MAGIC STORY

ブルームバロウ

EPISODE 05

第5話 噴水港の黄昏

Valerie Valdes
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2024年7月8日

 

ヘルガ

 噴水港は、渓間でも最大の池の上にそびえ立っている。玉座の間の上にあるユリの彫刻から魔法で流れ出す優美な水の尖塔は、ふもとのタッドプール港湾地区に到着するずっと前から見えていた。各階層がそれぞれひとつの芸術作品であり、石鹸石を彫って作られた 3 つの水盤には、花弁や打ち寄せる波、様式化されたカエルフォークの顔といった曲線的な意匠が施されていた。街の下にある大きな落とし格子から波止場へとアニマルフォークたちの波が間断なく流れ込み、グラルブ王自身が後援あるいは直接支援する年中の祝祭に誰もが参加したがっていた。

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アート:Leon Tukker

 かつての師を思い、ヘルガは少しの不安と山盛りの羞恥を抱いた。街の最下層の更に下にある水上市場にて、水に濡れた木材と丸い窓が入り乱れる飲食店や商店を仲間たちが眺めている間、ヘルガは心の泥沼の中でもがいていた。家ほどもあるガラスの泡に囲まれた青い光が、強力な魔法によって水の天井に揺らめく様子を仲間たちが見つめている間、ヘルガは攻撃が振り下ろされる時を待つかのように身を屈めていた。

 「ここは途方もない場所だ」フィニアスは畏敬の念とともに言った。「三本木市の方が大きいかもしれないが、ここを見ていると首がねじれて切れそうだよ」

 「俺はもっと水が少ない方がいい」ゲヴが苛立つように言った。「これが終わったら、永久燃えの樫で休暇にするかな」

 「観光の前に仕事だ」ラルが言った。

 ほうきを持ったカワウソフォークが青い羽根のバードフォークを追いかけており、メイブルは彼らを避けた。「どこから始めればいいのでしょう。残虐爪のことを尋ねて回ることはできるけれど、仲間にかくまわれているかも」

 ヘルガは息を吸い、止め、そして無理やり吐いた。「その、もしかしたら、グラルブ王に会いに行って、力を貸して欲しいって言う……ことも、できるかも、しれません」

 「そうです!」メイブルが言った。「王様の弟子だったのですよね」

 「はい、でも私たちは……最高の形で別れたわけではなくて」

 「そいつに殺されそうになったのか?」ラルが尋ねた。

 「そんなわけはありません!」

 「何か盗んだとか?」

 「一度もありません!」

 ラルは肩をすくめた。「じゃあ大丈夫だろ。そいつに会うにはどうすればいい?」

 ヘルガは両腕で肩を抱きしめた。「手続きとしては、王の補佐官に面会をお願いすることになります。王は普段は忙しいのですが、このような状況では、何が起こったのか知りたいと思うはずです」

 「案内して下さいな」メイブルが言った。

 カエルフォークの織り手に、最上階へのポータルを開けてくれと頼むこともヘルガは考えた。だが遠回りの方が景色が綺麗で、それに……避けられない事態を遅らせることもできる。彼女は階層の中央、水たまりの上に設置されたガラスの昇降機へと皆を案内した。滑らかな青色の生地でできた制服をまとい、それに調和する帽子をかぶったカエルフォークやカワウソフォークが操作のために立っていた。十分な数のアニマルフォークたちが集まると、その係員は昇降機を上の階へと押し上げるために水へと魔法を流した。

 彼女たちは円盤の上で、ゆっくりと揺れながら昇っていった。ヘルガは青みがかったガラス越しに下を覗いた。桟橋と睡蓮の葉の間を漂う船は小さくなり、屋根は次第に見えなくなり、やがて天井の下に漂う泡に隠れた。階層を隔てていた魔法の水が分かれ、すぐに下層と同じような池に到着したとわかった。

 「上がりますか、それとも降りますか?」係員が尋ねた。

 「上がります」ヘルガが返答した。

 上昇とともに眼下の風景は変化していった。この階層の水盤の中は円形に区切られており、着色ガラスや磁器のように薄い石鹸石でできたドームがそれぞれの上に座していた。カエルフォークはこういった建築様式を好む。それらの間を滑るように進む船は更に優雅で、精巧な彫刻と豪華な装飾が施されていた。銀糸で刺繍された帆を誇らしくひるがえすものもあれば、水の魔法で推進するものもあった。

 やがて、彼女たちは最上階に到着した。ありふれた建築方法にさらなる魔法が加わった――ガラスではなくゆらめき流れ落ちる水の壁、色彩は石鹸の泡のように虹色を帯びて移り変わる。幾つもの小さな噴水は中央の巨大なそれを模していた。そこにあるグラルブ王の玉座の間は噴水港全体だけでなく、それを取り囲んで広がる池全体を見渡すことができるのだ。

