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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

得られた教訓 その1

Mark Rosewater
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2023年3月14日

 

 私のポッドキャスト「Drive to Work」に、デザインや展望デザインをリードしたり教導リードしたりしたそれぞれの製品について深掘りし、それらを作った時の教訓を語る「Lessons Learned(得られた教訓)」というシリーズがある。今回から、そのシリーズのまとめ版を作り、それぞれのデザインにおける最も重要な教訓を共有するためにこの記事で掲載していこう。(その1とその2は今週と来週になるが、それ以降は折を見て書いていくつもりだ。)また、深く掘り下げて語っているポッドキャストへのリンクも紹介する。(シリーズの初期には1回のポッドキャストで複数のセットについて語っていたが、後には大量のポッドキャストを使えるとわかったので1セットで1回のポッドキャストを使うようになった。)

『テンペスト』(1997年10月)

教訓「過ぎたるは及ばざるが如し」

 『テンペスト』は、私がデザインのリードを務めた最初のセットだった。私は、ゲームデザイナーとしてではなくゲームデベロッパーとして開発部に雇われていたのだ。だからといって私は立ち止まることはなく、リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldがマジックの新しいデザイン・チームに参加したがっていることを知ったとき、その機会を活かそうと考えたのだ。そして、同じようにゲームデザインをしたがっていたマイク・エリオット/Mike Elliottと、チャーリー・カティノ/Charlie Catinoをチームに迎えた。マイクと私は何年も掛けてマジックのデザインを温めていて、リチャードは『アラビアン・ナイト』以来マジックのデザインをしていなかったので、チームには大量のアイデアがあったのだ。実際、ありすぎたのだ。

 私が『テンペスト』の最初のデザインを提出したとき、セットにあまりにも多くのデザインの概念が入っていると主席デザイナーのジョエル・ミック/Joel Mickが指摘し、私はいくらかをボツにしなければならなかった。実際、その翌年の大型セットである『ウルザズ・サーガ』の主なメカニズム2つであるサイクリングとエコーは、どちらももともと『テンペスト』のデザインに入っていたものだったのだ。それから8年間のセットには、『テンペスト』のデザインに由来するカードが1枚は入っていたと言えるだろう。

 ここでの教訓は、デザインは集中しているほうが良いということである。あまりにも多すぎると、セットには注目点がなくなってしまう。大量のマジックのセットを作る中で、それぞれが個性を持ったものにしなければならない。つまり、そのセットの本質が何かを決めて、デザインをそのテーマに集中させることが重要だということである。『テンペスト』は大成功を収めたが、その大部分はジョエルの指摘に従ってセットの目的を微調整し、プレイヤーが理解できて評価してくれるものにまとめたからだったと思っている。

『Unglued』(1998年8月)

教訓「己の美学を愛せ」

 『Unglued』は、ジョエル・ミックとビル・ローズ/Bill Roseが、公式イベントで使えないセットを作るのはどうだろうか、という面白いことを思いついたことから始まった。マジックのほとんどのゲームはカジュアルなものであり、我々はイベントで使うと問題を起こすような面白いデザインのアイデアを大量に持っている。彼らはそれをさせるべき人材を私以外に知らなかったので、私に任せて「好きなようにやれ」と言ったのだ。

 結局私は、マジックの可笑しさをいじるユーモラスな意見を取り入れた。私にはコメディ作家の経歴があり、パロディが大好きなのだ。この雰囲気の変化が、常識外のメカニズム空間を扱うデザイン全体の性質と噛み合ったのだと思う。また、それによってこのセットはクリエイティブ的にも強い独自性を得ることができた。興味深いことに、この製品の持つ性質から生まれた自由度が、通常のマジックでは受け入れられない空間での実験を可能にしてくれた。

 おそらく、その最高の例と言えるのがフルアート土地だろう。ジェンコンへ向かう飛行機の中で、クリス・ラッシュ/Chris Rushがそのアイデアを提案してきたのだ。彼はたいそう気に入っていたが、実際のセットで試すことに同意したのは誰もいなかった。私は、クールだと考え、『Unglued』の美学の持つ奇妙さから受け入れることができたのだ。フルアート土地は大成功を収め、やがて『アン』でないセットにも採用されることになる。私はこの教訓を他のデザインにも活かし、デザインを、前の本流のセットとはかけ離れたものになろうとも、美的にあるべきものに近づける助けにしたのだ。

