MAGIC STORY

ブルームバロウ

EPISODE 03

第3話 失ったもの、見つけたもの

Valerie Valdes
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2024年7月3日

 

ヘルガ

 賑やかで華やかな演奏、名残惜しい見送りの言葉、そして勇敢な任務に挑む英雄たちに向けたオリヴァーの今一度の演説の中、一行はポンドサイドに向けて出発した。

 ヘルガはよく眠れていなかった。家に帰りたくてたまらず、そしてどうなっているのかが不安で仕方なかった。皆は瓦礫をより分け、家を再建しにかかり、残った作物や魚で揃いの食事を準備しているのだろうか? 夜のフクロウの攻撃が起こした混乱と恐怖はひどいものだった。けれど、その破壊は想像していたほどでもなかっただろうか?

 助けを求めに行ったことを感謝されるだろうか? それとも逃げたと非難されるだろうか?

 内なる不安とは対照的に、天気は心地よかった。露に濡れたヘルガの肌を日光が温め、綿毛のような雲が時折の日陰をくれた。ビート、ニンジン、カラシナ、カブの畑が整然と広がっていたが、やがてブルーベルやヤグルマギク、バターカップの草原に取って代わられた。長い草が頭上を交差してアーチを描き、そよ風に揺れ、タンポポの種は自身だけが知る使命を帯びて漂っていた。

 黒い毛皮のバットフォーク、ゾラリーネが星図を用いた地図を提供し、メイブルはそれを見て小川沿いの道を選んだ。白い縞模様が見事なアナグマフォークのハグスは、背中にゾラリーネを逆さまにぶら下げてのしのしと歩いていた。リザードフォークのゲヴは彼の横を跳ね回り、黒毛のラビットフォークであるフィニアスは最後尾につき、興味津々な様子で辺りへと目を輝かせていた。ヘルガは風変りなよそ者だった。その役柄は気まずい夢想家と同様に、楽しめるものではなかった。

 「それで、ヘルガさん」彼女の隣にゆっくりと近づき、フィニアスが尋ねた。「君の話を聞きたいね」

 「災厄の獣のこと、ですか?」

 「いやいや、君の生き方を!根から実に至るまで、君自身について教えて欲しいな」

 「ああ……」ヘルガは腕をさすった。「生まれたのは三本木市の近くの池なのですが、ある夏に干上がってしまって。それで家族揃ってウィローの近くに引っ越したんです。父方の祖父母はそこが満杯だと感じて、ポンドサイドに移りました。その時に私もついて行きました」

 「それは大きな変化だったんだろうね。離れてしまった家族に会いたいって思ったことは?」

 「あります」その返答にはヘルガ自身が驚いた。「ですが、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に過ごすのが私は好きだったので。私の絵や魔法の勉強を応援してくれましたから。他の家族は……私、皆をがっかりさせてばかりでしたから」

 「全員を満足させることはできないよ。まっすぐに伸びる茎もあれば、曲がって伸びる茎もある。けれどシチューにすればどれも美味しくなる」フィニアスは自分の冗談に笑った。「グラーブ王のもとで魔法織りを学んだと言っていたよね?」

 「はい、学びました」

 「葉っぱの旋風を起こして宙に舞う呪文を唱えられるのかい? 地面に穴を空けて誰かを落として、土を元通りに戻す呪文とかは?」

 「い、いえ、そんなことはできません」だいたいの単純で興味深い魔法は習得していたが、複雑な魔法織りはできなかった。魔法によって堕落し、心のない怪物に成り果てた織り手の話も少し怖かった。そうはなりたくはない、とはいえその可能性は低そうだった。何せ、あんな失敗のせいでグラルブ王に追い出されてしまったのだから。

 「フィニアス、尋問はやめなさいな」メイブルは軽い口調で言った。「自分のことを話してあげたら?」

 ふっ、とフィニアスは笑った。「僕はただの農夫さ。両親も、そのまた両親も、わかるかぎりずっと昔から。ずっとグッドヒルに住んでいて……一番端の農場の外に出るのはこれが初めてなんだ。僕なんてつまらない奴だよ、弓の腕前以外はね」彼は愛情を込めて武器を軽く叩いた。「正直に言うと、最初は志願する気はなかったんだ。けどこの旅は、自分の子供やそのまた子供たちに語れる物語になるんじゃないかってね。メイブルにはもう物語がある。ハグスにも。ゲヴと一緒に外森を越えた旅の話はしてくれないけれど」

