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MAGIC STORY
霊気走破
第4話 子供だけの近道
2025年1月16日
「久しぶりだな、モハル・ヴァルマ。こんなところで会うとはな。どういう風の吹き回しだ?」
「風の吹き回しなどではないよ。私も君も、耽溺している場合ではないと知っているだろう」モハルは旧友の向かいに座った。この男にこのような場所はふさわしくない。ギラプールの地下には、美学というものが入り込む余地はない。かつてモハルのような豪邸を所有していたルドラは、部下と「平等な立場」に格下げされた。屈強な衛兵隊長は今、かつての部下たちとともに兵舎で眠っている。
大恥と言っていい。この男はカラデシュの英雄だというのに。小型トランクひとつだけを持って、簡素なマットレスで寝ているなどとは。
ふむ、とルドラは頷いた。他の警備員たちは――仲間意識の名の下に、ここにはプライバシーなど存在しない――注意深く見守っている。そのうちふたりは後方の壁にもたれかかり、ひとりはこの空き時間を利用して武器の点検を始めていた。
「そしてその節制とやらの結果がこれだ」とルドラ。彼は背をもたれた。ちらつく霊気の明かりがその傷跡に深い影を落とした。
次の言葉を発する前に、モハルは周囲を見渡した。首筋に汗が流れ落ちた。「君のここでの新たな友達。信用できるのか?」
沈黙。そして。「カラデシュについて言ってるなら、その件について疑問の余地はない」
モハルの笑みはごくわずかに緊張していた。彼は身を乗り出し、ウイスキーの大きな瓶を置いた。ルドラの好みは昔と変わっていない。「軍法会議で、私は君を弁護した。君の忠誠心、献身を証言した。必要とあらば娘の命を君に託してもいい、そう他の領事たちに語った。覚えているだろうか?」
ルドラの目に輝きがひとつ宿った。彼はウイスキーの瓶を握り締めた。「覚えているとも。『愛国者の心と情熱は、祖国への奉仕と防衛に捧げられるべきだ』だったかな?」
その通り。他の領事たちは皆この言葉を気に入り、モハルは少し誇らしく思っていた。そしてその言葉は真実でもある。カラデシュの安全に比べれば、数人の反逆者や裏切り者の命など何でもない。
モハルは頷いた。「ルドラ、私はその情熱を再び必要としている。カラデシュは必要としている」
白髪交じりの警備員は首を傾げた。「何を計画している?」
「放蕩に終止符を打つ」とモハル。だがルドラは慎重な男であり、正確さを重んじている。この男がこれまで罪に問われていない理由のひとつ。冷酷だと思われているが、彼には輝かしい奉仕の実績がある。ルドラへの賛同は、その身長と同じほどに積み上がっている。そして彼は小柄な男ではない。そのためモハルはわかっていた。更なるものを得るには、更なるものを与えなければならない。「とある強力な精神魔道士が、もう数人を我々の側に『説得』するのを手伝ってくれると約束してくれた。だがその男は条件を提示してきた」
ルドラは身を乗り出した。「聞こう」
「あのレースを終わらせる力が必要だ。ゴールラインでレーサーを罠にかけ、あらゆる目が我々に注がれる中でカラデシュを奪還する。ゴンティはレースだけに目を向けているだろうから気付くことはない。そしてあれは既に君を警備に雇っている」
ルドラは目を狭めた。「血が流れるかもしれないぞ、モハル」
「ならば、流れればいい」モハルは答えた。「価値ある革命で血が流れないものなどかつてなかった。自称反逆者たちに思い出させてやろうではないか――真の勇気とはどのようなものか、そして自分たちの野望の代償がどのようなものかを」
「今日のレースが始まり、今日もレーサーが速度を上げます! 私はヴィン、今日もどんどん質問しちゃいますよ! 本日のゲストは……」
粋な衣装に身を包んだ目玉が画面に映り、演壇の左に向かって仰々しいお辞儀をした。そしてカメラが引き、隣に別の人物が現れた――大きな類人猿。頭から突き出た骨は誇らしい王冠のようで、尺骨と橈骨も同じく皮膚の上に見えている。骨の至る所で紫色の宝石が柔らかく輝いている――それらは彼の腕に埋め込まれており、胸から下げた牙の首飾りとよく合っていた。「こちらはグレナーさん。ギラプール・グランプリのムラガンダ・ステージ、その後援者のおひとりです。グレナーさん、私からお伝えたしいことがあるんですよ。お越し頂き本当に光栄です。多元宇宙全体が、貴方に是非とも会いたがっているんですから」
グレナーは大きな葦で扇ぎながら答えた。「けれど挨拶に来たのはお前たちふたりだけだ。興味深い」
ヴィンは身をくねらせてひるんだ。通訳も頭をかく仕草を加えてそれを真似た。「それはですね、多元宇宙のすべてが見つめているんですよ。わかりますか? このカメラはそのためにあるんです」