『ウルザズ・デスティニー』(1999年6月)

教訓「デザインの中核概念ははっきり示せ」

 『ウルザズ・デスティニー』のデザイン・チームが私1人だったことはよく知られている。当時マジック開発部は小規模で、いくつもの製品を手掛けていたので、これは私1人で取り組むことになったのだ。『ウルザズ・サーガ』ブロックにはデベロップ上の問題があったが、私は『ウルザズ・デスティニー』のデザインを誇りに思っている。

 このセットでの教訓は、このセットに採用したテーマ、「場からのサイクリング」から得たものである。サイクリングはこのブロックの名前ありメカニズム2つのうち1つである。(当時は、信じられないかもしれないが、1年間のセットを通して名前のあるメカニズムは2つだけだったのだ。)サイクリングに関する私の変更点の1つが、戦場にある間にサイクリング能力を使えるカードを作るということだった。通常のサイクリング・カードでは、2マナ(『ウルザズ・サーガ』ブロックのすべてのサイクリング・コストは2マナだった)を支払ってそのカードを捨てることで、カード1枚を引く。『ウルザズ・デスティニー』では、2マナを支払ってそのパーマネントを生け贄に捧げることでカード1枚を引けるパーマネントを作ったのだ。

 何ヶ月も毎日そのファイルを手掛けていたリード・デザイナーとしては、これとサイクリングとのつながりは明明白白だと考えていた。このセットが世に出て、プレイヤーにとってはまったく明白ではなかったことがわかった。このことから、プレイヤーがセットをどう受け取るかはこちらがどう発信するかに依るということを学んだ。セットの要素間に繋がりが必要であれば、それが同じセット内であろうが近傍のセット同士であろうが、それが正しく伝わるようにするのはデザイン・チームの仕事なのである。我々はこの教訓を、(私がリードしたものでない)『メルカディアン・マスクス』でも知ることになる。そのセットではメカニズムをキーワード化せず、そのセット第一の不満点は新しいメカニズムがないことだったのだ。

『オデッセイ』(2001年10月)

教訓「理由を以て規則を破れ」

 『オデッセイ』のデザインのリードを務めたとき、私は、ユーザーが「カード・アドバンテージ」と呼ばれる概念について持っていた予想に挑むことを狙っていた。カード・アドバンテージの裏にあった考えは、カードというものは戦略的に有利なものであり、減ることは不利益だというものだった。理想的には、手札と戦場にあるカードをひっくるめて、対戦相手よりも多くのカードを手に入れるようにプレイするべきだというものである。

 リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldは、自分の墓地に7枚以上のカードがあると強化されるスレッショルドというメカニズムを発明した。そして我々は、このセットにカードを捨てる様々な手段を入れたのだ。そういったカードの中の1枚が、《巡視犬》である。{1}{W}で2/2。「カード1枚を捨てる:ターン終了時まで、《巡視犬》は先制攻撃を得る。」という能力を持っていた。《巡視犬》が先制攻撃を持っても関係ない場合にも、カードを捨てることが戦略的な正解になることがあるようにしていた。これは、カード・アドバンテージと対立するものだった。実際上の効果がなくてもカードを捨てるのが戦略的な正解という場合があったのだ。ただカードを墓地に送るだけのことが、スレッショルドを達成するので充分価値あるものだった。プレイヤーのマジックの見方が変わると考え、私はこれを面白がっていた。

 このセットが世に出ると、ほとんどのプレイヤーは「カード・アドバンテージの概念をひっくり返す」という可愛らしいテーマを気に入っていなかった。それを受け入れられる高レベルなプレイヤーはいたが、ほとんどのプレイヤーはこのセットで推奨されたことをしたくなかったのだ。彼らは、必要ない時にクリーチャーに先制攻撃を与えるためだけに手札を捨てたくはなかったのである。手札を捨てたくはなくて、手札はプレイしたかったのだ。そのため、このセットは成功はしなかった。

