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メールが繋ぐもの

Doug Beyer / Translated by Mayuko Wakatsuki

2011年1月5日


 あの氷柱を折れ。包装紙をマナ動力の焼却炉へ投げ捨てろ。お前のその決心を洗い流せ。時間は刻一刻と流れている。2011年に入ってもう5日も経っているんだ―我々の惑星が太陽を巡る軌道の1パーセントを過ぎた―なのに我々はまだマジックのフレイバーを何も覗き見しちゃいない。

 二週間以内にミラディン包囲戦プレビューが華やかに開幕する。秘密の真実でできたイソギンチャクのように自信に満ちて。なので今日はできることを全部詰め込まなきゃいけない。ヴォーソス達よ、あら捜しをせよ:フレイバーを掴め。今日の記事内容のために最も効率のいいやり方として、私は二週間放置していたメールボックスからいくつか良いものを拾い集めよう。我々全てが包囲戦に突入する前に、今日はこれらの答えるべき意義深い質問のいくつかについて記そう。フレイバーテキストについて。地操術士について。ダークスティールの特性についてもっと先に進んだ考察。そして世界を構築する際の文化人類学の役割。さあ、質問コーナーを始めよう。まず最初は何だ。

空白のフレイバーテキスト?

 Josephは、何故カードに空白があってもフレイバーテキストを入れないことがあるのかと聞いてきた。

親愛なるダグ・ベイアーへ、

 アートは常にカードを鮮烈に飾り、状況を視覚的に見せてくれるというきちんとした仕事をこなしていますが、フレイバーテキストはカードの背景にある物語を補完してくれています。それぞれの小さな欠片はカードという世界からの囁きのようで、このカードゲームはより壮大なものの一部なのだということを私達に思い出させてくれます。ですので、私は聞かねばなりません:なぜ、多くのマジックのカードが利用できるスペースをそのままにフレイバーテキスト無しで印刷されているのですか?

 《審判の日》を例にとってみます。ゼンディカーに収録されていたオリジナルのカードには、《ソリン・マルコフ》のイカす台詞によってゼンディカーの混乱した状況の説明をゲームに提供してくれています。ではMagic 2011に再録された時の物語は? 何もありません。オリジナルのアートに、カードの効果に、そして大きな空白のスペース。この空白を埋めるフレイバーテキストを考えるのは難しいのでしょうか? 《稲妻》も同じ問題を抱えています。M10とM11、両方ともクリーチャーかプレイヤーに3点のダメージを与えますが、M10バージョンでは火花魔道士の短い物語がカードにより多くのものを加えてくれています。

 私はカード空白禁止法を提案します。もしくは少なくともこの虚空についての説明を求めます。

 敬具

Joseph

 Joseph、君の立場と考えは完璧に理解できるが、その法については拒否する。だけど我々が時々そうする理由については答えよう。

簡潔な回答:違って見えるから。

もっと長い回答:私が良質のフレイバーテキストを心から愛していることは知っているよね。ルールよ道をあけろ、私はヴォーソスだ! 君達がよく言うように、私は彼方の次元からの囁き声を聞く以上のことはテキストボックスに望まない。事実、私はあらゆるメカニズムをうらやんでいる(お前のことだ、待機!)。かさばって、味の欠片もない無作法なそれら注釈文のせいだ。私はカードの外枠という過酷で確かな現実を嘆き悲しんでいる(プレインズウォーカー・カードのように、余裕がなくて元々フレイバーテキストを望むべくもないデザインも)。それでいて我々は時々、どのようにも合わせられるフレイバーテキストを書かずにカードの空白を残しておく。それは一体なぜか?

 マジックの最初のセット(現在での呼称は、アルファ版)の数枚のカードには、スペースに余裕があるにも関わらずフレイバーテキストが入っていない。《神の怒り》。《稲妻》。《解呪》。これらマジックの象徴的カードには、劇的で力強いルールテキストだけが記されている。フレイバーテキストは実際、これらドラマティックな重要さの美学を減じてしまっているんだ。

 サンプルが尽きた。伝統という流行があった結果、今日がある。現実世界からの引用文のように(それについてはここを参照)、我々はまだ現在のコア・セットにフレイバーテキスト無しカードを収録している。その効能は、新規のプレイヤーに、マジックにおいて最も基本的で素敵で劇的な効果とはどういったものかを見極めてもらう助けになる。そして何よりも、プレイヤーのいくらかは斜体文無しのカードが持つ静かなパワーと価値を知っている。彼等はカードボックス中央に記された、味気のない、自らを語るだけのアルファ時代からの伝統に基づくルール文章を楽しみ、そしてそのような待遇を受けているカードの由緒あるパワーに頷き合うのを楽しんでいる。

