MAGIC STORY

ゲートウォッチの誓い

EPISODE 01

オブ・ニクシリスの報復

オブ・ニクシリスの報復

Kimberly J. Kreines & Nik Davidson / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2015年12月30日


前回の物語:コジレック覚醒

 計画は上手くいった。ニッサ、ジェイス、ギデオン、そしてゼンディカー軍は力を合わせ、エルドラージの巨人一体を拘束できる面晶体の巨大な罠を構築することに成功した。そして今しがた、ニッサは最後の面晶体を定位置に押しやり、彼女の世界を蹂躙してきた怪物、ウラモグを捕らえたのだった。

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 浮岩の上、ギデオンの隣に立ち、ニッサはウラモグの巨大な白骨の顔板と目線を合わせていた。あまりに不可能なことを成し遂げた、その思いに平静を失いそうになったが、眼下からのゼンディカー人たちの歓声が彼女を支えた。


連結面晶体構造》 アート:Richard Wright

 とても長い間、彼女の世界はウラモグに食い荒らされ、破滅への避けがたい坂を下ってきた――バーラ・ゲド、セジーリのように。だが今こうして、ついに、そしてほぼ思いもよらない形で、引き返し始めた。ついに、ゼンディカーが破壊を行う時がやって来た。そして世界は慈悲を示すことはないだろう。

「よし。引き始めるぞ。綱をしっかり掴め!」海門へ向かって縄梯子を下りながらギデオンが眼下のゼンディカー人へと指示を呼びかけた。「周辺に敵を近づけるな!」

 ギデオンが動いてくれるのは良いことだった。彼の指揮があれば人々は安全だろう。そしてそれはニッサが自由に巨人へと集中できることを意味していた。期待のうねりが彼女に流れ込んだ。彼女は戦場越しにジェイスを見た。視線が合い、彼はその精神を開いた。『巨人は囚われた、あなたが望んだように』 ニッサは言った。そして今、巨人を倒す時が来た。

『ああ。この崖にはどれほど面晶体が埋まってるんだ?』 ジェイスが尋ねてきた。脳内に響く彼の声にすら興奮があるのがニッサにはわかった。『もう一つ、いや二つがいるだろう。ニッサ、上手くいきそうだ! 俺に考えがある』

『私も』 ニッサは剣を抜いた。

 だがニッサが続けるよりも先に、ジェイスは彼女の注意を面晶体の輪へと向けさせた。彼は自作の実物大の幻影図を再び重ねていた。『もう二つだけ面晶体があれば、繋がった力を方向転換できる。そうすれば触る必要すらなく巨人を倒せると思う』『危険は最小限で済む――比較して言えば。ただ......』 ジェイスは続けたが、ニッサは聞くのを止めた。彼女は計算された、分析的な攻撃など求めていなかった。自分の剣をウラモグの首筋に突き立てたかった。その腸を引きずり出してやりたかった。ここで今、終わらせたかった。彼女はジェイスに約束していた、巨人が囚われるまで攻撃はしないと......そして今、巨人は囚われていた。

 彼女は大地へと向き直り、岩の絶壁を見て、世界の魂へと呼びかけた。ニッサの声に、アシャヤが応えた。この世界がかつて見たことのないほどの決意とともにエレメンタルが立ち上がった。かつて感じたことのなかった希望。ゼンディカーは決意とともに現れた、ついに、自由のために。


目覚めし世界、アシャヤ アート:Raymond Swanland

......そして何かが壊れた。踏み折られた小枝のようにアシャヤは割れ、つまずき、彼女の破片が崩れて散った。訳がわからず、ニッサは更に遠くへ呼びかけ、強く引き寄せた。だがアシャヤは応えなかった。彼女の枝は身をよじり、身震いをし、そして彼女とともに、ゼンディカーの全ても震えた。

 ニッサが立つ浮岩が揺れた。最初はゆっくりと、やがて速く、激しく。ニッサはよろめき、体勢を保とうと腕を振り回した。震えはあまりに容赦なく、まるでゼンディカー自身が真二つに裂けようとしているかのように感じた。そして、始まった時と同じように、それは止まった。世界は鎮まり、そして全てが黙った。