 ここから私は、「プレイヤーは、ゲームに求められることをすることで楽しめなければならない。マジックはゲームである。」という、ゲームデザイナーとしての史上最重要教訓の1つを学んだ。人々がプレイするのは、楽しいからなのだ。プレイヤーがしたくないことを強制するようにゲームを仕立てたなら、ゲームデザイナーとしてプレイヤーに迷惑をかけていることになる。よりよいゲーム体験を提供するなら、規則を破るのもいい。ただ規則を破るためだけに規則を破るのは、よくないゲームデザインなのである。

『ミラディン』(2003年10月)

教訓「己の本心に耳を傾けよ」

 私が『ミラディン』から得た最大の教訓は、私がすべきだったのにしていなかったあることに関するものである。当時、ビル・ローズは主席デザイナーだった。(まだ開発担当副社長ではなかった。)私はしばらくアーティファクト・ブロックを推していたので、ビルは私をその第1セットのリード・デザイナーにした。私はいつでもアーティファクトの大ファンなので、どれだけ限界を広げられるかを調べることにした。アーティファクト・ブロックでアーティファクトは何ができるか。このセットを提出したとき、少しばかり詰め込み過ぎだったので(『テンペスト』で得た教訓はまだ活かされていなかった)、ビルは私にいくつか取り除くように言った。エネルギーなど、取り除くのがふさわしいものもあったが、取り除くように言われた中に1つ納得できないものがあった。

 チームがセットをデザインしたとき、私は、アーティファクトに大量の単色マナを入れることにこだわった。私は直感的デザイナーなので、当時は私も理解はできていなかった。単純に、すべきだと感じていたのだ。ビルが取り除くように言ってきて、私は抵抗し、少しだけセットに残すことはできたが、最終的にはほとんど取り除くことになった。これは大間違いだった。『ミラディン』にはプレイデザイン上の大問題が発生したが、その多くはすべてのデッキがすべての問題あるカードを使えるということから由来していた。我々はこれを、1枚のカードを取り除いても問題に対処できないことからブロブ/The Blob(訳注:ブヨブヨやネバネバの意)と呼んだ。

 我々全体として学んだ教訓は、不特定マナ・コストしか持たない無色のアーティファクトはマジックの最重要安全弁の1つであるカラー・パイをすり抜けてしまう、ということだった。カード1枚が壊れていても、それが特定色に限られていれば、それを使えるデッキの数は大きく抑えられる。振り返ってみれば、私は単色マナを持つことがなぜ重要なのかを解明するのにもっと時間を掛け、引き換えに何かをセットから取り除くことになったとしても有色アーティファクトをセットに残すべく戦うべきだったのだ。この経験全体として、私は、自分のデザインの直感が優れていることと、それにもっと耳を傾けるべきことを痛感させられたのだった。

『フィフス・ドーン』(2004年6月)

教訓「先んじて計画せよ」

 『フィフス・ドーン』は『ミラディン』ブロックの第3セットである。さて、何が起こったか。我々はデザインし、デベロップに送った。『フィフス・ドーン』のデザインが始まる前に、『ミラディン』は完成していたのだ。(当時と今とではスケジュールが異なっている。小型セットのデザイン期間はずっと短かったのだ。)公開前から『ミラディン』の問題の多くがわかっていたが、もう変更するには手遅れだった。しかし、『フィフス・ドーン』に影響を与えることはできる時期だった。デザイン・チームは、最初に「『ミラディン』がしたことのほとんどはするな」という指示を受けた。「アーティファクト関連」を進めることも、主なメカニズムを使ったいいカードを作ることも禁止された。基本的には、『ミラディン』を定義づけていたものを使わずに『ミラディン』ブロックを作らなければならなかったのである。

 この問題への解決策は、「大転回」、つまり既存のカードとうまく噛み合うがゲームプレイやデッキ構築を新しい方向に向かわせる、新しいメカニズム的テーマを導入することだった。我々が選んだ新しいゲーマが、「色関連」である。我々は烈日メカニズムでそれを扱った。アーティファクトを多くの色のマナで唱えることで利益を得るようにしたのだ。『ミラディン』はこのテーマを全く扱っていなかった。数枚だけ第2セットである『ダークスティール』に押し込んだが、『フィフス・ドーン』の主なテーマをリミテッド・フォーマットで常に成立するようにするには不充分だった。

