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Magic Story -未踏世界の物語-
束縛と絆
2018年11月14日
「また例の子の所へ行くつもりなの?」 アンブレリンはそう言って、僕の部屋の入口を塞ぐように立った。実際には彼女の部屋だが、この数か月、あの事故以来使わせてくれている。彼女の声は穏やかだが、両目の端には皺が寄り、それは滑らかな皮膚が粗い樹皮へと変化する額に向けて深くなっていた。子供の頃から変わらない、彼女が内心に不満を持つ時の証だった。
「孤児院に少し金を渡しに行くだけだよ」 僕は言った。自分にできるせめてもの事だ。
「それは良い事よ、テリック。本当に。けれどどこかで話しましょう、悲嘆と強迫観念にとらわれたままでいるのはちっとも健全じゃない。いつかは自分を許して前に進まないと。孤児一人にこだわりすぎるのをやめるなら、それはずっと簡単になるわ」
「その通り、君の言うことは正しい」 まるで条件反射のように僕はそう返答した。セレズニア議事会で二十八年を過ごし、友や共同社会との調和を保つことが何よりも大切だと教えられてきた。それでも、ある建物を倒壊させて二十人を死に至らしめた自分をどうして許せるだろうか? 僕は笑みを作り、帽子を深くかぶってエルフの尖った耳を、スカーフを上げて顔の大半を隠した。これから行く所では、素性不明でなければならない。「あの子に会うのはこれで最後にする。約束する」
「ありがとう。ああ、もう一つ。また近隣から苦情が来ているの」 アンブレリンは首をかしげた。不意の動きに、彼女の髪に巣を作る小鳥らの羽が散った。「本当に、何か妙な音を聞いていないの?」
「また『ワームの音』が?」 僕は信じられないというように目を動かした。
「いえ、いいの。ただ近くでその話が出ているってだけ。それにもし何か問題があったとしても、私が解決するつもりだから」 彼女の指が小型車両の艶やかな木材をなぞった。今やそれは僕の衣装箪笥になっている。彼女はその両扉を開き、底に並ぶ古いワーム呼びの長靴を蹴った。使い込まれた黒い革には埃が厚く積もっていた。アンブレリンは続いて重装備の制服の背後を覗き込んだ。僕がセレズニア軍で主席のワーム訓練士をしていた古い人生の名残、あの過ちが全てを変えてしまうまで。「ワームを見たって言ってるのよ。石の天井から覗いてたって。肉屋のナイフみたいな歯があったって!」
「アンブレリン、喧嘩をするつもりはないけれど、ご近所さん達は黙想のしすぎってことはないか? シャーマンは信心深い人達を沢山、頻繁に集めてる。近所の皆はその最高の状態で、ありもしないものを見聞きしたのかも」
彼女はそれを少し考え、そして屈みこむと僕の寝台の掛け布の端を掴んだ。
「アンブレリン」 かろうじて攻撃的にならない程度に声を上げ、僕は言った。「気前よく僕を家に入れてくれたことは本当に感謝してる。けれど僕が成長しかけのワームを寝台の下に飼えるなんて本気で思っているのか?」
アート:Wesley Burt |
アンブレリンは掛け布から手を放して溜息をついた。「それもそうね。馬鹿なことを考えてたわ。共同住宅に危険な獣を隠して飼えるような人なんていないもの」
僕は頷いた。全く、そんな奴がいるだろうか。
漆黒のオルゾフ大聖堂の尖塔が頭上に高くそびえ、僕の身体に緊張を漲らせた。地平線全体がまるで煤に汚されたかのよう、そして沈み始めた太陽を受けてアーチ型のステンドグラスが橙色にきらめいていた。あるカルテルの縄張りから次の縄張りへ至ると憂鬱さは雰囲気を変化させ、けれど僕は頭を高く上げたまま、両目を前方に向け、拳を握りしめていた。もう数本先の大通りを通る方が安全な筈だった。街灯が豊富に立っている――人目も多い――だがそうすると、時宜の聖堂がかつて座していた場所を通ることになる。オルゾフ組でも最も古い教会の一つ……だった。そう、僕がその地下にワームを送り込み、構造的土台を損壊し、建物全体を崩壊させて瓦礫の山にしてしまうまでは。再建途中のことだった。五十人近い労働者らが壊れたステンドグラスを修理し、あばたの石材を張り替え、また春の大雨でも浸水しないように、そして地下墓地へ流れ込まないように周囲の勾配を調節していた。時々、目を閉じると、瓦礫の下敷きになった人々の悲鳴が今も聞こえる。その日を追体験するよりは、ごろつき数人に遭遇する危険を負う方がましに思えた。
「おい!」 声がした。振り返ると、黒い革の服に長く繋いだ銀貨を首から下げた男がいた。「こっちに用事か?」 男はその言葉一つ一つを、噛みしめるように発した。「保険を買った方がいいぞ。わかるだろ、安心して目的の場所へ無事に辿り着くためにはな」
「不要だ」 敵意をなるべく抑えて、僕は言った。「すぐそこだ」
「かもな。けど何が起こるかなんてわからないもんだ」 男は拳を掌にすり合わせた。「手頃な保険があるけどどうだい」
不意に、ポケットの中の硬貨の重みがまるで責任のように感じられた。男は既にその膨らみに目をつけていた。
「大丈夫だ。自分の身は自分で守れる」 僕は上着を開き、腰に差した武器の柄を見せた。
そのごろつきは肩をすくめた。「そんなナイフ一本がこの場所で通用するわけねえよ」
「ただのナイフじゃない」 僕は革紐を緩めて金属の鋏を引き抜いた。「これは相当深く強い魔法のかかった茨だって切ってのける。魔法の茨が肉にどんな傷をつけるか知ってるか?」
返答はなかった。男は僕のポケットしか見ていなかった。僕は背を向けて早足で進み、街路を横切ったが男は追ってきた。僕はベストの中に手を滑らせ、茨の種が詰まった革袋を取り出すと、一掴みを足元にまいた。数秒して男がそれを跨ごうとした時、僕はあらゆるものに吹き込まれた魔力を呼び起こし、背を向けたまま呪文を起動した。振り返ると、蔓が歩道から弾け出て、追跡者を棘で絡み取っていた。
《落とし格子の蔦》 アート:James Paick |
