MAGIC STORY

多元宇宙の物語

EPISODE 10

アブザンの魂

Izzy Wasserstein
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2026年7月7日

 

 黄昏時。太陽を背に、反乱軍は砂漠から殺到して移動駐屯所を急襲した。突撃を率いるのはフェロザーだった。その剣、心血の剣が四肢を絶ち喉を裂く。ドロモカ軍兵士たちの血が飛び散り、砂に落ちてすぐさま蒸気と化した。

 奥へと切り込んで行くと、ひとりの青年がよろめきながら天幕から飛び出してきた。鎧を着てはおらず、手にしているのは長ナイフ一本のみ。兵士ではない。おそらく砂漠を渡る途中で駐屯地に安全を求めた不運な職人か何かだろう。勇敢、だが無謀だ。その男が刃を振り上げる前に、フェロザーは手首のひとひねりで武器を叩き落とすと、自身の剣先を相手の喉元へと突きつけた。

 「降伏しなさい」

 両目に恐怖を浮かべながら、青年は従った。フェロザーはそのまま去った。

 恐慌の叫びと鋼のぶつかる音がそこかしこで響く中を、フェロザーは目的の場所へと近づいていった。斥候からの報告曰く、わざわざ儀仗兵が控えている極めて珍しい天幕。運が良ければドロモカの群れの高位者か、あるいは反乱軍に加わってくれるであろう離反者に会えるかもしれない。祖先よ、どうか価値ある獲物でありますように。ファイレクシアの侵攻によってドロモカ軍は壊滅的な打撃を受けたとはいえ、その群れの龍はたった一体でも軍隊ひとつを壊滅させる力を持っているのだ。

 天幕に辿り着くと、儀仗兵ふたりが彼女を出迎えた。その飾り立てた鎧では、金色の鱗がこの日最後の陽光にきらめいている。彼らは周囲の大混乱や死にゆく者たちの悲鳴にも動じておらず、歴戦の戦士であることは明白だった。

 儀仗兵ふたりは左右に分かれ、警戒しながらフェロザーとの間合いを見計らった。

 フェロザーは言った、「同族の血を流したくはありません。退いてください、そうすれば手出しはしません」とはいえ、彼らがその申し出に応じないであろうことはわかっていた。

 「裏切り者の言葉など、毒されたオアシスのようなものだ」儀仗兵のひとりが言い放ち、フェロザーの足元に唾を吐き捨てた。「裏切り者」という言葉が自身を切り裂く。同胞に刃を向けることと同じほどに、フェロザーはそれが嫌だった。

 だが戦争は綺麗事などではない。

 「仕方がありません」フェロザーはそう告げた。相手はすでに動き出していた。よく連携されており、左右から同時に襲いかかってくる。だがフェロザーは備えていた。先程唾を吐いてきた方へと彼女は駆け、刃を振り上げて相手の防御を圧倒し、大腿動脈を切り裂きにかかる。だが敵は直前で勢いを止め、身をひるがえして回避した。フェロザーが身を屈めると、敵の反撃が音を立てて空を切った。

 咄嗟にフェロザーは横へと転がった、それが彼女の命を救った。もうひとりの兵士の槍が、直前までフェロザーがいた場所の砂に突き刺さる。彼女は転がりながら短剣を鞘から抜き、槍を振るう兵の足へと突き刺した。だが相手は非の打ちどころのない兵士だった。喉から悲鳴を漏らしながらも槍を操り、鋭い穂先でフェロザーの喉元を狙ってきた。

 フェロザーは手甲でその一撃を受け流したものの、衝撃によろめいた。それを好機と見て、無傷の兵士が素早く肉薄する。素早すぎるほど、と言っていいかもしれない。フェロザーは前方向への動きを利用し、どうにかその攻撃を受け流した。相手は身体をひねり、だが遅すぎた。フェロザーは心血の剣を突き上げ、鎧の隙間から敵の腹部へと刃を深々と刺した。

 優雅な技とはとても言えなかった。剣は死にゆく男の胴に刺さったまま、容易に抜けそうにはない。フェロザーは剣を諦めて素早く立ち上がり、その男の首筋を掴むと片足を相手の脚にからめて身体を回転させた。フェロザーを狙ってきたもうひとりの槍が、仲間の背中に突き刺さった。

 その男には才能があり、よく訓練されている。だが負傷しており仲間もいない。フェロザーが戦いを終えるのは簡単だった。

 そして息を整えていると、駐屯所のどこかから反乱軍の歓声が響いた。自分たちの勝利だ。とはいえ仕事はまだ終わっていない。フェロザーは額の汗を拭い、剣を引き抜き、天幕の中へと足を踏み入れた。

