MAGIC STORY

イニストラード:真紅の契り

EPISODE 07

メインストーリー第4話:結婚式をぶち壊せ

K. Arsenault Rivera
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2021年11月17日

 

 一条の光が槍となって、ヴォルダーレンの居城の窓を砕いた。招待客以外を排除する護りは消え、灰のように風へと散った。数か月ぶりにステンシアの空気は眩しく澄み渡ったように思えた。希望を抱いて集合した人々の目的もまた、澄み渡っていた。

 今夜、この悪しき城の扉を叩き壊す。今夜、日の光を取り戻すために、歯と鉤爪と剣で戦う。

シガルダの召喚》 アート:Nestor Ossandon Leal

 指示を焦ってはいけない。天使を思わせる光の柱を見た瞬間、彼女は叫んだ。「今よ!」

 だが軍は既に動き出していた。彼らは聖者のように神聖の光をまとい、剣を掲げ、軍馬はいなないた。エーデリンが先頭を務め、チャンドラはその後ろに乗り、テフェリーは周囲の歩兵の足を精一杯速めた。門兵は殺到した群衆になすすべもなかった。誰が彼らを倒したかはわからない。槍で胸を貫かれており、血の味が風に乗って届いた。

 アーリンは感覚を研ぎ澄ませた。門の先が見えた。奈落にかかる糸のように狭い通路を過ぎて、居城のむかつく壁掛けへ。その何もかもが破壊されるだろう。そう思うと心が満たされた。母がいつも言っていたように――パイの見た目がどんなに良くとも、中身が臭ければ風味も腐っている。そして吸血鬼が触れたものはどれも、腐った味がする。

 ケイヤの手が肩に置かれ、思考を戻した――遠い物思いから、現実へと。「行かないと。私たちが壊すものがなくなっちゃうわよ」

 その通りだった。ケイヤはこれまで何度となく正しいことを言ってくれた。全てが終わったなら、お互いにもっとわかり合える時間を取りたいものだ。ケイヤは、プレインズウォーカーの中でも、イニストラードを形作る生と死の繊細な均衡を理解している。そしてイニストラードを理解することは、アーリンを理解することだった。

「遅れないようにしないと」 アーリンは微笑んでそう言った。

 ケイヤは呆れ、だが頷いた。

 二人は軍勢に加わった。騎乗した聖戦士、徒歩の聖戦士、白鷺を掲げる司祭、アヴァシンの印を掲げる聖戦士、そして家族を失った農夫たち。

 橋を渡り、生者と定命は腐敗の巣へと殺到していった。

 槍を前へ。鎚を前へ。盾を、松明と三つ又を、聖なる書と祝福の刃を前へ。

 そして蝙蝠が降下してきた。遠くのそれは舞い落ちる灰のようだったが、その音はすぐに希望をのみこんだ。金切り声がアーリンの鋭い耳を貫いた。彼女は片方を手で覆い、もう片方を肩で押し付けてその不協和音を防ごうとしたが、役には立たなかった。

 だが肩越しに放たれた魔法の稲妻は役に立った。矢もまた、すぐに標的をとらえた。蝙蝠は貪欲に血を求めて降下し、待っていたかのように魔女や射手たちが対峙した。毛皮が焦げ、金切り声はますます酷くなり――そして沈黙した。蝙蝠が始末されても、アーリンの耳は鳴り続けていた。間に合わせの軍勢が蝙蝠の骨を踏み砕く音は聞こえず、だが感じることはできた。

 飾り気のない石材から入念に切り出された大理石へと、足元の様子が変化するのも感じた。頭上では、第二の門にて衛兵たちが既に倒され、血の池にうつぶせに浮かんでいた。ケイヤの言う通りかもしれない。早く行かなければ、何も残っていなそうだった。

 だがこれほどの戦力でも、門を突破するのは困難だった。

 ケイヤとアーリンは軍勢をかき分けて進んだ。それ自体は簡単だった――かつての指揮官とその戦友、皆そうわかっていた。エーデリン、テフェリー、チャンドラは彼らの先頭、巨大な扉の前に立っていた。