 だがニッサは知っていた、それは偽りの静穏だと。何かがおかしかった、彼女はそれを感じた。何かが――

 耳障りな軋み音がその静寂を吹き飛ばした。ニッサの右で、防波堤とその上に乗る全てが大津波のように持ち上がった。ゼンディカー人もエルドラージも同じく空中へと投げ出され、硬い石壁へと落下し、そして全てが繰り返されるように再び持ち上げられる様を、ニッサは恐怖とともに目にした。

 目を見開き、取り乱し、ニッサはアシャヤへと振り返った。エレメンタルが瓦礫の山となって崩れると、ゼンディカーは苦痛と恐怖を洪水のように発した。

「アシャヤ!」 ニッサは友へと駆けた。だがまた別の波動が世界を震わせ、彼女は膝をついた。

 左方向の海上で、大地と同じように面晶体の輪も激しく震えた。湾を横切る微震の波とともに、それらの並びを保っていた力線もまたうねった。牢獄は解けようとしていた。だがそれを引いているのは世界の振動ではなかった。逆だった。不安定になった牢獄が世界を引いていた。そこに、牢獄の上空に、ニッサははぐれた面晶体を目撃した。そこから暗黒の力が放たれており、力線の完璧な配列を破壊していた。おかしい。それがそこにある筈がなかった。何処から来たのだろう? 不安とともに、彼女はジェイスを探った。

『ニッサ、そこから離れろ!』 ニッサの注意を把握するや否や、ジェイスの叫びが彼女の心を満たした。

 大きな、響き渡るひび割れ音とともに、牢獄の力線の一本が切断された。輪は破壊された。ニッサの心臓が止まった。

『逃げろ、ニッサ! 早く!』

 だがニッサは逃げなかった。彼女は壊れた力線へと飛び降りた。こんなことが起こるはずがなかった。今じゃない、今はゼンディカーの番なのに。

 半ば離れかかった面晶体が傾いた隙間、その近くの浮岩へと着地すると、残存していた繋がりもまた緊張し、そして砕けた。息もつかぬ間にその巨岩はぐらつき、それを定位置に留めていた魔法的な繋がりの最後の一片を漂わせながら、海へと落下していった。

 面晶体の落下に続く巨大な水しぶきにずぶ濡れになりながらも、ニッサは目を拭うために立ち止まることすらしなかった。こんな事が起こるはずがなかった。彼女は落ちた面晶体を繋いでいた、今やぶら下がり揺れる力線に呼びかけ、力線を形成するマナを、触れられるほどになるまで感じようとした。一瞬、それは成功し、途方もない力のうねりが彼女へと流れ込んだ。かつてないほどの力を得たように感じた。だがそれは重要ではなかった。重要なのは、その力へと自身が繋がっている場所だった。自身に力線を通して送り出し、途切れた別の力線へと繋げる。自分の身体を使って壊れた輪を完成させる。修理はできる。

 彼女は別の力線へと呼びかけ、自身の力の源泉へと掘り進み、その力をめざして自身を伸ばし、全てを注いで輪を閉じる。もう少し近づけば――

 何かに叩かれ、彼女は転ばされた。

 ニッサは自分を転ばせた太い桃色の触手を見た。ウラモグ。

 牢獄が損なわれ、巨人は自由にその境界を破っていた。


無限に廻るもの、ウラモグ》 アート:Aleksi Briclot

 輪の面晶体が揺れ始め、ぐらついた。力線は彼女の手の届かない場所へと弾け飛んだ。ウラモグはもはや囚われてはいなかった。

『そんな!』 ニッサは剣を手に、近くの蔓へと跳んだ。彼女は巨人を見据えた。こんな事が起こるはずがなかった。囚われてもいなくても、ウラモグを倒す。今はゼンディカーの番なのだから。

 蔓にぶら下がりながら、ニッサはウラモグが振るう触手の一本へと剣を振り下ろした。その刃はかすり傷を与えることすらできなかったが、ニッサは気にしなかった。彼女は再び、そして繰り返し攻撃した。やがて残りの輪も崩壊した。一つまた一つと、他の面晶体も海へと落下していった。恐怖に染まった絶叫の不協和音が背後から響く中、塩辛い海水の波が幾度もニッサにかかった。ウラモグは束縛から放たれ、再び海門へ向かって動き出した。

 ニッサは苦悶に叫びを上げた。ウラモグを捕えたという最初の成功と同じほどにありえなかった。この結末はもっとずっと考えられないものだった。

 この結末?