グレナーはカメラを見つめた。「多元宇宙のみんな。そこにいるのか?」
「そこから誰もが見つめているんですよ」ヴィンが示した。「とにかく、ムラガンダのことを誰もが知りたがっているんです! 全部教えて下さいよ! ムラガンダの自慢は何ですか? 嫌いなことは何ですか? 是非とも見てほしいものは何ですか? あそこに大きな石のループがありますが、あれは貴方がたが設置したんですか? それに、あの浮かんでいる島はどうなって――」
「浮かんでない」とグレナーは菌類でできた巨大な玉座から大股で降り、カメラに近づいた。その掌に比べると、カメラもトランプの山札ほどの大きさにしか見えない。
「浮かんでないってどういうことです? ほら、私のこの小さな一つ目で見えますよ! あの川の塊がまさしく私たちの頭上を流れてるじゃないですか! 紳士淑女の皆々様、我らが友とレーサーの皆様、この場所で撮影するための準備は信じられないほど大変だったんですよ。照明さんはびしょ濡れ、助手くんは滑って立てない、機材係は水びたし。画面のすぐ外では豪雨が――」
「浮かんでない、落ちてる」グレナーはそう言い、空いている方の手でヴィンが言った川を示した。
アート:Samuele Bandini |
目玉でも青ざめることはある。ヴィンの哀れをそそる様は翻訳の必要もほとんどなかったが、通訳は今さら手を抜くつもりもなかった。
「お……落ちてるってどういうことです?」
「落ちてる。あの月以来、すべてのものが落ちてるように。落ちてることに飽きたら地面に着くだろう。その時はここにいないほうがいい」そのドルイドは言い、カメラをいじくり回し、頬を掻いてレンズに軽く叩きつけた。「みんなここにいると言ったな?」
「ある意味そうです。ねえ、あの、あの川が落ちるのに飽きるまであとどれくらいかわかります? 何せ私は泳ぎが得意じゃなくて、あの、ねえ、何をしてるんです?」
グレナーは――偉大な牙ドルイドであり、レースの後援者であり、さらなる訪問者がもたらすであろうものを恐れる類人猿は――頭上の川へとカメラを全力で放り投げた。彼はカメラに何らかの魔法をかけたに違いない。カメラがあれほど強く、あれほど速く飛ぶ方法は他にない――不可能な物事へとまっすぐに狙いを定めて突き進む、きらめく流星のように。
木っていうのは素晴らしいものだ。
いつもそう思っていたわけではない。背景に溶け込むとても退屈なもの、チャンドラはかつてそう考えていた。燃料にはなるかもしれない! 彼女が育ったギラプールに木はあまり多くはなく、レガーサは灌木よりも背の高いものはあまり見られない次元だった。それで何かしようとしたわけではなかったが。
もちろん、その後ニッサと出会い、すべてが変わり始めた。そしてレンと出会い、一番新しい友人のひとりを失った。
けれどそんなことは散歩中にゆっくり考えればいい。今はレース中なのだ。今見ている木々は、ありえない速度で過ぎてゆく木々。
その木々自体も、ありえなかった。星のきらめく夜空へとそびえる樫の木が、自分たちの真上に倒れ込んでくる。追い越そうとしても無理。ここの忌々しい木々は、ラヴニカのどんな尖塔よりも大きい。アヴィシュカーの旗艦が、自身よりも太い木の幹によってコースへと叩き落される様をチャンドラは見ていた。
路面自体もひどい。アモンケットとアヴィシュカーのコースは、大部分が滑らかだった。
ここは?
ここのコースはむしろコースらしきもの――そしてその土地はコースをきちんと受け止めてはいなかった。
慎重に調整されたサスペンションと、障害物を登るための全地形対応の前輪を備えたクラウドスパイアでも、道は険しかった。チャンドラは低い枝をかろうじて避けたが、クラウドスパイアの同僚のひとりが枝に激突した。乗り手を失った機体はそのまま走って茨の茂みへと突っ込み、回転しながら死の旋風と化して宙に舞い上がった。まるで切り落とす頭を探している斧のように。進行方向を塞ぐ斧のように。
他のレーサーだったら、もっと優雅な解決法があるのかもしれない。けれどチャンドラにはなかった。彼女はそのまま進み続けた。両脇にはボヤージャーズ――片方は単純な鉤で武装し、もう片方は光る球体を備えていた。こちらを爆発させたり蒸発させたりできそうな。
「話し合いで解決できない? 一緒に迂回しない?」チャンドラは呼びかけた。
ビープ音だけが返ってくると、チャンドラは精一杯加速した。タイミングが合えば……そして、前方で回転する壊れたバイクが発火した。
