MAGIC STORY

神々の軍勢

EPISODE 10

セテッサの四季

authorpic_kentroop.jpg

セテッサの四季

Ken Troop / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2014年3月26日


「セテッサ人と戦うくらいなら、蛇に口付けする方がましだ」
――アクロス人の言い回し

 森の至る所から子供たちが現れた。いくつかは大勢で――子守の大人たちを無視し、騒々しい集団となってキャッキャと笑いながら走ってきた。他の子供たちは二人か三人の小さな集まりでより静かに、注意深くやって来た。子守はいなくとも彼らは互いを見ていた。一人で来る子たちもまたいたが、彼らを見る者はいなかった。

 とても多くの子供たちがいた。一つの場所でシリッサがかつて見たことのある人数よりも多かった。かつて一度、襲撃の数ヶ月前、彼女は別の村の入植祭りの間に一日中子供たちと遊んでいた。そこには十七人の子供たちがいた、シリッサは誇りを持ってそれを思い出せる。何故なら彼女自ら彼らの人数を数えることができたから。その夜彼女が両親へと最初に話したのは、彼女が勝った競争のことではなく、十七まで数えられたことだった。

 彼女は再び泣いていることに気が付き、そんな自分自身にひどく怒った。彼女はもう泣かないのだと決めていた、この身体から涙は乾いてしまったのだと。泣くことを考えずとも、この期に及んで彼女の身体が涙を流すのは正当なものではなかった。彼女は涙が去るように力を込めた、そして自身に言い聞かせた。泣いちゃ駄目、私の身体、言うことを聞きなさい。泣いちゃ駄目なんだから。

 彼らはシリッサが見たこともない、森のとある場所にいた。いつもの深い森はまばらなオリーブの木にとって代わられ、それらの分厚く節だらけの幹は、それらがいかに古いものかを示していた。これらのオリーブの木々はとても、とても古いのだ。梢の枝はまばらだったが、森に光はなかった。か細い霧が木々の間を漂っており、シリッサが見上げても、太陽も空も見ることはできなかった。だがシリッサは怖いと思わなかった。彼女は数日前にセテッサへとやって来て以来、恐怖を感じたことはなかった。彼女は考えた、自分はたぶん、襲撃とその後の放浪の間に怖れる心を使い果たしてしまったのだろうと。もしかしたら皆、その人生の間に怖がる時間は限られていて、私はもう使いきってしまったのかもしれない。もう怖がることはない、そう考えるのは嬉しかった。

 頭上の霧は濃さを増し広がった。空は完全に霧に包まれ、だが彼女は周囲に沢山の子供達の姿を見ることができた。前方は大きな円形の空地で、シリッサが今までに見た中でも最も太く巨大なオリーブの木々に取り囲まれていた。その開けた場所には既に何百人もの子供たちが座っていたが、それでも彼らが占めていたのはその場のごく一部だけだった。更に多くの子供たちがその空地へと流れこんできたが、彼らはそこに入ると立ち止まって森の天井を見上げた。

 シリッサは歩いてオリーブの樹の輪へ入ると、何かが違うことが見上げずともわかった。身体が、皮膚がうずいた。手桶から冷たい水が浴びせられたかのように。外と同じように深い霧があるのだと思いながら彼女は見上げた。だが眼前にあったのは、小さな光点が何千もきらめく深い夜空だった。美しかった。それはニクス、神々の住まう所。


アート:Jung Park

 シリッサは一歩後ずさり、空地から出た。すると再び彼女は霧に包まれた昼の明りの中にいた――一つの星も、夜の暗い空もなかった。そしてある「存在」も同じようになくなっていた。空地へと脚を踏み入れると、先程と同じうずきを感じた。空は今や夜の暗さで、だが頭上の星原に明るく照らされていた。周りの子供たちが皆座っていることに気付き、彼女も同じように腰を下ろした。

 彼女が見る先から、長身の女性が空地の中央へ向かって歩いてきた。その女性は弓を背負い、小型の斧と長ナイフの鞘を腰の両脇に差していた。そして片方の手には長槍をまっすぐに持っていた。暗い色の革と布の衣服で軽く武装し、その動きには力強さと精密さとがあった。そのような動きをする人物は、戦士であろうとなかろうとシリッサはかつて見たことはなかった。自分もあんなふうに動きたい、シリッサははっきりとそう思った。何よりもあんなふうに、世界で一人だけを除いて、何よりもあんなふうに。彼女はまた涙が流れ始める前に両眼を叩いた。私が主人よ、身体。あなたの悪戯はわかっているの。

 その長身の女性の髪は赤褐色、髪飾りで結い上げられており、彼女は円の中央まで出てくると待った。彼女は何の言葉も発しなかったが、不思議とあらゆる笑い声、泣く声、叫びや囁きさえもが全て収まり静かになった。子供達は黙して座り、待った。

 女性の声は空地の隅々にまで響き渡った。彼女の声は何か知れぬ方法で増幅されていた。

「ようこそ、小さな皆さん。ここにいれば、あなたがたは安全です」

 魔法の夜空の下、暗い森の中で見知らぬ者たちに囲まれて座っているにもかかわらず、シリッサはその女性の言葉を信じた。セテッサへ辿り着いて以来ずっと、彼女はいたわりを持って世話をされていた。食事をもらい、身体を洗われ、優しい手が撫でてくれた。大人が彼女の世話をしていない時は、常に一人の女性が見てくれていた。命令も、雑用もなく、ただ食べ物と睡眠が貰えた――何も考えなくともよかった。シリッサは考えないでいることに心底苦労した。ここ数日の彼女の生活はそういった様子だったが、今朝になって大人たちが何処かへ行く準備をしていた時、彼女は誰もがそれについて行くのを見た。そのため、彼女もそうした。

