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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

『基盤』を築く:再録カード編

Mark Rosewater
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2024年11月11日

 

 『ファウンデーションズ』が間もなく発売されることを記念して、本日はこのセットの再録カードについて語ることにした。今回も楽しんでくれたまえ。


微小術師》(『団結のドミナリア』より)

 リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldは、『アルファ版』にて《悪魔の教示者》というカードを作成した。それはライブラリーから好きなカードを持ってきて手札に加えることができるソーサリーだった。その効果は大いに人気を博し(その強さも人気の一因であった)、「サーチする」はライブラリーからカードを探して持ってくる効果を表すスラングとしてまたたく間に広まった。サーチしたカードは手札に加わることが多かったが、のちにその効果を少しだけ弱めるために、我々はライブラリーの一番上に置くバージョンのものを作るようになった。

 マジックの初期において、当時のデザイナーはかなり自由にサーチ・カードを作成していた。サーチ先もさまざまで、どれも人気を集めた。やがてサーチ・カードはすべての色が持つようになり、我々は『ラヴニカ:ギルドの都』におけるディミーア家のメカニズム「変成」のようにサーチを行うメカニズムまで作るようになった。

 そのすえに、我々はサーチ効果にはもう少し気をつけないといけないことに気づいた。ライブラリーのランダム性もまた、マジックの重要な部分である。どのゲームも同じ展開になることを我々は望んでおらず、サーチ効果はゲームの再現性を高めがちなのだ。プレイヤーが楽しめる効果であるためサーチ効果を排除するつもりはなかったが、何をサーチするかについてはもっと慎重になりたいと考えた。一般的に、サーチ範囲を狭める方がその点は良くなるだろう。

 その後、我々は『フィフス・ドーン』に取り組んだ。『ミラディン』ブロックは、マジック史上初の「アーティファクト重視」テーマのブロックだった。『ウルザズ・サーガ』ブロックもストーリー上の都合で「アーティファクト・サイクル」と呼ばれ、強力なアーティファクトも多数収録されていたが、メカニズム面で焦点を当てたのはエンチャントであった。『ミラディン』とそれに続く小型セット『ダークスティール』は、スタンダード環境を破壊した。『フィフス・ドーン』に取り掛かっていた我々はその惨状を認知し、同ブロックの2セットで使われているメカニズムの採用を避けるよう指示を受けた。そこで我々は別の方向へ舵を切り、5色テーマを考え出した。「烈日」は、そのテーマを特に表現するメカニズムであった。

 しかしながら、このセットは『ミラディン』ブロックの1セットであることに変わりはないため、強力なアーティファクト要素も必須であると私は考えた。そのためには新しいデザイン領域を開拓しなければならなかった。そこで私が興味を持った領域の1つが、私が「ほぞ/Cog」と呼ぶ1マナ以下のアーティファクトだった。適切な状況で使えばとても便利な、低コストで小さな働きのアーティファクト、というのがほぞのアイデアである。当時マジックの公式サイトでデザインの過程を伝えるべく、その記録のためデザイン・チームに入っていたアーロン・フォーサイス/Aaron Forsytheも、「ほぞをサーチするクリーチャー」に興味を示した。

 《粗石の魔道士》のサーチ範囲はゲームをたびたび同じ展開にするほどのものではなく、まさにサーチ・カードの理想だった。またサーチ先が1マナを超えないため、それ1枚で勝てるような強力なカードも持ってこられない。《粗石の魔道士》は大いに人気を集め、2つのデザインの道を一度に拓いた。1つは私がのちに「T Mages」と呼ぶようになる、特定のマナ総量のアーティファクトをサーチするデザインである。《粗石の魔道士》は1マナ以下、《捧げ物の魔道士》は2マナ、《戦利品の魔道士》は3マナ、《宝物の魔道士》は6マナ以上――そう、つまりこのサイクルはまだ完成していない。

