• HOME
  • >
  • READING
  • >
  • 企画記事
  • >
  • 『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト:第3回 オゾリス

READING

コラム

企画記事

『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト:第3回 オゾリス

原著:Django Wexler
作:若月 繭子

プレインズウォーカーとして

 オゾリスへの道中、日が沈むとルーカは夜営を設置した。テントや焚火にこだわるのは彼だけで、ビビアンは外套にくるまって岩に身を寄せ、眷者たちはそれぞれの怪物に密着して暖をとった。

 翼の猫は少し離れて丸くなっていた。その毛皮は暖かく魅力的に思えたが、中に入るにはまだかなりの抵抗があった。ルーカは一人テントに閉じこもっていたが、眠れなかった。やがて彼は毛布を蹴飛ばして外に出た。

 ビビアンがいたはずの岩場は無人だった。ルーカは周囲を見渡し、やがて巨岩の上で星を見つめる彼女の姿を認めた。ルーカが向かうと、靴音が聞こえて彼女は振り向いた。

「眠れないの?」

 ルーカは頷き、夜空を見上げた。雲の隙間に星屑が見え隠れしていた。

「同じなのか?」

「え?」

「星だよ。世界が違っても、星は同じなのか?」

「それは違うわね。星が虹みたいな色をしていたり、ホタルみたいに星が動く世界なんてのも」

 ビビアンはくすりと笑い、そして表情を引き締めた。

「最初から本当のことを言わなくて、怒っているでしょうね」

「いや。そもそも言ってくれたとしても信じていたかどうか」

「今は信じてくれてるの?」

 彼は頷いた。これまでのビビアンの態度、怪物のいない地から来たような振る舞い。この世界にそんな場所があるとは思えなかった。一方で、彼女がこの件に顔を突っ込む理由をルーカは知りたがった。この世界への興味や、聞いた通り彼女の同類が関わっているにしても。長い沈黙の後、ビビアンは咳払いをし、切り出した。

「私の故郷は……スカラと呼ばれていたわ。私は野伏として、自然を害する者と戦ってた。長い、負け戦だった。ボーラスに襲われる前から」

「ボーラス?」

「プレインズウォーカーで、怪物。あいつがスカラを壊した。私はそこで死ぬはずだったけれど、プレインズウォーカーとしての才能が、私たちは『灯』って呼んでいるけど、その時目覚めて逃げることができた。残されたのは私と、この弓と、その中の記憶だけ」

 彼女は安心を求めるように、その武器に触れた。

「済まない。辛いことを思い出させてしまって」

「大丈夫。私はボーラスを倒すと誓った。そして長い間、それに突き動かされてきた。ひたすら次元から次元へ旅をして」

「それで?」

 かすかな笑みを彼女は浮かべた。

「成し遂げたわ。他のたくさんの人たちと一緒に。凄まじい戦いがあって、最終的に私たちは勝利した。ボーラスの悪はあらゆる次元から消え去った。そして私は……満ち足りた。けれど……」

次元を挙げた祝賀

「次の朝目覚めて。ボーラスはいなくなって、けれどスカラは失われたままだった。私に、帰る故郷は無いままだった」

 ルーカは押し黙った。

「それから……考えてきたわ。プレインズウォーカーの力、この灯を持つ者はほんのわずかなのね。私たちはこの力を善いことに使うのが義務だと思っているけれど、この力を持つ意味って何なのかしら、って。それを理解してるなんて言うつもりはない。けど、灯を悪用する者の話を聞くと、私はスカラを思い出すのよ」

 長い沈黙があり、やがてルーカは静かに頷いた。

「そうか。君が力を貸してくれて本当に感謝している。君がいなければ、俺は今ごろ処刑されていただろう。オゾリスで起こっていることを止められたなら――」

「それは明日に。もう寝た方がいいわよ」

 その通りだった。ルーカは彼女へと今一度感謝を告げ、テントに戻っていった。

 住んでいる世界そのものを失う。とても想像できなかった。ドラニスとジリーナ。このままでは、どちらも二度と目にすることはできなくなってしまう。ビビアンの声ににじむ痛みを思い、彼は震えた。何があろうとも、ドラニスに帰る。

