ以上面倒なことはするなよ」

 「あの操縦士はきっと助けを必要としてる」

 「船長、ここはワーム語り号じゃねえし、あれはミリーでもない」

 「タン、つまりお前が決めたいってことか? お前に選択肢をやるのがいいのか?」そのつもりはなかったが、サミはつい辛辣なことを言ってしまった。

 タンは岩の上に倒れ込んだ。「それは嫌だ、船長」

 あまりにも残酷だった。「先に保管庫へ行ってていい。記念軍艦隊の連中には近づくなよ。ホープライトは私が見てくる」

 「嫌だ。俺は船長と一緒に行く」

 それはタンが自ら下す唯一の決断。そしてサミは、絶対に反論できない。


 ホープライトが墜落した場所には長い楕円形のクレーターが生成され、機体そのものはその先端で融けた岩に突き刺さっていた。とは言っても沈んでいる部分はわずかだ。船尾から墜落したが、完全に壊れているのは船首の方だった。深く黒い傷跡が走り、あらゆる兵器とセンサーは撃ち落されている。レーザーに撃たれて死ぬことを避けるために船を傾けたのだろうが、それでもレーザーは命中したということか。

 「最新鋭の戦闘機を放射能ガラスに着陸させるような馬鹿は放っておけ」タンは不機嫌だった。「船体パネルを剥がすことすらできねえよ!」

 サミが戦闘機のヴィイを呼び出そうとする間、タンは作業用の鉤爪を展開してガラスを切断し始めた。アーマーの放射線警報が激しく鳴り響く。この融けて焼けた岩は、シグマのあの粘土と似たようなものである気がする。けれどその考え自体が理解できず、意味もなしていない。本当に同じものなのか、サミ? 核融合トーチで焼かれたガラスと素敵な陶器。窯用の粘土、けれどその窯は空から落ちてくる船のよう……

 ホープライトの上部にはほとんどガラスは使われていない。溶岩に深く沈み込まなかったのはそのためだ。ホープライトは水に浮くほど軽いはずだと『ストームカッターズ』第2987号で読んだ。手に入った中では最新号だ。もしこの2年でホープライトが重くなっているとしたら、サンスターの騎士は自分たちが何を手に入れたのかを何もわかっていない。設計の本質を見失っていることになる――ああ、そして接続が硬い!

 サミは連結アダプタの固定具をめくり、差し込んだ。「もしもし?」

 「生きてるよ」人間の声が言った。

 「よかった! あなたを見殺しにはしたくないんだ!」

 「奴らはヴィイを殺した。フリーカンパニーだ。ヴィイを呼び出して殺した。死ぬ間際にヴィイは私に手動操作をくれた。そして、放射線で殺した者全員に謝ることを約束させられた。ごめん……僕の手……血が流れてる」

 これは複座戦闘機だ。「他に誰かいるのか?」

 「ここにはいない」

 「え?」

 「僕だけだ」

 「私たちが助け出す。操縦席を開けてくれるか?」

 「応答しない……ハッチも、梯子も」

 「上部に救助ハッチがあるはずだ。気をつけてくれ、操作部は射出ハンドルの近くにある可能性が高い。標準規格に従えば、射出ハンドルはT字型で、救助ハッチは円形の引き手のはずだ。見つけられるか?」

 「……よく見えない」

 まずい。「名前は?」

 「セクン……いや、アルファラエル。ただのアルファラエルだ」

 モノイストの名前。サンスター・フリーカンパニーの戦闘機に乗っている。奴らが狙撃していたのも納得だ。この船を盗んだのだ。

 サミはタンに向かって急いで身振りをした――“下がれ、下がれ!”

 タンは爪で身振りを返した――“ここで止まれって?”