 《微小術師》は、もう1つのデザインの道に沿ったカードだ。それはマナ総量が1以下の特定のタイプのカードをサーチするデザインである。

 《イーオスのレインジャー》はアントワン・ルーエル/Antoine Ruelによってデザインされたインビテーショナル・カードであり、サーチする枚数が1枚ではなく2枚になっている。初代『モダンホライゾン』ではこのカードをもとに《イーオスのレインジャー長》が作られ、そちらはクリーチャーを1枚サーチするデザインだった。《微小術師》はこのデザインを踏襲し、マナ総量が1のインスタントやソーサリーをサーチするものになった。このデザインの道にはまだ作られていないカードもあるが、主たるものはエンチャントのバージョンということになるだろう。土地はすべてマナ総量が0であるし、1マナ以下のプレインズウォーカーやバトルを数多くつくるつもりはない。

全知》(『基本セット2013』より)

全知

 カード・デザインの点では、このカードにまつわる私の物語はない。『基本セット2013』が作られた当時、私は基本セット以外の本流のセットにかかりきりで、このセットのデザイン・チームに身を置いておらず、収録カードのデザインには一切携わっていなかったのだ。だがすべてのセットにおいて、収録カードを確認する期間というものがある。2013年のある日、我々全員が1つの部屋に集まり、大きなスクリーンに収録カードをコレクター番号順に映し、見ていった。そこで我々が気づいたことをデザイン・チームへ送り、最後の変更を行うことができた。全員が大部屋に集められるため、声を張り上げて意見を言わなければならないこともしばしばだった。今ではカードのスライドショーは議論の入口になっており、セット開発のさまざまな段階で行われる会議で活用されている。

 さて、我々が青のカードを見ていると、《全知》が表示された。いや、正しくは《全知》ではなかった。マナ・コストもルール・テキストも同じだが、カード名が異なっていたのだ。そのカードには〈全能/Omnipotence〉という名がついていた。その名を目にした私は、強い反応を示した。以下に、このカードをスクリーンに映したエディターと私によるやり取りをドラマティックな脚色を加えてお届けしよう。

私:〈全能〉?
エディター:はい。
私:このカード名は確定か?
エディター:確定のつもりです。
私:〈全能〉は無理だ。
エディター:これまで使われたことのないカード名ですし、効果にも合っています。〈全能〉でよろしいかと思いますが。
私:〈全能〉は黒のカード名だ。
エディター:黒のカードに〈全能〉という名前のものはありません。
私:いや、そのカード名が使われるときは、黒のカードであるべきだ。
エディター:このカードは青なのでそうはならないかと。
私:違う、それぞれの色には求めるものがあり、それを得るための手段がある。
エディター:なるほど?
私:黒が求めるのは力であり、好機を活かしてそれを得る。
エディター:それで?
私:〈全能〉とは「限りない力を持つこと」を意味するだろう。
エディター:言葉の意味はわかります。
私:それは黒が求めるものだ。黒が目指すことに関わる名前を青のカードにつけるわけにはいかない。
エディター:青が求めるのは何ですか?
私:「完璧さ」だが、青は知識をもってそれを達成する。「限りない知を持つこと」は〈全知〉だ。
エディター:では、これは《全知》?
私:その通り。
エディター:わかりました、そうします。

 いつの日か、〈全能〉という名前の黒のカードを作ると約束しよう。無論《消耗した全能》というカードがあることは把握している。

ファイレクシアの闘技場》(『アポカリプス』より)

 まずはトリビア・クイズから始めよう。ライフを失うことをコストに追加のカードを引ける黒のカードで一番はじめのものは何か?

答えはここをクリック

 《強欲》はそれほど使われなかったが、《ネクロポーテンス》は1996年の夏が「ネクロの夏」と呼ばれるほどに環境を支配した。プレイヤーが《ネクロポーテンス》の強さや1996年に使われていたカードとの相性の良さに気づくまでは、少し時間がかかった。

 1997年の秋に発売された『ミラージュ』では、同様の効果が初めてソーサリーの形で登場した。

 4枚引くためにライフを半分要求されるという、かなりの覚悟が必要なカードだった。この効果は、のちに『ポータル』でも名前を変えて使われた。『ファウンデーションズ』の最初のプレビューでも触れたが、『ポータル』はマジック初期の入門用製品だった。

 『ポータル・セカンドエイジ』では、3点のライフ損失で3枚引ける、もう少し扱いやすいバージョンが作られた。それは『ポータル三国志』で新しいカード名を得た。使い切りの形でライフをカードに換える効果が『ポータル』のシリーズで発展していったことはなかなか興味深い。