眷者たちの戦い

 空を飛べるのは翼の猫だけだったので、人間たちは揃って乗り込み、他の怪物の上空を飛んだ。オゾリスに近づくにつれ、それが発すると思しき奇妙な声がルーカにも聞こえるようになった。猫も同じくその声に悩まされているのが感じ取れた。

 午前のうちに、水晶列の先端が見えてきた。オゾリスは単一の巨大な結晶ではなく、明るい橙色をした中央の大水晶を起点として水晶がらせん状に並び、平原全体に広がっている。最も外縁の水晶はルーカがまたぐほど小さかったが、中心に向かうにつれ大きく、威圧的になっていった。

 何かが水晶の隙間を動いていた。巨大で黒く、蝙蝠の翼のような翼に六つの赤い目。幾つかの水晶の先にも別のナイトメアがいた。そちらは長くしなやかな身体で目は全くなかった。また別の個体も、ちらつく水晶の間を移動していた。

虚空を招くもの

 ルーカが翼の猫に意志を伝えると、了解の波とともにそれは降下を始め、眷者の怪物たちはオゾリスから安全な距離をとって止まった。十分に降下した所でブリーンは飛び降り、ロルの背中に落ちて笑いながら跳ね返った。他の者たちは着地まで待った。

 ルーカはそのまま、猫に乗って空からオゾリスへ向かうという作戦だった。とはいえ着いたところで何をすればいいのかはわからなかった。眷者の魔法は本能が動かしているので、行けばわかるのかもしれない。失敗した場合は撤退して別の方法を探る。

「よーっし! 行くよ!!」

「お望みのままに」

 ブリーンがロルの頭へと跳ね、ビビアンが応えた。彼女は矢をつがえ、空中に向けて放った。弦を離れるとすぐに緑のエネルギーが音を立て、巨大な鷹の姿を成した。それは戦場高くを羽ばたき、鋭い叫び声を上げた。

 ルーカは翼の猫へと、自分が何をしたいかを伝えた。今やそのやり取りは遥かに簡単になり、感情やイメージを交換し、言葉はなくとも意思疎通ができた。猫は熱心に了承し、飛び立った。明らかに、この作戦における自分たちの役割に満足していた。

 ブリーンは疾走するロルから草の中へと飛び降りた。即座にロルは頭と尻尾を丸め、そのままの勢いで転がった。ノミのナイトメアがその前に現れたが、ロルは速度を緩めず、激突して跳ね返った。ノミはよろめいた。

 ゼフとリギは黒蛇のナイトメアに対峙した。巨大な白猫が頭をもたげ、ナイトメアの頭を長い爪で切り裂いた。蛇の長い身体がしなり、尾の針が迫ったが、リギとアブダが割って入った。棘を怒りに立たせて蛇の尻尾へ跳び、ナイトメアの固い鱗に噛みついた。アブダ自身も二股の槍で怪物の背中を守っていた。針がリギの守りを越えて迫ると、アブダはそれを槍の又でとらえて難なく落とした。

 ブリーンはスリングのような武器を用いて、正確な狙いで尖った石をナイトメアに当てていた。その勢いは敵をよろめかせ、すかさずロルが強烈な一撃を食らわせた。バロウの両手とゼフの角を稲妻の弧が繋ぎ、エネルギーが爆発した。

 ルーカのかつての分隊のように、眷者たちは相棒と完璧に同期して動いていた。その連携に強烈な憧れを感じつつ、彼は翼の猫の毛皮を掴んだ。

「もうすぐだ」

 猫は翼を広げ、水晶へと降下を始めた。だが金切り声とともに蝙蝠に似たナイトメアが現れた。四枚の翼と八つの目。ルーカの指示で猫は翼をたたみ、飛び込むように急降下して蝙蝠に爪を立て、血の塊とともに皮を引き裂いた。墜落の寸前に猫は翼を開いて速度を殺し、まだ動いている蝙蝠をその勢いと体重で地面に潰した。

