MAGIC STORY

ストリクスヘイヴンの秘密

EPISODE 12

サイドストーリー 独り、湖へ

Issac Fellman
Isaac_Fellman_Headshot.jpg

2026年4月10日

 

 瀕死の鳥を見つけたからといって、そこまで興奮するのはおかしい。確かに、それはダイナが見たことのない種類の鳥だった。体長は8フィート、脚は人間の太腿ほどもあり、ふわふわの羽毛に捕食動物のくちばし。まるで着ぐるみの中に誰かが入っているかのようだった。灰色の羽毛にはどこか安っぽさがあり、それが妙に気にかかった。つまり、かなり珍しい鳥だったのだろう。そしてここにいるのはウィザーブルームの生徒たちだ。彼らには「死の館でも好き勝手にする」という諺がある。ウィザーブルームの生徒は、死の館にいても寒ければセーターを着る。お腹が空けば食料庫を見つける。だがそれでも、モルフィアとロアニンがその死体の上でわめき散らす様子には、明らかに何か違和感があった。そしてバジルに至っては――ああ、バジル――何かしようとすらしていなかった。

74kNGr9NPN.jpg
アート:Lorenzo Lanfranconi

 「今、血液を採取しているところです」モルフィアが言った。医者しい簡潔な口調を早くも身につけている。多くの吸血鬼がそうであるように、モルフィアは俳優だ。彼女は大学の演劇で主役を演じた時のように、将来の職業についても入念に学んでいた。頭部にまとう生物発光のヴェールを持ち上げ、鳥の首へと繊細かつ事務的に噛みつく。それは痙攣し、彼女は声を変えて説明した。「汚染水。ネズミ駆除の。ああ、だめ。卵が……殻が……薄すぎる……」

 「筋肉はどうだ?」半透明の手袋をはめながらロアニンが尋ねた。「思考はもういい。翼は何をするためのものだ?」

 「滑空用ね」モルフィアは答えた。「少ないエネルギーで長時間飛ぶためのもの。でも働きすぎ。終わる頃には長時間の酷使で疲れ果てていたわ」

 ダイナの視界の隅で、バジルが少し縮こまって後ずさりをするのが見えた。あの鳥が死ぬところを見たくないのだ。ダイナは彼の腕に手を触れ、少しして呟いた。「もう長くはないわ。このまま逝かせてあげましょう」

 それは、かけるべき言葉としては適切ではなかった。とはいえこの若きエルフにかけるべき適切な言葉などない。それでもダイナは何か言わなければならなかった。バジルは地味で専門性のない一年生の制服をまとっているが、本来であればもう所属を示す制服を着ているはずだった。

 ロアニンはメスを取り出し、鳥の胸腔を開いて臓器を調べにかかっていた。モルフィアはノートに書き込んでいた。ふたりで名前、色、重さを声に出して記録していく。早くも医者と葬儀人のように、生と死のように。書物の列を挟む彫像の形をした対の本立てのように。正直なところ、ダイナはロアニンとモルフィアが本質的にどのような関係なのかを理解できていなかった。自分とキリアンも、他者からはこう見えるのだろうか? 明確な恋人同士でもなければ明確な他人同士でもない、けれど明らかに他の誰にも理解できない形で結びついているふたり。もしそうなら、その絆はよく理解している。ただ、他者からこのように耐えがたいものに見えてはいないことを願うばかりだった。

 バジルが言った。「ふたりとも急いでくれないかな? 実際、これが僕たちの目的ってわけじゃない。日没までに湖に着かなきゃいけないんだから」

 モルフィアは彼を一瞥し、両目にかすかな嫌悪を浮かべた。ここでもたもたしているのはバジルのため、それは全員が重々承知していた。モルフィアは待ちたくなかった。そもそもここにいたくもなかった。それでも同行しているのは、この旅が友にとって辛いものになるだろうという予測と、ダイナが強く勧めたからに過ぎない。

 とはいえずっと守られていたなら、やがてはうんざりしてしまう。ダイナはそれをよくわかっていた。パートナーであるマーティンが死んだことで、バジルは心を閉ざしてしまった。それから一年の間、彼女はずっとバジルを守ってきた。進路を選ぼうとせず、いつまでも悲しみに暮れるバジルを批判する者たちを追い払ってきた。バジルはウィザーブルームの生徒にふさわしくない、皆は声を揃えてそう言った。悲しみとは生きることの一部である。マーティンの死を受け入れないことは、彼を衰退と再生の循環に組み込むことを拒んでいるに等しい。それを理解する必要がある――と。ダイナはこれまでずっとバジルを守ってきたが、その見返りとして得たのは面談での恨みがましい沈黙だけだった。