悲鳴を上げる男をそこに残し、僕は歩調を倍に上げてその孤児院へと辿り着いた。ひどい場所だった――崩れかけの、重苦しい建物。子供達の避難所ではなく古い硬貨の溶解設備にした方が良いような場所。だがここを改善するために、僕は不十分な稼ぎからほんの少しずつ寄付をしてきた。
建物の小さな隙間に、聖堂の瓦礫が残る場所があった。それを見ないように努めたが、今回も失敗した。黒焦げの瓦礫の山から鋭い尖塔が突き出していた、まるで消えて長い篝火の名残のように。価値のあるものは漁り尽くされていた。バズダがこんな所に、両親が死んだすぐ近くに住まなければならないというのは酷な話だ。僕は唇を噛んで埃っぽい灰色の階段を登り、玄関から入った。いつの日か、彼女と話すだけの勇気を手に入れて、謝る。けれど今日じゃない。僕は気をとられすぎていて、子供の一人に正面からぶつかり、その勢いに顔からスカーフが落ちた。急いでそれを付け直そうとしたが、遅かった。ばれた。その子は跳び上がって僕の帽子をひったくり、尖った耳が露わになった。もう身元を偽ることはできなかった。
「あのワーム呼びだ!」 その子はそう言って、僕の帽子を友人へと投げた。「スラルの糞だ! あの聖堂を壊した! 絶対あの時もよそ見してたんだ!」
そしてついてない事に、すぐそこにバズダが立っていた。その年齢にしては小柄で、慈善事業で配給された灰色のスモックに埋もれかけていた。その黒髪は頭の上で二つの束に結ばれていた。彼女は振り返って、こちらを見た。僕は背を向け、金を渡して去るために世話人を探そうとしたが、今回も誰も見つからなかった。
「お前なんて一生悪口言われてるんだ」 痩せた子供が言った。「一生かかったって、金でお前の罪がなくなるもんか!」 そして僕の靴へと唾を吐いた。
「ちょっと」 バズダがそう言って、友人から帽子を奪い取ると僕へと向かってきた。「放っておきなさいよ」
「何だ、やる気かよ?」
バズダは右の髪の房から六インチのヘアピンを引き抜き、相手の喉元すれすれに突き出した。
「忘れてやるよ」 その子供は顔をそむけた。
バズダは僕を見て、帽子を手渡し、そして髪を綺麗な房に戻した。「前にもあんたのこと見た。毎週お金を一袋置いてって、離れて立って私のこと見てる。気持ち悪いのよ。蔦の化け物みたいで」
「違う! 僕は化け物なんかじゃない。ただの『いい奴』だ。帰って欲しいならそう言えばいいのに」
バズダは唇を歪めた。「その言い方もむずむずする」
「違うんだ。僕はひどい事故を起こした。ただそれの償いをしようと全力を尽くしているだけなんだ」
「お父さんとお母さんを返してくれるの?」
「それはできない、けれど彼らがよりよい――」
「『よりよい眠り』とか言いたいの? そんなのは無い。お父さんもお母さんもずっとここにいるけれど、生きてる時より悲惨。だって幽霊だから。返済に忙しすぎて、私に会いに来てくれる時間もない」 彼女は胸の前で腕を組んだ。
「それは……」
「ここに来るよりも自分をどうにかした方が良いんじゃないの。あんたが来るとここが余計に暗くて憂鬱な雰囲気になるのよ。どういうつもり?」
「何も……」 僕は口ごもるしかなかった。
「無職で、生きがいもなくて、友達もいない。どうせそんな所なんでしょ」
「友達はいるよ」 全身を棘で刺されたようだった。十二歳の子供に尋問されるというのは奇妙だったが、彼女が怒る理由は十分すぎるほどあるのだ。それでも、僕は自分の名誉を守らねばと感じた。「凄い友達がいるよ! この上なく逞しくて何も怖れないロクソドンのサヴァリン。どこよりも静かな聖域を設計した建築家のケリム。彼は人間だけど、誰も敵わない。それにドライアドのアンブレリンは古いアーティファクトの専門家だ。週に一度は会って――」
「待って……その人、アーティファクトがわかるの? 本当に古いのを?」
「そうだけど……」
バズダは僕を値踏みするように見ると、折り畳んだ布をポケットから取り出した。それを開くと、中央に穴のあいた三日月型の石片が現れた。そこには黄金で満遍なく紋様が刻まれていた。僕の目にすらそれは古いものとわかった。「お父さんが死ぬ何日か前、これをくれたの。あの聖堂の建設途中に見つけたって。これが何なのか知りたいのよ」
「もし君がよければ、アンブレリンに見せられるよ。きっと喜んで力になってくれるだろう」 この建物の陰鬱な重みの下にあっても、心に陰鬱を抱えていても、これは償いの機会だと感じた。このアーティファクトはバズダにとって途方もなく大切なものなのだ。きっと父親が彼女にくれた最後のものなのだろう。
彼女は片眉をつり上げた。「本当に返してくれる?」
「絶対に無傷で返すよ。ヴィトゥ=ガジーの根に誓って」
セレズニアの木々が僕の帰りを迎えてくれた。穏やかな自然の響きが心を穿ち、オルゾフ組の重さを筋肉から和らげてくれた。肩の力が抜け、拳が解けた。夕方の奉仕が既にたけなわで、シャーマン達は信心深い会衆から力を集めて、議事会の祝福が刻まれた石の印鑑に魔法をかけていた。
《寺院の庭》 アート:Titus Lunter |
自宅のすぐ近くまで来た時、尾行されていると感じて気が滅入った。オルゾフの街路のごろつきが、孤児院からの帰り道の保険料をむしり取ろうというのかもしれない。僕はまた種を一掴み捲き、角を曲がった。そして呪文を唱え、だが足音は続いた。相手は茨を避けたらしかった。念の為の武器として鋏を引き抜こうとするも、革の鞘にそれは入っていなかった。顔を上げると相手が角を曲がってきて、そして僕は安堵の溜息をついた。バズダだった。
「探してるのはこれ?」 彼女は鋏を掲げて見せた。
「君が盗んだのか!」 僕はそう言って鋏をひったくった。「どうやって?」
「蔦の化け物の言葉を信用すると思ったの? あんたは私の大切なものを借りて行った。だから私もあんたの大切なものを。それが公平っていうものでしょ」
