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MAGIC STORY
霊気走破
第1話 威勢と切望
2025年1月13日
理性的な人々は言っていた、イシュカーリの夢は「達成不可能」だと。教授たちは言っていた、彼女の理論は物理や魔法、さらには魔法という概念の法則にすら反していると。自分ほどの霊気の専門家なら、時代を超える巨大な謎や日々社会を悩ませている問題に関心を向けるべきだろう。なぜこんな中途半端で、風に消え去る灰のような考えにこだわるのだろうか?
ああ、教授たちは口をそろえて無理だと言った。彼女がこの計画を断固貫く限り推薦状を書くのを拒否し、彼女を工房から追い出し、同僚たちにも同じことをするように伝えた。
ある者は言った、「君が風変わりで無害だと思っていることは、狂気に他ならない」と。イシュカーリはその言葉を暗記し、沢山所有する溶接工具のひとつに刻み込んだ。「こんなことを続けていたなら、死に繋がるだけだ」と。
ギラプールの大砲が侵略者の刺々しい戦艦に砲撃を浴びせ、堕落の油で街路が黒く染まり、死者と重傷者の悲鳴が街に響き渡る中、イシュカーリはふたつのことを確信していた。
まず、誰もが死ぬということ。少なくともほとんどの人々が。侵略者が大学やアカデミーに特別な配慮をするとは思えない。自分を批判する者たちもおそらくこの状況からは逃れられないだろう。彼らは今日、揃って死ぬのだ。
次に、自分の死を価値あるものにしてやろうということ。
彼女は階段を昇った。ギラプールの中心から遠ざけられていたことは、今日に限っては有利に働いていた。街の中心から遠く離れているため、この小さな塔、自分の大切な工房は侵略者の主要な標的とならずに済んでいた。階段は一歩ごとにがたつき、大気は霊気が弾ける音で満たされている。窓から見えるのは煙と死と破壊だけ。
煙と死と破壊、それと好機。
設計図を通過し、模型を通過し、かつて抱いた壮大な夢の綿密な記録を通過する。昇りながらも恐怖は感じなかった。全く感じなかった。あの霊気紛争にて、このようなことは避けられないと彼女は悟っていた。チャンドラ・ナラーは確かに人々の英雄だったが、その友人たちはどこから来たのだろう?
どこか別の場所から。
ラシュミの次元橋は、この世界以外にも沢山の世界が存在することを明らかにした。イシュカーリは直ちにラシュミの著作に飛びついた。彼女は読める限りを読み、出席できる限りの講義に出席した。そしてラシュミは自分に何をくれただろうか?」
また言葉を思い出す――「彼女には、現在の技術で実現可能な範囲を超えて物事を見通す比類なき頭脳があります。ですがその方法と応用には問題があり、従って推薦には相応しくありません」
その直後、イシュカーリは最初の夢を見た。頭上を除いて空が黒くなる。頭上だけは、割れた果物のように赤い。理解の範疇を超えた生物がやって来る。ギラプールが攻撃を受けている。この匂い。この苦しみ。
そして、もし自分が挑んだなら、その血まみれの大口から希望を切り出すことができるだろう。可能性を切り出すことができるだろう。
プレインズウォーカーとその灯は学問と知識のようなものだ。知識はすべての人のものであるべきでは?