 「マーティンにはすぐに会えるよ」ロアニンが言った。彼はモルフィアよりも態度が柔らかく、傷のついた六角形の眼鏡をかけており、より繊細な雰囲気を漂わせていた。「少なくとも、あと2つか3つは試料を採取しておきたい」

 だがバジルは言った。「もう二度とマーティンには会えないんだよ。畜生。これから俺たちが会うのは――マーティンじゃない何かだ」

 「そんなに単純な話じゃないってわかってるだろうに」

 バジルは肩をすくめて言った。「僕にとってはそうだ」

 「ねえ」モルフィアが言った。「私たちは彼に会う。彼が教えてくれることを学んで、そして先に進む。生きるとはそういうことよ。学んで、そして前に進み続ける」

 友人たちの率直な物言いに、バジルの態度が少しだけ和らいだ。すかさずダイナは言った。 「それが死というものの一番辛いところなのよ。相手にまた会えることがわかっている。そして魔道士としてふたつのものに直面する。目を閉じた時の記憶の中と、再び目を開けた時の現実。魔道士として、死者を見ることには慣れている。けれど人としては決してそうじゃない。私もよくわかるわ」

 バジルの顔からすべての感情が消え失せた。彼は鞄を肩にかけ、前方への道を歩き出した。モルフィアとロアニンは標本を入れた瓶の蓋を慌てて閉め、中途半端な抗議をした――とはいえ、気のないその態度さえも彼のためを思ってのことのように感じられた。ダイナは自分の背負い袋を担ぎ、中で冷たい茶の水筒2本がぶつかり合う音を聞いた。悪趣味な乾杯のようだった。

 どうして自分はこんなにも指導が下手になってしまったのだろう? これまでずっと、献身的な教師であり指導者であることを誇りにしていた――生徒だった頃から、そしてどれほど厄介な相手であろうとも。講師になり、権威を得て、自分の生徒を持つ院生になった。なのに、一体何が私の言葉をコルク栓のように塞いでしまったのだろう?

 けれど今これは必要なこと。この生徒たちを外に連れ出す必要があった。なぜなら彼らは悲嘆に暮れており、彼らが狩ろうとしている獲物は悲しみを渇望していたからだ。それを捕らえねばならない。それは危険な存在であり、理解されるまで危険であり続けるから。だが言うまでもなく、生徒たちは誰もいい顔をしなかった。餌として利用されることに憤慨した。ダイナもまた憤慨した。そして訝しんだ――この経験は自分を良い師にしてくれるのか、それとも悪い師にしてしまうのか。


 「覚えておいて」小さな避難所の扉をモルフィアが勢いよく開けると、ダイナは言った。「今夜、おそらく初めてマーティンの亡霊に会うことになるわ。その時は……」

 彼女は誘うような、皮肉めいた仕草をした。3人のうんざりしたような返答を期待してのことだった。だが生徒たちはただ見つめてくるだけだったので、自分の言葉を最後まで言い終えた。「彼とふたりきりであの湖には行かないこと」

 「どうでもいいのですが」ロアニンは言った。「ここの臭い、カビの生えたロバみたいですね」

 「土に還っていくロバの臭いね」ダイナは辛抱強く訂正した。

 確かに、その臭いはかなり強烈だった。タイタンの墓の外に広がる霧深い森には、人工的な建造物を消し去る力がある。屋根には落ちた枝が積み上がり、それを苔がすっぽりと覆う。その避難所は移動式の研究施設として数年前に建てられたばかりだったが、長く使われていないような雰囲気を既に漂わせていた。木が枯れて生態系に還っていくことと、建物が朽ち果てることは別の話だ。モルタルで固められた石材とニス塗りの木材でできた建物は、自然にとって消化しにくいものであり、時には自然の方が窒息してしまう。

 とはいえ、恐れていたほど悪くはなかった。薄い寝具は杉材の収納にしっかりと仕舞われており、二段ベッドは頑丈な造りだ。小さな台所には鍋や調理器具が揃っており、美味しい料理にはなりそうもない場違いな香辛料も数種類置かれていた。ダイナは火を起こし、やかんに湯を沸かしながら窓の向こうを見つめた。モルフィアが外のトイレの扉を不安そうに開け、そしてまた不安そうに閉めた。