 これは本当に結末?

 その考えとともに、虚弱の波がニッサを洗い流し、吸い取った。彼女にできたのは、蔓を掴み続けるよう自身の指に強いることだけだった。

『ニッサ、何をしているんだ? 逃げろ!』 ジェイスの声が再び脳内に響いた。彼はかつてないほどに必死だった。だがニッサは自身を動かすことができなかった。『早く!』 ジェイスが叫んだ。

 彼の不安もニッサを動かすことはできなかった。彼女は眼下に荒れる水面を見つめていた。落ちたなら、さぞかし冷たいことだろう。

『ニッサ、牢獄は壊れた』 ジェイスの声は先程よりは落ち着いていた。『悪魔が壊した。できる事は何もない。逃げてくれ、頼む』

 悪魔......彼女は身震いをした。悪魔ですって? 突如、彼女はその者を感じ取った。あの怪物の邪悪さを。あいつがここに。彼女は見上げた。そこに、いた。バーラ・ゲドで対峙した悪魔が、カルニの心臓を根こそぎにした悪魔が、ゼンディカーを滅ぼそうとした悪魔が。あいつが戻ってきていた。


灯の再覚醒、オブ・ニクシリス》 アート:Chris Rahn

 唐突に、何もかもを把握した。感じた暗黒はあの悪魔のもの、おかしかった何かとはあの悪魔。牢獄をひっくり返したのは、大地を震わせたのはあの悪魔の面晶体。あれがこの全ての元凶。そして今悪魔は呪文を唱えていた。あまりに古く強力なもので、ニッサはその曖昧な形状と完璧かつ貪るような暗黒以上のものは何も把握できなかった。その呪文の詠唱とともに、ゼンディカーの大地全てが苦痛に絶叫した。

「目覚めよ!」 声の限りに悪魔は叫んだ。

 そして、何かが目覚めた。

 ニッサは振り返った。そして、ありえないほどに巨大でぎらつく黒い破片の列が、大地を切り裂いて現れるのを見た。怪物の身体が地表に垣間見えるよりも早く、ニッサは悟った。自分は二体目の巨人を見ているのだと。コジレック。あの悪魔は彼女の世界を蹂躙すべく、もう一体の怪物すら呼び出したのだ。


アート:Lius Lasahido

 彼女は悪魔を振り返って仰ぎ見た、そして悪魔は見下ろしながら笑みを返した。笑った。

 ニッサは身体を震わせ、むかつき、そしてその瞬間彼女の内の何かが引き抜かれた。昔から認識していた、我慢しようとしてきた、忘れようとしてきた自身のどこか一部が、一片が。そこには力があり、そして今その力は彼女の血管を流れていた。それは力線が自身を通ってうねる力の感覚とは違い、だがこの時彼女はそれを全て自身のために掴んだ。良い感触だった。力が十倍にもなって戻り、彼女は両手で蔓を登り、頭上の浮岩の頂上へと自身を引き上げた。

 彼女はそこに立ち、悪魔を見据えた。悪魔に背を向けるべきだとはわかっていた、逃げるべきだと――もしくは巨人と戦うか、人々を助けるか、とにかく、今やろうとしている事以外の何かをすべきだとわかっていた。だがもしそういった行動に移ったとして、それが何になるだろう? 自分の行動で何かが変わるのだろうか? 希望は何か残っているのだろうか、ゼンディカーを救う希望の最後の一片は残っているのだろうか?