 大きな跳躍二つで、彼らは巨大水晶の傍まで辿り着いた。頭蓋骨を叩き鳴らすような、鈍い詠唱のような声がルーカには感じ取れた。彼は猫の背中から滑り降り、疾走した。水晶の根元を包む黒い石は刃のように鋭く、ルーカは切り傷を作りながら登っていった。そして、血まみれの掌を水晶に叩きつけた。

オゾリス

オゾリス

 ルーカは橙色の光の海の中にいた。

 途切れない詠唱が漂い、周囲を満たしていた。地面はなく、見えるのは果てのない橙色の光だけだった。これは現実ではない。何かの精神的イメージ。

『実に明敏だ』

 愉快な様子の声が、耳のすぐ傍で聞こえた。

『これは一種の夢の情景だ。水晶への接続を介して送る情報を解釈するために、君の心によって作成されたものだ。ついでに言えば、こちらも君の思考がわかる』

「誰だ? どこにいる?」

 少しでも状況を把握するため、ルーカは動こうとした。

『ここにはいない。君が実際にはここにいるわけではないのと同じだ。何者かと? 一人の利害関係者とだけ言っておこう』

「何への利害だ? オゾリスを変えたのはお前なのか?」

『その通り。水晶は君の次元に流れるエネルギーの集合点。水晶が大きいほどその力も強くなり、最大限に広範囲への影響を与える。そのような場所で試すのは当然のこと』

 話し手は満足そうだった。

「影響だと? お前の怪物が人を殺している。俺の街を壊そうとしている」

『彼らはこの次元に自生するものだ。むしろ君たちの怪物だろう。それに、彼らの自然な傾向を少し加速してやったに過ぎない』

「俺たちはそれを止めに来た。お前が何を企んでいるかは知らないが」

『いつか誰かがここを訪れ、止めようとすることはわかっていた。ドラニスのルーカよ、何を望む?』

「これを終わらせる。俺は自分の街を守りたい」

『では、その全てを達成したとして、何が残る?』

 怪物は街を襲わなくなるだろう。だが将軍は俺を復帰させるだろうか? 否。拘禁されるか、吊るされるか、眷者たちと一緒に荒野に留まるか。ジリーナ……

『もう一度尋ねよう、ルーカ。何を望む?』

 故郷を思うビビアンの表情。その痛み。俺にはまだ帰る場所がある。

「帰りたい。そのための手段が欲しい」

『多くの者が抱いてきた願いだ。そして君は確かに魅力的な人生を送ってきた。尊敬と称賛と地位、美しい婚約者。おや、その彼女が到着したようだ』

「到着した? ジリーナがここにいるのか?」


 橙色の世界は消えた。 ルーカはオゾリスの上空に浮かび、戦いはまだ続いていた。

 飛行船の姿があった。船員たちが必死にバリスタを操作していた。その甲板から身を乗り出し、ジリーナが望遠鏡を通して戦場を見つめていた。

『君を探しているのだ』

 小船が降下し、数人が駆けていった。森で遭遇した狩人たちが、眷者とナイトメアとの戦いに突入していった。

 砂埃が舞い、怪物と人間との戦いが荒々しく混じり合った。巨大なノミは倒され、折れた脚で土をかいていた。ゼフは黒蛇に苦戦していた。黒猿は脇腹にバリスタの矢を受け、巨大な鎚を持つ狩人から激しい打撃を受けていた。バロウは別の狩人に稲妻を放ったが、魔法の盾でそらされた。ブリーンは犬頭の仮面をつけた男と戦っていたが、それは石の弾幕に後退しながらもロルの体当たりをかわした。アブダが彼女を助けようと駆けたが、粘土爆弾がリギの側頭部に激突すると慌てて止まった。ビビアンの姿が見えなかったが、彼女の熊は鋼の仮面をまとう別の狩人と戦っていた。眷者たちは狩人とナイトメアに挟まれていた。何とかしなければ。