 女性の声が続けた。「あなたがたは土地の向こうからやって来ました。都市から、村から、平原から、丘から、戦から、貧民窟から、更にもっとひどい所から」

 戦よりも悪いところ? シリッサは本当にそんな所があるのかわからなかった。駄目よ、私の身体。駄目。私はあなたより強いの。

「ですが今やそれは遠くに去りました。あなたがたはここにいます、あなたがたのお父さん、お母さんがいなくなったからです。何故いなくなったかは問題ではありません。ただ、お父さんやお母さんはもういないのです。そして戻ってくることはありません」

 子供たちの沈黙が破れた。嗚咽と泣き声と絶叫が夜の大気に弾けた。シリッサはその中に加わらなかった自分を誇らしく思った。私の涙はもうないの。私は。本当よ。私はもう六歳、泣いたりなんかしない歳よ。

 円の中央に立つその女性は言葉を発さなかった。彼女は黙らせることも、指をさすこともしなかった。子供たちがうるさく騒ぐ時の大人にあるように、いらいらしているようにも見えなかった。彼女はただそこに立っていた。頭上の星々はきらめいて、その幾つかは様々な配置に動いて形を成してはただちに壊れた。どんな配置も長くはもたなかった。だが星々は動き続け、シリッサはその舞踏を見ていると不思議と心が安らぐのを感じた。

 やがて、泣き声と嗚咽は静まり、その女性は再び口を開いた。「セテッサでは、私達はあなたがたをアルクーリ、小熊と呼びます。小さな熊の子のように、今あなたがたは小さな存在です。あなたがたは食事、家、保護、教育を必要としています。これは私達が与えるものです。ですがアルクーリ達よ、いつの日かあなたがたは大きくなります。いつの日かあなたがたは強くなります。いつの日かあなたがたはセテッサの保護を必要としなくなりますが、セテッサはあなたがたを必要とするでしょう」

 その女性の声が空地に響き渡ると、シリッサはニクスへの門を見上げた。そしてその星々が、背が高く堂々として力強い、大きな熊の姿をとるのを見た。シリッサはその熊がとても強そうに感じた。もし彼女がその熊ほども強かったなら、村を守れたのかもしれない。両親を守れたのかもしれない。熊は決して怖れないし、泣くこともない。シリッサはそう確信していた。

「アルクーリ達、ようこそ。これより、あなたがたはセテッサ人です。セテッサは家としてあなたがたを歓迎します。ケイラメトラ様は家としてあなたがたを歓迎します」

 その神の名が語られると、星々が揺らぎ、頭上の熊の姿はかき消えた。その場所へと星々が動き、顔の形を、女性の顔の形を成した。シリッサがかつて見たことがある最も素晴らしい顔、ケイラメトラ神の顔。シリッサはそれがどんな顔かを言葉では表せなかった、ただそれは思いやりと愛の顔だとわかっていた。その顔は彼女を、彼女だけを見ていた。神の眼がシリッサの眼と合った。神の顔が頭上の星原に輝き、空地全体を包むようにまたたくと、子供たち全員を、中でもとりわけシリッサを包みこんだ。子よ、そなたは愛されている。声が彼女へと囁いた。神の顔は揺らめく暖かな火花となり、彼女の頬と身体に口づけをして消えた。それがまるで柔らかなタンポポが肌に触れたようだった。


収穫の神、ケイラメトラ》 アート:Eric Deschamps

 その火花が地面に落ちて消えると、小さな芽が土から生えてすぐに成長を始めた。たちまちシリッサの拳ほどの大きさの、繊維質で分厚い殻の鞘が空地のあちこちに現れた。それぞれの鞘は脈動して柔らかな緑色の輝きを放っていた。シリッサは鞘の一つを手にとると、火花と同じ暖かさを感じた。自然と、望まずとも思い出が浮かび上がった。父はアクロスの最初の襲撃で死んだ。彼の最期の声は絶叫となった。母は彼女へと囁いた。逃げなさい、シリッサ。逃げて、一番の速さで。愛する子、逃げなさい。今よ。今。そして母は背を向けると叫びながら兵士達へと走った。だがシリッサは母がどうなったかを見ていない。走ったから。走って、走って、村を飛び出した。彼女はいつも速かった、だがその日ほど速かったことはなかった。彼女は走って、何もかもを置いてきた。村も、友達も、両親も、泣くこと以外は何もかもを置いてきた。だが彼女は、泣くことだけは置いていけなかった。

 今や、彼女は泣いていた、抱きしめた鞘の暖かな緑の輝きは彼女の胸に熱かった。抱きしめ、揺さぶり、そして更にむせび泣いた。鞘はとても、とても優しかった。シリッサは泣くのを止めなかった。母と父と、彼らをどれだけ愛していたかを思い出しながら。だが襲撃から初めて、彼女は笑った。笑いながら泣いていた。彼女は鞘を抱いて、ここが家なのだと思った。嬉しかった。

 バシッ。バシッ。バシッ。叩きつけられる音が背の高い石灰岩の塔の石積みに反射し、その下の中庭に響いていた。絶えることのないその音の流れは会話を難しくするほどだったが、中庭にいる者は誰一人として会話に興味はなかった。彼らは対峙し、汗が玉になった顔は相手へと集中し、手にした木製の杖がうなり、打たれ、叩きつけあう音を立てた。

 誰も話に興味はなかった、シリッサの向かい側の人物を除いては。トーラは背が高く、力は強く、素早かった。彼女はその一団に所属する女子の一人で、最近十歳になってあっという間に数インチ背が伸びた。そして彼女はお喋りが好きだった。「あなた、遅すぎるのよ」 バシッ。バシッ。「ここにいていいとでも思ってるの?」 バシッ。バシッ。「私達は戦うためにここにいる、わかってるの?」 バシッ。バシッ。バシッ。

