トピカル・ジュース #4 ― 「ピーナツの避け方 その2」
Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru
2012年3月12日
今回はシャドウムーア・ブロックからイニストラード・ブロックまでの話になる。
教訓6:拡張せよ
マジックの活動について話していると、しばしばマジックというものが単一のものだと誤解されていることがある。私のマジックの活動は、つねに進化し続けているものだ。常に新しいトリックを買い求め、既存のトリックにしても見せ方を変え、ラインナップも変更し続けていた。私はいつでも、トリックとトリックの間のつなぎとなるものを探していた。前回言った通り、全体を一つのショーとして見せるためには、ショーを関連したものに思わせられる可能性を求めることは非常に重要である。
この、常に向上し続けようという手法の一つに、実験がある。ときには、どのトリックを最初に出すかを入れ替えてみるというような小さな実験もあった。あるいはトリックの導入部分に手を加えることもあった。また、単に今までやったことのないことをやって反応を見るということもあった。創造的なことをする時に、既存のものにしがみつくのは非常に簡単なことだ。そうすれば確実に成功は得られるし、すでに成功していることにしがみつきたいという慣性は働くものだ。成功していることの問題点は、それを続けている限り新しい地平には到達できないということである。
私はよくお気に入りの本、ロジャー・フォン・イークの「頭にガツンと一撃」について話すことがあるが、その続編に当たる「眠れる心を一蹴り」(一撃ほどではないが、非常に良い本である)についてはほとんど話してこなかった。その中で、フォン・イークは創造的な着想を成果品につなげるにあたって4つの役割があると説いている。「探検家」「芸術家」「判事」「戦士」だ。
「探検家」は未知なるものに挑み、新しい着想を見つける役目。「芸術家」はそれを最終形にまとめ上げる役目。「判事」はその着想が有意義かどうかを判断する役目。「戦士」は判事が認めた着想を貫く役目だ。
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《》 アート:Dave Dorman |
今回の教訓では、そのうちの「探検家」について語る。
新しい着想が、突然ドアを叩いてくるなんてことは滅多にない。自分から着想を探さなければならない。未知なるものについては知らないのだから、それにはリスクが伴う。完全に新しい世界に旅立つにあたっては、何が起こるか想像もできないのだ。それが、ショーのたびに私が新しい何かを仕込んでいく理由だ。すでに言った通り、その新しいものは様々な形を取りうるが、私は探検家のために少しの時間を確保するようにしていた。
私からのアドバイスは、効率的な意味で、実験は中盤にしろということだ。観客の興味を引けなければ実験は無駄になるので、すでに成功しているものを使って観客を盛り上げておくべきである。また、観客の感想は直前の記憶に基づきがちだということを踏まえると、最後にいい印象を与えておくためには、最後も成功している技法を使うことが望ましい。ということで、探検する時間は中盤に限られるわけだ。
マジック:ザ・ギャザリングのセットにおいては、実験にふさわしい場所はたいていの場合レア・スロットになる。リミテッドで実験したいなら、アンコモン・スロットを使うべきだ。なぜなら、レアは多少踏み外しても許されるからである。また、レアはリミテッドではあまり出ないので、その目的を一点に集中することができるのだ。
さて、シャドウムーア・ブロックのベスト・デザイン・カードは、それ以降のカードの世界を大きく広げてくれたカードである――これだ。
《》はブライアン・ティンスマン/Brian Tinsmanの手によるもので、彼はレベルアップするクリーチャーという発想が大好きだった。もとのカードは少し違っていたが、私のマジック:ザ・ギャザリングのセットに関する考え方は、ギャザリングじゃないほうのマジックのセットについての考え方と同じである。各セットで、少しだけ拡張を試みなければならない。今までやったことのないもの、というだけの話ではない。既存のカードやメカニズムをちょっとひねるのは非常に簡単だが、すでに成功を収めたものに基づいて新しい要素を導入しても、それは拡張とは言えないのだ。
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《》 アート:Scott M. Fischer |