 「シマシマ愚連隊の冒険を語らせてもらえるのであれば嬉しいね」ゲヴがヘルガの隣に現れて言った。メイブルはため息をついた。

 「しましまぐれんたい?」ヘルガは尋ねた。

 「ハグスと俺だよ。キキって名前のスカンクフォークも一緒だったけど、あいつはもういない」

 「お気の毒に。その方はいつ……亡くなられたのですか?」

 「ああいや、死んではいないよ。ラクーンフォークと恋に落ちて、てんとう虫を育てるために落ち着いたんだ」ゲヴは尻尾を振り回し、身体を上下に動かしながら話した。「で。俺たちが災厄の墓場を歩いてた時、リスフォークが骨を集めてるのを見つけた」

 「災厄の墓場に行ったのですか?」ヘルガはかすれた声で尋ねた。

 「二度な」ゲヴは胸を震わせた。「汚い場所さ。かわいいカエルフォークちゃんが行くような所じゃない。リスフォークどもは俺たちが……そうさね、密猟に来たと思ったんだな。だからそいつらは骨を編み上げて、ハグスよりもでかい化け物を作り出した。長い首が六本もあって、その上におっかない牙の生えた頭がついてて、鉤爪の生えた腕は四本あった。そいつは稲妻みたいに素早く動いた。チャァ!」不意の威嚇に、ヘルガは悲鳴を上げてよろめいた。

 「ゲヴ」メイブルが叱りつけた。

 ヘルガはまごつきながらも立ち直った。「どうやって逃げたのですか?」

 「俺がそいつに火を噴きかけて気をそらした。その間にハグスが後ろから攻撃した」

 「キキさんは?」

 「リスフォークを追いかけたけど逃げられたよ。臆病者だ。ハグスは怪物の尻尾を掴んで持ち上げて、フンッ! ばらばらにちぎって、破片を投げ捨てた」

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アート:Steve Prescott

忌まわしい守護獣、ハグス
(「森林」ショーケース版)

 「途方もないですね」途方もなさすぎるかも? 他の者たちは誰も感心していないようだった。もしかしたら、以前にも聞いたことがあるのかもしれない。

 「ゲヴ、先を偵察してきてくれる?」メイブルが尋ねた。「あなたは一番素早いし、登攀も一番得意でしょう」

 ゲヴは力強く頷くと、遠くの草むらの中に姿を消した。メイブルは歩調を緩めてヘルガが追いつくのを待った。

 「ゲヴの話は途方もなくて」彼女は小声で言った。「悪気はないのです」

 「本当にそうなのですか?」ヘルガは尋ねた。作り話をしていると何度も非難されてきた彼女は、最悪を想定するのは気が進まなかった。

 「ハグスの振る舞いでわかります。実際に何が起こったにせよ、本当の話をするのはとても辛いことなのだと思います。ハグスはもともと内気な性格ですが、ゲヴは語ることでその辛さを乗り越えているのです」

 自身も死にかけた経験をしたヘルガは、ゲヴが苦痛を乗り越える手段はともかくとして、その苦痛自体は理解することができた。平静を保ち、動き続けるには努力が必要なのだ。彼女は芸術家の目で周囲を観察し、後で気力があるときに絵に描けるように覚えておこうとした。

 それは幻視を追い払うためでもあった。心臓が胸から飛び出して、太陽に向かって飛んでいくような不穏な幻視を。


 彼女たちは正午前にポンドサイドの残骸へと到着した。

 ヘルガは残骸を眺めながら、最後の食事を吐き戻してしまわないようにこらえた。焼け焦げた枝細工の籠、煤にまみれて砕けた陶磁の山、板が割れてぐらつく壁、崩れたレンガの煙突。誰かが額装した刺繍が、泥まみれで通りに横たわっていた。とある扉が軋みながら何度も開閉し、ヘルガの神経をすり減らした。

 「冗談じゃあなかったんだな」フィニアスは腰に両手を当てながら言った。

 「冗談ならどんなに良かったか……」ヘルガの喉がつかえた。

 ゲヴは風車の頂上に登った。折れたその羽根は地面に落ちていた。

 「南へ向かっている」ハグスが低くしわがれた声で言った。

 メイブルは彼の近くにうずくまり、地面の足跡を調べた。「ヘイメドウでしょうね。ここからはグッドヒルよりも近いし。荷車と、キャベツの乗り物を持っていったみたい」

 ヘルガはとある家の残骸からひとつの瓶を掘り出した。ラズベリージャム。

 不意に、ゲヴが彼女の背後で息の音を発した。ヘルガは小さな悲鳴を上げて瓶を落とし、鮮血のような醜い汚れが散った。

 「どうしたの?」メイブルが尋ねた。

 「水辺の近く」ゲヴは答えた。「リスフォークが瓦礫を掘り返してる」

 「リスフォーク?」ヘルガは尋ねた。「私が知る限り、ポンドサイドにリスフォークは住んでいないはずですが」

 「確かめましょう」メイブルが言った。「私について来て。静かに、ゆっくりと」

 夜のフクロウがその鉤爪で残した地面の溝や瓦礫を避けながら、彼女たちは小道を慎重に進んだ。池に近づくにつれてヘルガの皮膚は湿気を帯び、泥と植物の匂いが強まっていった。その場所でスケッチをしたり、思い悩んだりした記憶は、水面の熱の揺らめきと同じようにぼんやりとした質感を帯びていた。

