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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

コミュニケーション理論

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Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2013年6月3日

 

 私はしばしば、こんな手紙を受け取ることがある。

 ローズウォーター様

 私は____といいます。私は____のころからマジックをずっと長い間プレイしてきました。大学進学にあたり、進路を考えた時に、私はマジック開発部で働きたいのだと気がつきました。そのために、どんな勉強をしたらいいでしょうか?

 将来の同僚より

 私の書く返事はいつも同じで、ゲーム・デザイナーになるための近道など存在しない(「ゲーム・デザイン」を学科として持つ大学も今はある――私の学生時代にはなかった)ということを伝えるのだ。分析的な思考法やそれらの考えを伝える方法を学ぶことは大切であり、そうすればそれらについての会話をすることができるようになる。同時に、既に行われていることを理解するため、無数のゲームをプレイすることも重要である。しかし、どれも単一の学問で身につけられるものではない。

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 私の言いたいことは、その学問を学んでいる人間が開発部に1人もいないようなことを学ぶことが最善だということだ。そうすれば、その新人は開発部に新しい技術をもたらしてくれることになる。例えば、学部時代は私はボストン大学のコミュニケーション学部に在籍していた。映画やテレビ、中でも脚本を専攻して、コミュニケーション学科で理学の学位を取ったのだ。それがマジックのデザインにおいて何の役に立ったのか、という問いに答えるには、記事まるまる1本が必要になる。

 私が開発部に入った時、私は少しばかり風変わりな存在だった。初期の開発部員のほとんど(「第一世代」と呼ぼうか)は数学や科学を専攻していた。私は理系ではなく、文系だった。私の学んできたのはコミュニケーションと心理学である(私の母は臨床心理学者であり、私は心理学に興味があったのだ)。開発部では、私は開発部内でのアイデアに関する議論のための語彙の編纂にかなりの時間を費やし、また、プレイヤーの心理学的分類(リンク先は英語)という形で心理学を導入した。

 私の興味は、ゲームの動きそのものではなく、受け手がそれをどう理解するかにあったと思う。我々はただ漫然とカードを作っているのではなく、諸君のためにカードを作っているのだ。諸君がどういう存在なのか、諸君が何を求めているのかを理解すれば、我々はよりよい仕事をすることができることになる。

 これが、私がこの「将来の同僚」に自分の情熱を見付けて自分に必要なことを学ぶべきだと言う理由である(なお、開発部では学位が必要なので、大学に行くことそのものも重要である)。私は開発部に新しいものをもたらす、将来の同僚を求めているのだ。

人間の本性

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 私はこれまでコラムやブログを通して、プレイヤーの心理学的分類について語ってきた。そして、今日、心理学的背景よりもコミュニケーション的背景に寄っているのはいいことだと考えている(ただしこの2つは密接に関連している)。今回は、コミュニケーション理論として知られる、私が学生時代に学んだことについて語ろう。これは私が大学時代(20年以上前)に学んだときにそう呼ばれていたものであり、それ以降に発展した数学的、情報伝達のあり方に関する理論であるコミュニケーション理論とは異なることを明記しておこう。そのコミュニケーション理論も素晴らしいものだが、今日の話題はそれではない。(マスメディアにおけるもののような)コミュニケーションの働きについて語るのであって、(人々が情報をやりとりする中での)コミュニケーションの働きについては語らないのだ。

 さておき、コミュニケーション理論とは一体何なのかについて説明させてもらおう。まず、(ウェブサイト、雑誌、テレビのチャンネルなどの)メディアの形から始めよう。視聴者を得るために何ができるのか? ほとんどの人々は、内容だと言う。人々が読むなり見るなり聞くなり体験するなりしたいものを準備しなければならないと。内容は確かに重要だが、パズルのピースの1つに過ぎない。もちろん良い内容は必要だが、相応しい構造がなければ諸君の新しいメディアは立ち上がりもしないだろう。

 コミュニケーション理論では、その構造を備えるために、3つのものが必要だと説く。「安心」「驚き」「完成」だ。今日のコラムでは、この3つの単語の意味を定義し、そしてそれがどういう意味を持つのかを3通りに分析していく予定である。1つ目は、実際にコミュニケーション理論を用いて立ち上げたこのウェブサイトである。2つ目は、物語の構造である。これらの基本的な概念が物語を語る上でどう使われているのかを見ていく。3つ目は、このコラムの本題である、マジックのデザインを取り上げることになる。

