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Magic Story -未踏世界の物語-

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破滅の刻

Ken Troop / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2017年7月26日

原文はこちら

前回の物語不屈

 ゲートウォッチはアモンケット次元を襲った圧倒的な破壊に激怒し、ニコル・ボーラスと対峙してその多元宇宙に跨る残虐行為へ正義をもたらそうとする。しかし、ニコル・ボーラスには自身の計画があった。



《滅び》(Hour of Devastation Invocations 版) アート:Zack Stella

 ニコル・ボーラスは英雄達へ向かって飛んだ、誰かを殺したくてたまらない英雄達へと。

 もしくは死か、悲鳴か、血を得られるだろうか。あるいは何かそれ以上のものを。

 両方までは望んでいなかった。全てを手に入れることはできない、ニコル・ボーラスであっても。彼は強欲ではなかった。強欲とは不相応なものを求めることを暗に意味する。

 ニコル・ボーラスが求めるものは全て、完全に相応しいものだった。


《差し迫る破滅/Imminent Doom(HOU)》 アート:Daniel Ljunggren

 数十年前に彼はアモンケット次元を訪れた。誰も言及せず、誰も注意を払わないような、枯れかけて迷信深い日陰の世界。彼は備えた――何層にも積み重ねて。どのみちすぐに終わる惨めな生命、それが多少早まるだけに過ぎなかった。少々手荒になるだけに過ぎなかった。

 通常であれば、そのような骨折りをする意義などなかった。とはいえ......全力であった頃ならば、数十年は一瞬に等しく、自ら神性を振るうことができた。だが当時の彼は既に現在と同じ、ただ一柱の神の影のそのまた影に過ぎず、数十年すら永遠に等しく思えた。

 失ったあらゆるものに思いを巡らすと、胸に燃える憎悪の残り火が煽られて輝いた。輝く炎は心地良いものに思えた。憎悪は正しい感情に思えた。さあ、始めようではないか。

 彼は崩壊した広場の中央へと降下していった。瓦礫と死骸が、倒れた彫像とひび割れたオベリスクを彩っていた。広場の隅には五人のプレインズウォーカーが彼へ向かって並び立ち、その小さな顔には厳めしい決意があった。ボーラスは彼らを深く知っていた。それぞれを偵察し、研究し、分析し、分類していた。紅蓮術士チャンドラ・ナラー。屍術士リリアナ・ヴェス。テレパスにして眩惑士ジェイス・ベレレン。精霊術士ニッサ・レヴェイン。難攻不落の闘士ギデオン・ジュラ。

 彼らは自分達を「ゲートウォッチ」と自惚れていた。まるで何か奇妙な理由で、多元宇宙のそこかしこに門が散在しているかのように。それは観察に値した。

 英雄か。そなたら各人に幸あれ。

 巨大な翼に煽られ、黄色の塵が宙に立ちこめた。彼はチャンドラの瞳がわずかに見開かれたのを見た。どうやら、ニコル・ボーラスの巨大さを初めて認識したらしかった。その純真さが面白かった。そして初めてではなかったが、この英雄たちは自分が戦うに相応しいのだろうかと訝しんだ。

 問題ではない。必要とあらば、戦う者は他にもいる。

 小さな狼狽が彼の心を刺した。注意深くだがしつこく、ジェイスが探りを入れていた。そうか、親愛なる少年よ、足がかりを見つけるがよい。ボーラスは無言で哀れみを抱いた。そして穏やかな衝撃とともに着地し、翼は最後に一つ羽ばたかせて畳んだ。飛ぶために翼を必要としなくなって久しかったが、その感触を、全開にした時の威厳とその誇示を気に入っていた。

 彼は空へと顔を上げて咆哮した。しわがれた叫びは建物と小さきものの心臓を震わせた。その咆哮は永遠とも思える時の、無数の捕食者の叫びをこだまさせた。もはや沈黙の必要などない捕食者の。自身があまりにドラゴンらしくあることは大して役に立たないとはわかっていたが、あまりにドラゴンらしくないこともまた楽しくはなかった。

 プレインズウォーカー五人は彼を取り囲み、ためらいがちに立っていた。精神を周囲に伸ばすと、ジェイスが指揮する精神的伝達の波を察知した。望むならばそれを傍受できたが、彼らがどのような計画に至ったかを見る方が楽しかろうと考えた。そして彼らの躊躇や遅々とした動きから、自分は失望させられるだろうという確信を深めた。

 ふむ、彼らには作戦があるのだろう。一つの作戦、寛大にも、そのドラゴンを殺すことを中心とするであろう作戦が。ふむ、炎で、ゾンビで、精霊で、幻影で、身体で。それらは全て、十分な柔軟性を与えられたなら、作戦となる。そしてそういった力量を用いた計画は、これまでの逸脱行為においてはよく機能していた。ニコル・ボーラスは能率を尊ぶ。多元宇宙はとても都合の良いことに、愚か者を生かし続けようと企む。ならばあえて賢くある必要などない。

 チャンドラとニッサはそれぞれ別方向へ旋回するように歩きだした。うむ、確かな戦術だ。拍手されていると知ったなら彼女らの心はどれほど挫けるだろうか。無論、比喩的にだが。鉤爪を叩いたとしても良い音は鳴らない。

