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マジック:ザ・ギャザリング世界選手権2018

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2018年度プロツアー殿堂顕彰者のお知らせ

Brian David-Marshall

2018年9月21日

 

 今年度のマジック・プロツアー殿堂顕彰者に、2名が選出されることが決定された。彼らは今年後半にアトランタで開催されるプロツアー『ラヴニカのギルド』で行われる顕彰式に向けて着飾ることになるだろう。

セス・マンフィールド/Seth Manfield

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 セス・マンフィールドは彼の実力が頂点にある今、殿堂に顕彰されることになる。セスは昨年度の投票対象にも入っていたが、その後プロツアー『イクサラン』の優勝をもって4度目のプロツアー・トップ8を成し遂げ、すでに2015年の世界選手権を優勝していた実績を含め、今年はついに最有力候補の一人となっていた。

「僕が殿堂入りするって初めて知ったときは、腰が抜けるくらい驚いたよ」と、彼は世界選手権の準備をしながら答えた。「これは、プロツアーでプレイできることになってからずっと目指していたことなんだ。長年の夢であると同時に、ひとつの目標だったんだ。今年投票対象に入っていることを知っていて、さらにそこに強い結果を加えることができたから、投票を検討してもらえるとは思ってたけどね」

 マンフィールドは、コレクションの側面と戦略的な側面の両方から、極めて若い時期からマジックに関わってきた。このゲームを始めたのはわずか8歳のときだったが、彼はこの戦略的なゲームが自分の中に強く働きかけてきていることに気づいていたのだ。

「僕の父は同じく戦略的なゲームであるブリッジの世界チャンピオンで、僕の中にはそういうDNAがあったんだ」と、二世代目の世界王者は言う。「マジックはとてつもなく複雑だから、今でもルールが完全にどうなっているかはわかってないんだ。僕がまだプレイしていなかったころのカードもそうだし、いまだにバンドがどう働くかも知らないしね。それでも、僕が常に学んで成長し続けられるゲームなんだ。この複雑なゲームのいろいろな側面が、僕を惹きつけて離さないんだ」

 彼がプロツアー予選を初めて勝ったときには、まだ若すぎたために日本で行われるプリツアーに旅行することができなかったが、その直後に参加したジュニア・スーパーシリーズで優勝。その後、彼が16歳のとき、グランプリ・デイトナビーチの決勝で他の若いブリッジプレイヤーを破り、ついにその名前を轟かせるに至った。

「最高の相手と競い合えるという実感を初めて得たイベントが、あの優勝したグランプリ・デイトナビーチだったんだ」とマンフィールドは思い出す。「当時、たった16歳だった自分が、決勝でスター選手のパウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサ/Paulo Vitor Damo da Rosaと戦うことになったんだ。トップ・プロたちのいるグランプリで優勝できるなら、もうできないことなんてないと思ったよ」

 セス・マンフィールドは、この週末ラスベガスで、世界最高のプレイヤーたちの1人として、そして2度目の世界王者の座に挑戦している。日本の生放送チームのインタビューに答えて、彼の競技人生の始まりで影響を受けた、こちらも殿堂顕彰者であるプレイヤーについてこう言った。

「自分がプレイし始めた頃に、『この人ヤバい』って思ったのは津村健志だったね。彼がプロツアーのトップ8で結果を残していくのを見るのが、特別な経験となったんだ。地元のお店で、アレックス・マジャラトン/Alex Majlatonのようなプロ――今もまだ一緒にプレイするけどね――とプレイしていたのも、自分の成長を見る上では有効だったね。これもまた特別な経験だった」

 ついに殿堂に招かれ、津村と同じ空気を吸う身になったマンフィールドは少し目眩を覚えていた。

「感傷に浸ってるのかもしれないね。世界選手権で優勝したとき、皆は僕を世界王者として見るようになったけど、これは僕にとって有意義なことだったんだ。状況によっては、その時プロポイントがどれだけあるかよりも大事なときすらあるんだ。プレイヤーの仲間から尊敬され、殿堂の投票をもらえることにつながるんだ。もうとんでもないことだね。ここに来るまで人生を少なからず費やしてきて、まだプレイヤーとして自分の最高のところにいるわけだから、表彰されるってのは少し奇妙な感じもするね」