 本題に入る前に、これらが全て人間の本性に基づくものだということを説明しておきたい。コミュニケーション理論では、人間は特定の方法で動くものであり、そして人間の本性にあわせるのがメディアの仕事であり、人間をメディアにあわせるものではないとなっている。これは私がいつも口にする「人間の本能に逆らうのは最初から負けるためのことだ」というのと繋がる。この3つの原理それぞれは人間の動きの重要な要素に基づいている。コミュニケーション理論は、成功するためには、メディアは視聴者のニーズに合わせなければならないということを説いているのだ。

安心

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 深く掘り下げてみると、この3つの性質というのは人間の動きかたの中心をなすものについて語っている。深く、本当に深く、人間の魂を掘り下げていくと、根っこにあるのは何だろうか? 他のあらゆるものの下に根付いているのは何だろうか? 答えは、生存である。人間がこれまで成功してきたのは、根底の部分で我々が生存のための生物だからなのだ。

 生存のための最善手は? 既知のものにしがみつくことだ。腹が減った? 昨日食っても死ななかった木の実をもう一度食えばいいんじゃないか? 未知のものへの不安が、人間を安心へと向かわせる強い動機となる。既に体験したものだけで世界ができているなら、何よりも幸せだ。我々は好きなものが好きで、そして同じ既知のものを使い続けたいという馴染み感から我々は習慣の生物になったのだ。

 コミュニケーション理論はこの影響を踏まえ、メディアはこの欲求に従う必要があると説く。その方法は、簡単に理解でき、適応できるような構造を作ることだ。例えば、我々が最初にこのmagicthegathering.com(現在はdailymtg.com)を立ち上げた時、私はコミュニケーション理論を実践することにした。なぜウェブサイトや雑誌において、同じ章が同じ場所にあるか気付いた諸君はいるだろうか? 不思議に思ったことはないだろうか? その答えは、読者がそのメディアのあり方に慣れるようにしたいからなのだ。

 このことからいくつかの目的が達成された。まず、視聴者にとって使いやすいものになった。視聴者は、どこに必要なものがあるかを知っているのだ。2つ目に、定型化されているので、作るのが簡単になった。内容を作る側にも何が必要なのかが理解できるのだ。3つ目に、もっとも重要なことに、視聴者がそのメディアに安心を感じるようになった。その働きを視聴者がいったん理解したら、メディアの構造はもう意識する必要もないものになるのだ。

 これが、我々がmagicthegathering.comを立ち上げる時にコラムを毎週連載にした理由である。これによって読者は毎日の内容を予想して楽しみにすることができるようになる。週刊連載以外に、Magic ArcanaやCard of the Dayといった毎日の連載も入れた。これによって読者は毎日ウェブサイトを巡回してくれるようになる。

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 70年代、大新聞が大規模な市場調査を行い、読者がなぜその新聞を読んでいるのかを調べた結果、その第2位に入ったのが「ニュースを得るため」だった。そして、第1位が、「毎日の日課だから」だったのだ。これは非常に重要なことを伝えてくれている。メディアの習慣づけ(あるいは安心さ)というのは、内容よりも重要なのだ。視聴者は提示されることによる安心を、内容の質よりも上に位置づけている。これはどれほど強調してもしたりないほどに重要なことだ。

 つまり、メディアは全力で安心感を作らなければならないということになる。いったん習慣になってしまえば、その人の日常の一部となり、人間の本性を利用することができるようになるのだ。

 それでは、この理念について、メディアの全く異なる要素、物語という点から見ていこう。物語の構造に詳しくない諸君のために添えると、これはいわゆる三部作構造に基づくものだ。基本的に、あらゆる物語は3つの部品に分割できる。基本的には、これを「始まり」「中間」「終わり」と考えてもいいだろう。1つ目の部品では物語の準備をする。もう少し言葉を変えると、「始まり」は視聴者をキャラクターや背景に馴染ませるためのものなのだ。