 「息を呑むほど美しい景色です」昇降機から降りながらメイブルが言った。

 「その感想は、僕が姉妹たちに話すまで取っておいて欲しいな」フィニアスが囁いた。「僕の話を信じてくれないだろうからさ」

 ヘルガは遠くの森や山々、花や作物のキルトのように広がる平原をバードフォークの目線で楽しもうとした。だがそれはできず、迫りくる対面に彼女は震えていた。グラルブ王は自分のことを覚えているだろうか? 沢山いる弟子の中のひとつの顔として、離脱も気にされず、名前は忘れられているだろうか。

 それとも、王は自分を追放した理由を詳細に覚えているだろうか。

 控えの間では金色の睡蓮の葉の上や花弁で覆われた長椅子にアニマルフォークたちが寝そべり、あるいは澄んだ水の中で泳いでいた。王の補佐官が――背の高い乳白色の帽子とローブがその証だ――近づき、丁寧にお辞儀をした。

 「御用件をお伺いしましょうか?」補佐官は尋ねたが、その口調からして要望には絶対に応えられないことが察せられた。

 返答までに時間がかかりすぎたに違いない――メイブルが鼻を鳴らし、肘でヘルガを突いて催促した。

 「グラルブ王に謁見したいのですが」自分の声が小さすぎないことを、慌てすぎていないことをヘルガは願った。

 補佐官は微笑みを浮かべた。「本日の陛下はご気分がすぐれず、明日もおそらくは。ですが来週には……」

 「ヘルガさんは王様の弟子だったんです」メイブルが口を挟んだ。「少し早くお会いして下さることもあるのでは?」

 「弟子?」補佐官はヘルガを先程よりも鋭く見つめた。「だとしても、いや……お待ちください、ヘルガさんと仰いましたか?」

 ヘルガの胃袋が縮み、足指の水かきの間に隠れるほどだった。

 「緊急事態なのです」メイブルは主張した。「大混乱が起こる可能性を避けるために、王様と直接話し合いたいのです」

 「大混乱?」

 「災厄の獣についてです」

 「災厄の獣?」補佐官は甲高い声をあげ、その両目が飛び出した。「かしこまりました。すぐに戻ります」彼は玉座の間へと跳躍していった。

 「ヘルガさん」メイブルの声は、失望しつつある親のそれのようだった。「具体的に何をして、見習いをやめさせられてしまったのですか?」

 自身の無能さから身を守るように、ヘルガは杖を握り締めた。「事故が……あったんです。初めてじゃなくて……私、ずっと集中するのに苦労してきて。でもあの時は本当にひどかったんです」

 「君が思っている程ひどくはないんじゃないかな」フィニアスが励ました。

 「水柱の魔法を練習していた時でした。グラルブ王の補佐官がブヨの群れを放って、私たちはそれを水柱で攻撃することになっていました」

 「何か別のものに当たったのか?」ラルが尋ねた。

 ヘルガは顔をしかめた。「私の水柱は、王様に当たってしまったんです。正しくは、王様の杖に。私、別の方向を見ていて、それで……いえ、それは問題ではありません。私たちはその層の端の近くにいたので、杖が落ちたんです」

 「まあ」メイブルが言った。

 「私は杖の下と、自分の隣にポータルを開きました。落ちてきた杖を受け止められるように」ヘルガは目を閉じた。「ですが王様がそこに立っていて、杖を捕まえるために水の鞭を放っていたんです」

 ラルは息を詰まらせるような音を立てた。

 「……なので、王様はポータル越しに水の鞭でご自身を打ってしまったんです。そして杖が王様の頭上に落ちてきました。ものすごい速さで……」ヘルガは言葉をのんだ。「脳震盪から回復するまでに何日もかかりました。そして杖は折れてしまいました」

 「ああ、ヘルガさん」メイブルは彼女の腕を軽く叩いた。「過去の恥ずかしい出来事にこだわってはいけませんよ」

 「そんなの、無理です! 私は何もうまくできないんです。前回魔法を使った時だって、メイブルさんを落としそうになったじゃないですか」

 「厳密に言うと」ゲヴは瞬膜でまばたきをした。「前回の魔法は、あのドラゴンホークから逃げる時に雨を防いでくれたやつだけどな」

 ヘルガは反論しようと口を開いたが、閉じた。ゲヴの言う通り、あの呪文は正しく使いこなしていた。「それでも、たった一度だけです」

 「あの占いは?」フィニアスが尋ねた。「あれも上手くいっただろう」

 「誰だって完璧ではありませんよ」メイブルが言った。「私が目くらましの剣技を初めて試した時なんて、アザミに正面衝突してしまいましたから」

 「でも今のメイブルさんは! 素晴らしい方です、けれど私はずっと……私です」これ以上の悲しみや憎しみが漏れ出ないよう、ヘルガは唇を噛み締めた。

 「ヘルガさん、あなたは自分自身を許してあげなければいけませんよ」メイブルが優しく言った。「過去は私たちが何者であるかを教えてくれますが、私たちを定義するわけではありません。未来を見て、もっと明るい道を見つけてください」

 そんなに簡単だったなら――ヘルガは惨めにそう思った。それは、水の階段の呪文のようなものかもしれない。一歩ずつ登っていけば、すぐに最初よりも高い所に辿り着ける。けれど、落ちる距離も長くなる……