 この時期は日が落ちるのが早い。夕食が終わる頃にはもう真夜中のような様相だった。「怪談話があるんだけど聞きたくない?」鈍くなったメスで唇を軽く叩きながらロアニンが尋ねた。1年生の頃からの危なっかしい癖だ。飛んできた本が絡む事故が起こりかけた時、ダイナは経年劣化の呪文をかけてその刃を鈍らせてやらねばならなかった。

ymxXKLDgVy.jpg
アート:Pauline Voss

 「断る」バジルが言った。「やめてくれよ。葬儀人が怖がる話なんてあるのか? 君らは何を怖がるっていうんだ?」

 「あるとも、すごく怖い話がね。満面の笑みを浮かべた屍。ほら、毒の中には――」

 ノックの音がした。全員がそのために身構えていた。バジルはモルフィアの腕を掴み、指の関節が青白くなるほど力を込めた。モルフィアは彼の手首を握りしめ、まるで固い結び目のように緊張した。ロアニンは立ち上がり、どうにかこの旅に持ってきた薄手のガウンのポケットに手を入れて扉に向かった。彼もまた緊張しているように見えたが、表情は毅然としていた。掛け金を外して扉を引き開けると、マーティンの顔から光が溢れ出した。

 彼はあの最期の朝、ダイナの面談時間にやって来て軽口を叩き合った時と同じように、そこに立っていた。一年生の制服を、どうやってか皆よりも粋に着こなして――あの時と同じ、一年生の制服。バジルが今着ているものと同じ。もちろんあの時は、自分の死が近づいているなど知るよしもなかった。薬草学の実験室にある何かしらに殺されるなどとは夢にも思っていなかった。そんな死に方は拍子抜けだ。もし彼が死ぬならば、少なくとも面白い方法で死ぬだろう――マーティンはそう思われていたようなエルフの若者だった。

 「息災かね、旧友よ?」マーティンはロアニンに言った。ふたりはいつも、どこか滑稽で貴族じみた話し方をしていた。マーティンは誰とでも内輪の冗談を楽しんでいた。その言葉を聞いてロアニンは視線を落とし、メスをさらに強く握りしめた。

 「旧友。旧い友か。残念だけど、今や旧いのはお前の方なんだ」

 「馬鹿なことを言うな、俺はまだ若いぞ。聡明な若者だ。ところで一緒にいるのはどなたかな?」マーティンは一歩横にずれ、他の者たちを見渡した。その目がバジルと合い、一瞬、深い悲しみがマーティンの目に揺れた。まるで幽霊なのは自分ではなくバジルであるかのように。バジルは目をそらした。

 ロアニンは言った。「尋ねたいのはそんなことか? なら、一緒にあの湖には行けないよ」

 「どうやって知った? 聞きたまえよ、ロアニン」マーティンの声から気取った様子が消えた。「聞いてくれよ、真面目に。あそこはすごくいい場所なんだ。あの湖を見たことはあるか? 何マイルも続く塩水だ。塩分が濃すぎて、ずっと浮かんでいられる」

 「見たことはある」

 「泳いだことは?」

 「もちろんない。さっきここに着いたばっかりだ」

 「その湖には女賢者の顔をした魚がいて、死体の額に口づけするだけで、それを永遠に保存できるんだ。死者の扱いについて何でも教えてくれるんだよ」

 「本当か? じゃあ教えてくれ、その魚の顔は身体のどの部分に繋がっているんだ? 髪の毛はどうなっているんだ? 耳はあるのか?」

 「湖に来て自分で確かめないとわからないよ、きみ」

 「いや。遠慮しておく。他の皆を試してみてもいいけど、僕には効かないよ。でも、君がいなくて辛いのは本当だよ。もしこれが君だったら、抱きしめていたと思う。毎日昼食のたびに、あれを言っておけばよかったって思い出すんだ」

 「これは俺だよ」マーティンは言った。「でも、楽しくて新しい趣味ができたんだ。湖に行くこと――」

 「おやすみ」ロアニンはそう言って扉を閉めた。

 長く深い呼吸に合わせ、その華奢な肩が上下する。そして彼は振り返り、一同の方へと戻ってきた。ダイナが言った。「頑張ったわね」

 「頑張ったなんて感覚はありませんでしたよ」

 「どんな感じだった?」

 「よくわかりません。これで終わりですか? あいつ、明日の夜にはモルフィアを試すと思います。それからバジルを。そうすればサンプルを手に入れて帰れます。僕はもう帰りたいですよ。さっさと寝て今夜を終わらせませんか」

