MAGIC STORY

タルキール龍紀伝

EPISODE 06

守護者

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守護者

Ari Levitch / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2015年4月2日


 元の『タルキール覇王譚』の時間軸において、アナフェンザはアブザン氏族のカンであった。長く続く忠義で知られた氏族の、固い信念を持つ統治者であった。『タルキール龍紀伝』の書き変えられた時間軸においては、彼女の運命はそれよりも優しいものとは言えず、だがその崇高さは劣ることなく......


 それは、あらゆる軍営において同じものだった――もしくは過去数年間、オレットはそのように見てきた。

 彼はファイソ司令官の地図師、龍王ドロモカと彼女の鱗王たちが、戦争において意見を聞くほどの尊敬を寄せる数少ない人間の一人だった。そのため、オレットは必要に応じて行き来をしてきた。彼は夜を通して乗騎を走らせ続けたが、その宿営地を過ぎようとした時、彼は空腹と疲労に後ろ髪を引かれた。数人の兵が調理の火を囲んでおり、肉を油脂で調理する匂いは先へ進む意思に対し、空腹が逆転勝利をおさめたのだった。


塩路補給部隊》 アート:Anthony Polumbo

 彼はそのような火の一つの傍で乗騎を降りた。そこでは兵士達が活気のある議論を交わしており、オレットにそれを邪魔する気はなかった。彼らが何について議論しているのかはわかっていた。「守護者」。

 彼は琥珀色の椀に水を満たし、座った。

「精霊を見てきた。共に戦いすらした」 厳しい表情のアイノクが言った。彼が喋ると、オレットは彼の歯が数本失われているのに気が付いた。「敵意と悪意の存在だ。自然に反するものだ」

「でしたら、それはどんなふうだったのか教えて下さい」 一人の、若年の兵が言った。

「できるかどうかは判らん、例えそれを何度見たとしても」 その老年のアイノクは肩をすくめた。「私はそこにいなかった。お前もだ」

 更に若年の兵が、左に座る仲間へと顔を向けた。「イェファさん! 貴女はそこにいたんですよね!」

「知っての通り」 イェファ、その恰幅の良い女性は友人の苛立ちを見て幅広の笑みをひらめかせた。

「クルズに説明してあげて下さいよ、何を見たのか」

「アジャフ、その話はするべきじゃない」 四人目の兵が言った。彼は痩せ衰えた男で、顔の皮膚は銅色に日焼けしていた。彼は喋りながらも、他の者達を見ていなかった。

 イェファは彼へと拒否するように手を振った。慣れた仕草のようにオレットには見えた。そして彼はその古参兵が他の者達へと近寄るのを見た。イェファは囁き声で話し、禁忌を明かすスリルを感じているのは明らかだった。「私は戦場の向こう側にいたのだけど、何を見たかは知ってる。何処からともなく金切り声が上がって、数えきれない乗り手が続いて、その全部が私達の左翼に向かって攻撃してきた」


冷酷な軍族》 アート:Viktor Titov

 こいつは話し上手だな、オレットは思った。

「私達の軍は、その攻撃に対峙するので精一杯だった」 イェファは言った。「コラガン達は殺戮を始めた。奴らの馬の蹄に踏みつけられて、戦線は崩壊し始めた。その時だったの」 彼女は言葉を切り、順々に仲間達の目を見た。「戦線の背後で砂の大波が持ち上がった。そのうねりは私達を過ぎて、敵に襲いかかった」

 クルズは両手を上げて反論しようとしたが、彼が口を開く前にイェファは続けた。「『でも僕たちにはそういう技を持つ砂運びがいる』、って言いたいのはわかる。でも付け加えると、その砂の大波の先頭には女性の姿があった。ドロモカ兵の鎧と武器を身につけて。それは砂運びの技じゃない。それが、守護者」

