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プロツアー『ファイレクシア』

インタビュー

伝説のプレイヤーの伝説の勝利

Corbin Hosler

 

 日曜日の舞台は濃密だった。試合は放送用カメラ、カメラマン、ジャッジ、集まったメディア関係者、プロツアー・ファイレクシアの敗退者、そしてオンライン配信を追いかける何千人ものファンに囲まれていた。2週間におよぶ調整が、日曜日のプレイヤーたちが注目の中心となる鋭さを与え、かつてのイベントと呼応するような光景となった。

 これこそが、最高に栄誉あるプロツアーだ。

 このフォーマットの一部始終を学んできた1年間が報われたのだ。決勝戦は、本領を発揮したこのゲームの伝説的プレイヤーと、このイベントでブレイクを果たしたプレイヤーの戦いとなった。両者ともに入念に調整に取り組み、トロフィーを掲げるまであと1マッチとのところまで迫っていた。名高い「親和」が大量の《金属ガエル》、《マイアの処罰者》、《大霊堂の信奉者》、そしてアーティファクト・土地を並べアーティファクトの猛攻で先行するか、《ジャッカルの仔》《焦熱の火猫》がフル搭載され、「4枚挿し」ばかりの真のスライ流の60枚のバーンであるあるいは昔ながらの(この場合、単に「ながらの」というべきか)「レッド・デック・ウインズ」が勝利への道を切り開くか。

 時は2004年、若きリード・デューク/Reid Dukeは画面に釘付けになって、中村修平とピエール・カナーリ/ Pierre Canali が相まみえたプロツアー・コロンバスの優勝決定戦を観戦していた。

 デュークは何年もこのゲームに親しみ、兄のイアンと思い思いにゲームの試合を楽しんでいた。しかし、プロツアーの決勝戦を観ることはそれとは全く異なっており、デュークの後にも先にも何千人もの想像力をかき立ててきた夢に初めて心奪われたのだ。「なんで僕じゃないんだ?」という夢に。

 19年後、デュークはその問いの答えを見つけ、自分がそうなりえない理由など無いと知った。この物語は以下のように書き記すことができるだろうか。準々決勝では信じられない逆境から現マジック世界王者に逆転勝利を収め、彼は卓上を駆け抜け3勝0敗で決定的なマッチを支配し、プロツアー・ファイレクシアで優勝を飾ったのだ。

 リード・デュークはプロツアー王者だ。この時、観衆の歓声と大声は彼のためにあった。かつて2004年に彼が見たように。

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プロツアー・ファイレクシア王者、リード・デューク

 このふたつの瞬間の間の道のりには、デュークが求めうるほぼすべてが詰まっていた。
「reiderrabbit」として2011年のMagic Online Championshipに優勝する幸先の良いスタートを切る。もっともこのタイトルを掲げるまでに2度のグランプリトップ8を経験していたのだが。彼のテーブルトップマジックの成功は多くのコンテンツを世に送り出すキャリアとともにあった。この男は文字通りマジックをより上手くプレイするための本を執筆したのだが、このことは並行してイベントにおける入賞の数も増やすことになった。称賛の声は高まり、このゲームにおける彼の地位も向上した。デュークはチーム・シリーズの王者であり、プロツアートップ8を複数回経験したプレイヤーであり、ワールド・マジック・カップのキャプテンであり、そして「ジャンド」デッキの達人でもあった。彼はほぼ10年にわたり、競技プレイヤーとして他人の感情を分かち合い、優しさをかけてきた。そして、彼はマジックのトーナメントシーンを代表するプレイヤーの一人となった。

 彼はそのことを、そしてマジックの万神殿における自身の地位に満足している。彼のキャリアにおける決定的な栄誉は、2019年に史上3番目の得票率を得てマジックプロツアー殿堂入りを果たした時だ(同じく伝説の競技プレイヤーであるジョン・フィンケル/Jon Finkelとルイス・スコット=ヴァーガス/Luis Scott-Vargasのみが彼の上位だ)。5歳で初めてマジックのカードを手にした時から、10年以上もの間、23回のグランプリトップ8入賞と、6度の優勝までの全てが結実した。ここ数年、マジックのトップシーンが入れ替わる中、デュークは最前線に残り続け、このゲームの「長老」としての新たな役割を担い始め、マジックのトーナメントを勝つことと同じくらい、ゲームを教えることを受け入れてきた。

 しかし、彼が成し遂げてきたことすべて、そして何体の8/9の《タルモゴイフ》が彼の手によりアタックしたとしても、彼がプロツアーのカバレージに夢中になっていたティーンエイジャーから、このゲームで最も知られる人物の一人になるまでの傷ひとつない成長譚にはたった一つ足りないものがった。

 「プロツアー・コロンバスの決勝戦で修平対ピエールの試合を見た時、僕は初めてプロツアー王者になりたいと思うようになりました。彼らのデッキをコピーして地元のトーナメントでプレイもしました」とデュークは語った。「僕は人生でずっとマジックを愛してきましたし、自分を含めた誰もが組織化プレイに参加できると知ったときはとても感動しました。僕が成長してイベントのために旅するようになるまではまだしばらくの時間がかかりましたが、その時が始まりだったのです。最終的にイベントに足を向けるようになりましたが、グランプリ・ニュージャージー2004でプレイしたことは、ディズニーランドに行くよりも楽しかったことを覚えています」

