MAGIC STORY

霊気走破

EPISODE 02

修復の刻

Hadeer Elsbai
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2025年1月13日

 

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アート:Julie Dillon

 「子供を連れてきたのか」自分たちが家と呼ぶ一部屋の小屋、その隅に座した子供たちにマヒタブは目を向けた。窓はなく、少し湿っていて、油のランプがひとつだけ灯っている小屋。食事用の小さな卓と、洗濯用の小さな桶がそれぞれひとつ。すべて機能的だったが、どこか陰鬱だった。マヒタブとニハレトはそれが嫌いで、どこか別の場所に住みたいという強い願いからマヒタブはこの仕事を受けたのだった。

 マヒタブの決めつけに、かつての同門であるバスリ・ケトはため息をついた。子供たち――双子のマルナテンとメリナテンは、憤りとともにマヒタブを睨みつけると声を揃えた。「もう15歳だよ!」その甲高い合唱にマヒタブは顔をしかめた。

 「彼らは若い、けれど有能だよ」バスリが割って入った。「私は信頼している」

 マヒタブは最後の部分を無視して眉を上げた。「双子で生まれるのはケンラだけだと思っていたが」どちらも細身で暗褐色の肌、ふわふわの黒い巻き毛。子供たちは驚くほど似ていた。

 双子のうち女の子の方が鼻に皺を寄せた。「人間の双子を見たことないの?」

 「この人たちはナクタムンで最高の不朽処理者だよ」言い聞かせるようにバスリが主張した。

 マヒタブは少し顔をしかめた。「外では何に直面するかわからない。だというのに君は子供をふたりも連れてきた、一度も試練を経験していない年齢の――」

 「僕たち、ハゾレト様の侍臣になるために勉強してたんです!」男の子の方が反論した。

 「試練をひとつ乗り越えた誰よりも、ずっと役立つわよ」女の子が言った。

 「それに生きてます!」男の子が付け加えた。

 バスリはマヒタブの腕をそっと掴み、双子から引き離して小屋の暗い隅へと引いて行った。そこにはニハレトが屈みこみ、一本のろうそくの明かりを頼りに本を読んでいた。ふたりが近づいてくると、ニハレトは顔を上げた。

 バスリは言った。「マヒタブ、誰もが望んでこの旅に出たがるわけじゃない。だがあの子たちはテムメト様がオケチラ様に選ばれた者だと知っている。あの子たちは知っている――」

 「ああ、その話は前にもしてくれたな」マヒタブは口を挟んだ。テムメトはオケチラ神を蘇らせる方法を知っている、そうバスリは確信していた。ナクタムンを癒す何らかの秘術の知識を持っていると確信していた。「君の妄想を彼らも信じているかどうかはどうでもいい。あの子らにとっては殺されに行くようなものだろう。ニハレトと私は自力で何とかできるが」

 ニハレトは頷いた。「修復の儀式については調べてきたわ。あの子たちは必要ない」

 マヒタブはニハレトと彼女の本を示した。「そういうことだ」

 「まず、私は妄想を抱いてなどいない」バスリはそう主張した。「アモンケットには尊敬される指導者が必要だ。たとえテムメト様が私の信じるほどの知識を持っていなかったとしても、あの方の存在だけで我々は団結できるだろう。それと君の本についてだが、読むことと行うことは同じじゃない。双子は鍛えられていて、奉仕を望んでいるんだ」

 「いいだろう」マヒタブは肩をすくめた。「もし彼らが死んだら、それは君の責任だ」

 バスリは驚いたように彼女に視線を向けた。「私が守る以上は誰も死なせないよ」

 マヒタブは呆れた顔をした。バスリは昔からずっとこうだった――どうしようもないほどに楽観的で、戦いが大好きで、状況に関係なく皆を守れるという自分の力に自信を持っている。そして並外れた好青年なので、彼がどれほど愚かであるかを告げるのは難しい。問題は、彼が英雄だったということ――マヒタブは身をもって知っていた。バスリは結束の試練で一門を救い、マヒタブを救い、ニハレトを救った。そして、感謝を告げられる前に姿を消した。決して自慢などしなかったが――バスリはそのようなことはしない――自身の力量と立場をほのめかす方法は他にもあった。たとえ、自分がそうしているとは気づいていなくとも。