 もし君がフレイバーテキストを神聖なものとして崇めるのであれば、ああ、この伝統を掘り起こしはしないだろう。だけど違って見えるし、そして我々はマジックのありとあらゆるすべてのファンに報いたいと思っている。ゼンディカー/M10の《審判の日》、M10/M11の《稲妻》は両方の世界の最良の代理かもしれない。我々は君達の好みの違いを認識しているから、カードは両方の形で印刷された。そして君達はどちらでも気に入った方を使用することができる。できることがあるならば、我々はそれをやる。

山男

 Mikeからの質問は山がらみのプレインズウォーカー、《槌のコス》について。

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親愛なるダグ・ベイアーへ、

 コスについてちょっと語らせて下さい。彼の存在は反則です。ここしばらく私は彼に悩まされっぱなしです―コスは疑いようもなく偉大なカードです。とても強力で味があります。ですが彼はミラディンの傷跡の外に行くべきだと私は考えずにはいられません。「土地関係」テーマの余波でか、1つばかりか3つの能力全てが基本地形を参照するものです。コス以上の「土地関係」プレインズウォーカーはいません。何があったんですか? コスはゼンディカー向けにデザインされて、だけどミラディンの傷跡に押しやられたんですか?

 いい観察力をしてるよ、Mike。最近のセットにおけるほとんど全てのカードは、あらゆるセットとブロックのデザインに入る役割にかなっている。プレインズウォーカー・カードはしかし、彼等自身の主題を持つ傾向にある。コスのデザイン元はクリエイティブ・チームが提供した彼のキャラクター設定であって、他のものではない。ゼンディカーブロックのデザイン周りと似た能力に思えるかもしれないが、コスのカードはゼンディカー向けに作られたものではない。コスというキャラクターはゼンディカー次元に含まれると考えられてはいない。コスはミラディン生まれの人物として考え出され、その後カードとなった。

 我々はミラディンの傷跡デザイナー達に、コスはヴァルショックの地操術士、土(彼の場合、生まれ故郷ミラディンに現存する鉄鉱石)を巧みに操る魔術師であると伝えた。デザイナー達はコスのために、彼の能力を表現するべく《》を中核としたデザインを思いついた。私はコスの能力はスタンダード環境のもう一つの土地愛傾向(《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》から多重キッカーのようなビッグ・マナ傾向)とうまく合ってくれるだろうと満足した。だが我々はプレインズウォーカー達がそのセットで起こっていることを語るのをとても好んでいる。結局のところ、彼等はプレインズウォーカーなのだ―世界で起こっていることの延長線上にではなく、彼等は世界から独立して存在しているのだから。もちろん、プレインズウォーカー・カードは同じセットの他のカードともうまく働く;彼等はマジックの強力カードであり、その能力は必然的に他のカードに貫かれているテーマとの混合であり、相交わるものだ。だけど我々は彼等に声明を出してもらうのが好きだよ。

 プレインズウォーカーのもっとトップダウンなデザインとしては、マーク・ローズウォーターの今週の記事(リンク先は英語)から《滞留者ヴェンセール》についての検討を見てほしい。

ここ数週間で一番の鋼狂い

 君達の多くがダークスティールについての考えを寄越してくれた―どのようにして破壊不能となったのか、それどころかどう採掘されるのか、成形されるのか、鋳造されるのか。君達のダークスティールについての解釈は、その多くは私未満の(ああ、傲慢と言ってくれ)ディープな奇人の抽象論でしかなく、君達の信用に響くだろう。私が気に入ったものの一つは読者Mattからのもので、彼が「ダーキロン」と呼ぶ中間物質が関係してくる、興味をそそる理論だ。

