MAGIC STORY

ニクスへの旅

EPISODE 05

往くは道か、彼方か

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往くは道か、彼方か

Adam Lee / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2014年5月7日


 ゾシモスは古の森に接して伸びる泥の道を歩いていた。背の高い木々は涼しい影を投げかけて彼を歓迎していた。太陽は青空に眩しく輝き、彼は春の花々の香りが濃く漂う新鮮な空気を吸った。

 そして、一つの考えがネシアンのアスプのように彼の意識に忍び寄った。それは彼の精神に滑りこみ、固く巻き付いて締めはじめた。

 栄光と栄誉。

 もし、何も成し遂げられなかったら? 神々の寵愛を得られることなく死んだなら? この地には多くの英雄がいる、そして彼らは皆、イロアス神やヘリオッド神、ナイレア神を喜ばせるという欲望に燃えていた。英雄の中には表彰を受けた者たちがいる、神殿で尊敬される者たちもいる。彼らの偉業はとても素晴らしく、心動かされるもので、ゾシモスは焦がれるほどにそれを考えていた。そして仮に機会があったとしても、そういった英雄達のように偉大な存在には決してなれないだろうと、そして彼らが持つ魔法的な武器や神々の寵愛も得られないだろうと感じていた。そのような贈り物は何処で見つければいいのだろう?

 ゾシモスはこのジレンマから心を振り払うことができなかった。それは刺のように、彼の心に痛みをもたらしていた。

 一羽の鳥が、ドライアドのように明るく純粋に歌っていた。一体の黄金色のトカゲが石の上を走り、その皮膚は太陽の光を受けて宝石のようにきらめいたが、ゾシモスはそのどちらも見ていなかった。荒廃した思考だけが耳に響いていた。鮮やかな世界は単調に、足取りは重くなり、旅を続けるごとに、思考がずっしりとのしかかった。

「英雄になりたいのかい?」 声が聞こえた。

 ゾシモスは衣服が脱げそうな勢いで飛び上がって驚いた。

「誰だ?」 ゾイモスは振り返って剣を抜いた。「姿を現せ!」

 恰幅の良いサテュロスが一体、深い低木から小路に跳び出してきた。その手は毛むくじゃらの腰に当てられていた。彼はゾシモスを見ると、その瞳を細くし、彼を観察して唇をゆがめた。「そうだよ。君は英雄になりたいって思ってる。俺は君をしばらく見てたよ、人間さん。悩んでいるみたいじゃないか」


サテュロスの散策者》 アート:John Stanko

「悩んじゃいない」 ゾシモスは言った。「俺は......真面目なことを考えていた。多分、お前には理解できない、お前達サテュロスには全然理解できないことを」

「ばかばかしいね」 サテュロスはそう言うと見上げて顎をかいた。「確かに俺は生きてきて、一日じゅう悩んだなんてことはないけど。でも実際、それは英雄がやるべき最初のことだよ」

「悩むか、悩まないか?」 ゾシモスは尋ねた。

「君には授業が必要みたいだね。座りなよ。いくつか話させてくれないか」 そのサテュロスはゾシモスの前に腰を下ろした。

 ゾシモスは剣を鞘におさめ、近くの岩へと腰かけた。そのサテュロスは若くも歳経ているようにも見え、その瞳には陽気なきらめきがあり、物腰は軽やかだった。だがそれら全ての下にゾシモスは何か別のものを、具体的に言えない何かを感じた。

「君の庭は雑草だらけだ」 そのサテュロスは言った。

「庭? 俺は庭なんて持ってない」 ゾシモスは混乱して言った。

「君の庭」 サテュロスはゾシモスの頭を小突いた。「雑草だらけの」 そのサテュロスは小さなポプラの木の幹にもたれて座った。「そして君はその中の、珍しい花を育てようとしている。それは無理だ」

