MAGIC STORY

イニストラード:真紅の契り

EPISODE 03

メインストーリー第2話:社交儀礼の陰気な重み

K. Arsenault Rivera
karsenaultrivera_photo.jpg

2021年11月3日

 

「もう姿は見たかい?」

「いえ。貴方は?」

「ひどいものだよ、心底ね。ただ姿を見せるのにこんなに長く待たせるなんて。あの女は自分がイニストラードの君主だと思っているのかもしれないけど――」

「そんなに声を上げるものではないわ、レリオ――」

「けど君主なんて程遠いくせに! この目で見るまで信じないからな」

ヴォルダーレンの居城》 アート:Richard Wright

 レリオは自らの杯を飲み干した。顎に細い血の雫が垂れ、純白の襟を汚した。そうならないよう注意したばかりだというのに。彼は耳を傾けた試しがなかった。浮浪者を喰らうなと言えば、彼は喰らった。見た目が子供だからといってナスファーの一家を敵に回すなと言えば、彼は少なくとも自分の五倍は長く生きている少女の頭上に、血で染まったキャンディーをぶら下げた。コーデリアが知る吸血鬼の中でも、最も熱心に不死を手放したがっているように見えるのがこのレリオだった。

 率直に言って、彼女はレリオの所業とやり合うのにうんざりしていた。見るべきものは他にとても沢山ある。流城の教団員の集会にはそれ自身の魅力があるのは確かだが、そこにこの豪華絢爛さは微塵もない。コーデリアは上質な予言的説教が何よりも好きだが、時に正反対の生き方を目にするのは良いことだ。

 誰もが結婚式のためにヴォルダーレンの居城に集まっていた。オリヴィアの飾りつけは真に傑出していた。こんなことが可能であるとすら信じられなかった。それでも、この眺めに文句を言うのは難しかった。ヴォルダーレンの居城は赤色にうねっていた。足元には金糸が織り込まれた赤い絨毯。服装規定に従い、赤い礼服や式服をまとう出席者たち。赤く美しく濃い、数歩ごとに並ぶ血の泉。だが最も印象的なのは、宙にうねって舞う赤い花弁だった。かつて、何百年も昔、コーデリアは庭園の世話をしていた。宙に浮遊する花弁を見ると、去って久しい日々が思い出された。

 そしてそれは、レリオの終わらないお喋りを聞くよりもずっと良いことだった。

 彼は喋り続けていたが、コーデリアはもはや気に留めていなかった。オリヴィアはどういうわけか、ダムナティの者まで招待していた。それはそんなにも悪いことなのだろうか? ああ、その通り。彼女らはデーモンと交際している、けれどここにデーモンの姿はない……少なくともコーデリアが見る限りは。そして少なくともダムナティは服装規定を守っている。レリオは白と青をまとってやって来た。困った男だ。宙に舞う花弁は衣服に触れると液体に戻り、彼の袖はもはや紫色に染まりつつあった。

 人間がひとり通りかかり、連れの絶え間ないお喋りからありがたくも気を散らしてくれた。この夜、オリヴィアの素晴らしい審美眼が真に発揮されていた――下僕たちは背が高くしなやかで、姿も顔立ちも美しく、だが決して飽きはこなかった。その人間が手にした盆には、新鮮な血が揺れる透明な杯が乗せられていた。杯からではなく彼から直接飲んだら罰せられるだろうか、コーデリアはしばしそう考えた。筋肉が脈打つその身体には何の印もなかった。誰かの特別なお気に入りだとしたら、その危険を冒す価値はない。そうでなくとも、広間では既に決闘が五度行われており、そのひとつは敗者の臓物をまき散らすに至るまで発展していた。結婚式で誰かの内臓をまき散らすのは不作法だ。

 けれどナスファーの血族を止めてはいけない。止められるものは滅多にない。コーデリアが新たな杯を手にする一方、十歳ほどに見える少年がその手を相手の胸に突っ込んだ。彼女は舌打ちをした。犠牲者はクリストフ・ローラント、マルコフの一員であり、すぐに決闘に飛びつくことで有名な――だがどれほどの戦闘技能があろうとも、ナスファーの純粋な捕食者の本能から身を守ってはくれない。それでも彼女はクリストフを気に入っていた。彼は何処にいようとも、戦場にいるように情熱的だった。