 例えば、ホラーの物語を考えてみよう。ホラーの物語の始まりは、事件の起こる前の世界を紹介するものだ。我々も日常するような、とてもありふれた活動に参加しているキャラクターたちが紹介される。食事をしたり、仕事をしたり、ちょっとした問題(タイヤがパンクしたとか彼女に振られたとか鍵をなくしたとか)に直面していたり、何にせよ我々が感情移入できるものだ。

 ホラーの物語がこうして始まるのは、視聴者にこの設定に馴染んでもらうためなのだ。キャラクターに感情移入してもらって、物語にも感情移入してもらう。「このお気に入りの娘に酷いことが起こって欲しくないな」と。

 次はロマンティック・コメディを考えてみよう。「始まり」は、主役たちの登場だ。何か悪いことが起こるが、それは主役たちの判断によるものではない(主役が、相棒が犯罪に手を染めたのを見咎めるのは判断かも知れないが、それは主役の判断だけだとは言い切れないだろう)。ロマンティック・コメディの基本形は人間関係が中心になるので、キャラクターについては最低限から始めて膨らませる余地を最大限にしておかなければならない。それよりも重要なのは、視聴者を主役に感情移入させることだ。誰にも人間関係はあるので、キャラクターに感情移入させるのは非常に一般的なブレークスルーになる。主役へのシンパシーを感じさせるためにそういうタイミングが準備されているのだ。

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 最後に、伝説的英雄の神話を見てみよう。そう言われてわからなければ、スターウォーズやハリーポッター、ホビットの冒険などを考えて欲しい。これらの物語の構成は、英雄譚の形式を取っているのだ。「始まり」では主役はただの人だ。彼らの日常、つまらない毎日が描かれ、その中で今の人生に不満を感じていることが描かれる。彼らは何か日常以上のものを探しているのだ。視聴者は自分の人生を考え、そして自分もまた何か特別なことが自分に起こることを夢見ているということに気付くわけだ。

 それではいよいよ、マジックのデザインについて見てみよう。新しいブロックを作るとする。焦点の多くは、それを目新しいものにすること(その要素についてはこの後で述べる)に向けられるが、それと同じぐらいの労力が新しいセットもまたマジックだと感じられるようにするために注がれている。毎年変化させて順応させてはいるが、しかし誰もが大好きなこのマジックというゲームだと感じられる範囲なのだ。同じものだと感じられるようにするために、安心できるものにするために多大な努力がなされているのだ。

 そのために、様々な技術が付け居荒れている。デザイン骨格(リンク先は英語)について語ったことがあるが、これは各色に、(例えば緑には《巨大化》系、青には打ち消し呪文といった)その色が各セットで通常持っている効果を持たせるようにするためのものである。新世界秩序の中には、セットごとの変化を集中させ、新しいことを1つ導入して他の部分をプレイヤーに馴染みのあるものにするということが含まれている。色ごとに大型クリーチャーのレアリティが違うというルールも制定した。常磐木メカニズムが一定の割合で一定のレアリティに存在する。安心さの度合いを保つため、プレイヤーがウェブサイトや雑誌と同じようにセットに関して持つ基本的な感覚をそのまま保つことにかなりの労力を注いでいるのだ。

 この理念は、新メカニズムや新カードにも適用される。新しいものがそれらしいものになるようにしているのだ。例えば、メカニズムに基本的な効果を持たせるのは、新メカニズムにも馴染みのある要素を持たせるためなのだ。

 ウェブサイトにせよ、物語にせよ、拡張セットにせよ、視聴者が新しいものに馴染みを持つようにするためにはかなりの労力が払われているのがわかるだろう。これは、それまでのものに基づいたあらゆる経験を踏まえているからである。安心さはこうして保たれているのだ。

驚き

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 人間は安全を求めるので、既知の安全なものを第一とする。しかし、人間というのは複雑なものだ。生存のためには、ただ安全なところに籠もるのではなく、適応していくことが必要となる。適応のために、新しいことを学べなければならない。そのために、人間には好奇心がある。未知のものについて学ぶ原動力だ。