またも爆発。隣の窓が割れてガラスの破片が彼女の肩を切り裂き、腕に食い込んだ。
それでも昇り続ける。塔の頂上は近い。当初は、ラシュミが次元橋を再び作動させるのを待つつもりだった。その計画は崩れ去ったが、それでもイシュカーリはただ時を待つだけでいいとわかっていた。また別の機会があるだろうと。久遠の闇が大きく断ち切られる時が再び来るだろうと。
扉を開けると、それが目に入ってきた。ああ――なんて美しいのだろう! 空にぽっかりと開いた穴、想像することしかできなかった世界が垣間見えた。紋章を風にたなびかせた天使たち、測り知れないほど大きな海、波の下に燃える目、きらめく光の街。とても、とても沢山の世界……
顔に笑みが浮かんだ。
ああ、それだけのことをする価値はきっとある。
その機械は目の前に立っていた。私の機械、私の子供、世界へと残す私の遺産。領事府と良識の両方に反抗して入手できるものから作り上げたそれは、魚の鱗を重ね合わせたようなものにしか見えない――ただし、それぞれの鱗がくり抜かれ、端だけが残っている。
網。私の網。
塔の近くで爆発。長くは持たないだろう。けれどチャンドラ・ナラーに賭けて間違いだったことはない。自分の計算が正しければ、もうすぐ……
ほら! 次元の窓の端が波打つように震えはじめた。何かが起ころうとしている。何か大きなことが。
機械の操作盤に目を向ける。その難解なノブとレバーは、自分にしか理解できない。急いで行動しなければ。どれだっけ? そう、これだ。お気に入りの格言が刻まれた金色のレバー。
常識に惑わされるなかれ。
その言葉が手のひらに押し付けられるのを感じた。自分の心臓が金属に当たって鼓動するのを感じた。
きらめく光がギラプールを覆う――塵と輝きのヴェールが。
どくん、どくん、どくん。自分の鼓動と多元宇宙の鼓動が同調する。辺りの魔法のうねりに合わせて脈打つ。
今でなければならない。これで何が起こるのだろう? わからない。けれど、見込みはある。見込みはある、それで十分。
この機械が完成していないのは残念だけど、完成する必要はないのかもしれない。くらくらするようなこの混乱もその一部なのかもしれない。私と、つぎはぎだらけの私の機械。この侵略。そして崩壊して、元に戻る世界。
今電源を入れれば何かが起こる。確実に。
けれどこの装置はありふれた霊気に加えて、自然魔道士のエネルギーを動力源として用いるように作られている。そしてイシュカーリは残念ながら魔道士ではない。これを起動したら、死んでしまうかもしれない。
彼女はギラプールを見渡した。廃墟。死体。侵入者たちが一斉に沈黙し、一斉に停止した。
誰かが私のことを覚えているだろう。私が正しかったと誰かが知るだろう。そして彼らが霊気灯を、私の灯を見つけたら、それで何か素晴らしいことをしてくれるだろう。
イシュカーリはレバーを引く――そしてその瞬間、意識は久遠の闇と一体となり、彼女は達成不可能なものを真に達成する。
二年後
アート:David Alvarez |
スピットファイア――謎めいてタフで一見して無敵、ギラプールの非合法レース界の現女王。彼女は今、父親の屋敷を取り囲む壁を登るのに苦労していた。その上部には金線細工の輪が装飾として施されており、レーシングスーツの一部が引っかかって彼女はなかなか抜け出せずにいた。筋肉が悲鳴を上げた。数年前なら、監視している使用人に気を配らなければならなかっただろう。だがアヴィシュカーにはもはや使用人も主人もいないため、こっそりと中に戻るのはとても簡単になっていた。彼女は窓から飛び込んで、絨毯の上に静かに着地した。スピットファイアの仮面は、革命前に父親が依頼して描いた肖像画の後ろに隠されたフックにかける。きれいなサリーを着た少女は、自分に似ているとはとても言えなかった。柔らかな顔立ち、瞳の光は優しく明るい。
その肖像画の前に立つと、彼女はいつも嫌悪感に襲われた。それはスピットファイアではない。シータですらない。父が思い描くシータのあるべき姿に過ぎない。
けれど、少なくとも今は役に立っている。
仮面をかけるとすぐに、聞き覚えのあるノックの音が扉から聞こえた。父のノックだ。父は自分自身を区別するため、特別なノックの仕方にこだわっている。まるで、このちょっとしたスパイ行為でなりすましを防ごうとしているかのように。