『ではもう一度尋ねよう。何を望む? 友を助け、家に帰り、愛する人に再会するために必要なものとは?』

 ブリーンは劣勢で、猟犬の仮面の男が振るう剣を必死に避けていた。ロルは再び跳ねたが、狩人は身をかがめ、ワイヤーの罠がその脚をとらえた。投石が仮面をかすめたが、狩人は止まらなかった。

「どきな、おちびさん!」

 アブダが割って入り、二股の槍で剣を受け止めると、それを回転させて相手の足を払った。狩人は土の上を転がった。彼女は二又槍を勢いよく振り下ろし、首をとらえて地面に縫い止めた。ブリーンはロルを解放しようと駆けたが、不意に顔を上げた。怪物が警告したのだろう。

「トゲトゲ、伏せて!」

 飛行船のバリスタが発射された。アブダが振り返ろうとした瞬間、矢弾が胸の高い所で彼女をとらえた。巨大な怪物を殺すための武器は鎧と骨を貫き、標本の蝶のように地面に突き刺した。

 ブリーンが悲鳴を上げ、同時にリギも甲高い、貫くような絶叫を上げた。

 ルーカはオゾリスの深遠で鈍い詠唱を、それが望む形を感じた。それが怪物を駆り立て、ドラニスへ向かわせ、自然の本能に反してオゾリスを守らせている。それができるなら……

「俺が望むのは、望むものを手に入れるための力だ」

 オゾリスが脈動し、エネルギーが音のように戦場に広がってその全てに叩きつけられた。一瞬、全ての怪物が動きを止めた。橙色の稲妻が放たれ、リギへと繋がった。橙色の輝きが広がり、オーラのように包み、そして消えた。

 棘のアナグマは突撃した。そして全てのナイトメアが狩人たちへと突撃した。

 彼らは眷者との戦いを中断して合流し、武器を構えて怪物が迫るのを待った。怪物は完全武装の相手を見ても止まらなかった。四本腕の猿はバリスタの矢を脇腹に刺したまま、鉤爪の手を振り上げた。蝙蝠のナイトメアが急襲し、巨大なノミは折れた肢で飛びかかった。黒蛇は片目を潰されながらも、尻尾の針を狩人の腹部へ突き刺した。ノミのナイトメアは毒使いの狩人の弾薬袋に噛みつき、淡い緑色の炎が両者を焼き尽くした。

「引け! 撤退する!」

 残る二人、大剣使いの女性と猟犬の仮面の罠師は駆け出した。リギが顔の半分を焼かれながらも、片目を橙色の光に輝かせて彼らを追った。そして仮面の狩人を踏み潰した。リギは最後の一人へ飛びかかると、大剣が喉元へ突き立てられると同時に大顎が食らいついた。


 飛行船の上から、ジリーナはその全てを見つめていた。ルーカは逃げているだけでなく、怪物と絆を持つ者たちと一緒に行動している? 父の言う通りだったのだろうか。ルーカは本当に人類にとっての裏切り者になってしまったのだろうか。いや。何に巻き込まれたのだとしても、彼を連れ戻す。

「蛇が! あの蛇が!」

 叫び声にジリーナははっとした。巨大な蛇が身体をもたげて飛行船に迫ろうとしていた。蝙蝠の怪物がそれを掴み、翼を激しく羽ばたかせていた。まさか……蛇が船に到達できるように助けている? ジリーナは唖然とした。怪物同士が助け合うなどありえない。半ば潰れた蛇の頭部が、飛行船の手すりに噛みついた。その身体が巻き上げられ、船体に絡みついた。

 至近距離でバリスタが発射された。矢弾は蛇の喉を貫通し、黒い血が甲板に溢れ出た。怪物はなお攻撃し、砲塔に噛みついた。尻尾の針が乗組員に叩きつけられ、毒を吹き出した。