 だが血を流す彼を見て、彼女はごく僅かな哀れみの残滓を感じるだけだった。そういうものだ。不死者であっても、愛とは花のようにはかない。

「オリヴィアの招待客を見るだけでわかるだろ。怪物どもだ。言うけどな、吸血鬼だからって名前通りに生きる奴がいるか」 レリオは早口でまくし立てた。「ここの全員が揃いも揃って頭を下げて、あの狂った女の言葉を待ってるのは何でだ?」

「レリオ、貴方はヴォルダーレンの血族でしょう」 彼女はきっぱりと言った。

「だからこそあの女のことは誰よりもよく知ってるんだよ! 二百年前だったら、ダムナティの輩と浮かれ騒ぐなんてことは絶対に――」

 レリオの口から血が溢れ出て、彼が続けようとした戯言は途切れた。血は滝のように彼の胸を流れ下った。彼はコーデリアへと手を伸ばしたが、彼女はその死に際の喘ぎを避けた。三秒の後、彼の屍は磨かれた大理石の床に重々しく倒れ込んだ。

 デーモンの支持者として有名なヘンリカ・ダムナティが、彼のすぐ背後に立っていた。真紅の触手がその指にまとわりついていた。暗い色の血液がその杯に満たされていた。動じない凝視が向けられ、コーデリアは逃げ出したい衝動をこらえるのが精一杯だった。

「何て退屈な男」 彼女はそう言った。「あなたのお友達?」

「いいえ、決して友達などではございません。ダムナティ様。そのようなことは」

 グリセルブランドのかつての愛人、そう噂される女性は得意げな笑みを浮かべた。「結構なこと。ところで貴女は?」

「コーデリア――」

「ああ。流城家の方ですわね?」そう言い、彼女はコーデリアの装いを値踏みした。猫がネズミを見つめるような居心地の悪さを感じた。「近頃、流城家の皆様にお尋ねした事が幾つかございますの。ですがどなたも答えて下さらないようで。残念だと思いません?」

 質問に答えなかった相手をヘンリカ・ダムナティがどうするか、噂はあった。かすかな噂、何故なら誰もがそれを声高に語りたくはないために。ダムナティの血族はデーモンと交際していることで有名だが、その目的は不明瞭なままだ。そして更に恐ろしいことに、噂では彼女らはデーモンに……尽くし、対価として他の吸血鬼には手の届かない力を得るのだと。そしてヘンリカ自身はといえば……そう……

 人間の下僕が無言で屈み、レリオの死骸を引きずっていった。ほんの一瞬だけ、コーデリアの気がそれた。だが根源的な恐怖が彼女を圧倒した。自分は吸血鬼かもしれないが、レリオもそうだった。彼のような末路を辿りたくはない。ヘンリカが望むなら、自分をいとも容易く殺してしまえる――

 ちりん、ちりん、ちりん。

 静寂が大広間に広がり、まるで真紅の潮流のように、全員の目が高座へ向けられた。

 オリヴィア・ヴォルダーレンがようやく姿を現したのだ。

真紅の花嫁、オリヴィア》 アート:Anna Steinbauer

 そしてその登場の様たるや! 豪奢な婚礼衣装に身を包み、彼女は階段を舞い降りてきた。薄く柔らかにうねる真紅の裾は、蝙蝠たちが高く持ち上げていた。眩しい魔法の光が今一度新たなきらめきを宿し、花嫁の細部を一つ残らず照らし出した。黄金の装飾品、白く輝く歯、彼女の最も古い犠牲者の霊で作られた豪華絢爛な衣装。コーデリアは今や数百年生きてきたが、これほどの素晴らしい仕立ては見たこともなかった。襟飾りの高さは幼児の身長ほどもあった。

 ヘンリカですら感銘を受けたようで、その唇から柔らかな溜息が漏れた。彼女は片腕をコーデリアに回した。「残念ですこと、パーティーが始まってしまいましたわ」

「ええ、とても――残念です」 コーデリアはそう繰り返した。

 だがオリヴィアは会話をそれ以上続けさせはしなかった。

「ようこそおいで下さいました、我が最愛の友である皆様、そして我が最も熱き宿敵である皆様!」 彼女がこれほど大げさに幸福を強調するのは、決して良いことではない。「早くも少々の殺戮が行われたようですわね。何と楽しいこと! 我が婚礼の宴のための血の生贄とは、言い尽くせないほどの幸せです! とはいえ、花婿なくして婚姻は執り行えません」