 中で待っていたのはひとりの少女だった。まだ幼く、12か13歳ほどだろうか。それでもその顔には憤怒が刻まれていた。フェロザーにはその表情がよくわかった。自分も、何度となく同じ表情を浮かべたことがある。

 「害をなすつもりはありません」少女から距離をおいたまま、フェロザーは言った。

 「私からはあるっていったらどうするの、裏切り者さん?」少女は細く短い剣を抜き、決闘の構えをとった。明らかに、それなりの訓練を受けている。

 自分の身を守ろうとしなかったなら、この娘を侮辱することになるだろう。フェロザーは自身の刃を掲げた。「私を殺そうというのであれば、貴女の名を知っておきましょう」

 侮辱されたのだろうかと、少女は顔をしかめた。だがフェロザーの言葉は真摯そのものだった。もし暴力が必要だとしても、せめてそこには名誉もまたあるべき。少女は足指の付け根に力を込めて踏み出し、牽制をかけ、そして素早く突いてきた。

 一度、二度、フェロザーは攻撃を受け流し、そして飛び退いて空を切らせた。「ふうん」少女は息を切らした。「私の名前はヴァシ」

 「光栄です、ヴァシさん。私はフェロザーといいます」

 ヴァシはまたも顔をしかめた。どうやら自分の評判は広く知れ渡っているらしい。少女は再び攻撃をしてきた。今度はこちらの間合いに潜り込むつもりと見える。賢い作戦ではあるが、フェロザーには長年の経験と、祖先たちの導きという強みがあった。ヴァシが動くとフェロザーは滑らかに前進して迎え撃ち、ヴァシの細剣が危険な角度を突く前に自身の剣を交差させた。そして突き返す。強すぎず、だがその力に相手は地面に転がった。

 フェロザーは下がり、少女が立ち上がるのを見守った。「この戦いは終わりです。駐屯所は私たちが制圧しました。たとえ貴女が私を殺したとしても、襲撃部隊の全員を切り抜けていかねばならないのですよ」

 そしてヴァシが繰り出してきたのは、純粋なまでの猛攻撃だった。フェロザーの方が優れた戦士ではあるが、才能あるこの少女は危険な相手だ。優れていようといまいと、自惚れた戦士は死ぬ運命にある。フェロザーはあえてヴァシを勢いづかせた。そして相手が踏み込みすぎた瞬間、横へと避けて身をひねる。一撃を受け流し、次なる攻撃は手甲で弾き返す。だがヴァシは素早く、逸れた攻撃であってもなお脅威だった。少女の刃はフェロザーの鎧の継ぎ目をとらえ、上腕の筋肉へと深く突き刺さった。だがその傷は喜んで支払うべき代価だった。それを好機として、彼女はヴァシの喉元に刃を突きつけた。

 「これが練習試合であれば、貴女の勝利でした」フェロザーは告げた。ヴァシは目を見開き、フェロザーの刃を見つめた。

 「それで?」少女は問いただしてきた。フェロザーはその声色をよく知っていた――恐怖に直面してなお、抗う。「手短にお願い」

 「貴女には才能があります」刃を動かさずにフェロザーは言った。「ですがまだ修行が足りませんね。貴女を殺さなければならないという選択肢は、できれば避けたいのですが」

 「私はドロモカ様に忠誠を誓っているのよ、裏切り者」だがヴァシの声色にある何かに、フェロザーは希望を抱いた。「降伏なんてするものですか」

 「そうであれば、降伏しろとは言いません」フェロザーの脳裏に、試したいことがひとつだけ浮かんだ。立場が逆だったとしたら、自分自身も受け入れるであろう唯一の申し出。「代わりに提案があります。私が貴女を鍛えましょう」

 ふん、とヴァシは鼻で笑った。それでもその瞳には好奇心が閃いていた。「何でそんなことを?」

 「理由は沢山あります」フェロザーはそう答えたが、明確に言えるのはひとつだけだった。「訓練を終えた暁には、私と正式に決闘をする機会が与えられます」

 ヴァシは懸命にこらえようとしていたが、そこに浮かぶ興奮をフェロザーは読み取った。「それを誓って言える?」

 「逃亡を試みないと貴女が誓うなら」

 「裏切り者が約束を守るの?」

 フェロザーは怒りを嚙み殺した。ヴァシはこちらを試しているのだ。「私の名誉にかけて、祖先の名誉にかけて誓いましょう。私の全力をもって貴女を鍛え、そして時が来たなら決闘を行います」