 テフェリーは顔を上げ、そして溜息とともにかぶりを振った。「嫌な味がするな」

「だからそっくり火をつけてやるんでしょ?」とチャンドラ。

「扉に、ですよね?」 エーデリンが尋ねた。

 チャンドラは引きつった笑みで振り返った。「そう……ね、扉だけ」

 腕に炎が渦を巻いた。そしてチャンドラは大仰な動きで踏み出し、腕を目の前に突き出した。

 止めようかとアーリンは半ば考えた。炎は全くもって御しがたいものであり、吸血鬼を害する一方で自分たちにも被害を与えかねない。

 だがアヴァシンが守ってくれる、焦ることはない。オリヴィアの気取った顔が燃えるのを想像すると、どこか満足感を覚えた。

 テフェリーが杖で地面を叩いた。目の前の光景はどこか楽しめるようで、そして時間を無駄にはできない。炎は更に熱く、眩しく、速くなっていった――そしてすぐに、目の前の扉は灰となった。

 そこから、真の襲撃が始まった。

 ヴォルダーレンの居城の全てが目の前に広がっていた。話には聞いていたが、この目で見るのは初めてだった。一度でも曲がり角を間違えたなら、二度と生きては出られない。だがそれは、ひとりで迷い込んだ場合のみ。

 アーリンは常に群れとともに旅していた。刺すような悲しみがその思いに続いた。稲光。大岩。根気。赤牙。試したなら、彼らが今どこにいるかは思い浮かぶだろう――どこかで土の上を駆けている。松の匂いのするどこかを。

 自分は独りだと感じた。

 けれど、そうではないと。

 前方を照らす光がその証拠だった。

レジスタンス部隊》 アート:Joshua Raphael

 騎乗した聖戦士たちが先陣を切り、正義をもたらすべく剣と槍を構えて庭園を駆けた。チャンドラとエーデリンは彼らとともに進み、チャンドラを後ろに乗せると馬を速めた。

 黄金の武器で武装した衛兵の列がその攻撃を出迎えた。彼らの鎧は機能性よりも装飾を重視していた。矢と稲妻が防御の第一線に激突した――間に合わせの盾を構えた農夫、その隣に立つ老兵士たち。仕返しの弾がすぐに続いた。アーリンは弓を拾い上げて自ら放った。この混乱の中で命中したかどうかはわからず、だが誰かの矢が敵に当たったのはわかった。

「弓も上手なんて知らなかったわよ」とケイヤ。

 アーリンは彼女を一瞥した。ケイヤの両目はかすかな銀に輝いていた。アーリンは舌に奇妙な味を、耳にはどこか奇妙な高音をとらえた。

「いつも狩りに牙を使えるわけではないので」とアーリン。「何か問題は?」

 一本の投槍が飛んできたが、ケイヤを通過して首のない彫像へと無害に当たった。「アーリンさん、ここには沢山の霊がいるわ。それも、怒り狂っている」

 アーリンは不意ににやりとした。「いいですね。その幽霊に手助けしてもらえそうですか?」

「解放してあげようかと」とケイヤ。彼女は笑みを返し――だが何かに注意を引き寄せられた。彼女は光の方向を見た。「待って。私だけじゃないみたい。誰かが呼んでる」

 アーリンは肩越しに振り返った。その光は饗宴の間から届いている。廊下はそう長くない。そして衛兵たちもどこかから来ているに違いない。

 そこで一体何が起こっているのだろう?

「誰か?」

「たぶん……カティルダさん」

 好きなエールを飲んだ時のように、アーリンの胸が熱くなった。「それは!」

 ケイヤは頷いた。「アーリンさんは先に行って。私は後ろを守るから。ヴォルダーレン家の奴らにツケを支払わせるのよ」

 言われるまでもなかった。彼女はケイヤを信じていた。テフェリーを信じていた。チャンドラとエーデリンを信じていた。そして――アヴァシンよ――ソリンのことも、信じていた。イニストラードを救う時が来たなら、あの男も正しい行いを成すだろう。そう確信していた。

