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Savor the Flavor

死の罠

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Savor the Flavor

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死の罠

Jenna Helland / Translated by Mayuko Wakatsuki / Translation-Supervised by Yohei Mori

2011年10月26日


 イニストラードの世界で起こった、ある物語・・・


ムーアランドの憑依地》 アート:James Paick

 死にゆく男の最後の喘ぎが眠っているナディアへと囁いた。眠るのよ。彼女は不機嫌に自身へと言った。だがおぼろげな記憶の中で別の音がした。木の厚板がきしむ音、激しい靴音、そして金属音。遠くでハンマーを金床に打ちならしているような。何度も何度も。カツン......カツン......カツン。

 ナディアは上半身を起こし、何本か顔にかかった長い髪を払った。部屋の向こうの暖炉で頑固な残り火がわずかに燃えている以外は暗闇の部屋。鎧戸から冷たい隙間風がしみ入り、彼女のいる三階の窓の外では、鎧戸と格子垣にからまった蔦がかさかさと音を立てている。カツン......カツン......鍛冶屋の金床じゃない。彼女は自身に言い聞かせた。こんな夜中に。それを除いても、その音は彼女の部屋の扉を目指し、廊下を向かって来ていた。

 彼女は寝台からそっと降り、負傷した手が寝台の骨組みに当たってたじろいだ。彼女と伯父......名うての師ベイは二日前、ステンシアとの境にある小悪魔の巣を壊滅させていた。小悪魔達の数はわずかだったが、奴らは野蛮で、彼女は戦いの中で強烈な一撃を受けていた。彼女は気にしなかった。訓練においても、暗黒に対抗する聖なる戦いにおいても、痛みはその両方で予期されていたものだ。だが伯父の非難はどんな怪我よりも悪いものだった。君の行動について申し開きができるかね、ミス・ベイ? クロスボウの矢は近距離では役に立たん。護法だ! 信念をもって唱えるのだ、小さな娘よ。さすればアヴァシン様は君をお護り下さる!

 音は止み、ナディアは肩の力を抜いた。無論、何でもないのだ。ここはベイの館の最上階、高い壁と強固な魔法に囲まれている。彼女が謳歌している安全が得られるとあらば多くの者が気前よく金を支払うだろう。過去、大天使アヴァシンの名のもとに強力な護法が、ケッシグの荒野の只中でさえ一件の小屋を安全に保っていた。だが世界は何かが変わってしまった。このような壁に囲まれた村に住むほどの幸運な者たちでさえ、常に吸血鬼の攻撃や狼男の略奪を恐れていた。

 疑いの囁きがイニストラードの人々の間に拡大しつつあった。ナディアがガツタフの村へと彼女の犬カステンを連れて向かった時には、人々は彼女を横目で見つつ彼女の耳に届く距離で不満を口にしていた。まるで彼女が聞けば伯父へと伝わるとでも思ったように、そして伯父から天使へと伝わるとでも思ったように。彼らの信念の欠落にナディアは怯えた。違う、事態はそれよりももっと複雑なのだ。何かが違っている、それは痛いほどに明らかだった。そして彼女は理解した、何よりも村人の疑いこそが自身を怯えさせているのだと。

 彼女は素早く、寝台の足元で眠っているカステンへと口笛で合図した。返事はなかった。眉をひそめ、彼女はやや大きく口笛を吹いた。だが主の呼び声に応える猟犬の動きはなかった。カステンはそこにいなかった。ナディアは凍りついた。カステンは常に彼女の傍にいたのに。扉は閉じられていた。カステンが自身の意思で部屋を出て行くことはありえない。カステンは何があろうと彼女を置いてはいかない筈だ。カステンがまだ子犬の頃、彼女がネファリアの港町はずれの野外墓地で助け出したのだった。その時からカステンは常に彼女とともにあり、もし必要であれば地獄の裂け目へもついて来るだろう。