 あの補佐官が戻ってきて、彼女たちを玉座の間へと案内した。その場所は魔法の水柱に囲まれ、石鹸石の花とその上の水の尖塔を支えていた。水盤には睡蓮の葉が敷き詰められ、何枚かは水面よりも上に伸びて日陰や席を提供していた。睡蓮の花は乳白色から日の出の桃色まで様々な色に咲き、それらの中心には小さな太陽のような明るい黄色の花糸が見えていた。部屋の奥には繊細な花模様を施された巨大な玉座が置かれており、絹のローブをまとった王がヘルガをあからさまな軽蔑の目で見つめていた。

 「放蕩者の弟子の帰還か」グラルブ王は低く響き渡る声で言った。「災厄の獣の知らせを持ってきたと聞いたが?」

 「はい」ヘルガはかすれた声で答え、そして咳払いをした。「マーハが私の村を襲ったので、助けを求めに行きました。そして私たちは……」

 「それは悲しいことだ」グラルブ王は拳に顎を乗せた。「だが、そのような災難の予測は不可能だ。そうでなければ占い師など必要ない」

 「私の村だけではありません。夜のフクロウは他の村も破壊し、洪水のガーは三本木市の港を水没させました」

 「残虐爪と呼ばれるイタチフォークが災厄の獣の卵を盗んだのです」メイブルが説明した。「それが襲撃の原因だと私たちは信じています。そして彼とその傭兵たちを追跡して、この噴水港までやって来ました」

 もし王を見つめていなかったら、ヘルガは王の視線の動きに気づかなかったかもしれない――玉座の左。そこでは葉の衝立が奇妙な形で置かれており、その背後からかすかな光が放たれていた。

 「その者を追って来たというのか?」グラルブ王は尋ねた。「他にもそれを知る者はいるのか?」

 「とある伝承者の集団が知っています」メイブルが言った。「彼らも卵を探しています」

 グラルブ王は指を組んだ。「確かに由々しき問題である」

 ヘルガは衝立をじっと見つめ、その下の水を経由して感覚を伸ばした。背後にあるものは強力で、心臓の鼓動のように魔法を脈動させていると感じられた。

 メイブルは続けた。「卵が見つかれば、それを元の場所に戻して、攻撃を止めることができるかもしれません」

 「我はむしろ……異なる解決策を考えておる。そなたのような無邪気なマウスフォークには理解できないであろうが、時には大義のために犠牲を払わねばならないこともあるのだ」

 「犠牲、だって!?」フィニアスが叫んだ。

 「大義の……ため?」メイブルはゆっくりと繰り返した。

 冷たく、だが燃えるような恐怖がヘルガの四肢に流れた。彼女は水の触手で衝立を倒し、その背後に隠されたものを露わにした。

 飾り立てた格子状の巣の中に、巨大な卵がひとつ座していた。ビロードにも似た青い殻の表面には、輝く斑点が星のようにうねっていた。

 「災厄の獣の卵?」衝撃にヘルガはふらついた。「王様の所に!?」

 「そう願う」グラルブ王は答えた。「残虐爪に大金を払い、ここへ持って来させたのだ」

 赤いコートをまとうイタチフォークが玉座の背後から現れた。その姿はカフィーの呪文で見た映像と全く同じだった。片目には傷が走り、ベルトからはレイピアが下げられていた。「ダイアシェイド社は契約を履行する」残虐爪は石灰岩の表面のように粗い声で言った。

 「わかるかね、小さきヘルガよ」王は続けた。「魔法を正しく編んだなら、あの卵の内にある災厄の獣を制御できるのだ。想像してみるがよい――季節の急激な変化や干ばつ、疫病に悩まされることもなくなる。我らが勇士が渓間の全アニマルフォークを守護し、我が命令で他の災厄の獣を撃退するのだ」

 ヘルガは必死に怒りを抑えた。「そのために、沢山の破壊を引き起こして……私の村だけじゃなくて、他の村も。三本木市は洪水に襲われたんですよ! 災厄の獣は危険すぎます、誰にも制御なんてできません。王様は、心のない怪物と化した昔の織り手のようになりたいのですか?」

 「歴史は我が行いを正当化するであろう」グラルブ王はあざ笑った。「我は現実主義者として……いや、平和と繁栄の新たな時代を導いた先見者として記憶されるであろう」

 「恐怖心が良識を上回ってしまったのですね」メイブルが言った。

 「目的が手段を正当化するとは限らない」ラルが付け加えた。「俺にはよくわかるんだ」

 グラルブ王は手を振ってそれらの言葉を払いのけた。「そなたらの意見など問題ではない――言い続けられるほど長くは生きられないであろうからな。あるいはそなたらをどこか深い穴にでも閉じ込めておくのが良いか。我が計画が実現した際に悔い改めることができるように」

 「試してみてもいいわよ」メイブルは剣の柄に手を触れた。

 「我に逆らうとは、何様のつもりだ? 農夫の一団に落第した織り手、それと……」王はラルをじっと見つめた。「腕のそれは一体何だ? ふん、どうでも良い」そしてその両目が池の深みのように青く輝き、ヘルガたちの身体に水の縄が巻き付いた。「残虐爪、この厄介者どもを片付けろ」