 初めてではなかったが、彼はこのプレインズウォーカー達がいかにしてここまで生き続けてこられたかに驚嘆した。このプレインズウォーカー達は、ゲートウォッチは、文明化した、牙を失った世代の子供らなのだ。待ち受ける危険を、自分達を殺そうと待ち受ける危険を......もしくは更に悪いものを知るよしもない。真の力を持たぬこと自体が、いかにしてか彼らを死の可能性からこれまで守ってきた。もしくは真の力がどのようなものを知らぬがゆえに。彼らのうちリリアナ以外は、真の力の味を知らぬのだ。

 ニコル・ボーラスは舌なめずりをした。それは純粋に効果のためだったが、大して必要でないというわけでもなかった。

 このプレインズウォーカーらが辿ってきた、幸運な人生。だが幸運な人生の問題は、ニコル・ボーラスがよく知る通り、いずれ運は尽きるということだった。悪運が訪れ、魅力は尽きる。そういった不幸と不運のさなかには、申し分なく準備された極めて慎重な一つの作戦が役に立つ。複数あればなおのこと。理想を言えば複数以上、だが聡明なエルダー・ドラゴンの大魔導師にしてプレインズウォーカーでもない限り、複数あればそれでよい。

 もしくは一つ。ただ一つの作戦を。戦術にせよ戦略にせよ、非凡な情報が一片でもあれば、ニコル・ボーラスに彼らの未来に期待を持てたかもしれない。だが作戦は彼らの顔に書かれていた。その狭められた目に、緊張した筋肉に、高まりつつあるテレパス会話のさざ波に。

 彼らはドラゴンを殺すことを選択した。ある点において、ボーラスは同意できた。単純な計画はしばしば過小評価される、特に賢い者からは。実に頻繁に、賢い者が複雑すぎる作戦を用いようとして戦いに敗北してきた。達人が用いる単純な作戦は、しばしば破壊的なものとなった。

 だが単純な者が絶望的な最終手段として用いる単純な作戦は? そのような方法をとった結果をこれから示してやろうではないか。手に入れるのは血かそれよりも良いものか、どちらにせよ彼は始めたがっていた。



《破滅の刻/Hour of Devastation(HOU)》  アート:Simon Dominic

ジェイス

 ドラゴンは穏やかに広場へと着地し、ジェイスは怖れた。

 この日何一つとして、計画通りに進んでいなかった。多すぎる怪物、多すぎる死、守れなかった生命も多すぎた。力の限りに救おうと試みたが、雷雲に逆らう羽虫に等しかった。これほど多くの死を目にしたのは初めてだった。

 彼は内なる虚無を感じた。終わりのない苦痛と悲嘆に屈服させられ、心は鈍った。しばし、映像が思い出された。泣き叫ぶ子供、背後に迫る殺戮から無益に逃げ惑う人々、絶え間ない羽音......やめろ。彼はその映像を遮断した。終えねばならない使命がある。

 だが今、それは使命以上のものだった。ジェイスはギデオンへと現実的な計画を勧めていた、備えなしにニコル・ボーラスに接敵しないようにと。だがギデオンは急かした。すぐにでもあのドラゴンと対峙するように主張するその言葉には、生々しい苦痛が満ちていた。

「この行い全ての報いを受けてもらおう。受けさせる」 ジェイスが懸念したのは最後に彼が言ったその言葉だった。だがギデオンに反対はしなかった。誰も、リリアナですら反対しなかった。誰もが空虚に、その殺戮の中に、子供達の悲鳴の中に目的を求めていた。正義を求めていた。

 どこかに正義は存在しなければならない。未だそれを見いだせないアモンケットに。

『本気か?』 最後に一度、ジェイスはギデオンへと尋ねた。もっと良い作戦があることを願って。

『全力で当たる。そして倒す』 ギデオンが思考を返した。ギデオンの意識の下層流にこれほどの怒りを感じたことはなかった、普段通りの不屈の決意に包まれたそれを。ジェイスはその流れに押し流され、信じようとした。自分達は今日、勝てるかもしれないと。

 そして始まった。ギデオンは黄金色の力場を揺らめかせて突撃し、その隙にチャンドラは炎の塊を放った。ニッサに応えて若木が地面から弾け、根と蔓がよじれ合わさってドラゴンの脚に絡んだ。リリアナは死者を起こしはじめた。この日の殺戮で、材料には事欠かなかった。

 ジェイスはニコル・ボーラスへと精神攻撃を試みた。

 ドラゴンの精神を取り囲む壁は黒曜石のように滑らかで一様だった。入口は、手がかりになるようなものはないように思われた。ここまで見通せない精神に遭遇したことはなかった、ただ......? 記憶のごく小さな一片。水晶の壁のように滑らかで目がくらむような、とある精神の表面......だがその思考が心に入りこむと、それは自然と消えた。何処でそのようなものを見たのか――もしくはそれが一体何だったのか、彼は思い出せなかった。