 “そうだ!下がれ!” サミは再び身振りで合図した。“この男はセカーを摂取してブラックホールと化すかもしれない”を意味する身振りは存在しない。

 「タダノアルファラエル」サミは呼びかけた。「私はサミ船長、そして私の友がタヌーク。これからあなたを救出する。手当てもする。あなたは生き延びる。友が操縦席を切り開いてあなたを救出する。あなたは生き延びる、分かるか?」

 「わかる。僕は生きたい」

 「教えて欲しい。あなたが死んだなら、何か不都合なことは起こる?」

 「僕は楽園に行けないんだ。生きなきゃいけない」

 「あなたは生きなきゃいけない、アルファラエル。生きなきゃいけないよ」

 「みんな僕にそう言う。でも、どうしてそう言うのかは分からない」

 「生き延びないと。そうでなかったら、ここにいる私の友に言われるよ。あなたを追いかけたのは完全に時間の無駄だったってね!」

 弱々しい笑い声。「わかった。そうならないよう僕は生きる」

 「よし!」タンは操縦席パネルの一画を剥がした。その下にホープライトの格子細工が見え、中にはひとつの穴があいていた。人が入れるくらいの大きさだが、カヴには無理だ。「腰をくねらせて入れば、船長なら……」

 「動くな」

 サミは見知らぬ者の命令に、厳密に言うなら従った。アーマーに全方位視野を呼び出すのは動くことにはあたらない。

 クレーターの縁に、武装したカヴが並んでいた。

 だが彼らの武器のほとんどはサミに向けられてはいない。

 「タヌーク、お前は追放の約定に違反した。立ち上がって腹を見せろ」

> 進む。

> サミがホープライトに向かっていなかったら、どうなっていただろうか?


 

もしもサミがサミでなかったら

 墜落したホープライト号にサミを向かわせるために、介入や修正は必要なかった。それがサミなのだ。

 だが、もしもサミがサミでなかったら、そして墜落した船に向かわなかったなら、ホープライトの操縦士は操縦席から引きずり出され、尋問され、全く違う運命を辿っていただろう。多くの場合、その運命は即決の処刑だっただろう。

 サミとタヌークは停滞容器を見つけ、セリーマ号に難なく燃料を補給し、私を金属男のもとへ届けただろう。金属男は発見するであろうものを発見し、私が行きたい場所へと導いてくれただろう。私は成功の瀬戸際にいて――そして、失敗するだろう。

 ピナクルは多くを知りすぎている。ピナクルは無思慮なドリックスに寄生されており、ドリックスは多くを知りすぎている。あらゆる成功の可能性が無限導線でのボトルネックになっている。

 あらゆる可能性がある、だがひとつだけ。

 ピナクルを妨害しなければならない。

 ソセラはピナクルのものではない。カヴのものでも、ユーミディアンのものでも、モノイストのものでも、サンスター信仰のものでもない。

 ソセラの真の主は、自身の全部分を愛するように私を愛している。そしてまもなく、散開した部分を取り戻すために戻ってくるだろう。

 だが君もわかっているように、このようなことは絶対に起こらない。思い切った介入をしない限り、サミをあの墜落したホープライトから遠ざけることはできない。サミは船を愛している。そして、サミははぐれ者を愛しているのだから。

> 進む!


 

Revision11 タヌークの追放

 タンはカヴにしては小柄だ。だからこそ彼は優秀な操縦士なのだが、大柄な装甲兵が近づいていく光景はどこか辛いものがある。サミに信条がひとつあるとすれば、それは小さな者への同情だ。

 素早く考えろ、サミ。素早く見ろ。

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アート:Andrew Mar

 指揮官はスベダール、異星種族の扱いに熟練した野戦兵士だ。サイマーとピナクルの法を熟知したカヴが選ばれる。目の前にいるのは女性、あるいは全性だろう。サミはカヴのことをよくわかっている。

 「名誉あるスベダール殿!」サミは精一杯の帝国カヴ語を送信した。「災難が私たちを襲った。危険だったが助けようと奔走した。操縦士は逃げることも戦うこともできない。どうか、死の昏睡状態から彼を救い出すのを手伝って――」

 無線機が悲鳴を上げ、音量限界を越えた。サミはひるんだ。妨害され、だがメッセージは受け取った。『黙れ』

 「タヌーク」そのスベダールは部下たちを背後に散開させて送信してきた。「まさかとは思ったが、お前はタヌークだな。そっちはお前の買い手か? 保管庫を漁るために連れてきたのか?」

 「いや」タヌークは足首が震えるほど力を抜いて言った。腹ばいになりたいが、背筋を伸ばして立っている。「停滞容器を取りに来ただけだ。危ないものを封じるために」

 「カヴァーロンに何か持ってきたのか? こいつに売りたいのか?」スベダールの紋章付きヘルメットが、倒れたホープライトに向けてぴくりと動いた。「この航行犯罪者にか?」