 彼女はグラスを高く掲げ、見えざる合図を送った。すぐに高座へと、完璧な装いをまとった下僕の一団が現れた。彼らのほとんどは悪ふざけとしてアヴァシン教の美服をまとい、そしてひとつの精巧な棺を抱えていた。大理石製で金が象眼され、マルコフ家の紋章が描かれていた。

 下僕たちは棺を立たせて置いた。

 その瞬間、大広間はこれまでになく静まった。


 チャンドラ・ナラーは危険に直接突っ込んでいく。

 それがいつもの彼女だった。いつもは上手くいった。だがこの夜、ヴォルダーレンの居城の外に立つ衛兵の脇を抜けようとした際は、上手くはいかなかった。テフェリーが彼女の肩を掴んで止めたその時、一羽の鳥が壁へと飛び込んだ。何らかの魔法がそこかしこに織り込まれているに違いない。接触した場所から、鳥の形をした灰が落ちた。

「なるほど……正攻法で行くべきじゃなさそうね」

 エーデリンは笑いをこらえた。それだけでも、この行動をとった価値はあったように思えた。長いこと、この女性の笑い声を聞いていなかった。幾らかの苦々しさと共に、チャンドラは門の両脇にそびえ立つ衛兵たちを一瞥した。自分たちの直接の落ち度ではないにしても、それは問題の一部だった。

招待制》 アート:Micah Epstein

 正門に直接向かうというのはアーリンの案だった。結婚式が行われているなら――そしてこの、ソリンを含む小集団で現れたなら――中に入れてもらえるかもしれない。それは馬鹿げているとチャンドラは最初から思っていた。面白い衣装をまとっているからと言って、自分の本拠地に敵を簡単に入れるなんて聞いたこともない。だがソリンは、試してみる価値はあると考えた。そのため、ここに来たのだ。

 だが彼女が思うに、正しい回答はこの場所に火をつけることだった。衛兵は退散し、そうでなくとも自分たちは捕まるだろう。そしてそうすれば戦って解決できる。

 イニストラードは勝負所だった。ここに来るまでも、加わりたいという者は誰であろうと仲間に加えてきた。作戦があれば、そしてその作戦の中に吸血鬼のパーティーをぶち壊すというものが含まれているなら、物事はずっと簡単だと判明した。原野、荒野、崖、至る所に沢山の怒りがあり、ただ貪るものを求める沢山の炎があった。

 チャンドラはその全てをよく知っていた。

 騎乗した聖戦士の列が待機し、突入を伺う。シガルダ教の司祭は詠唱を始め、集まった人々へと天使の翼のように祝福をもたらし、等々。吸血鬼に希望はない。月銀の鍵を手に入れて立ち去る。

 だが自分にとって物事が至極単純に見えたとしても、他の者にとってはしばしばもっと入り組んでいる。仲間たちの顔を見ると――五人だけ、他は遠くない場所に隠れている――今回もそうに違いないとチャンドラは感じた。特にソリンにとっては。飲もうとした血に酢を入れられたよう、そう見えた。後にも先にも、これ以上に不機嫌な表情はないだろうと思えた。

「招待状を持たぬ者は入れぬ」 衛兵たちは言った。オリヴィア・ヴォルダーレンは、この仕事のためだけに声が完璧に調和する二体の吸血鬼を選んだに違いない。まさしくその通りの仕事を彼らは行い、そしてそれはイニストラードにおいて最も朗々とした退去命令だった。

「全員この人と一緒に入るのも駄目?」 アーリンが尋ねた。大体において凛々しい彼女だが、今は婚礼用の装いをまとって更に見事だった。その趣味も素晴らしいと言えた。仕立ての良い臙脂色の上着、襟には白樺の小枝が刺繍されている。赤い裏地が見える袖口は、真新しい白色のカフスで留められていた。片方の肩にかけた毛皮が、少しだけ森を思わせた。きっと彼女自身が倒した熊の毛皮なのだろう。小奇麗な装いの彼女が見られるのは嬉しかった――まるで大好きな叔母をパーティーで見るようだった。「この人は招待状を持っています」