「シータ、シータ! どうした? もう9時だ。朝食が冷めるぞ!」
着替える時間が思ったよりも少ない。具合が悪いと嘘をつくべきだろうか? 駄目だ。父は医者を呼ぶだろう。ごまかそうとする方がましだ。彼女はナイトテーブルにレーシングスーツを隠し、父が期待する衣服に急いで着替えた。
「ごめん、お父さん! 目覚ましが勝手に止まってて……」
「あの最新式の霊気時計は役に立たないと言っただろう。お前に必要なのはアナログ時計だよ、シータ」彼女が扉を開けると、父は指を宙に振っていた。「そして、最高のアナログ時計とは召使いだ。その時計で起こしてもらえば――」
「私を起こすよりも、もっとやるべきことがあるわ」とシータ。少なくとも最近では、召使いたちはその努力にふさわしい報酬を得ている。父はそうした展開を好んではいないが。
シータの父モハル・ヴァルマは以前の職務の地位や象徴をまだ捨て去ることができていない。召使たちもそれに含まれる。彼の官服は仕立てがよく清潔で、あごひげは短く切られ、口ひげはワックスで整えられている。その鋭く厳しい顔立ちから優しさとは程遠い人物であると思われがちだが、そうではないことをシータは知っていた。モハル・ヴァルマは残酷で冷酷な伝統主義の人物としてアヴィシュカーでは知られているが、シータが知る彼は娘を溺愛する父親だった。詩と歌で妻を魅了し、一人娘に男性と同じ教育を受けさせた男。シータに科学を学び、身を守る術を学ぶよう強く勧めたのはモハルだった。当時それは難しいことで、その決断を批判する同僚たちを一度ならず叱責しなければならなかった。
けれど言うまでもなく、そうした甘やかしは期待があってこそ。好きなことは何でも楽しめるのだろう――「きちんとしている」限りは。
シータにそんなつもりはなかった。
「具合が悪いわけではないのだな」父はそう言い、彼女の額に片手を当てた。「それはよかった。最近プラデシュ医師は好きなだけ請求していいと思っている。またそうさせたくはないのでね」
シータは顔をしかめるのを我慢した。「プラデシュさんの腕は確かよ。その仕事に十分な報酬をもらうのはいいことじゃないの?」
父は目を丸くして息を吐いた。そして階段に向かって歩き始めた――ついて来いという命令。
命令されるのは嫌だったが、彼女は従った。
かつてこの場所は賑やかな社交場だった。モハルはスピーカーから甲高い音楽をずっと流していたが、それもほとんど活気を与えてはくれなかった。むしろ、革命がもたらした変化を強調するだけだった。父は過去 60 年間に作られた曲を一切聞かない。「下品すぎるし、まったく意味がない」とのことだ。
「適切な報酬は良いことであり、正しいことだ、シータ。それはお前もわかっているだろう。私は、適切な仕事に対して適切な報酬を得ている者を責めなどしない。問題は、あれが一般人に請求するのと同じ額を私に請求しようとすることだ。それは無礼であり、不誠実というものだ。そしてもし私に発言権があれば、適切に対処されるだろうに」
「無礼?」彼女は尋ねた。父は常に……厳しい。それでも今朝は妙なほどに必死な様子だ。「本気じゃないわよね。ただの請求書一枚でしょ、お父さん」
小さな家族の肖像画が並ぶ階段を下る。幼い頃からのシータ、領事室にいるモハル、健康状態が回復して肖像画のモデルができるようになった頃の母。遠い昔の領事たちの像が台座から自分たちを見つめている。
「それが最近のカラデシュの問題だ。無礼ばかりだ。不忠者ばかりだ。成り上がり者たちが一度でも頂上に立てば、誰もが忘れてしまう――自分たちを守ったのは誰なのかということを。規律などもはや夢のようだ。あの頃、人は道徳の基準を守り、自分が正しいとわかっていた。だが最近の……革命家というのは、道徳など変えられるものであるかのように振舞っている」
シータは思う――朝早くからそんな暴言を吐かないで欲しい。自分は有象無象の人々よりも優れていると父は主張している。話すのはそればかり。工学について語り合えた頃が、勉強で何を学んだのかを聞かれた頃が、一緒に設計図をじっくりと眺め、ガレージで模型作りに取り組んだ頃が懐かしい。
あの頃からどれくらいが経ったのだろう?