チャンドラは隙間をまっすぐに突き抜けた。ボヤージャーズは軌道を修正する間もなく、車輪のハブに激突した――チャンドラは彼らの機体が爆発する音を聞き、閃光を目にし、ガソリンの味を感じた。だが集団から抜け出したことを喜ぶ暇はなかった。建物のような巨大なムラガンダの木々がこちらに向かって倒れてきた。巨木の一本はよろめきながら目の前へと傾きつつあり、高さ三十フィートの木の壁を形成しようとしている。恐怖の一瞬、チャンドラは思い出した。次元壊しが――ファイレクシアの世界樹が――あらゆる世界に、あらゆる次元に根を突き刺す様を。一筋の恐怖が背筋を駆け下りた。それに振り回されてはいけない。今じゃない。恐怖は最後に去るもの、その言葉を彼女は思い出した。エルズペスは戦いの前にそれを口にするようになっていた。
レースだって戦いみたいなものよね? だったら武器があった方がいいかもしれない。
チャンドラはバイクの座席に立った。自身を取り巻く空気が揺らめき始め、周囲の木々と同じく自然の法則に反する薄いもやが漂った。チャンドラは燃え盛る太陽を掌に呼び起こした。自分だけの太陽、いかに勝ちたいかの表れ。
いかに勝ちが必要かの表れ。
レーサー全員が振り返るに違いない、まばゆい閃光。近くの木々を一気に燃やす灼熱。水蒸気が更に気化して見えなくなる。
道がなければ、チャンドラ・ナラーが道を切り開く。
迫りくる木へと彼女は火の玉を放った。煙と燃える葉の跡に、焼け焦げた真っ暗なトンネルが現れた。
呼吸を落ち着かせる。見たでしょ、何も心配することはないって。これは切り抜けた。
アート:Brian Valeza |
バックミラーを弾き、チャンドラは後方に誰がいるかを確認した。エーテルレインジャーズ。驚くべきことではない。スピットファイアはこのレースで唯一、自分に匹敵する反射神経を持っている。その背後にはクイックビースト。障害物など飛び越えて行けば簡単かもしれないが、スピットファイアの狂気じみた運転よりは遅かった。4位はアモンケット。バスリが砂のヴェールを巨大なのこぎりのように用いて、チャンドラが逃した木々を片付けていた。車輪をひとつ失ったものの、彼らの速度は長く落ちてはいなかった。
1位。1位はいい気分。
けれど長くは続かない。
自作の燃えるトンネルから出ると、その先にチャンドラはあの男の姿を見た。どういうわけか、ウィンターは彼女のすぐ前にいた。
この男はいかにしてか不正行為を続けている。チャンドラはうんざりしていた。正々堂々と勝とうとしてるチームだってあるのに! あの男は一体何のために霊気灯を欲しているの?
そんなことはどうでもいい。あの男が手に入れられるわけがない。
チャンドラはそれを確実にしてやるつもりだった。
ナラーは一体何のために霊気灯を欲しているの?
スピットファイアは繰り返しそれを自問せずにはいられなかった。クラウドスパイアが密林を駆け抜ける様を見れば、それは生死のかかった問題のようにも思えただろう。ナラーの鋭いターンと無謀な加速は、最も勇敢な追随者を除く全員を威圧するだろう。
スピットファイアは威圧などされないし、追随もしない。
ナラーが作ったトンネルを通らずに――スピットファイアから見れば死の罠だ――彼女は機体を後進させてアモンケット人が木を処理するのを待った。必要のない努力をする意味はない。この先の氾濫原に入れば、アモンケットのチームは絶対に追いつけないはずだ。彼らの戦車を引く動物は既に疲れているし、ストレスのかかっている車軸は不安定な地形でひどいことになるだろう。ここでは後ろについて、それからナラーを追い越せばいい。
けれどアモンケット人を見ていると、あの疑問が心をよぎる。彼らは霊気灯を必死に求めている。行動のすべてにそれが表れている。彼らの詠唱。ザフルの演説。背後につくと、その老勇者の声が晴天のようにはっきりと聞こえた。
「ここでは生命が花開いている、かつてアモンケットでもそうであったように。我らが民のために今ひとたびそれを手に入れるのだ、怖れることはない! 死を喜んで歓迎する者が、自然に恐怖を抱くわけがあるだろうか?」
バスリの砂の刃が木の幹に叩きつけられる。前のステージで見た砂嵐によく似た、細かな木端が舞う。それが自分を傷つけることはないとわかっていながら、スピットファイアは気付くと息を止めていた。
けれどあの青年の姿を目にとめた時、彼女は息を吐いた。ほんの昨日、ザフルを救って死んだ青年。その褐色の肌は少しだけ灰色に変化していたが、見間違えようはなかった。仲間たちは彼の編み髪を蓮の花弁で、彼の髭を金箔で飾っていた。青年はバスリとザフルの隣を走り、彼らの伝説的な偉業に加わっていた。
スピットファイアは一度だけ彼に会ったことがあった。レース開始前、彼はエーテルレインジャーズのガレージを訪れて砂糖漬けのデーツを差し出したのだった。
「私たちの地から貴方がたの地へ、豊かな恵みをどうぞ」彼はその時言っていた。「アモンケットはレースの開催地を敬わないなどとは誰にも言わせませんよ」
地面が揺れ始め、スピットファイアはハンドルを握る手に力を込めた。前方の氾濫原は何の問題もないはずだが……この場所については案内書に何て書いてあっただろうか?