 落下した花弁の屋根をゆっくりと迂回すると、喋り立てる声があがった。件のリスフォークたちの姿が見えるほどに近づくと、ヘルガはようやく言っている内容が聞き取れた。片方の毛皮は濃い灰色、もう片方はメイブルよりも赤が濃い。両者とも骨で飾られた黒い衣服で、片方は頭巾つきのマントと葉のスカート、もう片方はすり切れた裾が地面まで届くローブをまとっていた。掘り返しているのはカエルフォークの家の残骸、だがヘルガの家ではなかった。ああ、池の藻までも駄目にされてしまったのだろうか?

 「あのフクロウ、きちんと滅茶苦茶にしてくれたな」頭巾をかぶった方が言った。

 「今回もな」もう片方が答えた。

 ヘルガの皮膚がぞくりとした。今回も? つまり、夢は――幻視は本物だった? フクロウはこれまでにいくつの場所を襲ったのだろう?

 「何で残虐爪は瓦礫漁りなんてさせるんだよ、時間の無駄だろ」頭巾の方がうめいた。

 「分かるかよ。この仕事は次から次へと問題だらけだ」

 残虐爪? 仕事?

 ローブの方は凹んだ金属の杯を壊れたテーブルに蹴りつけた。「他の奴らが三本木市に着く前に追いつこう。もうここに金目の物はないし」

 「その通りだな」頭巾の方は乾いた樹皮に描かれた子供の絵を拾い上げ、それを水へと投げ込んだ。もう片方のリスフォークは、誰かの思い出の品が波の下に沈むのを見て笑った。

 「ちょっと!」怒りにむかつきを催しながら、ヘルガは叫んだ。「よくもそんなことができますね! 何もかもを失った村から盗みをするなんて!」

 頭巾の方は驚き、そしてあざ笑った。「やめな、田舎者」

 「教えてやるべきだな、自分より優れた相手に迷惑をかけるなって」ローブの方が付け加えた。

 メイブルは剣の柄に前足で触れ、進み出た。「泥棒なんて虫も同然よ」

 「虫は土を良くしてくれる」フィニアスが付け加えた。「泥棒は何の役にも立たないけどね」

 ゲヴは威嚇に息の音を立てて二本の鎚を振り回した。その背後にハグスがのっそりと立ち、ゾラリーネはまだ彼の背中で眠っていた。

 「2対6か」頭巾のリスフォークは考え込んだ。「かなり不利だな」

 「応援を連れてきてよかった」ローブのリスフォークが掌を上にして両前足を掲げ、もう片方もそれに倣った。彼らの指先から枯れ葉の軸のように魔力が生まれ、不気味な紫色の葉脈が広がった。

 周囲に、乾いたざわめきが起こった。ヘルガの左側に紫色をした光の点がふたつ現れた。もうふたつ。数秒のうちに、何十という光る目がグッドヒルの代表団を取り囲んだ。軋み、こすれる音を立てる姿が日光の中へと踏み出した。骨でできたその姿は、リスフォークたちが魔法で作り出したものと同じ葉の模様で縁取られていた。

 「死体使いかよ」ゲヴが吐き捨てるように言った。

 ゾラリーネがはっと目を覚ました。「何? 誰?」

 ヘルガは血が凍りつくように感じた。メイブルが牙の剣と、花弁五枚のアオイの花があしらわれた小さな鉄樹液の盾を振りかざして彼女の前に滑り込んだ。死体使いたちが敵に向かって前足を振ると、骸骨たちはすぐさま従った。黄ばんで折れた歯を鳴らしながら、ラットフォークの骸骨がヘルガをめがけて進んだ。

 メイブルは残像とともに左へ避けた。魔法がその動きをぼやけさせているのだ。ラットフォークの骸骨の顎は虚空へと閉じられた。剣が振り下ろされ、橙色の閃光とともに骨が切り裂かれた。ヘルガが息を呑むよりも早くラットフォークの頭が地面に落ち、両目に宿る紫色の光が消えた。

 遠くではフィニアスが宙へと跳躍して身体をひねり、バードフォークの骸骨へと二本の矢を放った。一本の矢は跳ね返り、もう一本は空の眼窩を通り抜けてその向こうへと飛んでいった。