「招待状一通につき一人だ」 衛兵たちは声を合わせた。

「そんなのおかしいわよ」とチャンドラ。「一人足すのも駄目なの?」

「もっと沢山入れる余裕は確実にあるでしょう」 衛兵がまとうきらびやかな鎧に身振りをし、ケイヤが言った。「収容人員の問題じゃない」

「それに、イニストラードの全てが新たな女主人に従うのを確実にしたいなら、全員を入れなければ」 アーリンが続けた。「吸血鬼だけを招待するのではなく」

「良い手法とは言えない」 テフェリーが頷いた。

「招待状一通につき一人だ」

 チャンドラは叫びたかった。解決策は極めて単純。突入するだけ、それでいいのでは? 突入するだけ。

 だがこの場所の至る所に防護魔法がかけられていた――魔女たちに破ることができず、司祭にも祓えていない防護魔法が。吸血鬼の兵士たちも監視塔に詰め、不穏な気配はないかと身構えている。彼らのうち、どれだけが魔法を使えるのだろう? どれほど飢えているのだろう? 確かにアーリンとエーデリンは小規模な軍勢と言える人数を集めた――けれど全員が殴り合いに備えているだろうか?

 ここで、今すぐに?

 チャンドラは戦いを求めていたが、一方でこのように開けた場所で戦う危険は無視できなかった。鍵がなければ、あるいはすぐに鍵が手に入るという希望がなければ、収穫祭の虐殺のように終わるだろう。

 あの日は彼女の心に刻み込まれていた。そしてその傷は何年も残る、そう確信していた。沈む太陽の温和な橙色の光の中、横たわる幾つもの死体。クランベリーのワインのように赤いその血が、時間をかけて作った祝いの衣装を汚す。狼男や吸血鬼の扮装は、反抗心の表れだった。そんな人たちが、そうではなく息絶えて横たわる様は……そうでなくとも、戦場は吐き気を催した。

 あれは無辜の人々だった。何人かは、ほんの子供だった。

 そしてそれを考えると――駄目。駄目だ。何も考えずに突入はできない。

 彼女の考えを察してか、エーデリンがチャンドラの肩に手を置いた。その重みが心地よかった。革のかすかな匂いは、常に彼女の存在を感じさせてくれた。彼女がまとう、アヴァシン教の印が刻まれた儀礼用の鎧には気絶するほどの価値がある。だが彼女はいつも、仲間の感情をすぐに察してくれていた。「忍耐強さとは、高潔な者が持つ美点です。とはいえ……高潔であることは時に困難、それは確かです」

「そうだよね」 チャンドラはそう言った。長引かせないのが最善だ。「本当恥ずかしいんだけどさ。格好つけてここに来て、けど何処にも行けないなんて。パーティーがあるって聞いてたのに」

「パーティーだと? これがか?」

 その低い声に殴られたように響き、だがチャンドラはひるまなかった。塞ぎ込んでいたソリンが、ようやく周囲の世界に目を向けてくれたことはある意味嬉しかった。「ただのパーティーじゃないってこと。私は雰囲気を軽くしようと思ったのに、ソリン」

「お前ならお喋りを楽しめるだろう、ナラーよ。だが教えてやる、ここは大人の場所だ」

「お喋りを楽しむ大人もいますよ」とテフェリー。「チャンドラは幾度となく実力を示してきました。冗談を言う権利はあります。それにここは彼女の故郷ではない――召喚に応じなくともよかったし、収穫祭の後に立ち去ることもできた。それでも、彼女はここにいるのです」

 ソリンは手の中の招待状を見下ろし、額に皺を寄せた。まるで不機嫌な古い肖像画、チャンドラはそう思い、笑いたくなった。彼はそんなことを言われたくないだろう。彼女はかろうじて唇を噛み、その笑いをもみ消した。ソリンという人物はとても馬鹿げている上に、自分はこの男をかなり嫌っているかもしれない。それでも、この状況でこんなことを思うなどとは想像もつかなかった。

「お一人で大丈夫ですか?」 アーリンが彼へと尋ねた。

「私ならついて行けるけど」 ケイヤが提案した。

 不機嫌なソリンの周囲を小さな幽霊のケイヤが浮遊する、それは面白い想像だった。だがそれは正確ではないとチャンドラはわかっていた。ケイヤは本物の幽霊ではない。せいぜいそのままの大きさでソリンの後を追うのだろう。それでも、その想像は正しく思えた。だが何が正しく思えたとしても、彼は溜息をついてかぶりを振った。

「私は何世紀もの間、独りだった。何の違いもない」

 チャンドラはその意味を尋ねたかった。彼は独りなどではなかったのだから。ソリンはこの場所の、とても多くの人々に関わっている。気に入っている相手が誰かしらきっといる。そうだろう?