私がセットで見たいと思っているのは、失敗の危険性を持っているものだ。居心地のいい空間でだらだらするのは好みではない。私の大成功の多くは、開発部がなかなか手を付けようと思わなかった部分の着想だった。分割カード、混成マナ、ギルドを4/3/3に分けたこと、ブロックのテーマとしての部族、「土地ブロック」、両面カード。どれも後から見れば百点満点の成功だったが、それは私が危険を冒したからこそ手に入れられたものだ。
《》が後のLvアップ・クリーチャーにつながったのは明らかだが、そのデザインはLvアップ・クリーチャーのものよりもずっと重要だ。カードが雰囲気たっぷりに変化できるということ自体が、我々が探検すべき新しいメカニズムの流れだったのだ。両面カードもまた、《》の末裔と言える。反転カードは《》より前に存在したが、反転カードは失敗だと思われていた。《》は、我々が一度放棄した着想を拾い上げ、そしてその着想には充分な可能性があることを示したのだ。
ということで、シャドウムーア・ブロックのベスト・デザイン・カードは《》を選ぶことにした。全ての拡張が成功するとは言えない(失敗があるからと言って立ち止まるべきだなとどは思わないでくれたまえ。平均的には問題ないレベルなのだ)が、拡張したときには何らかのマジックが見られるかも知れないのだ。
教訓7:突飛なことも必要だ
前回、(5?10歳の)子供向けにしていたのでお誕生会がマジック・ショーの主な舞台になった、ということを語った。そのため、ショーの終わりには「ケーキ・パン」と呼ばれるトリックを見せることが多かった。最初に観客に空っぽの皿を見せる。そして、「これからお誕生ケーキを作ろう、普通ならケーキを焼くところだけど、私はマジシャンだからね......マジックで焼き上げるよ」と口上を述べる。
そして子供達に、ケーキを作るのに必要な材料を言わせ、そしてそれを紙に書き出してから皿に載せる。全部の材料を置いたら、皿に蓋をして、ごにょごにょとおまじないの言葉をかけてから蓋を取ると、そこにはケーキが現われるのだ。そしてそのケーキを切り分けて、誕生日を迎えた子供に渡すということになる。
今は、多くのマジシャンはこのトリックでは再利用できるように小道具のケーキを使う。私は毎回ショーのたびに本物のケーキを用意していた。なぜなら、それが私のオチだからだ。私は子供達に楽しかったという印象を残したかった。プラスチックのケーキを虚空から取り出すのもいいが、本当のケーキを取り出して子供達に食べさせるのはまた格別だ。
心理学的には、その違いは非常に大きい。前者はケーキ役の何かでしかないが、後者は本物のケーキなのだ! この違いは本当に大きい。子供はそれを食べるわけだ。見るだけでなく、匂いもかげるし、触ることもできるし、味わうこともできる。私は、このケーキを切る瞬間、子供が驚く瞬間が大好きだった。子供がケーキをどこから出したと思っているかは知らないが、それは本物のケーキで、渡された子供は言葉を失うものだった。
私が本物のケーキを使った理由、それは、観客を驚かせたければ節度を捨てることが必要な場合もあるからである。もちろん何もかもをやり過ぎることはできないので、時間や場所を選ぶことは重要だ。ほとんどの場合においては節度を持つことは重要だが、芸術家であれば観客を圧倒するために節度を捨てることもまた重要なのである。
マジック:ザ・ギャザリングのデザインにおいても同じことが言える。全てのセット、全てのメカニズム、全てのカードで圧倒する必要はないが、時折、そういうものが必要になるのだ。
アラーラ・ブロックのベスト・デザイン・カードは、お誕生会の主役をケーキで操るような反応を生み出してくれた――これだ。
このカードに関して一番多かった質問は、「プロテクション......何だって?」というものだ。それへの答えは決まって「プロテクション(すべて)だよ」というものだった。このカードを理解しようとするプレイヤーを見るのは楽しかった。それは、このカードがプレイヤーの精神を圧倒するものだったからだ。このカードを作ったのはマーク・ゴットリーブ/Mark Gottliebで、当時のルール・マネージャーだった。彼はある日、プロテクション(すべて)というものを思いついたのだが、いつか使う時まで放っておいたのだ。そして、その「使う時」というのがこのコンフラックスだったというわけだ。
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《》 アート:Jaime Jones |
教訓8:無事是名馬な時もある
前回と今回の2回に渡って、マジック・ショーを盛り上げるために使った様々な手法について語ってきた。しかし、もっとも重要なことの一つは、巧く取り繕うことだ。観客の度肝を抜くための方法に、トリックを巧くこなす、というものがある。観客を興奮させるための手法として、付け加えられるものをありったけ探すというのは簡単だが、その結果として芸術家の多くが陥る失敗がある。