親愛なるダグ・ベイアーへ、

 「あらゆるもの(※)は死ぬ」を読ませて頂きました。

 ダークスティール製品の製作において「合金」という解釈をすることが完全に間違っているのか、私はよくわかりません。私はダークスティールが合金であるとかそう言うつもりはありません。むしろ、ダークスティールはその破壊されない形状で採掘されるのではないのです。鋼が鉄以外のどんな金属からも作れないように、その物質、よりよい名称として「ダーキロン」以外の他のどんな金属からもダークスティールは作れない。私はダーキロン鉱石からダーキロンを精錬する工程は、鉄鉱石から鉄を精錬するのに似た、とてもありふれたものだと思います。ですが、ダーキロンからダークスティールを作りだす工程は、鉄から鋼を作り出すのとは全く違って、少なくとも部分的に魔法を使うのではないでしょうか。破壊できない、そして大人気のダークスティールはこのように適切なエンチャント(カードタイプにあらず)をされたダーキロン以上のものではないのです。

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 しかしながら、ダークスティール自体は完璧に破壊不能ですが、ダーキロンをダークスティールに変えるエンチャント(つまり、それを破壊不能にしている魔法)はそうではなく―解除することができます(エンチャントを破壊する普通の呪文によって、ではありませんが)。この解除がダークスティール製パーマネントを生け贄に捧げることに相当します。理由は、それができる魔術師こそがダーキロンに最初のエンチャントを施した人物であり、よって彼はエンチャントの外し方を心得ているのです(ゲームにおいては、誰でも可能です―もしエンチャントされたアーティファクトを《鉄を食うもの》に食べさせたいと思ったなら、《ダークスティールのマイア》を生け贄に捧げることができるように)。この設定で使用しているエンチャント(物体への舞台裏の「エンソーサリー」が、ありふれた物を魔法のアイテムへと変えるのです)に前例がないわけではありません。ごく普通の首輪から《バジリスクの首輪》を作ったり、ありふれた槌から《ビヒモスの大鎚》を、もしくは一本の剣を《死裂の剣》にするのと根本的に同じことです。

 この説については、では何故ダーキロンをどのカードにも見ることができないのか、という疑問にぶつかります。

 おそらくダーキロンそのものは合金であり、金属を混ぜ合わせてダーキロンを作る工程は難しいか、費用がかさむか、時間や手間がかかるか、希少な成分を含むか、特別な装置を必要とするか、特別な場所を必要とするか、とてつもない高温が必要で、その結果生産されたダーキロンの多くは捧げた努力に見合うほどの十分な品質を得ていないのです。費用対効果のあるダーキロンだけがダークスティールとなるのです。このように、ダーキロン製のアイテム(ダーキロンのマイアなど)を見ることができるのは、工匠がダークスティール製アイテムを製作途中で中断された時だけでしょう(従って、ダーキロンのマイアは作動しないかもしれません。もしダークスティールの製造法を知っている魔術師がそれを見つけたなら、工程を完了することができるかもしれません。そうでなければ、彼はこのあまり役に立たないものをどうにかして、1/1バニラのマイアとして動かすかもしれません)。売りに出されているダーキロンを誰かが見つけるかもしれませんが、それは鋳塊のように扱われていて、エンチャントを施してダークスティールへと変えることのできる熟練の工匠や魔術師のためのものです。

--Matt

 掘り下げようじゃないか。基本的に私のコメントはこうだ。全くもってクールな理論だ。

 アーティファクト製作について言及する際の、Mattの「エンチャント」や「エンソーサリー」といった言葉の注意深い用法を私は気に入った。我々はこの記事で魔法のアーティファクトがいかにして作られるのかという事についてはあまり語ったことはないが、私はアーティファクト鋳造工程の中、舞台裏で「エンチャントで味付けされている」というマットの意見に同意する。このゲームにはそんなアーティファクトの多くの例があって、なおかつ強固で普遍的な工匠の技というのはおそらく存在しない。だけどダークスティールが破壊可能な素材に特別なタイプの困難なエンマジカル(「エンチャント」という使われすぎた言葉以外を考えるのにかなり努力したけれど、たぶん失敗)を施された結果作られるというアイデアはいい線を行っていると思う。もしかしたらダークスティールはその二つの外見的特徴を、それぞれ別の工程で得るのかもしれない―もしかしたらその暗銀色は採掘された原材料の色で、ダークスティールを周る魔力の粒はマジカリフィケーション(う、ごめん)の工程によって得られるのかもしれない。