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アート:Kai Carpenter

 マヒタブは白と金の鎧をまとう彼の胸を突いた。「繰り返すが、君の責任だ」

 バスリ・ケトがマヒタブ宅の玄関に現れたのは一週間前のことだった。一門の生き残りふたりと再会するために来たのだ、とその時のマヒタブは考えた――甘い考えだった。だが挨拶を交わすとバスリはすぐに本題に入り、テムメトがナクタムンには是非とも必要だという巧妙な論拠をマヒタブとニハレトに提示したのだった。

 マヒタブとニハレトは、テムメトを埋葬した者たちの中でただふたりだけの生き残りであり、すなわちテムメトの所在を知るのは彼女たちだけだった。バスリが会いに来たのはそのためであり、そしてその知識のために彼は法外な報酬を支払うつもりでもあった。

 当初、マヒタブは高額の報酬にもかかわらず断った。アモンケットの荒野へと再び旅をする気はなかった。だがその時ニハレトが彼女を小屋の隅に呼び寄せ、物憂げな表情で呟いた――「窓のある家って素敵じゃない?」

 ニハレトは、生きながら埋葬された者が誰でもそうであるように、閉ざされた空間を嫌っている。それが起こる前の彼女は今とは違っていた――意見を曲げず、冷静沈着で、自分の賢さを自画自賛していた。けれど不適切な発言が多すぎた。彼女は忘れ去られたはずの神々についてしばしば口にし、そのために造反者という烙印を押された。天使たちがニハレトを迎えにやって来た。彼女は助けを求めて叫び暴れたが、連れ去られていった。天使たちはニハレトを包帯で包み、生きたまま石棺に閉じ込め、街路を練り歩いた。

 そしてあの破滅の刻が訪れ、すべてが失われ、すべてが取り戻された。マヒタブはニハレトを見つけ出して解放したが、共に育ち、愛した少女は、決して元に戻ることはなかった。

 ニハレトは窓のないこの小屋で何度となく悲鳴とともに目を覚まし、新鮮な空気を切望した。そんな夜、マヒタブは共に寒々とした外に出て、深呼吸をするよう指示した。悪夢が去ると、ふたりは寝台を近づけて向かい合って横になった。マヒタブは彼女を抱きしめなかった。ニハレトは他者の身体に包まれたまま眠ることはできない。代わりに、彼女はニハレトの長い巻き毛を木の蔓のように指に絡ませて引っ張った。ニハレトは安全だとわかって目を閉じた。

 窓。これまで気にしたこともなかった些細なもの。けれど窓は日光と新鮮な空気をもたらしてくれる。窓があることでニハレトには逃げ道が見え、安心できるのだ。

 無論、マヒタブはバスリの申し出を受け入れた。

 「私たちは役立たずな『ちびっこ』なんかじゃないわ」女の子の方が忍び寄り、通常であれば昆虫に向けられるような軽蔑とともにその悪口を言った。「ハゾレト様はしもべを守って下さる。それに私たちはそんなに若くもないわ。アモンケット人の基準なら中年よ」

 マヒタブはあざ笑った。「それが子供っぽいと言うんだ。それにそれは昔の見方だ」

 「アモンケット人の見方よ!」メリナテンは抗議した。

 「違うわよ」

 全員が驚いて振り返った。ニハレトが顔をしかめ、立ち上がっていた。

 「アモンケット人の見方じゃない」彼女はゆっくりと言った。「それはあの大咎者の見方。あいつは私たちを下僕にして、沢山殺したわ。あいつは子供の命なんて気にしなかったけれど、私たちは気にする。生き残って繁栄するためには、子供を守らなきゃいけない」ニハレトの目は大きく見開かれていた。彼女は内から震えているようだった。マヒタブは急いで隣へと駆け寄り、強張った肩を支えるように腕を触れた。

 マヒタブが驚いたことに、バスリは分厚く白いマントを払いのけ、ふたりの足元にひざまずいた。

 「彼らは守る。ニハレト、私が約束しよう」バスリは悔悟者のように彼女を見上げながら、厳粛に言った。「私に二言はない。必要とあらば、彼らのために私の命を差し出そう」

 立派な言葉、そうマヒタブは思った。でも結局のところ意味などない。


 5人は夕暮れ時に出発した。砂漠で生き延びるには、涼しい夜に旅をし、肌が焼けるほど太陽が暑い昼間に休む必要がある。マヒタブはずっと以前にそれを学んでいた。

 ナクタムンを離れるのは気が進まなかった。この数年で街は癒され始め、住む価値のある場所となっていた。遺棄地に比べれば楽園とも言えるだろう。ギラプール・グランプリが近づくにつれ街はより活気にあふれ、その準備で誰もが高揚していた。マヒタブはレースに何かを期待しているというわけでもなかったが、それは誰もが見たことのないものになるのだろう。レースを楽しみにする理由としてはそれで充分だった。