夜の恐怖》 アート:Christopher Moeller

 頭上で屋根を引っかく音がして、彼女の視線は扉からはがされた。それは葉のない枝が屋根をこすっているような音だったが、館の屋根に届くほど背の高い木はない。ナディアは寝台脇のテーブルに置いてあった彼女の短剣へと手を伸ばした。だがその手は何にも掴まなかった......テーブルの上には何もなかった。彼女はそこに短剣を置いていたはずだった、眠りにつく時は常にそうしていたのに。つまり、何者かが彼女の部屋に侵入したということ。そして今、部屋の扉の外に何者かがいる。扉の僅かな隙間からいらいらする息使いが漏れ聞こえてくる。カツン......カツン......カツン。金属の指を持つ人間が入口を訪ねるかのように。そして答えられるのはナディア独りだった。

 見えざる敵が引き裂いたかのように、頭上の屋根板がかん高い音をたてた。かすかな音は打撃音となり、扉の取手が乱暴に歪んだが、慈悲深くも扉は閉じられたままだった。蝶番を破壊するほどの力で窓の鎧戸が乱暴に開かれ、ナディアは飛び上がった。窓から現れたグールは小型で背が曲がっており、乾燥した筋肉の外皮と、むき出しの黒ずんだ骨でできていた。ナディアは部屋を素早く横切り、グールが部屋へと入り込む前にその頭へと蹴りを浴びせた。その脆い頭蓋骨は砕け、後方へよろめいて眼下の地面へと転落した。もう一体の攻撃者が窓へと登ってくるにつれて、格子枠の厚板にひびが入った。

 屋根への強襲によって少量の木片がナディアの頭へと降り注ぎ、彼女は寝台の下にある武器箱へと飛びついた。木製の大きな箱を引っ張り出すと、何か忌まわしきものが破壊しようとしている痛みを頑丈に耐え忍ぶ、未だ損なわれていない扉を心配そうに眺めた。おもしろいじゃないの、ナディアはにやりと笑った。彼女の扉には鍵がついていない。彼女は木箱の掛金を探った。それはもし必要とあらば暗闇の中、目隠しをされていても開けることが可能なようになっている。だが彼女の手は何か冷たいものに当たった。銀製の南京錠だった。


終わり無き死者の列》 アート:Ryan Yee

 南京錠。短剣。カステン。ナディアの半狂乱の思考はそれらを組み立てることを拒んだ。だが理屈は全くもって明らかだった。師ベイ。伯父がこれを仕組んだのだ。その認識に、部屋の空気が全て吸い出されたようだった。これはステンシアの小悪魔の件で失敗したことへの罰? 怒りと恥辱が彼女の背中を押した、無味乾燥で危険なこの状況へと。どちらにせよ、生き残らねばならない。

 より大型のグールが窓を破壊して入ってきた。彼女に向かってよろめき進む中、その不格好な肩で窓枠を破壊した。その姿を見てナディアは気持ち悪さに身震いした。片目はなく、その眼窩からは黒い腐食物がにじみ出ている。皮膚の残骸、むらのある痘痕には汚物が固着していた。破けた軍服が悪臭を放ちながらその瘤だらけの上半身に引っかかっていた。この悪鬼はかつて聖戦士、アヴァシン教会の兵士であった。憐れみと嫌悪は役に立たないものだと伯父は言っていたが、それを抑えることはできなかった。

 予想外の速度で、死した聖戦士は緩んだ鎧戸を引っ張り、彼女の頭へと放り投げた。ナディアは寝台の上に飛びすさり、上掛けの端を掴むとそれを素早く広げた。伯父様は正しいかもしれない。彼女は考えた。だけど外から鍵をかけるなんて? 死した聖戦士は荒々しくそれを振り払ったが彼女を見失った。大きな余裕ができた。ナディアは寝台から飛びかかってゾンビへと体当たりしたが、彼女のほっそりとした身体ではかろうじて倒れただけだった。振り回す四肢に上掛けが引っ掛かり、実にいやな皮膚の塊を彼女から防いでくれた。