「そうか。なら自分のアーティファクトを持って家に帰るんだ。僕は子供の非行を助長はしない!」
「家? 私がいなくたって誰も気付かないし気にもしないわよ。そうじゃなくても、この時間にあの道を通れって言うの? 一人で?」
「ヘアピンの技を見たぞ。大丈夫だろう」
バズダは腕を組んだ。「そうかもしれないけど。でもあのアーティファクトのことが知りたいの。あんたここに住んでるの?」 彼女は尋ね、共同住宅を見上げた。磨かれた白い石材と段状の庭園が組み合わさった設計は、木工細工で有名な庭園装飾家サドルナによる最高のものだ。「枝と葉っぱだらけ」
「それがセレズニアなんだ」 僕はそう呟いた。「来るか?」
僕達は幾つもの庭園を横切り、石段を登り、二つの広間を過ぎ、他の住居の開いた扉を通過した。階下の隣人らが手を振ったが、僕は手を振り返すとワームの音について尋ねられないように急いだ。
バズダが尋ねてきた。「なんでこの建物って扉がないの?」
「どうして扉が必要なんだい?」
「外から人を入れないためでしょ」
「僕達の家では誰もが歓迎なんだ」
「へえ」 バズダは目を泳がせて言って。「でも誰かが何か盗もうとしたらどうするの?」
「僕達はそれは心配していない」 最後の階段を登りながら僕は言った。ラヴニカの大体は個人の欲求と獲得を重視していることはつい忘れてしまう。
屋根付き通路から、広大な眺めが素晴らしく開けていた。太陽は地平線下に沈んだばかりで、日の最後の名残が遠くまで続く緩やかな起伏の聖域に影を伸ばしていた。右方向には既に夜闇が広がり、ヴィトゥ=ガジーの枝が火明かりに赤く照らされていた。あのアーティファクトを早くアンブレリンに見せたかったが、僕は少し長めにここで足を止めた。バズダにこの眺めの全てを見せたかった。やがて、彼女は無言になった。
「こっちだ」 僕は自宅への境界線となっているよじれた枝のアーチへと彼女を案内した。そして叫んだ。「アンブレリン! 君に見せたいものがあるんだ!」
アンブレリンは大きな笑みで応じてくれた。「テリック! 実は凄い知らせが――」 彼女は言葉を切ってバズダを見た。「あら。こんにちは、いらっしゃい。アンブレリンよ」 彼女は片膝を曲げてお辞儀をし、その枝が床をかすめた。小鳥たちがバズダの周りを飛び交って挨拶し、喜ばしく鳴き声を上げた。
「バズダです」 彼女も言って、自分なりの可愛らしいお辞儀をした。
アンブレリンは僕に視線を寄越してきた、説明を求めて、とはいえ客人の前で見苦しくないように。
「ああ実は。この子が持っているアーティファクトを見てもらいたいんだ。君なら何かわかるかもしれないって」
アンブレリンはバズダから布に包まれたアーティファクトを受け取り、それを端からゆっくりと広げた。その姿が露わになると、彼女は息をのんだ。
「聖堂で、お父さんが掘り当てたの。古いものなの?」
「とっても。この黄金の紋様、以前に昔のイゼット団の機械装置に見たことがある。彼らがまだ石とマナ込め回路で苦しく働いていた頃、何千年も前の技術ね。それだけでも貴重なのだけど、どうしてそれがオルゾフ組の聖堂の下に埋まることになったのかが不思議だわ」
「高いの?」 バズダが尋ねた。
「値段なんてつけられないくらい」 重い溜息と共にアンブレリンは答えた。
だがバズダはかぶりを振った。「何にだって値段はあるわ」
「明日、仲買の判事さんと話してみようかと思うわ、これの所有権はどのギルドに属するのか」 アンブレリンは続けた。「これはもっと大きな何かの一部ね」
「誰かが他の部分をもう見つけているかも」 僕はそう言った。
「それはないと思う。古物商にはあっという間に話が伝わるから、それなら私も何か聞いたことがあるはずだもの」
「テリック!」 夕餐の間から声がした。太い胴を興奮に伸ばし、サヴァリンがやって来た。そして両腕を広げ、荒々しくも僕達の中に分け入ってきた。「友に平和と平穏を」
「君にも平和と平穏を」 僕はその牙の間に注意深く身を入れ、その温かな抱擁に身を任せた。「元気かい? 一週間ぶりくらいじゃないか!」
「ケリムと私とにめでたい知らせがあって来た。栄誉ある話を貰ったのだ! カサルナ訓練場が一杯になったので、北部丘陵森林の向こうに新しい施設が計画されている。私がその指導者に、ケリムが設計者になる」
「おめでとう。北部丘陵? ずいぶん通勤が大変になるな! 広場に着くまで優に一時間はかかるぞ」
サヴァリンはアンブレリンと不安な視線を交わした。長く思慮深い沈黙の後、彼女は頷いた。
「通勤はしない。もっと近い所に転居を――」
「転居だって!」 僕は叫んだ。そして舌を噛んで善き議事会員であろうとした。心を裂く痛みを無視し、その代わりに、内なる平穏にすがった。「転居か。そうだよな。その方が絶対便利だからな」 僕は無理矢理笑みを作った。自分の歯が砕け散ってしまいそうだった。やがて、もはや我慢できず、早足で自室に引っ込んだ。
《内省のための小休止》 アート:Alayna Danner |
「テリック」 皆が入口にひしめく中、アンブレリンがそっと入ってきた。「大丈夫よ、いつだって来られるもの」
「わかってる、けれど同じじゃないだろ」 仲間が離れ離れになってしまう。この知らせは、職や評判を失った時よりも衝撃だった。友情も失うなんて耐えられそうになかった。
だから、僕は皆へ尋ねた。「一緒に最後の冒険に出るのはどうだろう? 全員がラヴニカ中へ散ってしまう前にさ」
「凄くいい考えね」アンブレリンが言った。「来週、装飾庭園へ行くのはどう? 昼食を持って――」
「それはただの外出だよ。決して忘れない何かを一緒にしたい。あの聖堂の下に何が隠されているのかを探しに行くのはどうだろう? それを発見するのは僕達しかいないって思わないか?」
アンブレリンはかぶりを振って、僕の寝台の隅に腰を下ろした。「そんな古いものは凄く深い所に埋まっているはず。掘ってるうちにオルゾフ組全員が私達を見つけて集まってくるわよ」