 「郷愁」ー「集うこと」やテーブルトップのプレイ、そしてその他たくさんの思い出たちーがプロツアー・ファイレクシアの決定的なテーマだった。世界中のプレイヤーがこの古き良き伝統を再び始めたのだ。つまりプロツアー調整部屋(デュークによれば、イベントまでの一週間は彼のチームの誰かが「戻ってこれた」ことに対してどれだけ素晴らしいと感じているか口にするのが常だったという)から、デュークが準々決勝で劇的な逆転を演じた時の大歓声に至るまでの一連のできごと。彼の調整チームはガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassif、ルイス・スコット=ヴァーガス、セス・マンフィールド/Seth Manfield、マーティン・ジュザ/Martin Jůza、ローガン・ネトルズ/Logan Nettles、マイク・シグリスト/Mike Sigristたちであり、競技マジックの歴史の名士録だ。プロツアーという圧力鍋はデュークにとっては慣れ親しんだ空間だった。

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マジック世界選手権2013でのリード・デューク(右側)

 しかし、時間、距離、そして大局観が今日のリード・デュークをマジック世界選手権2013では「セレズニア・オーラ」を手にしつつ、惜しくも優勝に届かなかった歴戦の勇者とは異なるものにした。つまりプロツアー・ファイレクシアの決勝戦では倒さなければいけなかったこのデッキを、彼はその深い経験に基づき、爆発的な序盤の展開にライフを高い水準で維持することに重きを置いた。彼の決勝戦でのタイトなプレイが示していたのは、デュークはテーブルの反対側に座るデッキをよく知っているということだけではない。10年以上にわたり、最高峰のマジックで様々なデッキをプレイしてきたことで、競技プレイヤーとして成熟していたことをも示したのだ。

 プレッシャーから立ち直る力は、デュークのプロツアー・ファイレクシアでの活躍で共通して見せてきた特徴であり、準々決勝で現世界王者であるネイサン・ストイア/Nathan Steuer相手に最初の2ゲームを落としてしまったときにもっとも顕著に発揮した。そこでデュークはサイドボード後のゲームを準備するときに、数分間を自分を落ち着かせる時間として費やした。

 「このトーナメントは昔ながらのプロツアーのようだと思いました。ですが、この大会に臨むマインドセットこそがこれまでとの違いでした」とデュークは説明した。「僕の目標は楽しむこと、そして特定の結果を追い求めたり、期待しないことでした。そのおかげで落ち着いて、自分のベストを尽くすことができたのです」

 もちろん、その道のりは簡単なものだった訳ではない。「ネイサンに対する僕の序盤戦は失望するものでした。とくに、両試合ともによい立ち位置にいたと感じていましたから」デュークはさらにこう続けた。「ネイサンは今最も熱い偉大なプレイヤーです。正直なところ、『オーケー、彼はまたトーナメントで優勝するだろうし、僕はその道すがらの犠牲者の一人にすぎない』と考え始めていました。ありがたいことに、僕は落ち着いて集中することが得意なので、その思いをすっかり忘れてしまいました」

 

 これはマジックの最大の皮肉の一つであり、マジックの難しさの証左でもあるのだが、多くの殿堂顕彰者のキャリアには、プロツアーレベルでのイベントの優勝が含まれていないこともあるのだ。マジックでは通常、勝利は多くの敗北のもとに成り立つのだ。デューク自身、彼の12年前の最初のプロツアーは6連敗を喫したのだ。真にトロフィーを掲げる瞬間が価値あるものになるのは、たとえ最高の戦いをしたとしても、非常に希少なことだからだ。

 長年、あと一歩のところで涙を呑んできたデュークは、その絶望的な現実を覚悟できるよう鍛えられてきた。そして、最高峰での個人タイトルが欠けていることが彼の重荷になっていると、長年にわたり正直に吐露してきたのだ

 それは取り除かれ、デュークは自らに課した重荷から解放されたと感じている。世界選手権制覇が、まだ彼のキャリアのやりたいことリストに残っているのだが、デュークが20年前に低解像度のインターネット配信を見て初めて抱いた夢は、今や現実のものとなった。

 「これが僕のマジックにおける個別の最大の成果です」とかつての世界選手権準優勝者は朴訥と語った。「コンスタントに結果を出し、好成績を積み重ねることもそうですが、プロツアーで優勝することは特別です。『世界最高のプレイヤーたちが自分を倒そうと必死になっているときに優勝した』と言うことができるのですから。その意味は、たとえそれを追い求めていない人でも理解することができると思います。競技トーナメントの頂点なのですから」

 デュークは今、その頂点に立っている。そして、謙虚であり続けキャリアを築いてきた彼は、彼にふさわしい自信に満ちた振る舞いを見せることができ満足している。デュークがこの瞬間を迎えることを応援してきた人たちは喜びに沸いている。

@HueyJensen が担当する最初のPTで@ReidDuke が優勝。怪しいな…. :)
@MatthewLNass, @HueyJensen
このトーナメントの設計は数多くのMTGの試合をプレイするものでしたから、他の参加者よりも大きなアドバンテージを僕に与えてくれました

 

 あまりその立場に甘んじすぎてはいけない。

 「現実的には、このトーナメントは伝統的なプロツアーと同じだったので、僕には多くの経験があり、くつろげる場所でした」とデュークは笑いながら説明した。「ひとつのトーナメントがプレイヤーとしての自分を決めることもないし、突然自分が世界一のプレイヤーだという風に振る舞うつもりもありません。ですが、たまには冗談くらい言わせてくださいよ!」

 近年、競技プレイの場所や頻度が変わってきたとはいえ、テーブルトップの技術や友情は変わらずデュークの中にある。「僕はマジックのトーナメントシーンの一員でありたいと今でも思っていますし、出場するトーナメントでベストを尽くしたいと思っています。僕の最も重要な目標は、他社の模範となり、次世代のプレイヤーを手助けすることです」

 負けても謙虚に、勝っても謙虚に。次のイベントを見据えて。デュークのプロツアー・ファイレクシア優勝が、マジックの歴史に真に伝説的なプレイヤーの伝説的な瞬間として残り続ける理由がここにある。

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