ムラガンダを訪れる際は、常に空へと目を光らせておきましょう。月の隕石はいつ落ちてくるかわかりません! 一度に5個以上の破片が落ちてくるのを見たら、間違いなく墜落に伴って地震が起こります。見える前に揺れを感じたら、もう手遅れです!
案の定、足元の穏やかな震えは、すぐに大地が発する飢えた唸り声と化した。アモンケットの戦車を引くカバが勢いよくコースから外れていった。避難シェルターへ向かったのだろう。GGP公認のシェルターを示す輝く球体をスピットファイアは認めた。クイックビーストはボールを避ける子供のように流星を避けながら、東へと空を旋回していた。
クイックビーストを見上げたのは間違いだったかもしれない。
それを見つめながら、彼女は月の隕石が落ちてくる光景との対峙を強いられた。
アート:Nicholas Gregory |
2年前のある朝。目覚めた彼女は、馴染み深く愛する街を巨大な磁器の腕が突き刺す様を目撃した。身支度をする気もなく、寝間着姿のまま彼女は階下に急いだ。両親は屋敷のどこかにいるに違いなかった。
だが見つけたのは両親の姿ではなかった。家の衛兵たちはもう敵の手に落ちていた。彼らの剣は腕に、鎧は皮膚に融合していた。彼らと戦うことは、シータがこれまでに経験した中で二番目に辛いことだった。手にできるものはすべて、友として愛した人々を殴り倒すための即席の武器となった。
では一番辛かったことは? それはその日の遅くに起こった。
時間はあると父は主張していたが、それは間違いだった。
「改革派の長からスピットファイアへ。あれを追い越そうなんて考えないで。他のチームと一緒に避難するわ。これは命令よ」
ピア・ナラーの声が記憶の遠い叫びを圧倒した。
反論しようかとスピットファイアは考えた。破滅が迫る中、他の全員が谷に向かっている。自分たちはここで信じられないほどの優位に立てるかもしれない。自分ならできるかもしれない。心を落ち着かせることができれば、落ちてくる月の先へ行く方法がきっと見つかる。
けれど自分が恐怖していることをシータはわかっていた。ハンドルを握る手が震えていた。
危険を冒す価値はない。
彼女は谷へと進行方向を変えた。
霊気灯がナラーにとって何を意味するのかはわからない。けれどスピットファイアにとってそれはただひとつの意味しか持たない。
もう二度と父の意志に屈する必要はない。
ミンはファー・フォーチュンではない。
でも、そうなりたいと思ってる。誰だってそう思ってる。エンドライダーズは全員、フォーチュンの勇気と策略に命を救われた経験があるのだ。誰もが終焉を見ているところにフォーチュンは未来を見て、それを実現させ、敵の胸郭からそれを切り出す――必要とあらば。
だから、月の巨大な破片が目を見張る猛烈な速度で落ちてくる様を見ても、ミンは逃げなかった。エンドライダーズの先頭を進むフォーチュンも逃げなかった。エンジンの轟音を切り裂くような遠吠えが響く。チェーンソーの騒音は空と、大地と、天そのものへの挑戦だ。
胸が高鳴り、ミンスミートは車の運転席から降りた。足のバランスがちょうど良ければ、まだ進むことができる。風が髪を叩きつけ、尖った岩が頬を切り裂く。後方で、誰かが戦いの太鼓を打ち鳴らした。
「あたしらは何を手に入れる?」
「未来を!」
「失うものは何だ?」
「何だって燃やしてやったとも!」
罠を避けるすべがないのは当然のことだった。彼女はフォーチュンと、空から迫る終末にひたすら集中していた。そのため地面を見ていなかった。
足元に穴が開いた。ミンスミートと周囲のエンドライダーズ5人を飲み込むほど大きい。彼女の車は全速力でその底へ突撃していった。だが穴に落ちたことは、当初はそうは思えなかったものの最終的には慈悲となった。残酷で冷淡な慣性の手によって空中に飛ばされるという最初の衝撃が過ぎると、ミンスミートは気付いた。彼女はフォーチュンの車のトランクに着地していた。
それは人生で最も幸せな瞬間といえた。そして、最後の瞬間のひとつになるかもしれない。
ミンは急いで立ち上がった。すでに脇腹には痣ができていた。着地の時に肋骨を折ったのは間違いない。フォーチュンの副官が彼女を助けようと駆け寄ってきた。
だが立ち上がりながら、彼女はこの穴に閉じ込められた全員に迫りつつあるものを見た。
襲撃者。10人ほどか。この始まりからして十分ひどいというのに、その全員が恐竜に乗っているとなると、さらにひどいことになる。
咆哮がミンの鼓膜を痛めつけた。下草の中から飛び出してきたのは、葉の中に収まるはずのない生き物だった――ガスタルの獣と同じくらいの首長恐竜、あるいはもっと大きいかもしれない。いや、間違いなく大きい。背中には木でできた三層の即席要塞に、トカゲ人間が沢山乗り込んでいた。