 「ダイアシェイド、こいつらを捕まえろ」残虐爪が命令すると、武装した多数の傭兵たちが横の部屋から現れた。しなやかだが切れそうにない縄にヘルガは抵抗した。

 ゾラリーネが目を覚まし、伸びをしようとした。「なぜわたくしは縛られているのです?」

 「呪文で私たちを解放できますか、ヘルガさん?」メイブルが尋ねた。

 グラルブ王は笑い声を響かせた。「我が魔法にヘルガの魔法が打ち勝つと? 馬鹿げた話だ。その者は単純な魔法すらほとんど扱えぬ。織り手としては完全に落第だ」

 何度も繰り返した自虐と同じ言葉をかつての師から率直に聞かされ、ヘルガは殴られたような衝撃を受けた。彼女は膝をついた。欠点をあざ笑うかのように、水が締め付けた。

 「ヘルガさん、あんな言葉を真に受けてはいけません」訴えかけるようにメイブルが言った。「あなたの占いがなければ、私たちはここにいなかったのですから。諦めなければ、落第ではありません!」

 そのマウスフォークの漆黒の瞳をヘルガは見つめた。初めて会った時から信頼してくれて、疑う者や批判する者から守ってくれて、努力を続けるよういつも励ましてくれた。自分の心の中の声が何と言っているかは問題ではない。家族すら一度だって支えてくれなかったことも、グラルブ王に馬鹿だと思われていることも問題ではない。メイブルは自分を信じてくれたのだ。力を必要としてくれたのだ。

 ヘルガは簡単な呪文を数種類知っているだけだったが、時に些細な魔法でも十分に大きな効果を発揮する。

 残虐爪が剣を抜いて近づいてくると、ヘルガは彼の足元に集中した。その下に、彼女は水の階段の呪文を織り上げた。顎を勢いよく持ち上げ、ヘルガは残虐爪をグラルブ王の方へと滑らせた。王は衝突を防ごうと両手を挙げた。魔法が途切れ、水の束縛は玉座の間の床へと溶けていった。

 メイブルが剣を抜くと、その刃が橙色に燃え上がった。ゲヴは鎚を取り出し、その先端で炎が踊った。フィニアスは3本の矢をつがえ、ハグスは背筋を伸ばして首を鳴らした。ゾラリーネすら翼を広げて威嚇し、軽蔑するように鼻を高く上げた。

 「さあ、やりましょう」ヘルガは回転する水の盾を自分の周囲に作り出した。「農民の集団に何ができるのか、王様に見せてあげましょう」


メイブル

 ヘルガの大胆な宣言を誇りたい気持ちはあったが、メイブルはその感情を心の奥にしまい込むとこれからの戦いに集中した。グラルブ王の狂気の計画を阻止し、仲間を――いえ、友達を守り、グッドヒルの家族の元へ帰らなければならない。

 ラビットフォークの傭兵が、腕の長さを生かそうと槍を突きつけてきた。メイブルは横に避けるとともに輝く刃で槍の柄を切断し、槍先が床に飛沫を上げた。そしてナイフの連打と杖の一撃を避けた。魔法で動きをぼやけさせた彼女に、攻撃はどれも虚空を切るだけだった。

 戦いながらも、メイブルは他の者たちを見守っていた。ハグスとゲヴはうなり声を上げる一組のラクーンフォークと対峙していた。敵の片方は棘付きの拳で殴りかかり、もう片方は茶器や尖らせたムラサキイガイの殻、滑らかな石といった様々な物体を旋風のように魔法で巻き上げていた。ハグスはそれらの飛来物を宙で払いのけ、あるいは受け止めて投げ返した。ゲヴはハグスの肩から飛び降り、燃え上がる鎚を物騒な 8 の字に振り回した。ラクーンフォークの飛び道具は焦げて燃え尽き、あるいは鋭く小さな破片に砕け散った。

 頭上ではゾラリーネがバードフォークと空中戦を繰り広げていた。相手は中央の柄から 2 本の刃が伸びた物騒な剣を振り回していた。ゾラリーネは回避し、上昇中に翼を後ろにひねってその場に停止し、敵が通り過ぎるのを待った。彼女は鋭い悲鳴とともに祈りの魔法を放ち、相手を水盤の先へと吹き飛ばした。

 スカンクフォークがフィニアスを追いかけたが、フィニアスは素早くジグザグに動いて回避していた。スカンクフォークは魔法で腐敗の飛沫を放ち、敵も味方もその悪臭によろめいた。フィニアスは後方に跳びのきながら3本の矢を放った。それらの先端には棘の生えたイガがついており、毛皮に覆われた尻に突き刺さった。敵は驚きと痛みに悲鳴をあげた。

 ゲヴは悪臭の雲に向かって炎を吐き、それは火の玉となって燃え上がると消えていった。「お前にも縞はあるけど、シマシマ愚連隊にはふさわしくないね。悪名が広まるだけだ」彼はそのスカンクフォークへと息を鳴らした。