 「フェロザー。公明正大な女性だとは聞いてるわ」ひとつ大きく息をつき、ヴァシは言った。「裏切った後でさえそう言われてるんだもの。ドロモカ様の愛にかけて誓うわ。私たちが決闘するまで、逃げ出そうとはしない」

 フェロザーは剣を下ろした。「結構です。さあ、斃れた者たちから鎧と、今よりももっと重い武器をとりなさい。速度と鋭い刃だけであらゆる問題が解決できるわけではないのですよ」


 金属がぶつかり合う音が洞窟内に響き渡る。一月前のヴァシは、死した女性兵士から手に入れた曲剣を持ち上げるのがやっとだった。だが今、その剣を熟練の戦士のように扱っている。重量にはまだ翻弄されているものの、筋力も日ごとに増していた。これほどの天賦の才のある戦士を指導するのは、フェロザーにとっても久しぶりのことだった。この娘が駐屯所で保護下にあったのも不思議はない。おそらく群れの上層部が、あるいはドロモカ自身までもが、ヴァシに対して大きな期待を寄せていたのだろう。

 「良いですよ」フェロザーは教え子に告げた。「一週間前は、あの攻撃に深入りしすぎていましたね」

 ヴァシはにやりと笑った。「言われた通りのことよ。一撃で仕留められなかったなら、どうやって身を守るかを常に考えてないといけないって」

 フェロザーが教えることを、少女はすべて吸収していく。ひとつを除いて。

 ふたりは慎重に間合いをはかる。他の若者たち、反乱軍やその子供たちが様子を見ようと集まってきた。反乱軍の中における特異な立ち位置からヴァシは興味の的であり、またその才能から「必見の興行」となっていた。もしかしたら、この訓練の様子を見て何かを学び取り、命が助かる者がいるかもしれない。フェロザーはそう願った。とはいえ独りで物思いにふける時は、思案せずにはいられなかった――自分たちのひとりでも、果たして生き延びることはできるのだろうかと。

 ヴァシの戦い方は、ドロモカの群れの中では異色といえた。速度と正確さに頼っているのだ。この娘が戦線や城壁の守備で適性を見せることはないだろう。だがそこそこ有能な指導者であれば、これほどの才能ある戦士を用いる方法はいくらでも思いつくはずだ。

 ヴァシは地の利を求め、フェロザーは好機をうかがう。両者の動きが洞窟内に舞踏のような軌跡を描いていく。ヴァシの動きを完全に把握しようとは望んでいないし、その必要もない。遅かれ早かれ、この娘は踏み誤るか間合いを見誤るだろう。その隙を突くだけのこと。それはアブザンが長年に渡って用いてきた戦法、祖先はそう教えてくれた。

 だが今回、ヴァシはフェロザーから学んだ慎重さを見せており、好機を与えなかった。いいだろう。新たな教訓を与える時が来た。

 明らかに、ヴァシはすべてが自分の作戦通りに進んでいると考えている。フェロザーはこちらを疲労させようとしている、そう推測すらしているのかもしれない。かつて自身も使った手口だ。だが彼女は、フェロザーに誘導されていることには気づいていなかった。ヴァシを狙い通りの場所に追い込むため、自身の守りを犠牲にしていることには。

 「動きのキレが落ちたんじゃない?」ヴァシはにやりとして尋ねた。

 「そうかもしれませんね」フェロザーはそう答え、攻撃を放った。ヴァシは飛び退いてその刃を軽々と回避したが、直後にフェロザーと壁との間に追い込まれていると気付くだけだった。両目を見開く。ヴァシは壁を蹴って跳躍し、意表を突く角度からの攻撃を試みた。巧みな動き、だがフェロザーは以前も同じものを見ていた。彼女は身を翻してヴァシの手から剣を弾き飛ばすと、自身の剣の腹部分を少女の首筋に当てた。