 シリッサは黙ったままでいた。トーラは彼女よりほぼ一歳上だが、問題はそれではない。彼女たちがいる一団は誰もが一つ以内の歳の差で、そして仲間との調和の中では、歳に意味などないと教えられていた。バシッ。バシッ。問題は、トーラが挑発を得意としているということではなかった。トーラは背が高く力も強かったが、シリッサはより上手で素早く、そして彼女と、トーラと、そして誰もがそのことを知っていた。バシッ。バシッ。練習試合を初めてから、トーラは一撃を与えるほど近づくことも、シリッサの脚をまごつかせることもできていなかった。

 問題は、シリッサも一撃を与えることができていなかったことだった。彼女はトーラからの激しい攻撃を全て受け止めていた。彼女の手の中で杖は軽く、生きているようだった。だが反撃の機会は得られていなかった。戦いは片方が決定的な一撃を受けるまで続けるように思われた。そしてもしトーラもシリッサもそれができなければ、とても長い戦いになるだろう。

「怖いの? 臆病者?」バシッ。バシッ。シリッサは唇をかんだが、それでも何も言わなかった。シリッサは気付いた、トーラは怒ってすらいないと。彼女の呼吸は乱れておらず、冷酷な言葉とは裏腹にその表情と瞳は平然としていた。彼女の侮辱は戦略なのだ。トーラの言葉自体よりも、その事実にシリッサは動揺した。だが彼女はそれぞれの振り回しと突きを受け止めることに集中した。だがトーラの杖そのものに集中していたため、シリッサはトーラが突進してきた時に不意を突かれ、身体と身体がぶつかり合うとトーラの大きな身体はシリッサを後方に吹き飛ばした。シリッサは両脚を構えて後方へ跳ぼうとしたが、トーラは杖を低く振り、シリッサの膝の間を引っかけて彼女を地面に転がした。

「は、私の勝ち」 トーラの笑顔が何よりも気に触った。練習と学習は勝つことよりも大切、それは子供達の中へと叩きこまれている。だが彼らはまた互いに競争し合うことも訓練されていた。トーラはしばしその場で杖に軽くもたれてシリッサを見下ろしていたが、杖を手にして別の相手を見つけに行った。他の子供達は稽古を中断してシリッサを見た。彼女は長いこと負けていなかった。

 シリッサは他の子供達と視線を合わせられず、代わりにうつむいた。落葉が訓練場外縁の地面を覆っていた。ネシアンの木はその多くが秋になると素晴らしい紅葉を見せてくれる、そしてこの秋も例外ではなかった。鮮やかな橙色と豊かな茶色の葉が、木々も地面も同じように覆っていた。秋はセテッサにおいて彼女が最も好きな時期の一つだった。美しい色彩と、来つつある静けさの取り合わせ。葉を見ることは他の何を見るよりも簡単で、そのため彼女はそれらを見続けた。バシッ。バシッ。バシッ。規則正しい音が響く中、一揃いの靴が視界を隠した。


》 アート:Adam Paquette

 シリッサはその緑の靴を上に追い、革製のすね当てを見て、そして身体から顔までを追った。その顔は笑っても怒ってもおらず、ただシリッサを見下ろしていた。その女性の髪は灰色で、その顔はシリッサが見るたびに皺を増やしているのだが、普段は優しいその顔も、この時は言葉にし難かった。それはニケータ、武器使いであり射手、そしてその時彼女たちを訓練していた首席教育係の顔だった。

「それがお前の試合か、子供よ?」 ニケータの声は早口だったが、彼女なりに厳しくないものだった。その生徒は理解が悪い、もしくは頑固だと考えた時に彼女はそうなるのだった。

 シリッサは周囲で他の子供達が訓練を再開しているのを見た。とはいえ彼らはニケータとシリッサの周りを広く開けていた。トーラは離れて、勝つ見込みのない下手な少年を痛めつけていた。

「いいえ」 彼女は穏やかに言って、ニケータを見上げた。

「そうか? お前は杖の遊戯で満足しているように見えた。お前の番、相手の番、お前の番、相手の番、お前の番」

 シリッサはそれにどう答えればいいかわからなかった。そのため何も言わなかった。彼女はニケータに視線を合わせた。

「シリッサ。私は長い間多くの戦士を見てきた。多くがお前よりも強かった。お前より素早いものは少なかったが、幾らかはいた。お前は神々からの特別な贈り物を持っているわけではない。そして戦士達はお前よりも強く、速い。彼らは死んでいった。誤りから、そして敵より遅く弱かったことから死んだ。何故かわかるか?」

 彼女は首を横に振った。

「杖を持って立て」

 ニケータが訓練用の杖を手渡すと、シリッサは覚悟を決めた。「始めるぞ」

 シリッサが先にニケータが動くのを待った。バシッ。バシッ。「トーラは攻撃的な闘士だ、お前の一団では最も攻撃的な一人だ。攻撃性は彼女の支えになっている、大抵は」 ニケータが喋ると、彼女の突きと振り回しの速度は増した。シリッサが対峙した誰よりも速かった。彼女はニケータの杖を受け止めることに集中し、怪我を防ぐ十分な速さを心がけた。バシッ。バシッ。バシッ。ニケータの杖はシリッサの防御をすり抜け、ただ最後の瞬間にだけ遅くなった。シリッサの肩へと鋭すぎる一撃を与えないように。