 何だ......? ジェイスは圧倒されかかった突然の衝動を振り払った。それはボーラスから来たのではなく、彼自身の内からだった。俺は何を考えていた? だが思い出せなかった。ジェイスはボーラスの精神に空しく手がかりを探すも、それは固く閉ざされて目の前にそびえていた。

 友人達も同じく、上手くやれてはいなかった。

 ニコル・ボーラスの尾が稲妻の素早さで打ちつけられ、その先端がギデオンと難攻不落の盾を、ベイロスが突進する勢いで叩きつけた。ギデオンは広場の片側沿い、分厚い煉瓦の壁まで叩き飛ばされた。その盾によって無傷ではあったが、球が棒で打たれるようにボーラスの尾に続けざまに叩きつけられ、それ以上のことはできなかった。衝撃に煉瓦が舞い、砕けた。

 ギデオンよりも先に壁が崩れる可能性があったが、どちらもしばらくは持ちこたえそうだった。

 ボーラスはチャンドラの炎を無視し、リリアナの死者を踏み潰し、ニッサの蔓を千切った。彼女らへ攻撃しようという動きは見せず、ただ無力なギデオンを壁に繰り返し叩きつけていた。彼はジェイスを見つめ、そのテレパスが試みようとしていることを、そしてそれが上手くいっていないと知った。

 声がジェイスの心に響き渡った、それは雪崩のような危うさをもって、彼の幾つかの防御をたやすく切り刻んだ。『瞬きほどの時しか生きていないおぬしが、そのほんの僅かな才能で我が心に触れられるなどと思うのか? そして我を傲慢と言うか』 辛辣なその笑い声に、ジェイスの心は怯えた。

 ボーラスがこれほど容易に自身の外壁を貫通したことに驚き、彼は半狂乱で更に堅固な精神的防御を築こうともがいた。だがあるいは、その傲慢さの中に、ドラゴンの過ちがあるかもしれない。ボーラスは痕跡を残していた、ジェイスの精神と繋がる糸のようなものを。あるいは、これが必要とした手がかりかもしれない。

 彼はその痕跡を追った。必死に突破口を求めて、友を救うために。

 思った通りだ! 彼は他には特徴のない黒曜石の盾に、小さなひび割れを発見した。彼はそれを広げようと集中した、ただ必要なのは......

『求めよ、少年。されば招かれん』 その一語一語が、山から崩れ落ちる巨岩のようだった。

 黒曜石の盾は消え、ジェイスは唐突にニコル・ボーラスの心へと落下した。それを待っていたドラゴンは笑みを浮かべた。

 突き放そうとするジェイスの精神を、ニコル・ボーラスは掌握した。あまりに容易くボーラスの策略に落ちたことに青ざめながら、彼は激しい苦痛にうずくまった。何とかしなければ。まだこの罠から逃げられる、ただもう少し時間があれば、数秒、ほんの数秒あれば......

『その数秒はない』 ボーラスが心の内へと囁いた。『多元宇宙は愚か者を長く生かしてはおかぬ。有用な教訓となろう、生き延びられるのであれば』 ドラゴンはジェイスの心を乱暴に掌握したまま、握り潰した。

 神経繊維が砕けた。苦痛が弾けた。狂気が手招いた。遠くに暗黒の波が立ち上がった。その直撃は崩壊を、精神の死を意味した。無意識に、彼はやみくもに次元渡りを開始した。行き先はわからず、気にもしなかった。その暗黒から逃げねばならなかった。

 暗黒の波に打たれた瞬間、自身が久遠の闇へ引かれたのを感じた。そして、何もわからなくなった。


《ジェイスの敗北/Jace's Defeat(HOU)》 アート:Kieran Yanner

リリアナ

 一瞬前にジェイスがいた無人の空間を、リリアナは衝撃とともに見つめた。ボーラスとの戦いは恐れていた通りに惨事となった。彼が苦悶の悲鳴を上げていた間も、リリアナはまだジェイスには何か作戦があることを願っていた。それはよく知る悲鳴だった――死に向かう者の悲鳴。終わりを拒む命の、原初の悲鳴。

 リリアナは震えた。あの子は死んでなんかいない。終わる前に逃げた。私は見たもの。あの子は生きている。

「今のがおぬしが執心する精神魔術の達人だったか? 代わりはおるのか? しばし待とうか、それとも名を呼びあいたいのであれば、聞かずにいることを約束しよう」 のらりくらりとした言葉が広場に轟き、それを遮るのはギデオンが壁に叩きつけられる衝突音だけだった。

 リリアナは内心で怒り狂った。ニコル・ボーラスと戦うのは酷い考えだとわかっていた。そしてこの次元の滅びゆく民を救おうという見当違いの介入と注意散漫が全て、ただ彼女の確信を深めるだけだった。消耗し、動揺し、ボーラスのような強大なプレインズウォーカーと対峙できる状態ではなかった。ラザケシュを倒すための策略として、彼らに一線を越えさせていなかったのであれば、既に自分だけで離れていたかもしれない。留まるべきか見捨てるべきか、彼女は数度悩んだ。だが今後の有用性を感じ、留まることを選んでいた。