「貴女は戦場の向こうから、そんなに詳しく見たって言うんですか?」 クルズは舌の音を立てた。「タラムの言うことは正しい、こんな話で時間を無駄にするべきじゃない」

「彼女は私達を救ってくれたの、あなたがどう言おうとね」 イェファは言った。

「他にも、同じものを見たという兵がいます」 アジャフが言った。「また別の戦いでも。私は、彼女が傷ついた兵を癒し、囚われの捕虜を救い出したという話すら聞きました」

 クルズは虚ろな含み笑いをもらした。「知ってますよ、そして彼女は荒野に花を咲かせ、嵐は止むんでしょう。じゃあ、誰なんですか、僕たちを見守ってくれているその精霊というのは?」

 彼らは皆押し黙った。タラム以外の全員が、もっともらしい答えを求めて考えこんだ。もっともらしくなくとも、少なくとも理に適った答えを。どちらも見つからず、イェファは火の薪を棒でかき回した。「誰がわかるのかしらね?」 ついに彼女は言った。

 オレットはその物語を知っていた。彼は旅の間、あらゆる宿営地でそれを聞いてきた。それらは目の前の炎以上に、彼を温めてくれていた。

「彼女が何者か、知っている」 彼の声は囁きではなかった。その言葉ははっきりとした、確信の重みとともに発せられた。彼の言葉へと兵士達が振り返った様子から、彼らはオレットがそこに座っているのを忘れていたようだった。神秘的な異邦人を演じるのは、少々馬鹿げたことのように思えた。だがそれこそが、過去数年彼がそうしてきた姿だった。ドロモカの領土を漂流しながら。

「お客さん、あなたは?」 そして、クルズが尋ねた。

「その精霊を、生前に殺したのは私だ」

 兵達は、続くオレットの言葉全てへと耳をそば立てた。



》 アート:Noah Bradley

 峡谷の地面に塵の小道が二本、武装した乗り手を運びながら全速力で駆けるアイベックス二頭の背後に現れた。アナフェンザ、先導する乗り手は危険を顧みず肩越しに振り返り、圧倒的な敵を見た。彼ら二人とも、不意をつけると考えていた敵を。

「隊長! 部隊は敗北したのですか?」 オレットが声を上げた、彼の声は苦痛にかすれていた。「彼らを失った、そう思います」

 隊長は頭を空へと向けた。暗く渦巻く雲が集まっていた。「そうは思いません」 彼女はもう一人に答えるというよりも、自分自身へと向けて言った。峡谷の岩壁が彼らに迫ってきており、隊長はアイベックスに拍車をかけた。

「鱗王様たちを待つべきです。あの方が奴らの攻撃を破って下さるでしょう」

 隊長は急に転回した。そのためオレットは乗騎を停止させようと奮闘し、鞍から放り出されかけた。「我らが王は今、別の敵を相手にしています」 彼女は峡谷の東端にそびえる山を指差した。「あの岩の上です。見えますか?」

 オレットは彼を見た。彼の鱗王、彼と絆を結ぶ龍。その龍王は自身よりも小さな、四翼の龍をその逞しい腕の下に押しつけていた。オレットが見守る中、小型の龍の口から稲妻が弾けた。彼の鱗王は後ろによろめき、四翼の龍は飛び去った。


嵐翼ドラゴン》 アート:Svetlin Velinov

「鱗王様が苦戦を?」 オレットは尋ねた。

「あの方は手一杯です。苦戦しているのは、私達です」

「ならば、我々は孤立しています」

「完全にではありません。ついて来て下さい」 そして隊長は再び駆けた。

 オレットは彼の鱗王をもう少しの間見つめていた。決して完全には理解できないあろう力のやり取りに目を奪われていた。だが背後には馬の蹄の轟きとその乗り手達の嘲り声が届いてきており、彼もまた駆けた。彼は隊長を追った。彼女はアイベックスを駆り、よじれた小道を通って、二人を峡谷の奥深くへと導いていった。彼女は曲がり角で姿を消し、もしくは峡谷の無数の分かれ道の一つで突然方向を変えて下り、彼女とともに速度を保つのは難しかった。彼女がどこへ導いていようとも、導いていなくとも、二人はコラガンの戦士たちから離れていった。オレットは隊長に数年間仕えてきたが、彼女が軽率な行動をするのを見たことはなかった。常に計画と、幾らかの偶然があり、彼女は脅威について熟考し、正しい準備をしたと証明してきた。だが今彼らはここで、防衛を破られて戦線は崩壊し、コラガン氏族の大群から、命からがら逃げている。

