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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

マイワード:赤

Mark Rosewater
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2025年10月20日

 

 みんな、こんにちは。僕は赤。『マジック』でおなじみの色、赤だ。僕の友人のマロー――普段このコラムを書いている彼――が、「マイワード」という5回シリーズを始めていてね。それぞれの色に、自分たちの哲学を自分の言葉で語る機会を与えてくれたんだ。もともとは彼のポッドキャスト「Drive to Work」で始まった企画だ。がもう話し終えた。だから今日は、僕の番というわけさ。


 自分に問いかけてみてほしい。「自分の人生の目的は何だろう?」って。僕たちがこの世界にいられる時間は限られている。その限られた時間を、どう使うべきか。人は昔からこの問いに悩んできた。でも、僕は答えを持っている。死の間際に思い返したとき、本当に大切なのは何だろう? 自分の人生に満足できたか? 愛を見つけたか? 良い仲間を得たか? 胸が高鳴るようなことをやれたか? 自分がいなくなったあとも語られるような何かを残せたか? つまり、与えられた時間を本気で生きたかどうか。それがすべてなんだ。大事なのは、人生を精一杯生きることなんだよ。

 では、どうすればそんなふうに生きられるのか? 実のところ、難しいことじゃないんだ。僕がいつも心がけている、たった2つの手順を教えよう。まず最初に、自分の体に耳を傾けること。なぜかって? 体は、君に必要なものをちゃんと伝えてくれるからだ。たとえばお腹が空いたら、食事をする。なぜなら体が「エネルギーが欲しい」と教えてくれており、エネルギーを得るには食べ物が必要なんだ。同じように喉が渇いたら、体が「水分が足りていない」と言っている証拠。眠くなったら、それは「休め」という合図なんだ。

 

 どんなときでも、僕たちはちゃんと体の声が聞こえている。お腹が空けば食べ、喉が渇けば飲み、眠くなれば休む。じゃあ、体が孤独を感じたり、怒りを覚えたり、悲しみに沈んだりしたときは? そのときも同じなんだ。体は、何かが足りないと教えてくれている。なのに、空腹には食べ物を与えるのに、孤独には何もしないのはなぜだろう。体が食欲は理解しても、繋がりたい欲求は理解しないなんてことがあるのか? そんなはずはない。体は、ちゃんと自分に必要なものを知っている。ただ、それを聞き取る力を、僕たちが身につけなきゃいけないんだ。

 頭で理解するのは簡単でも、実際にやるのはそう簡単じゃない。僕たちはよく、「内なる声に耳を傾けるな」と教えられて育つからだ。ほかの色の話に移ったときに、その理由を詳しく説明しようと思うけれど、彼らはみんな、僕たちが自分の声を聞かないように仕向けるんだ。体の声を本当に感じ取り、理解するには時間がかかる。それは声が小さいからじゃない。むしろ、危険だとか、間違いのもとだとか言われて、耳をふさいでしまうからだ。でも、そんなことはない。自分が自分に、必要なことを伝えているだけなんだ。

 ここで2つ目だ。体の声に耳を傾けたなら、次はその声に従って動くこと。動かないのは簡単だ。だって、何もしなくて済むんだから。でも行動するのは怖いこともある。だから、なぜ行動が大事なのか、ひとつ例を出そう。誰かに惹かれたとしよう。その人の考え方が好きで、価値観も合っていて、そして見た目も魅力的だ。何年も思い悩みながら「気持ちを伝えたら関係が壊れるかもしれない」と自分を抑え込むこともできる。でも、話しかけることだってできる。正直になって、心を開いて、自分の気持ちを伝えるんだ。

 結果は二つに一つ。相手も君に惹かれているなら、そこから関係が始まる。それは素晴らしいことだ。きっと死ぬ間際に思い返しても、価値ある思い出になるだろう。もしそうでなかったとしても、相手の気持ちが分かる。そうすれば、前に進めるし、君を好きになってくれる誰かを見つけることができる。どちらに転んでも、何もしなかったときよりずっと前に進んでいるんだ。

 行動したからといって、必ず望んだ結果が手に入るとは限らない。でも、何もしなければ、望むものは絶対に手に入らない。それに、人生はそもそも綺麗に流れるものじゃない。混乱も失敗もつきものさ。でも、その混沌を受け入れて、それでも歩き続けることで、人生のいい瞬間、死ぬ前に振り返って誇れるような出来事が生まれるんだ。

 

 満たされた人生を送れる人と、そうでない人を分けるのは、行動するかどうか、その一点に尽きる。自分に必要なものは分かっているのに、多くの人は恐れや、自分の欲望に従うのは悪いことだという思い込みに縛られてしまう。他人の声なんて無視すればいい。幸せを見つけたいなら、自分の声を聞いて、それに従って動くんだ。

 僕はこの記事1本丸ごと自分の哲学を語る機会を貰ったけど、正直言って、こんなに言葉はいらないかもしれない。だって、やることは単純で明快なんだ。体の声を聞き、それに従って動く。それが、満たされた人生への道だ。ドン!