 その選択は誤りだったのかもしれない。

 だが怒りの理由はそれだけではなかった。以前、イニストラードにて、彼女はジェイスへの感情を、愛玩犬へのそれに例えた。あの子は悩んだ、意図した通りに。

 リリアナは飼い犬らを気にかけていた。自分の所有物を勝手に玩ぶ者は誰であろうと致命的な選択をしたことを意味する。彼女はボーラスに、その愚行の報いを示してやりたいと渇望した。

『ならば我等を使え。全力を解き放て』 腰に下げた鎖のヴェールが囁いた。

『この戦いに勝てると思うほど君は愚かではないだろう』 そして鴉の男が。

 そして、これこそが怒りの最大の理由だったかもしれない。自分の心は自分のものでなければならなかった。

 もしボーラスと戦うのであれば鎖のヴェールを、そしてその中にいるオナッケの死者の魂を使うことになるだろうとは判っていた。それは自分に大きな力をくれるが、常に対価が伴った。使う度に、死もしくは内なるオナッケの魂へと完全に屈服する危険を負った。どちらの運命も耐えがたいものだった。

 ジェイスの敗北からチャンドラとニッサが立ち直り、戦いが一時中断された。三人とも、ドラゴンに対して効果的な攻撃ができたとはとても言えなかった。ニコル・ボーラスはリリアナへと向き直って笑みを見せた。不気味な歯と傲慢さの誇示。リリアナは気分を害した。それは、彼女もまた打ち負かした敵へ同じ笑みを見せることを好むとわかっているためだった。

「リリアナ・ヴェスよ、喜ばしい再会だ。そなたの顔色は実に......健康的だな」 ボーラスはその恩着せがましさを隠そうともしなかった。

 彼女の指が鎖のヴェールへと震えながら伸びた。「殺してやるわ、ボーラス。お前が死ぬのを見て、お前の屍を使って――」

「止めぬかね」 ボーラスは彼女の言葉を遮った。「こやつらは生まれる前から既に敗北していたのだ。わかっておろう。おぬしだけが、真の力とは何かを知っておる。おぬしだけが、真の力で再び何が叶うかを知っておる」

 ドラゴンの言葉に嘘はなく、だが彼女は再びジェイスの最後の悲鳴を、闇雲な次元渡りで逃げたあの子を思った。鎖のヴェールは執拗に囁き続け、身体と顔面に刻まれた紋様が暗紫色に輝いた。『我等の力があれば、ドラゴンすら敵わぬ。我等を纏え!』

 ドラゴンは頭をリリアナに近づけ、柔らかく滑らかに声を落ち着かせた。「理解したぞ、リリアナよ。おぬしは彼らを操れると確信して加わった。だが愚か者に取り囲まれることの問題は......これだ」 ドラゴンは首を回し、辺りの状況を認めた。チャンドラとニッサは縮こまり、別の案を練っていたが、気にも留めなかった。

 その言葉全てが真実、受け入れ難い真実だった。彼女は鎖のヴェールを鳴らし、必要とする力を引き出した。『そうだ』 黄金の鎖の内なる声が叫んだ。『あれを倒そうぞ!』

 ドラゴンは滑らかな声で続けた。「リリアナよ、知っておるか、その肌を害することなく、活力を奪われることなく鎖のヴェールを使う方法があるのだが? それらの主に魂と身体を壊されることなく、オナッケの霊を従わせる方法もだ。我は知っておる、リリアナ。我はな」

『それは嘘だ!』 オナッケの霊が脳内で叫んだ。『出しゃばりめ! 打ち砕いてやろう!』

『わかるだろう、彼の言葉は真実だ。リリアナ。彼ならば力になってくれる』 鴉の男の声。

『黙りなさい!』 大声で脳内を威嚇すると、それらは慈悲深くも黙った。彼女は疲労し、消耗していた。ニコル・ボーラスは本当に鎖のヴェールを解呪する方法を知っているのだろうか? これはいつか自分を殺してしまうだろう。使うたびに、自分は主ではないと思い知らされていた。意志に逆らい、身体を蹂躙していた。

「そう、無知の手にとっては不快な武器だ。未だそれに殺されていないことは、おぬしの力と技量の証だ。だがリリアナよ、我はその力を解放する手助けができよう。真の力を」

 リリアナは力なくヴェールを持った手を下ろした。ギデオンと目が合った。今もボーラスは彼を弄び続け、崩れゆく壁に繰り返し叩きつけられながら、それでも彼は厳めしい冷静さを保っていた。ギデオン、冷静な沈黙以上のものが欲しいのよ。彼女は自身に向けて思った。次の一歩が定かでないのは嫌だった。

 ボーラスは彼女を見つめた。その黒い瞳は悪意の泉だった。「保証しよう。鎖のヴェールを使おうとも使わずとも、このまま戦うならば、おぬしは死ぬであろう。我はおぬしの精神魔道士よりも優れたテレパスであり、炎魔道士よりも破壊に優れ、精霊術士よりも力は強く、そのいわゆる戦術家よりも優れた軍師である。おぬしらがここまで生きて来られたのは、ただ我にとって有用となるために過ぎぬ」

 ニッサとチャンドラが共に近づいてきた。ニッサの瞳が鮮やかな緑に輝き、その足元で地面が震えて彼女の身体を僅かに浮かび上がらせた。「嘘をつかないで」 敵意のこもった声、その顔は稀な怒りに歪んでいた。

