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Magic Story -未踏世界の物語-
ボーラス年代記:もう一つの視点
2018年8月8日
前回の物語:心安い異邦人
純然な恐怖に倒れてしまわぬよう、ネイヴァは槍を掴んで身体を支えた。巨体の龍は空を半ば覆い、背後に見える筈の崖を遮っていた。そして苦も無くそこに浮かびながら、自らを勇敢に見せようとしている彼女の哀れな努力を楽しむ表情を浮かべていた。
「小娘よ、目を背けるでない。いわんや我を倒そうなどとは。だが我が力添えあれば、おぬしはこの小さく哀れな世界を統べ、世界を望む通りにできよう。ただ明かせば良い。ウギンは何処におる? 何故あの者が墜ちた地に面晶体が満ちておる?」
喉はからからで、絞り出した声はかすれていた。「なんでウギンを憎むんだ? 双子なんだろ」
その巨龍はひるみ、ネイヴァの頭上を怒れる炎の咆哮が過ぎていった。精霊龍の骨を包む岩に火花が注ぎ、だが炎と赤熱した灰は堅固な表面を無害に滑り落ちた。
「双子などではない。我が勝利と栄光をもぎ取るべく、あやつが吹聴した虚構に過ぎぬ」
ネイヴァにとってウギンはどうでも良かった。会ったこともないし、祖母やテイ・ジンの師のように、そいつをタルキールの魂と呼んでいるほどのものであっても、龍が人と友になれるとは想像だにできなかった。それでも、小さな力が一粒の種のように彼女の心に宿った。理由はともかく、驚くことにこの強大な龍は岩の下にウギンの死骸が横たわっていると知らないのだ。それはこの龍がベイシャが無力な昏睡状態で眠っている姿を見ることができないことを意味していた。見つかったら片割れは死んでしまう。その思いは彼女の心を凄まじい戦慄で満たし、同時に向こう見ずな程に獰猛な決意に火をつけた。ここで槍は役に立たない。別のやり方を探し出す必要があった。
「お前が、ニコル・ボーラスなのか」 彼女はそう言って、物語と記憶から知った断片と繋ぎ合わせようとした。
その龍は微笑んだ。「いかにも。他に何者でありえるか?」
もし話の通りならば、この龍は自分の心に入り込むことができる。恐らく既に入り込んだのだろう。ひとたび思考を丹念に調べられたなら、龍爪のヤソヴァがすぐ目の前にいると気付かれてしまう。唯一の望みは、この龍の気を逸らすことだった。決して怒らせてはならないとウギンは言っていなかったか? もし殺されてしまったなら、少なくとも自分は愛する者らを裏切ることはない。
《覚醒の龍、ニコル・ボーラス》 アート:Svetlin Velinov |
「ああ、聞いてる。全部知ってる。ウギンと双子じゃないってのは嘘だろ。一緒に生まれて一緒に落ちて来た。そうじゃないのか?」
咆哮が宙に轟いた。崖から岩が崩れ、轟音と共に岩の繭に墜落したが、岩よりも頑丈なそれは揺らぎもしなかった。
「異なるに決まっておろう! 誰が喋った?」 龍は威圧するように近づき、その影は彼女から陽光を遮った。だが怒号は険悪な囁き声にまで落とされた。「ウギンがそのように告げたのか?」
彼女は無意識に一歩後ずさり、龍の歯から離れた。だが奇妙だった、問いかけへの返答が叩き潰すのではなく曖昧で苦しい反論だというのは。もしもこの龍に話をさせておいたなら、この場を切り抜ける方法を見つけ出せるかもしれない。「お前とウギンが双子じゃないなら、お前は何なんだ?」
龍が相当な力で息を吸うと、遠く離れた岩の繭を覆う雪が舞い上がり、暴風雪のように彼女を取り巻いた。語り始めると、その声が轟いた。
真実じみた虚構と真実。おぬしに違いはわかるまい。だがこれこそが真実だ。
我は落ちた。
我らは共に落ちたとウギンは伝えたであろうが、それは物事を曖昧に濁すあやつのやり方に過ぎぬ。半ば嘘を言い、聞く者に真実と信じ込ませるのだ。
我は虚空の翼から落ちた。落下こそ最初の感覚であった。鱗を叩く風の咆哮、大気を裂く稲妻の閃き、始祖の羽ばたきの轟音。
始祖の飛跡の雷鳴が我を落下の夢から叩き起こした。目覚めると同時に物心つき、直ちに、完全に理解した。我が運命は落下ではなく飛翔であると。
我は翼を広げて大気をとらえた。あやつと我は一体の生物が如くに共に包まれていた、そうウギンは伝えたかもしれぬ。共に生まれ、共に落下し、当惑と好奇心の中に心を目覚めさせたと。共に存在を、心を、意識を広げたと。共に飛翔したと。そう告げたかもしれぬ。