「子供よ、あらゆる攻撃を受け止める、十分な速さというものなどない。よく戦うことすなわち速いことではない。子供よ、攻撃しないのか?」

 不意に、その日受けた当惑と痛みが全てシリッサへとのしかかった。訓練において彼女は守りに回ることが多かった。他の子を傷つけたくなかった。他の誰も。叫び声を一つ上げ、彼女はニケータへと突進した。相手の杖がぼんやりと見えた。シリッサは怒りの一撃を、そしてもう一撃をニケータへと繰り出した。冷笑に唇をゆがめるトーラの顔を思い描きながら。ニケータはシリッサの猛攻撃に一歩下がった。そしてもう一歩。更にもう一歩。他の子供達は皆、訓練を止めて二人を見守っていた。

 シリッサはこれほどの怒りを感じたことはなかった。そしてそれは素晴らしかった。自由を感じた。相手へと与える傷を心配しなくていい、その事実に世界ははっきりと澄み渡った。彼女はもっと素早く攻撃をしたかった。バシッ。バシッ。バシッ。だがニケータの杖が容易く滑りこみ、シリッサの肋骨を打った。そして初めて彼女は、自分の防御がいかに薄くなっていたかを実感した。彼女は再び声を上げ、更に攻撃を続けようとした。

 ニケータは穏やかに、打ちとけたように話し続けた。「お前は何をもって戦うのかな、子供よ?」 シリッサはほとんど考えることも、ましては話すこともできなかった。だがそこで同じ質問とともに、ニケータからの更なる一撃があった。「お前は何をもって戦うのかな、子供よ?」

「杖! 杖で戦います!」 シリッサは今や息を切らしており、もはや攻撃を続けられなかった。そこにニケータからの更なる攻撃があった。それぞれは軽いものだったが、杖の軽い一撃でさえもかなり痛んだ。そして同じ、荘厳な質問があった。「お前は何をもって戦うのだ、子供よ?」

「弓です。弓で戦います」 ニケータは射手の長、もしかしたらそれが彼女が求めている答えなのかもしれなかった。バシッ。バシッ。バシッ。再び質問。「身体。身体で戦います」バシッ。バシッ。バシッ。再び質問。これ以上何が答えられる? シリッサは立っているのがやっとで、そして次にニケータの杖が当たると、彼女は地面に膝をついた。

「心だ、子供よ。お前は杖で戦うのでも、弓で戦うのでも、身体で戦うのでもない。お前はお前の心で戦う。哲学者の中には、戦う時に何も考えることのないようにするのが戦闘訓練の目的だと言う者もいる。だがそれは間違っている。我らが訓練するのは、戦闘においてお前達が正しい行いを考えることができるように。敵がお前の平静を失わせ、敗北へと扇動する時にそれがわかる」

「攻撃性はトーラをよく支えているが、お前の場合はそうではないと私は思う。それは良いことだ。私は、賢い戦士をもっと攻撃的にする訓練のやり方を知っている。攻撃的な戦士をもっと賢くする訓練のやり方は知らないのだ」 ニケータはかがんで、シリッサへと手を差し伸べた。「お前は学ぶだろう、子供よ、だが今はまだ、もっと攻撃するんだ。いいな?」 清々しい空気の中、そして子供達がその心で戦う攻撃音の中、二人は橙と茶色の落ち葉の中を塔へと向かって歩いていった。

 シリッサとトーラが森の南端への巡視へ向かう中、白色の塵がむきだしの枝と堅い地面を浅く覆っていた。シリッサがこの国へやって来て以来、雪が降ったのは一年に五回もなかったが、彼女はそのたびに愉快に思った。雪はたいてい一日以上はもたないが、彼女はいつも、それが森を完璧に変えてしまう様子に驚嘆するのだった。まるで彼女らが奇妙な、未知の国を歩いているかのように。

 二人が巡視について二時間が過ぎていた。ネシアン森林地帯の南端はそのほとんどが、まばらな木と堅い岩の地面から成る。南へ二日も旅すればその者は絶望の地、エレボス神によって枯らされた不毛の地へと導かれる。だが南の国境は何年もの間、だいたいは静かだった――彼女ら新入りの巡視達には良い訓練場だった。


戦士の教訓》 アート:Steve Prescott

「ここには何もない。ただの時間の無駄よ」 トーラは一日じゅう不機嫌だった。彼女らの一団は全員、あらゆる変化と移動に絶えず緊張し続けていた。それはいつか来ると彼女らはわかっていたが、何年もの間教えられてきたような、実際に多くに人々を失うことに実際に直面するのとは違うのだった。

 彼女らの右後方で枝を折る音が聞こえ、シリッサは弓に矢をつがえた。トーラは手斧をとり、その日初めて顔に笑みを浮かべた。音の源を見ると、二人とも武器を下ろした。トーラの顔に奇妙な表情が浮かんだ。

「ケリオス」 二人は声を揃えて言った。トーラは怒ってシリッサを見た。その様子は彼女を更に混乱させた。

「私達はあなたを殺せたかもしれないのよ」 シリッサは言った。

 トーラが割って入った。「『私は』あなたを殺せた。シリッサができたかどうかは知らないけど」

 ケリオスはその顔にぎこちない笑みを浮かべて近づいてきた。彼は背は高く痩せており、このごろの急な成長に肉体の発達がついて行けていなかった。

「うん、わかってた、君がこっちに来るって。そして僕も、うん、言いたかったんだ、ええと、僕は行く、それと......」 トーラが手斧を落として駆け寄り、ケリオスを固く抱きしめた。

「行っちゃうなんて、嫌よ! 絶対!!」 トーラはケリオスを抱きしめたまま、大声で言った。

 ケリオスは言った、「僕も行きたくない、トーラ」 だが彼はそう言いながらも、シリッサを見ていた。その顔にはいつもの変な笑みを浮かべて。ここ数年の間、自分は皆から、特に男の子達から結構注目されているとシリッサはわかっていた。まるで一夜にして、多くの男の子達が彼女を友達や戦いの相棒として扱うのを止め、その代わりにただ......変になったようだった。ケリオスはその気まずい男の子の一人だった。シリッサはできる限り、彼の視線を無視しようと努めた。