 ただ万が一に備えて、自分がそこにいたかった。

 衛兵たちは既に悲惨な姿になっていた。彼らは手強い相手で――吸血鬼と戦う時はいつもそうだ――だが想定よりも簡単だった。ガラスの鮮やかな破片が青ざめた皮膚に刺さっていた。彼らは動揺しており、ほとんど攻撃せずともアーリンは前に進めた。ヴォルダーレンの居城の床は血で濡れていた――今回、その血は血吸いたち自身のものでもあった。

 倒れるのは吸血鬼だけではない。

 沢山の彫像もまた倒され、光沢のある石の床を凹ませていた。

 血の泉も叩き割られ、司祭たちが並んでその腐敗を清めていた。

 タペストリー、シャンデリア、見事な絨毯、そして贅沢な家具も同様だった。イニストラードの心臓に、焼けつくような怒りが燃えていた。廊下に響く叫びはただの戦鬨ではなく、それ以上のものだった。苦悶の咆哮、命の肯定、長い間恐怖の内に生きてきた人々の、安堵のむせび泣き。

 吸血鬼は定命を搾取して、この場所を築いた。

 今日、定命がそれを引き裂いてやるのだ。

 大広間に突入する頃には、アーリンの中にも正義の怒りが燃えていた。彼女の内なる獣がその束縛の中でもがいた。この血吸いどもに解き放ってやれ、トヴォラーはそう言うだろう。

 彼に同意はしたくなかった。

 今はまだ。

 だが大広間に飛び込んだその時、彼女は自制心を失いかけた。

 シガルダの血塗れの翼、熱狂に我を忘れて白鷺の鎌で吸血鬼の首をはねる姿――どう受け止めればよいのか、アーリンは定かでなかった。それは爽快であると同時に陰惨な光景だった。アーリンの口内に金属臭が満ちた。教会というものは、狼男の群れと同じほどに血なまぐさくなり得るのかもしれない。

 それだけではなかった。敵もいた。更なる衛兵が、ある者は大胆にもシガルダを直接攻撃していた。侵入者の姿を見て、参列者たちは荒れ狂った。彼女は鍵を、そしてソリンを探して広間を見渡したが、そこはあまりに騒然としていた。引き裂かれた礼装、血の花弁とともに宙を舞う蝙蝠。ステンドグラスは砕かれ、血の泉は裂かれ、饗宴のテーブルは真二つに割られていた。

 すぐに落ち着きそうにはなかった。

 けれど何とかして抜けなければ。

 彼女は進み、振るわれた剣を避け、絹とレースを鉤爪が引き裂いた。マルコフ家の決闘者が興奮して立っていた。以前にも似た相手と戦ったことがあった。奇抜な剣術は多くの目を惹くが、アーリンに剣は必要なかった。

 その剣士の脇腹からは血が噴き出ていたが、動きは滑らかだった。今はまだ。この騒乱が始まる前に、飽きるほど飲んでいたに違いない――その男からは多くの命が混じり合った臭いがした。その唇は濃い赤に染まっていた。「装いがなっていない上に粗野に暴れる。そのような者が招待されたはずがない」

 次の斬りつけは速かった。攻撃する相手が自分でなければ追えなかったかもしれない。だがアーリンは独りではなく、敵の動きを遅らせる魔法の波がそれを告げていた。十分な余裕で彼女は相手の腹部に膝を叩きこんだ。吸血鬼はその勢いに喘ぎ、剣を床に落とした。

 殺すこともできた。喉をかき切ればいい。この男の所業はそれに相応しい。吸血鬼の存在は他者の苦しみを必要とする。

 だがそれは、トヴォラーがやるようなこと。

 アーリンはその男を頭上に持ち上げ、柱へと放り投げた。

 分別があれば、自分を追ってくることはないだろう。

 それを確認する余裕はなかった。アーリンは再び混乱に突入し、収穫祭を思い出さないよう全力を尽くした。同じにはならない。同じにはさせない。

 この全てを止める一番の方法は、鍵を見つけること。けれど何処に? 感じ取れればと思い、彼女は大気の匂いをかいだ。だがここには魔法が満ち満ちていた。シガルダの魔法も――多くの衛兵たちと戦いながら、それは波打つように放たれていた。