 更なる曲がりくねった道。更に狭い小道。すぐ背後のコラガン氏族の戦の叫びはすぐに散り散りになり、そして峡谷の岩壁にこだまする混乱の叫びとなった。オレットは口の端に笑みを浮かべた。彼は隊長が何をしていたかを把握した。最も上手くいったなら、コラガンの者達は獲物を見失い、彼ら二人の居場所を完全に通り過ぎるだろう。最悪でも、隊長は自分達を発見する軍勢を分断させたことになる。それならば、峡谷の狭い回廊から脱出するために戦うことは実際可能かもしれない。

 隊長は今一度急に転回し、峡谷の岸壁の隙間へと向いた。オレットはそれを見逃し、向きを変えるために速度を落とす前に行き過ぎた。彼は長を呼ぶべく口を開けたが、言葉が発せられる前に、彼は舌に金属の味を突然感じて押し黙った。大気は不自然に乾燥し、音をたてる唸り音があらゆる雑音を飲み込んだ、オレットのアイベックスの狂乱した鳴き声以外には。彼は動物の制御を保つために手綱を無駄に奮闘した。

「隊長!」 脱出しようと必死に、オレットは声を上げた。「アナフェンザ!」 彼が乗騎の脇腹に踵を沈めると、それは駆け出した。

 大気に一つ、弾ける音がした。アイベックスは三歩だけ進み、その途中でよろめいて崩れ落ちた。オレットは鞍から勢いよく落下し、顎を地面へとしたたかに打ちつけた。彼はアイベックスの背後に隠れ、血の味を感じながら這った。乗騎の背中からは槍が突き出しており、命なく横たわっていた。その軸全体には雷のエネルギーが今も踊っており、周囲の毛皮を縮れさせ焦がしていた。

 こだまがもう一つ、峡谷じゅうに響いた。この時は、殺しの後の狩人が喉から轟かせる咆哮だった。オレットはコラガン氏族のオークが一体、峡谷の頭上の岩壁に突き出た平らな岩の端から見下ろしているのを見つけた。彼は背中の馬具から突き出た金属の装飾をまとっていた。稲妻が網のようにその装飾から広がり出て、暗く渦巻く頭上の雲に映えて輝く、恐るべき翼の印象を完璧なものにしていた。

 そのオークは今一度吠え、この時はオレットが認める声を成した。「ガヴァール!」

 オレットはその名を知っていた。ガヴァール、砂草原の門への攻撃を率いたオーク。コラガンの龍たちの影の下、ガヴァールはその城壁を強襲し、ドロモカの防衛隊を撃退し、生存者達を荒野へと追いやった。


戦いをもたらすもの》 アート:Raymond Swanland

 その戦士の声はガヴァールを呼んだのだろう、守備隊の生き残りである二人の兵士を始末するために。

 だがそのオークは長を待つことなく、オレットへと跳躍した。

 立ち上がる、もしくは剣を抜く余裕はオレットにあったが、両方はなかった。オレットは立ち上がり、襲撃者は彼に迫った。鬨の声を中断するほどの強烈な振り下ろす攻撃、だがオレットは身体をよじり、その攻撃は鎧の肩当て部分をかすめた。彼は距離を詰め、攻撃者が体勢を整える前に、オレットは鎧をまとった身体で体当たりをし、互いを地面に叩きつけた、塵と悪態の雲が上がった。

 コラガンの襲撃者は巧みに行動し、彼は肘をオレットの喉に押しつけた。口の中に血が湧き出たが、オレットはそれを飲み込むことはできなかった。その代わりに、彼はそれを赤い飛沫にしてオークへと吹きつけた。オレットは身体をひねって抜け出す余裕を得て、その時、彼は隊長の声を聞いた。