 ボーラスは当惑したようにニッサへと向き直った。「嘘を? この我が? エルフよ、辺りを見てみるがよい。偽る必要がどこにある?」 ニッサの足元の振動が更に激しくなっていった。

 ボーラスは背筋を伸ばし、その巨体が今一度彼女ら全員を圧倒した。「リリアナよ、去るがよい。生きたくば逃げよ。多元宇宙でも最も安全な場所とは、我がおぬしを利用できる場所だ」

 勝つことはできない、それは明らかだった。ボーラス自ら言ったように、この子供達は生まれる前から敗北が決まっていた。それは真実だった。何のために戦っているの? 死ぬために? 彼らであっても、それは馬鹿げたことだった。ジェイスがいた場所を再び見ると、その苦悶の悲鳴が再びリリアナの脳内に響いた。目の隅に水気を感じ、だが意志でそれを引っ込めた。誰にも弱さは見せたくなかった。

 皆にどう告げるべきかはわからず、だが何にせよやらねばならなかった。止めるよりも早く、言葉が出てきた。

「一緒に来なさい。私達は負ける。わかるでしょう? このまま勝つことなんてできない。立て直して、ジェイスを見つけて、何か他の手段を探すのよ」 ボーラスがその言葉を聞いていても気にしなかった。このまま彼女らに勝機などないとドラゴンも判っており、この先にもありえると信じているわけもなかった。

『彼は正しい』 鴉の男が囁いた。鎖のヴェールは黙っていた。

 チャンドラはリリアナと目を合わせなかった。ニッサはかぶりを振った。ギデオンの怒りは明白だったが、反論はせず、心を変えるよう嘆願もしてこなかった。自身の感情のうねりが居心地悪かった。彼らは放って、自分だけ立ち去るべきだと思われた。

「お願いよ。ここにい続けたら死ぬわ。そうじゃないでしょ」 哀願するような言い方は嫌だったが、言葉が出るにまかせた。

 誰も返答しなかった。

 彼女はボーラスへと向き直った。「どこへ......私はどこへ行けば良いの?」 そして気詰まりに言葉を呑んだ。皆に聞かれるのが辛かった。

「やめてよ!」 チャンドラが悲鳴を上げた。「どうして! みんな信じてたのに! 私だって信じてたのに!」 チャンドラの髪と両手が新たな炎に燃え上がった。私がどんな存在かは知ってるでしょう、だがそれを大声では言えなかった。

「構わぬ、去るがよい。我が探し出す。そして後程話そうではないか。議論すべき有用な物事は多いのだからな。リリアナ・ヴェスよ、今は去るがよい」

 常に、選択の果てに辿り着いてきた。またも裏切り。またも失望。またも罠。それは死者の中に見出すならば快適なものだった。彼らは裏切られない。失望もしない。その目に痛みと怒りを抱いて見つめ返すこともない。

 生き伸びるためには倒すべきだろうか、そう訝しんで彼女はチャンドラを見た。周囲の大気が激しく熱せられていた。あなたを殺したくはないのよ、チャンドラ。

『ならば去れ』 鴉の男が囁いた。

 その忌まわしい声に同意するのは稀なことだった。彼女は暗黒のエネルギーのもやで身を包み、虚空へと消えた。最後に、世界の間の無へと、涙の雫が落ちた。


《リリアナの敗北/Liliana's Defeat(HOU)》 アート:Kieran Yanner

チャンドラ

 この酷くて、恐ろしい日が、終わって欲しいと願った。何一つ作戦通りに行っていなかった。

 ギデオンの案は素晴らしいと思った、どのみちいつも変わるような無用な詳細がない。自分達の長所で戦うという短くて単純な作戦。完璧だった。

 完璧でなかったとしても、何かを燃やすというのは願ってもないことだった。この日目にした惨事を受け止めるために、何かを燃やしたかった。悲嘆を焼き尽くすことはできなかった。恐怖を焼き尽くすことはできなかった。心の痛みを焼き尽くすことはできなかった。

 代わりに、ボーラスを焼き尽くそうと決めた。

 だがそれは無益だった。そう、ボーラスはドラゴン。それは知っていたが、それでも傷を与える機会は確かにあると考えた。だがそれはなかった、まるでそいつが文字通りに炎でできているように。もっと強く試す必要があった。

 ニコル・ボーラスはプレインズウォーカー達を見下ろして笑みを浮かべた。「残るは三人か。愛しき屍術士が去ったことでおぬしらを悩ませたくはなかったのだが。とはいえ我等の間柄、それに我も屍術には多少なりとも通じておるのでな。ゲートウォッチよ、何か突破口はあるのかね? 作戦変更はあるのかね?」

「うるさい!」 チャンドラが叫んだ。お喋りな奴、特に自分の賢さを誇示するためだけにそうする奴が彼女は嫌だった。友のふりをしていた不忠な屍術士が嫌だった。何よりも、敗北が嫌だった。嫌、嫌、嫌、とにかく嫌だった。

