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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

さらなる人生の教訓

Mark Rosewater
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2022年7月4日

 

 2006年、私は、人生で得ていたさまざまな教訓を検証し、それらをマジックのデザインにどう活かしてきたかを解説する「Life Lessons/人生の教訓」という2本立ての記事(その1その2:英語)を書いた。最近、ここしばらく個人的な記事を書いてなかったことに気づいたので、16年前に書いた記事以降の人生の教訓を検証するのは楽しそうだと思った。

 (今回は記事1本だけなので)取り上げる教訓は4つとなる。なお、私の個人的人生とマジックのデザインを関連付けて書いた話が好きな諸君のために、そういった記事の一覧(ほとんどは古い記事だ)をご紹介しておこう。

教訓 #1

 人生の教訓についての前回の記事は、私の妻がアダム/Adamとサラ/Sarahの双子を妊娠したところで終わっていた。先月、彼らは高校を卒業した。つまるところ、私は新しい教訓を得るだけの人生を過ごしてきたと言える。

 1つ目の教訓を得たのは、実際のところ、前回の記事の最後の教訓を得た(プロツアーに列席することができなくなったと組織化プレイ部に伝えた)すぐ後のことだった。妻のローラ/Loraと私が最初の新居を構えたとき、学校のシステムが素晴らしいものではなかったのでいずれ引っ越さなければならないとわかっていた。レイチェル/Rachelが2年後に生まれると、我々は新居を探すことにした。見つけるまでの期限はレイチェルが幼稚園に入るまでの6年間だった。双子が生まれるということがわかると、最初の家は5人家族には狭かったので、この問題はさらに喫緊のものになった。

 必死で探した結果、我々はシアトル近郊の良い校区に新居を建てることになった。我々は家の見取り図や用地を選ぶことができたが、一から家を建てる大工の空きを待つ必要があった。1年ほどかかる、と告げられた。

 新居を購入するのは今の家が売れることが前提だったので、期日内に売れるようにするため、我々は新居が完成する予定の数か月前に家を売った。家はすぐに売れた。新居が完成するまでそう長くかかるわけではなかったので、我々は仮住まいのアパートに住むことにした。アダムとサラの寝室が必要だったので、寝室が2部屋あるアパートにした。家を建てたことがある諸君は、これからどうなるかご存知のことだろう。新居は予定通りには完成しなかったのだ。

 アパートでは手狭なことはわかっていたが、1~2か月のことだと思っていた。実際は、6ヶ月にわたった。アパートにいる間に双子は1歳になり、歩き始めた。通常必要なものすべてはアパートに入り切らず、また1~2か月なら足りなくてもできると判断して荷物を預けていたので、足りないものがでてきた。ローラと私はすぐに狭さで気が変になっていった。ある日、異常な精神状態にあった私に、ローラがあることを言ったのだ。

美しくなる途上には、大量の混沌がありうる。

 彼女は、我々はこれから何年も家族を支えていく新居を作っている途中だと言った。そこに到る中では困難な問題を経ることになるが、それは大きな目標のためだと。我々はその混沌を旅の一部だと考えなければならなかった。

 セットを作るときにも同じことが起こるので、この人生の教訓はマジックのデザインに非常に容易に適用できる。特に早期には、すべてのものが混沌になっているように見えることはよくあるのだ。ファイルを見て、それがひとまとまりになることはありえないと感じる。しかし、それを何度も経験してきて、私は、掘り下げは創造的工程の重要な一部であると実感している。アイデアの結晶を手に入れるためには、大量の失敗を掘り下げていく必要があることが多いのだ。加えて、最も簡明な実装を見つけるためには、複雑なバージョンから始める必要があることが多い。

 私は、どの部分が一番作用しているのかを調べるプレイテストのために、どれだけ複雑であろうともその雰囲気を再現しているバージョンを作ることにしている。そして、時を経て、充分なものを追加していない部分を削り落としていけば、そのアイデアの中核部分が得られるのだ。