 落ちつつある。飛行船は蛇の莫大な体重を支えることができず、ゆっくりと、だが止められない勢いで地面へ向かっていった。ジリーナはもう一度望遠鏡を目にあてた。オゾリス中央の大水晶、彼はそこにいた。橙色の炎に包まれ、目を輝かせ、彼女をまっすぐに見つめ返した。

 次の瞬間、ぼやけた茶色と白がレンズを満たした。望遠鏡を目から離すと、翼の猫が一直線に向かってきていた。巨大な前足が叩きつけられた。


 ルーカの全身に力がみなぎっていた。心は活発にざわついていた。ナイトメアが狩人たちを引き裂く様を感じた。

 ジリーナ。彼はナイトメアへとその姿を送った。彼女を傷つけるな。俺のところへ連れてこい。

 倒れたアブダの隣にビビアンとバロウが立ち、ブリーンはうずくまっていた。ロルはその背後にそっと寄り添い、ゼフは少し離れて傷を舐めていた。リギの遺骸は少し離れた所に横たわっていた。ルーカが近づくと、最初に顔を上げたのはビビアンだった。彼女はルーカの肩の水晶が放つ橙色の光を、そして彼がまとう力に気付いたようだった。

「何をしたの?」

「オゾリスにはたどり着けた。すべきことをした。オゾリスには怪物を制御する力があった、けどそれは荒れていた。今は俺が支配している」

 バロウは眉をひそめた。だがルーカは晴れやかに両腕を広げた。

「これの力をドラニスのために使う! 俺は怪物との繋がりを絶ち切りたかったが、それが意味する可能性が見えていなかった。アブダの言う通り、これこそが未来だ。怪物を支配し、使う」

 ブリーンが顔を上げた。その頬は涙に濡れていた。

「支配? 私はロルを支配なんてしてない。ロルは友達だもん」

「いかにも。ゼフは相棒であり、奴隷ではない」

「好きなように呼べばいい。彼らは君たちの隣で戦う。オゾリスは俺に同じ力をくれたが、もっと大規模だ。怪物の軍隊を街に連れていけば、将軍も俺を裏切り者扱いはしないだろう」

「同じ力……あなたがナイトメアを支配して狩人たちを?」

「もちろんだ。怪物は俺が頼んだように動いてくれた。命なんて気にすることはない、奴らは怪物だ」

 バロウは後ずさった。ゼフは頭を上げ、喉を低くうならせた。ブリーンはゆっくりと立ち上がり、ロルの前脚にしがみついた。

「ルーカ、今ならまだ止められるわ」

 ビビアンの声はまだ穏やかだった。

「止める? これこそ俺が求めていたものだ。一緒にドラニスへ来てくれ。怪物は多ければ多いほどいい。この軍隊を将軍に見せつければ、もう荒野に住む必要はなくなる。そして俺も家へ帰れる」

「ドラニスへは行かぬ。何処にも、そしてゼフも」

「ロルと私は臭い街に住みたいなんて思わないよ」

 ルーカは眷者たちを睨みつけた。とはいえ怪物がいれば、彼らは必要ない。ルーカの呼びかけにオゾリスが応え、橙色の光がゼフとロルに届いた。だがこの時、ルーカは予想外の抵抗を感じた。二体の怪物は全力をもって抵抗した。ブリーンは甲高い悲鳴を上げ、ロルを強く抱きしめた。バロウは痛みに顔を引きつらせた。

「逃げて」

 眷者たちを守るように、ビビアンが弓を引いた。

「ビビアン――」

「ルーカ、あなたは善人だと思っていた。けどそれは間違いだったようね」

 矢が放たれると同時に、ルーカは怒りの叫びを上げた。彼は避けたが、半透明のヘラジカが現れた。それは枝角を下げて突撃し、ルーカは軽々と空中に投げ出された。

 彼はオゾリスの力に呼びかけた。ルーカはそのまま墜落したが、蝙蝠のナイトメアが急降下して現れ、ヘラジカに掴みかかると喉をかき切った。緑のエネルギーが溢れ、火花とともにヘラジカは消えた。ゆっくりとルーカが立ち上がると、ナイトメアは彼の前に屈み、服従の意志を示した。