 彼女の炎は眩しい白色となり、輝く炎の奔流がドラゴンへ迫った。ボーラスの両目が狭められ、この戦いで初めて後退させられ、同時にギデオンを地面に落とした。

 傷をつけた! やった! この日彼女が唯一感じた高揚だった。「ギデオン! ニッサ! 私達だってできるのよ!」 ギデオンは既に立ち上がって彼女へ向かっていた。ニッサは奇妙に黙っていた。ニッサが何をするかはわからなかったが、何かをしようとしていると信じた。

「よかろう、愚か者らよ」 ドラゴンは宙へ浮かび、チャンドラが放った更に強い炎の爆発から離れた。だが彼女は放つことを止めなかった。何かをしている方がましだった。

「チャンドラ・ナラー。おぬしには実に多くの有用な特質がある。強力で、感情的に不安定だ。容易に操ることができ、予測不能さを斬新なほどに予測可能だ。それを役立ててやろうではないか」 ボーラスの声が虚ろな大気に轟いた。私は操りやすくなんかない、彼女はそう思い、怒りが増した。炎が夜空を照らし出した。

「だが炎でドラゴンに対抗するというか? ドラゴンに。我こそ炎の規範であるぞ」 ボーラスは更に高く舞い上がり、翼を大きく広げた。

 ボーラスは上昇を終え、翼で巨体を包むとチャンドラへと急降下した。そのまま来なさい、彼女はそう思った。これこそ求めていたものだった。全てを放つ機会、全てを焼き尽くす機会。自由かつ奔放に、炎が溢れ出た。

 それで死ぬとしても、この野郎を道連れにするつもりだった。

 周囲の地面が持ち上がった。

 近づくドラゴンを貫こうと、岩と土と根の巨大な棘が勢いよく地面から突き出した。ボーラスはすんでの所で回避し、だが更なる棘が放たれた、命を狙う危険な槍が。彼はそれを避けたが大きく旋回した。

「やった! 続けて!」 彼女は崩れた広場の遠くにニッサの姿を垣間見た。友はドラゴンと戦うべき大地を操りながら、その身に緑色のオーラをまとっていた。ニッサは何かすごい事をしてくれる、彼女はわかっていた。今やチャンドラは太い岩の棘の間に守られ、意のままに炎を放つことができた。「いける......」

 ボーラスの尾が、まるで薄いガラスのように岩の棘を粉々に砕いた。ドラゴンの尾に加速され、岩と泥の猛攻撃がチャンドラに迫った。彼女は反射的に巨大な炎の爆発を放ってそれを撃退しようとしたものの対処しきれず、激突して遠くの岩の棘に叩きつけられた。

 身体に苦痛が走った。肋骨が数本折れていた。ふらつきながら立ち上がろうとした時、ニコル・ボーラスのしなやかな姿が壊れた棘の間を縫って近づくのを見た。その巨体からは驚くほどの素早さだった。それは瞬く間に迫ると、彼女を巨大な鉤爪で掴んだ。

 彼女は更なる炎を呼び出そうとしたが、あまりに痛すぎた。ニコル・ボーラスが鉤爪を握りしめると、また別の肋骨が折れるのを感じた。彼女は苦痛に悲鳴を上げた。

 ニコル・ボーラスは微笑んだ。「そうだ。チャンドラよ、ドラゴンに何ができるかを見せて進ぜよう」

 巨大な土のエレメンタルがニコル・ボーラスの背後に立ち上がり、巨大な拳をドラゴンの顎めがけて振るった。ボーラスは唸り声とともに振り返ってエレメンタルと対峙し、チャンドラを地面に落とした。

 ちょっと、痛すぎる。彼女は立ち上がろうともがいた。ニッサを助けないと。頭がふらつき、またもよろめいた。エレメンタルとドラゴンが戦うと地面は震え、遠くで更に巨体の土が姿をとって戦いに加わるのをチャンドラは見た。

 苦痛にもかかわらずチャンドラは笑みを浮かべた。もしかして、できるかも......

「よかろう、我は少々寛大すぎたようだ。我は『只の』ドラゴンではない」 ニコル・ボーラスが強調した一語がチャンドラの耳に届いて消えるや否や、黒い触手が地面から湧き出し、ニッサの胸と喉に巻き付き、締め上げた。彼女はその掌握の中で激しくもがいた。

 駄目、駄目、駄目、私がやらないと......。チャンドラはニッサへと一歩踏み出し、そして痛みに悲鳴を上げた。動くのがやっとだった。

 ニッサは彼女を見て叫んだ。「行って! 逃げて!」 触手は攻撃を止めず、ニッサが魔術でそれを千切るも更なる触手が伸びて加わった。

「嫌......」 チャンドラは咳こんだ。それは血が混じっており、足元の瓦礫に赤い飛沫が散った。彼女は立ち続けようと、嘔吐をこらえようとした。ギデオンはどこ? 辺りに彼を探そうとして、数秒間気を失ったことに気付いた。