 ゲヴはメイブルのパーティーで見せた踊りのように炎の鎚を振り回し、宙を赤く染めた。彼の尻尾が振り回され、死から蘇ったマウスフォークを一体つまずかせ、もう一体を弾き飛ばした。そしてゲヴは前者の頭へと二本の鎚を叩きつけた。気分の悪くなるような砕ける音が響いた。

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アート:Mark Zug

 ヘルガの背後でうなり声が聞こえ、彼女は身をかがめて頭を覆った。ハグスが両前足でカワウソフォークの骸骨を持ち上げ、真二つに裂いた。彼は上半分を地面に叩きつけ、下半分を池に投げ込んだ。重々しい靴が上げられ、そして下ろされ、骨を粉々に砕いた。

 ひとつの影が頭上を通過した。ゾラリーネが急降下し、死体使いの首筋を撫でた。藍色の魔法は途切れてバットフォークへと逆流し、ゾラリーネは乳白色の輝きに満たされた。その両目と口が内から輝いた。ゾラリーネは骸骨の群れに向かって滑空しながら、どこか心に残るような祈りの歌を鋭くうたい、奪った力を波のように解き放った。死体の群れは震え、そして地面に崩れ落ちた。

 だがバードフォークの骸骨が更なる数で現れた。それらはハグスをついばんでは引っかき、ゾラリーネを追い回し、次第に苛立ちを募らせるフィニアスの攻撃を避けた。だが次に彼が放った矢には、矢尻ではなく奇妙な袋がついていた。それが標的に当たる直前、彼は素早く足を踏み鳴らした。袋は蔓でできた網へと弾け、骸骨の胴体と翼に巻き付いた。その死体が地面に落下すると、待ち構えていたハグスが素早く踏み潰した。メイブルは縦横無尽に駆け、ぼんやりとしたマウスフォークの姿が致命的な正確さで敵を切り裂いていった。

 屈んでいたヘルガは立ち上がった。役に立つ呪文は何も知らず、これまで生きてきて一度も武器を扱ったことはなかった。それでも何かできることはあるはずだ。

 カワウソフォークが放つ稲妻のように、答えが彼女の脳裏に閃いた。「メイブルさん!」ヘルガは叫んだ。「あのバードフォーク!」

 「ちょっと私には高すぎるわ」

 「階段を作ります。見て下さい!」ヘルガは水に手を伸ばし、液体の球をひとつ引き寄せるとそれを沢山のビーズ状に分離した。彼女はそれらを平たく広げ、空を飛ぶ骸骨へと届く一連の浮遊階段を作り上げた。

 メイブルは剣と盾を構えて水滴の階段を駆け上がった。ヘルガは片目でメイブルを、もう片方の目で敵を注視しようと努めたが、それは難しかった。集中力が分断され、呪文を維持できていないと気付いた時には遅すぎた。半分ほど登ったところで、メイブルの靴が水の階段に沈んだ。

 「ああ!」ヘルガは愕然とした。また失敗してしまう――その恐怖が彼女の集中を乱した。泡が弾けるような音とともに、階段が落下して土が飛び散った。

 メイブルは自らの反射神経に救われた。彼女は一番近くのバードフォークの骸骨へと跳躍し、盾でその翼を捉えると同時に剣を肋骨の隙間に突き刺した。死体は落下し、メイブルをしがみつかせたまま地面をこすった。彼女は剣を引き抜いて敵の背骨へと振り下ろした。刃が橙色に輝き、ナイフが紙を切るように骨を裂いた。

 戦場に静寂が訪れた。ハグスは両肩を回して低くうめき、ゾラリーネは翼を折りたたんで彼の隣に着地した。フィニアスはまだ二本の矢をつがえていたが、それを下ろした。ゲヴは尻尾で地面の頭蓋骨を叩き、それは池の方へと転がっていった。メイブルはまず素早く、そしてより慎重に、身体を翻して辺りを確認した。そしてようやく彼女は剣を鞘に収め、盾を背負い袋の紐に滑り込ませた。

 「皆、大丈夫?」メイブルが尋ねた。

 それぞれがそれぞれの声で肯定し、だがゲヴが不機嫌そうに息を鳴らした。

 「これはやめろって言っただろうが」ゲヴはハグスの靴をぴしゃりと叩いた。「この破片を見てみろ。今回も取り出すのは俺だろ。どれだけ時間がかかると思ってるんだ」

 「今回も?」フィニアスは驚いたように言った。

 「茂みから靴は生えてこないんだぞ。それに……」

 「誰か、あの死体使いを見なかった?」メイブルが口を挟んだ。

 「逃げましたわ」ゾラリーネが答えた。「長川の方へ」

 ヘルガは身を屈めた。最初は安堵に、次に恥ずかしさに。呪文の制御ができなかった。どうして自分は一番重要な時に集中できないのだろう?