 そのサテュロスは細いパイプを取り出し、煙草を詰めて火をつけた。彼はその濃い眉の下からゾシモスを見つめた。「吸うかい?」

「いや、いいよ」 ゾシモスは言った。

「悩みはフィナックス神が作ったものだ、ファリカ神の最もきつい毒にも匹敵する凄い病気、ただ悩みは筋肉じゃなくて心を冒す」 そのサテュロスは腕を曲げ、長く煙を吐き出した。「何かを知りたい? 君が悩む時、君は実際、フィナックスを信奉していることになる。悩みはその神を大いに喜ばせる、それは知ってたかい?」

 ゾシモスは首を横に振った。

「うーん。思うに俺はこれも教えないといけないようだ」 そのサテュロスは近寄って囁いた。「フィナックス神を信奉するってことは、イロアス神を馬鹿にするのと同じことだ」


欺瞞の神殿》 アート:Raymond Swanland

「神々よ」 ゾシモスは言った。「そんなふうに考えたことなんてなかった」

「深刻に考えすぎない方がいい。悩みなんてただの雑草に過ぎない。でもその根っこは、ああ、そうだな、これも話しておいた方がいいか」

「根っこ?」 ゾシモスは尋ねた。

「死の国の造幣工の話は聞いたことあるかい?」 サテュロスが尋ねた。

「本で読んだのと、哲学者から聞いたことはある」

「本と哲学者、か」 そのサテュロスは溜息混じりに言った。「あいつらからは君は何も見つけ出せないよ、でもそれは置いておこう。死の国の奥深くに造幣工達がいる。でも、普通の造幣工じゃない。彼らは死の国で使う貨幣を鋳造している。ところで、死の国では黄金が何処にでもあるから、それは価値がない。死の国で価値のある貨幣、オストラコンはただの粘土から作られる――でも、どんな粘土でもいいわけじゃない。死者の、葬送の仮面の粘土を砕いて作られる」


死の国の造幣工》 アート:Mark Winters

「どうして葬送の仮面がそんなに価値があるんだ?」

「仮面が価値を持つのは、人生においてその者が何者だったが仮面に彫り込まれているからだ。そしてエレボス神は、決して認めることはないけれど、頭上に広がる生者の世界を切望している。彼はその世界へと戻ることは決してできない。だから意地悪なことに、彼は恐ろしい対価を支払わない限り、誰もそこへ戻ることを許さない」

 ゾシモスは今までに見て来た多くの葬送を思い出した。葬送の仮面が彼の目の前でひらめいた。単純なものも、贅沢なものもあった。仮面はどれも、その表情の中に一つの人生全てを閉じ込めることを願って作られていた。

 そのサテュロスは続けた。「さて、偉大な英雄の仮面を、もしくは王の仮面を考えよう。それは他のどんな仮面よりも価値があるかもしれない。つまり、重要な人々はそういう凄い仮面をかぶせられる。でも、死の国の川岸で、造幣工の隣で、王や英雄の仮面は物乞いや愚か者、盗賊の仮面とごた混ぜにされる。エレボス神はその者の人生について何も気にしない。彼は君がかつて存在したということだけを気にとめる」

 ゾシモスは山と積まれた仮面から死の国の住人達ためにオストラコンを刻む、神秘的な造幣工を想像した、

「エレボス神は何事をも等しく見る。彼の神は俺たちを死の国に閉じ込める、そこから何も戻らないように。ただ新しい自我を鋳造して蘇りし者の一体とならない限りは。それがどんな恐ろしい過ちかは、どんな馬鹿にだってわかることだ」

 ゾシモスはかつて一度だけ蘇りし者を見たことがあった。魂を持たない、悲しげにさまよう存在。それを思い出すと、今でも背筋が寒くなるのだった。

 そのサテュロスは若者の不安を見てとった。「君が決断を下す前に、エレボス神が助言をくれる。真実の本質への生きた糸口だ」

「何の真実? エレボス神は恐ろしくて無慈悲だ」

「エレボス神は俺達に見つけさせてくれる、本当に価値あるものが何なのかってことを」 そのサテュロスは一本の花の茎を折り、指で花をくるくると回した。「俺達がいかに地位や身分や肩書を誇示しようと、自慢しようと、飾ろうと、それは最後には価値のない粘土の仮面になってしまう。俺達は死の国まで、誇りや財産を持ってはいけない。そこでは何もかもが無価値になる。なら、何をするかだ。何をする?」