 『テンペスト』ブロックと『ウルザズ・サーガ』ブロックでも、それぞれ1枚ずつライフをカードに換える効果のカードが登場した。『エクソダス』の《死より得るもの》は、実質的に一度切りの《ネクロポーテンス》だった。『ウルザズ・デスティニー』の《ヨーグモスの取り引き》では《ネクロポーテンス》のリメイクを狙ったが、どちらかといえば《強欲》の方が近いものになっている。私が展望デザインから提出した時点では、このカードは{B}{B}{B}で「2点のライフを支払う:カード1枚を引く」という能力を持っていた。ここで覚えておきたい重要なことは、《強欲》は能力を起動するのに黒マナを必要とすることである。デベロップ・チームは《ヨーグモスの取り引き》のコストを{4}{B}{B}に上げて弱体化を図った一方で、能力の起動コストをライフ1点に下げた。このカードは完全に壊れていることを証明し、さまざまなフォーマットで禁止されたのだった。

 そしてこの系譜は『アポカリプス』へ至る。このセットでは各色にメカニズム的テーマが設定されており、黒はライフをカードに換えることだった。デザイン初期に《最後の愛撫》という名のコモンのキャントリップが作られ、続けて「ガルガンチュア」の垂直サイクルが作られた。そのサイクルにはライフ1点で1枚引く2/2のコモンと、ライフ2点で2枚引く4/4のアンコモンと、ライフ4点で4枚引く8/8のレアが用意された。我々は最終的に8/8のレアが物足りないと判断し、《ネクロポーテンス》系のエンチャントに再び挑戦したのだった。

 今回は毎ターン強制的にライフを1点支払いカードを1枚引く形にし、追加のドローは1枚のみに留めた。他の《ネクロポーテンス》系カードと異なり、ドロー・ステップを飛ばす効果は入れなかった。このカードは《ネクロポーテンス》のように環境を破壊することはなく、トーナメントで活躍する姿を多く見せてくれた。このカードを『ファウンデーションズ』に収録する際にはプレイ・デザインがかなり警戒して監視していたが、プレイテストを経て問題ないことがわかった。《ファイレクシアの闘技場》もマジックの歴史に刻まれた1枚だと私は見ているので、『ファウンデーションズ』に残せたことを嬉しく思う。

踏み荒らし》(『テンペスト』より)

 このカードのデザインにまつわる物語は長くないものの、思い出深いものである。私がウィザーズに雇用された当時、デザイナーではなくデベロッパーとしての採用だった。私はとにかく扉の先に足を踏み入れ、デザイナーとしてできることを示していけば良いと考えたのだ。開発部メンバーの多くは終業後の時間をゲームをして過ごし、特にリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldが紹介してくれたゲームで遊ぶことが多かった。ある日、私が終業後にリチャードと話をしていると、彼が再びマジックのデザイン・チームで働く楽しさを味わいたいと言った。私は当時の首席デザイナーであるジョエル・ミック/Joel Mickのもとへ行き、次の秋のセットのリードをやりたいことと、リチャードが私のデザイン・チームに参加したいと言っていることを伝えた。ジョエルがOKを出すと、気づけばリチャードとマイク・エリオット/Mike Elliott、チャーリー・カティノ/Charlie Catino、そして私は、ポートランドにあるリチャードの両親の家で『テンペスト』のデザイン・ミーティングを行うことになった。

 そのミーティングに先がけて、私は他のメンバーに心躍るものを何でもデザインしてみてほしいと頼んだ。そしてミーティングの初日に、持ち込まれたさまざまなデザインを見ていった。私は『アルファ版』が世に出て以来、時間を見つけてはマジックのデザインに勤しんでいたため、さまざまなデザインを書き溜めたノートを持っていた。実は、マイクも同じことをしていた。彼もまたデベロッパーとして雇用されたものの、デザイナーになりたかったのだ。その私のノートにあったデザインの1つが《踏み荒らし》だった。発想自体はシンプルだ。マジックにおける緑の中核をなす呪文である《巨大化》を、もっと派手にしてみよう。私は効果を大きくするのではなく、効果範囲を広げた。クリーチャー1体に+3/+3を与えるのが楽しいなら、すべてのクリーチャーに+3/+3を与えるのはどうだろう? おまけにトランプルも加えた。