 「ごめんなさい」彼女はメイブルに言った。「私の呪文が……」

 「気にしないで。事故は起こるものよ」メイブルは優しく答え、そして皆へと告げた。「これからどうするのかを決めないと」

 「村の皆を助けないのですか?」ヘルガは驚いて尋ねた。

 「それもひとつの選択肢です」メイブルは血が滲む腕の切り傷をハンカチで軽く拭った。「それとも、あのリスフォークを追うべきか」

 ヘルガは反論しようとしたが、メイブルの提案をよく考えた。あの死体使いたちは、マーハがポンドサイドを襲撃した理由を知っているようだった。彼らがこの状況を起こさせたのかもしれない。何を企んでいるのだろう? ヘルガは答えを知りたかった。その一方で、村の仲間たちのことも心配だった。

 「あの連中を追ったらどんな敵に遭遇するか」フィニアスが尋ねた。「もっと沢山の骸骨や、もっとひどい敵を僕たちは対処できるのか?」

 ハグスの前足と毛皮から骨の破片を抜きながら、ゲヴが言った。「シマシマ愚連隊は靴を壊す死体なんて恐れないからな」

 「今は星が読めません」ゾラリーネはあくびをしながら言った。「ですが夜明けの星の動きは、わたくしたちの行く先にさらなる危険があると示唆していますわ」

 さらなる危険? ヘルガは気分が悪くなるのを感じた。

 「ポンドサイドから逃げた方々は、ヘイメドウにたどり着いたかも」メイブルが言った。「三本木市へ向かって、残虐爪とその企みについてもっと詳しく調べるのが一番いいかもしれないわね」彼女は全員と視線を合わせ、最後にヘルガに目を留めた。「災厄の獣がまた次の惨害を引き起こそうとしているとして、私たちがそれを防ぐ力になれるとしたら?」

 「本当に僕たちでできるのか?」フィニアスが尋ねた。

 「私たちでなければ、誰が?」メイブルは剣の柄頭を握りしめて答えた。「ヘルガさん、ここはあなたの村です。どう思いますか?」

 ヘルガはためらった。血管が火と氷で満たされているように思えた。時に、生きる道が変わる支点となる瞬間がある。これはそのひとつのように感じられた。

 「あのリスフォークを追いかけましょう」彼女は答えた。「三本木市へ」

 メイブルは頷き、そして皆に指示を出した。フィニアスは再利用に耐えうる矢を回収した。ゾラリーネは長川に沿って行程を計画し、ハグスの背中に登って眠りについた。ゲヴはハグスの毛繕いを終え、甲虫クラッカーの軽食をとった。

 ヘルガは不安をこらえて祖父母の家へと向かった。

 防水紙でできたドームの頂上には卵の殻のようなひび割れが走っていた。その側面に弧を描く大きな葉は部分的に切り取られており、切断面は日中の暑さにしなびていた。壊れた屋根から日光が差し込み、壁はまるで中の明かりが点いているかのように輝いていた。それでも、その場所は冷たく空虚な感じがした。

 ヘルガは意を決して中に入り、清潔な衣類と旅に耐えうる食料を詰めた。きっと戻ってくる――あのリスフォークの足跡が更に先へ伸びていない限り、自分たちは三本木市へ行くだけなのだから。だとしたらなぜ、祖母が集めていた彫刻つきの銅の宝珠に恭しく触れ、中でもお気に入りのものを袋に滑り込ませたのだろう? なぜ祖父の杖を手に取り、つばの広い帽子を自分の頭に載せたのだろう?

 ヘルガの短い不在についてメイブルは何も言わず、すぐに彼女たちは北へと出発した。日暮れには野営を張ったが、その時でさえフィニアスはヘルガと再び会話をすることはなかった。ゾラリーネは自分たちの発見と新たな目的地について知らせるためにグッドヒルへと飛んでいった。彼女のローブは星の渦のように暗闇の中へと消えていった。ヘルガはどういうわけか、自分も消えていくのではないかという思いに駆られた。


メイブル

 長川の岸をゆっくりと歩いていると、カワウソフォークの一団が彼女たちを見つけた。親切な彼らは乗っていくように誘ってくれた――鮮やかに塗装された魚型の船が二艘。メイブルとフィニアスは乗員たちと会話を交わし、彼らは家族の結婚式のために三本木市へ向かっているのだとわかった。ハグスはゾラリーネを背負ったまま水から距離をとり、ゲヴは船酔いにうめいて朝食を不快に吐き戻した。ヘルガは片手に鉛筆を、もう片手に日記帳を持ち、泡立つ航跡をわびしく見つめていた。