 「水分補給をしましょう」そして水を飲みながらも、フェロザーは講義を続けた。「ヴァシ、先程私はどうやって貴女に勝ちましたか?」

 「私を隅に追い詰めて」

 「貴女が自身を隅に追い込むがままにさせたのですよ」フェロザーは少女の言葉を訂正した。「私に有利な条件で戦うために、捨てるべきものを捨てて」

 一瞬、ヴァシは遠くを見つめた。「保護区の姉さんがいつも言ってた。戦いの行方を決めるのは地形だって」

 「賢明な人ですね、そのお姉さんは」フェロザーは慎重に言葉を選んだ。ヴァシが、過去に関わった誰かの話をしたのは初めてだった。「その人も戦士としての訓練を?」

 ヴァシは顔を曇らせた。自分たちが出会ったあの夜と同じほどに、怒っているようにも見えた。

 「関係ないでしょ、反逆者さん」ヴァシはそう言って立ち上がった。「もう一回やる? それとも、もう疲れちゃった?」


 フェロザーの懸念通り、軍議は不満足に終わった。ドロモカの群れは弱体化している。そして反乱軍に残された唯一の希望は、相手が戦力を立て直す前にその隙を突くこと。たとえ破滅の危険を冒してでも、早急に行動を起こさねばならない。一度の失策、あるいは一度の拙劣な攻撃でも、反乱軍は敗北へと追い込まれてしまうだろう。行動を起こすのは危険だが、躊躇しすぎたなら確実に失敗するだろう。フェロザーはその事実を告げたものの、皆にそれを受け入れる覚悟があるかどうかは疑わしいと感じていた。

 ヴァシは軍議の前と同じ場所、族樹の所にいた。実のところ、それは黒く焼け焦げたひとつの切り株でしかない。それでも、細くも新たな枝が何本も伸びており、松明の光を受けて黄金の葉がかすかに輝き、その内に秘められた力を語っていた。ドロモカは族樹を冒涜的なものであると説き、一本残らず破壊したとしていた。だがアナフェンザが一本を見つけ出し、絆を結ぶことでドロモカの言葉が嘘であると証明したのだった。その発見はアナフェンザの命を奪うことになったが、反乱の種はすでに蒔かれていた。族樹を通じて、祖先たちが語りかけてきた。彼らは龍が支配していなかった時代について語ってくれた。氏族が祖先と交信し、龍の気まぐれによって家族が引き裂かれることなど決してなかった時代を語ってくれた。

 ヴァシは族樹を嫌っていた。当初はその樹の傍にいることすら拒んでいた。だが祖先の導きなしに決闘に勝つ望みなどないとフェロザーは説き伏せた。そうしてようやく、樹の下で瞑想し祖先と対話することにヴァシは渋々同意したのだった。だが少女の表情を見る限り、今回もまた上手くはいかなかったらしい。目を閉じ、懸命な様子で顔面に皺を寄せている。フェロザーは邪魔にならないよう少し離れて座り、教え子が瞑想を終えた合図である、あの息を吐き出す瞬間を待った。

 「はあ」ヴァシはついに声を発し、そしてはっと気づいた。「そこにいたの」

 「邪魔をしたくありませんでしたので。どうでしたか?」

 「はあ」少女は再び息を吐き、自分の両手を見下ろした。「まだわからない。祖先がどうやって手伝ってくれるのか、あんたを殺すことを」

 フェロザーはその挑発に乗らなかった。「私たちの訓練と大きな違いはありません。祖先はただ、異なる教えや異なる対話の仕方をくれるというだけです」

 ヴァシは鼻で笑った。目を合わせようとはしない。

 「何かの罠だと思っているのですね」フェロザーはそう言い、そして自分自身に驚いた。この事実に気づいたことが、これほどまでに痛みを伴うとは。自分は群れとの繋がりを奪われており、残されたのは名誉だけなのだ。

 「そっちは反逆者だもの」とヴァシ。そしてきまりの悪いような表情を浮かべる。不機嫌な声を発したと気づいたに違いない。「でもいいえ、罠だとは思ってないわ。でももし私がこれからもこんな冒涜を続けなきゃいけないなら、その理由くらいは理解させてもらってもいいでしょ」

 フェロザーは思案した。目の前で族樹は温かな光に輝いており、祖先たちの視線が感じられる。

 「私たちはアブザンです。ドロモカが現れる遥か以前から、私たちはアブザンでした。敵の軍勢は私たちを前にして砕け散ります。何故かはわかりますか?」

 「団結してるから」しばしの間の後、ヴァシは答えた。「そんな話をしたって、そっちの立場が有利にはならないでしょ、反逆者さん」

 「政治の議論がしたいのですか、それとも答えが欲しいのですか?」フェロザーは鋭く尋ねた。

 「答えね」

 「私たちが、団結しているからです」フェロザーはそう断言した。「私たちの盾は、隣に並ぶ戦士たちの弱点を守ります。そして隣に並ぶ戦士たちの盾もまた、私たちを守ります。祖先も同じです。ただその盾は空間を埋めるのではなく、時を埋めるのです。祖先は私たちを導き、知恵を授けてくれます。遠い昔には、祖先たちが姿を現して共に戦ってくれることさえありました。族樹を守ることは祖先たちの記憶を生かし続けること。私たちは祖先たちの剣と盾となり、彼らもまた私たちの剣と盾となるのです」