 日干し煉瓦と石灰岩でできたナクタムンの込み入った街並みから、広々とした空間と流れる砂へ。前方の地平線は暗く果てしなく、まるで別の世界への入り口のようだった。足が砂丘に食い込むにつれ、マヒタブの歩みは遅くなった。双子はお喋りをしていたが、行軍が本格的に始まると黙り込んだ。片足をもう片方の足の前に出すことに全力を集中しなければならない時に、無駄話をする余裕などない。マヒタブの背中に汗が玉のように浮かび、気温が徐々に下がるにつれてじとじとした。激しい風には砂粒が混じり、肌の露出部分をざらざらと擦りつけた。

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アート:Ron Spencer

 進むにつれて空は暗くなり、ナクタムンの光は遠くの小さな点と化した。乳白色の星々の川が一行を見下ろし、丸くふっくらとした月は象牙がかった金色に輝いていた。マヒタブは青黒い空に描かれた乳白色の星座を頼りに先導した。広大な砂漠の中、それらは彼女にとって唯一の錨だった。

 双子は文句も言わず行軍を続けた。それは称賛に価したが、マヒタブはふたりが息を切らす音を聞いた。彼女は水を飲むための短い休憩を与えたが、長居はさせなかった。

 数時間後、マヒタブは足を止めた。地平線に沿って、紫がかった桃色の筋がゆっくりと広がっていた。朝は近い。

 「ここで野営をしよう」

 話す気力は誰にもなかった。彼女たちは大きな天幕をひとつ立てた――複数の天幕を心配するよりも、ひとつのそれを共有する方がずっと簡単で安全だ。その中に潜り込むと一行は干し肉や干し杏子、クルミの粗末な夕食をとった。

 「大して怖くもなかったわよ」メリナテンが言った。「ハゾレト様が守って下さるって言ったでしょ。私たちを導いて下さるって」

 「我々は幸運だった」マヒタブはきっぱりと言った。「それに、まだ到着してもいない」

 バスリは顎に力を込めた。「我らが神について、もう少し敬意を持って語ってもいいだろうに」

 マヒタブはにやりと笑った。「簡単に忠誠を変えるのだな? 君はオケチラ様一筋だと思っていたが」

 ニハレトが身を乗り出した。「私たちは別の神々に守られているのかも」その声は静かだったが、マヒタブがよく覚えている確信に満ちて響いた。

 「まさか昆虫の神々のことを言っているのではないだろうな?」バスリが問いただした。「あの蠍がオケチラ様を殺害したんだぞ」

 「大咎者はすべてに破滅をもたらした」ニハレトはバスリではなく、そわそわと動く自身の指を見ていた。「けれどキチン宮廷に罪はない。試練で死んだ者たち全員に対して、ハゾレト神は罪を負うべきだというのか?」

 「ハゾレト様は償いをなされている」バスリが割って入った。「ニハレト、君が何をされたのかは判る。それを思うに――」

 「もうやめろ」マヒタブが鋭く口を挟んだ。

 双子は興味深げに見つめた。ふたりは目を大きく見開き、口をわずかに開けて喧嘩へと身構えた。だがバスリはただ首を横に振って横向きに寝転がり、眠る準備をした。ニハレトは膝を抱えて目をそらした。

 「交代で見張りにつこう」マヒタブは告げ、双子へと向き直った。「お前たちが最初だ。互いを眠らせるなよ、信じているからな。交代の時が来たら私を起こしてくれ」

 ふたりは責任を与えられたことを喜び、熱心に頷いた。そして天幕の垂れ布を持ち上げてそのすぐ外に腰を下ろした。昇る太陽の光を受け、彼らの影が天幕の生地に浮かび上がった。マヒタブは彼らの囁き声に身を任せ、不安な眠りに落ちた。