 ニッサが再び叫んだ。「行って! 私は大丈夫だから! あなたは死んじゃう、早く!」

 ギデオンは見つけられなかった。ニッサを救えなかった。ドラゴンを倒せなかった。意識を保ち続けることすらできなかった。

 ここにいたら、死ぬ。死にたくはなかった。燃え立つ炎の中で彼女は次元を渡った。彼女の唯一の痕跡、瓦礫に散った血もまた、炎の熱で蒸発した。


《チャンドラの敗北/Chandra's Defeat(HOU)》 アート:Kieran Yanner

ニッサ

 チャンドラが発ってニッサは安堵した。深刻な傷を負ったチャンドラを守りつつ、自分とギデオンが助かることができるとは思っていなかった。自分とギデオンだけでも、助かるかどうかは定かでなかった。

 この戦いは芳しくなかった。ボーラスの呪文に対してニッサはかろうじて意識を保っていた。生き続けるのが精一杯の中、彼女のエレメンタルはもはや動かされることなく、無力に横たわっていた。

 戦いの早々に、どんな浅い召喚術もドラゴンには効果がないと明白になった。そこで彼女は大地との更に深い交信を試みた。それはまるで深いぬかるみの中で戦うようだった。どうしてか、そのドラゴンの存在がニッサの接触との拒否を大地に強要していた。

 だが彼女は遂に突破し、遂に大地を意のままに動かせるほどに掌握するに至った......そしてボーラスの僅かな一言で不具となった。この世界で自分は異なる運命を迎える、彼女はそう考えていた。ケフネト神の神殿で過ごした時、以前には考えられなかった可能性を開いた......だが違った。ケフネト神も他の神も死してこの街路に横たわり、彼らの繋がりは切断され、その用途は探究されないままだった。

 そしてこの戦いにて、ニコル・ボーラスという邪悪と対峙し......ゲートウォッチは無防備にされていた。

 これまで、ゲートウォッチの目的に疑問を抱いたことはなかった。常に必要とされ、正すべき過ちがあり、克服すべき悪があった。そして上手くいってきた。ずっと上手くいってきた、これまでは。莫大な力と知性を持つドラゴンが、備えもなく劣った力でやってくることの過ちを示すまでは。

 もっと、やりようがあるかもしれない。

 再び大地を掌握しようと奮闘しながら、そのような思いが彼女を占拠していった。もしこの戦いに何らかの勝機があるなら、それは大地を通してだろう。

 腐敗して油ぎったニコル・ボーラスの思考が、彼女の脳を貫いた。『この大地はおぬしのものではない、エルフよ、我がものだ。触れるでない』 彼女が掌握しようともがいていた力線から、闇と死のエネルギーが弾けた。荒廃が彼女を貫き、肉と内臓を縮ませた。ニッサは苦悶に悲鳴を上げた。

 彼女は今や真実を学んだ。勝機などない。この大地は遥か昔にその主を知り、ニコル・ボーラスへと降伏した。逃げなければならなかった、逃げなければ、だが荒廃の触手が放さなかった。

 大きく笑みを広げ、ドラゴンがゆっくりと近づいた。「偽りの時は終わった。ニッサ・レヴェイン、おぬしは始まりの始まりを目撃する機会に恵まれた。滅多な定命には得られぬ報酬ぞ」

 低く、そして激しく、何かがドラゴンを横から弾いてよろめかせた。ギデオン、だが締め付ける触手で自身の呼吸すらままならない状況で、彼を救う手段を考える余裕はなかった。ギデオンの介入を利用し、彼女は世界の死骸から逃げ出した。


《ニッサの敗北/Nissa's Defeat(HOU)》 アート:Kieran Yanner

ギデオン

 怒りが彼を食い尽くしていた。ここまで無力だと感じたのは過去に一度だけだった。エレボス神が愛する者を殺したあの時から、もう決して友を死なせなどしないと決意していた。ボーラスによってずっと遠ざけられたままで、この戦いは始めから何もかもが悪夢だった。ボーラスがジェイスを追い払い、リリアナを言いくるめて戦わずして自分達を見捨てさせるのを、ギデオンは無力な憤慨とともに見つめていることしかできなかった。

 チャンドラとニッサはかろうじて死を免れた。二人が逃げおおせたのは喜ばしかった。再び友を失うことがどれほど辛いか、推測したくもなかった。特に、それが自身の過ちだとわかっている時には。

 ギデオンはボーラスの脚へと急ぎ、必死にスーラをドラゴンの喉へと叩きつけた。ボーラスは大きな鉤爪で彼を引っかけ、地面へと押し返した。ドラゴンの巨体と力の前に、ギデオンの不死身の盾は僅かな価値しかなかった。彼はこらえ、ボーラスの鉤爪を振り払おうとしたが、逃れられなかった。

「お前は勝てない。私達が倒す」 彼は反抗の言葉を吐き捨てた。だがその言葉は自身の耳にすら空虚に響いた。戦い続けねばならなかった。

「勝てぬだと? そう言ったのだな?」 ボーラスの笑い声が広場に轟いた。「ギデオン・ジュラよ。おぬしは現実を見るのが真に下手であるな。我は何千という将軍と、軍師と、戦略家と、そして戦いの達人と戦ってきた。おぬしはその中でも最悪であろう。これは助言だ。明白な現実を無視することは一連の流れにおいて致命的な欠陥だ。無論、我も......熱意の重要性は理解しておる。だが目の前の事実を正確に見積ること、それが戦いにおいて重要極まりない技術だ」