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アート:Grady Frederick

 やがて、三本木市という名の由来となった巨大な木々が遠くに見えてきた。その枝は想い合う者たちが繋いだ手のように絡み合っていた。オーク樹とプラタナスと柳がいかにして長川の岸沿いに一緒に育ったのかは誰も知らなかった。アニマルフォークたちは調和への希望から出発して、何世代もかけてこの街を築いた。ある場所ではその希望が優美な建築物として現れていた。あるいは梢の中を縫う、幹に絡まる、アーチ状の根から伸びる菌類の小道として。またある場所ではその調和が、さまざまに異なる様式が入り混じった陽気なパッチワークとして。木の彫刻と塗装された粘土が、羽根とビーズが、組み紐つきの棒と刺繍が混ざり合っていた。都市は、植物と同様に、しばしば予期しない方法で成長した。

 メイブルたちは枝垂れ柳の下の船着き場に到着した。船は筏や埠頭や水上建築物の広がる中を進み、混み合う桟橋に係留された。バードフォークの配達屋はお喋りに興じながら、これから運ぶ小包や郵便物を受け取っていた。カワウソフォークが大きな箱や袋をラクーンフォークに渡し、後者は楽々とそれらを担いでいった。カエルフォークは浅瀬でバブルボールを遊び、あるいは日陰で休んでいるミンクフォークと食事を分け合っていた。焼いた小魚の美味しそうな匂いが漂っていた。

 メイブルたちは感謝を告げて船を下り、すると辺りは川と同じほどにざわめき賑わっていた。フィニアスの両耳がひきつるように動いた。見知らぬ者たちの多さに圧倒されているのだろう。ハグスは岩のように立ち、群衆はその周囲を水のように流れていった。ゲヴはゾラリーネよりも上に登って辺りを眺め、ヘルガはハグスの隣から離れずにいた。

 メイブルの両親は親しい者たちと共にキルト地区のどこかを訪れており、すべてのアニマルフォークの団結を象徴する巨大なキルトの旗の下で楽しい時を過ごしている。ヘルガもこの街に家族がいる。残念ながら、彼らを探す時間はなかった。

 「フィニアス」メイブルは声をかけた。

 そのラビットフォークは不安そうに飛び跳ねた。「何かな?」

 「聞き込みを手伝って欲しいの。あの死体使いや残虐爪を見たかどうかを尋ねて回るのよ。ハグスと他の皆はここで待っていて」

 「そうだな。いいとも」フィニアスは答えた。やるべきことを得て彼は落ち着きを取り戻したようだった。すぐに彼はカエルフォークの一団と仲良くお喋りを始め、一方でメイブルは一組の港湾労働者へと近づいた。彼らは絡まった網の上で呪文を呟く誰かを見つめていた。

 それぞれ十回以上も尋ねたものの、メイブルもフィニアスも収穫はなかった。彼女は皆を連れて川下へ向かい、倉庫や交易事務所を通り過ぎ、防水布の屋根に真っ赤な旗を広げた宿屋へ向かおうとした。その時、とある年老いたカエルフォークが彼女を呼び止めた。

 「今日、誰かを探してる客が来るのはあんたらで二度目だ」そのカエルフォークは不満そうに言った。

 「そうなのですか?」メイブルは尋ねた。

 「ああ」老カエルフォークは続けた。「あそこにいる奴だ。誰にでもつっかかる。変な奴だ。自分に尻尾があるのを忘れたのか、誰かにぶつけてばかりだ」彼は真珠のついた杖で示した。

 近くにいたカワウソフォークが、別のカワウソフォークと口論をしていた。黒い毛皮に白い縞模様があり、姿勢は硬く、赤い帯と青いチュニックをまとい、頭には奇妙なゴーグルを乗せていた。右腕には銅製の腕輪が飾られ、左の手首には白い布の帯が巻かれていた。

 「言っておくがな、あんたもこの状況には苛立ってるかもしれないが、こっちの方がもっとずっと厄介なんだよ」

 「今?」もう片方のカワウソフォークが答えた。「そいつが何のアニマルフォークなのかもわからないんだろうが」

 「さっきも言ったが、青い外套を着てると思う――」

 「思う?」近くのイタチフォークが繰り返した。

 「――それと特徴のある刺青が入ってる」

 「イレズミ?」誰かが口を挟んだ。「何だそれ?」

 その客は溜息をついた。「毛皮の模様っていうか、縞模様? 口から顎に白い線が二本走っていて、頬の……顔の片側にも。絵を見てくれるか?」下手に描いたに違いない。他の者たちは笑い転げた。

 「もういい、忘れてくれ」彼はそう言った。「本当にありがとうな、何の助けにもならなかった」

 失礼な――メイブルはそう思った。彼が踵を返した際に尻尾でイタチフォークの男を叩いたのを見て、その考えは強まった。さらに悪いことに、彼はヘルガに衝突しかけた。彼女は盾のように日記帳を前に掲げ、灰色がかった緑色の肌に不安そうな笑みを浮かべた。