 これを邪魔する一番の原因は、この世界そのものだ。世界は、君に本当に必要なことを優先してはくれない。だから次は、君の行く手を阻むいくつもの物事について話そう。僕の対抗色たちの話をしながらね。

 

 まずは白から話そう。白は、人にどう生きるべきかを教えたがる色だ。やりたいことをやらせないためのルールを、次から次へと作り出す。白にとっての僕は、混沌の化身であり、すべてを壊す破壊の源。白は自分を秩序の守護者、人類を破滅から救う唯一の砦だと思っている。だから僕は、悪役として描かれる。痛みや苦しみの原因のひとつだとされるんだ。

 でもね、僕は痛みや苦しみを望んでいるわけじゃない。たとえばネッドが嫌な奴で、殴りたくなったなら、殴ってもいい。それはネッドの責任だ。だって、どうやってネッドに「そういう態度をやめろ」と教えるんだい? 人が自分の幸せに従って行動したくらいで、社会が崩壊するわけがない。本当の苦しみを生むのは何だと思う? 際限のないルールだよ。そのほとんどが、人が幸せを見つけようとするのを止めるためにある。それは秩序なんかじゃない。ただの抑圧だ。

 誰もに情熱を持つ権利がある。それは魂を養うための根本なんだ。心の底から何かを大切に思うべきだ。それが人でも、アイデアでも、活動でも、趣味でも、仕事でも、心が喜ぶものであれば何でもいい。しかも、一つに絞る必要なんてない。時間が許す限り、いくつでも情熱を持てばいい。

 でも白は、その情熱を利己的だと決めつける。まるで、自分の欲求を大事にすることが、集団を軽んじる行為であるかのようにね。けれど、どうすれば幸せな社会ができると思う? それは、一人一人が自分の情熱を追いかけることを許すことだ。白は「みんなが必要なものを得ること」が成功だと考える。でも「欲しいもの」はどうなんだ? 生きるための最低限の食べ物を10種類ほど選んで、それだけで暮らせたとして、それは生きてるって言えるだろうか? 飢えないために、ただ最低限で耐えるだけの人生なんて、目指すべきものじゃない。「まだマシな方だ」なんて言葉は、生き方の指針にはならない。

 みんなが衝動に従って行動すれば、ときには衝突が起きる。僕はそれを認める。たとえば君と誰かが同じものを望んでいて、それが1つしかなかったとする。どちらかだけが手に入れ、もう一方は手に入れられない。でも、失ったほうはまた新しい何かを見つけ、それを目指せばいい。衝突は敵じゃない。意見が違うことは当たり前だ。時には争いにもなるし、暴力が起こることもある。混乱もあるだろう。でもそれは悪いことじゃない。それが「生きている」ということなんだ。白はそれを無秩序と呼ぶ。僕はこれを人間らしさだと呼ぶよ。

 人生で大切なのは何かを欲することだ。それが生きる目的をくれる。そしてそれを手に入れたとき、喜びを感じ、満たされる。うまくいかないこともあるけれど、そのときには経験が得られ、学びが残る。欲望は悪じゃない。それは生きることの核心なんだ。白の哲学は、人が本能的に知っていることを忘れさせようとする。確かに、何も失うものがなければ苦しむこともないだろう。でも、それじゃ生きているとは言えない。僕は、喜びの頂点も、悲しみの底も知らないまま生きるよりは、その両方を味わう人生を選ぶ。

 これが、僕が白に感じている違和感なんだ。僕が悪いやつだって? 僕は、人が充実感を見つける手助けをする色だ。感じ、経験し、喜びを分かち合うことを望む色だ。僕は「善いやつ」だよ。人生の終わりを迎えるときに、何かを成し遂げたと思えるようにしてほしいと願っている。何もしないまま、ただ誰かに迷惑をかけるかもしれないと恐れて、ずっと立ち止まっている、そんな生き方をしてほしくないんだ。

 

 次は青だ。白が「内なる声を聞くな」と言う王様なら、青は「その声に従うな」と言う策略家だ。青は何でも考え抜こうとする。すべての可能性を調べ尽くして、間違いを犯さないようにしなければならない、とね。でも、いいかい? 間違えるのは構わないんだ。むしろ、間違いは大切なものだと僕は思う。失敗こそが最高の教師なんだ。マローの言葉を借りるなら「成功は繰り返しを生む」。何かが上手くいけば、同じやり方を続けるだけのことだ。