 リミテッドにおける『フィフス・ドーン』のテーマの失敗、そして『アポカリプス』の成功は、ブロック計画の重要性を私に教え込んだ。ブロックの第3セットを第1セットから繋がるものだと感じさせたければ、各セットが何をするかを最初から決めておかなければならない。マジックをデザインするという中では、大局観が必要である。そのセットに何が入っているかだけで考えることはできない。それまでの、そしてそれ以降のいくつかのセットのことを考えなければならないのだ。(ただしまだできていないので将来のことを考えるのは難しい。)1年後、私が主席デザイナーになって一番最初にしたことは、組み合わせてどう働くかという大局観を持つようにブロックの考え方を再構築したことだった。

『Unhinged』(2004年11月)

教訓「プレイヤーがメカニズムをどう使うかを理解せよ」

 『Unhinged』は、2つ目のアン・セットだった。『Unglued』の発売から6年が経っている。私が作った4つのアン・セットの中で、明らかに最悪のデザインだった。これの主なメカニズム「ゴチ!」は、私が作った中で最悪のメカニズムの1つである。この教訓は、ゴチ!メカニズムを作ったときのことから得たものである。ゴチ!は、『Unglued』で、発声要素を含むカードを数枚作ったことからできたものだった。作用させるためには声を出さなければならない。あるいは対戦相手が被害を避けるために声を出さなければならない。そのカードの1枚が《Censorship》だった。

 単語1つを選び、その単語を誰かが口にしたらそのプレイヤーにこれがダメージを与える。(青でダメージを与えるのも非常に奇妙である。)私は《Censorship》を使って何ゲームかプレイし、いつも楽しかった。対戦相手がよく口にしている単語を選び、彼らがその単語を避けようと努力するのを見るのだ。そこで、『Unhinged』をデザインしていて、それを基柱にしたメカニズムを作ることにした。メカニズムを単純化するため、私は効果をカードを戻すものに統一した。カードにある禁止事項を対戦相手がしたなら、「ゴチ!」と言ってそのカードを戻せるのだ。

 我々はこのメカニズムのプレイテストをし、デザイン・チームはたいそう楽しんだ。ゴチ効果ができて、我々はそれを基柱とすべく尽力した。最終的に、思い出に残る瞬間ができた。そんなある日、我々はデザイン・チーム外のある開発部員とテストプレイをした。そのプレイテスト後に、ロブ/Robという名前の開発部員がやってきた。曰く、「このゴチってメカニズムは本気ですか?プレイヤーに喋るなって言ってるだけじゃないですか?」(ゴチ効果の大半は、特定の単語や語句を口にすることを参照していた。)私は、否定した。何ヶ月もプレイしていたが、そんな状況にはなっていなかったのだ。このメカニズムはとても楽しかったと。

 結局のところ、正しいのはロブだった。ゴチを使うと、対戦相手を黙らせることになる。喋らない、笑わない、交流しない。デザイン・チームには、これを面白いものにしようという動機があったのだと気がついた。成立させたかったので、意図していたとおりにプレイしていたのだ。楽しむことよりも勝つことを優先したときにプレイヤーが何をするかを全く考えていなかったのだ。これは大きな教訓だった。プレイヤーはゲームデザイナーが楽しいゲームを作ると信頼しているので、ゲーム上ですべきだとされていることをする。ゲームが喋らないことを推奨していれば、それで楽しくなくなるとしても、プレイヤーは喋るのをやめるのだ。ゲームプレイヤーとゲームデザイナーの間には暗黙の信頼がある。プレイヤーはデザイナーの手に楽しみを委ねていて、楽しい時間が過ごせなければゲームデザイナーのせいなのだ。それはよくないゲームなのである。

 これは大きな教訓だった。メカニズムやカードやゲーマやゲーム要素をデザインするときは、ゲームプレイ上で何を推奨することになるかを考えなければならない。楽しいことがあるなら、プレイヤーが楽しいことをして勝利できるようにしなければならない。楽しさを探すのはプレイヤーの仕事ではなく、プレイヤーが楽しさを探すことなく体験できるようにするのがゲームデザイナーの仕事なのだ。そして、特に、ゴチ!はこの目標を達成できていなかったのである。

大体のところ

 本日はここまで。このシリーズは、来週にその2をして、それ以降は折を見てしていく予定である。いつもの通り、今日の記事やこれらの教訓についての諸君の感想を聞かせてほしい。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、その2でお会いしよう。

 その日まで、あなたが自身の教訓を学び続けられますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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