そこで僕は言った。「でもワームだったら? いくらでも深く地面に潜れる。しかも掘るんじゃない」 僕は召喚の呪文を唱え始めた。人の耳には口笛のように響く、けれどワームにとっては眩しい合図だった。アンブレリンの下で掛け布が動いた。彼女は驚いて飛び上がり、寝台が緩く動く塊と化すのを見つめた。
「あなた、寝台の下にワームを隠していたの!」
僕はかぶりを振った。「厳密には違うよ。寝台がワームなんだ」 掛け布と、木の薄板を覆う分厚いキルト地が放り投げられた。「みんな、静かに」 もつれた敷布からワームが身をほどく中、僕は言った。その黒い瞳が僕を見て、大きく口を開けた。ずらりと並ぶ剃刀のように鋭い歯から涎が滴った。「いい子だ」 僕は鼠牙の干し肉をその開いた口へと投げ入れた。まだ幼生、一歳になったばかりだが、既にその純粋な筋肉の身体は重量一トンもあった。
「すごい……」 バズダは大胆にも一歩近づいた。「撫でてもいい?」
「いいよ」
「駄目よ!」 アンブレリンが言って彼女を連れ戻した。
「この子は大人しいよ、友達にはね。僕が雛から育てたんだ」
「こんなのを私の家に隠していたなんて信じられない!」 アンブレリンの声には間違いなく怒りがあった。「そしてあなたはラヴニカでも一番腐敗した地域に来て欲しいっていうの、家出した孤児の宝物を探すために」
「私は行こう」とサヴァリン。「テリックの言う通りだ。冒険の形で固い絆を結ぶというのは、長く離れる友人関係に良い形の持続をもたらしてくれる」
「私も行きたいね」 ケリムが続いた。「実際、その建物の下に何があるのか知りたいからさ。アンブレリン、君も来なよ。わかるだろ、イゼット団はそれを叩き潰してもっと何か大きくて優れた発明品にするし、オルゾフ組は単純に最高額をつける相手に売るだろうし」
そのアーティファクトを手にしたまま、アンブレリンの両目が輝いた。「わかったわ。見に行きましょう。本当に見るだけよ。もし何かおかしいと思ったら、すぐに引き返すこと」
僕はにやりとした。「少しでも危ないと思ったら、すぐに出る。約束するよ」
亜音速の波動が一時的に石を液化させることで、ワームは固い岩を切り裂いて進む。そのお陰で僕達は夕時の混雑とオルゾフ組の悪党の脅しを避けることができた。僕は昔着ていたワーム呼びの制服で完全武装し、その装甲は周囲の溶けた岩の熱から僕を守ってくれていた。皆は僕の衣装箪笥となっていた分厚い小型車両の中に詰め込まれていた。
僕達はあの倒壊した聖堂の場所へ近づいていたが、ワームは地上へ戻ろうとしていた。僕は手綱を引いて深く潜るよう命令したが、ワームは嫌がった。僕はワームの脇、耳片のすぐ後を引っかいた。ワームは喉を鳴らしていくらか落ち着き、とはいえ身体の緊張から、未だ躊躇していることがわかった。だが最終的には無事に、僕達はあの倒壊した聖堂下に伸びる長方形の地下墓地にやって来た。
「どうした? 何か怖いものでも見たのか?」 皆が降りる間に、僕はワームの鼻先を撫でて餌を与えた。サヴァリンは乗り物酔いから吐いていた。ロクソドンの乾いた吐瀉物を見たことがない者は幸せだ。ケリムは湾曲した天井を背中で支える巨人の彫像に呆然としていた。まるで全てが僕達へ向かって落ちてこないように、彼らがそれを押し留めているようだった。恐らくは上部の崩落の衝撃からひび割れがその石に曲がりくねっていたが、ケリムはそれらの構造的安全性を気にする様子はなかった。アンブレリンは彫像それぞれの両脇の棚に並ぶ何千もの陶器の壺に惹かれていた。その全てが金貨で飾られていた。
「時宜の聖堂は何千年も遡るもので、この地下墓地は更に古いんだわ」 彼女はそう言って周囲を見つめ、畏敬から呆然とした。「この壺の幾つかはもしかしたら――」 だがそこで彼女の目が部屋の隅の何かをとらえた。彼女はそこへ向かって歩き出し、次第に歩調を速めていった。僕達は追いかけた。
《沼》 アート:John Avon |
それはまた別の石像で、スラルが座り込んで隷属に頭を垂れ、一つの杯を手にして両腕を伸ばしていた。その杯は分厚い埃に覆われていたが、流れ出るマナを僕は感じた。アーティファクト。アンブレリンはその埃を払うと、杯を縁どるエメラルドの線と共に細かく刻まれた絵文字を露わにした。彼女は注意深くその石造の手からアーティファクトを外そうとし、両側をひねった。不意に石像そのものが後方へ傾き、アンブレリンを連れたまま壁の中へと引っ込んだ。
最も近くにいたのはケリムだった。彼はアンブレリンへと手を伸ばし、脚を掴んだが彼もまた漆黒の入口に引き込まれた。サヴァリンがその分厚い両手でしっかりと掴み、バズダと僕が彼を支えた。力を合わせて僕達は引き、精一杯引き、アンブレリンが出かかったが、その騒ぎで石像周りの石が砕けた。床もまた崩壊を開始した。僕はワームへと振り返って短く呼び寄せた。その力なら全員を引っ張り出してくれる。
そう願った。
だがワームは反応しなかった。僕はもう一度呼んだが、ワームは苛立ってかぶりを振った。まるで手綱を外そうとするかのように。「おいで! おやつをあげるから」
ワームは目を見開き、必死の思いでにじり寄ってきた。だが僕の腕が届く寸前、ワームは後ずさって天井へ飛び上がった。石が液化し、そしてワームは消え去った。尾がむち打たれて一瞬後に石は再び固まった。もう二度呼んだが、何かに怯えたようにワームは戻ってこなかった。
そして床全体が崩れ、僕達は落下するしかなかった。
まるまる五分は瓦礫の中で咳込み、けれど負傷は肋骨数本への打ち身と、牙のわずかな欠けと、僕達の矜持だけだった。十五か二十フィート落下し、そこは何か通路らしき場所だった。気分は最悪、けれど僕は一帯に治癒呪文を唱えて擦り傷や切り傷を塞いだ。危険な兆候があればすぐに去ると約束したはずが、今や僕達はどうだ。行き詰まっていた。
「少しかかるだろうが、落石を積み重ねたなら元に戻る階段を作れるだろう」 サヴァリンが言って、まるで大気を満たすような巨石を持ち上げた。