 でも、失敗したときこそ学びがある。もう二度と同じことを起こしたくないと思うから、原因を考える。次はどうすれば違う結果になるかを計画する。それが人を変え、成長させ、より良くしていく原動力になるんだ。青は完璧な自分を追い求めるけれど、それは考え抜くことで得られるものじゃない。行動し、結果を受け止め、そこから学ぶことでしか手に入らない。マローがよく語る反復ループ、デザイナーがゲームを改善させるためによく使う手法だ――つまり、行動して、フィードバックを受け、修正を重ねる、それが本当の成長の形なんだ。

 青は「機会を逃すな」と言うだろう。焦って行動すれば、本来の可能性を台無しにしてしまうかもしれない、大切な何かを取りこぼすかもしれない、とね。けれど、僕の考えは違う。たとえば、君が青だとして、一日中ありとあらゆる結果を想定し、最も完璧な選択を導き出そうとする。その同じ一日のあいだに、僕は何百ものことをしている。人に会い、何かに参加し、新しいことを体験し、生きている。本当に「機会を逃している」のは、どっちなんだろうね。

 もうひとつの問題は、青が感情を死ぬほど恐れていることだ。まるで「感じること」が禁じられているかのようだ。でも、死ぬ間際に思い出すのは考えたことじゃない。感じたことだ。人や物、出来事が自分にどんな感情を残したか、それが心に刻まれる。青は感情を敵のように扱う。まるで、感情があるせいで道を踏み外すかのようにね。でも、少しくらい迷ったっていいじゃないか。僕たちはすべてを知っているわけじゃない。思いがけない出来事が、思いがけない学びをもたらすことだってあるんだ。そこでしか学べないことを。

 それに、どうして「本」が知識の究極の源で、感情はそうじゃないと言えるんだ? 本は君のことを知らない。本は君の人生を生きていない。感情は、現実の経験から生まれる。本気で怒っているときには、ちゃんと理由がある。相手がネッドかもしれないし、別の何かかもしれない。でも、その衝動に従って動くまでは、本当の理由なんて分からない。感情は、君自身とその経験の結晶だ。それは、本よりずっと価値あるものだ。

 もし青の望む世界になったら、誰も何もしなくなるだろう。みんな世界から閉ざされた冷たい小さな繭の中で、動かぬまま「ifの世界」を計算し続けるだけだ。僕の行動がいつも正しいとは言わない。でも、少なくとも前に進んでいる。少なくとも、自分の情熱を抱きしめている。少なくとも、生きている。少なくとも、何かをしている。

 僕は青を見ていると、少し悲しくなる。青は、自転車に乗るとはどういうことかを乗る前にあらゆる角度から分析している。でも僕は、その間に実際に乗っている。確かに、たまに転んで膝をすりむくかもしれないし、木に突っ込むかもしれない。でも、それでも「何かを成し遂げた」んだ。その話を、いつか孫たちにしてやれる。死ぬ間際に「木にぶつかる確率が0.0001%あったから、一度も自転車に乗らなかった」とは言わないさ。僕はきっとこう言うだろう「木にぶつかったときの話をしよう。それがね、僕が人生の伴侶に出会った瞬間だったんだ」と。

 

 ここからは、僕の友好色の話をしよう。『マジック』の黒は、僕の友好色のひとりだ。僕たちは気が合うし、考え方が似ている部分も多い。黒は、自分に必要なものを優先していいということを理解している。そして、自分のことを本当に分かっているのは自分だけだということもね。欲しいものを手に入れるためには、時に破壊的な一面に踏み込む必要がある、それを黒は分かっている。リスクを取ることも、生きるということの一部だ。ときどき手を汚すことだって、仕方のないことなんだ。そういうことを黒は理解している。人生は厄介なものだ。だからこそ、乗り越えるために必要なことはやらなければならない。白や青は、そんな僕を「無謀すぎる」と呼ぶ。黒もそう言うけれど、少なくとも笑いながら言ってくれる。それに、黒は一緒にいると楽しいんだ。白や青にはできない、人生の楽しみ方を知っているからね。

 とはいえ、黒は時に少し恐ろしい存在でもある。僕はある程度の利己心は認めるけれど、黒はそれを極端にまで突き詰めてしまう。他人を本気で信頼するなんて考えは、黒の頭にはないだろう。目的のためなら、親でさえ裏切るかもしれない。つまり、黒から目を離すな、ということだ。完全に信用するのは危険だ。僕にも自己中心的な一面はあるけれど、大切な人への忠義は何よりも重く見ている。心から誰かと絆を結べたなら、僕はその人のために地獄の底まで行く覚悟がある。僕には、他人が大切である理由が分かっている。これは、黒が理解できない部分だと思う。