 「サンプルなんて呼ばないでくれ」バジルが言った。「あれの名前は“献身”だ」

 ロアニンは言い返した。「仰々しい名前の霊は信用しないことにしているんだ。そいつが穢す名前も。おやすみ、モルフィア、バジル。おやすみ、ドクター」

 「まだドクターじゃないわ」ダイナとモルフィアはほぼ同時に言ったが、誰も笑わなかった。


 翌日、ダイナは生徒たちをあくせくと動き回らせた。彼らは湖畔の小道で食材や害獣を集め、あるいは興味深い死骸を探した。あの巨鳥のところに戻ってみると、それは早くも溶けて皮だけになっており、数枚の羽が悲しげに揺れていた。これは生物学的な現象なのか、魔法なのか、それとも謎の捕食者の仕業なのか、あるいはこの3つの何らかの組み合わせなのか。熱い議論が交わされたが、参加したのはモルフィアとロアニンだけだった。ふたりは相変わらず、議事妨害に明け暮れる大学の討論者同士のように間を持たせようとしていた。

 バジルもまた相変わらず、あらゆるものを拒絶していた。彼はまるで、あの光沢のある黒い塗料のようだった――ウィザーブルームの新入生が学内の売店で見つけては、内なる自身を表現するための部屋の装飾として唯一無二だと決めつけるあの。とても正直に言えば、彼の率直さがなければ、他者を引き付ける素朴な誠実さがなければ、今頃ダイナは彼を締まらない人物だと感じていたかもしれない。恐らく自分は、誠実さというものを大切にしすぎているのかもしれない。

 その夜、一同は何でもありの夕食をとった。雑草だらけの菜園で採れた香草を使った大皿のサラダ、バジルとロアニンのための少量の干し肉、そしてモルフィアのために慎重に穴をあけた血液袋。モルフィアは戸棚からあの場違いな香辛料をいくつか取り出し、血液に振りかけて言った。「いい組み合わせね」バジルのためのくだらない冗談だ。彼は口に手の甲を当て、少しだけ笑った。

 そしてマーティンのノック音が聞こえた。今度はモルフィアが出る番だった。

 「モルフィア」マーティンが言った。今回は努めてバジルを見ず、吸血鬼の優しく丸い紫色の瞳に視線を向ける。悲劇の舞台にはいつも不似合いな瞳。力強く深みのある低音の声、くすんで落ち着いた服装、そして鋭い知性を備えているにもかかわらず、彼女は主役ではなく生まれながらの親友役だった――つまり、患者を安心させてやれる医師役だった。マーティンに名前を呼ばれただけで、モルフィア自身がその事実に気づいていく様子がダイナにもわかった。

 「一緒に湖には行かないわ」彼女がこれほどの小声で話すのを、ダイナは初めて聞いた。「わかっているでしょう?」

 「君を説得しようとは思わない。単なる礼儀としての誘いだよ」

 「どうして説得しないの? バジルと出会う前は、私にありとあらゆることを説得しようとしていたじゃない」

 「“しようとする”のが肝心だったんだよ。でも、俺のことを一番よくわかってくれていたのは、いつも君だった」

 「それが本当だと思うなら、あなたは間違いなく本物のマーティンではないわ」

 「俺は君が望むその通りの俺だよ。嘘じゃない。君は俺のことを一番よく知っていた。バジルは俺を一番愛してくれていた。その違いだよ」

 「なるほどね。じゃあ、私はあなたについて何を知っていたかしら?」

 「俺がどれほど怖がっていたかを。実際の何かを怖がっていたわけじゃなくて、真面目に受け止めてもらえないこととか、賞賛されないことを。自分で自分の身体が何だか気まずかったってことも。いい理由とか悪い理由とかではなくて、誰だってそうだろうから。それと」少し首を傾げる。「皆をどれほど大切に思っていたかを。そんなこと、声に出しては言わなかっただろうけどね」