 「そうは言うけど、祖先なんてとっくの昔に死んでるでしょ。どうしてドロモカ様じゃなくて霊の囁きの方を信じるの?」

 フェロザーは溜息をつきたい衝動をこらえた。「祖先は私たちの一部だからですよ、ヴァシ。私たちが私たちである、その存在を形作る一部だからです。その事実を無視しようとすることはできますが、そうしたなら私たちは……中途半端なままでいてしまいます」

 ヴァシは小さく身動きをし、あえて視線を合わせた。「わからない。それに、自分の祖先が誰かなんて知らないし」実際、知る者はほとんどいない。ドロモカは子供たちを実の親から引き離す政策をとっているためだ。

 「私は自分の祖先を知っています」フェロザーは穏やかに言った。「何人か、ですが。族樹の中から語りかけてくれるのです、そして……」言葉を探す。「私は彼らのものであり、彼らは私のものなのです」

 ヴァシはフェロザーの顔をしばし観察し、そして顔をそむけた。長い沈黙。ヴァシはまたも心を閉ざしてしまったのでは、フェロザーがそう感じる程には長く。ほんのわずかに垣間見せた、あの脆さを守るためだろうか。だがやがて少女は再び口を開いた。

 「自分の祖先が誰かなんて、どうやって知るの?」その声色は臆病な小動物を思わせた。何かに驚いた途端、すぐにクレオソートの茂みに姿を消してしまうような。

 「そこが一番素晴らしいところです」フェロザーは穏やかに言った。「少なくとも、私にとってはそうです。族樹が私たちに呼びかけ、そして血を越えて私たちは祖先と繋がり、祖先は私たちと繋がるのです」

 「つまり、祖先ってのは、単に血筋の問題ってわけじゃないってこと?」ヴァシは噛みしめるようにその言葉を発した。

 「『血筋』という言葉をどう捉えるかによります。ある意味では、私は私を鍛え上げてくれた兵士全員の血筋です。私を形作ってくれたのですから。祖先というのは、私たちのために道を切り開き、私たちがこの私たちであるということを可能にしてくれた、すべての者たちなのです」

 ヴァシはまたも警戒するような視線を投げかけた。その大きな瞳は何も見逃さない。

 フェロザーはためらった。こちらを殺そうとしている相手に弱みを見せるのは賢明ではない。だがヴァシに対しては正直でなくてはならないのだ。「小さい頃、周りの人たちは私を男の子だと思っていました。そして私たちの多くがそうであるように、私は両親が誰なのかを知りません。ですので、とても長い間、自分は孤独だと感じていました」

 「ああ」ヴァシは穏やかに微笑んだ。「そして祖先を見つけたと」

 「そうです。そして私が選び、私を選んでくれた祖先だけではありません。私の友達、私が教えた兵士たち、教えてくれた兵士たちもです。裏切り者とみなされた時でさえ、私は自分自身であることを、真の家族の名を名乗ることを後悔はしませんでした。自分ではない何かのふりをする気はありません。祖先は私を強くしてくれただけでなく、私が民を強くするのだと教えてくれました」ふと思う――いつか自分に安らぎの時は訪れるのだろうか? 龍たちや、自分の死を望む少女戦士たちに煩わされることなく、ただの「叔母さん」として過ごせる日は来るのだろうか。「だからこそ、貴女は私を打ち負かすために族樹と触れ合う必要があるのです。祖先が私をどれほど強くしてくれたか、それを私は知っているのですから」

 「私が育った所に……」言葉を慎重に選びながらヴァシは言った。「姉妹みたいに育った子たちがいたの。うん、何人も。でもその中のひとり、バーラとは……本当の姉妹みたいだった。本当の姉妹ってこんなふうなのかなって思ってた。あの子は小柄で、他の子たちにいじめられてたから、私が強くなって守らなきゃって。それに、あの子も私を守ってくれてたんだと思う。ただやり方が違うってだけで。あの子と一緒にいると、私、怒ってても……」

 「怒りがすべてではない、その子はそう教えてくれたのですね」フェロザーがそう締めくくった。彼女自身もまた、遠い昔に同じ教訓を学んでいた。

 ヴァシは肯定のうめき声を発し、涙をこらえた。「けどそれから、私はあの子と引き離されたの。理由はわからない。親しくなったからなのか、それとも……私の戦闘の腕が見込まれたからなのか。あの子を守ろうとしたことで、私はあの子を守れなくなった」