 ドラゴンは自分を更に煽っていると、平静を失わせようとしているとギデオンは気付いていた。だがその目的は既に達せられていることもわかっていた。遥か以前に彼は論理的な思考を停止していた。だから、私は敗北したのだ。

「おぬしの同僚は眩惑師、だがおぬしこそが真の眩惑師よ。おぬしは自身を難攻不落と称しておるな? そのようなものは奇術に過ぎぬ。ゆえにおぬしはこのように脆いのだ」

 ボーラスの鉤爪の一本が輝きだし、ギデオンを守る難攻不落の盾に押し付けられた。力が込められ、更に込められ、溶けたバターのようにその盾が割れて、鋭い先端が盾も鎧も肉も同様に貫いた。ギデオンは衝撃と苦痛に顔を歪め、だが悲鳴は上げなかった。

「このまま何時でもおぬしを殺すことが可能だ。とはいえ死ぬことすらもおぬしは構わぬだろう、そのように不注意な人生を過ごして来たのであれば。他者の生命についてもな」 逃れようと、ギデオンは必死に頭を振り回した。

「いや。今日は生き延びる方が遥かに良かろう。おぬしがいかに惨めであり、無力であるかを心せよ。感謝せよ、我はどうでも良いのだ。選択せよ。留まり死ぬか、逃げて生き延びるか。我はどちらでも構わぬ」 ドラゴンは新たな傷のように笑みを広げた。

 自身の心のどこかに留まる意志を実感し、ギデオンは驚いた。ドラサスを、オレクソを、不正規軍を失った罪をもう感じずにいられるのなら。ゼンディカーで目撃した死の全てを。これ以上の死を背負いたくはなかった。ただ......逝くことができれば。

 脳裏に痛ましい映像がうねった。ドラサスが自分を見つめ、吐き捨てた。「卑怯者!」 エレボス神が大きく迫り、死の神の笑い声が脳内に響き渡った。「そうだ、臆病者よ、来たれ!」 チャンドラが自分へと叫んでいた。「裏切り者!」

 留まり死ぬか、逃げて生きるか。そして学び、戦うか。ボーラスにとってはギデオンの選択など、どうでも良かった。最終的に、ドラゴンの無関心が彼の選択を決定づけた。それが間違いだったと、いつか証明してみせよう。

 彼は久遠の闇へと身体を滑らせた。ドラゴンが肩の左に貫いた穴が、唯一にして最大の傷だった。


《ギデオンの敗北/Gideon's Defeat(HOU)》 アート:Kieran Yanner

 広場はしんと静かで、チャンドラが暴れた後の炎で照らされているだけだった。数分が経過し、待ちわびた頃、テゼレットが次元渡りから姿を現した。

「遅かったではないか。疑っておったのか?」

 ボーラスに長く仕えてきたテゼレットは、正しい返答を心得ていた。

「いえ、ボーラス様。疑ってなどおりません。私はただ......遅れただけです。お言葉の通り、速やかに奴等を打ち負かしたのですね」 彼は広場を見て、プレインズウォーカー達の死体がないことに気付いた。「何処へ逃げたのかを――」

「いらぬ。問題ではない。血よりも重要なものがある」

 テゼレットは主を不審そうに見て、だがこれ以上の説明はないことを知った。

「ボーラス様、私は新たに......」

「後でいい。ラル・ザレックを呼んで来るのだ。あれの進展は遅すぎる」 テゼレットは使い走りのように扱われることを嫌っていた、だからこそボーラスは喜んでそのように扱っていた。不安定なテゼレットは使えるテゼレットだった。満たされる否や、役立たずとなる。「行け。今すぐだ」

 テゼレットは頭を下げ、そして消えた。夜の静寂の中、長年のアモンケットで初めての真の夜、ボーラスは死骸と破壊と静寂を見渡した。六十年前、手をかけて創造したもの。今日もまた、手をかけていた。次元橋は彼のものだった。軍勢は揃った。ゲートウォッチは多元宇宙に散り散りとなった。

 彼は夜へと咆哮し、胸の奥深くから激しい炎を吐き出した。それを行う意図の多くは観衆のため、戦略において何らかの重要な箇所が達成されたことを示すものだった。だがこの咆哮は自身のためのものだった。もはや影ではない。もはや潜んでなどいない。隠れてなどいない。

 ニコル・ボーラス。エルダー・ドラゴン、天才にして大魔導師、そしてプレインズウォーカー。それが遂に、堂々と歩み出す。

 今は震えているがいい。どのみちいずれ屈服するのだから。自身がもたらした破壊を更によく見渡そうと、彼は夜空に舞い上がった。今この時、彼は、満たされていた。


『破滅の刻』 物語アーカイブ

プレインズウォーカー略歴:ニコル・ボーラス

プレインズウォーカー略歴:ジェイス・ベレレン

プレインズウォーカー略歴:リリアナ・ヴェス

プレインズウォーカー略歴:チャンドラ・ナラー

プレインズウォーカー略歴:ニッサ・レヴェイン

プレインズウォーカー略歴:ギデオン・ジュラ

プレインズウォーカー略歴:テゼレット

次元概略:アモンケット

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