 そして迎えたミーティング初日、私が《踏み荒らし》のデザインを読み上げると、マイクとリチャードも同じようなデザインを持ち込んでいた。私は「これは絶対に入れよう」と声を上げたのだった。《踏み荒らし》はこのセットに採用され、初期のバージョンに近いまま印刷へ至った。このカードは人気を博し、たびたび再録されるようになり、そして『ファウンデーションズ』に欠かせない1枚となったのだ。

真面目な身代わり》(『ミラディン』より)

 マジックにおける私のオリジン・ストーリーをご存知ない方のために改めて話すと、私とウィザーズの関わりは、当時ウィザーズが発行していたマジック専門誌「Duelist」に「Magic: The Puzzling」というパズル・コラムを寄稿したことから始まった。そのコラムは詰将棋のような内容で、読者に手札と盤面の状況を示した上でそのターン中に勝利する方法を見つけてもらうものだった。ほとんどのパズルは勝利を目指すものだったが、いくつか他のゴールを目指すものもあった。このコラムの成功を受けて、私は他の記事も寄稿するようになった。そしてそれらの記事をきっかけにフリーランスとしてウィザーズ社内で記事を書く機会を得て、そこから開発部で仕事を得るに至ったのだ。

 開発部の一員となった私は、開発部と「Duelist」誌の連絡役を務めるようになった。私はパズルやコラムの寄稿を続けていた。そして初代編集長のケイスリン・ヘインズ/Kathryn Hainesがウィザーズを離れ、私が後を引き継いだ。そこから私たちの物語が始まったのだ。「Duelist」誌のプロデューサーは、ウェンディ・ノリタケ/Wendy Noritakeという名の女性だった。ウェンディと私はプロモーションのチャンスを探し求めており、そこで私は「Gen Con」の舞台で「Duelist」の名を冠するトーナメントの開催を始めた。「The Duelist Team Challenge」と呼ばれるこのトーナメントは3人1組のチーム戦で行われ、メンバーそれぞれが異なる構築フォーマットで対戦するものだった。

 「The Duelist Team Challenge」は成功を収め、ウェンディはその規模をさらに大きくしたいと考えた。彼女には独自にイベントを開催する予算が割り当てられていたが、その規模は決して大きくはなかった。彼女は私に、予算をなるべくかけずに華やかで注目を集めるトーナメントを開催できるアイデアはないかと尋ねた。そこで私が提案したのが、野球のようなスポーツで行われる「オールスターゲーム」をもとにしたものだった。当時の私はプロツアーにおけるフィーチャー・マッチを手掛けており、トップ・プレイヤーを全員把握していた。それなら競技マジックのビッグネーム16人を集め、総当たり戦で競い合わせるのはどうだろう?

 予算の都合を考えると、18人分の航空券(選手16人と私と、「The Duelist」誌に掲載するカバレージのライター1人)と9部屋分の宿泊場所、それから数日間マジックをプレイできる場所を用意するのが精一杯だった。そのため私にはもう1つ、解決すべき問題があった。これ以上お金をかけずに用意できる賞品が必要だったのだ。さまざまなアイデアの中で私が特に気に入ったのが、優勝者にマジックのカードを作ってもらうことだった。

 そのアイデアを提案した当初は開発部も懐疑的だったが、私はそのまま印刷されるわけではないことを説明した。優勝者がデザインしたカードは通常のデザイン・プロセスに乗って、必要に応じて変更を経てセットに収録されること。私が優勝したプレイヤーと密に連携し、彼らがデザインしたカードに加えられる変更に納得してもらえるよう努めること……こうして私は正式に承認を受け、「マジックのカードを作れる権利」が「The Duelist Invitational」(のちのマジック・インビテーショナル)の優勝賞品となったのだった。