 「この船のことは知らない。俺たちの後を追ってきたんだ」

 「知らない、けど助けようと急いでいるのか?」

 「俺は船長に従う。船長は助けたいと思ってるんだ」

 「お前が指揮官ではないのか?」スベダールのヘルメットがサミへと転回する。「その人間がお前の船長なのか? お前がどういう者かをわかって雇っているのか?」

 自分たちについてとやかく言われることにサミはうんざりしていた。そこでゆっくりと息を吸い込み、ヘルメットを脱いだ。

 火薬と硫黄、現カヴァーロンの匂いが一気に押し寄せる。サミはくしゃみをした。急激な気圧低下に耳が詰まる。カヴァーロンは以前ほど多くの大気を保持できなくなっているのだ。あくびが出て、両耳がパチパチと音を立てる。後で痛むのだろう。

 「いいだろう!」サミは叫んだ。「作り話はもう十分だ。タン、本当のことを話してやれ」

 タンは動かない。「船長? いいのか?」

 タンはどう合わせればいいかを正確に知っている。

 「タヌークは私の保護下にある」サミは高々と呼びかけた。「私は隠密小艇セリーマ号のサマエル。ススール・セクンディに座す真の信仰の修道院に仕えている。あなたがたがアヌキと呼ぶ所だ。極めて懸念すべき情報を持ってフリーカンパニーを脱出した工作員を回収するためにここに来た。言え、アルファラエル」

 サミはホープライトの操縦席を激しく蹴りつけた。

 「そうだ。サンスター・フリーカンパニーはソセラを破壊する計画を立てている」アルファラエルは朗々と告げた。「至高点との千度目の交信を阻止するために」

 「何てことだ!」サミは興奮して口走った。このアルファラエルという男は実に想像力が豊かだ! 自分の役割を少し大げさに演じているだけかもしれないが。

 スベダールが見下ろしてくる。記念軍艦隊の、錆びの縞模様が入ったずんぐりとしたアーマーが、戦闘ドリルと単繊維斧を備えて辺りの玄武岩に溶け込んでいる。それらはまるでブラシワームから身を隠す農民のように、じっと動かない。

 遠くで雷が火山岩に落ちた。

 「モノイスト、宙賊、そして航行犯罪者」そのスベダールは言った。「タヌーク、怪しい仲間と付き合っているのだな」

 「ああ、そうだ」タヌークは嘘をついた。船長が物語の展開をそう決めたからだ。「カヴァーロンのためだ。サンスター・フリーカンパニーを止めなければ、何もかもが終わるんだぞ」

 「タヌークに危害を加えたなら」サミは叫ぶ。「至高点は察するだろう。彼らは私たちの合図を待っている。真の信仰はこの任務に強い関心を抱いている。私たちを解放した方がいいと警告しよう。もし私たちが消えたとなれば、捜索はあなたから始まるだろう、スベダール殿」

 「私を脅すのは賢明ではないぞ、人間よ。お前たちが拘留されていると知ったら、ソーラーナイトどもは興味を示すだろう」

 「私たちを引き渡せば、ソセラを破壊するのに加担することになるぞ」

 ひとりのカヴが小さく笑った。「まったく、芸術性のない作り話だな」

 「では、なぜフリーカンパニーの船が自軍の戦闘機を撃墜したというんだ! なぜアルファラエルは航行犯罪者となってまで着陸せざるを得なかったというんだ! 誰が好きこのんでこの死んだ場所に来るっていうんだ!」

 地震でサミの歯はガタガタと鳴った。

 「航行犯罪の共犯者にしては質問が多いな」スベダールの大きな兜が転回する。そして長い沈黙。「私は興味がある。お前がそのモノイストの仲間だと証明できるなら、タロ・デュエンドの砲撃街まで連れて行こう」

 「素晴らしい――」

 「ススール・セクンディから身元の確認がとれるまで、お前たちを拘留する」サミの安堵の表情を遮るようにスベダールは言った。「タヌークはこちらが預かる」

 「タヌークは私の保護下にある」

 「お前はその航行犯罪者を確保し、我々はタヌークを確保する。公平すぎるほどだ」

 「やめろ」サミは噛みつくように言い放った。「タヌークは私の仲間だ。あなたがたは彼が罪を犯したと思っているのだろう。運命の車の轍に手をつけたと思っているのだろう。だがタヌークは、タヌークは……」