 マンフィールドはまだその歩みを緩めるつもりはない。彼の最新のプロツアートップ8は今シーズン最初のプロツアー『イクサラン』優勝であり、そして今シーズンをプレイヤー・オブ・ザー・イヤーの同率首位(最終的なタイトルの行方はプレイオフに委ねられるだろう)で締めくくった。今シーズンも複数のグランプリでトップ8を達成し、キャリア通算で5回の優勝を含めて16回にまでなったのだ。

「僕はまだまだ成長しているし、このゲームに関して新しいことを学び続けてるんだ。これはマジック・プレイヤーとしての旅路の大きな一歩で、それはまだまだ終わりなんかしないんだ。引退するような人間じゃない。ここまで来れるとは思ってなかったけど、まだまだやりたいことはあるんだ。殿堂に選ばれるためには、いろいろな物事を達成していかなきゃいけない。それは1年や2年でどうにかなるものじゃない、キャリア通算のことで、もっと言えばマジックをプレイしている人生全部のことなんだ」

 マンフィールドはアトランタの開会式に際して行われる表彰式でスピーチすることになるが、現時点で彼は数人について話すつもりでいるようだ。

「まず第一に、家族にお礼を言うだろうね。特に母、メラニー・マンフィールド/Melanie Manfieldは、最初に権利を勝ち取った日本でのプロツアーへの旅行はさせてくれなかったけど、同じころのジュニア・スーパーシリーズやグランプリには協力してくれたし、僕のキャリアを支えてくれたんだ。そして、僕の人生に大きな影響を与えていた人たち――娘のイヴ/Eve、ガールフレンドのジェニファー・コール/Jennifer Cole、そして私が見て進化するきっかけを与えてくれたプレイヤーたち――がいるということは、僕が自分のためだけに生きてきているのではなく、友人や家族のために生きてきたということなんだ」

リー・シー・ティエン/Lee, Shi Tian

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 香港のリー・シー・ティエンはアジア太平洋地域で、初めて日本人以外の殿堂顕彰者となる。彼は投票対象の資格を得た初年度であったため、特に結果を聞くまではプレッシャーを感じていたかもしれない。彼はプロツアーで5回のトップ8を達成し、またコミュニティに多大な貢献をしていたため、彼は鮮烈な登場をした候補者だと見られていたが、彼自身は何らかの期待をしないようにしていた。実際、彼はこの週末の発表でスコット・ララビー/Scott Larabeeから電話を受けるまで、投票の結果を予測できていなかったのだ。

「確かに私はアジア太平洋地域で初めて有力な候補者に見られていただろうけど、それでも実際に殿堂に選ばれると予想するのは簡単ではなかったんだ」とリーは言う。「世界選手権の放送を見ながら、ずっと固唾を飲んで待っていたんだ。でも、自分のことについては考えないようにしていて、スコットから電話があったときはちょうど昼食を取っていたんだ。彼は会話の最初にお祝いを言ってくれたので、そこで『よっしゃ!!』って叫びたかったんだけど、レストランには他にたくさんの人がいたからできなかったんだ。なんとか自分を落ち着けてお昼ご飯を終えて、その後自分自身への祝杯を準備したんだ」

 マンフィールドと同じく、リー・シー・ティエンの殿堂への道をマジックのキャリアを通じて見てみよう。

「マジック・プレイヤーにとって、殿堂に顕彰されるというのは到達しうる最高のゴールだよ。プロを目指し始めた最初の日から、タスクリストにずっと残っていたんだ。マジックプレイヤーの目標はどんどん貪欲になるものだよ。最初はプロツアーでプレイすることだけが目標で、そして、プロツアーでコンスタントにプレイすることを目指して、そしてトップ8を目指し、トップ8の常連になることを目指し、そしてついには殿堂を目指すんだ。そして、今ここに至った。私は成し遂げたんだ」