僕はもっと小さく、目立たない岩を持ち上げて彼のそれの隣に積んだ。「堅実な作戦だ」
アンブレリンは僕を睨み付けた、間違いようもなく。「言ったでしょう」という言葉がその唇に浮かんでいた。だが完全に不得意な分野でも、彼女は議事会の調和的な主義を守った。「そうね」 そしてその笑みがむきだしの歯にならないよう努めた。「いい計画に思えるわ」
「怒ってるんだろう」 僕は彼女へと言った。「当然だよな。君はひたすらに親切だけど、僕はひたすら失望させるだけだ」
アンブレリンは樹皮がけば立つほどきつく額に皺を寄せた。「怒ってないわよ」
「ほんの少しも? 確かに僕達は静穏と友情の神聖さを重視しているけど、もし苛立たしいなら言うべきだ。僕はこの三か月君の世話になって、食事も貰って、ご近所さんを不安にさせるワームを内緒で飼って、もしかしたら子供を誘拐してきたようなもので、更にオルゾフ組の真中の崩れた建物の下に閉じ込められて――」
「ええ。怒ってる、それでいい?」 アンブレリンは僕の目の前までやって来て、その指を胸鎧へとまっすぐに突き出した。「私達は辛抱強く待っていたの、あなたがどん底まで落ちるのを。その後は上がるだけ、その力になってあげられるって。でもそうじゃなくてあなたは私達まで一緒に引きずり落とした! 全員あなたの感情に踊らされるばかり。私達の親切も共感も投げ捨てられてきた。サヴァリンとケリムが離れてくのだって、あなたのことが我慢ならないからよ!」 彼女はそこで言葉を切り、僕を見た。一瞬の安堵の後に良心の呵責がそこにあった。
「僕のせいで、二人は離れてくのか?」
アンブレリンはかぶりを振り、葉ずれの音を立てた。「ごめんなさい、テリック、そういうつもりじゃ――」
「いや、僕こそごめん」 皆を頼りにしていたと思ったが、こういう時には誰が真の友人なのかがわかるものだ。「バズダを頼む。あの子を孤児院へ返してくれ。もう僕に引きずり落とされる心配をすることはないから」
僕は独り、通路を下っていった。ただ両脇の窪みには何十体というガーゴイルが顔を上げ、口を大きく開いていた。彼らは何世紀も、あるいは何十世紀もの間眠っているが、起こしたいとは思わなかった。罪悪感が脳をついばんだ。僕は友達をこの酷い状況に陥らせて、一緒に外へ出る手段を探すべきなのだろうが、今は自分が信用できなかった。事態を百倍悪化させない自信はなかった。だから僕は離れ、やがてこの地下墓地の更に深みへ続く下り階段にやって来た。
まず臆病に一歩踏み出し、もう一歩、そして不意にワームの糞の馴染み深い匂いに圧倒された。セレズニアの庭師が最も重宝する肥料。しばし、僕の思考は昔の生活へと押し流されていった。晩秋の森をそぞろ歩き、ワームの繭を探して豊かな黒土を掘る。半透明の繭はロクソドンの拳ほどで、中には五、六体の小さな雛がくねっている。僕は仕事をしてきた中で何百体というワームを訓練し、自分達の生き方を守るべくそれらを巨大で危険極まりない武器へと成長させてきたが、森でのその瞬間はいつも、ワーム呼びという仕事において最高の時だった。自分の掌に白紙の未来、可能性に満ちた力を抱えるというのは。
心地良い感情は階段を下り終えて荒々しく閉じられた。角から覗き見ると、成体のワーム三体が亜音速の振動で部屋の壁を壊していた。その振動に影響を受けない霊たちが、液化した石が固まる前に拭い去っていた。
その部屋の中央に、円形をした石の機械が座していた。その胸ほどの高さからは一本の大きな操作桿が突き出ていた。どこか古風な石臼のようで、あのバズダのアーティファクトと同じ印があった。アンブレリンが言っていたイゼットの技術に間違いなかった。その機械の周囲には銅貨が山になっていた。でっぷりと太った、その目に明白な絶望を宿した男が労働者らを監督していた。白のローブに黒の細紐、とはいえ埃でその衣服は灰色に汚れていた。僕の記憶が正しければ、オルゾフの司教。古く擦り減った革装の書物が肩から下げられ、悪戯なスラルがその後ろについて回っては、実質的にその男の影になっていた。
《贖罪の高僧》 アート:Mark Zug |
「急ぎなさい! 近くのどこかが埋まったようです!」 司教はそう命令し、ワームの一体を杖で突いた。その先端には琥珀製の日輪が飾られていた。ワームは苦痛にうめき、その深い声は胸に響いた。半マイル先までも届きそうな悲鳴。僕のワームが怖がったのも当然だ。
サヴァリンの大きな手が僕の肩に置かれ、僕を引き戻した。「あれは招かれざる客を親切にもてなしそうな者には見えないな」 そして小声で続けた。「戻ろう。アンブレリンが謝りたがっている。力を合わせてここから出よう」
また何かが逆側の肩に当たった。この時は安心をくれるサヴァリンの手ではなかった。首を向ける勇気はなかった。サヴァリンの両目の様子から、半死のオルゾフ生物が僕を捕まえたわけでもないらしかった。
「ね……ね……」 サヴァリンは明らかにそれ以上言えないようだった。彼の背後のガーゴイルへと僕は目をやった。それがごく僅かに動いた気がした。「ね……」
チュー。ごく小さな鳴き声が耳に届いた。僕はそれを見て小さく息をついた。「ただの鼠だ」
僕はそれを肩から取り上げてサヴァリンに見せた。彼は両手を口に押し当て、悲鳴を押し殺そうとしていたが、恐怖の小さな咆哮がその胴から漏れ出た。背後のガーゴイルが目を開けた。それは僕達、侵入者を見て、叫び声を上げた。そして全てのガーゴイルが耳をつんざくような警報を発し、地下墓地じゅうに響いた。気が付くと僕達は霊に取り囲まれており、それらを押しのけるように司教がやって来た。
「恵まれし霊たちよ、いかなる騒ぎですか?」 司教が尋ねてきた。
「侵入者のようです、御主人様」 従者のスラルが言い、前へよろめき出て司教の隣に屈みこんだ。その声は空ろで湿った軋み音、まさしく死人の肉から作られた生物らしい声だった。