 未知のものは怖いんじゃなかったのか? そう、その通り。しかし同時に、人間は複雑だとも言った。人間は新しいものを探索しなければならず、また同時に安全でなければならない。この2つを同時に満たすためには? 安全だと思うところを探索することになる。これが、コミュニケーション理論の2つ目の鍵だ。視聴者にとって安全だと思う場所を準備したら、次は視聴者を驚かせなければならない。なぜか? なぜなら、安心の中にある驚きはとても面白いからである。

 例えば、ウェブサイトを例に取ってみよう。構造が決まり、視聴者に何があるかがわかるようになったら、我々は違うことをする。予想外のことを、時々やるのだ。これによって視聴者はいつ驚きがあるかわからないので、サイトを毎日チェックするようになる。加えて、この構造には元々驚きの要素が入っている。例えば、我々はしばしば追加の記事を掲載するが、これの話題や筆者は毎回異なる。つまり、諸君には何が起こるか予想できないのだ。安心によって視聴者はサイトを日常に組み入れるが、驚きによって毎日チェックしたくなるのだ。

 次は物語の話をしよう。馴染みの持てるキャラクターや状況によって視聴者を安心させるのが「始まり」なら、「中間」は視聴者の想像できないことを起こす(予告編やポスターがなければ、という条件だが)部分だ。物語の中で、作者が視聴者を驚かせる部分である。

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 物語の類型3つを見てみよう。ホラーでは、おかしなことが起こり始めるのがここだ。最初はゆっくりと、視聴者に想像させながら始まり、そして怪物、あるいはホラーの中心になるものが姿を見せる。その何かが想像に反するものなのだ。ロマンティック・コメディでは、少年が少女に(少年が少年にでも少女が少女にでもいいが)出会う。この出会いは突然だが、ただ出会うだけでは予想内の結果だ。何か最終的な関係を大きく揺るがすような形で出会うのだ。お互いに嫌い合うなり、何か障害が二人の間に立ちはだかる。なぜ嫌っているのか、あるいはその障害が何なのか、ということが驚きであるべきだろう。伝説の英雄譚なら、主役は自分が本当は何なのかを知る。誰かが訪れ、英雄の本当の出自を語り、英雄は自分でも知らなかった能力に気付く。この流れは定形だが、その詳細は驚きを伴うものだ。

 ではマジックの話をしよう。どのセットもマジックのセットだと感じられるようにするための手法について先ほど述べた。マジックと聞いて諸君が想像するものがどの拡張セットにも入っているようにする必要がある。同時に、何らかの形で視聴者を驚かせるようにもしなければならない。視聴者が知らないメカニズムやカードを投入しなければならないのだ。それまで存在しなかったものであったり、あるいは新しい文脈を得た人気のあった要素だったりが必要となる。雰囲気を変える必要があるし、ブロック計画にはそれぞれ違う目標が必要となる。

 例えば、イニストラードのデザインを取り上げてみよう。ここで初めて、ホラー物語のトップダウン・デザインをした。両面カードを作った。ついに本当の狼男を作り、メカニズムを与えることができたのだ。他にも3種類の怪物部族を使った。人間部族を使ったのもこれが最初だ。陰鬱、呪い、変身。それに、フラッシュバックを再録した。新しいものを色々と入れたのだ。

 ウェブサイトと同様、安心は視聴者を幸せであり続けさせるために必要だが、いったん安心してしまうと、今度は視聴者は何か驚きを求め始める。プレイヤーにとって既知の好きなものをマジックに持たせ続けると同時に、新しさを持ったゲームを彼らに与えなければならないのだ。

完成

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 この最後の属性は、デザインが人間の本性を計算に入れる方法を探求する時によく話していることである。人間の脳に深く刻まれているのが、パターンを完成させたいと思うことである。我々人類は、パターンを見て探す性質を持っている。これはおそらく人間が学ぶことを助けるためのものなのだろう。コミュニケーション理論では、メディアは構造を作るにあたってパターンを完成させる必要を理解すべきとなっている。視聴者が完成形を求めるニーズから、そのメディアの与えるものを読むなり見るなり聞くなり体験するなりしたくなるようにメディアを作るのだ。