 ラルはため息をつき、飛びかかってきたリザードフォークへと稲妻を放った。相手は跳ね返って不器用に水中へと落下し、鱗の鎧から煙が一筋流れ出た。ラルは呟いた。「いつだって戦いになるんだよな」

 グラルブ王は災厄の獣の卵の前に立ち、残虐爪は殺意の視線を向けてメイブルへと迫ってきた。

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アート:Christina Kraus

 「お前がどんな奴かはわかってる」首を鳴らし、残虐爪はかすれた声で言った。「腹を空かした盗賊を撃退したことがあるからといって、自分は英雄だなどと思うなよ。そうじゃない。俺は仕事だが、そっちは趣味だろう。俺は戦士、お前は農民だ。命があるうちに逃げて、もっといい選択をしろ」

 メイブルは言い返した。「私は農民じゃありません。お菓子を焼いて生きているのです」

 残虐爪はレイピアを鋭く突き、メイブルは横に避けた。次の一撃は盾で受け流した。細い剣は弾かれ、刺激臭のある緑色の筋が表面に残った。毒。もし命中したなら戦いは即座に終わるだろう――こちらに不利な形で。

 イタチフォークは容赦なく剣を振るい、純粋な悪意とともに斬りつけ、突き刺した。メイブルは相手が疲れるのを期待して回避し、身を霞ませた。当初はぼんやりと光っていた彼女の剣は今や明るく輝き、炎の爪で宙を断つかのように橙色の筋を残した。それでも残虐爪は切り裂き、突き刺し、まだ何時間でも戦えるかのように呼吸は乱れていなかった。

 メイブルは左に避け、だが一瞬後には元の場所に戻っていた。グラルブ王がポータルを開いており、そこに突っ込んでしまったのだ。残虐爪の刃がメイブルの頭をめがけて振り下ろされ、彼女は剣と盾を掲げてその一撃を防ごうとした。すんでのところで刃と刃が、柄と柄がぶつかり合った。残虐爪は力を込め、毒の塗られた刃先がメイブルの顔へと、首へと近づいていった。今にも殺されてしまうだろう。

 『ママはいつだって僕の英雄だよ』――記憶の奥底からクレムが語った。

 『ママは英雄になりに行くんだよ、ピップ』フォギーの声も。『ママは冒険をして、剣で戦って、魔法を使って、そして帰ってきたら全部お話してくれるんだから!』

 自分の物語を今終わらせるわけにはいかない。渓間のために、ブルームバロウすべてのために、グラルブ王の思い通りにさせてはならない。家族の手が自分のそれに重ねられ、彼らの腕が力を貸してくれるように感じた。

 メイブルの刃から炎がほとばしり、焚火の中心のようにまばゆく輝いた。毛皮を焦がされて残虐爪は息をのみ、よろめきながら後ずさった。見える方の目に恐怖がきらめいた。メイブルが描いた炎の弧が襲いかかり、残虐爪は水盤の端にまで追いやられた。焼死か、落下死かの瀬戸際。メイブルは手首をひとひねりして相手の武器を落とした。レイピアは遥か下の澄んだ水面へと消えていった。

 残虐爪は歯をむき出しにし、うなり声を向けた。「やれよ、菓子屋。終わらせろよ」

 刃のルーンが閃いた。殺すことはできる。けれど、そうするべきだろうか? それが子供たちに伝えたい物語だろうか? 違う。

 「命があるうちに逃げなさい。もっと良い選択をしてください。悪行ではなく善行をするのに遅すぎるということはありません」

 残虐爪の反論は、しわがれた叫び声が上がったことで無視された。グラルブ王の手が宙に複雑な模様を描き、その目の前ではヘルガが氷の塊から逃れようと必死に抵抗していた。

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アート:Johan Grenier

 正義の怒りがメイブルに満ち溢れた。彼女は剣を振り回しながら王へと迫った。この炎で王が動転すれば、魔法を中断させられるかもしれない。一筋の線ではなく、巨大な炎が刃から燃え上がった。跳躍途中の狼のようなその姿は、本当にそこにあったのかと彼女が疑うほど素早く消えた。

 グラルブ王は恐怖の叫び声とともに両腕を振り上げた。メイブルは数歩でヘルガの隣に辿り着き、炎の刃を凍った塊に突き刺した。それは湯の中の砂糖のように溶けた。

 震えながら、ヘルガは盾を掲げたメイブルの横に立った。グラルブ王は平静を取り戻し、足元の水を台座にして自身を宙に持ち上げた。そして楽団を指揮するかのように左右に身振りをすると、台座から釣り糸のように水流が弧を描いて流れ落ちた。水流の先端は鉤状に曲がっており、メイブルたちを小魚のように捕らえようとしていた。