「どなたか、このような神聖なる地下墓地への侵入に対する罰金の額を御存知ありませんか?」
「二万ジブでございます、御主人様」 両目を伏せて霊の一体が言った。「もしくは一万時間の労働になります」
「見たところ、あなたがたが二万ジブを支払えるとは思えませんね」 その司教は言って、杖の先を僕へと向けた。琥珀の石が光を帯び、僕の貴重品全てがポケットから引き抜かれた。魔法の茨の種、鋏、幾らかの硬貨。
「それは僕のだ!」
「おや、ですがオルゾフ組は占有を九割九分の所有と定義しております。そして今、私こそがこれらの所有者です」 司教は杖と僕の持ち物をスラルへ手渡し、革張りの書物を開くと何十という署名済みの頁をめくり、やがて白紙に到達した。司教は純白の頁を指で叩き、すると言葉が滲むように広がって、僕の年季奉公の証文が記された。司教は署名と日付の欄を示した。「署名をするか、ワームの餌となるかをお選びなさい」
ワームの餌となる方がたやすい選択に思えたが、僕は最善を尽くすべく偽名を書いた。他の皆もあの警告を耳にして危険を知ったに違いない。アンブレリンは怒っていたが、僕達の友情は深い。何としても僕達を解放する手立てを見つけてくれるだろう。
サヴァリンもまた署名をすると、司教は僕達それぞれに桶を手渡し、労働を始めるよう命令した。
生者には休息が必要だということを霊は忘れているらしく、瓦礫は僕達が桶で運ぶより速く山になっていった。僕は両腕に桶を一つずつ持ち、別の地下墓地の区画へと続く短い通路を進んだ。こちらは綺麗に積み上げられた骨と頭蓋骨の棚が並び、それらの眼窩には硬貨が差し込まれていた。ずっと古い時代の埋葬の習慣。また円形の部屋には石像が並んでおり、あるものは人間、あるものはスラル、牙をむき出しにした吸血鬼すらあった。その部屋の中央にはラヴニカの忘れ去られた歴史へと落ちていくような不吉な穴があり、僕達はそこに瓦礫を捨てていた。勇気を出してそれを覗き込み、僕は訝しんだ。どこまで深く続いているのかと、そしてもし落ちたなら死ぬのか、もしくはただの骨折り損になるだけなのかと。
「長居はいけません」 追い付いてきた霊が言った。その女性の霊は桶の中身を穴に捨てた――ワームの唾。滅入るような黒色に黄色の泡が浮いていた。衰弱の明白な兆候だった。
「すみません」 僕は謝り、その前へと急いだ。「あの機械って、実際何をしてるんですか?」
彼女は周囲を見て、とても柔らかくも引っかかる声で喋った。皮膚に鳥肌が立った。「銅から金貨を鋳造しているんです。ご主人様の十二代前のお祖父様が盗み出したイゼット団の発明品。それを使って膨大な富を集めて今の高貴な地位へ昇ったのです。あの家系の汚れた小さな秘密です」
《イゼットのロケット》 アート:Dmitry Burmak |
「でも部品が欠けてるんですよね」 僕はそう口走り、即座に後悔した。けれど霊は僕がどうしてそれを知ったのかを訝しむのではなく、罪悪感に悩まされたように見えた。僕は尋ねた。「どこにあるかご存知なのでは?」
霊は素早くかぶりを振り、そして僕は気付いた……似ている。内気な表情と華奢な顔立ち、生前は黒かったと思しき灰色の髪。「もしかして、バズダのお母さんですか?」
「やめて下さい、長居しすぎました!」 彼女は先を駆け、僕は急いで追い付いた。
「寂しがっています。あの子はここにいます、すぐ上の区画に。司教が見ていない時に、こっそり会いに行ってあげて下さい」
「できないんです。契約に縛られています。逃げ出そうとすると、あの法魔術がすぐに連れ戻すんです」
「カディン! ザヴォラ! 遅いではありませんか!」 僕達が戻ると司教が叱り付けてきた。彼は杖をスラルの従者へ手渡し、あの書物を開いた。「負債を一日分追加です」 ザヴォラはずらりと並ぶ印を小さく一度引っかいた。そして司教は僕の頁を開いた。法魔術の束縛を感じ、僕の手で契約印を形作るよう強制された。
「時間はいくらでもありますからね!」 司教は声をあげて笑った。
身体が強張り、不意に契約の重みが浸透するのを感じた。僕は永遠にこの司教へと負債を払うことになるのだ。そして死んでも、そう死んですら、自由にはなれない。今行動を起こさない限りは。僕はその書物を奪い取り、サヴァリンへと駆けた。彼は両手それぞれに満杯の桶を三つずつ持っていたが、僕がその本を突き出すとそれらを手放した。「これを裂いてくれ! そうすれば自由になれるんだ!」
サヴァリンはその通りにしてくれた。ロクソドンの巨大な手が本の束縛を裂く間、僕は司教を押し留めていた。次に幾つもの頁が破れ、そして本はただの破片となった。契約の束縛が早くも弱まった気がした。
「カディンとやら、何者ですか?」 司教は問い質し、詮索するように僕の目を覗き込んだ。あるいは、面が割れたのかもしれない。「そしてこのような地下で何をしていたのです?」
「誰でもないし何でもない」
「ふうむ、何、今にわかります」 司教は従者から杖をひったくると、琥珀の先端で石の床をこすり、僕の足元に円を描いた。不意に、僕は板のように背筋を伸ばして立ち、自分の舌がまるで武器へと変化したように感じた。「もう一度お尋ねします。あなたは何者ですか。ここで何をしているのですか?」
「僕の名前はテリックです。僕がまさにこの聖堂の下にワームを送り込んで、建物を崩してしまったため僕のすべては台無しになってしまいました。僕と友人達は友情を確かにするために宝を探してここへ降りて来ました。」 その内容を口にするつもりは毛頭なく、けれど司教は僕を強力な自白呪文の影響下に置いた。僕の言葉が僕自身を裏切り、それでも全力で抵抗したことが一つだけあった。僕達が優位に立つための唯一の一片、バズダがその機械の失われた一片を持っていること。僕は黙想し、精神の鎧でその思考を守った。