 その朝は何も起こることなく過ぎた。主陽が地平線に沈むと、一行は荷物をまとめて再び出発した。マヒタブは仲間たちを厳しく駆り立てた。足を止めなければ、次の日の出までには墓所にたどり着くことができるだろう。深い砂を歩く奮闘に骨が痛み、一歩ごとに足が深く沈んだ。とはいえ少なくとも心配事はそれだけだった。

 だが、静けさそのものもまた心配だった。遺棄地に生命は多くない、けれどこれほど静かであるべきではない。マヒタブは肩を高く上げて気を張り詰め、絶えず前後を確認し、警戒を強めながら歩いた。視界の隅に常に何かが見えていることは間違いないと言えたが、砂漠は予測のつかない幻を見せ、こちらを惑わせてくる。

 ニハレトがそっと彼女に近づき、袖を引っ張った。「大丈夫?」

 マヒタブは肩をすくめた。「もうすぐ着く」

 「本当に?」マルナテンがふたりへと駆け寄った。「よかった、メリが疲れてきたから」

 「大丈夫よ!」憤慨したメリナテンの反応が届いたが、その声は遠く聞こえた。マヒタブは足を止めて振り返った。バスリがメリナテンの数歩先を歩いていたが、あの少女は最後尾ではなかったはず。

 「メリナテン!」マヒタブは呼びかけた。「離れるな」

 メリナテンは顔を上げた。必死で疲労を隠そうとしてはいるが、目の下のくまがそれを伝えていた。バスリは肩越しに振り返って立ち止まり、彼女が追いつくのを待った。

 空気のあまりの静けさに、マヒタブの首筋の毛が逆立った。砂漠の砂が足元で動いているように見えた。まるで蜃気楼のように。

 そしてサンドワームが砂の下から飛び出してメリナテンを飲み込んだ時、誰も何もできなかった。

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アート:Brent Hollowell

 最初に動いたのはバスリだった。巨大なワームは甲高い鳴き声をあげてのたうち、辺り一面に砂を撒き散らした。その金切り声に、マルナテンが片割れを呼ぶ叫び声が混ざり合った。

 視界が回復するのを待たず、マヒタブはコペシュを引き抜いた。砂埃が晴れると、彼女はまずニハレトの姿を探した。ニハレトは近くに屈みこんでおり、片手で目を覆い、もう片方の手でコペシュを握っていた。今のところは安全だ。

 バスリは槍を大きく振るい、すると砂の波がうねった。それはワームの腹部に命中して相手をよろめかせた。バスリは槍を空中で切り裂き、今度は砂の縄がワームの頭部を打った。ワームは地面に叩きつけられ、顎が開き、沢山の歯に刺されてもがくメリナテンが現れた。

 少女は生きていた。

 マヒタブは全力で駆け、ワームの頭に飛び乗った。そして刃を振り上げ、柄の深さまでワームの頭へと突き刺した。滑らかで波打つ表皮の感触が下から伝わってきたが、彼女は身震いをしないようこらえた。傷口から熱い血が泡立ち、腐った肉と金属の悪臭が漂った。ワームは身体を震わせ、そして動きを止めた。

 マルナテンは片割れの名を叫び続けていた。マヒタブが降りるよりも早く、少年はワームの口の中へと登った。バスリが彼に追いついた。ニハレトは全員の背後に留まり、背を向けて、他の生物がいないかどうかを注意深く見張っていた。

 「落ち着くんだ、マルナテン」バスリは少年の腕に手を触れた。「慎重に救い出してやらないといけない」バスリの声は穏やかで、手も震えてはいなかったが、茶色の肌は恐怖に血の気を失っていた。

 マヒタブはワームの頭部から滑り落ち、不安定に屈みこんで着地した。手に付着した血は既に凝乳のように固まっており、喉に上がってくる胆汁を彼女はこらえた。皆を押し分けてメリナテンの元へ向かうと、少女は腕と脚をワームの歯に貫かれていた。

 「ニハレト、来てくれ!」マヒタブは怒鳴った。「バスリ、足を頼む。マルナテン、下がっていろ」少年の顔色はひどく青ざめていた。不安と心配に気がはやっており、彼が何の役にも立たないのは明白だった。