 「不可避終焉に愛されし者だ」アルファラエルが言った。「自らの意志の支配者だ」

 「もういい」スベダールはサミに拳を突きつけた。「先程の申し出は取り消しだ。修道院の身分証明をよこせ、今すぐだ」

 単繊維斧が動き出す音が辺りに満ちる。

 「証明のために、保管庫に行かせてくれ」サミは大きく賭けに出た。「ここに来たのは停滞容器を回収するためだ。私の船に、破損した特異点の珠がある。それを封じ込めるために。その珠は至高点への接続路で、アルファラエルが得た情報をモナステリアットへ送るために必要なものだ。分かるか? 私の船に連れていってくれれば見せてやれる」

 おそらくこのスベダールは、特異点の珠を見たことはないだろう。惑星外の世界について学んだ時に聞いたことはあるかもしれない。あの奇妙な石を見て、特異点の珠だと思ってくれるだろうか?

 もしかしたら。

 「閉じ込めた特異点をカヴァーロンに持ち込んだのか」スベダールが送信してきた。

 「ええまあ。それが事態を悪化させるとは思えないけれど」サミは答えた。

 少しして、そのスベダールが笑い声をあげた。彼女は左右を見回し、サミは他のカヴ兵たちの笑い声も聞こえていることに驚いた。異星種族が笑うはずがないと思うかもしれない。けれどカヴは拡散する安堵感を必死に伝えるように進化してきたのだ。

 「いいだろう。特異点用の停滞容器を用意し、全員をタロ・デュエンドまで連れて行く」

 サミは息を吐いた。そして吸い込むと、金属の鋭い味がした。ホープライトの動力からの放射線だ。サミはヘルメットに手を伸ばし、防御弁を手探りし、ようやく被ることができた。

 「タヌーク」スベダールは言った。「古い硬貨を見つけたことはあるか? キヨス貨でも、スタテル貨でも、アクセモニーでもいいが」

 「ああ、ある」

 「今日、古いキヨスを見つけてな」スベダールは鎧から紡錘形の金属片をひとつ取り出した。片方の端が尖り、もう片方はやや丸い。カヴの角毛にも似ている。巨大な手甲を着けていても、彼女は難なくそれを扱った。「じゃあ、投げるから宣言しろ」

 「やめてくれ」小声でタヌークは言う。

 「そんなことをさせるな!」サミが叫び、タヌークへ駆け寄ろうとした。だが記念軍艦隊の大柄なサルベージ作業員ふたりが混沌壁と沈黙壁のように遮った。サミは手を伸ばして掴みかかり、身をよじったがまるで岩と格闘しているようだった。

 「宣言しろ、先か丸か」

 「俺が選択をした時は、こんな風じゃなかった」とタヌーク。「自分が何をしてるのかは分かっていた。ただ、選択を間違っただけなんだ」

 「今度は正しい選択をしろ」

 「俺は選ばない」タヌークが言い、スベダールは羽根ペンの形をした古いコインの片方の端をつまんで投げた。

 砕け散った平原へと火山風がガラスの粉塵を散らす。コインは黒鳥の羽根ペンのように転がる。

 タヌークは黙っている。

 「先!」サミが叫ぶ。

 コインは岩に落ちて時計の針のように回転し、風を受けて更に回転する。そして石に当たって止まると、先端はスベダールに向けられていた。

 「先だ」とスベダール。「お前が犠牲者に与えたよりも多くの機会だ、タヌーク」


 カヴはタンの古い保管庫から停滞容器を、そして墜落したホープライトからアルファラエルを引きずり出した。そして、まるで子供の謎解きゲームのように、発見したふたつの物品を組み合わせる。アルファラエルはひどく出血していた。そのためカヴは彼を停滞容器に押し込み、起動させた。

 サミはアルファラエルも、保管庫も見ることができなかった。タン曰く、ただ不活性ガスが詰まった巨大な風船が埋められているようなものらしい。保管庫の中で眠るには呼吸マスクを着用する必要があるため、記念軍艦隊チームはそれを「ラトル」(「ら」ん暴に外に出て、呼吸器を「とる」)と呼んでいる。眠りから目覚めたらそうしたくてたまらなくなるからだ。