「善と悪の間では、うぬぼれを競う時間はないのだよ」

 伯父の小言が頭の中に聞こえてきた。

「うぬぼれじゃありません! 皮膚が腐るのが嫌なんです!」

 彼女は大声で叫んだ、頭上で木の板がきしむ音をかき消そうとするかのように。今回落ちてきたのは木片ではなく、屋根そのものだった。奴らはグールが入って来られるほどの穴を作ることに成功した。デーモンに連れて行かれてしまえ。彼女はそう呟いて、死した聖戦士から転がって離れた。同時に血まみれの夜着をまとったアンデッドの少女が屋根から落ちてきた。それは死した聖戦士の上にかなりの破片とともに落ち、うまくいけば頭蓋骨が砕けていただろう。頭のないアンデッドは容易く始末できる。だがまずは少女の方を始末せねばならない。その指には武装するように刃が縫いつけられていた。なんてこと、スカーブ。錬金術師によって特別に作られたスカーブたちはグール呼びに目覚めさせられた平凡な屍よりもずっとたちが悪いものだ。その比較は無意味だと伯父は強調していた。だがナディアは確かに、彼らはより賢く、卑しく、そして少々素早いことを知った。

 彼女は縫合少女からの強打を素早く回避し、暖炉へと転がった。暖炉の火かき棒は極めて便利なものの筈だが、そういった道具さえも失われていた。

「何故ですか、伯父様!?」

「君は肉体の技能に頼りすぎるのだ」

 彼の声が頭の中に響いた。

「呪文だけが唯一の道となる時もある。肉体ではない、信念だ。ミス・ナディア」

 ナディアは叫びたかった。このような瞬間には、ただ一つの呪文さえ思い浮かびはしないだろう。考えられることといえば、赤熱した石炭を拾い上げてスカーブ少女の顔面へと投げつけることだけだった。彼女はアヴァシン教会の護法を学んでいなかったわけではない。ああ、彼女は果てしなくそれを学んでいた。だが安全な書斎で護法を暗唱するのと、今、冷たい床に転がって燃えさしと灰を手に掴んでいる状態では話は別だ。

 燃えさしがスカーブの目に当たった。そこから落ちた燃えさしが縫合少女の胴部へと転げ落ち、破けた絹へと引火した。それが上げた不自然な金切り声にナディアは耳を塞いだ。粘質の髪をくすぶらせ、縫合少女は心のない静けさで燃える衣服を見下ろしていたかと思うと、炎が爆発した。ざまを見なさい、貴方のちょっとした稽古で館を焼いてしまいたいの、伯父様。ナディアは這い回り、猛火を消す何かを探した。


熟慮》 アート:Anthony Francisco

 不意に、縫合少女が向こう見ずに壁へと突進し、焼けた肉体と燃える衣服の塊となって崩れた。ナディアは外套が下げられている衣装掛けへとよろめき向かった。彼女はそのポケットに何か重いものがあるのを感じた。聖水の小瓶だった。そう、師ベイは何かを見逃していたのだ。

 だがそれだけでは、水は十分ではないだろう。彼女はアヴァシンへの祈りを呼び起こした。煙に咳こみながら、彼女はその拳で粉砕するかのように小瓶を握りしめた。護法。護法のことを考えるのよ。ナディアはくすぶる上掛けの端を踏みつけ、小瓶が彼女の手の中で温まり、指の間から光が流れだした。コルク栓を引き抜き、弧を描くように聖水を部屋に振りまいた。彼女は急に風が起こるのを感じた、まるでアヴァシンの翼が空気そのものを叩いたかのような。ありがたいことに炎は縮小し、またたいて消えた。これについて不信心な村人は何て言うかしら?