 インビテーショナルの第一回は、香港にて開催された。香港ではグランプリの第一回が開催される予定だったが、それが実現しなかったため、他の大型イベントの誘致先として「The Duelist Invitational」の開催地となった。優勝者はのちに殿堂顕彰者となるオーレ・ラーデ/Olle Radeだった。彼は何の効果もないジョーク・カードを提出した。私が実現可能なデザインを求めたものの、その後の提出はなかったため、彼のアイデアをカードにするのはやめた。私としては素敵な賞品だと思ったのだが、その立ち上がりは決して良いものではなかった。

 インビテーショナルの第二回はリオ・デ・ジャネイロにて行われ、同じくのちの殿堂顕彰者であるダーウィン・キャスル/Darwin Kastleが優勝した。ダーウィンはこの優勝賞品に心躍らせ、《なだれ乗り》をデザインした。私はダーウィンと連携して、このカードが収録される予定のセットの新規メカニズム「エコー」を持たせることにした。《なだれ乗り》は『ウルザズ・レガシー』に収録されたのだが、そのとき偶然にも、『ウルザズ・レガシー』のアート指示を私が書いていた。ダーウィンがデザインしたカードには人物が描かれることになったため、私はその人物をダーウィンにするようアーティストに依頼しても良いか尋ねた。アート・ディレクターは快諾し、それが実現したのだった。

 《なだれ乗り》はゲーム的にもダーウィンにとっても大当たりの1枚になった。インビテーショナルの賞品に注目が集まるという私の夢が叶った瞬間だった。それ以降、インビテーショナルの参加者たちはその賞品に魅力を感じるようになった。優勝者の姿がカードに描かれるのも定番になった。オーレも数年後にまたやってきて、第一回の優勝賞品としてのカードを作ってくれるか尋ねるほどだった。私は快諾したが、カードに描かれる彼の姿は優勝時のものでなくてはならなかった。彼はのちに軍隊に入っており、長い金髪を剃り落としていたのだ。

 それから時が経ち、我々は「インビテーショナル2002」を開催した。このとき初めて、インビテーショナルがワシントン州レントンのウィザーズ・オブ・ザ・コースト本社でMagic Onlineを使用して行われた。この大会を制したのは、当時22歳でスウェーデンの学生だったイェンス・ソーレン/Jens Thorenであった。インビテーショナルでは、選手たちが実現を目指すものを観客も知れるよう、イベントに先がけてカードデザインを提出してもらっていた。イェンスが提出したデザインが以下の通りである。

〈森の民〉

{2}{G}{U}
クリーチャー ― エルフ・ウィザード
2/2
森の民が戦場に出たとき、あなたのライブラリーから基本土地・カード1枚を探し、タップ状態で戦場に出し、ライブラリーを切り直してもよい。
森の民が戦場を離れたとき、カード1枚を引く。

 インビテーショナルカードを作成する際に私が掲げた目標の1つは、収録されるセットに合うように作成することだった。イェンスのカードは、アーティファクトのテーマが強い『ミラディン』に収録されることになった。それならこの〈森の民〉をアーティファクト・クリーチャーにするのはどうだろうか? 当時はまだ有色のアーティファクトがなかったため、マナ・コストを不特定マナにする必要があった。そこで我々は、まずはイェンスが提出したものと同じ4マナから始め、強すぎたらコストやパワー、タフネスを変更することにした。そしてそれは優れたカードでありながらも強すぎることはないとわかったため、そのまま残ったのだった。最終的に『ミラディン』に収録されたバージョンがこれだ。

 《真面目な身代わり》は人気を集め、その後『基本セット2012』や「Kaladesh Inventions」、『Duel Decks: Elves vs. Inventors』、『基本セット2021』、『時のらせんリマスター』、『統率者マスターズ』、そしてさまざまな統率者デッキに幾度となく再録されるカードになった。そんな《真面目な身代わり》が、『ファウンデーションズ』で再びスタンダードに加わるのだ。

「お話はこれでおしまい」

 本日はこれで以上だ。それぞれの物語を楽しんでもらえたなら幸いである。いつもの通り、本日の記事や取り挙げたカード、その他『ファウンデーションズ』に関する意見を、メール、各ソーシャルメディア(X(旧Twitter)TumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、『ファウンデーションズ』の新規カードを見ていく日にお会いしよう。

 その日まで、あなたの懐かしい想いが高まりますように。

 

 (Tr. Tetsuya Yabuki)

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