 ケリオスはトーラの抱擁から自ら離れ、シリッサへと近づいた。「君と離れるのも寂しいよ、シリッサ」

 シリッサは心から微笑もうとしたが、ケリオスを抱擁しようとはしなかった。彼女は弓を下ろしたが、片手に矢を持ったままでいた。「あなたもね、ケリオス。どこへ向かうつもりなの?」 ケリオスはうつむいて足元を見て、ぎこちなくごまかした。彼女は、ケリオスの最近のぎこちない態度全てが心地悪かった。

「ううん、まだ決めてないんだ。旅が始まるまでは何も教えてもらえない。ただほんのちょっと......」 その声はかき消え、彼は言葉を終えることができなかった。少年は皆十四歳になると、遍歴の旅へと送り出される。彼らの、外の世界への旅は生きる道を見つけるためのものだ。セテッサでは強く信じられている、どんな道も若者を大人へと変える、だがその道にセテッサに留まることは含まれないと。子供の頃、シリッサはほとんど気付かなかった、セテッサに一日か二日より長く留まる大人の男性がいないことに。だが昨年、皆が十四回目の誕生日を迎えると、絶えず別れやって来ることが――男の友人達が去ることが彼らのほぼ全員の心を苦しめていた。シリッサも悲しかったが、その気まずさが無くなることはまた喜ばしかった。セテッサ人の生き方が彼女の中で形を成し始めていた。

「そう、つまり、ええと、さよなら?」 そう言うと、ケリオスはまたシリッサだけを見つめ続けた。そしてトーラはケリオスとシリッサへと交互に、笑みと睨みを向けた。

 シリッサはただ巡視へと戻りたかった。彼女は言った。「さよなら、ケリオス。旅の無事を祈ってるわ。どうか元気で」 彼女は背を向けて森の外縁へと歩きだした。彼女はただケリオスに、見つめるのを止めて欲しかった、そしてトーラが自分を睨むのも。彼女は、二人きりにしておくことでもしかしたらトーラはもっと喜んでくれるのかと考えた。


流浪》 アート:Jonas De Ro

 すぐに、彼女はトーラの深靴が浅い雪を踏む音を聞いた。シリッサは友人の喜ぶ顔を願って振り返った。だがトーラの眼と頬は赤く染まっていた。冷たい空気に当てられたとしてもはるかに赤かった。「どうしたの?」

「お願い、シリッサ。やめて。本当にやめてよ」 トーラは再び泣きだした。シリッサはトーラがそのように泣くのを見るのは初めてだった。

「トーラ、私は......私は何も、してない」 シリッサはそれで友の気が休まりはしないとはわかっていた。だが彼女はトーラが自分へと向けた怒りに心底困惑していた。

「そうよね、勿論。完璧なシリッサ。完璧で、受身のシリッサ。あんたは何も間違ったことはしたことない、そうよね? 何もしたこともないんだから」 まだ泣きながら、トーラは背を向けて歩き去った。

「待って!」 シリッサは叫んだがトーラは逆の、野営地へ戻る方向へ歩き続けた。差し迫った緊急時以外は、巡視の相棒を一人残していくことは禁止されている。だがシリッサはわかっていた、もし彼女が友を追いかけたならトーラは戦うだろうと。シリッサは待ち、トーラの姿が冬の森へと去っていくのを見ていた。彼女が考えを変えて戻ってくるのを願ったが、それは起こらなかった。

 更に少しの間待ってから、シリッサは振り返ると巡視を終えるべきだと考えて元の道を歩き始めた。彼女はさらに遍歴について考えた。それについて初めて聞いた時、彼女はその発想に怖れた。彼女は旅立ちを避けるために全身全力で努力を重ねた。やがて彼女は知った、それは男の子だけを対象にしたものだと。多くの女の子が冗談として使う、男は弱すぎてセテッサで人生を送れない、多くの女の子達がそんな冗談を用いた。だがいざ友へと別れを告げなければいけないというのは、シリッサには残酷なことのように思えた。

 そして、だが、シリッサは歩きながら疑問に思った、セテッサを去るのはそれほどまでに悪いことなのかと。彼女は人生のほぼ全てをそこで過ごしてきて、ここを愛している。憎んだ時以外は。ここではない何処かで未知の人々や未知の場所を目にする、そんな考えは時々彼女を興奮させ、そして心を痛くするのだった。

 ぼんやりとしながら、彼女は遠くに大きな緑色の殻を見逃しかけた。その殻には雪が積もっておらず、森の他のもの全てと異なっているとわかった。彼女は注意深くそれに近づくと、それはケイラメトラ神の鞘の一つだった。

 新たなアルクーリへのケイラメトラ神の歓迎の儀式の間、時折新たな鞘が後から成長する。その鞘は拳大の殻から始まって、脈動する緑色の輝きを放つ分厚い殻へと成長する。子供の頃、その鞘が何なのかシリッサは知らなかった。大人達はそれについて語りたがらなかった。シリッサは自分の歓迎の儀式については微かな記憶しかないが、そこには何百もの鞘があり、だがそれらがどうなったのかはわからなかった。何年かが経って彼女が知ったのは、目にする鞘は次第に少なく、そして次第に大きくなっていくということだった。この鞘は人ひとりが横たわった程の大きさがあった。そして節くれ立っており、繊維質の小さな瘤がその殻の所々にあった。