 「あの検査槽みたいな音だ」

 タヌークは「わからない」を意味する声を発した。

 「シグマで私を見つけた場所があっただろ。私が気を失った後に。大きくて柔らかい袋だ」

 タヌークはサミを見つめた。カヴのその表情は読み取りにくい。「ああ。気絶したんだな。大きくて柔らかい袋の中で」

 「タン、お前……大丈夫か?」

 返答はない。ジェマダール(スベダールよりも階級は低いが役割は同等で、異星種族との連携訓練を受けた記念軍艦隊の兵士)が、風船状の車輪を備えた細身の大気圏外ロブビークルのひとつへと案内する。これはレーザー加速された宇宙船に乗せて旧カヴァーロンと現カヴァーロンの間を飛行できるよう、必要最低限にまで切り詰められた地上車だ。停滞容器は洗濯機ほどの大きさしかないものの、その重みで車体を押し潰してしまいそうだった。

 彼らはセリーマ号を目指して走った。

 天気は晴れ、薄いガラスの霧が装甲に当たって鳴り響く。運転手は大音量で音楽をかけ、楽しそうに歌っている。竜巻が東から接近してきた。成長の糧となる暖気を求めているのだ。

 セリーマ号は、アークジェットで吹き飛ばされた岩の上に屈みこんでいた。サミの隣でジェマダールが言った。「もし船に武器があるなら、砲台を使う。いいな?」

 カヴァーロンの砲台、つまり軌道加速レーザーは、鏡で反射させて地上目標を攻撃することができる。だがそれははったりではないかとサミは疑っていた。空中鏡どころか、無線でも何かに届くなんて奇跡に近い。とはいえセリーマ号に武器は搭載されていないので、議論の意味はない。

 サミが船のタラップを下ろした。カヴは停滞容器を貨物室まで運び上げ、シグマから持ち込まれた奇妙な石が入った熱格納容器の隣に置いた。

 「特異点の珠を見せろ」スベダールが要求してきた。「お前がモノイストの工作員であることを証明しろ」

 「その後は?」

 「タロ・デュエンドに向かえ。宇宙港がある。旧カヴァーロン行きの飛行機を挑発し、お前たちを帝国の権威に引き渡す。その後は、もう私の管轄ではない」

 「ん、わかった。その、私たちは……」

 シグマからの長い航行中、サミは熱格納容器に異変がないかどうかを調べていた。ニュートリノがごく僅かに放出されている程度だった。だがそれを再び開けたなら、胸骨の奥に眠る恐怖の芽が解き放たれるような気がした。鎧越しに胸骨を揉み擦ると、自分らしからぬ瞬間が訪れた――何も言葉が出てこない。

 「時間稼ぎはやめろ」

 「特異点の珠をアルファラエルのいる容器に入れてやりたい。もし彼が出血多量で死んでしまうなら、セカーを摂る機会を与えるべきだ」

 「これは停滞容器だ。出血も止まる」

 もし金属男のアーティファクトが実際には特異点の珠だったなら、それを停止状態にしたら困ったことになるかもしれない。停滞容器は時空を人工的に制御しており、それは珠も同様だ。もしそれらを一緒にすれば、喧嘩したり、愛し合ったり、あるいは興奮してしまったりするかもしれない。

 でも、あれは特異点の珠ではない。あれは……何かだ。

 あの石を生きている人間と同じ場所に詰め込むことには不安があった。

 「珠を準備する」サミは言った。「タヌーク、停滞容器を――」

 「タヌークはアーマーを脱いで膝をつくところだ」

 そのカヴは短波無線を通して話してきたため、サミには合金を通してフィルタリングされた、暗号化された物憂げな声しか聞こえなかった。タヌークは惨めに膝をつき、熱格納容器から視線を逸らしている。

 完璧にやらなければならない。そして、何とかして、船から降ろされる前に自由に飛べるようにしなければならない。

 一歩ずつ進まなければならない。

 「バールを」サミは要求した。

 だがその器具を渡す代わりに、防護アーマーを着たカヴが熱格納容器を引き開けた。

 金属男のアーティファクトは暗闇の中、凝固した粉でできた蜂の巣の中に安置されていた。カヴの明りがそれを照らす。まるで紙つぶてのようだ。光の曲がりや自発的な動きの兆候は見られない。