観客が、今からやることについてどう感じるかの鍵になるのは、それをどれだけ巧くできるかなのだ。私はマジック・ショーを向上させるために、余暇にあることをしていた。それは、練習だ。ベルや笛を揃えるために時間を費やすのではなく、エネルギーを技術向上に充てていた。たとえば、私のトリックの中に、ボールを浮かせるものがあった。ハービーと呼ばれる金属の玉を使い、それを小さな金属製の台の上に置くのだ。そしてそれを大きな絹のハンカチで隠し――ハービーはとても恥ずかしがり屋なので――そしてハービーを浮かせる。ハンカチの影からちらちらと見えるので、子供達にもハービーの姿が見えるのだ。
このトリックは非常に難しいもので、器用さが要求される。マジックのトリックの中には器用さは必要ないものもあるが、必要なものもあるのだ。時間を費やして練習することで、このトリックの腕前は大きく上達した。そして、これは私の持ちネタの一つになったのだ。
この話はマジック:ザ・ギャザリングにもそのまま適用できる。多くの場合、焦点が当てられるカードは華々しいカードであるが、時には単純な効果を非常に巧くやるカードに光が当てられることもある。
ゼンディカー・ブロックのベスト・デザイン・カードは――これだ。
上陸は、ゼンディカーのデザインの中でも白眉の出来だと私は思っている。よくできたと言えるポイントは、そのエレガントさだ。ちょっとしたことで大きな効果をもたらした。全てのゲームで行なわれるが、違う方法で行なわれ、ゲーム・プレイに楽しさをもたらした。《》は私にとって最高の上陸カードだと言える。
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《》 アート:Chippy |
このカードは私とグレアム・ホプキンス/Graeme Hopkinsによって別々にデザインされた。二人がそれぞれ違う視点から、結果として同じカードを作ったのだ。それらのカードはお互いによく似ていたので、1枚のカードに統合されることになった。ハービーと同じように、《》は想定通りのことを完璧にこなしたことによって光を浴びたのだ。
教訓9:幸福以外の感情もある
パフォーマンスに関して、パフォーマンスで観客を楽しませたければ、観客を幸福にしろという話がある。これは完全に正しいとは言えない。パフォーマンスの要点は、感情を反応させること(ゲームに関して言えば、前々回のザックの記事が参考になる)である。ここで言う感情というのが、幸福である必要はない。ホラー映画は怯えさせるのが仕事だし、いいドラマを見て感動することもある。マジック・ショーでも他の反応を引き出すことができるのだ。
5?10歳の子供たちを相手にしてマジックを見せる場合の鍵は、子供達は本当はマジックを信じたいと思っているということだ。子供達はマジックというものを信じたいが、疑い深いのだ。親は子供達に、マジックにはタネがあるんだ、ということを言いがちだが、子供達はそれを自分で確認できてはいないものだ(これは年長の子供により顕著である。幼い子供は普通に信じていることが多い)。その結果、子供達はマジックのしっぽを捕まえよう、トリックを見破ろうとする。これを踏まえれば、マジシャンは子供達をいいように操ることができる。
そのための方法として知られているのが、世間知らずのトリックと呼ばれているものだ。まずトリックを見せる。そのトリックはすぐにタネがばれるようになっており、子供達はどんなトリックを使っているかを指摘しようとする。そしてしばらくそのトリックを見せて、子供達がタネを見破るのを待つ。その後、子供達に見破ったタネを説明してもらう。それから、指摘されたのと同じことをし――ただし、そのタネはまったく違うもので、子供達は非常に驚く、というわけだ。
世間知らずのトリックはこの年齢層の子供達に非常に有効である。この面白いところは、ほとんどのトリックは観客をいらつかせるもので、観客をカッとさせるものだということである。なぜ相手の言った通りのことをしないか? そのことによって、観客は「えええええ!?」と叫ぶのだ。最後には、「いったいどうやっているんだろう?」という驚愕が観客の目に宿ることだろう。
マジック:ザ・ギャザリングのデザインも、観客を幸福にするだけでなく怒らせることも必要になるという点では似ている。マジック:ザ・ギャザリングを成功させている要素として、コミュニティの力がある。しばしば言うとおり、多くのプレイヤーは実際にマジック:ザ・ギャザリングのゲームをする時間よりも他のプレイヤーと話したり、他のプレイヤーの書いたものを読んだり、他のプレイヤーに何かを伝えたりする時間のほうが長いものなのだ。
ミラディンの傷跡・ブロックのベスト・デザイン・カードは、他のものに比べて賛否両論であることが予想される。賞賛以上の反響を生んだそのカードとは――これだ。