 この工程の好例が、英雄譚である。物語というアイデアを再現する必要があることはわかっていたので、我々は時間をかけて最終版よりもおかしなバージョンを試していった。実際、初期の英雄譚の中には、ゲーム盤のように扱ってその上でコマを動かすようなものもあった。各段階で、我々はさまざまな要素をどう再現したいのかを調整していき、反復工程ごとに洗練を重ねて、そして最終的に今日の英雄譚に到ったのだ。ゲーム盤バージョンがなければ章に行き着かなかっただろうから、デザインの混沌部分は理想的な最終形を見つける上で不可欠な工程なのだ。

教訓 #2

 アダムが小学校に通っていたころ、彼はADHD(注意欠如多動性障害)と診断された。幼稚園の先生はアダムを検査する必要があると気づいていて、正式な診断には1年かかる可能性があった。アダムのADHDの症状は、集中力に大きな問題があることだった。1つのことに集中し続けることができなかったり、逆に集中しすぎてしまったりすることがあった。

 我々は彼に必要なあらゆる処置を受け入れたが、薬物療法だけはしなかった。振り返ってみると、その宣言がどこから来たものかはわからない。ローラも私も、子供が薬物を不正に摂取する話を見聞きしていて、不注意にアダムにそうしてしまうことを恐れていたのだと思う。薬物療法を含まない処置はいろいろとあったので、我々はそれらだけに集中することができた。

 アダムはさまざまなセラピーを受け、我々はあらゆる処置を試みたが、何も改善されたようには見えなかった。薬物という発想は何度も浮かんだが、我々はずっとそれを拒んで他の選択肢を探した。

 時が過ぎ、少し効果があるものは見つけたが、全体の解決策は見つからなかった。ある月、私は2人の友人と1人の医師と話し合い、薬物療法への恐怖について話すことができた。彼らはそれぞれに、薬物は不正に投与されることもあるが、問題への最善の回答であることも多く、試したからと言って効果がなければ続ける必要はないと説明してくれた。

 ローラと私は時間をかけて話し合い、一度薬物療法を試すことに決めた。アダムはある薬を投与された。奇跡のように効いた。2種類目の薬も飲ませたところ、さらに大きな進歩が見られた。薬物療法だけではなく他の処置とも組み合わせた結果、それが最善の方法だとわかったのだ。こうして得られたのがこの教訓である。

自分の絶対は意識して疑わなければならない。

 白黒はっきりしている方が、灰色よりも心地よいものである。正しいことと間違っていることに区分けして、どちらかに決めてしまうと、その分類をそのままにして考える必要はなくなる。この教訓は、区分けしたものについて再考する必要がある場合があるということである。情報が増えることで、不十分な情報から得られた結果と、全く違う結果が得られることがあるのだ。つまり、自分の思い込みを意図的に再検討する必要があるのだ。

 これもまた、マジックのデザインに非常によく適用される教訓である。セットを作るには、何をスべきで何をすべきでないかの判断が必要であるが、その判断は絶対のものになりがちである。長い間、ゲームプレイがよくないからと我々は伝説のクリーチャーをあまり作らなかった。誰かが1体出していたら、他の誰もプレイできず、死に札になっていたのだ。『神河物語』のデザイン中に、我々は「周知の通り、基本的には欠点なのに、プレイヤーは伝説のクリーチャーが好きらしい。あまり作らないようにするのをやめて、プレイして楽しいようにルールを変えることができるのではないか。」と言ったのだ。

 同様に、黒の除去呪文が黒以外のクリーチャーだけを殺すのを止めるのに、「なぜ我々はこうしているのか」と自問した日まで何年もかかっていた。リチャードは『アルファ版』で《恐怖》を作り、黒でないクリーチャーだけを殺すようにしたが、これはこのカードのフレイバーがそうだったからである。しかしなぜかこれが黒の除去呪文の当たり前になっていたのだ。会議で、「黒という色は喜んで自分以外の黒のクリーチャーを殺す色だ。誰でも殺すようにしても問題はない。」と主張したことを覚えている。

 そうである必要がないことがゲーム内に根深く存在していることはよくあることだ。また一方で、マジックが新しい方向に進んだ結果、それまで理由があって存在していたものがその理由を失う場合がある。マジックのデザインとは、それまでに下した判断について意図的に問い直し、必要があれば上書きすることなのだ。『イニストラード』のデザインを始めた時、メカニズム的に人間を参照するカードは作らないという規則があったが、それでは『イニストラード』は良いセットにならないと判断して変更の許可を出した。規則は理由があって存在するが、だからといってその規則を見直すべきではないということにはならないのだ。