武装を固めたトカゲ人間が。
アート:Brian Valeza |
「やばい――」
「煙! 煙! ああもうこの煙は! どうしろってんだ!」
ダレッティは目を見開いた――あれは一体何だ? で、それに乗ってる奴らはなんでレーサーを狙ってるんだ? そんなことは起こらないってドルイドどもは保証してたが……
けれど自分たちはこの有様だ。結局のところ、保証には大して価値はないということ。
「大砲だ!」ダレッティは叫んだ。「スライサーを全部出して切りつけろ。あの獣の足の腱を切れば、止められるかもしれん!」
ロケッティアーズは急いで行動を起こした。スライサーがついているのは半数だけだが、機会を得たとあれば彼らは喜んで使う。すぐに、降り注ぐ矢と刃の風音が激しく衝突した。
「いいぞ!」とダレッティ。一本の矢が風防を突き破った。制御盤から火花が弾け、彼は次の動きを考えようとした。脚まで辿り着くことができれば……「隊形を維持しろ……まっすぐ前進! 最高速度だ!」
「最高速度! 最高速度!」
前代未聞の速度に達し、ダレッティの耳を風が叩いた。補強用の骨組みにしがみつく。あちこちの計測器が回転する。運転席には煙が充満している。これを切り抜ければ、すべては解決できる。この獣の首は相当な長さかもしれないが、視力は発達していなそうだ。そして――
アート:Anthony Devine |
そして彼はひっくり返った。車そのものがひっくり返った。
「何だあ!?」
すぐに、このありえない状況に対する答えが明らかになった。ダレッティは最大の生き物については計算していたが、隠れて待ち伏せしている小さな生き物については考慮していなかった。突撃したゴブリンたちは、罠の上をまっすぐに駆けたのだった。彼は今、そのことを把握していた――自分たちを宙に吊り下げている網と、捕獲者たちの爬虫類のような光る目。鋭利な刃の武器が、ダレッティの指ほどもある彼らの歯が、頭上を落下する隕石の光をとらえていた。
戦うことはできるかもしれない。スライサーはあるのだ。けれど……
けれど襲撃者は蝶の羽をもぎ取るように、車の前面からそれらをもぎ取った。
「ボス……」レッドシフトの声が聞こえた。「すごくまずいよ」
ダレッティは言葉をのんだ。「そうかもしれない、レッドシフト。でも心配するな、何とか出る方法を見つけて――」
「さよなら、ボス! 一緒に仕事ができて本当によかったよ! 今までのあんたよりいいボスになってやるよ! もっとかっこよくなってやるよ!」
何だ――? ダレッティがきょとんとした次の瞬間、レッドシフトのサイドカーが大爆発を起こした。一瞬、襲撃者たちを怯えさせるほどの。レッドシフトと他のゴブリンたちはこの爆発を利用して、荒々しく悪意に満ちた川のように車から飛び出した。
「おい! お前ら、どこへ行くんだ! 俺もここから出せ!」
「ごめんなさああああああああい!」ゴブリンたちが叫んだ。
だが捕獲者たちが骨ばってかすれた笑い声を上げ始めるのを聞くと、ダレッティはその謝罪への疑問を抱いた。
他のレーサーたちは避難していく、心の隅でチャンドラはそれを認識していた。それが賢い行動だともわかっていた。月の破片が落ちてこようという時にコース上にいるのは、自分がとりうる一番愚かな行動だと。
けれどウィンターは引き下がらない。だからこっちも引き下がらない。
氾濫原を駆け抜け、枝や岩を吹き飛ばしてあの男に追いすがる。直線なら追いつくことができる。そして追いついたら、あの男が先を越すためのズルをできないようにする。二度とさせない。
風が耳でうなり声をあげる。向こうとの距離は車体半分ほど。今にも衝突しそうだし、今にも百もの方向に吹き飛ばされそう。
集中して。
ゆっくり息を吸って、4つ数えて、息を吐く。今、世界のすべてがこの1ヤードの中にしか存在しないかのよう。けれどそこにいなければならない。そのすべてに気を張り詰めていなければならない。ウィンターが先に進むためにやっていることは、危険かもしれないのだ。これで怪我をしたらニッサは絶対に許してくれないだろう。
気を張り詰めていたおかげで、襲撃者が現れる一瞬前にチャンドラは気付いた。それが自分たちへと飛びかかってくる直前、穴に隠れた恐竜の尖ったとさかが見えた。
反射神経が思考を上回る。彼女はバイクを急転回させて危険を避け、車輪が氾濫原の地面に深い跡を残した。砂塵の雲が視界を遮ろうとしたが、チャンドラはゴーグルの存在を思い出し、それを引っ張って装着した。ありがたい。
だがそして、彼女が見たものは全くもって意味不明だった。まだら模様の巨大な恐竜が、耳をつんざく咆哮とともにレーサーたちに近づいてきた。一体どこから来たの! その恐竜の首はコースの幅ほども太く、長さもコースの半分はあるだろう。