 「これがお前の言う身分証明か?」スベダールが無線で伝えてきた。「糞のようだ」

 「破裂させないようにしなければならなかった。持っているものはすべて使った」だがこれから何が起こるのか、サミには見当もつかない。「停滞容器を開けてくれ。アルファラエルに特異点の珠を運ばせる」

 「何故だ?」

 「神聖な物品を不信心者に扱わせるわけにはいかない。お願いだ、わかってくれ」

 停滞容器はカヴの技術ではなくピナクル製だ。青い塗装が施され、全システムが機能していること、そして1億分の1の停滞比を伝える小さなヴィイが備え付けられている。10年経つと、容器内部では1秒と少しが経過する。停滞フィールドは鏡面仕上げになっているため、アルファラエルの姿は見えない。10年分の光が蓄積されて内部の物質が一瞬で焼き尽くされるのを防ぐためだ。サミに見えているのは、薄い色の髪に多少の扮装が必要な顔、つまりはびっくりハウスの鏡に映ったような自分の姿だけ。お前、まだ詐欺を続けているんだな。よく分かったな、サミ。

 スベダールが容器の制御装置を操作する。停滞フィールドが消え、サミは中を覗き込んだ。

 アルファラエルは中で膝をついていた。若い! そして美形だ。サミの好みというわけではないが、影のある奥目、悩むような口元、そして薄い色の豊かな髪。虚無の崇拝者とは思えないほど、顔には肉がついている。

 「あなたと一緒に、損傷した特異点の珠を移動させる」サミは彼に告げた。「だから、セカーを摂る必要ができたならそうすればいい。分かったか?」

 アルファラエルは口の動きだけでサミに尋ねた。何をしているんだ?

 「頼む」サミは静かに言った。「カヴの帝国政府とこの件が解決するまで、あなたを安全に停滞させておくつもりだ。でも珠は受け取っておいてくれ」

 アルファラエルは出血する腕の切断面を胸に抱え、身をよじって停滞容器から出た。服は黒く、暗い色をした波打つ素材でできている。これがアレイビル、つまり瞬間の合金なのだろうか? いや、きっと違う。アンダースーツの上にはコートかケープが見えるが、まるで包帯のように身体に巻き付いている。彼はずぶ濡れで、白い石膏か何かの粉にまみれている。一体何をしていたのだろう? 何故ここにいるのだろう? サミは尋ねたかった。

 アルファラエルは近づいてくるカヴたちを見回し、スベダールの武器の下で膝をつくタヌークを見つめた。「旧カヴァーロンに来るのは初めてだ。驚異の博物館だと思っていた。カヴの文化のすべてが宇宙へ助け出されるのを待っているんだろう?」

 「それは別のカヴァーロンだ」スベダールが送信した。「ここは現カヴァーロンだ。侵入者はここで撃ち落とす。出血多量で死ぬ前にこの物体を移動させろ」

 アルファラエルはよろめきながら、開いた熱格納容器へと向かった。異星種族間注意の派手な印は、まるで有毒庭園の食べ放題メニューのようだ。アルファラエルの血が床に滴る。彼はコネクターや固定具がずらりと並んだ網目状の通路をうまく通れず、サミは手を伸ばして助けたいという衝動を抑えた。

 「僕たちを解放してくれるのか?」アルファラエルが尋ねた。

 「お前が本当にお前の言う通りの人物なら、政府に引き渡す。だがもし修道院がお前など知らないと言ったなら? つまりお前は保管庫泥棒、卑劣な犯罪の共犯者ということになる。そしてここで首をはねられていればよかったと思うだろう」

 「僕は生きたい」アルファラエルはそう言い、よろめきながら熱格納容器に入った。

 「気をつけて!」サミが叫ぶ。理想を言えば、チューブを使った非接触式の転送装置か何かを仕掛けておけたならよかったのだが。記念軍艦隊の悪党どもがかわいそうなセリーマ号にどかどかと入り込んでさえいなければ――