 「ええ」モルフィアは疲れたように言った。「知っていたわ。でもそれは、ほとんど誰だってそう感じるからに過ぎないわ」

 「医者になった君の姿を見たかったよ」

 「あなたは自分が言いたかったことを言っているの? それとも、私があなたに言ってほしいことを言っているの?」

 「俺を真っ二つに引き裂いてくれよ。そうすれば対照実験ができる」

 「マーティン、もう扉を閉めたいの。言いたいことは言って、早く」

 「それは嫌だ」彼はそう言い、モルフィアを両腕に抱きしめた。彼女の身体が強張り、そして屍のように力が抜ける様をダイナは見た。ふたりはしっかりと抱き合い、そしてマーティンが彼女の耳元へと情熱的に何かを囁いた。子音の際立つ声。するとモルフィアはかぶりを振り、彼を突き放し、目に涙を浮かべて扉を乱暴に閉めた。

 「あいつ、何を言ったんだ?」バジルが尋ねた。血を求めるナイフのような渇望がそこにあった。

 「何でもないわ。」モルフィアはヴェールで目を軽く拭ったが、目尻にはきらめくものが残った。だがそれらが乾くと彼女の表情は落ち着いた。「そうね。言うべきことを言った、かしら」

 「どれを?」ロアニンが手の中でメスを転がしながら尋ねた。

 モルフィアは肩をすくめた。「俺に会いに湖へ来てくれ、独りで。そこにはいつも掌から血を流している木の精がいて、その血は地中深くの主根から流れ出ていて、失われた土地の物語を囁いているらしいよ――ですって。私は興味ないわ」

 ダイナは言った。「彼にできることは限られているのよ」

 「ええ、全員がそうです」ロアニンが答えた。

 「怖がらせることができる。操ることができる。笑わせることができる」

 モルフィアが言った。「けれど、以前はそれが彼の全てだったように感じることもありました。それでも私は彼がとても好きでした。彼の内面にはずっと何か、まだ十分に成長しきっていない何かが隠れているような感じがありました。それが、今の彼に欠けているものなんです」

 「その通り」ダイナは頷いた。「さて、私は――いえ、寝る前に一杯のお茶はどう?」

 「眠れなくなります」

 「ただの薬草茶よ。少し刺激があって少し甘いの。落ち着くようにも興奮するようにも作れるけど、どちらにせよ唐辛子入りの血よりはいいものよ」

 「それなら」モルフィアは頷いた。「いただきます」


 翌朝、バジルの姿はなかった。ダイナは湖畔で本を読む彼の姿を見つけた。読むふりではなく、本当に読んでいるらしい。その両目がせわしなくページを追いかけていた。陽光が水面を優しくかすめ、世界は変わらずその軸に沿って傾いていた。

 ダイナは尋ねた。「隣、いいかしら?」

 「どうぞ」バジルは答えた。「けどあいつのことを話す気はありません。あいつと一緒に行く気もありません。本当に“献身”を捕まえることにこだわっているんですか? それとも僕たちに何かを教えたいってだけですか?」

 「どちらか一方を選ぶ必要はないでしょう?」

 「じゃあ、どうして捕まえたいんですか」

 「知るために。そしてその危害から皆を守るために――とはいえ、それにも生きる権利はあるのだけど。世界には野生が必要よ。けれど、あれのせいで人死にが出た」

 「だからこそ、この場所は見捨てられた」

 「その通り」

 「ここで殺人が起こるなんて想像できません」バジルはそう言い、両目を向けた――湖畔にきらめく岩肌、朝露に濡れた木々、葉の間を吹き抜ける風の音。「ですが学校の生徒は安全な環境にいるはずなんです。学校は安全な環境であるはずなんです。安全なんかじゃなかったわけですが。でも、夜に安心して眠れて初めて、学ぶことができるんでしょうね」

 「あなたたちには、私のような思いをして欲しくはないの。私たちも安全な所になんていなかった。地獄のような経験をしたわ。でも、言葉では言い表せない何かを得たのよ。仲間を守ることで、本当の仲間意識が作られるのよ」

 「僕たちが弱いとでも? マーティンを失って落ち込んでいるから? 確かにダイナさんは、あの侵略で数え切れないほどの友達を失ったのだと思いますが」

 ダイナはためらい、そして彼がそれに気づいたとわかった。少し考えて言葉を選びたかったが、そうすればバジルは離れていってしまうだろう。彼女は急いで続けた。「いいえ、弱いなんて思っていない。昔、私が育った木立は鬱枯病にやられたわ。憂鬱と絶望に冒される疫病よ。でもあの時も、自分たちは弱いなんて私は思わなかった。単にそういう状況に置かれて、その状況に対処するために全力を尽くさなければいけなかった。時にその状況は重すぎたし、力も足りなかった。だからといって、圧倒的な敗北だったわけじゃない。ただ、最後には力尽きてしまったというだけ。悲しみというのは、どんなものであってもその持ち主を蝕んでしまうのよ」