 炎が立ち消える前に、ナディアは寝室用の小さなテーブルを掴んで哀れなスカーブを繰り返し殴りつけた、それが窓に向かってよろめき進むまで。戦うには脆く、また燃え過ぎた縫合少女は窓枠へと抵抗せずに向かい、戦うことなく暗闇の中へと落ちていった。ナディアの足元では、毛布の下で聖戦士が無力にもだえ苦しんでいた。屋根の穴のあたりに動くものはなかった。格子から音は何もしなかった。風の吹く音以外に音は何もなかった。

 ナディアは壁によりかかり、息をつこうとして、その目は裂けた扉で止まった。あいつは何処へ? 彼女の問いに答えて、扉は巨体のスカーブの重量の下で粉々になった。その頭は胸から付き出ており、膨れた肩はほとんど天井に届かんばかりだった。ぎざぎざの金属環で縫い合わされたそれは、彼女がかつて見た中で最大のスカーブだった。そして怖れは彼女を凌駕した。


スカーブの大巨人》 アート:Volkan Baga

 彼女はぽかんと敵を見上げた、世界について何も知らない、怯えた子供のように。スカーブは彼女の喉首を掴んで壁へと投げつけた。その衝撃に彼女は喘ぎ、ナディアはパニックに陥った。溺れているようだった。彼女は立ち上がろうとよろめいたがスカーブは彼女の頭上に迫り、その冷たい指で彼女の喉を砕き、窒息させようとした。

 スカーブの手にかかって死ぬのは最悪の恥辱だ。彼女の父は家の近くの畑で、狼男の手にかかって死んだ。彼は斧を手に戦って死んだ。兄は母を殺した吸血鬼を討伐した、受けた傷で自身が死ぬ前に。自分はこんなふうに死ぬのだろうか? 戦う力のない哀れな縫いぐるみの人形のように?

 護法を使うには手遅れだな、ミス・ベイ。頭の中に伯父の声が響いた。スカーブの太った手を絶望的にかきむしり、彼女はスカーブの手と自身の喉の間にどうにか指を二本ねじ込み、数秒だけ命を得た。神聖魔法は彼女の最後の武器だった。ナディアは瞳を閉じて醜いスカーブの姿、屍の悪臭、そして強大な敵に対して無力である自身への羞恥心を断ちきった。

 どうすれば魔法がより簡単に働くか、もしかしたら彼女は理解したのかもしれない。だがそれは完全に直観だった。魔法とは大地と魂とを繋げるものだ。伯父がそう言ったのかもしれない。彼女は両親の農園を思い起こした。黄金に実る大麦の平原。父の血が沁み込んだ大地。記憶に身を委ねた時、ナディアの身体から力が脈動して発せられ、スカーブを焦がした。それは苦痛に吼え、彼女から離れた。そのまま後ろへとよろめいたが、呪文はスカーブを飲み尽くしていた。ナディアは地面に落ち、アヴァシンの光はスカーブを内部から殺していった。皮膚の隙間から光が漏れ出し、胸の肉を跡形もなく抹消し、ついには床に散らばる盗まれた骨と化した。


叱責》 アート:Igor Kieryluk

 破壊された戸口から厳めしい顔で伯父が現れ、焦げた部屋の残骸の様子を見た。彼が脇に一歩避けると、狂乱したカステンがナディアへと突進した。猟犬と主はともに師ベイを睨んだが、少なくとも彼女たちの怒りに身動きさえしなかった。

「立ちなさい、ミス・ベイ」

 彼は無愛想に言った。そして二人の男に部屋に入るよう合図した。

「ジョグソン、屍を全て荷車に積むように」

 カステンのたくましい首に支えられ、痛みをこらえてナディアは立ち上がった。

「スレイベンからの使者があった」

 彼は言った。

「スレイベンで緊急事態だ。一時間以内に出発する」

「他には?」

「それだけだ。ジョグソンを手伝って死体を墓地へ運べ、そして正しい弔いを与えてやれ」

「わかりました」

 師ベイは扉へと向かった。敷居の所で彼は立ち止まり、姪へと振り返った。

「私の伝えたい事はわかったかね、ミス・ナディア?」

「わかりました」

 彼は背を向けた。

「よくやった」

 ナディアは無人の廊下に笑みを向けた。伯父の称賛は陽光のように珍しいものだった。それが続いてる間は楽しむわ。彼女はカステンへと合図し、死者を弔いに向かった。

 翻訳監修:森 陽平

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