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ゲームに必要な10のこと その2

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ゲームに必要な10のこと その2

Mark Rosewater / Translated by YONEMURA "Pao" Kaoru

2011年12月7日


前回のつづき――

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 これは私の娘レイチェルの第5学年の先生、ニコルス先生だ(すばらしい先生だ)。

 今回のこの記事には、ニコルス先生が深く関わっている。なぜなら、彼は私を授業に招き、ゲーム・デザインについての講義をさせてくれたからである。その授業は、南北戦争をテーマにしたゲーム作りだった。私の説明は30分ほどのもので、A4の用紙1枚分でその内容をまとめたテキストを準備しなければならなかった。制限は創造の母である(と私は聞いている)ので、これこそが「ゲーム」、特にマジックを説明するためのすばらしい制約だと思った。私はこの講義を「ゲームに必要な10のこと」と題し、前回のコラムでその前半部分を紹介することができた。つまり、目標、ルール、相互作用、逆転要素、勢い、である。今回はその後半部を紹介していこう。

 本題に入る前に、一言添えておきたいことがある。私がこの2回のコラムで語っていることは、ゲーム・デザイン入門である。ここで言っていることに例外がないわけがない。しかし、芸術の入門クラスでキュビスムを取り上げることはありえないものである。まずルールの存在理由を理解した上ででなければ、そのルールを破ることに意味はない。ここで挙げた10個の条件を満たさないすばらしいゲームは存在するが、最初のゲームを作るのであればここで説明している条件を満たすようにすることを強く推薦しておこう。

 さておき、私のテキストに話を戻そう。前回と同じように、そこに書かれている内容をより深く掘り下げ、それについてマジックがどうなのかについて語っていくことにしよう。

#6) 驚き

 ゲームには、プレイヤーが予想できない要素が必要である。プレイヤーは驚くことを楽しみにしているのだから、想像出来ない要素をゲームの中に入れなければならない。

 私のコラムのテーマの1つに、良いゲーム・デザインのためには何が人間を惹きつけるのかを理解しなければならない、というものがある。人間は、それによって心地よいことが得られるような驚きを好むものである(近いうちに、私が受けたコミュニケーション教育が、私のデザイン上の視点をどう定義づけたかについて語りたいと思う。快楽と驚きは、聴衆を惹きつける上での両輪である。「じゃあ3つめの輪は?」 皮肉なことに、3つめに挙げられるのは完成である。すばらしい記事になることだろう)。

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 私が人々が驚きを愛すると信じているのは、人間は何が起こるか分からないと言うことを楽しんでいるからである。知らないことを知るというスリル。ゲームをするということは、心地よい驚きを得る準備が出来たと言うことなのだ。これが、驚きが求められる心理学的な理由である。プレイヤーはそれを楽しむのだ――そして、他にも理由が存在する。

 ゲームに驚きを加えるべき2つめの理由は、プレイの深みと私たちが呼んでいるものである。プレイヤーがゲームを楽しみ続けられるようにするために、ゲームの全貌を把握できないようにしたいと思うものである。プレイヤーが一目で局面を把握して最善手を選べるようであれば、そのゲームはすぐに飽きられてしまう。非公開の情報(ゲームに驚きをもたらすものだ)の存在によって、選択は無限の複雑さを得、そして全貌の把握ははるかに難しくなるわけである。

 また、非公開情報の存在によって、あるプレイヤーは知っているが他のプレイヤーは知らないという状況が作り出され、情報の集約と、ゲームに読みを生み出すものになる。プレイヤーは手がかり(ゲーム内でのプレイヤーの挙動や反応など)をもとに、その非公開情報がどのようなものであるかを推測できる。その推測は、ただ確定付けられた情報よりもずっとゲームを緊張感溢れるものにしてくれるものなのだ。

 3つめの理由は、再度プレイしたくなるかどうかである。驚きを含むゲームというものは、その性質上、同じ展開を繰り返すものにはなりにくく、様々な結果をもたらすものになる。従って、ゲームの展開も多様性を持ち、何度も何度もプレイして楽しめるものになるのだ。

 マジックにおける驚きといえば、まずはライブラリー、そして手札の存在が挙げられる。前者の存在によってあらゆるゲームは異なる展開を見せるようになり、後者の存在によって非公開情報がゲームの間を通して緊張感をもたらしてくれるのだ。もう一つ挙げるなら、無作為性を内在した呪文や効果を挙げることが出来る。イニストラードでその種の呪文や効果を取り上げたのには、未知なるものはホラー・ジャンルの恐怖を盛り上げるのに一役買ってくれると分かったからである。イニストラードにおけるそれらのカードの(我々が行なった調査による)成功は、将来のマジックのセットにおいてそのデザイン空間を使えるようにしてくれたと言えるだろう。