 「し、縞模様」ヘルガはつかえながら言った。

 そのカワウソフォークは立ち止まった。「そうだ、そう言った」

 ヘルガは日記帳を落としそうになりながら頁をめくった。そしてとある頁で手を止め、持ち上げた。見知らぬカワウソフォークはヘルガの腕をつかみ、彼女を近くへと引き寄せた。

 「ベレレンはここを通ったのか?」彼は尋ねた。「どれくらい前だ? 誰か一緒にいたのか?」

 「その子を放しなさい」メイブルは剣の柄を握りしめながら言った。「さもないと、その派手な腕当てを失うことになるわよ。腕と一緒にね」

 カワウソフォークの灰青色の両目に稲妻がひらめいたが、彼はヘルガを放して一歩下がった。

 「その気にさせないでくれ。この忌々しい場所を何日もさまよって、君の友達が最初の手がかりなんだ」

 「この子の名前はヘルガ」メイブルは冷静に言った。「私はメイブル。あなたは?」

 「ラル。ラル・ザレック。ジェイス・ベレレンって奴を探している」

 メイブルはヘルガの日記帳を覗き見た。彼女が描いたひとつの顔があった。キツネフォーク。確かにその毛皮には、この客が――ラルが説明したような模様があった。同じ頁に、ヘルガは奇妙な円形の模様があるマントも描いていた。

 「夢で、見たんです」ヘルガは囁き声で切り出したが、その声は徐々に強くなっていった。「連れがいました。リザードフォークで、緑と黒の鱗に黄色い瞳。そしてもうひとつ小さい姿、そちらはよく見えませんでした。暗い雲がひとつ、その方々を追いかけていました」彼女は嵐を予想するかのように顔を上げたが、柳の葉のカーテンの隙間から覗くのは青空だけだった。

 「それは間違いないのか?」ラルが尋ねた。

 ヘルガはためらい、それから首を上下に振った。彼女は自分の幻視について、とても恥ずかしそうに語る。オリヴァーや他の者たちに一体どれだけ疑われてきたのだろう――メイブルはそう訝しんだ。

 「あの野郎、ここで何をしてるんだ?」ラルは呟いた。「リザードって……そこは蛇じゃないのか?」

 メイブルに彼の言葉の意味はわからなかったが、それが残虐爪でないことは確かだった。足跡が薄れる前に動かなければならない。

 「もう宜しいのであれば」メイブルは言った。「私たちは出発します。お友達が見つかりますように。幸運を祈ります」彼女はヘルガを皆のもとへ連れて行こうとした。

 「いや、行くなよ」ラルは彼女の横を歩きながら言った。「そのカエルが答えてくれるまで、どこにも行かせないからな」

 なんて厚かましい!「ヘルガさんにはヘルガさんの用事があるのです。ご親切にどうも――」

 だがヘルガは彼女の言葉を遮り、静かな声で言った。「信じてくれるのですか?」

 ラルは片前足でひげをこすった。「俺が信じるのは自分の目で見た証拠だ。今のところ、君はベレレンと俺とを繋げる唯一の存在だ。だから君から目を離すつもりはない」

 メイブルが返事をするよりも早く、上流で貝の警報音が鳴り響いた。船頭たちは仕事を中断し、命令を叫びながら走り回り、明らかに動揺していた。ある者は綱を取り出すと散らかった木箱や樽を縛り付け、木船の床板や甲板に埋め込まれた輪にそれらを固定していった。またある者は船同士を、あるいは自分自身を桟橋に縛り付けた。互いの身体を縄で結び、手を繋ぎ合ってカワウソフォークの筏のようになる者たちもいた。

 「何が起こってる?」ラルはゴーグルを目に下ろしながら尋ねた。

 「分かりません」メイブルは走り去るラクーンフォークに声をかけようとしたが、無視された。

 フィニアスが指をさした。「ああ、川を見たまえ!」

 みるみるうちに川の水位が上昇し、近くの杭の上の満潮の標識をはるかに超え、すぐに堤防を圧倒した。波は岸壁を越え、板道の割れ目を通り抜け、まずメイブルの靴を、次に足を撫でた。船を繋ぎ合わせる綱が緊張し、固定されていなかった船は川下へと流されていった。何隻かが互いに衝突し、船体が木の実のように割れた。

 「何かが来るぞ!」ハグスの頭上で平衡を保ちながら、ゲヴが叫んだ。

 しなやかな姿が水面の下で動き、銀色の鱗がまだら模様の陽光にきらめいた。小魚とは違う――その身体はあまりに長く、メイブルには尾も、背びれすらも見えなかった。身体の側面には魔法の模様が光り、その薔薇色は渦巻く流れによって歪んでいた。巨大な波に持ち上げられ、その生き物は船着き場の上にそびえ立った。不吉な目は力に燃え、長い口からはひどく鋭い歯の列が露わになった。