 王の頭上には嵐雲が集まっていた。

 「お前に本物の未来視が少しでもあったなら!」グラルブ王は怒鳴った。「新たな渓間の誕生を共に祝うこともできたであろうに」

 「骨と灰だけの渓間です!」ヘルガは叫び返した。「誰がそんなものを祝うというのですか?」

 雲が暗くなり、太陽を覆い隠した。風は穏やかな微風から荒れ狂う強風へと変化した。

 グラルブ王の釣り針が台座の周囲に回転を始めた。「お前のような落伍者には我が才覚など理解できぬ!」

 ラルがメイブルにそっと近づいた。「ひとつ問題がある」

 「ひとつだけですか?」

 「でかいやつだ」

 「これで終わりだ!」グラルブ王が叫んだ。

 落とされた皿のように、稲妻が空を裂いた。行き交う電撃の間から、すさまじい轟音とともに嵐の鷹が現れた。それは四枚の翼を折り畳み、王に向かって槍のように急降下した。

 グラルブ王はポータルの中に姿を消し、一瞬の後に死の爪がその場所を引っかいた。この新たな敵にアニマルフォークたちは逃げ出し、個々の戦いは終わった。メイブルはヘルガを比較的安全な、大きな屋根に覆われた玉座へと引きずっていった。ラルもすぐ後ろについた。

 「前と同じ呪文を試してみることはできますか?」メイブルは彼に尋ねた。

 「それは多分よくない考えだ。あの水の塔に電撃を浴びせたら、噴水港で水に触ってる全員が感電するかもしれない」

 「ですが、それは鷹も同じです」

 ラルは空を見つめた。「嵐を鎮められるかどうか、試すことはできる。あのドラゴンが嵐を起こし続けるなら、エネルギーを浪費させられるかもしれない」

 「できるだけお願いします」メイブルの剣が脈動し、熱が腕から身体へと流れ込んだ。これは自分の戦い。友達と街を守るのだ。

 メイブルは屋根の下から飛び出した。咆哮で大気を切り裂きながらその生き物は急降下し、水盤の端から飛び降りたバードフォークをかすめた。ドラゴンホークに近づくのであれば、もっと高い場所へ行かなければ。

 あれだ。石のユリ。

 「ヘルガさん!」メイブルが呼びかけた。「階段の魔法を!」

 剣で指し示すと、ヘルガの表情に理解が浮かんだ。ユリを支える魔法のアーチのひとつから水の階段が滑り出た。メイブルはすぐさま近づき、登り始めた。

 石の花に近づくと風が鎧を引っ張り、水滴が叩きつけた。雷鳴が轟き、メイブルは炎の剣を掲げた。自分を攻撃しろという、嵐の鷹に向けたあえての合図。

 両目を稲妻で輝かせ、鉤爪を伸ばしてそれは急降下してきた。道理を突きつけるか、自分が死ぬか。メイブルは覚悟を決めた。

 ひとつの金切り声が空を裂き、ドラゴンホークは逸れた。新たな敵の攻撃――マーハ、夜のフクロウが闇の緞帳をたなびかせていた。

 きらめく星々を宿した青黒のリボンが灰色の雲を切り裂いた。二羽の巨大な猛禽は互角に渡り合いながら、稲妻が駆ける空を舞った。だが災厄の獣は鷹の動きを予期しているようで、熟練の動きで相手を誘導すらしていた。輝く青緑色の模様がぼやけて宵闇の流れとなり、旋回し、追跡し、雲の向こうの月のように消え、そして再びドラゴンホークの前に現れた。

 容赦なく、悪天候は晴れた夜空へと変わった。夜のフクロウの鉤爪が嵐の鷹の尾羽に掴みかかり、一枚をもぎ取った。驚きかあるいは痛みに、その生き物は鋭く甲高い咆哮をあげた。ドラゴンホークは四枚の巨大な翼を羽ばたかせ、星が散りばめられた空へと舞い上がった。すぐにその姿は見えなくなり、嵐もまた痕跡すら残さずに消え去った。

 夜のフクロウは追いかけなかった。水盤の端に着地し、眩しく輝く瞳でメイブルを見つめていた。そこには期待があった。

 その瞬間、メイブルは正しく理解したように感じた――何が起こったのか、そしてそれをどうすれば正すことができるのか。

 彼女はヘルガの呪文で作られた水の階段を駆け下り、魔法の巣に安置された巨大な卵を目指した。それを運ぶのは大変だった――メイブルよりも大きく、驚くほど重い。じっと動かず、まばたきすらしない夜のフクロウへと、メイブルはその貴重な大荷物を慎重に運んでいった。

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アート:Justin Gerard

 やがて、メイブルは災厄の獣の目の前に立った。相手が望むなら、恐ろしい鉤爪で掴むことも、一口で飲み込むこともできるだろう。トンボの羽ばたきよりも激しく心臓を脈打たせながら、彼女は卵を相手へと差し出した。

 「あなたのものよね?」メイブルはそう呟いた。「心配で気が狂いそうだったのでしょう? きっと私もそうなるわ」

 相手は自分の言うことを理解できるのだろうか? 嵐や、野火が理解できるのだろうか? メイブルに確信はなかったが、理解してくれると願った。

 夜のフクロウはそっと卵を受け取った。底の知れない両目は和らぎ、羽は力を抜いた。沈黙を保ったままそれは大きな翼を広げ、一陣の涼しい風に乗って空へ飛び立った。その軌跡の暗闇からは、悪意よりも安らぎが感じられた。バットフォークの領域や光を放つ昆虫、甘い香りで夜を祝福する花々のように。