 メリナテンの息は荒く、痛みに目を閉じていた。マヒタブは彼女の背後に屈み込み、腕を肩の下に差し込んだ。

 「メリナテン、今からお前を持ち上げる」マヒタブは断固として言った。「痛いだろうが、大丈夫だ。全員手足を掴め。私の合図に合わせてくれ。1、2、上げろ!」

 メリナテンは悲鳴を上げ、ワームの歯から解放された。バスリが彼女を腕に抱えてサンドワームの口から運び出し、とても優しく砂の上に置いた。彼は白いマントを脱ぎ、それを折り畳んでメリナテンの頭の下に置いた。

 マヒタブはニハレトへと顎で催促したが、ニハレトはすでに鞄を開けていた。彼女はガーゼ、蜂蜜、絆創膏を取り出した。そして静かにメリナテンの横に座り、腕よりもずっと出血が激しい脚の治療を始めた。マルナテンは妹の横にひざまずき、彼女の無事な方の手を自分の両手で掴んだ。砂埃だらけのその顔に涙が流れていた。

 彼女たちは急いで手当てを進めた。他にできることは何もなかった。そして最後にマヒタブが言えたのは、メリナテンはまだ生きているということだけだった。

 マヒタブは罵りの言葉を吐いた。自分たちの誰の身にでも起こり得たことだが、それが子供だったという事実がとても辛かった。

 「戻らないと!」マルナテンが言った。

 「メル、私は大丈夫」悲鳴を上げ続けたメリナテンの声はかすれていた。

 「あと1時間ほどで着く」マヒタブは言い、苛立ちとともに指先で膝を叩いた。メリナテンへと進み続けるよう強いるつもりはなかったが、目的地はもう近い。そしてバスリにその気があるとしても、この旅をもう一度最初からやり直すのは気が進まなかった。

 彼女はバスリを一瞥し、そしてその悲痛な表情からすべてを悟った。もう一度報酬を支払う余裕はないのだ。これがテムメトを見つける唯一の機会。

 彼は感情を抑え、そしてマルナテンの肩に確固とした手を置いた。「大丈夫だ、君。メリは私が運ぼう」

 苛立ちと醜い満足感の間で引き裂かれ、マヒタブは唇をすぼめた。結局、バスリの内なる現実主義者が勝ったのだ。綺麗な言葉はもうない。

 バスリはメリナテンを背中に担ぎ上げた。彼女はバスリの肩に頭を力なく乗せ、白いマントや鎧に血が流れた。一行は再び歩み出した。マヒタブが先頭に立ち、ニハレトは後方を守らざるを得なかった。マヒタブは何度となく振り返り、ニハレトも一分おきに背後を確認していた。

 そして、遠くにそれが見えた。夜明けのかすかな光が石灰岩の表面に反射していた。砂に半分埋もれていたが、それでもそのピラミッドは人の身長の5倍ほどもあった。

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アート:Maxime Minard

 「本当にこれなのか?」バスリが小声で尋ねた。「テムメト様がここに?」

 マヒタブは明るくなりつつある空を指さした。夜明けは近づいていたが、まだ星は残っていた。「星座でわかる」

 「あまりに……飾り気がないものだから」

 「私たちは飾り立てたものではなく、安全なものを求めた」マヒタブは苦々しく言った。彼女はためらい、だが続けた。「名誉ある死者たちは長い間利用されてきた。彼らには真の安息の地が必要だった。見つけられて欲しくなかったんだ」彼女の言葉は重々しく、非難の響きがあった。だがバスリは何も言わなかった。

 マヒタブはピラミッドの裏側へと一行を案内し、そこで探していたものを見つけた。テムメトを埋葬した際、念のためにと彼女自身がその石に印を付けていた。入り口を示す目印、だがその入り口は現在砂に埋もれていた。けれどバスリがいる。

 「ここだ」マヒタブは石を指差しながら言った。

 バスリはメリナテンをそっと片割れの腕の中に下ろし、槍を振り上げた。ゆっくりと砂が持ち上がっていった。砂はまるで砂糖のように、夜明けの光にきらめいた。マヒタブは砂が美しいとは思ってもみなかった。ゆっくりと入り口が姿を現したが、それはマヒタブにしか認識できないものだった。わずかに色の違う石灰岩の並びで、裏側は空洞になっており、適度な圧力をかければ押し込むことができる。