 だが衛兵の間を進むソリンは、誰かを気に入っているような雰囲気をまとっていなかった。


 独り、ソリンは歩いていった。

 両脇の衛兵はそう考えていないに違いなかった。守りを確かにし、外門の交代要員を求める伝言の蝙蝠を送ると、衛兵たちは城内へと彼を案内した。

 ソリンの足音ひとつひとつに、彼らのそれがこだました――靴が大理石の床に鋭く触れる音、鎧が小さく鳴る音。その気があれば、彼らは闇を貫く月光のように音もなく動ける。だがそうではなく、つかず離れずの一定の律動があった。

 そしてすぐに、彼らのわめき声が続いた。

「お前は服装規定を守っていない」 片方が言った。ソリンはその名前を知らず、気にもしなかった。「色使いは招待状に明記されている」

 両脇に、幾つもの塔が岩塊の上に浮いていた。その塔それぞれの中で、ヴォルダーレン家の者たちとその客人たちが血を注ぎ合っている。この場所からでも、放蕩の香りが感じられた。全員が服装規定を守っているのだろうかと彼は訝しんだ。遠くではこの場所の様子を気にもせず、海が荒れ続けていた。

 彼は何も言わなかった。

 血の花弁が外套に触れ、霜を染めた。

 居城の門を通過していくと、ヴォルダーレン家の印が金線で飾られており、その中にオリヴィアの輪郭が浮かび上がっていた。あの女の厚かましさそのもの。自尊心だけで征服ができたなら、オリヴィア・ヴォルダーレンは遠い昔にイニストラードの骨から玉座を作り出していただろう。

 そして今夜、あの女はそうするのだろう。

 扉で立つ女性は明らかな嫌気をもって彼を値踏みした。黒と灰色の衣装は相応しくない、そう言いたがっているように。吸血鬼の政治活動に興味はなくとも、正装とはどういうものかをソリンは熟知していた。このような子供の多くとは違うのだ。

「招待状は?」

 憤慨しながらも、彼はそれを手渡した。対面しているのが何者なのか、この少女は知っている。誰もが知っている。オリヴィアが少女に告げたに違いない、このように振舞えと――未熟者を扉に立たせ、紳士淑女全員を出迎える。その声は極めて冷淡だった。オリヴィアはだからこそこの娘を選んだのだろうか。

「進んでいいわよ」

 もっと若ければ、ソリンはこの扱いに苛立っていただろう。

 だが彼は今や年老いて、疲れていた。早く終われば早いほどいい。

 扉をくぐると、音楽が彼をのみこんだ。魅惑された音楽家たちが金張りの血の泉のそばで演奏していた。その曲は彼が数えるに、少なくとも数百年前のものだった。誰もがそれを知っていた。そして、まだパーティーは正式に始まっていないにも関わらず、その音色に合わせて踊る者たちがいた。窓から入る緑色の光は全てに不気味な影を与え、まるで人々ではなく絵を見ているようだった。

 だがやがて、外の潮流と同じく必然的に、その時は訪れる――飲み騒ぐ者のひとりが飢え、ふらりと近づき、音楽家の喉を引き裂く。

 そのような客人を、人と呼ぶのはおこがましかった。自分の欲望へと徹底的に身を委ね、楽しみをぶち壊すのを我慢できないなどというのは、人間以下だ。

 そして全員がこうなのだ。そう、何千年もの間、ずっとこうなのだ。

「ソリン? あれはソリン・マルコフ?」

 彼は歩き続けた。

 ヴォルダーレンの居城の廊下は通る者を混乱させるように作られていた。それはオリヴィア最古の悪ふざけのひとつだった。何らかの手段で歓楽者たちを酔わせ、絶対にさまよい出てはいけないと言えば、誰かは確実にそうして姿を消す。呟きの回廊には、オリヴィアの図書室の蔵書の全頁を合わせたよりも多くの霊がいる。その全てがオリヴィアの犠牲者であり、この奇妙な廊下をさまよっている。時に扉の先で不意に床が抜け、階段は並び変わる。