 「これか」アルファラエルが叫んだ。「ぬるぬるしてる」

 「それは剪断細粉だ、そのままにして――」

 「見た目より重いな。いや、待て、軽くなってきた」

 「アルファラエル!」サミは呼びかけた。「出てきて停滞容器に戻れ」

 アルファラエルは停滞容器から出てきた。その手にはあの奇妙な石が抱えられていた。それは明るく、喜ばしくぎらついていた。剪断細粉が固まりとなって落ちる――上向きに。

 アルファラエルの足はもはや床に触れていなかった。

 軋む音をたて、サミのアーマーが警告を発した。「止まれ! 動くな!」

 アルファラエルは浮いている。違う、浮いているのではない。じっと落下している。

 彼はどこかへ向かっているのではない。衣服の端がクラゲの触手のように宙に漂う。

 ありえない空間を、最小限の労力で進む道を自由落下しているのだ。

 スベダールが言った。「もう十分だ。奴らを殺せ」

 アルファラエルは船倉の天井に向かって漂っていく。

 「ラファエラ!」彼は叫んだ。「僕は死にたい。他の皆と一緒に行きたい。ドーンサイアーに送ってくれ。ああ、ザガクワイア、ごめん。ああ、くそ! ああ、やめてくれ! 死にたくない! 僕は生きたい! 放してくれ! 放せ、この濡れネズミ! 行かせてくれ、スラッツ船長! 行かせてくれ!ああ、切り倒す者よ、僕は脱出できた。やった。やったんだ。いや。やめろ。いやだ。行かせてくれ! 行かせてくれ! やめろ! 下、下だ、降りたいんだ。降ろしてくれ。もう戻れない。僕は生きていたい! 送り返さないで! 送り返さないでくれ! これは警告だ!」

 サミはタヌークへと駆けた。

 スベダールがうめき声をあげた。カヴ全員がうめき声をあげた。低く、獣のような苦悶の声を。彼らのアーマーが歪み、震える。中の身体が歪み、震えているからだ。

 アルファラエルの声が変化した。

 「不可避終焉よ! 僕の内にてその結末を始めたまえ! 風を記したまえ、僕が帷となってその風を受けるために。僕に赦しを与えたまえ! その心が狭まる道から僕を遠ざけたまえ。僕から運命の血を削ぎ落としたまえ。最初にあなたへの言葉を。事そして事象。ああ、不可避終焉よ、僕を引き込みたまえ! 僕の手を砕き、僕の足を潰したまえ。さすればあなたが敷く平坦な道だけを僕は通過できるだろう。あなたは何と完璧、何と究極的なのだろうか! その到来の前兆で僕を磨きたまえ! その喉の歯で僕を食したまえ! 不可避終焉、僕の運命にして愛よ! ああ、不可避終焉よ、あなたの腰が見える、肩が見える、虚ろな顔が見える!」

> 「不可避終焉よ、私を断ち切れ!」


 

アルファラエルは手助けを必要としている

 私は神ではない。だがそのひとつに使われるために作られた。私には限界がある。

 究極の未来はひとつしか存在しない。避けることはできず、そこに収束していく。過ぎたことは過ぎたことであり、最終的にすべてはひとつの終わりとなる。前方を見据えたなら、ひとつの巨大なピラミッドが重力に引かれて崩れ、世界線がオメガへと収束していくのが見える。

 だが過去は流動的だ。現在に至る道が数多く存在する。

 後方を振り返ると、見えるものがある――可能性だ。

 偉人たちの言葉を引用させてもらいたい。

 よくある誤解として、あらゆる宇宙において、ある瞬間から無数の未来が外側に広がるというものがある。だが一部の宇宙では、決定論は逆方向に作用する――つまり、ある時刻tにおける宇宙の状態sが与えられた場合、そのsに至る可能性のある過去の状態は複数存在するということだ。また一部の宇宙では、ありえた過去のすべてが、単一の決まった結末であるΩへと収束していく。

 千年王国論者ならば、このΩ をハルマゲドンと呼ぶかもしれない。文法に詳しい者ならば、宇宙規模の句読点と呼ぶかもしれない。

 そのような宇宙の哲学者ならば、Ω を必然の運命と呼ぶかもしれない。

 

 ひとつの場所に辿り着くには、いくつもの道がある。私はその場所を変えることはできない。だが、そこへ至る道を変えることはできる。

 必要なのは、変化させる瞬間を豊富に有する使い手だ。そして影響を受けやすい瞬間が必要だ。

 複雑さは私を阻む。宇宙の本質は私に自己整合性を強いる。未解決のまま放置しておくことはできない。私がもたらす変化はすべて説明されなければならない。他に方法がない場合は、偶然であると説明するしかない。

 だが時々、状況が適切であれば、私は自分自身に奇跡を許す。

> アルファラエルに手を差し出す。

 


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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