チャンドラがそれを認識した瞬間、それはチャンドラを認識した――それとその仲間たちが。先程自分たちを襲った小型の恐竜は、10人もの襲撃者を運んでいた。牙の生えた巨大トカゲが鳴き声をあげながら穴から飛び出し、物騒な角と棍棒のような尾を持つ生き物が三体その後に続いた。
炎の爆発を起こしてチャンドラは彼らを遠ざけ、だが目にした――何ら心配する様子もなく突進してくる、スピードデーモンの輝き。
コースに戻らなければ。
チャンドラはエンジンを始動させた。1秒後、彼女は嵐のように激しく咳をしながら、再び砂埃の中を力強く進んでいた。そしてもやの壁を抜けた瞬間、彼女は見た――ウィンター、スピードデーモン、吊り下げられた檻の中のあの子、そして彼らと並んでラプトルに乗った襲撃者。
襲撃者はスピードデーモンへと鉤を投げ、それはあの小さな子の檻の柵に引っかかった。ウィンターはグールたちに反撃はさせずに方向転換をした。その勢いと角度が合わさって鉤が外れた。檻も一緒に。
あの子は悲鳴を上げながら、襲撃者が構えていた袋の中へと落ちていった。
ウィンターは離れていった。
コースを進み続ければ、自分は勝てる。コースを進み続ければ、霊気灯を持ち帰って、何もかもを正すことができる。チャンドラは罵りを呟き、ハンドルを切った。
「ナラー、何をしようとしているのかはわからんが――」
「あなたは共同キャプテンでしょ! だからあなたが勝つことにも意味はあるわ。先に行って、私は後で追いつくから」
「これは狂気だ」コロディンは反論した。「なぜ確実な勝利を捨てる?」
「ゴールで会いましょ!」
彼女は恐竜の隣にバイクを寄せた――優に家一軒ほどの高さのある恐竜。
息を吸って。いち、に、さん、よん。
チャンドラ・ナラーは自身の乗り物から飛び降り、もっと昔ながらの乗り物に乗り換えた。
好機は一度しか来ない。
他のレーサーは谷の方へ向かっていった。恐竜は、おもちゃを振り回す子供のように自分たちを切り裂いていく。逃げる者は矢で刺され、不運な者たちは網で捕らえられた。
コースの内外で大混乱が起きている――もし今、先頭に立つことができれば、誰も自分を追い抜こうとはしないだろう。
スピットファイアは自分が何をすべきか知っているのだ。運命は一度しか好機を与えない。それを掴まなければならない。
他のレーサーは好きなように苦労させておこう――自分には勝たなければならないレースがあるのだ。
彼女はレーシングスーツの肩のポートに霊気の小筒を刺しこみ、ひねった。舌の上に稲妻が弧を描き、血が自分だけに聞こえる歌をうたう。周囲では、矢が這うように進み、岩が宙に静止し、他のレーサーはゆっくりと前進している。彼らの顔にはっきりと刻まれた恐怖は、今や凍りついた仮面となっている。
スピットファイアは運転席の窓から手を伸ばし、襲撃者の鞭紐を掴むと強く引っ張った。その勢いで襲撃者は乗騎から引き離され、別の乗騎に激突したが、スピットファイアはその後に続く恐竜の攻撃にも備えていた。恐竜の尻尾が振り上げられた半秒の間に、その下を抜ける。前方では襲撃者たちの矛や槍が、最も大きな恐竜の下をくぐろうとするあらゆるものを突き刺していた。
彼らにスピットファイアを止めることはできない。
彼女は真っ直ぐに突進した。危険なスラロームも、ゆったりとして景色の良いドライブのよう。後方でスピードブルードの車輪のひとつが弾け飛び、その車がスピンアウトする音が聞こえた。
けれど止まらない。止まるわけにはいかない。勝ちたいなら止まらない。
恐竜の平らな尻尾は、前方の落とし穴を飛び越えるための間に合わせの傾斜路となる。スピットファイアはエンジンをうならせた。車の下にある恐竜の頑丈な筋肉は、ギラプールの石畳の道と何ら変わらない。彼女は襲撃者を迷わせるのに十分な速さで進路をそれ、恐竜の背骨に沿って頭へと一直線に突き進んだ。
だが頂上に到達した瞬間、叩き切るように時間の流れが戻った。周囲の戦いで上がっていた叫び声だと彼女が思っていたものは、実はスピーカーから聞こえてくるピアの声だった。
「止まらないと。あの子が大変なことになってるかもしれないの!」
何?
スピットファイアは跳んだ。空中にいる間に彼女は考え、処理し、そして……ああ。
あの子。
ナラーの娘のバイクは、暴れ回る恐竜の足に踏み潰されていた。スピットファイアは恐怖に愕然としそうになるが、その時、巨大なラプトルの脇腹にまとわりつくような炎の柱が見えた。
ナラーはレースを諦めたの?
「引き返して! 聞こえないの? 助けないと!」
ピアの声に込められた恐怖が、別の記憶を呼び起こす――助けないと!