「オレット、どきなさい」 アナフェンザの声がした。

 その命令は単純であり、オレットは従った。彼は襲撃者から離れたが、そのオークは引き下がろうとはしなかった。アナフェンザは揺らめく黄金色の眩しい光をまといながら前に踏み出した。彼女の足元を囲む砂が、まるで生きているように波立った。アナフェンザは片手を差し出した。渦を巻く光が彼女の腕を取り巻いて、螺旋を描いてオークへと向かった。光はそのまま彼を通過し、その時に何か見えない生命力を彼から引き抜き、塵の中に命なきオークだけが残された。

 その身体が崩れ落ちるや否や、峡谷の岩壁が再び戦の音に目覚めた。蹄の音と鬨の声が響き渡り、次第に大きくなっていった。

「隊長?」

「こちらです」 アナフェンザは言って、背後の狭い小道を指し示した。「ガヴァールと軍勢はすぐにここにやって来ます。彼らへと構えねばなりません」

 二人は徒歩で、締まりのない地面に足をとられないよう転石を注意深く避けながらも全速力で駆けたアナフェンザに続いて、オレットは楕円形の空洞に出た。それは峡谷の険しい岩壁にほぼ完全に囲まれ、彼らがやって来た道が唯一の出口だった。

「行き止まりですか」 オレットは言った。

「むしろ好都合です」 アナフェンザは言った。彼女は靴の紐を緩めた。「彼らにとっても、逃走するのは困難になるでしょう」

 警戒しながら、オレットは空洞の端へと歩いた。彼はアナフェンザのアイベックスが小さくねじれた木に繋がれて、琥珀の鉢から水を飲んでいるのを見た。壁の影に半ば隠された背の低い木があり、オレットはその木の周囲至る所に、琥珀の欠片を見た。その欠片の多くは彼の目に、かつては計り知れない数の入れ物や人形、装飾品を成していたように見えた。オレットは膝をついて一つの欠片を拾い上げた。それは何か古の、精巧に創造された水差しの残骸だった。

「隊長、これは一体?」

「オレット、琥珀は特別な物質です。あなたの足元の砕けた器は二つの機能を有していました。あらゆる器と同じように、水を運びました。ですが木の精髄、琥珀で作られたものは、その器はまた魂を運ぶのです」

 オレットはその琥珀の欠片を落とした、まるでそれが燃えてでもいたように。「隊長、お願いです。ここにいるべきではありません」

「あなたに見せたいものがあります」 アナフェンザは穏やかに彼へと語りかけた。彼女は木のそばに立ち、オレットは用心深く従った。彼女は彼の手をとり、それを裸の幹に押しつけた。「近くで見て下さい」 オレットは近寄った。増す暗闇に彼の目は緊張し、だがそこに、何百とまではいかないが、何十もの名前が幹の表面に刻まれていたのだった。

 オレットは後ずさった。「呪われし名?」

「私も最初はそう思いました。ですがそうではないと信じるようになりました。多くの人々が長い旅をして、これらを持ってきます。魂は琥珀の内に運ばれる、ですがこの木がその錨なのだと私は信じています」

「以前もここに来られたことがあるのですか?」

「ええ、何度も」

 アナフェンザは幹の根元にかがみ、弧を描く根が現れるまで砂を払った。彼女は立ち上がり、そして裸足を根の上に置いた。「さあ、オレット、私の後ろに、あなたはこれから驚くべきものを見ることになります」 彼女は彼へと笑みをひらめかせた。それは砂草原の門への襲撃以来初めて、彼女が見せた笑みだった。

「それはできません、隊長」 オレットは微笑みを返した。悲しい笑みだった。彼の隊長は――彼の従姉妹は――ここで死のうとしている。自分は、ここで死のうとしている。だが簡単にではない。彼は剣を抜いた。

 コラガンの者達が追いついてくるのに長くはかからなかった。彼らとともに嘲り声もまた近づき、そして視界に入ってきた。

「ここまで逃げて、戦う力が残っていれば良いのだがな」 その言葉が終わる頃、ガヴァールの巨体が空洞へと姿を現した。「俺の名はガヴァール・バーズィール、お前らの門を破壊し、城壁を崩した者だ」