もちろん、答えは知っている。
「今はアヴィシュカーよ」シータは言った。父を正す努力をしたほうが良いのかもしれない。他の皆は、父が怖くてそんなことはできない。「発明というのは素晴らしい言葉でしょう。あの侵略の後、私たちはみんな一緒にやり直してるのよ。道徳はこれまでと同じで、何も変わってなんかいない。でも、どんな社会が私たち全員にとって一番うまくいくのかを考えないと。何か新しいことを考えないと。発明はいつだって私たちの心の中にあったのよ」
アート:Jakub Kasper |
「そうかね?」モハルは眉をつり上げた。「発明は伝統よりも重要かね? 工科学校は蒸気でお前のゴーグルを曇らせたのだな。何か新しいものを見つけたいからといって、完璧に機能する機械を捨てるのかね? たとえそれが上手く機能したとしてもか?」
「もしそれが人を傷つけるなら」シータは答え、顔をしかめた。「もしそれが誰かを押し潰した大きな機械の一部で、溶接されていて、そのふたつを分離できないなら、もちろん私はそうするでしょうね。お父さんだってそうするでしょう」
父はしばし黙った。シータの中でも愚かな一部分は、父が自分の話に耳を傾けてくれることを期待した。
だが彼女はよくわかっていた――そのため父が再び歩きだしても、驚きも怒りもしなかった。落胆しただけだった。
「カラデシュ。戦争の地に領事府がもたらした、素晴らしく、完璧にふさわしい名だ。歴史ある名だ!それを捨て去るのは、領事府が成し遂げたあらゆる良い物事を捨て去るに等しい。祖母が愛情を込めて作り、祖父が汗を流して支払った料理に唾を吐くようなものだ。領事府のないカラデシュはどうなっていただろう? どこへ向かうのだ?」
やがてふたりはダイニングルームに到着した。これまではしばしば客や親戚をもてなしていた丸く大きな卓には、今は二脚の椅子しか置いていない。それでも、食べ物はたっぷりあった――芋とカリフラワーがたっぷりと詰まったパラタ、ウプマ粥、フェヌグリークの薄パン、イドゥリ、サンバル。ふたりで食べるには多すぎる量。
すべて父がこのために金を出している。今、そうしなければならないのだ。モハル・ヴァルマは、苦労している姿を誰にも見せたがらない。たとえ、途方もない料理を作る専属料理人を雇うのにどれだけの費用がかかろうとも。
父は普段通りそれらの前に座り、ラジオをつけ、何も変わっていないかのように振る舞うのだ。
「この場所を別の名で呼んだところで、その本質は変わらない。だが人々はカラデシュの真の意味を忘れつつある! そこには秩序というものがあるのだ。訓練が得意な犬もいれば、苦手な犬もいる。人も同じだ、シータよ――お前は発明がとても得意だ! だから、発明するのはお前の役目だ。だが、平民となると全く別だ。平民には指導が必要だ」
シータはパラタを手に取り、一切れちぎった。それをチャツネに浸して、父親がしゃべり続ける間にかじった。その実、彼女は父よりもラジオから聞こえてくる声に耳を傾けていた。今回はニュース局の声に。
「今日は交通渋滞が大変なことになっています。唯一無二の霊気灯、その輝きを観ようと多くの人々が集まっていますからね! あの侵略後にイシュカーリ・ビンドラの研究所で発見された霊気灯は、比類なき工学上の驚異と言えます。究極の力と自由――手に入る機会は二度とありません。それがギラプール・グランプリの優勝者のものになるのです! 今日の開会式の様子を少しお届けしましょう。ですがまだギラプールに入っていないなら間に合いませんよ! ゴンティ夜間大臣は、渋滞は一時的なものだと――」
アート:Brian Valeza |
ゴンティの名前がラジオで告げられた瞬間、モハルはそれを部屋の向こう側に投げつけた。両目が狭められ、こめかみの静脈が脈打った。父が食いしばった顎を見るだけで、シータは自分の顎まで痛くなるような気がした。
「あの……犯罪者が」
モハルのような父親の恐ろしさはここにある。娘に優しさを見せ、強情な態度を見せ、そして時には、名高い残酷な怒りも見せるのだ。
「パパ」シータは父の激発に怯えながらも、駆け寄って宥めたいという気持ちを抑えられなかった。「パパ、大丈夫よ。ただのニュースよ、それだけよ」
「当然のように儲けて――私たちはほとんど……」
「わかってるわ」とシータ。
一分をかけ、モハルは落ち着きを取り戻した。眉間の皺が緩むと、父はシータへと顔を上げた。