 もし自分がこの悪魔に背を向けたなら、その疑問に答えなければならないだろう。だからこそ彼女はその悪魔に背を向けず、まっすぐに見据えた。世界が生き延びる最後の機会を奪った目腐りを。このために、そして他の全てのために、あいつに死を。

 彼女は震える防波堤へと飛び降り、攻撃のために剣を定め、悪魔をめがけて駆けた。前回会った時にあの悪魔に確実にとどめを刺さなかったのは許されない過ちだった。同じ過ちを繰り返しはしない。

 コジレックの覚醒とともに防波堤は激しく揺れ、海はうねり、大地は震え、そしてゼンディカー人は悲鳴を上げた。だがそれは全てニッサの周囲、集中の範囲外でのことだった。彼女を突き動かす憤怒の向こう側でのことだった。見えるものはただ一つ、その忌まわしい悪魔。知るのはただ一つ、その悪魔は死すべきという事だけ。


アート:Lius Lasahido

 押し寄せる落とし子と崩れた岩の間を縫って翼の怪物を目指しながら、ニッサはコジレックが周囲の世界にもたらした影響を僅かに意識した。この巨人の影響は以前にも、世界にその落とし子がもっと多くいた頃に感じていた。そして歪む混沌はさして気にしていなかったが、今コジレックが力線に与えている混乱した、うねった影響は好きではなかった。世界を覆ってきたのであろう継ぎ目のない模様は攪乱され壊された。全てが異常だった。解される現実に打ち勝つために、重力の歪みを相殺するために、彼女は一歩ごとに足を地面へと触れさせるよう意識して努力しなければならなかった。だが彼女は前進した。彼女を止められるものは何もなかった。

 そして目の前の地面が弾けた。コジレックが振るう腕が防波堤を直撃し、その巨大な拳が岩を砕き、灯台を倒した。その衝撃にニッサは防波堤の破片や何百ものゼンディカー人とともに宙へと放り出された。ニッサはほんの一瞬宙に静止し、世界が逆さまになった。時の流れが緩まり、そして彼女の周囲で黒い、虹色の荒廃が真白な岩と人々の顔面に結晶化した。それはまるで凍った池に囚われ、氷に圧迫されて窒息させられたようだった。

 そして唐突に時は動き出し、重力は倍に、三倍にすら加速してニッサを崩れた壁へとしたたかな破壊力で引き戻した。彼女は立とうとしたが、まるで流砂に沈んでいるように感じられた。周囲の全てが自然のものではない、尖った角と幾何学的模様と化していた。彼女は瞬きをして、だが視界ははっきりとしなかった。全てが同じように見えた。もはや壁も、海も、悪魔も判別できなかった。

 ニッサはコジレックの歪みの場へと嵌ってしまっていた。彼女はよろめき、次の一歩が何処へ続いているかも、自分がどこにいるのかも、どこへ行くのかも定かでなかった。今も生きているのかすら定かでなかった。結末はもう来てしまったのだろうか?

 違う。『絶対に違う!』 これは結末じゃない。そうはさせない。あいつを倒すまでは。あの悪魔は彼女の完璧な世界についた汚れだった。ゼンディカーからそれを取り除かねば、その必要性が彼女を前へと駆り立てた。彼女は進み、一歩の先へ次の一歩を押し出し、一息また一息、そして歪みの場から抜け出した。

 解放され、ニッサは防波堤の白い岩の終点へ、そして崖の外へ、悪魔へとまっすぐに駆けた。彼女は悪魔へと飛びかかった。地面へ打ち倒そうと体当たりをして、刃をその首筋に当てて。

「上出来だ」 今も不快な笑みを浮かべながら、悪魔は彼女を見上げた。「勝ちたいと思った所だ。何があろうとも勝ちたいと」

「お前が!」 刃を押しつけながら、ニッサの喉の裏に胆汁が昇ってきた。

 だが滑らかな動き一つで悪魔は彼女の剣を避け、離れ、飛び上がると同時に生気を吸い取る魔術の波をニッサへと放った。それは彼女が着地するよりも先に直撃し、その血管から生命力を吸い取り、彼女を焚き付けていた憎悪を飲み込んだ。

 彼女は叫びを上げ、大地に触れ、土の雪崩を上空の悪魔に向けて放った。だがそれが悪魔に触れることはなかった。不自然に解かれてねじれた力線の束に従い、土は空中で方向を変えて彼女へと向かってきた。

 ニッサは転がり、瓦礫が降り注ぐ中を避けた――不自然でねじ曲げられた、黒く歪んだ岩屑。狼狽の中、彼女はコジレックの落とし子四体が小走りで自身と悪魔との間に現れるのを見た。悪魔がこれらを呼んだのだろうか?