#7) 戦略

 ゲームにおいて、経験を積んだプレイヤーがよりよくプレイできなければならない。ゲームを繰り返して行なおうと思うのは、前のゲームで得た経験を次のゲームに活かしたいからだ。

 何度もプレイしたいと思わせるものには、大きく2つある。一つは展開の多様性であり、もう一つが経験の連続性である。ゲーム1回1回を別々の物として感じさせるのは非常に簡単だが、実際には別々の経験ではない。諸君は「マジックを1243回プレイしたことがある」のか、「マジックをプレイした」のか、どちらが正しいと思うだろうか?

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 ゲームによっては、前回の結果の続きとしてゲームを始めるものがある(いわゆるロールプレイング・ゲームなどはその典型である)が、ほとんどのゲームは何らかの初期状態から始まって、そのゲーム中に終わりを迎える。その結果、プレイヤーはそのゲーム単体との関係性を考えるようになるのだ。プレイを重ねれば重ねるほどに、この関係性はゲームの理解へと成熟していく。プレイすればするほど、経験が深まっていくというわけである。

 この経験の成熟は非常に重要であり、ゲーム・デザイナーは自分のゲームにプレイヤーとともに成長する余地(そしてそれはプレイヤーの成長する余地でもある)を持たなければならない。そのための最も単純な方法は、戦略である。そのゲームに、プレイヤーの学び成長する無数の可能性を与えるのだ。それがあれば、プレイヤーは自分の技量が高まり、「レベルアップ」していることを感じ取ってそのゲームを続けてくれることになるだろう。

 ここで「レベルアップ」という単語を使ったが、この「レベル」という概念もまた非常に重要であり、多くのゲームはこの要素を前面に押し出している。良くなるというのはどういうことか? ゲームにおいてそう示されていることであり、多くの場合にはそれによってより多くの道具や資源に接することが出来るようになる。

 マジックはまさにこのジャンルに当てはまる。リチャードは非常に深い戦略要素を持つダイナミックなゲーム・システムを作り上げた。そしてそれにトレーディング・カードゲームという要素と(プレイヤー自身が自分の使いたいゲーム要素をくみ上げるという物だ)、変動し続けるメタゲーム要素(新カードが追加され、古いカードが使用不可能になっていくというフォーマット)が付け加えられて、史上最も複雑な戦略性を持つゲームとなったのだ。

#8) 楽しみ

 プレイヤーがゲームをするのはまず楽しみのためであり、ゲームにはプレイヤーを楽しませる要素が必要だ。プレイして楽しくないゲームなら、誰もプレイしてくれないだろう。

 初めてデザインしたゲーム(出版に達したものではなく、生まれて初めてデザインしたという意味である)をリストアップしてみると、一番見落とされていることが多いのはこのカテゴリーである。一般にゲームをプレイすることそのものが楽しいものなので、これが欠落しているというのは驚くべき事に思えるかも知れない。しかし、経験の浅いデザイナー(や、場合によっては経験豊富なデザイナーであっても)はゲームの細部にこだわりすぎ、ゲームそのものにもっとも必要な点を見落としていることがあるのだ。つまり、「それはおもしろいの?」

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 10個の各カテゴリーを通して、楽しみというのはもっとも主観的なものである。ある人が嫌うようなことを楽しむ人もいるが、ゲーム・デザインというのはそうではない。ゲーム・デザインは楽しみという経験を作り出すものであり、それはゲーム・デザイナーが考慮しなければならないものである。プレイテストというのが重要なのはそこである。自分のゲームを見ることで学ぶことは多いが、楽しみというのはそういうものではない。楽しみは、ゲームをすることそのものからもたらされるものであり、つまり、ゲーム・デザインの中にはそのゲームを自分だけでなく他の人、自分のことを知らない人にもプレイしてもらうということが含まれているということなのだ(プレイテストを身内だけにやらせると、個人的な関係を考慮した優しい意見だけが寄せられがちである)。

 これはゲームの最高の試験である。デザイナー自身の誘導なしで、デザイナーのことを知らない人にプレイしてもらうのだ。その後、(デザイナー本人でなく)誰かがそのプレイヤーたちに尋ねる――「もう一度このゲームをやりたいと思う?」 「ああ!」という熱狂的な返事以外が帰ってきたなら、そのゲームは充分楽しいものには仕上がっていないのだ。