 ならば、目を使おう。

 オリヴィアの姿を認めたその時、騎兵たちが到着した。窓を破って聖戦士たちが突入した。彼らの軍馬は赤く染まっていた。司祭たちがその後に続き、魔法の矢弾が始祖の吸血鬼へと放たれた。

 そして天使の姿に、喜びの声が上がった。

 オリヴィアは喜ばなかった。「お前たち……お前たち! 私の婚礼の日を台無しにしてくれたわね!」 彼女は階段の上から吠えた。

「鍵を返しなさい!」 アーリンが返答した。百もの声がそれを繰り返した。鍵を、鍵を返せ!

 壁を震わせるほど沢山の声が。

 鍵を返せ、鍵を、返せ、返せ……殺せ。

 違う。声を上げているのは自分たちだけではない。そして大気中の響き――何かが起こっている。そこかしこで、大気そのものが凝集して何かの姿をとった。何か古いものの姿へと。

 幽霊。今やそれらの姿はアーリンにも見えた。召使に騎士、貴族に農夫。何百という数が一斉に実体化し、かすかな輪郭は怒りに輝いていた。

 よくも殺してくれたな。

 死者の声がはっきりと届いた。

 彼らの武器もまたよく見え、アーリンは安堵した。半透明の波のように、幽霊たちはかつての圧政者へと襲いかかった。そしてその群れの中に、見覚えのある頭飾りが際立っていた。カティルダ。ついて来い、そう言われる必要はなかった――満月の夜の苔のように、行くべき道がかすかな緑色に輝いていた。

 アーリンは階段を駆け上った。

 オリヴィアは宙へ浮かび上がった――あるいは、そうしようとした。距離をとるよりも早く、見覚えのある輪郭がその背後の宙に現れた。ケイヤが幽体のダガーを振るい、オリヴィアがたなびかせる残忍な衣装へと突き刺した。ありふれた布地であれば引き裂かれていただろう。魔法の布地も同じく――そして、傷口から血が噴き出すように、その布地の内に囚われていた霊が弾けるように解き放たれた。

 オリヴィアの悲鳴はおぞましいものだった。彼女は腕を振り回し、ケイヤは落ちた。そのまま床に激突したなら無事ではすまないだろう。

 アーリンはためらわなかった。彼女は跳び、ケイヤを宙で受け止め、一瞬後に着地した。だがオリヴィアはその隙に逃げ出していた。アーリンが顔を上げると、破れた衣装が廊下へと遠ざかっていた。

「ここは私たちが」 ケイヤが言った。「行って」

霊狩り、ケイヤ》 アート:Ryan Pancoast

 アーリンは肩越しに一瞥した――天使、定命、不死者、そして幽霊。この騒乱のどこかにソリンがいる。その姿は見つからなかった。探す時間はなかった。

 彼女は頷いた。「みんなを守って」

 難しい願いだというのはわかっていた。今日、ここで多くの者が死ぬだろう。そうさせたくはなかった。

 だがアーリンにできるのは、その犠牲を意義あるものにすることなのだ。


「このような事はせずとも良かったのだ」

 鈍く、慎重な声が響いた。血の泡立つ音を抑えて、君臨するように。そう思うのは長い年月の間、それを聞いてきたためかもしれない。かつて、その声はソリンへと幾つもの物語を語ってくれた。

「その通りです」 彼は答えた。「おじい様。こんなことは馬鹿げているとお分かりでしょう。あの女はおじい様を利用しているだけです」

 彼自身の声もここでは奇妙に響いた。外の銘板は「鮮血館」と読めた――ばかばかしい、だが正確な名前。困窮に備えて、ヴォルダーレン家はここに血を蓄えていたに違いない。

 ヴォルダーレン家が困窮したことなどなかったのだが。

 シガルダが解放されると、エドガーは逃げ出した。祖父は誰よりもその天使の怒りを知っていた。ソリンはそれを追いかけた。その時にはもうアーリンとその軍勢は扉を破っていた。彼女らはどうにか鍵を手に入れるだろう。