 「それで、その終わりにはどうなるんですか?」

 「終わりなんてない。ただ小さくなっていくだけ」

 「小さくなって欲しくはありません」

 「選択肢はないわ」

 「それを教えてくれただけでも、ありがたく思うべきなんでしょうね」

 「それについても、私には選択の余地はないのよ」

 彼は本を閉じた。「戻りましょう、朝食を食べに」


 その夜、夕食の席で会話をしようとする者は誰もいなかった。ロアニンは本を読み、モルフィアは虹色をした繊細なレースを編み、ダイナは作文を採点するふりをし、バジルはその作文を書いているふりをしていた。ノックの音が響くと、ロアニンはわざとらしくページをめくった。モルフィアは編み針を脇に置いた。バジルはまるで動く骸骨のように立ち上がり、扉を開けに向かった。

 マーティンは戸口に立っていた。肌は眩しく輝き、髪を下ろして。まるで高級な化粧水の湖から上がってきたばかりのようだった。デートの装いをしている、そうダイナは思った。服装は昨日と同じ制服、だがそこには何かを期待させるものがあった。今にも、耳の後ろに挿した赤い花を取り出してバジルに差し出すのではとすら思えた。

 バジルを見て、ダイナは自分がまずい状況に陥っていることをすぐに悟った。わずかに曲げた背中、不安げな様子、顔に隠しきれない憤り――彼のそれらすべてが消え失せていた。自信に満ち、成熟し、確固としているように見えた。この恋人同士について、関係性について、自分はほとんど何も知らなかったのだとダイナは思い至った。マーティンは薄い革手袋をはめた手を差し出し、バジルはそれを取った。そして湖については一言も発することなく、ふたりは出ていった。

 ダイナは湿った夜闇の中へ飛び出した。湖は避難所からさほど離れていないにもかかわらず、バジルとマーティンの姿はどこにも見えなかった。モルフィアとロアニンを背後に従え、彼女は湖面を照らす月光の筋を目標に駆けた。木々を抜けて湖の全体が目に入ってくると、それが見えた――エルフふたりが膝まで湖水に浸かり、向かい合って指を絡ませ、恍惚の表情で立っていた。ふたりは互いしか感じておらず、そのため水面に集まりつつある光に気づいていなかった。やがてその光を帯びた水が勢いよく噴き上がり、星の輝きにも似た水滴となって降り注いだ。そして水はぼんやりとした人型をとり、頭の位置には苔むした頭蓋骨が浮いていた。

 バジルは叫びをあげ、マーティンの手を引いて水から上がろうとした。だがマーティンは恐怖に凍りついていた。「マーティン、上がれ!」ロアニンが叫んだが、それはダイナの声にかき消された。「ロアニン、彼はただの寄せ餌よ! 何も知らないの。友達を助けなさい!」

 ここからが辛いところだった。助けたくとも助けてはいけない。最年長のドライアドの助言を求めてウィロウダスクの元へ赴いた時、言われたのだ――前に出ない方がいいと。「彼らはあなたが思う以上に有能なのですよ、ダイナ。それに、自分たちだけで戦うことで得るものもあります。いつかはそれを学ばなければなりません。彼らが必要としたなら、介入すればいいのです」と。

 ウィロウダスクのような教員になりたいとダイナは思っていた。そしてもちろん、あのドライアドの言葉は正しい。けれど離れて見る彼らはとても小さく、5年前のダイナよりもずっと幼く見えた。“献身”は水を武器として使うことに熟達していた。左を見ると、モルフィアは足首までを氷で固められていた。右ではロアニンが悲鳴とともに後ずさり、その両手は蒸気で火傷を負っていた。バジルはどうにか岸に上がり、マーティンは――マーティンは消えていた。もう彼の存在は必要とされていなかった。

 震える指でモルフィアはブラウスの一番上のボタンを外し、銅の鎖についた護符を取り出した。それは根の欠片で、宝石のように金属にはめ込まれていたが、堂々と身に着けて飾るほどの美しさはない――モルフィアらしい感覚だが、この件を叱りつける必要はないだろう。氷は登っていき、やがて彼女の膝に、そして腰に達した。その護符はボタンに引っ掛かったがすぐに外れ、モルフィアは自信とともに魔法を操った。氷が融け、水が落ちる。あまりの速さに、スカートの周りに蒸気の雲が立ち込めた。一輪の花から引き出され、地下に秘匿されていたまっさらな陽光。摘み取られ、清められ、力を覚醒させつつある魔術師がそれを振るった。