教訓 #3

 さて、これはマジックのデザインを手掛けているときに得られた人生の教訓の話だ。そのセットとは『ミラディンの傷跡』である。最初の計画では、このブロックは3セットともが新ファイレクシアで、最後のセットでこの次元は実はかつてのミラディンだったのだ、と明かすことになっていた。(ミラディンが新ファイレクシアになることは『ミラディン』発売当初から計画されていた。)おそらくこの発想は「猿の惑星」から来ていて、(以下ネタバレ)映画の最後でチャールトン・ヘストンは自由の女神像を見つけ、この異星人の惑星が未来の地球だったとわかるのだ。

 当時、私はブロックの第1セットである大型セットのほとんどでリードを務めていたので、最初の新ファイレクシアのセットをデザインすることになっていた。私はかなりの時間を費やして、メカニズム的にファイレクシアらしさを表す方法を試みたが、ブロック全体のテーマを理解することができずにいた。対立軸は何だろうか。ブロックの基柱を何にすればいいのか。

 私は完全に行き詰まり、当時の開発担当副社長だったビル・ローズ/Bill Roseがデザインに不安を覚えた。ある時点で、彼は私率いるデザイン・チームに大きく変更を加え、そして6週以内にセットができなければデザインの担当を変えると言ってきた。ビルはそれまでそんなことを言ったことはなかったので、私はマジックのデザイナーとして初めてとなる信頼の危機にあったのだ。なぜ私はこのセットにこれほど苦しんだのか。

 ある日、ビルが私に話があると伝えてきた。もっと時間が欲しいと言ったが、ビルは認めなかった。守るべきスケジュールがあり、問題が解決できないなら新しい担当者が解決するための時間を取れるようにしなければならないと。その後ビルは私を励ましてくれた。これは今までにないことだった。おそらく彼は私の苛立ちに気づいていたのだろう。次の人生の教訓は、ビルから得られたものである。

他の誰もが作ってほしいと思うものを作ろうとするのをやめ、自分が作りたいものを作る。自分のしていることに情熱を傾けているとき、一番能力を発揮できるものだ。自分の情熱を把握しよう。

 私は週末で家に帰り、深く深く考えた。月曜に会社に戻り、そして「作るセットを間違えていた。伝えるべき物語がある。ミラディンがファイレクシアの手に落ちる話だ。それなのに、第1セットはその物語が終わったところから始めようとしていた。これを変更しよう。」と言ったのだ。ビルはこの変更を承認し、ブロック全体が出来上がることになった。

 この教訓はマジックのデザインから来たものなので、マジックのデザインに適用するのは難しくない。しかし、これは私をデザイナーとして形作った、重要な教訓である。私がリードを務めた各セットで、私は、自分が手掛けているもののどこに私は情熱を感じているのかと自問している。現在のデザインで私が心を躍らせている部分はどこなのか。このデザインを作る上で私が最高の人材である理由は何か。リード・デザイナーとして、私自身が心を躍らせていないなら、他の人々の心を躍らせることができるはずがない。私が手掛けたセットについて話すときになぜそれほど興奮しているのかと常々聞かれるが、それは私が作るものが自分にとって心躍るものであるようにしているからである。私の目標は、セットを人々が気に入るものにすることであり、その第一歩は自分自身でなければならないのだ。

教訓 #4

 次の話は、レイチェルが高校の2年生だったときのことである。その年まで、レイチェルはずっと成績優秀だったが、2年時に彼女の評点が落ち始めた。課題の提出が遅れたり、提出しなかったりするようになった。彼女らしくなかった。加えて、彼女らしい快活さがなくなっていた。口数少なく、引きこもりがちになった。どうしたのかと聞いても、曖昧な答えを返すだけだった。レイチェルが楽しくないのは明らかだったが、その理由はわからなかった。鬱病の身内に接したことがない諸君に説明すると、これは恐ろしいものである。愛するものが悩んでいるのはわかっても、助ける手段がわからないのだ。レイチェルをセラピーにかけ、彼女が一体何に苦しんでいるのかを理解するために最善を尽くしたが、何か月もの間、彼女はただ悪循環に陥っているだけに思えた。