死の国の重み》 アート:Wesley Burt

 そのサテュロスはゾシモスをじっと見つめた。

「わからないよ」 ゾシモスは言った。

「そこだよ、友達」 そのサテュロスは言って、ゾシモスを花で指した。「始まりの場所にはぴったりだ」

「考えるんだ、仮面や彫像に刻まれないものについて」 サテュロスが言った。「生者は死んだものの力にはなれない。もしかしたら、大切なのは君が置いてきたものが何かってことだ。そして、真の英雄が置いてきたものは何だろう? 安定した生活、平和、賑やかに栄える世界、皆が成長するための場所。英雄は、死の仮面や派手な肩書や財産なんて気にしない。英雄はあらゆる形の、善性の花だけを考えるものさ」

「善性の花」 ゾシモスは繰り返した。

 そのサテュロスは近くの蔓を強く引っ張ってちぎった。その茎から琥珀色の樹液が滴り落ちた。

「これを舐めてごらんよ」 サテュロスは言った。

 ゾシモスはその黄金の滴に舌を触れた。どんなものとも違う味が彼の口に優しくうずいた。豊潤な甘みが広がり、果実と土と葡萄酒の香りが鼻孔を満たした。

「......うまい」 ゾシモスは言った。


豊穣の泉》 アート:Jack Wang

「世界はいいものだよ、君」 サテュロスは微笑んだ。「そういうこと。世界の全ては庭、人間は考え方や発想、「栄光」に――それが何であろうと――とらわれている。でもそんなものは春のそよ風、歌、踊り、蜜蔦の味の前では失われてしまう。英雄はその意識を皆へと伝える、そして皆を危害から守る。だからこそ皆はその庭の、自分たちの場所の草刈りをすることができる」

「わかったような気がする」 ゾシモスは言った。蜜蔦はまだ彼の内で温かかった。

「その剣は良いものだけど、君には短刀も一本必要なんじゃないかな」 サテュロスはゾシモスへと、鈍く錆びた短刀を差し出した。まるで採石場から石を切り出すために使われていたようなものだった。「一人の英雄が目覚めた時、あらゆる物事が暗黒から、英雄の光を消すためにやって来る。君は用心しすぎるってことはないよ」

 ゾシモスは礼儀としてその刃を受け取り、ベルトに差した。

 サテュロスは立ち上がるとパイプを軽く叩いて灰を落とし、腰の土を払った。「じゃあね、英雄くん。今日はいい日だね!」

 彼は鹿のように森の中へと跳ねていった。

 ゾシモスはしばし石の上に腰かけたまま、肌を撫でる風を感じていた。陽の光に暖められた大地から、彼は土と草の匂いを感じた。この世界には怪物も、恐ろしい神々もいる、だがそれらはどこか、全てが釣り合いを成しているように思える。そしてゾシモスは悟った、創造という偉大な舞踏の中で自分が演じるべき役割は何かを。彼は感じ取った、彼という存在の核で善性が燃えているのを。自分自身を理解した。

 彼は立ち上がると、小路を下っていった。それは彼の目の前に続く、運命という織物の撚り糸のようだった。彼は元々メレティスへと向かっていたが、あのサテュロスとの遭遇の後、その内で何かが変わった。彼は変わっていた。歩きながら、彼は東の地平線へと引き寄せられていくのを感じた。そしてもはや耐えられなくなり、小路から外れた。

 背の高い草に脚をこすられながら、彼は遠くの山々へと引き寄せられる感情に従った。ゾシモスはそれらの山々に何があるのかはわからなかった。知っているのは、身体で、骨で感じるもの、言葉なしに語るものだった。彼は長い間、悩ましい考えを追ってきた。怖れと疑いを、フィナックスの種子を追ってきた。今や彼は自身の運命を追っている。

 前方に幾つも続く緩やかな丘、その最初の一つに登った時、彼は腰のあたりに一瞬の熱さを感じ、それに続いて眩しい光を見た。見下ろすと、そこにはあのサテュロスに渡された短刀が、今や神々が鋳造した輝く剣と化していた。

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