 だが何が悪ふざけかといえば、ヴォルダーレンの居城はオリヴィアの気まぐれに従うということだ。

 そしてあの女は胸糞悪いと同時に、意外性に欠けている。

 ある程度、これは起こるべくして起こったとソリンはわかっていた。このようなことが。彼が不名誉な拘禁を被っている間、オリヴィアはあざ笑いたくなるほどに力を求めていた。ここまで露骨に野心のある者が、政略結婚を思いつくのは自然なことだった。ひとたびその考えに至ったなら、彼女に更なる力を与えられる者はイニストラードに僅かしかいない。ヘンリカは力よりも復讐を愛している。ファルケンラス家に相応しい者はいない。流城のルノはやがて知られざる海の存在に身を捧げるだろう。残るのは自分――そしてそれはない――あるいは祖父だ。

 気付くべきだった。

 饗宴の間に近づくにつれ、更に沢山の招待客に遭遇した。下僕はあえて彼を見ようとしなかった。若者たちは思うがままに彼を見た。まるでソリン・マルコフを目に映すというのは大いに不敬な行為であり、不老の存在としての進路を変えてしまうものであるかのように。

「あの男ですよ、岩の中にいたのは」 そんな声が聞こえた。「笑えますな!」

「過食者のような口をしてはないのね?」 その言葉は聞いたことがあった。ファルケンラス家の者たちが獲得した新たな名。

「そんな愚か者の割に、顔は良いわね」

 口元を赤く染めた彼らは、様子を伺いながら忍び笑いを漏らした。グラスが鳴らされた。背後で、衛兵たちの鎧が音を立て続けていた。立ちこめる音楽に、頭上で血の花弁が浮遊していた。

 彼は黙したまま考えた。この者たちがこのような人生を送るために、自分が何を成してきたのか。

 彼は自らの行いを憎んだ。

 この先に、饗宴の間そのものがある。空間はあまりに広大で、いかにしてこの居城の建築に収まっているのか想像できなかった。月の明かりだけでは足りず、不気味な黄緑色の魔法が隙間を埋めていた。踊り手、決闘者、戯れる者、怠ける者――何百人もの姿が、磨かれた大理石の床に映されていた。血の泉が滋養と酩酊を、鎖に繋がれた下僕が客人の中でも目利きの者たちに新鮮味を提供していた。

 扉の脇の敏捷そうな男が、角笛を吹き鳴らした。

「皆様お待ちかね、かの誉れ高きソリン・マルコフ殿が到着されました!」

 殺してやりたい、ここでそう思ったのは初めてではなかった。

 だが、そうしたなら何が起こるかはわかっていた。ここには落ちぶれた自分を見たい者たちがうようよしている。オリヴィアが一言発するだけで、死肉に群がる鴉のように全員が自分に襲いかかる。そして世界中の血魔術をもってしても、稼げるのはわずかな時間だろう。一方で、アーリンの危うい同盟が今も外で待っている。

 そのため、ソリンは叫んだ者を殺さず、自分を見つめてきた者たちも誰一人として殺しはしなかった。どれほど多くの目が自分に向けられたのだろう? わからない。だがその全てを、短剣の先端のように皮膚で感じた。

 だが高段を見上げた時には、心臓に杭を打ち込まれたように感じた。

 間違えようもない。祖父の棺がそこにあった。

 そしてその隣に、犠牲者の濁った魂に包まれて、オリヴィア・ヴォルダーレンがいた。

 放蕩の館を静寂が支配した。

 この場所からでも――広間を隔てても――彼女がゆっくりと笑みを浮かべるのがわかった。

「まあ、愛しのソリン」 彼女が呼びかけた。「何と嬉しいことでしょう! 時間通りに来て下さったなんて」

 ソリンは顔をしかめた。抑えた笑い声が客人たちに波打った。彼は外套を脱ぎ、背後に投げ捨て、奪われた祖父の棺へと進み出た。

「オリヴィア、それは良かった。君は本当に惜しみないな」

「惜しむわけがありませんわ。この喜ばしい場には最高のものだけが相応しい、お判りでしょう? 貴方のおじい様を目覚めさせるとあれば、最高の舞台以外は相応しくありませんもの」