 マジックが楽しいのはなぜか? それは、もう、それだけで一本のコラムが書けるような話である。マジックは楽しいのか? もちろんだ。なぜそう言い切れるのか? なぜなら、私はプレイヤーのプレイの仕方を見ることができるからである。プレイヤーがトーナメントで10時間以上も戦った後、彼らは何をするだろうか? マジックをプレイするのだ。ソーシャル・メディア(ツイッターやフェイスブックなど)を見てみてもわかる。マジックのプレイヤーはもっともっとプレイしたいと思っているのだ。マジックを日夜プレイするのが仕事である我々開発部の人間が、余暇に何をしているのかと言われると――マジックをプレイしているのだ。

 一番最初に、(経験豊富なゲーム・デザイナーは)カテゴリーのうち1つを無視してゲームを作ることがある、という話をした。確かにそれは事実だが、それでも無視してはならないカテゴリーが存在する。それが、これだ。ゲームが楽しいものでなければ、1度はともかく2度プレイされることはない。それはゲーム・デザインの絶対の真実なのである。

#9) フレイバー

 メカニズムの他に、ゲームにはイメージが必要だ。何かを表していなければならない。イメージ先行でそれを再現するためにゲームが構築されているものもあれば、メカニズムが先行でそれにフレイバーをあわせているものもある。どちらにせよ、ゲームに物語性や世界観やテーマがあれば、ゲームはより面白いものになる。

 8年前、私はフレイバーの重要性とゲーム・デザインにおける役割についてのコラム(リンク先は英語)を書いた。このコラムでは数多くの注目点を挙げているので、まだ読んでいない諸君は一読してもらいたい。今回は、これとはまた異なった視点からの説明を試みよう。ゲーム・デザイナーはゲームを作るための道具を持っているものであり、その中でもフレイバーというのは最上のものの一つだと考えている。フレイバーが果たすことのできる役割について、これから見ていこう。

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 まず、フレイバーによってプレイヤーはあなたのゲームに何らかの意味を見いだしてくれる。イニストラードを例に取ると、セットのデザインは全体としてホラーっぽく感じられるようなフレイバーをメカニズムにまとわせた。私や私のチームがホラーというものを作り上げたわけではないが、すでに存在しているホラーというものを用いることでプレイヤーたちに非常に深いレベルでの何かを伝えてくれるものを作ることが出来た。新しいものを取り入れ、それをなじみあるものにすることができた。ゲーム・デザインというものは、プレイヤーと感情のレベルでつながることであり、そのためにフレイバーは非常に有用な道具なのである。

 だが、それだけではない。あなたのゲームをプレイするに至るまでに存在する最大の障害とは何だろうか? 我々はそれを「参入障壁」と呼んでいる。プレイヤーが初めてそのゲームに触れる時、彼らはそのゲームのやりかたを学ばなければならない。新しいものを学ぶというのは難しいことで、面倒なことである。その途中で白けさせるようなことがあれば、そのゲームは二度とプレイされないに違いない。参入障壁は、マジックの最大の弱点の一つと言えるだろう(マジックを覚えるのは、難しいことで非常に面倒なものだ)。

 フレイバーはこの参入障壁を減らしてくれる。フレイバーがなければ無作為なものにしか思えないルールを説明する助けになってくれるのだ。フレイバーはプレイヤーをある種の考えに向かわせてくれる。フレイバーはプレイヤーを興奮させてくれて、面倒で難しい学びに向かわせてくれるのだ。フレイバーは参入障壁の天敵であり、そして、よく言われるとおり、敵の敵は味方なのだ。

 フレイバーはまた、ゲームの見栄えを整えてくれる。私はゲーム・デザインの重要性について語るのに多くの時を費やしてきたが、ゲームをプレイさせるためには他にも多くの側面が存在する。見栄えという要素はその一つであり、フレイバーはそれを整えてくれるのだ。

 マジックはフレイバーを活用している。ゲーム全体を魔法の戦いと位置づけることで、ゲームが何なのかを定義している。イラストやカード名、フレイバー・テキストは人々を惹きつけるものだ。「私がマジックを始めた時」の話は、大抵がこのゲームの見栄えに一目惚れするところかは始まる。イニストラードが示したとおり、フレイバーはセットやブロックを定義することすらできる。フレイバーは、マジックが非常に効果的に使っているところの強力な道具であると言えよう。