この選択はあらゆる意味で賛否両論だろう。既存のカードをひねったものに過ぎないし、あまりに主軸的な感染能力の持ち主だ。プレビュー時にもいろいろな反応があった。しかしこのカードを選んだ理由は、まさにそれなのだ。このカードは、非常に限られた目的のための魔法の杖なのだ。私がこのカードを(元は新たなるファイレクシアのために)デザインしたのは、ミラディンのファイレクシアによる汚染をとにかく強調し、話題にするためだった。これを見た人が、ミラディン人への侵害を侵略だと捉えるようにしたかったのだ。自分たちの最強の武器が自分たちに襲いかかってくる。《》はまさにその役目を果たしてくれた。とにかく強調されたのだ。
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《》 アート:Chris Rahn |
ベスト・デザイン・カードの次点をここまでは公表していなかったが、ここでは短く済むので公表しておこう。次点は《》で、このブロック最高のメカニズム、増殖のデザインの究極形だと思っているからだ。
教訓10:見せ方の問題だ
(『インセプション』や『ダークナイト』のクリストファー・ノーランが監督した)『プレステージ』という映画を見たことがある諸君のために、マジックのトリックについて3つの部分を説明しておこう。「約束」「展開」「信望」である。この表現は古いもので、現代のマジシャンは使わない(映画を見た人は使うかも知れない)。
「約束」は、一見すると普通に見えるものを見せてそれが何かを聞くというもので、実際、それは普通のものであることが確認できる(大抵はタネがあるわけだが)。「展開」はそれに何か特殊なことをする。たとえば消すとか、浮かすとか、他のものに変えるとかだ。「信望」はその後、トリックの終わりにあたってそのものを元の状態に戻すという過程である。
さて、トリックにおいてもっとも重要な部分はどこか。「約束」か「展開」か「信望」か。マジックをする人に聞くと、答えは――その3つのどれでもない、のだ。トリックにおいてもっとも重要な部分は、「無駄話」なのだという。無駄話というのは、マジシャンがトリックの間に言うこと全てを指す言い方だ。言ってみれば、見せ方である。無駄話はトリックの売り込みだとも言える。なぜそれが重要なのかと言えば、すでに言った通り、ほとんどのトリックはお約束の塊だからだ。何が起こるかは観客も分かっている。トリックを面白いと思わせるのは、トリックそのものではなく、そう見せるようなやり方なのである。いいマジシャンは、その無駄話でトリックを売り込むわけだ。
これの最高の例は、マジック教室である。プロのマジシャンである教師はトリックを見せ、生徒の度肝を抜く。そして生徒にトリックのやり方を教え、生徒はトリックを試す。しかし、生徒がそのトリックに成功したとしても、印象的にはならない。なぜなら、観客の反応は演者によるところが大きいからだ。巧いマジシャンがトリックに驚いて見せるときのことを観察してみよう。彼は驚いてはいないのだ! 彼はトリックを知っている。彼が驚いて見せているのは、それによって観客が驚きやすいようにするためなのである。
マジック:ザ・ギャザリングのデザインでも、見せ方は同様に重要である。よいデザイナーは効果をデザインするだけでなく、カードをデザインするものだ。一方、そうでないデザイナーは効果をデザインはするものの、それをどう見せるかを考えていないので効果を最大限に活かすことはできないのである。
一例を挙げよう。
イニストラード・ブロックのベスト・デザイン・カードは――これだ。
このカードを選んだ理由は、トップダウンのホラー・セットにおいて、全ての要素が最もよくかみ合ったものだと思われるからである。我々の観客が思っているような、ポップ・カルチャーで描かれているゾンビを描いたことがなかったという話をした。《》で、最近のゾンビらしいゾンビ・カードができたと思っている。
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《》 アート:Ryan Yee |
トップダウンのセットなのだからトップダウンのカードを選ぶのが妥当だろう。《》はメカニズムでフレイバーを表すための方法を示している。このカードはホラー・セットにふさわしいカードに見えるというだけでなく(そしてクリエイティブ・チームはこのカードを選んだ)、ホラー・セットにふさわしい働きを見せた。このカードはイニストラード・ブロックにおけるベスト・デザインなだけでなく、今まで私がデザインしてきた中でもお気に入りのものの1枚である。
アブラカダブラ
トピカル・ジュースの例に漏れず、結論がどうなるかは筆任せだった。私はこの2部作を書くのを楽しんだが、諸君がこれを読むのを楽しんでくれていれば幸いである。
それではまた次回、皆に+1/+1を与える日にお会いしよう。