 ついに、レイチェルは学校をやめると言い出した。家についての話で説明した通り、我々は学校のシステムのために住む街を選んだのだが、ことここに到ってあらゆるアイデアを検討するようになっていた。レイチェルは、ある話題に興味を持ったら深くのめり込む性質である。彼女は代替の教育システムについて調べ始めた。彼女が学校以外の学ぶ方法について調べていくにつれ、彼女の引きこもり傾向も収まったように見えた。

 ある日、彼女は我々に、「Big Picture」という学校に行きたいと言ってきた。それは、新しい理論的枠組みに基づいて教える、全国的なシステムの一環だった。成績評価は存在しない。学びは生徒が提案したプロジェクトを用いたプロジェクト単位で行なわれる。インターンシップや経験学習に重きが置かれている。そして学校のある場所までは車で40分かかる。(レイチェルはまだ運転免許を取っていなかった。)

 実際、すぐには飲み込めなかった。レイチェルとともに代替学習についての多くのドキュメンタリーを見てきたので、その背後にある論理は理解し始めていたが、1人の親としてはまだ懸念があった。彼女がそのプログラムを始めた上で気に入らなかったら、単位評価がないということはその年数分は他の学校では評価されないということになる。単位評価のない学生を受け入れる大学の心当たりもなかった。そして金銭的な問題も伴う校区外の学校である。しかしレイチェルの悪循環は落ち着いていて、我々は彼女の助けになることなら何でも試そうとしたのだろう。

 新しい学校に入るため(2年次の半ばだった)、レイチェルとローラと私はレイチェルの学年を担任する教師2人との面談をけることにあった。(この2人の教師が高校4年間ずっと担任する。)私はその日、学校に向かう車内で特に懐疑的だったが、その面談での彼らの質問とレイチェルの返答を見て、ここが彼女にふさわしい場所だとわかった。彼らはレイチェルを受け入れ、レイチェルは翌週から転校した。(「Drive to Work」の長期視聴者は、私が1年間レイチェルを学校まで送っていたことを覚えていることだろう。)ともあれ、レイチェルは健康に育ち、コロンビア大学シカゴ校を最優秀の成績(3.97)で卒業した。ここから得られたのが次の教訓である。

正解が最初から明らかだとは限らない。

 振り返ってみると、私たちが絶対に間違った判断を下しているのではないかと恐れていたことが非常に多かった。正しい答えが私に危険信号を送ってきたことも多かったが、それは我々が正しい答えを見つけるために恐ろしいアイデアを掘り下げているときに限られていた。

 この教訓は簡単にマジックのデザインに適用できる。その一例として、ブライアン・ティンスマン/Brian Tinsmanが私に、初めて賛美メカニズム(あなたがコントロールしているクリーチャー1体が単独で攻撃するたび、ターン終了時まで、そのクリーチャーは+1/+1の修整を受ける。)を提案してきたときのことを覚えている。私は全く確信が持てなかったが、ブライアンが興奮していたのでプレイテストすることにした。そのプレイテストの結果、私はブライアンの元を訪れて言ったのだ。「すまなかった。これは本当にいいメカニズムだ。」もし試していなければ、私はこの教訓に到ることはなかっただろう。

 マジックのデザインは常に新しい空間を掘り下げている。つまり、我々は未体験のことを試すことになる。それらのデザインは、異質あるいは不自然だと感じられることがある。それらは意図的に禁じたことを無視していることがある。ピッチ・カードは、タップアウト状態では呪文を唱えることはできないという規則を破っていた。分割カードは通常のカードとは見た目が違っていた。混成マナは何の意味があるのかわからなかった。両面カードには裏面がなかった。物事のあるべきだと思う姿になじまないものを却下するのには理由があるが、正しい方向性はすぐに明らかになるとは限らないという考えを、人生においてもマジックのデザインにおいても受け入れるべきなのだ。

学び続けよう

 本日はここまで。個人的な記事を書くのにこれだけ間が空いてしまったことを残念に思っている。これらの記事をもっと読みたい(あるいは読みたくない)なら、どうか教えてほしい。いつもの通り、諸君からの反響を楽しみにしている。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、私がデザインのAからZまでを語っていく日にお会いしよう。

 その日まで、あなたがあなた自身の人生の教訓を得られますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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