#10) ヒキ

 ゲームをプレイしてもらおうと思うなら、プレイしたいと思うような何かがなければならない。ゲームを売り込むなら、市場に対する「ヒキ」が必要なのだ。

 「その1」で、最初は9のことを並べて、最後に1つ付け足した、ということを説明した。付け加えたものというのが、このカテゴリーである。このカテゴリーを含めなかった理由は、これがゲームを売り込むための物であり、授業に参加している子供達には関係ない話だからである。しかし、考えを重ねていくと、金銭的なものでこそないものの、子供達も自分のゲームを売り込むのだということに思い至った。それらのゲームは、主に他の生徒がどう反応したかに基づいて評価されるのだ。

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 このカテゴリーは、ゲームを作ると言うことは芸術などではないということを意味している。ただゲームを作るだけでは意味はなく、それを売り込めなければならないのだ。そのために、ゲーム・デザイナーにはもう一つ憂慮すべき事が存在する。ゲームには、ウリになるものが欲しいのだ。これは様々なものがあり得る。他に存在しないようなメカニズムや、目新しいテーマ、高度な物語性かも知れない。重要なのは、それを見た人が足を止め、それについて知りたいと思わせるような何かがゲームには必要だということなのだ。

 私が初めてハリウッドに着いた時、脚本家になるための最大の関門はいい脚本を書くことだと思っていた。実際にやってみると、いい脚本を書くこと自体は最大の関門ではない(もちろん簡単な話ではないのは当然だが)ことが分かった。最大の関門は、それをふさわしい人の目に触れさせることだった。同じ事がゲームにも言える。どれだけすばらしいゲームでも、プレイしてもらえなければ何の価値もないのだ。

 ゲーム・デザイナーには多くの顔があるが、その中に必ずマーケッターとしての顔が必要である。どうやって自分のゲームを売り込むのかを、デザインの一部として考えなければならない。この要素は非常に重要で、後回しにすることはできない。ゲームを作るだけ作って後で考えることはできないのかと言われると、もしかしたら想像の途中で偶然発見するかも知れないが、それは、食料を買わずに探検を進め、運良く食べられるものを見つけ出せることを祈るようなものである。不可能だとは言わないが、いい結果が得られるとはとても保証できないものだ。

 ヒキを作るにあたっては、単純で、一目で分かるものであることが必要である。ヒキは人々の注意を引くものでなければならず、そのためにはわかりやすいものでなければならない。第一印象は重要なものである。一方、ヒキがすべてを物語ってくれるわけではない。ヒキの役目は、教育するのではなく、気を引くことである。プレイヤーになり得る人に、より深く学ぼうと思わせることが役目なのだ。

 マジックが秀でているところ、そしてトレーディング・カードであるという理由はこれである。どのカードにも大きなイラスト付きの強いフレイバーがにじみ出ている。意味が分からない文章が書かれているゲームではあっても、観客から見て何をしているかはパッと見て取れるのだ。マジックのデザイナーにとって重要なのは、セットごとに異なるヒキを提供し続けることである。

実際の授業で

 私のスピーチは上々だった。まず私は子供達に好きなゲームの名前を聞いて、このコラムでマジックを使ったのと同じように、そのゲームを使って各要素ごとに説明していった。6週間ほどして、授業でゲーム・ナイトが開催され、子供達やその家族が集まって子供達のデザインしたゲームを試すことになった。

 レイチェルは、ゲーム「タブー」を元にしたゲームを作ることにした。

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 「タブー」になじみのない諸君のために説明すると、ゲームの目的は、5つの「タブー」言葉を避けながら一つの名詞を当てさせるというものだ。簡単だと思うだろうが、これがそのカードの霊である。

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 これらのカードに書かれている単語は全て南北戦争に関するもので、通常のタブーに比べて、(特に家族にとって)少しばかり難易度が高いものになっている。レイチェルはこのゲームでA評価を得た(実際はABCDという評価ではなかったが、まあ、高得点だ)。

 ゲーム・ナイトでは、子供達の作った様々なゲームに振れることができて非常に楽しかった。子供達が私のスピーチを受けて、この10個のカテゴリーをゲーム内に取り入れようとしているのが分かった。

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 今日の話はここまでだ。諸君がこの2回に渡ったコラムを通じてゲームデザインの骨格に触れることを楽しんでくれていれば幸いに思う。このコラムのためにニコルス先生の写真を撮りに行った時、彼はまた今年の5年生について話したいと言ってくれた。私はもちろん大歓迎だった。

 それではまた次回、死者の国でお会いしよう。

 その日まで、愛するものを分かち合う喜びがあなたとともにありますように。

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