 例えば、このウェブサイトを作った時は、スケジュールを完成させるために大量の連載を作るように尽力した。これによって視聴者は自分が興味があることを見るだけでなく、パターンを作って巡回してくれる。そして何週かの間コラムを読めば、それはもう続けるべき日常となるのだ(「マークのコラムは毎週読んでるから、今週も読もう」)

 さらに、隔週で特集を組むことにもした。これは筆者が文章を書く助けにもなるが、もう一つ、読者がパターンを作るという重要な側面もある(「今週の特集は気になるから全部コラム読んでみるか」)。これによって、普段読んでいるものと違うコラムにも興味を持たせることができるのだ。

 私のコラムでは、私は複数回にわたるコラムを書くことがある。これは読者に毎週読みたくするためのものだ。パターンだと感じれば、人間の本性が反応し、読者は次の週に続きを読みに来てくれる傾向になる。

 ここで物語の話をしよう。物語の第3章は、物語に結末をつけるものだ。そのために、視聴者が求めているものを理解し、それを与えなければならない。ホラーでは、主役と「ホラーな存在」は最終的な直面を果たし、そのどちらかが死ぬ。ロマンティック・コメディでは、カップルが別離の理由を終えて再び仲直りする。英雄譚なら、主役が英雄と関係のある敵役と対面し、内面的障害を乗り越える強さを見せて悪を討つのだ。

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 そのいずれの場合でも、物語の構造は認識できるパターンを準備している。詳細は異なるが(そこが驚きの源泉である)、物語の本質は視聴者が内的に理解しているものだ(既知の構造から安心が生まれる)。第1章、第2章から第3章に繋がり、物語に結末が与えられる。準備されたものが清算される。予想が満たされる。物語はただ終わるだけでなく、完了する(ファイレクシアの映画はまた話が別だが)。

 マジックの場合、その構造は異なるが、やはり完了させることは重要である。セットの中で、デザインはパターンを作る。最もよくあるのはサイクルである。同じようなことをする数枚のカードがあれば、そのパターンを満たす他のカードを探すものだ。他にパターンの例を挙げれば、レアリティが高くなると複雑になるメカニズムがそうだ。メカニズムを持つコモン・カードを見たプレイヤーは、より複雑なそのメカニズムを想像する。物語をなす要素をプレイヤーが見付けるという意味では、物語もパターンを作ることができると言える。

 このようにパターンを作ることは、セット内だけでなくブロックにも広がる。セットはその次のセットの準備をしている。場合によっては、デザインが次に来るものを直接示すようなカードを作ることさえある。例えば、『闇の隆盛』で作った《獄庫》は、『アヴァシンの帰還』のプレリリースの最重要ポイントとなっていた。ミラディン・ブロックでは、《カルドラの盾》は《カルドラの兜》に触れていたが、まだそのカードは出ていなかった。『ワールドウェイク』の《ウギンの目》は『エルドラージ覚醒』の出来事を瞥見させていたし、エルドラージを必要とするメカニズムまで入っていた。エルドラージ・カードはまだ存在していなかったのだ。

 完了のための技術としては、実際の作業は先に行われていて、それを先に準備しなければならないということだ。ウェブサイトは翌日再訪したいと思わせなければならない。物語は結末を期待させなければならない。マジックはセットを探求したいと思わせなければならない。巧く行ったなら、これは非常に強い力となる。

学問の道

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 これは全て、私が開発部の一員となったときに持ち込んだことだ。私のコミュニケーション理論の学問がどれだけ役に立つか、開発部に入ったときには理解していなかったが、私が大学で学んだ技術はデザイナーとしての私の仕事にこの上なく適応している。科学においては、問題を新しい視点から見ることができる他の分野から来た科学者がブレイクスルーをもたらすことはよくある話である。私が新しい開発部員に求めるのはまさにそれだ。新しい技術をこのテーブルに持ち込んで欲しいのだ。

 いつもと同じように、私は諸君がこのコラムについてどう考えているかを聞きたいと思う。私の古い世界のことを、私の新しい(といっても17年前)世界に持ち込んだのは興味深いことだ。メール、掲示板、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+)で待っている。

 それではまた次回、単語の話でお会いしよう。

 その日まで、あなたが独特の技術をテーブルにもたらしますように。

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