 だが他の誰も、エドガー・マルコフに立ち向かえはしない。

 今ふたりはここ、鮮血館の入り組んだ桶に囲まれていた。この赤い柱の間のどこかで、祖父は自分を待っている。見つめている。

「お前はそのように物事を見ているのか?」

 ソリンは手にした刃を振り回した。「詭弁ですか? おじい様はもっと聡明ではありませんでしたか」

 攻撃が来るよりも早く、その音が聞こえた。エドガーの鎧の動きが。ソリンは右へ避けた。エドガーは戦鎚のように瓶の棚を振り回し、それらは床に叩きつけられて砕けた。祖父がソリンに向けた目には、軽蔑だけがあった。

 マルコフの血統がこのようなことを? 惑わされた老人が家具を振り回し、孫に襲いかかるなど?

「少なくとも適切な武器をお使い下さい!」 ソリンはそう言い放った。彼がエドガーへと放った斬撃も、不格好で荒々しかった。

 そしてたやすく反撃された。エドガーは万力のような指でソリンの手首を掴んだ。前腕の細い骨にひびが入り、ソリンの腕に苦痛が走った。「礼儀の何たるかを知っているような物言いだな、ソリン? マルコフ家の一員であることを嫌がってなどいないようではないか」

 返答を待たず、エドガーはソリンを放り投げた。ソリンは桶へと背中から激突した。木が割れ、既に血がねばつく皮膚に更なる赤色が零れた。

「お前のために私がどれほどのものを捧げてきたのか、わかっているのか?」 エドガーは前進し、子供へと小言を言うように指をさした。「我々全員が、お前のためにどれほどのものを捧げてきたのかを」

 ソリンは手で血をすくうと口へと運んだ。血に染まるよりは、利用する方がいい。祖父の妄想を聞くよりは。祖父の物言いから察するに、オリヴィアの支配は予想以上に深い所まで届いているに違いない。常に自分たちの意見が一致していたわけではない――だがエドガーは決して愚者ではなかった。

 だとしても。

 全てがオリヴィアの言葉だというのも、ありえない。

「私がおじい様のために何も捧げていないとでも」 ソリンはそう返答した。武器を選んでいる場合ではない。立ち上がるや否や、彼は手近にあったものを掴んだ――長めの導管。血管に豊富な血が流れている今、それを装置から引き抜くのは造作もなかった。そしてありがたいことに、更なる血の飛沫がかかった。

 この力を最大限に生かす。稲妻の速度でソリンは襲いかかった。エドガーの鎧が軋んでその威力に陥没し、肋骨が砕けた。

 それでもエドガーは動かなかった。発せられた苦痛のうめきはまるで……楽しんでいるようだった。

「良いだろう。言ってみるがいい、お前が成した犠牲を。お前はマルコフ家のために、イニストラードのために何を捧げたのだ?」

「私はアヴァシンを創造し――」

 エドガーはソリンの顔面を鷲掴みにし、続く言葉を黙らせた。その両目には錬金術の炎が燃え、唇は嫌悪と嘲りに歪んでいた。

「お前の可愛らしい玩具の兵士か? ああ、知っているとも。この千年、お前はほとんど話さなかったが。私の研究から着想を得たのだということも。そもそも、お前に自分自身の着想などというものがあったかね? それらが上手くいった試しがあったかね?」

 知っているとでも言うかのように。この苦悩の深さをずっと知っているとでも言うかのように。

 エドガーは彼を持ち上げた。片手で造作なく、だがそれは過ちだった。ソリンはエドガーの頭へと鉄の棒を振るった。頭蓋骨が砕け、赤色が流れ出た。老人は獲物を落とし、苦痛にひるんだ。

 ソリンの内に何かが沸き上がった。

 他にも次元はある。他にも考えはある。

 その言葉は繰り返し繰り返し、彼の頭蓋に反響した、闇の神を召喚する詠唱のように。そしてその通りに、その言葉がもたらしたものも全くもって闇だった。縄を解かれた獣のように、彼は絶叫とともに武器を振るい、また振るい、祖父は一撃ごとに後ずさっていった。鉄がガラスを砕いた。血の滝が床に溢れた――かつて生きた血管を流れていた血が、かつて更なる生を願った血が、今や死を願う血が。