「あなたを覚えているような気がします」 司教は言った。「テリックよ、過失を悔やむことはありません。あなたとワームはただ不運な時に不運な場所にいただけなのですから。少し深く掘りすぎ、幾つかの基礎を破壊してしまったというだけです。とはいえ近くにご友人がいらっしゃるというのは良い知らせです。手に入れられるものは全て利用させて頂きますよ」
司教は僕の友人達を連れてくるべく霊の一団を送り出し、そして杖を宙で振ると、その軌跡を灰色の煙が辿った。煙は地面へ沈み、破られた紙片を覆うと不気味に輝く霧に波紋が走った。そして司教がその霧の中へと手を伸ばし、完璧に製本された本を取り出した。頁は全て無傷だった。
そして僕を見て微笑んだ。「おや、どうやらあなたは数世代に渡って我が一族に仕えることになるようですね」
霊たちが戻ってくると、胃袋が落ちたように感じた。彼らはアンブレリン、ケリム、そしてバズダを前方へ押しやった。ワームと機械を目にすると三人の目が見開かれた。バズダは霊の掌握を振り解き、僕へとまっすぐに駆けてくるときつく抱きついてきた。
僕はそっと語りかけた。「大丈夫だ。ここから出る方法は探すから」
「退くのです」 司教はそう言ってバズダを僕から引き離した。「では見せてごらんなさい」 司教はまずアンブレリンへと杖を振り、だが彼女の持ち物で価値があると司教が判断したものは何もなかった。彼女の装飾品は腕を飾る枝と秋の紅葉の首飾りだけだった。司教はケリムから一本のダガーを奪い、そしてバズダへと向き直った。僕は目を閉じた。彼女のアーティファクトが発見されてしまう。そうすればあの機械は完成して、僕達は自然とここでは役立たずとなる。僕達が何を知っているかを考えれば、解放される望みは潰える。
「署名をするか、ワームの餌となるかをお選びなさい」
目を開けると、司教はスラルへと杖を渡している所で、その手に持っているのはダガーとバズダのヘアピンだけだった。あのアーティファクトをどこに隠したのだろうか? バズダが僕へと頷きかけ、そして僕が視線を下へやると、一瞬前にはなかった膨らみが鎧の下にあった。慎重にその先端を探ると、中央に穴のあいた三日月型があった。彼女の素早い盗みの手は、僕に気付かせることすらなくそれを隠したのだ。
「御主人様!」霊の一体が叫んだ。「このワームが動かなくなりました」
司教は杖を掴み、荒々しい足取りでワームへと向かった。その身体は冷たい石の床の上で力を失っていた。司教は杖の先でワームの肉を突き、琥珀の日輪が光を帯び、ワームへと苦痛魔法の一打ちを与えた。ワームはしばし震え、その皮膚に黒い網が広がった。司教は再びワームを刺激したが、この時反応はなかった。
「何を立って眺めているのですか?」 司教は叫んだ。「まだ二体のワームがいるのですよ。今日の終わりまでに代わりを見つけてきなさい、さもなくば全員の負債に一年を追加です!」
司教が立ち去るや否や、僕はワームへと駆け寄った。その顎の下に手を当てたが、感じた脈動は微かだった。両目が僕へと向けられ、太く黒い涙を流しながら、その視線が僕のことを認めた。僕は言葉を失った。かつて僕が訓練したワームの一体だ。他のワームもそうかもしれない。けれどどちらにせよ問題ではない、何故ならあの司教にはこの報いを喜んで受けてもらうのだから。
「長居はいけません」 再びバズダの母の声がした。彼女はワームの唾で一杯の桶を持っていた。僕は瓦礫の桶二つを持って素早く彼女の前を進み、あの地下墓地の区画まで、詮索の耳が届かない所までやって来た。
「聞いて下さい。お力を借りたいんです」 僕は嘆願した。「僕とあなたと、あの司教に契約で縛られた全員を解放する作戦があります。お願いしたいことは二つあって……」
バズダの母はその部屋中央の穴の隣に立ち、その深淵を見下ろしていた。司教がその隣にて、同じように見下ろしていた。
「彼は身を投げました。恐らく彼にとっては過酷すぎる労働だったのでしょう。エルフというのはそういうものです」
「哀れなことです。とはいえ少なくともまだあのロクソドンがいます。あちらの方が明らかに優秀な働き手です」 そして書物を開く前に常にそうするように、杖をスラルへと手渡した。次に僕が署名をした頁を開いた。司教は両手を掲げ、呪文を唱えた。僕はすぐ近くにおり、契約満了の日付が紙へと滲む様が見えた。そしてそれに至っても司教は僕に気付いていなかった。
バズダの母へ最初に頼んだのは、司教を連れて来て僕が身投げをしたと伝えることだった。この部屋に出入り口は他になく、そのため僕が行くであろう場所はそこしかないはずだった。
次に僕が頼んだのは、ワームの唾の桶を借りることだった。僕はそれを全身に塗りたくった。その経験は、積極的にやりたいものとは言えなかったが、良くべたついて砂利をくっつける糊になってくれた。それらを身にまとい、僕は壁に並ぶ石像の一つと大差ない姿になった。僕はじっと動きを止め、待った。
《草むした墓》 アート:Yeong-Hao Han |
そして攻撃するなら今だった。僕は全速力で司教へと体当たりをし、契約の書物を片手で弾いた。不意打ちは成功し、書物は宙を舞った。僕は司教に掴みかかり、格闘して穴へと押しやった。司教は抵抗したが、僕はこの生涯ずっとこの男の千倍もある獣の背中に乗ってきた。二度強く打って、僕は司教を穴へと投げ込んだ。四秒の後、肉が激突して骨の砕ける音が聞こえた。僕はひるんだが書物へと駆け、契約の文面を一枚また一枚と破り捨てた。そして今もそこに立ったまま、杖を握りしめているスラルへと視線をやった。
「来るんだ」 僕は言った。「手伝ってくれ。そうすれば僕達全員が自由になる。君もだ! その杖がなければ、この本を元に戻すことはできないんだから」
そのスラルはゆっくりと僕に顔を向けた。穴から、司教のうめき声が聞こえた。スラルの顔面が一瞬輝き、そして止めろと僕が言うよりも早く、スラルは司教を追って飛び込んだ。数秒後、筋肉と腱を裂く音が聞こえた。司教が肉の魔術を振るい、琥珀色の光が深淵でちらついた。