 鞘の一つの傍にいることでシリッサは幸福を感じたが、それが何故かはわからなかった。彼女はまた別の微かな記憶があった。何年も前に聞いたケイラメトラ神の声、だがその記憶を他の者達と共有しようとすると、彼女はいつも皆に笑われ、からかわれたものだった。教師達ははっきりと言った、ケイラメトラ神がセテッサ人へと直接語りかけることは滅多にないと。シリッサのその問題は、彼女がただそれを想像しただけだと結論づけられた。だがそうだったとしても、彼女は鞘へと手を伸ばして触れるたびに気分が軽くなり、また幸せになるのだった。

 それは触れると暖かく、だが熱くはなく、柔らかな緑色の輝きがその鞘から脈打ち始めた。シリッサは疲れを感じて鞘の隣に座り込むと寄りかかり、この長く冷たい日にこれほどの暖かさに出会えたことに感謝した。彼女は両親を思ったが、それは奇妙なものだった。彼女は何年も彼らについて考えていなかった。両親の顔はほとんど思い出せなくなっていた。思い出せなくなってから何度か、彼女は熱心に彼らの顔を思い出そうとしたことがあった。まるで思い出そうと試みることで両親の記憶を壊してしまったかのようで、彼女は恐怖した。彼女は両親の顔ではなく、ある感情を時々思い出した。背の高い、とても背の高い父を見上げた時に感じた安心と幸福。眠りにつく前に何度も何度も、髪をすいてくれた母の手。

 彼女は今もまだ小さな子供であったらと願った。安全に抱かれて愛され、世界に怖いことは何もない。彼女はもう大人であったらと願った。ここから遠く離れ、教師や訓練師や気まずい少年達や気が変な友人から離れて自分自身の人生を歩む。寒い冬の日に、彼女は分厚くごつごつした荒い鞘に横たわり、その暖かさに浸かりながら、自分のものとは違う人生の喜びに思いをはせた。

「射手、構え!」 ニケータの声が頭上から森の静寂に切りこんだ。花には早いこの時期の森がこれほど静かなことは稀で、小鳥や昆虫の鳴き声やがさごそと動きまわる音といった、森で普段聞こえるような音は完全に消えていた。シリッサはトーラ、ナターサ、デリアを見上げた。トーラは準備ができていた。ナターサとは以前一緒に戦ってはいなかったが、彼女は冷静に構えていた。いっぽうでデリアはまだ十六歳でこれが最初の戦いだった。彼女はニケータの命令で弓を構えた。シリッサは優しく声をかけようとした。

「あれは木の上の射手へ言ってる。弓は下ろして、地上の攻撃に備えて」 シリッサは優しく、だが早口で言った。彼女はデリアが最初の攻撃で殺されるのを見たくはなかった、心から。だが生き残れる保障は誰にもなかった。


拠点防衛》 アート:Raymond Swanland

 襲撃の報告は数日前に彼女らへと届いた。数ヶ月前に起こった「沈黙」、神々の不在でも人々にとっては結構な苦しみだった所に、この土地のあらゆる所でかなりの数のニクス生まれが報告され始めた。そしてさらに悪いことに、彼らは定命の者へと遭遇すると攻撃を行うのだった。セテッサ人の中には疑問に思う者もいた、神々がもはやニクス生まれ達を制御していないために、彼らは攻撃してくるのだろうかと。また、神々は定命の者達を罰するためにニクス生まれへと攻撃をさせているのではと考える者もいた、何の罪のためかはともかく。誰が神々のやり方を推測できよう? だが全てのセテッサ人は、ケイラメトラ神はその攻撃に関わっていないと信じている。少なくともセテッサ人ならばそう考える。

 論じるまでもなく、何千ものニクス生まれが北と西からセテッサを攻めていた。新入りの戦士は若年者を世話し、老人達はより守りの固い都市の内部に、シリッサのような一団は侵略を食い止めるために送り込まれた。最悪の場合には、ニクス生まれの侵略を遅らせて生きた情報を集めるために。デリアのような未経験の戦士が彼女らとともにいるというのは、それがいかに無理な解釈かの現れだった。シリッサとトーラは過去二年のうちに純血の戦士となっていた。彼女らは十八歳、鍛錬された熟練の戦士だった。シリッサは自分達のような者がもっといればと願った。

 まばらな下生えに屈みこみ、彼女らは迫りくる敵団を見ることはできなかった。だが森を踏みつけて通り抜ける多くの足音を、そして頭上で最初の矢が放たれる音を聞いた。密集した枝の上と、木々の間に造られた即席の砦に何百人もの射手達が並んでおり、そして発射音とともに、シリッサと周囲のもう三人も持ち場についた。視界には同じような四人組が幾つかあった。

 デリアは恐怖に息を飲んだ。そしてシリッサは口には出さないがその気持ちを理解していた。彼らの目の前の森はニクス生まれに占領されていた。彼らは知った姿をしていた――人間、ケンタウルス、ミノタウルス、その他――だがそれらの身体は夜空でできているように見えた。それらの肌と筋肉にはまさに、きらめく星が生きていた。数は数百、もしかしたら数千。それらは何かの命令や法則で来ているのではなかった。ただ容赦のない波となって来ていた。


宿命的介入》 アート:Svetlin Velinov

 頭上から放たれた矢が軍勢へと殺到し、多くのニクス生まれが最初の猛攻撃の中に倒れた。シリッサは考える時間を得た。少なくとも、奴らは死ぬ。そしてニクス生まれ達が迫った。シリッサとトーラは長槍を構え、ナターサとデリアが二人の脇を斧とナイフで固めた。一体のケンタウルスがシリッサの槍へと突進してくると、その衝撃を四肢で感じ、彼女の内に残っていたニクス生まれの存在へのあらゆる疑いは消え去った。彼女の槍はケンタウルスの胸を正面からとらえた。振り上げた棍棒が下ろされるよりも早く、星の宿るその眼がゆらめいた。血とねばつく夜空が混ざり合ったものがケンタウルスの胸に染み出た。