 ヴァシが友人だったなら、あるいは他の何者かだったなら、抱きしめていただろう。だが自分たちは敵同士だ。「ごめんなさい、ヴァシ。バーラは貴女の家族です。例え血が繋がっていなくとも」あまりに残酷なことが気軽に行われている、ドロモカの権力を固めるために家族を引き裂くなどという恐ろしいことが。これこそ、反乱が必要な証拠だ――そう言いたい衝動をフェロザーは必死にこらえた。自分たちの間に築いてきたとても小さな理解は、そのような言葉の重みの前では脆すぎる。

 ふたりは沈黙したままでいた。ヴァシは後ずさり、目から涙を拭った。「ドロモカ様に会ったことがあるの?」

 「あります」最後に会ったのは、あの龍王が彼女からその地位を奪い、処刑を命じた時のことだった。

 「なら、わかってるでしょ。ドロモカ様だけで軍隊ひとつに匹敵する力を持ってるって。その族樹とか祖先の助けとかがあったって、あんたたちごたまぜの連中が勝てるなんて本気で思ってるの?」

 今回はフェロザーが視線をそらす番だった。彼女自身、幾度となく自問してきたのだ。ヴァシは鼻を鳴らした。フェロザーの表情にその返答を見たに違いない。

 「私の道は定まっています」やがてフェロザーはそう言った。「そしてそれを進みます。祖先たちがそうしたように」彼女は立ち上がり、片手を差し出した。「さあ。手合わせをしましょう」


 「どういうつもり?」ヴァシがこれほどの怒りを声に込めるのは数週間ぶりだった。瞑想を中断され、フェロザーは目を開ける。族樹は目の前にあり、その隣でヴァシが曲剣の柄に手をかけ、敵意をむき出しにして睨みつけていた。

 「どういうつもり、とは何ですか?」フェロザーに心当たりはなかった。

 「戦いに行くつもりなんでしょ、私に黙って」

 フェロザーは眉をひそめた。「私の計画をすべて話すと約束した覚えはありませんよ」

 「誓ったはずでしょ!」ヴァシの言葉が洞窟に響き渡った。「いつか決闘するって!」

 「ええ、そしてそれを尊重していますが」怒りが胸にこみ上げる。戦略上の要衝への襲撃、その指揮を志願したのは事実だった。成功すればこの戦争の形勢を一変させられるかもしれない。だがまさにその理由ゆえ、罠である可能性も高い。自分たちにとって、時は味方ではない。危険を冒す以外の選択肢はほとんど存在しない。

 「戦いに行って殺されたなら、誓いは守れないでしょ!」ヴァシは怒鳴ってこそいなかったが、口調はそれに近かった。

 「生き延びるつもりです」深呼吸の後、フェロザーは言った。「ドロモカ軍の者に計画を明かすことはできませんが」

 「私は誓ったわよ、逃げようとはしないって」

 「決闘の時までは」とフェロザー。「こちらの秘密をドロモカの元へ持ち帰らせるわけにはいきません。それはお分かりでしょう」

 「族樹のことは、あんなに嬉しそうに教えてくれたのに」ヴァシは拳を握っては開いてを繰り返している。だが体重の配分は完璧だ。なんと優秀な生徒だろう。休憩の最中であっても、危険に備えるすべを身につけている。

 「そうする義務がありましたから」

 「義務とか!」ヴァシは呪詛を吐くように言い放った。「ここの人たちの半分が行動を起こしてることに私が気づいてないとでも? 自分たちが今どこにいるのか見当がついてないとでも? 出て行くの? なら死ぬわよ。そしてあんたの……お友達は私を殺すでしょうね、私が知ってることを誰かに漏らさないように」

 「ここに、そのような不名誉なことをする者はいません」思わず、フェロザーはうなるような声で言った。この娘は何も学んでいないのだろうか?「ヴァシ。もし失敗したなら、私たちは反乱軍を成すだけの人数にも満たなくなるのです」

 その言葉は一種の告白だった。ヴァシも確かに理解している事実を認めるという告白。だが少女は表情を更に硬くした。その怒りが光と化して放たれているのではと思えるほどだった。

 「なら行きなさいよ」こらえるようにヴァシは言った。「死の術で私を呪っておきながら……ちょっと、ひるまないでよ……今度は……」

 「フェロザー殿!」別の声が割り込んできた。伝令の者に違いない。そしてやって来た女性は、目の前の状況を察して申し訳なさそうに続けた。「評議会が、至急お越しいただきたいと」

 フェロザーは立ち上がった。「戻ってきたら、続きを話しましょう」

 「戻って来られればね」

 続く会議にフェロザーは全神経の集中を必要とした。教え子が真に言いたかったことは何か、それに気づいたのはずっと後のことだった。そしてその時既にヴァシの姿はなかった。