 “献身”は10フィートもの波を生徒たちに向けて放った。それはモルフィアの熱に触れて蒸気の音を立て、何度でも前進しようとするロアニンをその度に押し戻した。塩分を含む水がその火傷の手を痛めつける。彼の眼鏡は水滴と蒸気で曇っていた。モルフィアは重いガウンをものともせずに水へと飛び込み、水中を泳いでロアニンの隣に浮上した。ヴェールが顔に張り付いていた。彼女はロアニンがまとう鮮やかな黄緑色のローブのポケットに手を突っ込み、星々のように空虚に白く輝く何かを取り出すと彼の手をしっかりと握りしめた。ふたりでそれにしがみつくように。互いの目が合い、早くも鎮まりつつある水面の上で、ふたりは指を離した。ダイナが見たのは、落ちてきた石の破片と、水を鎮めたきらめく油だった。それはありふれた火山岩の破片だったが、正しい手にかかれば強力な道具になる。

 “献身”はその様を、どこか退屈そうに見つめていた。だがやがて手を伸ばして魔道士たちをひとりずつ掴み、水から持ち上げた。ロアニンはもがいた。アドレナリンを抑えていたモルフィアは冷静だったが、ふたりとも水の上で無防備な状態となった。ダイナは呪文を唱えようとした。“献身”の頭部を貫き、それを動かしている頭蓋骨を引き抜く呪文。駄目だ、遅すぎた。もっと早く介入すべきだった。

 だがその時、彼女は緑色の光線を見た。バジルの両手から放たれたそれはあまりに速く、肩をかすめていったことすらダイナは気づかなかった。ただ、棒状の物体が一本現れたように見えただけだった。魔法的な集中も、道具もなしに。それは全くもって天性の才能だった。これほどのものを他の生徒に見たことはなかった。

yYjvSco3ZX.jpg
アート:Tuan Duong Chu

 光は一瞬だけ頭蓋骨をとらえ、その輝きの中に解かしていくようにも見えた。だが頭蓋骨は、 “献身”の身体である水の中をゆっくりと沈んでいった。モルフィアとロアニンを巻き込みながら、“献身”もまた湖の水に戻った。湖面は静まり返り、水は夜闇に黒く染まった。それを乱すのは、岸辺へと向かう若者ふたりの姿だけだった。


 その頭蓋骨はガラスの容器の中、濁った湖水の中で笑みを浮かべていた。それに見守られて、ダイナは小さな台所で茶器を広げていた。生徒たちは寝間着姿で卓を囲んでいた。モルフィアは髪をタオルで包み、ロアニンの髪は濡れて尖っていた。ダイナは携帯用のすり鉢と乳棒を取り出し、スパイスを挽き始めた。茶を淹れるところを誰かに見ていてもらえたなら、効力が増す――これもウィロウダスクからの教えのひとつだった。ほとんどの魔法は無くてもいい、それが何千年にも及ぶ長い生涯の中で学んだことだとダイナは聞かされた。実際、この茶に魔法は込められてすらいない。魔法は、すり鉢と乳棒がこすれるゆっくりとした音と回転、熱々のマレンティスとポーパースターの立ち昇る香りから生まれていた。

 彼女は切り出した。「私は、あなたたちに教訓を与えるために来たんじゃないの。あなたたちが教訓を身に着ける手伝いをするためよ」

 「合格ですか?」ロアニンが尋ねた。

 「採点しているわけじゃないのよ。バジル――」

 「やめて下さい」バジルの口調は、湖畔でのあの時のように激しかった。「もうウィザーブルームの説教は沢山です。毎日誰かが死んで、僕たちはそれに向き合うだとか。死は生の一部だとか。今の僕にはこれ以上理解できません」