 「どうして分かった?」ラルが尋ねた。

 「わかったわけではなくて。でも、私は家族を守るためにここまで卵を追ってきたんです。そうであれば、その逆もできない理由はありませんよね?」

 ラルのひげが引きつるように動いた。「君から聞いた言葉の中で、一番母親らしいやつかもしれないな」

 「もっとそれらしいことも言えますよ?」メイブルは仲間たちと残虐爪の傭兵団の残党たちに向き直り、玉座の間に響く声を張り上げた。「さあ皆さん、この混乱を片付けましょう!」


 グラルブ王は近辺から逃亡しただけでなく、噴水港から完全に姿を消してその行方は知れなかった。残虐爪も逃亡し、その手下たちは降伏するか、あるいは同じく逃げた。当局は卵泥棒の捜査と正義を約束したが、災厄の獣の脅威が解決したことで、物語における自分の役割は終わったとメイブルは考えていた。

 キャベツの車がひとつ徴収され、一行を家まで運ぶことになった。とても大きく、ハグスが悠々と乗れるほどだった。カワウソの船よりも揺れは少なく、それは蜘蛛のような脚でグッドヒルへと続く街道を駆けた。全員の中でもラルは不安を感じ、キャベツが腐って窒息しやしないかとメイブルに何度も尋ねた。それは大丈夫だと彼女は保証した。

 「かなりの冒険だったよ」耳を掻きながらフィニアスが言った。「でも、家に帰れて嬉しいね」

 「シマシマ愚連隊は新たな功績をまたひとつ加えた」ゲヴが言った。「俺も尻尾を失うこともなかった。あの時は……」

 ハグスが低いうなり声を挟み、ゲヴはすぐさま口を閉じた。

 ゾラリーネはあくびをした。「夜になりましたら、わたくしが町へ知らせに向かいますわ。そうすれば、わたくしたちが帰ってくると皆様おわかりになるでしょうから」メイブルが返事をするよりも早く、そのバットフォークは眠りに戻った。

 ヘルガは憂いに沈みながら、過ぎ去る風景を見つめていた。メイブルにカエルフォークの黙想を邪魔する気はなく、そのためラルに注意を向けた。

 「これからどうするのですか?」メイブルは尋ねた。「あなた自身の探求はまだ終わっていませんよね」

 「到着までは付きあうさ。そこから先はまだ決めてない。あのはぐれドラゴンの件を皆に伝えないといけないか」

 「旦那様に?」

 「誰よりもな」

 その感傷を、メイブルはよくわかっていた。「早くその方の所に戻れるといいですね」

 ラルの目に火花が輝き、だが彼は何も言わなかった。

 残りの道は無為のお喋りと静かな思索、そして旅の終わりへの高まる願いに費やされた。

 出発してから二度目の日没が近づく頃、グッドヒルの外れが見えてきた。緑の野原や風車、バットフォークの塔は、愛おしく馴染みのある光景だった。さらに愛おしいことに、町民たちが道沿いに並び、手を振ったり鍋やフライパンを叩いたりして、彼女たちの到着を即興の行進のように出迎えてくれていた。多くの町民がメイブルの家の外に集まり、彼女と仲間たちがキャベツの車から降りると騒々しい歓声を上げた。ピップとフォギーは母親に飛びつき、クレムとロザリンは玄関で辛抱強く待っていた。彼女たちの上には「おかえりなさい ママ」と書かれた看板があり、その下には「ほかのみんなも」と後からぞんざいに付け加えられていた。

 「会えなくて本当に寂しかったわ」メイブルは夫と娘を抱きしめ、かすれた声で言った。

 「仕方ないさ」クレムが言った。「次は僕たちも一緒に行くから、会えなくなることはないよ」

 メイブルは返答の代わりに鼻と鼻をこすりつけた。

 「看板をかけるのを手伝ったんだよ!」ピップが叫んだ。

 「また目を突っつかれたんだけど」フォギーは不満を漏らした。

 ロザリンは呆れたようにかぶりを振り、クレムは目で笑ってメイブルを抱きしめた。

 フィニアスは家族に連れ回され、姉妹たちは彼をめぐって大騒ぎだった。ゲヴはハグスの肩に腰掛け、息をのむ聴衆へと驚くほど正確に自分たちの物語を語った。ゾラリーネは彼らの横に立ち、翼を上げてあくびを隠すと透明なローブがひらめいた。

 オリヴァーの甲高い声が喧騒を切り裂き、彼は姿を見せようと手近な箱の上に登った。「勇敢なる英雄たちが勝利を収め、我らが村へ帰ってきたのです!」

 「やったね」クレムが呟いた。「また演説だ」

 その通り、オリヴァーは情熱的な独白を披露し、旅の詳細を自身の想像力で飾り立てた。テーブルの上には食べ物が並べられていたため、本気で聞き入る者はあまりいなかった。ロザリンはイチゴとルバーブのマフィンや、サクランボのジャムを添えたひまわりの種のスコーンが入った籠を持ってきた。出席者全員の皿と胃袋が満たされた。