 思わず、ソリンは歯を食いしばった。

 だが彼は進み続けた。一歩、更に一歩。舞い散る花弁。グラスが鳴る音。

 オリヴィアが指を鳴らした。下僕のひとりが豪奢なナイフを彼女に手渡した。

「お望みであれば、ご自身でお尋ねなさい」 彼女はそう言った。「すぐでしょうから」

「君の行動は狂気の沙汰だ」

「狂気の沙汰? まあ、何てことを言うの。これは私の最善かつ最も賢い行いですのよ」

 そしてダガーが動いた。群衆の視線は今やオリヴィアに向けられていた。見せびらかすように、彼女は自らの腕をそのナイフで引っ掻いた。古い血液、力ある血液、辺りの夜のように黒い血液が、エドガー・マルコフの棺へと滴った。

アート:Volkan Baga

 頭上の赤いシャンデリア。足元の赤い絨毯。赤い婚礼衣装の女性、そして白い石造りの棺に赤い血液。

 その一滴ごとに、ソリンの怒りが増していった。あの女性の汚らわしい血液が、歴史ある家族の彫刻に流れる様は、侮辱に等しかった。お前たちがこんな豪奢な生涯を歩んでこられたのは、祖父のお陰だというのに! 自分の祖父が、お前たちを作った祖父が、ただの政治の道具にされている。

 これから何が起こるかはわかっていた。表面の溝は全て棺の内部へ続いている。まさに今、あの女の血は祖父の唇に滴っているはずだ。その勢いに、祖父は圧倒されてしまうだろう――そして、更に悪いことに、彼女自身の記憶と感情が、祖父のそれらと混ざってしまうだろう。

 祖父を起こす際、ソリンは常に細心の注意を払っていた。荒れ狂う感情が落ち着くまでひたすら待ち、心を喜ばしい記憶に保つよう鍛えた。祖父が快適に目を覚ますために必要なことは何でもした。誰も認めたくはないが、まどろみから目覚めた際には驚き怯えるものなのだ。

 そして今、祖父はあの女の血を味わいながら目覚めようとしている。野心に溢れ、この虫けらどもに取り囲まれた……

 それは、言うなれば、子供じみた思いだった。あるいは彼の中でも、かつてなく子供じみた思いかもしれない――そして間違いなく、近年の記憶の中では最も子供じみた思いだった。

 だがそれはそこにあった。全ての中心に、幾度も響くひとつの思いが。

 祖父を失いたくない。

 祖父が傷つけられる様を見たくない。

 あらゆる次元で、祖父より長く自分を知る者はいない。自分の人生をこれほどよく知る者はいない。少年時代から覚醒まで、失敗から成功まで。

 誰も、もはや覚えていない。他は全員、死んだ。

 その実感は燃え上がり、怒りに火をつけた。その思いを悟った瞬間、全てが変わった。慎重さは激情に燃やし尽くされた。

 ソリンは突進した。

 衛兵たちが反応し、四人が槍を交差させた。猫を前にした鼠ですら、これよりは生き延びる希望を抱くだろう。ソリンは飛びかかり、二人が喉を切り裂かれて倒れた。もう二人は血の流れを止められ、その場に凍りついた。彼は再び飛びかかろうとした、オリヴィアへ――

 だが慌てた彼は、もう一人を見逃していた。

 太く、重い鎖が首に巻きつけられてソリンの前進を妨げ、彼は首輪をはめられた犬のように後ろに引かれた。もう一歩だけ前進できれば、オリヴィアを凍りつかせ、この儀式そのものを止められる。