 ビビアンと眷者たちの姿は消えていた。だが問題ではない。ルーカは精神を伸ばし、オゾリスを守っていたナイトメアを集めた。大水晶はその力に眩しく輝いた。何十もの怪物が彼の呼びかけに応えた。

 俺の軍隊だ。

無情な行動

 ジリーナは目覚め、そして目覚めたことを後悔した。頭痛がし、腕と脚は負傷していた。呼吸すると胸に何かが刺さるようだった。

 空は暗くなりかけていた。彼女は痛みにひるみながら身体を動かし、顔を上げて息をのんだ。怪物がすぐそこにいた。あの翼の猫が、小川で水を飲もうとしていた。

 確かこの猫に……飛行船から叩き落されたはずでは? あの時、望遠鏡越しに一瞥しただけだったが、この茶色と白の毛皮は間違いなかった。蛇が飛行船を落とそうとして……この猫が私を救ってくれた? 怪物が人間を救うなどありえない。だが地面まで安全に辿り着く他の方法は考えつかなかった。オゾリスはもう見えず、つまりこの猫がかなりの距離を連れてきたのだろうか。

 猫は水を飲み終わり、振り返った。それはゆっくりと瞬きをし、小川を見た。そして彼女を、また小川を。その意味は明らかだった。飲めと言っているのだ。

「大丈夫、飲むから、少しだけ待って」

 ジリーナは小川まで這い、流水に手を浸した。怪物は人間を助けたりしない、けれどこの個体は……ルーカに繋がっている。澄み切って冷たい水を飲み終わると、彼女は猫の巨大な瞳を覗き込んだ。

「ルーカが……私を助けるために、あなたを? そういうことなの?」

 ジリーナが小川から離れると、怪物は次の行動に移った。腹ばいになり、耳を伏せて巨大な前足を差し出した。まるで……乗れと言っているような?

 その推測が正しい証拠はなく、だが失うものも何もなかった。本来ならば死んでいたのだ。翼の猫はジリーナが足をかけ、毛皮を握っても微動だにしなかった。痛みをこらえながら彼女は肩を上がり、背中まで這い、横たわった。すると猫は身体を起こし、翼が開かれ、ゆっくりと力強い羽ばたきで空へ舞い上がった。ジリーナは命惜しさに毛皮を握り締めたが、実際は安全で快適とすら言えた。

 夜を徹して猫は飛び、夜明けには見覚えのあるドラニス外縁の風景が広がった。遠くに街の尖塔が伸び、緑色の大水晶アガリスが城塞の最高部にそびえていた。

 とはいえ接近するのは極めて危険に思われた。ドラニスの壁には何十ものバリスタが配置されている。猫がそれを理解していなければ、串刺しにされてしまう。ジリーナは肩の上を這って進み、片方の耳を掴んだ。猫が振り向くと、彼女は地面を指さした。

「降りて。お願い、着陸して。ここで撃たれたくはないのよ」

 その言葉を理解したかどうかはともかく、必死の身振りから何かは伝わったらしかった。猫は降下を始めたが、ゆっくりだった。兵士が確かにこちらを見ていた。小さな人影が急いだ。

「降りて!今すぐに!」

 だが発砲音とともにバリスタが放たれた。猫は避け、矢弾は通過していった。猫は降下速度を上げたが、ジリーナはクロスボウを構えて並ぶ兵士が気がかりだった。それらの矢は怪物に大きな傷を与えはしないが、彼女にとっては致命傷になるかもしれない。

完璧な策略

「お願い、やめて! 撃つのをやめて!」

 二十本ものクロスボウが音を立てた。ジリーナは猫の上で伏せ、身を隠そうとした。矢弾が肉に当たる音が聞こえ、猫は必死で羽ばたいた。ジリーナは痛みにバランスを取れず、毛皮を掴んだまま背中から滑り落ちた。しばし脇腹にぶら下がっていたが、毛の束がちぎれ、落ちていった。