 死んだケンタウルスの巨体の重みに槍を持っていかれたものの、彼女は予備の短槍を取り出すと、ケンタウルスの死体を飛び越えてきた人型の剣士の攻撃を受け流した。その剣士は戦いながらも何も言葉を発さなかった。シリッサが理解できず、更に面食らったことにそのニクス生まれは戦いの中で何の感情も見せなかった、もしくはそれほどよく戦っていた。だがよく戦っていようとも、シリッサはまだその剣士と対峙するのではなく、槍一本で戦った。数度の弾く攻撃と突きでそのニクス生まれは血を流し、だがそれは苦痛を受けたように見えなかった。彼は時間が経つにつれて動きが鈍り、やがて接近したシリッサが目を切り裂く攻撃を受け流すのに失敗した。斜めに一目見ると、トーラが敵をあしらっていた。そしてシリッサの左から巨体が迫った。

 デリアは悲鳴を上げることすらできなかった。ミノタウルスの巨大な斧が彼女の胴体を真二つに切り裂いた。シリッサが槍でその胸を切り裂くと、ミノタウルスは吼えた。その槍は悪い角度で弱くかすめただけだったが、シリッサはその獣の巨大な脚の下をくぐり、槍を落とすと手斧を取り出した。彼女は両手で斧を振るい、ミノタウルスの後ろ脚の腱と筋肉を切断すると、もう片方の脚の機能も断った。そのミノタウルスは彼女の前の地面に倒れ、そして彼女はその背中を跳び越えると斧をその頭蓋骨深くにうずめた。ミノタウルスは吼え続け身をもだえさせたが、その声と身動きは時間とともに静まっていった。

 シリッサは周囲で大虐殺が続く中、顔を上げた。矢と魔法が木々からニクス生まれへと放たれており、だがニクス生まれもその魔道士達が炎の呪文を撃ち返してきた。ニクス生まれのハーピー達もまた木々の間に上がり、攻撃しては射手を落とし、規則正しく放たれる矢弾は鈍くなっていった。トーラとナターサはまだ立っていて無事に見えたが、他の集団の多くは二人か三人を失っており、一人残された者の多くは傷を負い、何人かは悲惨な状況だった。

 考える時間はもはやなかった、もう三体のニクス生まれが剣を持って迫っており、更に他の人型ニクス生まれ達もその背後にいた。ナターサは一体の攻撃者の下をくぐり、背後から加わった増援とやり合う間に手際よくその喉を切り裂いた。シリッサとトーラは互いに目の前の敵を相手にした。シリッサは斧でトーラは二本の長ナイフで。剣士がシリッサを圧倒し、攻撃を開始する余裕を与えなかった。彼女は長ナイフを抜くことさえもできなかった。彼女は生き伸びることに集中し、ニクス生まれの攻撃を受け流し続けた。勝利の雄叫びとともに、トーラはナイフを二本とも、シリッサの敵の背中へと突き立てた。トーラの喜びの笑みはシリッサを負かしたのではなく救った結果のものだと、彼女は知った。

 彼女らが気付いた唯一の警告は蛇の息音だった。トーラは驚いて振り返ったが、シリッサはトーラの身体に塞がれてその敵を見ることはできなかった。彼女は大きな弾ける音を聞き、そしてトーラの身体が薄い白灰色の影と化すのを見た。ゴルゴン。一つ悲鳴を上げ、シリッサは死んだ友に背を向けてゴルゴンと反対の方向へと駆け出した。ゴルゴンが森の地面を滑るように追ってくる音が聞こえた。それはシリッサの狂乱の疾走に容易くついて来ていた。


決断の元型》 アート:Chris Rahn

 前方で、緑色の閃光が彼女の眼をとらえた。そして彼女は進路を変え、一つの巨岩が柔らかな緑の輝きに脈動している方向を目指した。背後にはゴルゴンがいた。シリッサは手に斧を握ったまま目の前の岩に飛び乗り、目を閉じて跳ね、身体をひねってゴルゴンの頭があるであろう場所めがけてその斧を放り投げた。

 着地して、彼女は目を開けた。もし斧が当たっても、目を閉じ続けていたら彼女はすぐに死ぬだろう。斧が当たっていなければ、ともかく彼女はすぐに死ぬだろう。彼女はゴルゴンの大の字に倒れた屍を見た。斧はその顔面にめりこんでいた。彼女は大きく息をつき、周囲の流血の惨事を見た。そこかしこに彼女は死んだ、そして死にかけているセテッサ人を見た。ニクス生まれの容赦のない波は彼女の友のほとんどを蹂躙していた。彼女は遠くにトーラとナターサの灰色の彫像を見た。涙がこみ上げるのを感じ、彼女は息を詰まらせた。彼女はケイラメトラ神の鞘の一つに身を投げ出した。それはかつて見た中でも最大で、横たわっても彼女三人分はあった。その分厚い殻は鉄のように硬かった。その内から発せられる緑色の輝きは、いつも通りに柔らかく穏やかなものではなく、過酷で熱かった。その殻から目をそむけるのは困難で、そしてケイラメトラの裏切りの証拠に思えた。友が皆死んでしまった時に、神の残滓が何をするというのだろう?