 アナフェンザは背中に吊るした鞘から、湾曲した両手剣を抜いた。「私達の門を破壊し、城壁を崩したガヴァール・バーズィール。あなたがここを生きて去ることはありません」

 空洞には何十人ものコラガン戦士が、ガヴァールの背後に詰まっていた。彼らの中には巫師がおり、稲妻を呼び出し、それは彼らの間で音を立てた。

 終始平静に、アナフェンザは兜を脱ぐとその手で節くれ立った枝へと手を伸ばした。「この木の精霊たちよ。我が祖先よ。あなたがたの子が必要としています」 彼女がその言葉を発したのはこれが初めてではない、オレットは確信していた。そしてその言葉に応えるように、小部屋の静かな空気がざわめき始めた。塵が浮かび上がった、そして琥珀の小さな黄金の小片もまた一緒に。一瞬にして、空洞の反対側に集まった戦士達はその嘲りを止めた。

 塵は大嵐となり、アナフェンザの姿はかろうじて見える程度だったが、オレットはそれでも隊長の言葉を聞くことができた、「オレット、私の後ろへ」 彼は木の背後へと移動し、可能な限り顔を覆った。

 アナフェンザのアイベックスを引き寄せながら、彼は塵の中に人の姿が現れるのを見た。それらは肉体を持ってはおらず、だが何人かは古の様式の鎧をまとった姿で現れた。オレットは目を見開いた。

 精霊。

 その事実は彼の口に残っていた湿り気を奪っていった。

 屍術。

 アナフェンザは深く息を吸った。彼女の肺に塵と琥珀が満ち、精霊は彼女へとうねった。それらは彼女と溶け合い、アナフェンザは琥珀色の霞む光と化した。そして根から降り、もう一歩前へと踏み出した。次の瞬間、彼女はコラガンの者達のただ中にいた。

 彼女は怒りと復讐に燃える、精霊の四肢を持つ恐るべき群れだった。木からは憤怒の霊が終わることなく流れ出し、それらを注ぎこまれて砂と塵が広大なうねりとなって動いた。その騒乱の只中に、オレットはアナフェンザの姿を追うことができた。彼女の刃の閃きと、彼女が向かう所コラガンの戦士から命を抜き去った叫びによって。

 ガヴァール、巫師をはじめ、コラガンの襲撃者の誰一人として、勝ち目はなかった。

 その殺戮の間、頭上の嵐雲は膨張し続けた。アナフェンザがそれに気付き、ガヴァールの最後の戦士を切り捨てた時、稲妻が空を裂き、雷鳴が峡谷を揺らし、雲がその中身を吐き出した。コラガン種の龍たちが空から現れた。


龍の大嵐》 アート:Willian Murai

 オレットは目の前の、精霊と死から成る恐怖と、頭上に生まれた四翼の恐怖の板挟みになった。

 先頭の龍はその羽毛の四翼を背後にそらし、精霊をまとうオレットの隊長へと急降下してきた。そこには躊躇も、僅かな恐慌や怖れもなかった。アナフェンザはただ空を見上げ、すると彼女の内にある精霊が龍に対峙すべく一斉に雲へと急上昇した。それらは黄金の光を放つ巨大な稲妻となって動き、それが迫ると龍は方向を変えようとした。だが手遅れだった。稲妻は鱗と肉と骨を引き裂いた。


光輝の粛清》 アート:Igor Kieryluk

 オレットは精霊たちがその怪物の残骸を木端微塵になるまで貪るのを見た。残された龍たちは安全な雲の中へと散り散りに退却していった。

 空洞の塵と砂が地面へと落ち着いた。完全に消耗しきって、アナフェンザは倒れた。

 一連の脅威が去ったと実感するまで、オレットはしばしの時間を要した。ゆっくりと、彼は隊長が身動きせず横たわる場所へと向かった。空気が彼女の肺で音を立てていた。それはオレットを不安にさせ、また安心させる音だった。アナフェンザの目は見開かれていたが、その瞳孔は頭部へとひっくり返って、ただ二つの生気のない、白い面だけを見せていた。