「わかって下さると思っていた! おじい様には見えていると思っていた、この存在には欲深い饗宴とあさましい暴食以上のものがあるのだと! それが見えていると思っていた!」

 彼は武器を振るうのを止めず、やがて酷使された鉄はねじ曲がった。彼は床に低く屈んだ――別の導管がある。ずっと大きいこれは役に立ってくれるだろう。だがそれを探っている隙に、エドガーが迫った。農夫が気まぐれな羊を持ち上げるように、祖父はソリンの髪と腰を掴んだ。

「お前はまるで子供だな。ずっとそうだ」 エドガーは言い聞かせるように言った。「心底恥ずかしい。数千年前、お前に贈り物を与えた。今、私は残る生涯を、お前がそれを浪費したと知りながら過ごさねばならない」

「そんなものは頼んでなど――」 ソリンはそう言いかけた。

「わからないかね、贈り物とはそういうものだ」

 エドガーはソリンを顔面から桶に投げつけた。鼻孔に血が流れ込んだ――血、そして砕けた木が。

 記憶が現実を取り込んだ。彼はまだ若く、家族の集まる広間に呼ばれていた。長テーブルの先に祖父が座していた。天井には一体の天使が吊るされ、その血がワイングラスへと滴っていた。

 全員がいた。叔母が、叔父が。両親が。全員が、これは彼のためなのだと言った。一家のためなのだと。闇の中で生き延びるには、闇の一部にならねばならない。飢饉は人間の食物を何もかも奪っていた――だから、もはや人間ではいられない。それは完璧に理にかなっている。

 彼はふらついた。

 再び頭が木桶に叩きつけられ、記憶に赤色の衝撃が走った。

「ソリンよ、イニストラードは我々のものだ」 祖父の言葉。どこか年老いた、弱った声。そしてその言葉は唇の動きに一致していなかった。「我々が統べるのは正しいことだ」

 周囲で世界がよろめいた。何かが彼の喉を切り裂いた。血が鎖骨に流れ下るのを感じた。胸骨の中で心臓が早鐘を打った。

「お前はあまりに長い間、その辛さと妄想に身を任せてきた。それらはお前の可能性を食い尽くしてしまった。今残るのはこの悲しい、壊れた抜け殻だけだ。祖父へと泣きつく哀れな少年だけだ」

 今なお記憶と現実が混濁していた。後頭部に置かれた手。目の前のワイングラス。飲みたくはなかった。だが彼らは強要した。歯茎に杯の縁が押し付けられた。

 血の味は酷く、勝ち誇るようだった。身体のあらゆる血管に熱が走った。決して離れない汚らわしい感覚、だがそれはやがて、自らの一部となるのだろう。やがて、自分でこれを求めたかのように振舞うのだろう。やがて、これはずっと計画の一部だったように振舞うのだろう。やがて、人間と間違われることを侮辱と感じるようになるのだろう。

 定命と間違われることを。

「飲むのだ。そうすれば永遠が手に入る」

 あの日、彼は堕ちたのだった。全員が。内なる灯が点火したのは、救いの手だったのだと言う者もいるかもしれない。彼はそうではないと感じていた。神性を信じたことはなかった、宗教を信じたことはなかった――後にそれを自分自身で作り上げた際、あらゆる空想的な感情は冷めてしまった。だがそれでも、あの日、自分たちは堕ちた――それは真実なのだとわかっていた。

 だからこそ奇妙だった。今も堕ち続けているように感じるのは。

 だが目を開けると、完璧に合点がいった。

 祖父が大穴の縁に立ち、嫌気とともに彼を見下ろしていた。

 そしてソリン・マルコフは堕ち続けた。


 アーリンがヴォルダーレンの居城の回廊を駆ける様を、歴史が見つめていた――だがそれはアーリンの歴史ではない。ここにアヴァブルックの痕跡はない。粗い鋳鉄も、アヴァシン教の印も、森よりも古い物語を語る住民もない。ここにあるのは黄金のシャンデリア、ヴォルダーレンの装飾。ここでは全てが森よりも古い。その人々すらも。

