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Savor the Flavor

唯一不変

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Savor the Flavor

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唯一不変

Doug Beyer / Translated by Mayuko Wakatsuki

2011年11月30日


 常に毎日、君の死んだ皮膚の細胞が何万と剥がれ落ちる。皮膚表層の死んだ細胞は、より下の深い層で絶えず生成されている新たな細胞が取って代わる。君の身体の細胞の平均寿命は7年から10年といったところだ。変身をお望みかい? どうぞ。君は生まれた時と同じ名前を持っているが、ある意味君は出港した時と同じ船ではない。

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 テーセウスがアテナイの若者と共に帰還した船には30本の櫂があり、アテナイの人々はこれを保存していた......彼らは朽ちた木材を徐々に新たな木材へと置き換えていき、論理的な問題が哲学者らにとって恰好の議論の的となった......ある者はまだこの船は元と同じものだと主張したのである。

--プルタルコス


 変質は生の一部である。それは存在そのものへとハードウェア的に組み込まれている。思想家たちは何千年にも渡って論じてきた。

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「変化だけは永遠であり、果てしなく、不滅である」

--アルトゥル・ショーペンハウエル(1788-1860)


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「この世で唯一不変のものは、変化である」

--フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(1630-1680)


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「存在し続けるのは、変化のみである」

--ヘラクレイトス(紀元前535ごろ-475ごろ)



(見ての通り、ただヘラクレイトスの言葉を言い換えているだけである。真面目に。キリストより五世紀も前から存在する賢いフレイバーテキストだ。君たちの何人かはヘラクレイトスの韻文をちょうど噛みしめていると思う。少なくとも第5版の《魔力流出》が礼儀正しくも彼の言葉を引用している)

 生物種として、我々は変身に少々取りつかれている。我々は物語の中にそれを秘めている。絵本「はらぺこあおむし」から「ハムレット」まで、あらゆる物語がそれまでの状態を脱ぎ捨てて何か新しい姿となる過程を祝っている。救済、復讐、愛、喪失、冒険といった物語、それら全ては変容の行為を目撃している。魂から皮膚の細胞に至るまで、変身は我々を魅惑する。


ホラーにおける変身

 だが変身はまた我々を怖れさせる。変化は、非常に深い進化的な理由から、不愉快なのだ。我々は本能を当てにし、カモフラージュし、毒を持ち飛び出す鉤爪の代わりに大きく重い大脳皮質を使用して周囲の世界を知る動物である。我々は世界を学ぶことと思考の小片から得た適応ノウハウによって生き残る。だが我々の世界で何かが変身した時、それはそういったノウハウを我々から奪い去る。変化は運び去り、パラメーターを作り変え、そして我々はもはやひとりよがりな霊長目の頭脳を当てにできなくなる。恐ろしい変身という題目は、その最も暗く原型的な怖れに根ざしている。未知への怖れである。

 狼男を考えよう。君の信頼する、義理堅い、教会に通う親しい村人が、荒れ狂う理性のない獣となった時に君は何を失う? 君はもちろん、個人的安全を失う。だが何故? 彼のズボンがもはや合わないから? 違う。彼は今や何か他のものだからだ。彼は違うものなのだ。彼は予測できない、不可解な何者か。もはや君が勤勉に学び、頼るようになっている同じ法則に従わない存在なのだ。獣性は恐ろしいものだ。それは快適によく見知った存在を原初の、汚れた、未知のものへと変える。君もおおよそ想像できるだろう、ガヴォニーのどこかの鐘楼で《村の鐘鳴らし》たちが、血も凍るようなコーラスで差し迫った知らせを叫ぶのを。

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アートの中の変身 一つの小空間の問題

 マジックはカードで変身の用法を豊富に表現してきた。スレッショルドは《熊人間》に「熊の腕」を作り、キッカーは小さな《カヴーのタイタン》を本物の巨大な《カヴーのタイタン》に変える。エルドラージ覚醒の「Lvアップ」メカニズムはクリーチャーたちをかつてより巧みに、強力に、彼ら自身を偉大な姿へと成長させる。だがクリエイティブ的な見方からは、不運なミッシングピースが常に存在してきた。マジックのアートは一つの静止した瞬間を描いている。我々はビフォー・アフターを同時に見ることは決してできない。どちらか一方だけだ。アニメーションの表現では、行動を伝達するためにはただ一枚の手書きのセルを使う。時々我々はアート依頼の説明書きに、ビフォーとアフターが一緒に混ざったアクションを見せてくれないかとアーティストに尋ねる気を起こす。だが上手くやるのは難しく、しばしば混乱したものとなりうる。覚えておくんだ、マジックのアートは長辺2インチの長方形内で良いものに見えなければいけない。だから我々はそんな注文は基本的にしない。


熟達した戦い》 アート:Zoltan Boros & Gabor Szikszai

 我々がエルドラージ覚醒のLvアップ持ちのアートを依頼した時、そいつの低レベルの姿(えーーー)か、パワーアップした、最高レベルの姿(ん、これを示すべきだと思う)かどちらかを示すようにと決めていた。


カルガの竜王》 アート:Jason Chan

 イニストラードの新機軸は我々に、アニメーションのフレームを二つくれた。両面カードは我々にとって信じられないほどわくわくするものだ(このセットのカードのいくつかは仕事量とアート予算が倍必要になるにもかかわらず)。何故ならそれらは、我々がリアルな変身を表現することができることを意味するからだ。