 「借りていいか?」彼女はバスリの槍に手を伸ばした。一瞬の躊躇の後、バスリはそれを手渡した。マヒタブが槍の根元を石灰岩に叩きつけると、石のひとつがわずかに動いた。

 「さあ、そこからは私が」バスリは言った。彼は槍を受け取り、石を押し始めた。彼は皮膚に汗がにじむまで作業を続け、やがて大きな窓ほどの、かろうじて通り抜けられる幅の入り口があいた。

 マヒタブは四つん這いになり、最初に中に入った。墓所はマントのように彼女を包み込んだ。その完全な暗闇は、星が散りばめられた砂漠の夜空とは似ても似つかない。埃だらけの古びた空気に咳が出た。マヒタブはかぶりを振って気持ちを落ち着かせ、松明に素早く火を灯した。低い天井と土の床の簡素な通路に炎の光が広がり、彼女は他の者たちに中に入るよう呼びかけた。

 まずニハレトが入ってきた。彼女の息は荒く、浅くなっていった。その両手は固い拳に握りしめられていた。

 マヒタブはニハレトの頬を両手で包み、語りかけた。「大丈夫だ。閉じ込められてはいない」そして深呼吸をし、ニハレトにも同じことをするよう促した。ニハレトは目を閉じ、マヒタブの手首を探ると、呼吸が落ち着くまで強く握りしめた。

 次にマルナテンが入り、その後バスリがメリナテンをぎこちなく腕に抱えてやって来た。そして彼女を引き渡すと、三人は優しく受け取ろうと奮闘した。少女は勇敢だった――激しい痛みに唇を噛み、顔は青ざめていたが、声は出さなかった。最後にバスリが加わった。

 一行は狭い通路を歩き続けた。一歩ごとに天井はゆっくりと高くなっていった。やがてアーチ道に辿り着き、それをくぐり抜けると天井が急に高くなった。バスリでさえ手を伸ばしても届かなかった。そこは大きな四角い部屋で、中央に置かれたひとつの石棺以外には何もなかった。

 バスリが低い声で尋ねた。「あれが?」

 簡素なその石棺を見つめながらマヒタブは頷いた。「テムメト様だ」

 最初に石棺に近づいたのはニハレトだった。彼女はどこかぼんやりと、おそらく自分自身の埋葬のことを考えながら、石棺に手を置いた。

 バスリは慎重に、敬虔な気持ちすら抱きながら近づき、石棺の上部を押し開けていった。

 テムメトの姿がちらりと見えた――焦げたラゾテプに包帯が巻かれている。その時、背後のどこかからかすれた声が聞こえた。「止めてもらおうか」

 マヒタブはくるりと振り返り、すぐさまコペシュを脇に高く掲げた。目の前には7人からなる集団がおり、ひとりを除く全員が不死者だった。中央には長身の人物が立っていた。かつては人だったのかもしれないが、今は鎧とぼろぼろの包帯をまとう骨でしかない。頭蓋骨のふたつの穴から両目が輝き、地平線にかかる半分の太陽を模した槍を手にしていた。

Art by: Piotr Dura

 「何が起こってるの?」メリナテンが声高に尋ねた。

 「テムメトの骸は我らのもの」不死者はその言葉と同時に槍で地面を叩いた。

 不死者を見てマヒタブの鼓動がはやったが、彼女は声と武器をかろうじて落ち着かせた。「それで、お前たちは何者だ?」

 相手は首を傾げた。「何者か、だと? 我らはキチン宮廷の忠実なる信奉者。古き習わしの復活こそ我らが役目である」

 マヒタブは罵りの言葉を吐いた。君主どもがここで何をしている?

 バスリがマヒタブの横に立った。「テムメト様の遺体をどうするつもりだ?」

 「スカラベは我儘な息子を故郷へと呼んでおられる」君主は頷きながら言った。「必要とあらば、力ずくで奪う用意はある」その背後で、配下の不死者たちが身構えたように見えた。より背筋を伸ばし、より静かに、狙いをつけるかのように。