 だがその衛兵はソリンをまた一歩後ずらせた。彼の足が死体につまずいた。

 ソリンは怒りにうなり声を上げた。彼の両眼は目の前に光景に釘付けになっていた。棺、血、微笑むオリヴィアの顔。

 もう……一歩……だけ……

 衛兵がまた一人加わり、祝福された銀の鎖がまたも胸に巻きつけられた。

 それでも彼は進もうとした。

 三人目の衛兵。四人目。更なる人数が加わっていった。ソリンが魔法をかけるより早く、凍りつかせるよりも早く。

 彼にできるのは、手を伸ばし――そして見守ることだけだった。

 棺の蓋が開き、祖父がその中から姿を現した。エドガー・マルコフは集まった客人たちも、拘束された孫も見はしなかった――その目はオリヴィア・ヴォルダーレンだけに向けられていた。

 エドガーは彼女へと微笑んだ。

 ソリンは身体を強張らせ、思い出した。以前にも、祖父はこのように微笑んだ。至福の笑み、純粋な笑み、そしてそれゆえに何よりも恐ろしい笑み。祖父は、まるで子供のように微笑んでいた。

「紳士淑女の皆様方、そしてソリン」 オリヴィアが宣言した。「我が美しき、完全無欠の花婿を紹介致します。麗しきエドガー・マルコフ卿を」

 エドガーは彼女の手をとった。そしてオリヴィアの手首からその血を飲んだ。それは長く、恐ろしい瞬間だった。棺から現れてすぐにそうしたなら、何が起こるか。

エドガーの覚醒》 アート:Joshua Raphael

 食事を終えると、彼はハンカチーフで顔を拭った。エドガーは客人たちへと顔を向け、状況を受け止めていた。

「おじい様!」 ソリンは叫んだ。「おじい様、その女はおじい様を支配しようと――」

 そしてようやく、エドガーはソリンの姿を認めた。ただ、我儘なペットを見つめる飼い主の視線で。ほんの数瞬前の笑みは同情へと変化した。「ソリン、いい子だ。祝いの席を台無しにするな」

「祝いの席?」 ソリンはそう繰り返した。他に何を言うべきか、考えもつかなかった。彼の内に、小さなひとつの希望が引っかかっていた――彼が気付いてすらいなかった希望が――オリヴィアの魅了は祖父を支配するのに失敗する可能性という希望。こんなにも簡単に支配されるなど、ありうるのだろうか?

 祖父の様子は変わらないようだった。オリヴィアが指を鳴らすと、下僕の一団がすぐさま動いた。彼らは蜘蛛が巣を織り上げるようにエドガーに群がり、婚礼衣装を一片また一片と着せていった。

 ソリンは酷く意気消沈した。拘束が解かれたのが微かにわかった。今や、望むなら動くこともできた。

 だが、そうするための力は出なかった。

 オリヴィアが祖父の腕をとったためではない。客人たちが祖父に微笑みかけたためではない。

「その思い焦がれる顔は何かしら? 新郎の家族は貴方だけではなくてよ」 オリヴィアが言った。

 消耗しきった彼は、返答によって威厳を保つことができなかった。

 だがオリヴィアの言う通りだった――自分だけではない。

 棺は他にもあった。マルコフ家の親戚はとても沢山いる。館から全てを盗むなど不可能のはずだ。多くは自分たちの屋敷の中で眠っている。

 そして彼らもオリヴィアの目を逃れられなかったのだ。

 オリヴィアは狂った蜜蜂のように、棺から棺へと舞った。古の者たちを起こすには、数滴を垂らすだけでいい。その間ずっと、エドガーこそが結婚相手であるにもかかわらず、何故か彼女はソリンから目を離さなかった。

 あの女はどこまで知っているのだろう、ソリンはそう訝しんだ。彼が最も嫌う祖先たちを、オリヴィア自ら選んだのだろうか。そうなのだろう。難しいことではない――彼は滅多に家族とそりが合わなかった。

 それがいつ起こったのかはわからなかった。だが、恐らく三人目の叔母がまどろみから目覚め、彼をあざ笑った時だろうか。

 ソリン・マルコフは目を背けた。

 一人また一人、家族がやって来た。一人また一人、彼らはソリンの頬に口付けをして、彼にもそれを要求した。その間ずっと、彼らは何も言わなかった。言うべきことなど何もなかった。

 何といってもこれは結婚式であり、そしてソリンとの会話は常に、マルコフ家の雰囲気を損ねてしまうのだ。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

  • この記事をシェアする

Innistrad: Crimson Vow

OTHER STORY

マジックストーリートップ

サイト内検索