 ヘルガは離れて立っていた。共に戦った者たち以外にとって、彼女は今なおよそ者だった。同じく部外者であるラルは近くで静かにしていた。彼はまたも誤って尻尾で誰かを殴ってしまい、苛立った表情をしていた。

 「あなたたち、お菓子は食べないの?」メイブルはピップとフォギーに言った。兄弟は一瞬迷ったが、結局メイブルから離れて焼き菓子を選んだ。メイブルはもう一度クレムを抱きしめると大勢の祝福者たちを避け、ぎこちなく佇むヘルガとラルのもとへやって来た。

 「食べたほうがいいですよ」メイブルはそう言った。「私の母が言っていました。お腹が一杯になれば悩みは消えるものです」

 「賢い言葉ですね」ヘルガは不安そうな笑みを浮かべながら答えた。

 「ご両親のところに戻るのですか、それともポンドサイドかヘイメドウへ?」

 ヘルガはためらった。「その……ここにいても、いい、でしょうか? 魔女として、天気を占ったり簡単な呪文を唱えたりします。皆さんがよければ。家族も受け入れてくれると思いますが、でも……」

 「理由なんていりませんよ」メイブルは優しく言った。「オリヴァーさんもきっと喜ぶでしょうね。町の住民に新たな英雄が加わって」

 「私が、英雄ですか?」ヘルガの不安そうな表情は、驚いたような、心からの笑顔に変わった。

 「お誕生日にはそう呼ばれますから、慣れないといけませんよ」そしてメイブルはラルへと問いかける視線を向けた。

 「俺は帰る」彼はぶっきらぼうに言った。「ベレレンは間違いなくここにはいない。マフィンを食べてる間に手がかりが頭に浮かぶわけでもないし」

 「確かに浮かびはしないかもしれません。ですが、少なくともマフィンは食べられますよ」

 ラルが言い返すよりも早く、ヘルガが息をのんだ。その両眼は太陽を映した鏡のように輝いた。そして彼女の口からこぼれた声は、まるで池の底から聞こえてくるかのような遠い響きだった。

 「暗中の王たちが帰還し、青の魔道士が終末をもたらすだろう」

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アート:Sam Guay

 両目から光が消え、ヘルガは何もなかったかのように瞬きをした。「何のマフィンですか?」

 ラルは笑い声をひとつ発した。「俺が間違ってたか。食べてもいなかったが」

 「暗中の王たち」メイブルは不安そうにつぶやいた。「どういう意味なのでしょう?」

 「答えを探さなきゃいけない問題ができたってことだ。最優先でな。ともかく、ヒントをくれてありがとうな」ラルは歩き去ろうとした。

 メイブルは彼の腕に手を触れた。「待って下さい。帰る前にお渡ししたいものがあります」

 詮索したそうなクレムを無視し、彼女は家の中へと駆けこんだ。そして屋根裏部屋まで行き、箱の中をかき回して探していたものを見つけた。戻ると、嬉しいことにラルはまだそこにいた。彼は苛立ちからか緊張した姿勢をとっていた。

 「あなたと旦那様に」彼女はそう言い、ヒイラギの葉が型押しされた鉄樹液のボタンを一組差し出した。自分とクレムの外套に仕立てようと思っていたが、時間を作れずにいたものだ。ラルは短く頷いてボタンを受け取り、家々の間を抜けてウーリータイムの花で紫色に染まった庭園を目指した。メイブルはその後をついていった。

 「いつでも歓迎しますよ」灰色のふさふさした葉を撫でながらメイブルは言った。「また一緒に旅をするかもしれませんね」

 「もっと奇妙なことも経験してきたが」ラルは答えた。「尻尾があるってことを気に入ったとは言えないな」

 えっ?

 ラルは夜空を照らす稲妻を弾けさせ、すぐに残像となって消えていった。そのためメイブルの質問は声に出されなかった。

 背後から悲鳴が聞こえた。彼女のわんぱくな子供たちが、衝撃の表情を浮かべて庭を見つめていた。

 「あのカワウソフォーク、消えたの?」メイブルの足を掴み、ピップが甲高い声を発した。

 「消えるわけないよ」フォギーが言った。「ポータルを作ったんだよ」

 ポータルについてよく知っているメイブルは、全く異なる何かでラルは消えたに違いないと思った。だが、子供たちを不安にさせたくはない。

 「いらっしゃい、いたずらっ子ちゃんたち」メイブルは兄弟を招き寄せながら言った。「私が冒険に出ている間、あなたたちは一体何をしていたのかしら?」

 母の視線と愛情に浸りたい子供たちは、競うように話を始めた。彼女たちはクレムとロザリンに合流し、彼らも同じく寄り添い合い、周囲のパーティーがますます盛り上がるにつれて尻尾が絡まり合った。やがて太陽は眠りにつき、深まる夜とともに月が目覚め、ブラックベリーの色をした空を流れ星が照らした。まるで願いが叶ったかのように――メイブルが我が家で心地良く過ごしていることを考えると、それは確かに叶ったに違いない。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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