 「それは私たちもだ――」だがバスリの声は鋭い息とともに途切れた。マヒタブは振り返った。

 ニハレトがバスリの背後におり、コペシュを彼の首に当てていた。彼女はマヒタブへと悲しげに微笑みかけた。その両目は光沢を帯び、決意に満ちていた。

 「彼らに耳を傾けて、マヒ」ニハレトはそう囁いた。

 「ニハレト」マヒタブはきょとんとした。自分が見ているものが理解できなかった。「何をしている? 彼を放せ」

 「ううん」ニハレトは簡素に答えた。

 マヒタブは考えようとしたが、頭を殴られたような気分だった。「どういうことだ」

 「わからないの?」ニハレトは悲しげに微笑んだ。「キチン宮廷を蘇らせたいの。私たちの真の神々を」

 「あの神々は大咎者によってねじ曲げられた――」バスリが口を開いたが、ニハレトは彼の喉元にコペシュを押し当てて黙らせた。

 「そしてファイレクシアから私たちを守ってくれた」ニハレトは冷静に言った。「キチン宮廷はハゾレトの闘技場での不名誉な死から私を救ってくれた。彼らが何をしたのかはわかってる、それでも彼らこそアモンケット最古にして最も真の神々なのよ。かの神々が戻られて初めて、私たちは堕落から解き放たれるの。ハゾレトの路は過ちと死の路よ」その穏やかで確信に満ちた口調に、マヒタブの背筋が震えた。「マヒ、コペシュを下ろして。面倒なことにしたくはないから」

 これはきっと夢だ。間違いだ。そうでなければ――ニハレトは何度嘘をついたのだろう? ニハレト自身をどれほど隠していたのだろう? そして自分はニハレトのことを本当に知っていたのだろうか? バスリと双子の信じられないという表情を無視し、マヒタブはコペシュを下ろした。ニハレトと戦うつもりはなかった。できなかった。

 「さあ、ムンハテプ様」ニハレトは君主に言った。「骸をお受け取り下さい」

 ムンハテプは仲間のひとりに槍を渡し、進み出た。マルナテンは片割れを引きずりながら急いで後退した。死者でありながら、ムンハテプはあまりに素早かった。腕力も増強されているようで、彼はテムメトをまるで砂粒ほどの重さであるかのように持ち上げた。

 ニハレトが言った。「これで彼らの目的は果たされた。そのまま行かせてあげて」

 「マヒタブ」バスリは歯を食いしばった。「こんなことを放っておいてはいけない。奴らはテムメト様の骸を汚し、修復不可能なほどに損ない、オケチラ様の帰還を阻止するだろう――」だがそこでバスリは鋭く息を吸い込んで言葉を切り、目を閉じた。その顔には至福の笑みが浮かんでいた。

 彼の唇が動き始め、マヒタブは尋ねた。「何をしている?」

 バスリは目を開け、敬虔な表情を浮かべた。「祈りを」

 遠くで雄叫びが響き、その勢いに足元の地面が揺れた。

 そして突然、ピラミッドの頂上がもぎ取られた。

 瓦礫と砂が墓所に降り注いだ。マヒタブは松明を落としたが、それは問題ではなかった。暗かった部屋は今や、焼けつくふたつの太陽に完全にさらされていた。バスリはその隙にニハレトを振り払い、ニハレトは驚いてよろめき後ずさった。双子は身体を寄せ合い、落ちてくる瓦礫からできるだけ身を守ろうとしていた。

 マヒタブは日光に目を細め、自分たちを見下ろす巨大な生物を見上げた。

 神。それ以外にはありえない。獅子にも似た黄金の巨大な顔、輝く金属のたてがみ。その神性は疑いようもなかった――自身の血管、筋肉、周囲の空気の緊張の中にマヒタブはそれを感じた。まるで世界が息を止めているかのようだった。そしてその神が持つ弓、それはオケチラの弓だった。

 「偽りの神だ」ムンハテプは冷笑とともに言った。君主はまだテムメトの骸を高く持ち上げていた。「目を狙え!」

 従者ふたりが身長ほどもある弓を取り出し、神へと狙いを定めた。だがそれは滑稽な光景だった――矢は神の金色の皮膚に跳ね返るだけだった。神は彼らを軽蔑の眼差しで見つめ、矢が尽きるまでそれは続いた。

 「通路を抜けて戻れ!」ムンハテプが叫んだ。

 瞬きよりも早く、神は屈みこんで墓所の中へと指を伸ばし、テムメトの骸とそれを確保していたムンハテプを掴んだ。そしてムンハテプは放り投げられ。床に落下してその身体が砕ける音にマヒタブは顔をしかめた。

 神は背筋を伸ばし、太陽を遮って全員の上にそびえ立った。「堕落の信奉者らよ、其方らの神々は其方らを見捨てたり!」神の声は深く、荒々しく、男性的で、まるで人間になった獅子のようだった。神が片手を差し出すと、その掌にテムメトの遺骸が収まっていた。