 リーは『オデッセイ』のころ、他のカードゲームをプレイしていた店で、店員の紹介によりマジックと出会ってプレイを始めた。

「私は早いうちにドラフトに魅了され、週に何度もドラフトを始めたんだ」と、海外に行くまでプロの場に上がらなかったリーは思い返す。

「ギルドフォードに交換留学生として行ったとき、ヨーロッパのグランプリに何度か参加する機会があった。そしてグランプリ・バーミンガムで優勝して、ついにプロツアーの場に足を踏み入れたんだ」

 リーが大きな進歩を遂げたのはプロツアー『ラヴニカへの回帰』で、彼がその後達人として知られるモダンで行われた。彼がその後トップ8に進出した4つのプロツアーのうち、2つまでもがモダンで行われているのだ。

 彼のキャリアの早い段階である、2006年の世界選手権のトップ8における、後に殿堂顕彰者同士となる2人の対戦を見て、彼は貴重な教訓を学んだのだった。

「これはめったに話さないことだけど、それは僕が初めて見た競技イベントのビデオ・カバレージだった」と彼は回想する。「三原槙仁とパウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサの対戦で、当時カジュアルプレイヤーに過ぎなかった僕は三原に勝って欲しかった。しかし彼はミスを犯し、1マナ足りなくなってしまった。だが、そこで彼は《撤廃》を唱え、3枚目の《炎の儀式》を引き当てたんだ。それを見てからというもの、僕はコンボデッキに夢中になった。そして、三原のプレイから非常に大事な教訓、『決して諦めない』ことを学んだ」

 リーの素晴らしい実績の始まりはプロツアー『ラヴニカへの回帰』トップ8だったが、彼が最終的にプロツアーに残り続けることになったのはプロツアー『タルキール覇王譚』だった。ちょうど彼の地元香港が政治的に難しい状況にあったときであり、彼が日曜のステージに地元を代表して立てたことは、彼自身にとっても大きなことであった。

「マッチ勝利につながるような、とんでもないトップデッキがいくつかあった。自分の地元で厳しい時間を過ごして、プロツアーのトップ8に到達しようとしていたんだ。自分の地元を代表して、そして自分自身の力をより高い次元で証明したかった」

 殿堂についての議論で、彼のコミュニティにおける献身はその資格の傍証となった。トップ8が5回では不足だという人も、彼のチームメイトがリーの勝利に喜びの涙を浮かべたということが、彼が誇りに思われていることを意味していることは理解していたのだ。

「クリスティアン・カルカノ/Christian Calcanoからヤン・ウィンチャン/Yam Wing Chung、そしてハビエル・ドミンゲス/Javier Dominguezに至るまで、人々が喜びの涙を浮かべることは常にあらゆる努力に対する最高の報酬だ」とリーは誇らしげに言う。「10か国以上から集まったテストチームを成功に導いたことが、僕のマジック人生における最大の成果だね」

 そのチームのメンバーは、彼が11月の表彰式で感謝を述べるであろう相手であり、今彼の心の中に浮かんでいるのだ。

「チーム『MTG Mint Card』の初期メンバーである、シム・チャップマン/Chapman Sim、ファン・ハオシャン/Huang Hao-shan、そしてクオ・ツーチン/Kuo Tzu Chingには特に礼を言いたいね。私たちはチームを何もないところから始めた。彼らがいなかったら今日の私はないんだ。同様に、齋藤友晴にも礼を言うべきだね。彼の力なくしてはこのチームは成り立たなかった」

 

 改めて、2018年度の殿堂顕彰者に選ばれたセス・マンフィールドとリー・シー・ティエンの両方に祝いの言葉を述べよう。次のシーズンの最初であるプロツアー『ラヴニカのギルド』で、彼らに対する顕彰式が行われる。

(Tr. Keiichi Kawazoe)

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RESULTS

対戦結果 順位
最終
14 14
13 13
12 12
11 11
10 10
9 9
8 8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1

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