「作戦変更です」 僕はバズダの母へ言って、駆け出すと皆と合流した。そして鎧の下からあのアーティファクトを取り出すとアンブレリンへと手渡した。「これであの機械を動かせそうか?」
「きっと」 彼女は頷いた。「魔法は強いけれど、機構は単純。ただ押してくれる力が必要ね」
「私がやろう」サヴァリンが筋肉をほぐしながら言った。十分後、部品は定位置にはまり、ケリムとバズダが投入口へと銅貨を注いだ。サヴァリンが操作桿を繰り返し押すと、上部の石が下部のそれと摩擦し、紫色の火花が走って僕の腕の毛が逆立った。僕は時折肩越しに振り返りながら司教が来るかと身構えたが、通路は静かなままだった。最初の金貨が出口から転がり出ると、僕はそれを両手で受け止めた。噛みつくと、本物のように思えた。もう十枚ほどが転がり出て、そして五十枚が。霊たちは五百ジノごとに数えてそれらを桶に入れた。
僕は各人に債務の残り金額を尋ね、自由を買い戻せるようにその金貨を分けた。だが石の床をコツ、コツ、コツと叩く音が近づいてきて、全てが止まった。数秒後、司教が部屋に入ってきた。片腕はもう片腕よりも低い位置でぶら下がり、顎は前方へとずれていた。病的にくすんだ皮膚がローブの下から一歩ごとに垣間見え、司教はスラルを脚に融合させたのだと理解するまでに一瞬を要した。その頭部は今や司教の足となり、スラルの黄金の仮面が一歩ごとに石の床に当たっていたのだった。
「もう終わった」 僕は司教に告げ、その足元に貨幣の桶を置いた。「全員の負債を払った。もうお前の契約には縛られない」 そしてその言葉とともに、僕は法魔術の束縛が緩むのを感じた。
「馬鹿な!」司教の叫びは喉を枯らすようだった。「その機械は私のものです。この硬貨も! あなたがたにそんな権利はありません!」
「いや、あるさ。自分で言ってただろう、占有とは九割九分を所有することだって」 僕はにやりとした。
硬貨の石臼の上に座って、バズダが司教へと手を振ってみせた。
「私はもっと沢山の金を作るのです。オルゾフ組に与える金を。戦争資金を。他の全ギルドは斃れる、まずはセレズニア議事会からです」
「もう行こう」 首をかしげ、僕は言った。「いい仕事が一緒にできたってことで」
それとともに霊たちが背筋を伸ばし、その希薄な身体が不意に更に軽さを帯び、岩を通って消えていった。僕と友人らはあの区画と完成しかけの階段へと引き返した。
僕は口笛を吹き、訓練を思い出してくれることを願って下階のワーム達へと呼びかけた。彼らは少しして姿を現した。僕は鎧を脱ぎ、バズダへと手渡した。「さあ、これを着るんだ。これから少し暑くなるよ」
アンブレリンが僕を見た。「ここからワームに乗って出るってこと? 防御も無しに! 融けちゃうわよ!」
「地上から遠くはない。五秒か、最大でも十秒くらいだ」
「五秒と言っても融けた溶岩を顔面に受けるのよ」
「もしくは十秒か。確かに独りじゃ無理、けれど力を合わせれば。離れないようにくっついて、治癒呪文を唱えて、それ一つにより合わせれば、ただ合計したよりももっと大きな何かになる。きっとできると思う」
「私はテリックを信じよう。良い作戦に思える」 サヴァリンが言った。
「私もだ」 ケリムが頷いた。
「私も!」 僕の鎧に呑みこまれかけながら、バズダがその中から言った。
「そうね、良い作戦だわ」 アンブレリンも同意した。
僕達全員がそのワームに登り、しっかり身を寄せて掴まった。僕はワームを撫でて優しく囁き、あの虐待で訓練の内容を忘れていないことを願った。僕のポケットにはまだ数片の干し肉があり、その一つを口へと投げ入れてやった。「おいで、いい子だ。一緒にやろう」
僕はそっと近づき、まるで雛を訓練するように丹念に、時間をかけて歩み寄った。ワームも幾らかの安心を得てにじり寄り、そして信頼が築かれ始めた。ワームは身をくねらせて隙間を進み、僕達が入った地下墓地までやって来た。それを通過する頃には、ワームは安定した走りで進んでいた。「ここからだ。呪文を唱えてくれ」 僕はそう言って後退し、ワームを天井へと誘導した。治癒呪文が僕達五人を包み、僕が操舵する中、皆は黙想に集中した。熱が顔を直撃し、焼き、けれど僕は放さなかった。そして遂に、溶岩の幕が分かれ、夜の冷気が僕達の火傷を宥めた。オルゾフ組の煤けた大気を吸うことがこれほど嬉しいと感じるとは!
《開花 // 華麗》 アート:Dmitry Burmak |
そこに二体の霊が座って、僕達を待っていた。バズダはしばしの後、理解した。「お母さん? お父さん?」 そう尋ねると、彼女の目から涙が溢れた。強い、優しさの余地などない女の子だと思っていた彼女が。全ての負債が支払われて、僅かな金額が残っていた。僕はそれをバズダへと手渡した。
「お互い人生をやり直そう、これは君のために」
「ありがとう。でもあの男。あの機械を使い続けたりしない? 戦争を起こしたりしない?」
「すぐには無理でしょうね」 アンブレリンが言って、バズダへとあのアーティファクトを返した。
そして僕が続けた。「絶対に返すと言っただろ? 僕はいつだって約束は守るんだ」
バズダ一家と別れ、疲労の中で四人全員がアンブレリンの共同住宅へ向かった。だが彼女の下階の住人から悲鳴が上がるのを聞いて、僕達は足を速めた。家に入ると、僕の可愛いワームが彼らの寝台にとぐろを巻き、敷布に涎を垂らしていた。この子は家に帰れたものの、階を一つ見誤ったらしい。僕達全員が笑い声を上げた。いや、ご近所さん達を除いて。
「いいよな、こんなふうに一緒ってのは」 未来がどうなるのかはわからない。僕が汚名を雪いで職を取り戻すのか、それともサヴァリンとケリムはやっぱり離れて行くのか。わかっていることは、未来は可能性に満ちていて、僕達の絆は決して壊れるものではないということだ。
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)
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