「悲しいかな」 その悪魔が言った。「我が計画を優先せねばならぬ。ゼンディカーは墜ちる」 悪魔がわずかに頷くと、ニッサの周囲の岩を払って落とし子が迫った。「そしてゼンディカーは終わる」


アート:Ryan Barger

 焼け付く痛みがニッサを引き裂き、彼女は苦悶に吼えた。そうしようという意図はなかったが、彼女の悲鳴はアシャヤに警告を発した。周囲の地面が持ち上がり始め、ニッサはゼンディカーが自分を心配するのを感じた。世界は彼女を助けにやって来た。だがそうしながらも、それは歪められ、壊され、堕落させられていた。痛めつけられていた。

『駄目』 ニッサはそれを許すことはできなかった。彼女はゼンディカーの魂を押しやった。この歪みから、この荒廃から、自分から。『戻って!』

 アシャヤは去りたくはなかった。世界は離れることを拒んだが、ニッサは去らせた。お互いに、できる事はなかった。

 行かせながらも、彼女はコジレックの落とし子の影響下で、希望の最後の一片が恐怖へと歪められるのを感じた。内臓がねじれた。大地が、力線が、世界の生命がこんなにも歪められ、ねじれていた。もはや存在すらできないほどに。

 そして悪魔が笑う中、ニッサの最後の現実が解きほぐされた。


 我はエルフの混乱した感情に声をあげて笑った。この小娘の現実が目の前で解きほぐされてゆく様を。こらえきれなかった。可笑しかった。その目には何かがあった。

「おお、ちっぽけなエルフよ。面白いことを聞かせてやろう。我が仕事をただ終えさせていたのならば、我は灯を再点火しお前の世界を去っていただろう。お前を敵とは思っておらぬが、今はお前は我が敵に値すると感じる。コジレックの歪みはゼンディカーの最後の数時間を、何千年もの長さとして体験させるであろう。我が被ってきたように。通常であればそのような芝居など我は気にかけぬが、お前は例外に値しよう」

 コジレックの落とし子どもがそのジョラーガを包囲し、その術で空間を切り裂いた。力線がその小娘に届かぬように、まるで蜘蛛が壊れた現実の網を織り上げるように。そしてこの小娘は無力にゼンディカーから切り離された。

 我が心は落とし子を動かすべく注力した。可能であったが、刃の上を歩くようなものとは判っていた。特にここまで巨人が近くにいる現状では、狂気か更に悪いものの危険を冒す。だがあの巨人に直接反抗する何かをしろと命じぬ限りは、仕事の邪魔をする虫を始末すべく数体の落とし子を借り受けたところで巨人が気にするとは思わぬ。我は残りの戦場を見渡すべく再び飛び上がった。軍は総崩れと化していた。見事なまでに。

 この地を離れる時が来た。そして二度と戻ることはない。

 無論、生きて海門を逃れた者がおらぬ事を確認したならばの話だが。我はこの地を離れ、二度と戻ることはない。

 とはいえ、今それは重要ではなかった。我はただこの地を離れれば良いのだ、そして二度と戻ることはない。

 面白い。何者かが我が脳内にいる。気に入らぬ。テレパスというのは絶対的に最悪な存在だ。我がものでない思考を脳内に置こうとする者達と、我は実に多くやり合ってきた。

 侵入者への方角を示す漠然とした感覚があった。それは眼下の逃げ惑う兵どもに隠れていた。我は彗星のごとくに地上へと降下し、着地の衝撃でゼンディカー人どもを塩水で浸されたぬかるみの地面へと吹き飛ばした。青い外套の若者が背を伸ばし、無傷で、だが驚愕の様子で立っていた。その者は反射的に数十体もの鏡写しに分かれた。悪くはない奇術だ。