 ついでに、僕についてよくある誤解も話しておこう。確かに、僕には怒りっぽい一面がある。それは否定しない。でも、それが僕のすべてじゃない。戦いを描いているゲームだから、僕の攻撃的な部分が目立つのは分かる。でもだからといって、他の感情がどうでもいいわけじゃない。愛、喜び、悲しみ、恐れ、嫌悪。そういった感情も、同じくらい大切なんだ。たとえカードに描かれることが少なくてもね。僕が大事にしているのは、自分の感情をすべて受け入れること。破壊する感情だけじゃない。まあ、公平になるよう言うと、何かを吹き飛ばすのは確かにとても楽しいけど。

 

 もう1つの友好色は、緑だ。緑もまた、考えるより行動するタイプの色だ。緑は、自分の内から湧き上がる衝動に従うことを理解している。まあ、衝動というより本能に近いけれど、結果としては似たようなものだ。緑も破壊的な側面を持っている。僕たちが一緒にいるときは、何かを壊すのが大好きなんだ。粉々にしたり、打ち砕いたり。僕のいちばん好きなことの1つなんだ。

 緑と僕には、いくつか共通の「気に入らないもの」がある。アーティファクト、飛行クリーチャー、そしてネッドだ。緑は攻撃を楽しみ、戦いを恐れない。緑は、ときには力こそ正義だということを理解している。そして必要なときには、目的のために多少の犠牲を厭わない。言うなれば、非常時のオムレツを作るためなら、卵をいくつか割る覚悟があるんだ。黒と同じく、緑と一緒にいるときは、だいたい楽しい時間になる。

 ただ、緑には僕にはよく分からない「精神的な側面」がある。緑は僕よりもずっと共同体を重んじている。僕は、自分にとって大切な人を思いやることは理解できるけれど、緑が言う「生命の網」だとかいう考え方は、正直に言って、僕にはちょっと訳が分からない。緑が興奮しているときは僕も一緒に興奮するけれど、落ち着いているときの緑はちょっと退屈だね。

 さて、今日は僕の強みと弱みを話して締めくくろう。僕の最大の強みは、なんといっても「速さ」だ。僕はすぐに決断し、すぐに行動する。だから、たいてい相手がコーヒーを飲み終える前に攻撃を仕掛けているんだ。この速さが、他のどの色にもない攻撃性を生み出す。まあ、白もその気になればなかなか速いけどね。これに破壊の技術を加えれば、僕はなかなか侮れない存在になる。速さと集中力を兼ね備えているというのは、じっくり構えている相手にとっては厄介なことだ。

 でもその反面、僕には短慮なところがあるのも事実だ。目の前のことに反応して行動し、結果については後で考える。で、その後になってから問題に巻き込まれることもある。さっきも言ったけど、僕は失敗を恐れない。その分、失敗の数も多い。でも、それを悪いことだとは思っていない。失敗は大切なことだ。とはいえ、僕は他の色よりもよく自分で自分の首を絞めている気はするね。ある意味、自分がいちばんの敵かもしれない。

 それでも、なぜ僕の哲学を取り入れるべきなのか? 答えは簡単だ。それが、より満たされた人生へとつながるからだ。もっと多くの人と出会い、もっと多くのことを経験し、語れる物語をたくさん持つことができる。死の間際に後悔で満たされることはない。代わりに、最高にクールな思い出が残る。人生にそれ以上のものを望む必要があるだろうか? 本当に生きていると言える人生、これが僕が渡せるものなんだ。


 どうやら、記事を書き切ったみたいだ。正直に言うと、そんなつもりじゃなかったんだ。最初の草稿はたった一文「内なる声を聞き、それに従って行動しろ」それだけだった。マイクを切って終わり、ってやつだね。まあ、記事だから実際にはマイクなんて持ってないけど。だから少し書き直したんだ。ともあれ、最後まで読んでくれてありがとう。少しでも何か考えるきっかけになったならうれしいよ。もちろん、考えるだけじゃなく、行動にも移してくれたらなおいい。

 最後にひとつだけ。マローはいつも記事への感想を聞きたがっている。だから、今回のこれについても、君の意見を知りたいそうだ。僕? 僕は正直どっちでもいい。気に入っても、気に入らなかったとしても。僕には関係ないからね。この記事や僕(赤)という色についての意見や感想は、メールやソーシャル・メディア(XTumblrInstagramBlueskyTikTok)を通じて(英語で)送ってあげてくれ。

 マローからの伝言もある。来週は『マジック:ザ・ギャザリング | アバター 伝説の少年アン』から、プレビュー・カードを初公開するそうだ。

 じゃあその日まで「生きた人生そのものが、最高の報酬になる」ってことを覚えておいてほしい。


(Tr. Ryuki Matsushita)

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