 そしてそれらの人々は、オリヴィアを追跡するアーリンを見つめていた。参列者たちは血に酔いつぶれて前後不覚になっていた。アーリンは彼らを麦の穂のようにたやすく押しのけた。衛兵たちにはもっと戦意があったが、アーリンに彼らを満足させる気はなかった。剣と矢が続けざまに彼女を追い、彼女は続けざまにすり抜け、接近した時は体当たりをした。吸血鬼であっても、よろめいたなら倒れる。永遠に倒しておく必要はなかった――通過できればそれでいい。背後の幽霊たちが仕事を終えてくれるだろう。

 だが別の目もまたあった。

 オリヴィアの目が、ついて来いと挑発していた。

 そして肖像画が。

 沢山の肖像画があった。この長い通路だけで数十枚、居城全体では何百枚とあるだろう。数える気はなかった。ありえない衣装に身を包み、膝の上に奴隷を乗せ、口元は血で満たされ――異なる世界に属する人々が見つめ返していた。彼らにとって、存在とは他者から奪うことを意味した。吸血鬼にとって、それこそが力。最も高い場所からあらゆるものを奪い取る。

 その世界の一員になりたいとは思わなかった。

 それでもその世界が彼女を取り囲んでいた。死から育ったこの場所が。

 ようやくオリヴィアを行き止まりに追い詰めた時、アーリンははっと気づいた。この廊下に、生きている存在は自分だけだと。

 他の兵士はいない。仲間のプレインズウォーカーもいない。彼女の狼すらいない。

 アーリンの心臓は早鐘を打っていた。戦鬨、死への抗い。オリヴィアは何か言おうと口を開きかけたが、その言葉などアーリンはもう聞きたくなかった。一語たりとて同意はできなかった。人間の吠え声をあげて彼女は突進し、鋭い爪がオリヴィアの衣装の上質な布を裂いた――そしてその下の肉体を。血の匂いがアーリンの野生を刺激した-—歯がうずき、牙へ伸びようとした――だがまだ我を失うわけにはいかない。

 まだ色々なものがあまりに危うい。

「お前」 オリヴィアは嘲るように言った。「何故、お前が来たのです?」

 無論、答えはある――オリヴィアが鍵を奪ったから。だが今それを答える気はなかった。彼女は前進を続け、荒々しく鉤爪を振るった。オリヴィアは衣装のどこかに鍵を隠している、匂いでそれを察した。吸血鬼の始祖に、盗んだものの代価を払わせてやろう。

 相手に支払う気はないようだった。それもそう――吸血鬼は自腹で多くを支払うことはしない。ふと、廊下の構造が不自然に変化している気がしたが、片目でははっきり判別できなかった。どういうわけか、行き止まりだった箇所は全く新しい姿になっていた。更に悪いことに、そこには鎧の一式が置かれていた。

 そして沢山の武器が。

 オリヴィアが取り上げたのは、宝石が散りばめられたきらめく剣だった。

 アーリンは振るいかけた腕を引いたが間に合わず、熱望するようなオリヴィアの剣が命中した。鋼がアーリンの指に食い込んだ。予想したほどの痛みはなかった。戦いの興奮が最も重要な感覚以外を鈍らせているのだ。それでも自分自身の骨が覗き見えれば、さすがに勢いは鈍った。

「私たちに鍵をよこしなさい」

「私たち? ああ、何て哀れな子犬」 オリヴィアは身を翻すと同時に攻撃し、アーリンは上腕で受け流したが遅すぎた。オリヴィアは悪意の喜びとともに、剣先をアーリンの胸に突き刺した。金属が鎖骨にこすれ、オリヴィアはアーリンの頬に手を当てた。「お前はただ独りでしょうに」

 今や無視できない痛み、オリヴィアの憎々しい声――どちらがより悪いか、アーリンは定かでなかった。視界の隅に赤色が滲んだ。内なる狼が自由を求め叫んでいた。アーリンはそれに耳を貸さなかった。今ではない。澄んだ思考を保たなければ。