「ありがとう。愛しのシータ。お前は私たち家族の未来だ。どこかでいい結婚相手を見つけなければ――」
シータはひるむのをこらえた。父は言葉を切り、再び眉間に皺を寄せた。
「昨晩は窓を開けていたのか? 霊気の煙の匂いがするが」
スピットファイアのあらゆる動きは、周囲の人々の心をつかむために計算されている。過去2年間、シータは困難な状況に直面しても冷静さを保つよう努力してきた。その技は家庭でも役に立つ――父親に見せる気だるげに肩をすくめる動作は、スピットファイアの巧妙な脅しに劣らないパフォーマンスなのだ。「少し暑くて。風を入れたかったのよ」
「シータ、窓は閉めておきなさい。忌々しい庶民に妙な気を起こさせてはいけないからね」父は毅然とした態度だが、それは気遣いから来ているものだ。「母さんがどれだけお前のことを気にかけていたか、覚えているだろう」
覚えている。もちろん覚えている。
彼女はまた、モハルが自分では認めようとしない事実も覚えている。マードゥと結婚していなかったら、父が領事府に勤めることは決してなかっただろう。彼にその地位を与えたのは、シータの母方の祖父だったのだ。
「もちろんよ、パパ。もちろん覚えてるわ」
何時間という話。何時間という傾聴。華やかな衣服、家族の没落した運命、父親の欠点に閉じ込められて何時間も。
シータ・ヴァルマは、じっと座っていることが決して好きではなかった。
父が今夜のクリケット試合の同伴者を家に招くと、シータは本物の服に着替えた。鏡に3つの顔が映る。背後の肖像画、手に持った仮面、そして彼女自身の顔が。
シータは仮面をまとう。
ほら。自分はこう見えるはず。
エーテルレインジャーズは街の中心部から離れた場所にガレージを置いている。それは予防措置だと主任整備士が言っていた――ギラプールを本当によく知っていなければ、この場所があることすらわからない。そして他の競技者のほとんどは知らない。彼らはせいぜい数週間前にやって来て、地元の食べ物や娯楽を貪り、スピットファイアに確実に負けるレースに向けてトレーニングをしている。
けれど、例外がひとつ。
スピットファイアがガレージに入っていくと、あらゆる画面にあらゆる角度でチャンドラ・ナラーの笑顔が映し出された。さまざまな放送局が彼女に飽きることはない。飽きるわけがない。多次元の救世主であり、ここアヴィシュカー生まれであり、この街の守護者であり、藍革命を推進した母親を持つ。世界中の放送を独占しないわけがない。
スピットファイアは顔をしかめ、この場所のシステムと連動する腕甲のボタンを押した。画面が消えた。
「ちょっと、それ見てたんだけど」整備士が声をあげた。「おばちゃんの仕事場を邪魔するなら声かけた方がいいよ」
「あんたもね。ハンドルを調整するときは私に声をかけな」スピットファイアは車のボンネットにもたれかかった。エーテルレインジャーズは本当にすごい――昨夜の事故の痕跡はどこにもない。「勝つためには、このマシンを全力で突き詰めてかないといけないんだよ。制御できなきゃそれはできない」
アート:William Tempest |
ラチェットの音、ボンネットの下から閃光がひとつ。整備士が小声で悪態をついた。「感度が上がると反応時間が短くなるよ。機械と同じようにあんたも動かないといけない」
スピットファイアは顔をしかめた。 確かに、それは一理あるかもしれない。けれど頭から離れない疑問がひとつ……「これは、あの娘がやって欲しかった設定?」
ピア・ナラーはフードを下ろし、雑巾を手に取って両手を拭きはじめた。彼女がスピットファイアに見せた表情は複雑だった――同情、後悔、そして苦痛。
「あなたたちふたりはよく似ているわ、時々ね。あなたはいつも精度にこだわっているから、もっと広い範囲で制御できるなら喜ぶと思ったのよ」
「似てなんかいない、私らは違う」スピットファイアはため息をついた。「あんたの立場は理解できる。でもそれは私が求めたものじゃない」
スピットファイアは歩き出し、自分の目で見ようとボンネットの下を覗き込んだ。そして見たものは、素直に驚きの声を上げるのに十分だった。「10気筒の霊気インバーターシステム、ふたつの独立したサイクロン軽減装置、それにあれは……ゴールデンストームピストン?」
整備士はにやりと笑った。「あんたの求めたものと合致してる?」