アート:Victor Adame Minguez

 我は一つの言葉を囁いた。かつて学んだ、苦痛を意味する真の名を。我が周囲に乾いた音を立てる球状を成して、苦悶が支配した。我も同様にそれを感じたが、我はこの若者よりも苦痛に慣れていた。全ての鏡像がふらついたが、ただ一つだけが真にそれを感じていた。本物の個体を判別するなど些細なことだ。我は笑みを浮かべて若者へと迫り、だがこの者は震えながらも我が視線を受け止めた。

 その目が我を槍のごとく打った。見逃してしまいそうな程微力に、この者は我が感覚を可能な限りの力で攻撃した。だがそれは我が拳がこの者の首を刎ねるのではなく頬骨を砕く結果となった。若者は錐揉みとともに地面に倒れ、外套に泥と飛び散らせて崩れ落ちた。我は首をへし折るべく進み出て、まさにその時だった。

 何かが我が翼を背後から掴み、我を若者から引き離して放り投げ、その過程で我が翼を切り裂いた。苦痛とともに我は着地し、敵を見上げた。敵は我がそれが来るのを見るよりも速く二撃目を仕掛けられた筈であったが、待っていた。長身で筋肉質、角ばった顎、そして断固とした意志。多くの標準から見て、器量の良い男であろう。この者を推し量り、我はほくそ笑んだ。友を救うべく我を背後から攻撃はしたが、そうして戦いに勝利することまでは望んでいない。即座に気に入った。英雄様ではないか。

 我はその男へと僅かに首を傾げた。「オブ・ニクシリスだ。光栄の至り。さて、尋ねるが、どうか脇に避けて家に帰って頂けぬかな。君は見たところ将軍のようだ。ならばこれは負け戦であると知っていよう。君はここの防衛を? 実に立派だ。いつの日か再戦をしたい所だ。世界とこの言葉を取っておくが良い。だが今は......」

 その男は我を遮った、その金属の......四本の......鞭のようなものの攻撃で。この男は......スーラを振るっているというのか? 何世紀も目にしていないものだ、そしてゼンディカーでは一度たりとて。スーラの使い手は極めて熟達するか、もしくは愉快なほどに短命となる傾向にある。苛立ちとともに我はその攻撃を脇に避けた。


ギデオンの叱責》 アート:Dan Scott

「ここの人々は私の庇護下にある、悪魔よ。退け、さもなくば退かせるまでだ」 男はその意図の通りの言葉を発した。

「つまらぬ事を。昔であれば、とはいえこの言い方は悪いかもしれぬが、確かな礼節というものがあったのだが。だが我が思うに、プレインズウォーカーはかつてのような存在ではない。その者にとって、死は遥かに容易い」 我は掌を掲げ、純粋な衰弱の奔流を長く放った。

 そしてこの男は何事もなくそこに立っていた。顔に苛立った嘲笑を浮かべ、身体に黄金色の光を纏いながら。不死身とは! 予想していたよりも遥かに面白くなりそうではないか。

「それほど容易くはない」 その男は辛辣に言い放ち、大きな弧を描いて切りかかってきた。激しく突撃してきたが、距離を詰めすぎはしなかった――この者には広い攻撃範囲という強みがある。そして近寄り掴みかかる糸口を我に与えなかった。我は魔力を更に炸裂させてこの男を押し留めた。ほとんどは避けられたが、幾つかが命中した。その度にこの男は黄金色の輝きで自身を上手く守っていた。戦術的に考察するに、その防御には集中を必要とするようだ。とはいえ流れるような柔軟性があった。この男は完璧にその盾を一連の攻撃に組み込み、我に本当の糸口を全く与えなかった。一度ならず、我は上腕に切り裂きを受けた。だが傷は表面的なもので直ちに癒えた。この男は我を防御的姿勢に留め、そして我が牽制には一切食いつかなかった。我等は戦い、やがて元の体勢に戻った。この者は再び、我とテレパスとの間に巧みに入った。

「お前はよく戦っている。だが私を傷つけることはできない。そしてここの人々をこれ以上傷つけさせはしない。悪魔よ、私はゼンディカーのために戦う」 その声には豊かな決意が込められていた。だが我はその表情に疑念の発端を見た。常に、始まりとはそういうものだ。