 だがその澄んだ思考が行動を考えるよりも早く、オリヴィアは悪意の笑みとともに彼女を押しやって剣を引き抜いた。アーリンは膝をつき、絨毯に血が滴った。肖像画の吸血鬼たちは変化のない顔で見つめ、オリヴィアは――彼らの始祖は――甲高く笑った。

「全くわけがわからないと言わざるを得ませんね。狼は物事を考えないものですが、だとしてもお前は群れる獣でしょう?」 オリヴィアは言い、そして笑った。「そうですね、お前の大部分は」

 これもまた陽動。アーリンは身構えた。案の定、オリヴィアはその動きの途中でクロスボウの矢のように突いてきた。この時アーリンは避け、肩を低くして体当たりをした。オリヴィアはよろめいたが、ごくわずかだった。アーリンは相手を掴もうとした――だがオリヴィアの爪がアーリンの腹部に命中した。

 もはや息をするのも困難だった。

「お前のためなのですよ、わかるでしょうお前のような者でも。人間とはかわいらしく楽しい玩具ですが、それをお前はいつ理解するのでしょうね?」

 アーリンはオリヴィアの手首を掴んだ。喉に血が沸き上がり、彼女はその全てをオリヴィアの衣装に向けて吐き出した。「試してみたらどう……理解させるために」

 オリヴィアが思いきりしかめた顔は、その苦痛に値すると言えた。嫌悪とともに、彼女は再びアーリンを押しのけた。「食物を友人にしません。さあ、いらっしゃい。その勇敢で小さな抵抗を果たしたいのであれば、正しくそうしなさい。お前は自分が何者かを知っているのではなくて?」

 アーリン・コード、鍛冶師とパン屋の娘。

 そういうことではない。けれど。

「ここに来た理由はわかっているのでしょう」

 鍵を取り戻すため。イニストラードに日の光を取り戻すため。

 収穫祭の虐殺、その復讐のため。

 オリヴィアは刃の端を指でこすった。彼女はそれを綺麗に舐め、そして顔をしかめた。「わかっていましたが、お前の血は不味いですね。そうでしょうとも。お前は何故自らを解き放たないのです? その姿では、勝つことなど決してできないでしょうに」

 その通りだった。忌々しい事実、だがその通りだった。

 そしてそれが、境を踏み越えるために必要な最後の一押しだったのかもしれない。

 感覚が鋭くなった。身体が膨張するにつれて力が戻ってきた。戦い続ける力が、少なくとも今は。人間の心がはがれ落ち、森へと落ちていった。松の匂いと血の味を感じた。迷った狩人の叫びのように、最後の意識が思った。こんなふうに解決するのは違う。だが森でそれを耳にする者はいなかった。月銀の鍵だけが、オリヴィアだけが、彼女の残骸を見つめ返す肖像画だけが。

確実な一撃》 アート:Lie Setiawan

 純粋な本能が彼女を突き動かした。アーリンは飛びかかり、オリヴィアは旋回した。黄金のひらめき――剣が再び迫った。アーリンは素手でそれを受け止めて払いのけた。もう片方の手で、彼女はオリヴィアを自らの彫像へと投げつけた。

 前へ、前へ、前へ。鍵はオリヴィアのどこかにある。取り戻す。終わらせる。

 だが幾つもの顔が見ていた――肖像画の、幾つもの酷い顔が。

 何が自分をこのように駆り立てるのか、アーリンは定かでなかった。動物的な怒り、かもしれない――あるいは、獣だけが解き放てる人間らしい怒りか。

 ほんの一瞬、彼女の注意は肖像画へと逸れた――その得意げな顔を刻んでやりたい。キャンバスを引き裂いて、その顔に向かって憤怒を吠えてやりたい。

 全くもって、多すぎる――そして彼女は独りだった。

 オリヴィアが背後に回った。だが気づくのが遅れた。

 何という皮肉だろう――吸血鬼の硬直した腕は、絶好の杭となる。

 アーリンの喉から哀れなうめき声が漏れた。

 彼女は倒れた。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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