「アナフェンザ」 オレットは囁いた。

 彼女の肺に更なる、弱く雑な呼気が通った。

 オレットは彼女の肩に手を置き、優しく揺さぶった。「アナフェンザ」 彼は再び呼んだ。そして再び、もっと大声で。「隊長!」 彼は必死に彼女を助けたいと思い、そして他にとるべき行動はなく、縛る、もしくは治すことのできるような傷や肉体的な危害の跡を探した。だが何もなかった。剣による切り傷も、矢傷もなかった。

「オレット」 その言葉はかすれた囁き声だった。

 オレットは顔を綻ばせた。彼が見下ろすと、アナフェンザも彼を見上げていた。

「見ましたか?」 彼女は尋ねた。

「隊長、御自身を痛めつけないで下さい」

「私は大丈夫です」 彼女はそう言って、肘で身体を支えた。「本当です。少しの時間があれば」

「隊長、あのようなものを見たのは初めてでした」

「私もです。あのように感じたことはありませんでした」 彼女の声には豊かさが戻っており、早口で喋り始めた。「オレット、とても多くの祖先が皆、共通の目的に繋がれています――その子孫を、人々を守護するという。そこに政治的な意図は何もありません。龍の好意を得ようという企みも何もありません。それは純粋で、強力なものです」

 突如起こった風が砂を波立て、二人は空気が鼓膜を圧迫するのを感じた。翼のはためき。雲がなかったなら、巨大な影が楕円形をした峡谷の空洞を満たしていただろう。だが影はなく、胸の悪くなるような一連の破裂音だけを響かせながら、彼らの鱗王がその小部屋へと降りてきた。その重量の下に、古の木は微塵に砕けた。そしてそれとともに、アナフェンザの忠節の最後の一片もまた。

「見られました」 アナフェンザは食いしばった歯の向こうから言った。オレットは頭を下げていたが、彼女は龍の目をまっすぐに見据えていた。

「隊長、どうか」 オレットは言った。「今ではありません」 だがオレットは知っていた。アナフェンザはわかっている、そう確信していた。精霊を呼び起こした、屍術を用いた対価は、死のみ。彼らの鱗王は口を開け、何も残らなくなるまで、彼女の存在の最後の一片までも剥がして消し去ってしまう、貪る光を吐き出すのだろう。


忍耐の鱗王》 アート:Clint Cearley

 龍は頭部をもたげ、だがオレットは彼の鱗王と隊長の間に入った。

「オレット、これが道理というものです」 アナフェンザは言った。「そこを退けて下さい。逃げ道はありません。私の行いは、私の命で償います」

 オレットはそのままでいた。「我が主よ」 彼はそう言って、龍の前に片膝をついた。「貴方様の数ならぬ子の一人として、あらゆる尊敬をもって、ただ一つ許して頂きたいことを願います」

 龍たちは人々の言語で自らの価値を落とすことはしない。彼らが話す時、その龍詞の言葉はまず話し手を通して伝えられる。今この峡谷の中に通訳者はおらず、オレットにとって龍が理解している唯一の兆候は、その反応だけだった。期待が彼の胃袋を掻いた。

「私の隊長は屍術を学んでいました」 彼は続けた。「罰せられるべき冒涜です」 オレットは耐えながら言った。「我が鱗王様、どうか私に、彼女の処刑人の任務をお与え下さい」

 その龍の視線はオレットからアナフェンザへと動き、そして頭を垂れるオレットへと戻った。それをオレットは肯定と受け取った。彼の要請は受け入れられたのだ。

 アナフェンザは逃げようという素振りすら見せず、オレットは彼女の方角を一瞥できた。彼女は普段と何ら変わりなく、穏やかだった。彼女はその審判を受け入れてひざまずき、そしてオレットが彼女の両手剣を拾い上げようとかがんだ時、その微笑みを彼へと向けた。