シータは、もちろん大喜びだった。けれどスピットファイアはそうはいかない。たとえ公の場でなくても。あまりに人間味を出し過ぎたなら、全体の美観が台無しになってしまう。そこで彼女は、より深く響き渡る口調で答えた。「いいスタートだ。でも、この角度を調整する必要があるな……」
スピットファイアが2度の違いについて長々と喋り始めると、ピア・ナラーは再び画面を見上げて何も言わなかった。
「チャンドラさん! チャンドラさん、こっちを見て下さい! ギラプール・ガゼットです――」
沢山の次元を飛び回ったり、世界を救ったり、悪と戦ったりすれば沢山の物事を学ぶ。学ばないことのひとつは、パパラッチのあしらい方だった。多次元間競技イベントの真っ最中にお茶を飲みに出かけるというのは……あまり良い考えではなかったかもしれない。
そして、ニッサのセーターを着込んで顔にスカーフを巻いて隠れるというのも良い考えではなかった。誰にも気付かれないなら、耐え難い暑さを我慢する価値はある。けれど実際、すでに誰もが自分に気付いていた。
チャンドラは片手にティーカップを持ち、もう片方の手を振って応えた。そしてスカーフを下ろし、彼らに笑顔を向けた。これで十分でしょ? 質問に答えて、レースについて何か言って、ここの可哀相なバリスタに相場の3倍のチップを渡せばいい。
「ミス・ナラー! 好奇心旺盛な皆さんが知りたがっていますよ。この街で一番美味しいお茶はどこで手に入りますか?」
「簡単よ。ここよ!」チャンドラはそう言い、にっこりと笑った。「この街で一番なだけじゃなくて、多元宇宙でも一番ね。私はいつもここに立ち寄るの」
ちょっと待って、バリスタはどうして顔をしかめてるの? この店を宣伝するのはいいことじゃなかった?
さあ、ナラー。笑ってこれを済ませなさい。彼女はマグカップを手に持ち、ロゴを外側に向けてカウンターに寄りかかった。クールに。何気なく。こんなことには慣れてる。内心パニクらないで。
「あと2、3の質問に答えるくらいしか時間はないの。だから面白い質問にしてね。そこの赤い服のあなた!」
「ありがとうございます、ミス・ナラー!貴女の運転の大ファンなんです」指名された若い霊基体はそう言うと、質問内容を決めるべくメモを見た。「貴女のレース哲学について何か教えていただけますか? レース中に貴女からどんなことを感じ取れると思いますか?」
「レース哲学? 誰もが扱える以上のスピードで進むこと。私以上にそれを把握してる奴はいないわね。それに、私たちの車は全部念入りに研ぎ澄まされてる。本当に念入りにね。コロディンはどんなコーナーだって手抜きしない。哲学をもっと詳しく知りたいなら、あの人に聞いてみたらどう。次の質問は――そこのヴィダルケンにするわ!」
眼鏡を直し、そのヴィダルケンは問いかけた。「その件ですが、ひどく無関心であるように聞こえますね。スピードを求めていないのなら、なぜレースに参加するのですか? 貴女を惹きつけるのは賞品ですか?」
笑顔を絶やさないで。「それぞれにそれぞれの理由があるでしょう? でもあなたは間違ってる。私は本気でスピードを求めてるの。私の父はかつて、市内で一番沢山の速度違反切符を切られた記録を持ってたのよ。それも、まだ幼い私を膝の上に乗せたままで」
集まった記者たちから笑いと驚きの声が上がった。これは普通に言っていいことじゃないのかもしれない。せめてニッサがここにいてくれたらわかるのに。そうは言っても、ニッサは一秒だってこんなことは我慢できないだろうけど。
「そうなのですか?」ヴィダルケンは続けた。そして別の記者が割り込もうとしたが、彼は舞踏家のように滑らかにチャンドラの前へと切り込んだ。「私の情報筋によると、霊気灯にとても興味を持っているそうですね。それを恋人さんの元に持ち帰りたいと。それは本当ですか、ミス・ナラー?」
チャンドラの手の中のカップが沸騰を始めた。彼女は手でそれを覆い隠し、置いた。笑顔を絶やさないで、ナラー。深呼吸して、微笑んで。自分にとってそれがどれほど重要か、この人たちが知る必要はない。自分が交わした約束や、交わした話し合いのすべてを知る必要はない。狂ってしまったことを正せるなら、どれほどの価値があるか――望む場所へ、望むときに自分たちがいつでもプレインズウォークできるなら。
ニッサの瞳が以前のように輝くのを見ることができるなら、どんなに素晴らしいことだろう。自分がこんなことをしているのは、ニッサの顔に笑顔を浮かべるためだけなのだ。
これ以上の賭けがあるだろうか?