民族誌学とスタイルガイド

 Andrewは様々な質問を送ってきた―私は彼のメールの一部分しか印刷していない。

親愛なるダグ・ベイアーへ、

 私は以前このメールを書くことを何百回も考えました。今、ようやく時間を得ることができまして、ちょうど良い機会と考えました。私は文化人類学者(ええ、博士課程所属です)で、Savor the Flavorの記事を長いこと読んできました―私は記事を様々な視点から見て(読み進め、読み返し、等々)、スタイルガイドを読み、何年にもわたって多くの本を読んできました―ですが私には疑問が残っています。マジックのR&Dは文化というものについての考え方をどこから引き出しているのでしょうか。想像するのは、例えば、その民族の製作物の全てが世界を計画し創造するというあなたの本気の考えを推し進めるのでしょうか(フィクション小説家は、人々の個性を具体化、視覚化させる方法を使います。それゆえ様々な民族についての様々なテキストを提供できて、新鮮さを引き出し、文化に深みを与えることができるのです)。もし、私が「ロマンティック」や「芸術的」と表現するモチーフを誰かが文化人類学/文化民族誌学的な著作/読み物として製作していたとき、私と貴方の仕事の結果類似したものはないのかどうか。そして、それぞれは互いについて学ぶのか、互いから学ぶことができるのかということを私はとても気になっています。

--Andrew

 世界を構築する技術というのは面白おかしいものだ。ネタ元は豊富で、研究すべき分野が全て互いに関連している―だけど指導者はほとんどいない。これは(残念なことに)たまたま市場でそんな技術の需要があったからであるのと、またとても無差別に込み入った多くの学問領域にわたっているからだ。我々クリエイティブ・チームは全員、ある特定分野やその他について少々詳しい傾向にある;集合的に我々は文学、グラフィックデザイン、ドラマ、コンピューターサイエンス、ジャーナリズム、素晴らしい芸術、哲学―本当にさまざまで自由な技術の寄せ集めを身につけている。だけど我々はまたアマチュアの生物学者であり、地球物理学者であり、古典学者であり、言語学者であり、天文学者であり、ダンジョンマスターであり、心理学者であり、冶金学者であり、架空動物学者であり、そして、ああ、民族誌学者でもある。新たな世界を創造するのは太陽のもとに存在するありとあらゆる教養を必要としている。そしてその反対側の教養も全て。あらゆるものが助けになって、そして我々はインスピレーションをくれるあらゆるものを熱心に読む。

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 アステカ族の宗教と文化について学んだことは、例えば、ナヤに基礎を置くコアトル達や、マトカとして知られるナヤの血塗られた競技となった。ブリテン諸島の伝承からはローウィンの部族や物語が。神河は日本の民間伝承だけではなく、サムライについての研究や日本の歴史上の社会規範を元にした世界だ。スカンジナビアの雰囲気はテリジア大陸に、スラヴ地方の音声要素はラヴニカに、アフリカのモチーフはジャムーラに―これら全ては広大な情報源からの人類学的研究の結果生まれた。

 だけど我々は自分達が本物の人類学者であるとは思っていない。なぜなら最終的に目指すものが違うから。いくつかの点で、世界構築の過程は純粋科学や学術的研究をジグザグに逸れて作り事になる。我々は歴史的詳細をマッチさせたり文化的傾向についての思いつきを楽しむけれど、スタイルガイドを製作して瑞々しい内容を提供することにより心を砕いているし、やる必要のある仕事をやる。我々は詳細についての無慈悲なゴミあさりで、それがゲームにとって必要であるのなら、現実世界の知識をためらうことなく混ぜ合わせたり、簡素化したり、ごまかしたりする。同様に社会的、物理的、生物科学を我々の世界の燃料にし、クールな一片を収穫する一方でカードや背景世界に不要なものは無情にも投げ捨てる。私は文化人類学者としての君と、いくらかの類似があると思っている。特にもし君が「アマチュア」と「アームチェア」みたいに多くの単語の繋がりを使っているのなら;我々は現実世界の素材で喜んで手を汚す。だけど我々は特別な、芸術的で職務的な目的を心するようにという規律に立ち至り、それがゲームをより豊かに、限りなくクールにしている。

 それと、誰も我々を博士とは呼ばない。聞かれていないからじゃない。

 次の七日間、太陽の周りをめぐる僅かな時間を楽しんで欲しい。どうかそれが実り多き時間であるように。君の人生は一つだけだ―時計の針はチクタク刻み続ける! 次の水曜日までに地球は地元の星の周りをもう1800万キロメートルを旅して―君は何を堪能するかな?

 オーケー、堪能してくれると思う。それともうひとつ。楽しく遊んでくれ、地球人よ。

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