 アナフェンザの剣の革の柄は砂に覆われ、掴むのは困難だった。

 アナフェンザはこの木から、彼らを守るために精霊を呼び出した。祖先の霊を、年月を越えて、共通の絆を見つけた祖先達を、そして彼らはその民の敵と戦うために現れた。アナフェンザはこの絆を見つけたのだ。彼女は同じ目的に突き動かされたのだ。

 オレットは頭上に刃を掲げた。「これは、終わりではありません」 彼は隊長へと囁いた。一瞬の後、それは成された。


 タラムは炎へと吐き捨てるように言った。「正義は守られた。もう十分に聞いた。まだ屍術の話を続けるのであれば、私が離れる」 彼は立ち上がり、朝の薄光の中へと歩き去っていった。

「理解できません」今も恐怖で竦みながら、アジャフが言った。「その精霊は貴方を守ってくれたのに。その人は貴方を守ってくれたのに。それなのに、殺したなんて」

「殺した」 オレットは言った。「そして私はその名誉を受けた。血が、私の司令官の命なき身体を浸し、そして私は鱗王の前にひざまずき、その栄誉を受け取った」


鱗の祝福》 アート:Matt Stewart

 彼は続けた。「カヴァー市へ到着すると、私は英雄として迎えられた。私は斥候長の階級へ昇進し、地図師の称号を得た。そして、それと一緒に、漂泊の人生を得た。だが私はその漂泊を利用した。すぐに私の放浪はあの峡谷へと導かれた。アナフェンザの死体は何も残っていなかった。目にしたのは荒野だけだった。だが私はそのために行ったのではなかった。木の残骸の中にあったのは、あの場所へと祖先の魂を運んできた琥珀の欠片全て。その内に私は自分の希望を見つけた。私は砂をあさり、見つけられる限りの琥珀を最後の一片までかき集めた」

 オレットは最後の水を飲み干した。「ファイソ司令官の地図師は領土の公的な地図を保持する栄誉にあずかる。そのような地図から、私は目的地を定めた。何ヶ月も旅をして、私は砕けて乾燥した地の果てに辿り着いた。私は地平線に、そこに発見できると知っていた、崩れた要塞跡を認めた。私自身とその要塞の間に、低い丘の頂上から伸びる、一本の古の樹があった。私は遠くからその樹と地図の表記を比較した。水の存在を指示するものとしてドロモカ領土のあらゆる樹は地図に記されている。だがその樹の葉のない幹は決してそのような恵みを旅人にはもたらさない。そこには何もない。完璧だった。

「その樹に辿り着くと、私は鞄を空にしてあの峡谷から持ってきた琥珀の破片を全て、幹の周囲に輪を描くように撒いた。正しいやり方かどうかはわからなかったが、もし琥珀が本当に魂の器であるなら、アナフェンザのそれも、琥珀の一片の内にある。

「砂の中にその樹が埋もれる付近で、私は砂を掘り返した。私のナイフで、彼女の名を生きた樹へと刻み込んだ。終わると、砂を元の場所へと戻した。それはアナフェンザの樹となる。砕かれることも、燃やされることも、引き抜かれることもない樹が。それがきっと、彼女の錨となる」


族樹の精霊、アナフェンザ》 アート:Ryan Yee

「信じられない!」 アジャフは言った。

「僕もです。あなたの言葉を信じる自信がありません」 クルズが言った。そして彼も立ち去ろうとし、だがその前に質問を投げかけた。「それで、その樹は何処にあるんですか?」

「答えても、君は真実だと確信はできないだろう」 オレットは微笑みながら言った。「何故なら、その樹に関するあらゆる記録は、あらゆる公式の地図から抹消されているから」

「そうでしょうね」 クルズは鋭い嫌気を吐き出すように言った。「そして貴方は、その物語を伝えるために旅をしているのですか?」

「信じたいように信じてくれ。私の旅が成功したかどうかは、イェファのような者が現れだすまでわからない。アナフェンザにとっては、常に氏族が全てだった。死んですら、彼女の熱情は衰えることを拒否した。私は今、真実を共有するために旅をしている。彼女は、イェファが言ったように、守護者なんだ」


族樹の残響》 アート:Ryan Alexander Lee
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