「今はそれについては答えたくないわね」今すぐこの話はやめたほうがいい。視界に光が点滅を始め、バリスタはカウンターの背後に隠れようとしていた。黒板を書き替えようとしているのだろうか? きっとそうだ!
「あとひとつ質問に答える時間はあるわね。そうね……金髪で眼鏡をかけたそこの人!」
「ありがとうございます、ミス・ナラー……」
「そう呼ぶのやめてもらえない? ミス・ナラーは私の母よ」
眼鏡をかけた男は指を一本立てた。「実は、それについて質問なんです。お母さんと競争するのというはどんな気分ですか? エーテルレインジャーズはアヴィシュカーのチームですが、貴女はそこに入団しませんでした。お二方の間には何かあるのですか?」
熱いチャイをタイミングよく一口飲んだものの、チャンドラは顔をしかめるのを上手く隠せなかった。だが彼女はそうしようとした。そうすることで、どう言いたいのかを考える時間を数秒稼げる。
「ううん、親子喧嘩とかじゃないのよ。母には全力を尽くして欲しいわ、『全力』が二番目である限りね」
「ついでに、チャンドラさん」金髪の男が言った。まあ、多少は上手くいったと言えるでしょうね。「他のレーサーは気になりませんか?」
この時、チャンドラはあざ笑った。彼女は記者たちから背を向けてカウンターに座った。「他のレーサーこそ、私を気にするべきよ」
あの女が憎い。
いや。それは強すぎる言葉だ。本当に何かを憎んでいるわけではない。そのエネルギーが湧かないのだ。何かを憎むには、それに注意を向ける必要がある。その対象に気を散らされるということでもある。
もはやウィンターにそのような余裕はなかった。
その温かい顔、画面から見つめ返す明るい瞳は、生存のための死に物狂いの奮闘を知らない。絶望を知らない。軽薄な冗談、はにかむような笑顔はどれも鼓膜を突き刺す針のようだった。だが、彼はとうの昔にその感覚に慣れていた。何も新しいことではない。もう自分を傷つけるものは何もない。どんな意味においても。
だから憎んではいない。憎むわけがない。
ただあの女を、そして他のレーサー全員を研究する必要があるというだけ。
アート:Jeff Carpenter |
チャンネルを変えるとほんの一瞬、自分と背後のガレージが映って見えた。
煙の刺激で充血した両目、その下の黒いクマ。ぼろぼろで擦り切れたベスト。背景では、彼の希望や夢と同じほどに細い屍食鬼たちが、彼の乗り物でうるさく音を立てている。
何よりも最悪なのは、デーモンが自分を見つめていることだった。皮膚のないその大口が。
「賭けを忘れるな」それは言った。「霊気灯を持ち帰れば、貴様は自由だ。失敗すれば、貴様は館のものだ」
まるで、忘れられるものであるかのように。
(Tr. Mayuko Wakatsuki)
Aetherdrift 霊気走破
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