「ニクシリスだ」 我は訂正した。「お前は言ったな......人々と?」 我は造作もなく、魔力の迸りを落伍者と負傷者の群れへと放った。六人が死んだ。この男は攻撃を再び仕掛けようと身動きをしたが、テレパスを守るその体勢から留めたままでいた。「それは、その若者のことか? 何ということだ、友よ。そのテレパスはお前の心を変えた、そうではないか? テレパスとは最初に殺すべき存在だ。お前がこの若者を自分の意思で守っていると、どれほど定かだ? この若者がお前の頭に何も細工をしていないと?」

 その瞳がわずかに横へ、後ろへ――そのテレパスへ――ほんの一瞬揺らいだ。その僅かな隙間だけで、僅かな疑いだけで、ひび割れを少し広げるには十分だった。そしてその僅かな時間の内に、我は突撃し、その一秒の何分の一かに、その男の体重が後ろの足にかかった。

 戦いの中、このような瞬間というものがある。時が静止する。闘争の喜びが感覚と時の流れを圧倒する。身体を組み打ちの体勢にし、男は我へと突進してきた。だがその攻撃は高く隙があった。目が合った時、我はこの男の顔にも同様の喜びを見ることができた。この男は我と同じく、実に戦いを愛している。良いことだ。他では感じえぬ喜びだ。

 この男は体勢を低くして激突しようとしたが、我も身構えていた。足払いを仕掛けられたが、我は無傷の翼の羽ばたき一つでこの男の上に飛び上がると手の鉤爪で切りつけた。男はその攻撃を盾で遮り、だがその衝撃に想定よりも一歩大きく後ずさった。そして男は爆発的な勢いで我に迫った。低い姿勢を保ち、我は余裕をもってそれを受け止めた。我は体重と力で勝るが、この男は敏捷に優れており低い重心がある。正確な攻撃の型こそわからぬが、次にどのような攻撃が来るかは十分予測できるほどにはわかるものだった。

 我はこの男に糸口を与え、敵はそれを受け止めた。男は脚を我が膝に絡めて圧迫を始めた――完璧な組技と関節固め。我はこの男よりも重量があるが、それでも僅か数秒で我が膝は破壊されるであろう。

 固く掴み合う中、我はその数秒を用いてこの男の右腕を確保し、我が首の後ろで固め返した。我等は泥、血、塩水、脳漿、そして更に悪いものの飛沫を上げながら支配をもがいた――そしてこの男は我よりも優れた格闘術の使い手であった。膝が悲鳴を上げ、病的な衝撃が我が身体に脈動した。しかしながらこの男にとっての難題は、それで戦いが終わると予期していたことだった。だが実際、膝が砕けるというのは我がこの数時間に経験した感覚でも三番目に悪いものに過ぎなかった。

 我は無傷の足と優勢な体重を用いて、この男を地面に押しつけた。男は歯を食いしばり、その顔には我を、我等を、この惨めに破滅する世界を覆うものと同じ泥が跳ねた。男は肩を壊されぬようそこに集中を固めた。だが組み伏せたのは我だった。組み伏せ、この男もそれを知っていた。


アート:Cliff Childs

「ゼンディカーのために戦うと言ったな? この滅茶苦茶にされた、世界の糞山のためにか? ならば、それがお前にどう報いるかを思い知るがよい!」 我はこの男の顔を泥水に強く叩きつけた。男は激しくもがき、泡を立てて咳き込みながら息をしようと足掻いた。その手が泥の中に滑り落ち、我はこの男の絶望と怖れを感じた。

 無益に抵抗しながら。

 そして溺れ始めた。

 不死身の肉体も、僅かに顔が浸るだけの泥水の前には無力。

「これがゼンディカーだ! 苦痛と荒廃と汚物! これこそがゼンディカーだ!」 男は今一度震え、そしてその身体は力を失った。

 我はもう一拍の間この男を掴んでいた、そして手を放し、水飛沫と共に男を翻した。

「これがゼンディカーだ」 我は囁いた。「お前の戦いは終わった」

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