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日本選手権2018

インタビュー

「英雄譚」:ゴールドレベル・プロ、原根 健太~「新世代」の英雄~

Moriyasu Genki

 「新世代」プレイヤー代表、原根 健太。

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 本格的にマジックを始めてから数か月後のグランプリ・京都2015にて3位入賞。

 つづく2016、2017年でもグランプリ・トップ8入賞。

 昨年のプロツアー『破滅の刻』では12位という成績を残し、プレイヤー歴3年目にしてゴールドレベル・プロとなった。

 「破竹の勢い」という言葉は彼の為にあるのか。

 6年振りの開催となった昨年の日本選手権2017では、八十岡 翔太との決勝戦を制して優勝を果たした。

 その八十岡 翔太、そしてキャプテン・渡辺 雄也と組んだワールド・マジック・カップ2017でも優勝をもぎとった。

 マジックを始めてから、わずか3年。

 そこから1年が経った今でも、たった4年。

 濃密かつ黄金色に輝く戦績を刻んだ英雄が、その「想い」を口にした――

Ⅰ「世界大会」制度の整うマジックとの出会い

 原根がマジックを始めたのは2014年9月の『タルキール覇王譚』のころ。25歳のときだった。

原根「それまでは別のゲームを、タイトルを変えながらちょくちょくやってました」

 そのなかでマジックに目をつけたのは、世界大会へのアプローチという競技目線のものだった。

原根「『世界大会』のあるゲームで遊んでみたいと思って、世界大会のあるタイトルを選んでました。そのときに遊んでたゲームで『日本一』のタイトルをとれたんですけど、遊んでたゲームは、なんというか世界大会に関しては門が狭かったんです。1年に1回だけチャンスがあって、そこで全勝しないと出られないというもので、機会の少なさもあって、なかなか勝てなくて。長いことプレイしていたんですが、マジックは世界大会出場のチャンスが多いと聞いて始めました。それまでも(マジックに)興味はあったんですが、始めるとっかかりが難しくて、という感じでしたね。『タルキール覇王譚』のころになって周りの友達も始めるよということで、みんなで始めたというわけです」

 最初から世界大会(プロツアー)を意識して、マジックに参入した原根。志を共にする友人たちもいた。

Ⅱ 友人と始めた。そして、戦友ができた。

原根「マジックを始めてからは、楽しくて楽しくて。世界大会、具体的にはプロツアーの出場に向けて、グランプリなどの大きい大会に向けて練習も始めました」

原根「そしてちょうど開催予定だったグランプリ・静岡2015が、リミテッド・フォーマットだったんですね。リミテッドって、いろんなカードゲームのなかでもちゃんとやれるのがマジックくらいしかないのかなと思って、それがすごい新鮮で、ハマりましたね。練習期間が3か月くらいあったんですけど、シールドもドラフトもしこたまやりました」

原根「泊まり込みの練習も3回くらいやって。そのときは、本当に凄い楽しかったですね。カジュアルプレイですけど、10人くらいでドラフトして……この期間は、マジックやってきたなかでも三本指に入るくらい楽しかったです」

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 それまでとても流暢に、鮮明に質問に答えてくれていた原根であったが、カジュアルに楽しんでいた頃と、今プロプレイヤーとして活動しているスタンスと、明確に切り替えたきっかけを聞くと、少し間を取って考えこんだ……

原根「……明確に切り替わったのは、やはりスポンサーがついたタイミングからかもしれないですね。それまでは周りの友達と遊んでいたんですけど、スポンサーがついてから他のプロ・プレイヤーたちとも接する機会が増えて。彼らが戦ってる競技シーンに対して、自分も力を入れていきたいなと。そこから段々と競技に注力し始めたのかな、というイメージがあります」

原根「周りの友達は、プロツアーには行ってみたいけど、それだけのためにマジックをしているわけではなかったので、もしかしたら空気感に違いを感じていたのかもしれないです。競技シーンの人たちと接して、彼らとの空気感が合ったという感じですね」

 マジックをともに始める友人がいた。

 マジックを始めて、戦友ができた。

 原根を語る上で、この「コミュニティ」という概念は切っても切り離せないものだろう。

Ⅲ 真に「若き」プレイヤーたちのために

 原根の名は、彼自身が参加する大会ではもちろん、「彼を慕うプレイヤー」が参加する大会でも頻繁に耳にするようになっていった。

 先日のグランプリ千葉2018で取材したマジックよ!彼らが若き世代だ!「チーム宇都宮・岡井・吉野」インタビューの際にも、「原根さんが始めたので、マジックを始めた」「始めてからもとても良く(支援)してくれる」という話が宇都宮や岡井らから出ていた。

 そうした「後続プレイヤーたちへのサポート」の実行には、ある想いがあった。

原根「明確に、考えていることがあって。自分が競技シーンのプレイヤーたちと関わったときに、僕が『若手』って呼ばれたんですね。でもその時点で25、26歳だった僕自身は全然そんなことないと思ったんです。この年で『若手』って呼ばれるのって、おかしいっていうか、変だなって。」

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 この、楽しくも激しい「マジック」の競技シーンが続くためには、若い血潮の参入は必須だ。

 原根は他のタイトルから移ってきたことで、より客観的にその課題を受け止めていた。

原根「学生のようなもっと若いプレイヤーたちにマジックを遊んでほしいですね。僕自身、マジックを始めたのが遅いという自覚があって、後悔があるので。特に『始めるきっかけ』をつかむのが難しかったのがあって、自分が手助けしてあげて、マジック自体や競技シーンというフィールドに上がるのを支援したいなと思ってます」

原根「あと、そういう人たちが勝ってくれるのは嬉しいですね。やりがいを感じます。2週間前のRPTQ(プロツアー地域予選)でも、自分はそれには出ないんですけど、宇都宮とかが出るということで、デッキを教えられたらそれも良いかなと思って時間を作り、スタンダードの練習をしてました。ただ、後続のプレイヤーたちにいろいろ声をかけたりしてるなかで、1つ気になることがあって……」

 原根は、彼が支援するプレイヤーたちに共通しやすいという「課題」を憂いていた。

原根「『勝ちたい』という気持ちが強すぎて、負けたときの跳ね返りにやられてしまって『こんなに練習したのにダメだった』と挫折する姿を見るのが一番しんどくて。僕もそういう時期があったので、良く分かるんですよね。そこに対して『考えすぎるな』じゃないですけど、『まだ自分には伸びしろがあるんだ』と思ってほしいですね」

原根「今輝いてるプレイヤーたちも、過去を振り返れば絶対にそういう時期はあったんだから、プレイし続けるということに重きを置いて、挑戦を続けてほしいですね。このゲーム、どんなに上手いプレイヤーでも勝率7割って言われていて、特定の大会で絶対に10割勝てることなんてないんです。この7割を繰り返せばいつか勝てるんだから、繰り返し挑戦し続けるというのを大切にしてほしいですね」


 「新世代」の英雄としての活躍を続ける原根は、新たな若き英雄の擁立を願う導師(メンター)でもあった。

 この「新世代」という表現は、彼自身のこと以上に、彼を慕う若い世代たちにとっての英雄、という側面を強く持ちそうだ。

 友がいて、戦友がいて、慕う者たちがいる限り、原根は今後も彼らにとっての英雄であり続ける。

 彼のこれからのことが記される新しい「英雄譚」には、何篇もの言葉、何人ものプレイヤーの想いが今後加わってゆくことだろう。

 今回のインタビューは、そのたった1ページだ。

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RESULTS

対戦結果 順位
最終
13 13
12 12
11 11
10 10
9 9
8 8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1

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