 更に多くのニクス生まれが、剣を手にした人型の生物達がやって来た。シリッサに残されたのは長ナイフ二本だけだった。二、三、四、やがて彼女は数えるのをやめた。受け流しては切り裂く旋風の舞踏の中、彼女は我を失った。そしてニクス生まれが一体倒れるごとに、彼女は自分の命を救ってくれたトーラの最期の笑みを思った。おまえは身体で戦うのではない。心で戦うのだ。速く、更に速く彼女は旋回した、どんな戦いよりも速く。そしてまだニケータの言葉が浮かび上がった。十分な速さというものなどない、子供よ。お前の心で戦うのだ。だが友がみな死に、神が去ってしまった今、何ができるだろう? ケイラメトラの殻は輝き続け、その緑色の光は強く脈動していた。

 子よ、そなたは愛されている。それは何年も昔、神が彼女へと囁いたまさにその言葉だった。ケイラメトラ様はもういない、彼女は自身に言い聞かせた。彼女はおびただしい数のニクス生まれの死体が前方に散らばっているのを見た。彼女はそれら全部を殺したのだろうか? いや、ニクス生まれがセテッサ人の虐殺を終えている間、今も更に多くが森へと入ってきている。彼女は一体のミノタウルスを見つけ、それも同時に彼女を見ると襲いかかってきた。

 彼女はその攻撃を避けようと脇へと身を投げ出し、身体の数か所から血が流れていることに気が付いた。舞踏を無傷で逃れることはできなかった。ほとんどは腕にできた切り傷だったが、彼女は片腿が赤く染まっているのを見た。彼女はここで死ぬのだろう、だがミノタウルスは道連れにしていく。お前は心で戦うのだ。別の声が囁いた、子よ、そなたは愛されている。

「私に何を望むの?」 彼女は森へと絶叫した。何も変化はなかった。ニクス生まれ達はその殺戮を止めることはなく、神も姿を現さなかった。そのミノタウルスは再び突撃すべく、ぐるりと駆けた。鞘は脈動を続けていた。ケイラメトラの鞘。もう一つ絶叫を上げ、彼女はナイフの一本を上から荒々しく鞘へと振り下ろした。それは最も硬い鉄を打ったかのような音を立てた。もう一度、彼女はナイフを振り下ろした。まるで鋼を匙で彫ろうとするかのようだった。彼女はミノタウルスの突撃を避けて脇へ飛びのくと、傷の痛みが肉体に開いた。彼女は鞘を開けられるほど強くはなかった。鞘を開くことで何になるのか、定かですらなかった。だが彼女は試さねばならなかった。

 そのミノタウルスは斧を持って現れ、その刃は殺された別のセテッサ人の血で濡れていた。私は心で戦う、そう願いたい、私の身体は諦めかけているから。彼女は鞘の前に立ち、ナイフは両方とも持たず、顔には困惑の表情を浮かべていた。そのミノタウルスは斧を掲げると、シリッサを真二つにするべく両手で残忍に振り抜いた。振り下ろされる刃を何とか避けようと、ぎりぎりの所で彼女は後方へと不器用に、危険な宙返りをした。そしてミノタウルスの斧は鞘の中央に真正面から命中し、上から下までを二つに割った。

 様々な自然の音と緑色の光が洪水となって森を満たした。森の清流のせせらぎの音、鳥が番いの踊りにさえずる音、黄金の葉が風に鳴る音。ミノタウルスはそこに立ちすくんでいた。緑色の光がその身体を縁取っていた。ニクス生まれ達はゆっくりと無へと溶けていった。シリッサが見ると至る所で、ニクス生まれ達は緑の微光に包まれてはゆっくりと忘却へと溶けた。あっという間に、視界内からニクス生まれは消え去った。


存在の破棄》 アート:Adam Paquette

 鞘が破れ、それに続いて平穏な沈黙が訪れた。あるのは死にかけた者たちが立てる音だけだった。シリッサはあおむけになり、苦しく息をついていた。脚は激しく痛み、鼓動が打たれるごとに血がにじみ出ていた。血が多すぎる、シリッサは気付いた。彼女は身体を起こすと壊れた鞘へと這い進んだ。

 その鞘は生命なき殻で、分厚い外皮は繊維質の木でできていた。彼女はそれに手を置いたが、暖かさも緑色の輝きも、神の存在や神が触れたという感じもなかった。それでも、その鞘は彼女を救ってくれた、知るのが彼女だけだとしても。誰かが知るだけだとしても。彼女は誰かにそれを伝えねばならなかった。森には鞘がまだ点在している。多くはないが、十分な数がある。彼女は森の地面を這って進み始めた。誰かに言わないと。血を止めないと。休まないと。彼女はとても疲労していた。

 意識を失いかける中、彼女は踏み砕く足音が近づいてくるのを聞いた気がした。彼女はそれが友の足音であることを願い、忘却へと沈んでいった。

 美しい、暖かな夏の日だった。いつもならば空地の境界にしがみついている霧も、か細く薄かった。シリッサは空地に集まった子供達の輪を見つめた。彼女らはまだとても小さい。自分は小さかったのだろうか? 彼女らの何人かは明らかに怯えた顔で、他は自分達がいかに不屈で怖れ知らずかを誇示していた。未だ衝撃の中にいる子、何も感じることができないでいる子もいた。シリッサはそれらの顔をよくわかっていた。彼女は空地の端から頭上を、ニクスへの門を見上げてはその驚異を今も見ていた。星々は動いては揺らめき続け、終わることなく形を成し、消えては踊っていた。

 彼女は片脚を引きずらないよう集中しながら、空地の中央へと歩み出た。短い時間であればできるのだった。中央に着くとそこに立ち、待った。彼女は子供たちの顔に怖れを見た、だが希望もまた見た。そして愛も。彼女は何よりも愛を見た。彼女は神の存在に満たされた声を発し、それは空地に響き渡った。

「ようこそ、小さなみなさん。ここにいれば、あなたがたは安全です。ここは貴方がたの家です」


豊潤の神殿》 アート:Noah Bradley
  • この記事をシェアする

BornoftheGods

OTHER STORY

マジックストーリートップ

サイト内検索