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アート:Samuele Bandini

 「洪水のガー!」ヘルガは悲鳴をあげた。

 水が鞭のように打ち付けられ、一群のアニマルフォークが川の中へと押し流された。腕甲に稲妻をまとわせて、ラルが災厄の獣に向かって腕を上げた。

 「いけません!」メイブルが彼の前に立った。「水の中にはカワウソフォークでない方々もいるんですよ! 感電させる気ですか!」

 「普段はどうやってあんなのと戦うんだよ?」彼は言い返した。

 「普段はこんなことはありません!」

 またも水の鞭が打ちつけられ、メイブルとラルはハグスへと押し流された。そのアナグマフォークはよろめいたが、まっすぐに立ち続けた。ゾラリーネはその背中で眠ったまま、驚いたことに今なお目を覚まさなかった。

 きらめく、青みがかった影が頭上に迫った。エルダーベリーの茂みほども高い波。それは崩れ落ち、メイブルを飲み込み、桟橋から引きずり去った。ガーの荒々しい魔法に対して勝ち目はない。それでも、彼女は肺が焼けるように痛む中、水面だと信じて足を蹴り続けて耐えた。

 力強い前足が彼女を引き上げた。メイブルは大きく息を吸い込んでハグスにしがみついた。ラルも彼女の隣で同じように掴まり、他の者たちは誕生日パーティーの子供たちのようにハグスの周りや上に並んだ。彼はこらえたが、引き波は川の中央へ、安全からは程遠い場所へと全員を連れ去っていった。

 「流れを曲げて、私たちを岸に戻せますか?」水に浸かり、波に揉まれながらメイブルはラルに尋ねた。

 「曲げる?」ラルは不明瞭に言い返した。「雨なら操れるが、川は無理だ」

 流れを操れないカワウソフォーク? 奇妙な。だがメイブルにそれを考える余裕はなかった。川の流れに翻弄される漂流物のように、水の冷たさが骨に染みた。まもなく彼女たちは三本木市を過ぎ、南西へと急激に向きを変える支流に放り込まれた。最終的にどこへ逃げ延びるのだろうか? そもそも逃げられるのだろうか、それとも自分たちの旅は長川の底で終わるのだろうか?

 いいえ――メイブルは負けを認めなかった。たとえ残虐爪を見つけられなくとも、その者が何を企んでいるかがわからなくとも、生き延びるのだ。クレムと子供たちが待っている。絶対に家族を見捨てたりはしない。

 まるで、世界の魔法がその蔓を伸ばして彼女の誓いを聞いたかのようだった。川幅は狭まり、激しい流れは次第に弱まっていった。水辺には堆積物やムラサキイガイに覆われた岩が突き出し、節くれ立った根がまるで掴みかかる手のように伸びていた。岸には中身のないカタツムリの殻と水流に摩耗した骨が散らばり、ハグスがいなければ自分たちに降りかかったかもしれない運命を陰鬱に暗示していた。

 疲れ果てたアナグマフォークはぬかるんだ河岸に彼女たちを導き、淀みの泥の中へと倒れ込んだ。激しい呼吸に脇腹が上下した。ようやく全員がハグスから降りた――ゾラリーネでさえ、濡れた毛皮について文句を言いながら、一瞬だけ目を覚ました。メイブルは素早く周囲を見渡した。ここは沼地の洞窟、頭上の石の苔むした隙間から差し込む光が暗闇を和らげていた。虫が壁を這い上がって隙間や裂け目に姿を消した。半ば閉ざされたこの空間には、硫黄と腐敗の臭いが充満していた。

 「皆、怪我はない?」メイブルは尋ねた。

 「俺の矜持だけだ」ラルが言った。ハマグリが彼に向かって泥を吐き出し、ぬかるみの中に深く潜っていった。

 「樽一杯の水を飲んだ気分だ」フィニアスはうめいた。

 ゲヴの尻尾が橙色に燃え、その身体からはかすかな熱が発せられた。ゲヴはハグスを乾かすために勢いよく身体をこすりつけ、足元の泥が固まっていった。

 「ここはどこなんでしょう?」ヘルガが尋ねた。

 「わかりません……」メイブルははっと言葉を切り、洞窟の入り口から聞こえるざわめきに耳を傾けた。すぐさま、影の中からぼんやりとした姿が幾つも現れた。頭巾つきの外套をまとったラットフォークの一団が彼女たちを取り囲み、物騒に曲がった短剣や刃のついた杖を向けた。

 「よそ者か」ラットフォークが息を鳴らした。「お前たちを歓迎はできない。立ち去れ、さもないと悲惨な結末を迎えることになるぞ」


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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