 マヒタブは大気の圧が強まったように感じた。まるでこの次元全体が時の中で凍りついたかのような、重苦しい沈黙が一瞬訪れた。そしてまばゆい光が差し込んだ――マヒタブは目をきつく閉じ、そして開けると、テムメトの身体は腐敗から解放されていた。彼は神の掌の上で、自らの足で立っていた。マヒタブが見る限りでは、テムメトは呆然としているようだったが、獅子の神を見るその様子に怖れはなかった。まるでこれを予想していたかのように。

 「貴方様は?」バスリは両膝をついて声をあげた。「振るっておられるのは、オケチラ様の弓ではありませんか」

 神はゆっくりと頭部を動かした。それはまるで数十年をかけて動く彫像のようだった。「我が名はケトラモーズ。母オケチラに対する其方らの信仰が我をここへと導いた。母の最も忠実なる従者らのもとへと」神はテムメトへと顔を向けた。「テムメトよ、其方の役目は終わってはおらぬ。我が母に仕えたように、今より我に仕えよ。其方と我とで共に新たな夜明けを告げるのだ」

 ケトラモーズは背を向け、ナクタムンへと行進を始めた。大きな一歩を踏み出すごとにその姿は砂漠の中へと小さくなり、やがて視界から消えていった。

 マヒタブは膝をついた。君主たちは逃げていったが、彼らの一員であったひとりの人間はニハレトを見つめながらそこに留まっていた。そしてニハレトは目を狭め、その表情が固くなった。マヒタブがもはや認識できないものへと。

 「何が起こったんです?」マルナテンが呆然として尋ねた。「あれは何だったんです?」

 「新たな神だ」 バスリは言った。その声の中には何かがあった――まるで次の一息で救われるか、それとも打ち砕かれるかの境目のような。やがて彼は顔を上げ、とても久しぶりに太陽を見るかのように微笑んだ。「死してなお、オケチラ様は私を導いて下さる」

 ニハレトはその人間に向かって歩いて行こうとしたが、マヒタブが彼女の手首を掴んで背中へとひねった。「どこへ行くつもりだ? いつから私に嘘をついていた?」

 「嘘をついたことなんてないわ」ニハレトは腹立たしいほど冷静に言った。「私の信念を分かち合って欲しかった、けれどあなたには理解できないってわかってた。マヒ、あなたには信仰がないのよ。今も昔もずっと。あなたはただ期待されたことをしているだけ」

 あまりに遠慮のない物言いにマヒタブは打たれ、青ざめた。「お前のためにここに来たんだ! ちゃんとした家を持って、一緒に暮らせるように……」

 「わかってる」ニハレトは悲しそうに言った。「一緒にその家に住めたらよかったのに。でも、もっと大切なことがあるの」

 言葉が出てこなかった。彼女はニハレトではない。親友で、愛した女性で、一緒に育った少女ではない。けれど彼女を諦めたくはなかった。「それなら、私と一緒に戻って、お前の信仰についてすべてを話してくれ」

 ニハレトの目に涙が浮かんだ。「私は戻らないわ、マヒ。私は君主様たちと一緒に行く」

 「遺棄地で? 死ぬぞ!」

 ニハレトはかぶりを振った。「キチン宮廷の信奉者は遺棄地を我が家にしているの。そして私を歓迎してくれた」彼女はそっと、はぐれた巻き毛の一房をマヒタブの耳の後ろに押し込んだ。「私と一緒に来てくれる? 一緒に、キチン宮廷を蘇らせましょう」

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アート:Wayne Wu

 マヒタブは一歩後ずさった。ニハレトは驚くこともなく、わかっていたように頷いた。

 「そうよね」ニハレトは静かに言った。「断られるとは思った。さようなら、マヒ。いつかまた会いましょう」

 ニハレトと見知らぬその定命は通路の奥へと消えていった。マヒタブは呆然とふたりの後を見つめていたが、バスリが彼女の肩に手を置いた。「済まなかった」

 マヒタブは激しくかぶりを振った。両目が燃えるように熱くなった。彼女はバスリの傷ついた表情を無視し、その手を振り払った。

 できる限りの毒を込め、マヒタブは言った。「行こう、バスリ。君の新しい神が待っているのだからな」


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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