シータと父はレンタカーでイシャニの家へと急いでいた。母の親友。家にいないなら、そこにいるはずだ。
父親の運転は下手で、ふたりは渋滞に巻き込まれた。シータは行かせてほしいと、運転させてほしいと父に懇願した。とにかく、ここで座ってじっとしているわけにはいかない。そんなことをしていたら、絶対に間に合わない。
「落ち着きなさい」父は彼女に言った。「何事にも筋道はあるんだよ、シータ。」
20分後、道を半マイルほど下ったところで、シータは侵入樹の枝がイシャニの家に突き刺さる所を目撃した。
喉が詰まりそうだった。
「行きな。家族なんてのは私の邪魔をしてばっかりだ」
スイッチを弾き、スピットファイアは無線を切った。
彼の名前はおたから。これまで地獄のような時間を過ごしていた。レースそのものもひどかった。ものすごい速さで突っ走るし、檻は小さすぎるし、ウィンターの手下は怖すぎるし。クイックビーストやアモンケットの死んだ戦車引きと顔を合わせてもきた。怖いものは沢山ありすぎて、恐竜とそれに乗る者たちはその一番新しいものでしかなかった。
でも色々考えるに、今はまだましかもしれない。この骨の檻は金属の檻よりも大きい。伸びたり転がったりできるし、尻尾も窮屈じゃない。これから何が起こるんだろう? わからない。けれど少なくとも、やっとゆっくり休めるようになった――
「放せ! とんでもない仕返しがくるぞ、わかってんのか! 俺を捕まえるとかロケッティアーズが黙っちゃいないんだからな、言ったぞ!」
アート:Chris Seaman |
おたからは檻から見つめた。どうやら新しい同居人ができたらしい。当然だ。おたからはこれまで何か手に入れても、すぐに失ってしまう。さようなら、ひとりの時間。少しの間一緒にいられてよかったよ。
新しく来たのは……ゴブリン? その言葉が合うとおたからは思った。緑色の肌、大きく尖った耳、爆発物と油の匂い。自己紹介は大切だ、特にこれから一緒に過ごす相手には。おたからは彼に近づき、前足を差し出した。
「行儀のいいちびっこだな?」ゴブリンは肩のほこりを払った。「俺はダレッティだ」
おたからは頷き、高い鳴き声を返した。
ダレッティはきょとんとした。困惑した様子。「お前の名前はおたから。わかった。何でだ? 初歩的なテレパシーみたいなもんか?」
おたからは歌うように答えた。この部分はいつも少し疲れる。何故か皆、自分の言うことを理解してくれる。それが何故かはわからない。これは彼の過去についての答えのない疑問のひとつに過ぎない。
「まあ、少なくとも俺にはいい仲間がいるってことだ。お前さんは見たところ……」ダレッティは片手を振り、眉をひそめ、何かを一生懸命考えているような表情を浮かべた。「いい仲間みたいだしな。爆発のことを何か知ってないか?」
おたからは首を横に振る。
「メカはどうだ?」
もう一度。
「レースはどうだ? お前さんはここの生まれなのか、それともどこか別のとこ……」
高い鳴き声を出す。
「そこは好きじゃないって? まあ、俺も自分とこは大好きってわけでもないが」ダレッティは上着の中から何かを取り出した。美味しそうな匂いのする小さな円盤をひとつと、金属のカップがふたつ。彼はそれを互いの間に置いた。「おたから、何か食っちゃいけないもんはあるか? フィオーラのチョコレートだ。とっておきだぞ」
ああ、それはヴラスカが時々くれるものの匂い! 彼は行儀よく座り込んだ。
「ふるさとの味だ」ダレッティは機械仕掛けの腕当てのボタンを押した。両方のカップに熱いお湯が注がれる。円盤が溶け、やがて彼はそれをスプーンでかき混ぜた。「ほら」
おたからはカップを手に取り、口元にそっと触れた。液体は濃くて黒っぽい。ヴラスカがくれるものほど甘くはないけれど、それでも近い。
「あいつらが言うように俺たちが生贄にされるなら、少なくとも誇らしくしてような」ダレッティは言った。
え、生贄。おたからはカップを置いた。「おたから、話してやるよ。何もかもが変てこだった」そしてダレッティは話を続けたが、おたからはもう聞いていなかった。誰かの愚痴を聞かされるのはうんざりだった、というのがひとつ。
そしてもうひとつ、おたからは友達の姿を見かけていた。葉の間をこっそりと動く、橙色っぽい赤の炎。そしてクラウドスパイア・レーシングの赤と白の服。あの燃える女の子だ!
彼女はおたからへと親指を立てて見せ、それから唇に指を一本当てた。
襲撃者たちがレースから持ち帰ったものに隠れながら、彼女は近づいてきた。その間、ダレッティはフィオーラがどこにあるかを話し続けていた。おたからは熱心に聞いているふりをした。聞いているふりをしていないといけない。ダレッティがチョコレートを欲しがってるのと同じくらい真剣に。
自分たちの右に、ロケッティアーズの一番大きな機体のひとつが置かれていた。大きさから判断して、ダレッティの乗り物だったに違いない。見張りが通り過ぎると、炎の女の子はそれに飛び乗って隠れた。
おたからの心臓がどきどきした。あの女の子、きっとうまくいく!