 長い落下距離ではなかったが、容赦なく背中を強打した。何かが胸の中で動き、まるでナイフを刺されたように感じた。背後で、翼の猫が不自然な体勢で着陸した。その脇腹にはクロスボウの矢が何本も刺さっていた。ジリーナは転がり、膝をついて起き上がろうとした。

「撃たないで……殺さないで。この怪物を確保して。殺さないで……」

 ジリーナは立ち上がろうとしたが、血が口からあふれた。力が抜け、彼女は前のめりに倒れた。暗闇の中で、足音が近づくのがわかった。


 目を開けると、そこは城塞の診療所だった。重要な患者のための寝台を備えた部屋。秘儀軍の徽章をつけた医者が傍に立っていた。痛みはなく、代わりにひどい痺れがあった。

「もう大丈夫ですよ。かなりの重傷でした。肋骨が折れ、肺に穴が開き、他にも様々。ですが全て治します。心配は要りません」

 ジリーナは首筋に冷たいものを感じ、そして再び世界が遠ざかった。次に目覚めると、心ははっきりしていていたが、胸全体に鈍い痛みがあった。彼女はうめき、顔を上げようとした。

「将軍、娘さんがお目覚めです」

 別の医師の声がした。そして、父親の見慣れた姿が現れた。

「ジリーナ、話せるか?」

「できます」

 ジリーナは返答し、息をのんだ。

「宜しい。今朝にはほぼ回復するだろうと知らせがあった」

 将軍は医師へと外すように言い、扉が閉められた。説明を求められ、ジリーナは従った。ルーカと奇妙な同行者との最初の対決、スカイセイルへの旅、そして狩人たちの命を奪ったオゾリスでの戦い。飛行船の墜落と脱出の経緯に触れると、将軍の表情が揺らいだ。一通りの説明を終えると、ジリーナは尋ねた。

「怪物は城壁に着地してからどうなったのですか? 逃げたのですか?」

「生かしておくようにという君の命令を士官が聞いた。抵抗する様子はなく、捕獲した」

 生きている。それが常識的な思考かどうかはともかく、彼女はどこか安堵した。

「オゾリスで、私が飛行船から落ちるのをルーカは見ました。私を助けて連れ帰るよう、彼が怪物へと指示したのかもしれません」

 将軍は溜息をついた。

「ならば厄介なことだ。噂が広がっている。私の娘が怪物の背に乗って到着した。何十人もの兵がそれを見たため、その噂を静めることはできなかった。それは……不安を広めている」

「申し訳ありません、閣下」

「君は悪くなどない。今は休むがいい。そちらは対処すると約束しよう」

 完全に回復して退院を告げられるまでにもう一日を要した。診察が終わると、ジリーナは清潔な制服を身にまとい、診療所から出た。二時間後に将軍が城塞正面階段で待っていると伝えられていた。

 自室で身支度を整えると彼女は急いで向かった。そこは将軍や他の高官がドラニスの人々へ演説を行う場所で、ジリーナも何度か父の隣に立ったことがあった。正門横の小さな扉を通り抜けると、ドラニス市民の叫び声や口笛、うなり声が弾けた。

 目に入ってきたのは、階段の最上部に置かれた木製の台だった。ジリーナの首ほども太い鎖に、あの翼の猫が繋がれていた。多くの衛兵が怪物を取り囲んで立ち、長槍が向けられていた。クードロ将軍は猫の近くに立ち、その傍らには長い柄の大剣が太陽光にぎらついていた。

 そんな。ジリーナは呆然とした。そんなことは……だが脳内の何かが返答した。あれは怪物なのだから。彼女は父の隣に立つと、声を落として話しかけた。

「閣下。これは良い考えとは言えません。この怪物はルーカと繋がっているのです。彼を見つけようとするのであれば……」

「彼が完全に支配する怪物だ。これを使用して彼を見つけ出すとしたら、どのような酷いことが起こりうると思うかね。この怪物は死なねばならない。そして大尉、君が殺すのだ」