 その夜、目にするであろうものを怖れながらも、フェロザーは単身出発した。洞窟網から離れた山道を照らすのは、細い月が放つ光だけ。その道はドロモカ軍の斥候たちが目撃された場所へと続いている。もしヴァシが反乱軍を裏切るのであれば、この道を通るだろう。とはいえあの娘はこの付近の地理を自分ほど熟知してはいない。自分の直感が外れることをフェロザーは祈ったが、ヴァシが曲がり角から姿を現した瞬間にすべてが明白となった。

 「誓いを立てたのでしょう」フェロザーはそう言い、心血の剣を鞘から抜いた。

 ヴァシはすぐに驚きから立ち直った。小さな荷物を置き、曲剣を抜く。「そっちもね」その言葉とともに彼女は突進してきた。

 それは優雅さなど何処にもない戦いだった。ヴァシは普段以上に攻撃的で、身軽に動きながら回避し、好機をうかがい、あらゆる角度から攻撃を仕掛けてきた。不意を突かれたフェロザーは相手の攻撃を受け流しながら、ヴァシが踏み込みすぎて隙を見せる時を待つのが精一杯だった。ここを戦いの場所に選んだのには理由がある――片側は断崖絶壁、もう片側は砂利だらけの斜面という地形のため、ヴァシが自由に立ち回るだけの空間はほとんどない。

 ――そのように考えた。何度となく、フェロザーは深追いさせようと試みた。少女が一歩でも足取りを誤れば、すぐさま崖の縁へと追い詰めることができる。だがヴァシはよく学んでおり、最も熱烈な攻撃のさなかでも誘いには乗ってこなかった。互いの剣が夜闇の中で銀の弧を描く。とはいえこれほどの激しい応酬は長く続かない。やがてふたりとも息を切らすが、互いに与えたのは浅い切り傷や打撲といった程度だった。冷気の中で吐く息が白くなる。ヴァシの腕は確かで、フェロザーがこれまでに見てきた偉大な戦士たちにもいつか匹敵するようになるだろう。だがまだ若く経験も浅く、自分との訓練を始めて半年にすら満たない。この娘を鍛えたのは間違いだった、フェロザーはそう悟った。ヴァシが勝利するから、ではない。ヴァシが自分を裏切るはずなどないと信じ込んでしまったから。今や、名誉ある決闘など存在しない。残されているのはた暴力と喪失だけなのだ。

 「そんな目で見ないでよ」ヴァシは警戒しながら間合いを探っていた。「私を裏切ったくせに――」

 その言葉が終わらぬうちに、フェロザーは肉薄した。ヴァシの表情から察するに、その動きは少女の予想以上に素早かったらしい。速すぎるわけではないが十分だ。ヴァシは打ち返そうと試みたが、遅すぎた。手首のひとひねりでフェロザーは相手の武器を弾き飛ばし、一方で自身は鎖骨を浅く切り裂かれる程度の傷を受ける。曲剣を失ったヴァシは自身の細剣に手を伸ばそうとしたが、フェロザーがその柄頭を殴打して剣を鞘に封じ込めた。今やヴァシの首筋は無防備だった。大した腕ではない兵士でも、とどめを刺せるだろう。

 フェロザーはためらった。それはほんの一瞬、だがヴァシにとっては十分だった。少女は身をひねって転がり、そして立ち上がる。同時に、傍らの砂が動き出した。それは星明かりの中、形を成していく――半透明の人影がふたつ、古のアブザンの鎧をまとった姿へ。精霊。ヴァシは、フェロザーすらも知らない魔法を身につけていたのだ。

 これはすべて作戦だったのだろうか? 反乱軍の秘密を持ち出して利用するための? だがそのようなことは重要ではない。彼女はヴァシへと駆け、接敵の直前に身を翻すと一体の精霊の鎧の隙間、急所への一撃を放った。それは防がれたものの、相手は衝撃によろめいて後ずさる。そしてフェロザーもまた、その好機に追撃はできなかった。ヴァシの刃が喉元を貫こうと狙っていた。フェロザーは間一髪で転がってそれを回避した。

 もう一体の精霊が即座に襲いかかってきた。フェロザーは仰向けの態勢のまま、ぎりぎりの所で心血の剣を突き上げる。そして蹴りを食らわせると、精霊の膝部分の砂が飛散した。精霊は崩れかけたものの、砂でできた身体の再生は既に始まっていた。フェロザーは素早く跳ね起き、だがヴァシと精霊に両脇を挟まれていた。立ち回るだけの空間はなく、逃げ道もない。ならばせめて、立ったまま死のう――フェロザーはそう考え、ヴァシへと向かった。相手が反応する前に圧倒できるかもしれない。だが元教え子はそれを見越していた。剣をひねってフェロザーの攻撃を受け止めるとそのまま滑り込むように肉薄し、フェロザーの足を払った。地面に叩きつけられた衝撃で、フェロザーの視界に光の火花が散る。首筋にヴァシの剣が突きつけられた。