だがそれは誤りだ。
先に飛翔したのは我であった。
先に息を吐いたのは我であった。
我は太陽の威厳と天の光輝を持って生まれ、その瞬間に自らの精神の壮大さを理解した。そして身を丸めた生物が無力に隣を落下していると知った。無論、本能的に我はそれを救おうとした。
翼の先端でその脇腹を叩き、我はあやつを起こした。その刺激にあやつは翼を広げた。子龍であった当時もあやつの翼は我ほど強くなかった。かくしてあやつは飛ぶことを知った。言うなれば、我が教授したのだ。龍とは飛翔するために生まれてきたのであると。
飛翔、そして力。
無論、同胞の存在も即座に知った。祖の暗き翼が起こした嵐は去り、緑豊かで静かな大地が残された。我ら六体のみが残された。
「六体?」 ネイヴァは尋ねた。「八体じゃなかったのか? 目覚めないまま落ちた二つは? 山に落ちてそのまま死んだ二体の死骸は?」
一本の鉤爪がかすめるように叩きつけられ、その衝撃に彼女はよろめいた。両膝を地面に打ちつけ、その痛みに涙が滲んだ。
「口を挟むでない!」
身体を起こす一瞬、彼女は龍の詮索的な視線から顔を隠せた。そしてその秘密の一瞬、僅かな笑みを浮かべずにいられなかった。この龍は自らの声の響きが大好きなのだ! 上手くいけば気を逸らすことができるかもしれない。祖母が昔、民を守るために食物でアタルカの気を逸らしたように。
落下と飛翔から全てが始まった。
我らは歓喜の中に飛翔した。大地と海の複雑な広がりをもっと学びたいと、発見の旅路を熱心に飛んだ。当初、それらは我らのように生きているのかと考えたが、世界の自然秩序に過ぎないと直ちに理解した。下等な生物が幾年と数える期間を我らは飛んだ。それこそが我らの子龍時代であった。天に風、太陽、星、輝かしい存在の中にそれらが作り出す歌、我ら龍という崇高なる生物へと設えられた完璧な舞台。
やがて、我のみが勇気と渇望を持ち、勇敢にも翼を畳み大地に鉤爪を立てた。言うまでもなく、その決定的な瞬間は全てを過去とし、来たるものの前兆となった。我が翼は天に広がり、我が存在、重み、体格、鉤爪、その全てが大地とそこに住まうものの支配をもたらした。故に、我は故郷をドミナリアと命名した。その名を高らかに我へと歌いかけていたために。
本来、気難しく不安定な人類は飼い慣らし、平和のうちに生きるよう適応させるべきであった。我は並外れた努力によってそれを成し遂げ、だがそれは同胞らの間に自然と嫉妬をもたらした。とはいえ彼らの憤りや陰口はこの壮大なる手腕と知啓によって容易く対処できるものであった。
だがそれらの日々も、全てが輝かしいものとは行かなかった。悲しいことに、ウギンは挑戦に身を投じようとしなかった。我が奮闘を開始した当初、あやつは我と共にいたいと懇願した。だが実のところ、腹の内で計画を立てておったのだ。
我らは極めて汚らわしい人類の巣を一つ清めねばならなかった。そやつらは傷つき既に死にかけた龍に群がっては自分達が殺したと主張し、偽りの勝利を歌い上げては栄光に浴する存在であると吹聴する。言うまでもなく、そやつらは撲滅せねばならなかった。だがウギンは臆病風に吹かれた。我が無欲にこの身を危険にさらして同胞の復讐を行う間、あやつは毒塗りの武器に近づこうとせず、観察しているのみであった。それどころか、我の行いが正しいと認めすらしなかった。弁解し、難癖をつけ、泣き落しを仕掛け、この状況から手を引くよう説得しにかかった。ここで押さえねば、人の行いは拡大し、やがてドミナリアのあらゆる龍を危険にさらしかねないにも関わらずだ。
徹底的に敵を打ち負かした時にすら、あやつは我が手法を非難した。他の手段を我が全く考えなかったとでも思うか! だが我はあやつの甘言と愚痴に辛抱強く耳を傾けた。あやつの言葉には所々に微かな知啓の断片があったため、我はそれらに気を留めるよう努めた。何せ我が願いは、ドミナリアのあらゆる知的生命に調和的をもたらすことのみであったために。我はいかにして全てが解決するかを説明しようとしたが、あやつはそれでも怯えていた。
そしてまもなく、あやつは逃亡した。姿を消したのだ。ある瞬間にはそこにおり、次の瞬間には、瞬き一つとともに、大気を波打たせ……消えたのだ。
あやつの消失に感じた悲しみと悲嘆はいかほどであったか! 我が上げた絶望の咆哮は!