エストワルドの村人》/《エストワルドの吠え群れ》 アート:Kev Walker

 変身はファンタジー、ホラー、マジック、そして人生になくてはならないものである。今から7?10年後、君はまだ君だろうが、君の身体の細胞のほとんどは入れ換わっている。もし君自身がこれまでに、以前の自分とわかりあえない誰かであるように感じたことがあっても、心配はいらない......すぐに、君は十分わかりあえる誰かに変わるから。

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「卵が鳥になるのは苦しいことかも知れない、が卵でいたまま飛ぼうとするのはもっともっと苦しいだろう。われわれは現在、卵のようなものである。いつまでもあたりまえの、ちゃんとした卵でいるわけにはいかない。孵化するか、腐るか、どちらかするほかはないのである。」 -- C. S.ルイス

(訳注:「C. S.ルイス宗教著作集4 キリスト教の精髄」柳生直行訳より抜粋)



今週のお便り

 親愛なるダグ・ベイアーへ

 この質問はとても自然なものに思えますので、以前にもあったかもしれません。私は《墓暴き》や《精神的つまづき》といったような、インスタントとソーサリー呪文の起源について不思議に思っています。私が聞きたいのは、これらの呪文はとある魔術師によって考案され、そして口伝や文書を通じて伝えられたのでしょうか? それとも魔法使いが持つ生来の才能なのでしょうか? それとも、NASAのエンジニアが万有引力を活用するのと同様に、魔法使いたちが活用することのできる当然の領域の一部なのでしょうか?

 私の質問をまとめますと、呪文は考案されるのでしょうか、発見されるのでしょうか。

 ありがとございます。

 Calより


 Cal、素晴らしい質問だ。

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 間違いなく、いくつかの呪文は考案されたものだ。ある魔術師はマナとの独自の繋がり方を開発することができ、魔法を織り、かつて存在しなかった完全に新しい現象の組み合わせを創造する。この魔術師は彼女の塔の聖域内で長い時間をかけ、もろい巻物と秘術の判じ物を熟読し、設計し、試し、発明する。一度創造されれば、この新たな呪文の知識は油断なく守られ、魔道書に記録されて封をされる。もしくは魔術師アカデミーで多くの魔法使いたちに楽しんでもらうために教授されるかもしれない、

色の役割メモ

 私は、あらゆる呪文の研究が理論的な、本を読む勉強のようなものだという印象を与えたくはない。青に列するヴィダルケンの大魔道師は塔に篭り、巻物と理論とで新たな呪文を考案するかもしれない。だが緑に列するドルイドは新たな呪文を突然に思いつくかもしれない。戦闘の只中にせかせかと、生のままの衝動と繋がり、荒々しくうねる緑の魔法を必要に応じて即席で作り出すかもしれない。強大な赤の魔術師は自身のむら気が導く咄嗟の呪文術を好んで、その人生の中で同じ呪文を決して二度は唱えないかもしれない。

 そう、いくつかの呪文は考案されたと我々は知っている。そしていくつかの効果は、平行進化の一種として違う時代や違う世界で複数回考案された可能性がある。《ショック》や《帰化》のような基本的な効果は多くの世界で発見されたかもしれない、プレインズウォーカーたちが決して訪れたことのない世界においてさえ。

 考案されたのではない呪文は沢山存在するのか? その質問は興味深いものだった。対するその回答は「イエス」を満たすと思っている。「考案されたのでない」呪文というのは、魔法使いとは関係なく、世界から暗に示された呪文であると私は考える。魔法使いたちはその呪文を学べるかもしれないが、魔術師がいなくとも存在すると。

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 ドラゴンの炎のブレスを考えて欲しい。炎のブレスが厳密にどう働くのかを誰かが決定したかどうかは定かではないが、《シヴ山のドラゴン》や《炎のブレス》のカードは非常に論理的に描かれている。マジックにおいて、ほとんどのドラゴンは知性的な魔法使いではない。彼らは獰猛な空の捕食者であり、山のモンスターである。だが彼らのブレスが、ドラゴン的な喉の構造だけでなくマナとの繋がりが必要な魔法的効果だと言うのは、論理的に思える。それは私にとって、一つの魔法的効果が呪文となることを意味する。もし、知性を持たないドラゴンの炎のブレスがマナを必要としているなら、それは考案されたのではない呪文であり、だが魔術師が模倣することのできるドラゴンの行動だ。

 基本的な例をもっと考えてみよう。Cal、君の重力の例えはいいものだ。その考えは正しい方角を向いていると私は考えている。重力は物体を一つにまとめる自然法則だ、それを研究するNASAの科学者たちがいなくとも。さて、《活力の力線》や《暴風》のような呪文について考えてみよう。そこには、どのようにしても起こりうる自然現象であると感じさせてくれるフレイバーがある。緑の魔術師がそれらの呪文を唱えても唱えなくても。

 だけどもしかしたら、それはただ生を模倣する技なのかもしれない。暴風はマナ無しにいつでも起こるかもしれない。だが《暴風》の呪文は魔術師だけが使うものだ。マナを使用して魔法的に力を召喚し、自然の暴風に似たものを作り出す。「呪文」は「唱える者」を必要とする余地があると私は言おう。それは「発見」というよりは「考案」であることをほのめかしている。

 だけど最後に。私は、魔術師の介入なしにマナを操作する自然現象があると考えている。マジックのブースターパックで我々が見るインスタントとソーサリーカードのほとんどは、問題を解決するために魔術師たちに考案された呪文を表している。アーティファクトを爆発させ、溶岩でできた斧を作り出して同輩の魔術師に甚大な肉体的損傷を与える、彼ら自身を狼男へと変身させる、そういったもの。だが魔術師の利益なしにマナをゆがめる、多元宇宙の現象を表現しているもの少々存在する。

 また来週!

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