 「モルフィアはそれを食い止める術を学んでいるわ。ロアニンは先立たれた者たちを慰める術を。さて、あなたは死とどう向き合うつもり?」

 バジルは彼女を見つめた。顔色は青白く、だが反抗的に。ダイナは初めて、彼の意識が自分に向けられていると悟った。

 「ひとつ話をさせて。鬱枯病のことは知ってる?」

 「ぼんやりとだけですが。ダイナさんの生き方を決定づけた。そしてご愁傷様です」

 傷つく言葉だった。ダイナは乳鉢がぶつかる音を数え、痛みが紛れるのを待った。そして静かに切り出した。「私の故郷はそれで壊滅したというのは知っているわよね。絶望を広める疫病で。そして、あなたと同じ生徒だった頃、私はそれを治す責任を負っていたのよ。私が天才だからじゃない。確かに優秀ではあるけれど。そうじゃなくて、そのために身を捧げたのよ。他に選択肢がなかったから。問題は、私が生まれ故郷を弔わないといけなかったし、失った同胞を弔わないといけなかったのだけど、そこで――そこで、私が受けたような苦しみを経験していない相手と、友情を築くことができなかったということ。このこと全部が私の身体に深く刻み込まれたわ。生命の木の細い年輪、疫病の夏と乾燥した冬を物語る年輪よ。でも私は今もこうして立っているでしょう? そして今もウィザーブルームが好きよ。時々、その理念が――そうね、陳腐で甘ったるく感じることもあるけれど。生と死に関する色々な言葉を繰り返して、それを美意識にして、それを美そのものにして。だからといって、私たちが理想を失ったことは一度もないわ。そこにある物事に向き合って、共に生きることを学ぶの。モルフィアとロアニン、今夜のあなたたちはウィザーブルームの誇りを示してくれた。そしてバジル。あなたはまだ心を決めていないというのは私もわかっているけれど、私たちと一緒に一年間学んできたでしょう。私たち一同、あなたがいてくれたら誇らしく思うわ。あなたたち3人、ウィザーブルームで一緒に成長していくつもりはある?互いを支え合う絆を築いていく気はある?」

 「その『互い』にはダイナさんも含まれるのですか?」モルフィアが静かに尋ねた。「もしそうなら、私はそのつもりです」

 「私も含まれるわ」ダイナは言い、自分の表情が崩れそうになるのを感じた。物事が双方向に動く可能性があるなんて、考えたこともなかった。

 「僕もそのつもりだよ」ロアニンも言った。「悔しいけど」

 バジルは黙っていた。ダイナは彼に考えさせておいた。匙で茶をポットに入れ、沸騰直前まで温め、滲出時間を測る。しばしの時間が流れ、だが不意に、3人に言葉はいらなくなった。ロアニンは長い手をモルフィアの手首に置き、モルフィアは彼の指関節にそっと触れた。

 バジルは紅茶を一口すすり、やがて言った。「“献身”は、本当に何かを教えてくれるんでしょうか――つまり、学校に持ち帰ったなら」

 「沢山の物事を教えてくれるでしょうね。悲しんでいるのは私たちと同じ、けれどそれが何なのかはわからない」

 エルフは何も言わず、杯の中身を飲み干した。


 翌朝ダイナが目を覚ますと、ロアニンとモルフィアは扉から踏み出したところだった。バジルの姿はなかった。彼女は何も言わずに、急いでふたりを追いかけて湖へと向かった。バジルは足首まで水に浸かり、両手に“献身”の苔むした頭蓋骨を抱えていた。

 「昨日はあんなことを言っていたのに、結局……」モルフィアは口をつぐんだ。

 ウィロウダスクの言葉をダイナは思い出した。「いつか、生徒が貴女から離れていく時が来ますよ。生徒たちの本質が、つまり心が離れていく時が。覚えておくことです。ですがそれは、生徒があなたの教えを拒むからではありません。あなたから学べることはすべて学んだということです。それを寛大に受け止めなさい。行きたくない場所に相手を導くことはできないのですから」

 当時は、ウィロウダスクの言葉を理解したと思っていた。だがバジルの顔を、手にした頭蓋骨のような不可解な表情を見て、理解などしていなかったとダイナは気づいた。つまりこれは、自分にとっての教訓。痛みを伴う教訓。肩が強張り、そして力が抜けるのを感じた。ダイナは尋ねた。「私が与えていない、かつあなたが必要としているものは何?」

 バジルはかぶりを振った。「もう沢山のものを貰いました」

 「じゃあ、どうして?」

 「もう魔道士になりたいとは思っていない、それだけです」バジルはそう言い、頭蓋骨をそっと水に沈めた。3人が見守る中、彼は岸辺に戻ってきた。水に濡れたブーツが朝日に輝いていた。そしてひとつ頷き、彼は歩き去った――独りで、タイタンの墓へ。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

  • この記事をシェアする

Secrets of Strixhaven

OTHER STORY

マジックストーリートップ

サイト内検索