 「よく学びましたね」フェロザーはそう言い、一撃が来るのを待った。

 「私が誓いを破るわけないでしょ、ばーか」最後のその一言には、どこか愛着が込められているような気がした。

 「騙されたと思いました」頬が熱くなるのをフェロザーは感じた。「降参します。こんな所で何をしているのですか?」

 ヴァシは一歩下がり、手を差し出した。フェロザーは剣を鞘に収め、少女の手を取った。精霊たちは興味深そうにふたりの様子を見つめていた。

 「バーラを探してたの。前に言った、姉妹みたいに育った子。言われた通りにしてみたのよ……自分の血を族樹にあげるっていう。そうしたら……祖先が教えてくれたの、あの子がどこにいるか。家族は取り戻さなければならない、そう言ってくれた。特に、自分たちで選んだ家族ならなおさらだって。アブザンは欠けてはならない。過去を忘れてはならない。自分たち自身を見捨ててはならない……って。団結しなければいけないって。私たち全員が」

 「どうして教えてくれなかったのですか?」フェロザーは当惑とともに尋ねた。

 「戦いに行くって話してくれなかったでしょ、私をそこまで信頼してなかったから」ヴァシのその口調は、やがて至るであろう偉大な戦士ではなく、不意に年相応の少女のものとして響いた。「そんな人に言える?」

 フェロザーは激しいやましさに襲われた。彼女は認めて言った。「貴女を信じるべきでした。私は……不安だったのです」

 ヴァシが鼻で笑った。「不安になることなんてないくせに」

 「そう思っているのですか?」フェロザーは眩暈を覚えた。「始終、何かに不安になってばかりですよ。貴女を頼ることも不安でした。申し訳ありません」

 ヴァシはそっと微笑んだ。「私も不安だったのよ。私に冒涜をさせようとしてるんじゃないかって。信じるべきだったわ」

 「ヴァシ、貴女は素晴らしい教え子です。戦士ならば誰もがそんな弟子を育てたいと夢見るような。祖先の導きに従い、姉妹を探しなさい。ですが訓練が終わったなどと思ってはいけませんよ」フェロザーはそこで言葉を切った。「私からの祝福を。そして独りで行くことはありません」フェロザーは心血の剣を抜いた。精霊たちが武器を掲げたが、ヴァシが合図をして制した。フェロザーは捧げ物のようにその剣を差し出した。「心血の剣を受け取りなさい。これが、貴女を目的地まで導いてくれますように」

 ヴァシは涙をこらせるように瞬きをした。「その剣を?」

 「ええ。修行を再開する時に、私に返してください。そして貴女はそれを抜く度に思い出すでしょう、私が誓いを忘れてはいないことを」

 ヴァシは恭しくその剣を受け取った。「忘れないわ。もしかしたら、そっちの心臓に突き刺して返すことになるかもしれないけど」だがそう言いながらも、ヴァシは不敵な笑みを浮かべた。そして不意に彼女はフェロザーに抱きついた。フェロザーも抱擁を返した。

 「無事でいるって約束して。そうすればこれをやり遂げられるから」これ、とは決闘のことなのか、それともアブザンの再興のことなのか、フェロザーには判断がつかなかった。

 「生きていようと死んでしまおうと」フェロザーは誓いを述べた。「貴女が望むなら、決闘をしましょう」

 ヴァシが抱擁を解いた。ふたりとも、はばかることなく涙を流した。

 「祖先とともにありますように、フェロザー」やがてヴァシが言った。

 「貴女にも」

 そしてふたりは別れた。ヴァシは精霊を引き連れて砂漠の奥深くへと、フェロザーは来た道を引き返して反乱軍の野営地へと。空は白み始めたばかりだった。革や鋼がこすれ合う音が野営地から届き、出発の時間が近いことを告げていた。ドロモカ軍とは死の物狂いの戦いになる。そしてヴァシの疑問が今も心にのしかかる――『その族樹とか祖先の助けとかがあったって、あんたたちごたまぜの連中が勝てるなんて本気で思ってるの?』

 フェロザーはその答えを知らない。だが、自分の家族がドロモカの想像以上に強いことは知っている。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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