「私が?」

 ジリーナは思わず大剣から後ずさった。将軍は群衆へと微笑みかけながら返答した。

「噂が広まりはじめている。君とルーカ隊長は人類に対する裏切り者であると。君たちは両方とも荒野へ向かい、怪物と結びつき、そしてここへ戻ってきた。何とかしなければ、君はドラニスの裏切り者となる」

「馬鹿げています」

「確かに。だが人々がそれを信じれば、私には何もできない。選択肢はないのだよ。誰もが君を見ている、今。もし君が今背を向けたなら、彼らはどう言うかね?」

 だがジリーナは気づいた。将軍自身は噂に心を動かされなどしない。この見世物を通して、娘の忠誠を試しているのだ。彼女は大剣の柄に手を触れた。刃は重く、上手く振り下ろせば一撃で終わる。猫はゆっくりと瞬きをした。ジリーナはかぶりを振った。

「できません。この怪物は私の命を救ってくれました。ここに返してくれました。この怪物は私を傷つけていません。私は……できません」

 群衆の叫びが大きくなった。長いこと将軍は黙っていたが、やがて傍のブリッド大佐へと命じた。

「娘は……疲れているようだ。彼女を私室まで」

 腕を掴まれ、ジリーナは声を上げた。父が大剣を持ち上げる様子が見えた。

無情な行動

 ジリーナ、君に何があった?

 ルーカはナイトメアの巨大な黒い影に囲まれ、眠っていた。

 彼の指示でまずナイトメアは飛行船の残骸をあさり、次に何日もかけてオゾリス周囲を捜索した。死骸はたくさんあったが、銅纏いの制服を着たものはなかった。

 今、彼は目の前で繰り広げられる幻を見ていた。緑色の巨大水晶を取り囲むドラニスの城塞。身体をきつく縛る鎖を感じ、負傷した腹部に痛みが走った。翼の猫。ずっと姿がなかった。オゾリスの力に絆を妨げられ、自らの意志で離れていったのだと思っていた。だが猫は遥か南のドラニスにて、鉄の鎖で拘束されていた。

 猫は頭をもたげた。ジリーナ。彼女は父親の隣に立ち、小声で口論をしていた。生きている。身綺麗で、明らかに無傷で。翼の猫から感情が脈打った。ジリーナの無事、満足。長い飛行。お前が……ジリーナを? 飛行船が墜落する様子を彼は思い出した。

 大佐がジリーナの腕を掴み、連れ去っていった。将軍はぎらつく大剣を手に取った。何を? だがわかっていた。猫の感情が届いた。満足、そして悲しみ。刃が降ろされ、繋がりが消えた。

 ルーカは長いこと動けず、横たわっていた。やがて、無理矢理立ち上がった。両目は涙に濡れていた。

 ジリーナはドラニスにいる。あの猫が連れていった、俺がどれだけ彼女を愛しているかを知って。彼は目を閉じ、意志を働かせた。平原の至る所で怪物が動きを止め、橙色の光をまとった。そして、一斉に南を向いた。

 長い首の巨大恐竜が、大地を揺るがす足音とともに現れた。柔らかな首が下に曲げられ、ルーカはそれにまたがると、高く空中へと持ち上げられた。

 ジリーナはドラニスにいる。そして俺は、家へ帰るのだ。

(第4回へ続く)

※本連載はカードの情報および「Ikoria: Lair of Behemoths - Sundered Bond」(amazon電子書籍版)の一部の抜粋や私訳をもとに、著者とウィザーズ・オブ・ザ・コースト日本チームとの間で確認して作成した記事であり、一部固有名詞等の翻訳が正式なものと異なる可能性がございます。ご了承ください。


『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト バックナンバー
  • この記事をシェアする

RANKING

NEWEST

CATEGORY

BACK NUMBER

サイト内検索