横の扉を抜ける。もっと近く、もっと近く。
そして、角を曲がってきた襲撃者のひとりと鉢合わせした。
女の子が炎を爆発させようとして、おたからは檻の中でも熱を感じた。けれどそこで襲撃者は小石の山のように地面に倒れたため、それを放つ必要はなくなった。
襲撃者の背後に別の女性が立っていた。少し年上で肌の色は濃いめだが、炎の女の子とは血の繫がりがあるに違いない。ふたりが顔に浮かべた得意そうな笑い顔は同じだった。
「あら、チャンドラ。お母さんが見守ってくれなかったら、あなたはどこにいたのかしらね?」
チャンドラの笑みが大きくなった。「牢屋かな」
「家族用のにしなさいね」女の子の母親が言った。「さあ、ここから出ましょう」
「ちょっと待って。友達が大丈夫か確認しないと」チャンドラは檻に近づき、鍵の前に膝をついた。そこで母親が彼女の肩を叩いた。
「私に任せなさい」
そして思った通り、チャンドラの母親は瞬時に鍵の開け方を把握していた。扉が勢いよく開いてようやく、ダレッティは背後で何が起こっていたのかに気付いた。彼は椅子の上で半ば跳び上がった。「何だ――」
「キャプテン3人が一堂に会したわね。ダレッティ、あの車はまだ動くの? 私のは死のトカゲを振り切るようにはできていないのよ」
今度はダレッティが笑みを浮かべる番だった。「もちろん走れるとも。非常手段を山ほど組み込んであるからな」
「話すより逃げなきゃ」とチャンドラ。「もうすぐお客さんが来るわ。おちびちゃん、あなたは私と一緒にいるのよ」
一度言われれば十分。おたからはチャンドラの肩に駆け登った。他のふたりが車へと滑り込む間に、彼はチャンドラの頬に鼻を何度か押し付けた。
そしてひとつ鳴き声をあげた。また来てくれてありがとう。チャンドラは驚いて目を見開いた。
「そんなこと言わなくていいのよ。私もあそこにいたってだけだし」とチャンドラ。「もしよかったら、私と一緒にクラウドスパイアにいてもいいわよ。戻ったらね……ねえ、まだ動かないの?」
「もうちょいだ!」ダレッティが答えた。
襲撃者たちの遠吠え。野営地に角笛の音が響き渡った。見つかったのだ。
チャンドラが火の玉を投げつけた。野営地の半分が炎に包まれる中、彼女は車に飛び乗った。「のろのろじゃないの! 行くわよ!」
「最近の子供は忍耐力がないわ」ピアが溜息をつきながら言った。だがエンジンが再び動き出す音がした。状況は前進してはいるらしい。「チャンドラ、援護して。ダレッティ、この車に武器はあるの?」
槍が一本、彼らをかすめていった。「奴らはチェリーボムを見つけられなかった。今投下する」
乗り物の下で何かがゴロゴロと音を立て、屋根のない運転席が煙で覆われた。1秒後、おたからは必死にチャンドラに掴まった。機体に残っていた動力が一気に使い果たされ、運搬車の端をかすめて彼らはコースをめがけて走り出した。
アート:Caio Monteiro |
槍が飛んできた。網が落ちてきた。だがそれぞれがチャンドラの炎に、あるいはダレッティの狙い澄まされた武器に落とされた。煙と爆発の合間に、彼らは少しだけ息をつく間を得た。けれどほんの少しだけ。
歯ぎしりをするラプトルに乗った襲撃者が突進してきていた。生贄が逃げることを彼らが嬉しく思っていないのは明白だった。
おたからが小さく叫んだ。車内の全員が彼の言うことを理解した。
「左? そっちには何もないわよ。あの木があるだけ。この車は上方向には行けないの」とピア。
「この子の言う通りにして、きっと何か知ってるのよ!」チャンドラが言った。「スピードデーモンズはいつも先頭に出てたでしょ? たぶんこの子がいたからよ! 子供だけの近道か何かを知ってるのかも!」
「今、自分がどれだけ意味不明なことを言ったか分かってんのか?」とダレッティ。
だが自身の行動を熟考する時間はチャンドラにはなかった。
彼女はハンドルに飛びつき、左へと曲がった。
「チャンドラ、何をしてるの!」ピアが叫んだ。
「この子を信じて! できるんでしょ、おたからくん?」
おたからは身を乗り出した。彼の尻尾はこれまでにないほど明るく輝いた。しなければならないのは、集中することだけ。そして……
「チャンドラ、このままだと私たちは死んで――」
ピアの警告は、蝉が羽化するように木の樹皮が剥がれ落ちる様を見て途切れた。その下には、領界路が見せるあの螺旋状の光があった。
「子供だけの近道、ね」ピアが言った。
次の瞬間、彼らは境界を越えて違う世界に飛び込んだ。
アート:Izzy |
(Tr. Mayuko Wakatsuki)
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