それは一瞬にして起こったため、我が過ちであったと真に信じた。生き延びた人類の狡知と憎悪を正しく見積もっていなかったと信じた。奴等の術師の力を把握していなかったことを悔やんだ。でなければ愛しきウギンは卑怯者であったことになる、それを信じることは不可能であった。何らかの強力な呪文があやつを我が目の前で一瞬にして消し去った、それが理に適う唯一の解釈であった。
《二倍詠唱》 アート:Even Amundsen |
無論、我はその一体から人類の術師を滅ぼした。秘密を明かすよう問い詰めた。拒否したものは殺し、だが協力したものからは学び、後に殺した。最早彼らを信頼などできなかった。後に我は抜け目なく自ら学院を創設し、魔術の訓練をさせ、我が支配に役立てた。
自然と、同胞らは我が成功を羨んだ。あれらとの争いは一切望まなかった――「自ら生き、他者を生かせ」とは良い言葉ではないか? だが民を守るためとあらば選択肢はなかった。
同胞らが我へと強いた戦については長くなるが、退屈な話となろう。おぬしら短命の人類にとっては何世代にも値する長きに渡り、その争いは続いた。それで十分である。ある日、片意地な暴君アルカデスを遂に撤退させんとしたその時、ウギンは戻ってきた。あやつは我らが決戦の只中に降り立ち、それを遮った。
その登場の衝撃に、我が心は激しく乱れた。
「これはどういうことだ?」 我は吼えた。「ウギンは死んだ」
「術ではない。私がわからないか、ニコル?」
我が心に歓喜がうねり、そして憤怒に締め付けられた。「アルカデスが用いる忌まわしき幻術であろう!」
その幻を消し去ろうと、我は炎を吹きかけた。
「ニコル、止めてくれ! 私は本物だ!」
寸での所で我は憤激を追い払い、炎は無害に土を焼いた。真にあやつなのか?
「お前は死んだ筈だ。人間の汚らしい術に消されたのを見た。人間が、最愛の者を斃すことで我が勝利に復讐したのだ。だからお前が夢見た平和と調和を世界にもたらす、これがお前のための復讐だ」
「これを平和と調和と呼ぶのか?」
まさしくウギンの喋りであった! あやつは常に我が行動のうちに過ちを見出していた。だが今回こそあやつは我の行いに感嘆し、我が正しいと認めるであろう。我はあやつを越えたのだ。
「いずれそうなる。さあ、我が成し遂げたものを見てくれないか。来てくれ、ウギン」
我はドミナリアの案内人のように振る舞い、あやつにその美と驚異の全てを、その力と栄光の全てを披露した。思えばあやつは常に我らが生誕の山にとらわれ、遠く離れることに怯えていた。あやつが飛行に疲れると我らは戻り、今や龍族の覇権を祝す一対の角を冠す生誕の山の頂へと降り立った。我はその高所から風景を眺め、ウギンは隣で無言であった。あやつは満足しているのであろうと思った、あやつが隣に戻ってきて我が満足していたように。だが実のところ、あやつは嫉妬を燃やしていたとすぐに判ることとなる。
「世界がこんなにも広大だと想像したことはないだろう? 我はあらゆる地を旅し、どれほど小さくとも大きくとも爪痕を残した。今その半分を統べている。今や誰も我を最弱などとは呼びはしない」
ウギンは声を立てて笑った。「このつまらない戦争売りと征服が、広い宇宙の中で何か意味あるものだと本当に信じているのか?」
この嘲りの言葉に、我が心はいかに痛んだであろうか。あやつは長いこと臆病に隠れ潜んでいたのであろう、無論我はそう指摘しようとした。だがそれは控え、あやつの悩める心を宥めようとした。
「我を嘲るためだけに戻ってきたのか? もっと良い間柄だと思っていたが。今やお前は帰還し、我が勝利を共にできる、これまで常にそうしていたように」
「ニコル、君の残り物はいらない。私には私の、一人の賢者のもとで学んだ秘密がある」
「あの老いた人間は遠い昔に死に、わめき散らしていた知識も塵と消えた。その秘密など触れただけで壊れてしまう泡に等しい。眺めるには良いが、実体はないものだ」
「わからないのか!」 ウギンは憤りに叫びを上げた。そして次元と、世界の間を歩く等とわめき始めた。「私は道を見つけてみせよう、あの人が遠い昔に保証してくれたように。覚えているがいい。そして自分が私よりも優れていると思ったことを悔やむことになるからな」
山頂に風が吹き荒れ、吼えた。降り積もる雪は暴風雪となり、あやつの姿をぼやけさせた。
「ウギン?」
温い風一つとともに、あやつは消えた。
逃げたのだ。
あやつは見苦しい心の全てを明らかにしたのだ。思えば我が最も必要としたあの時、あやつは我を見捨てたのではなかったか? 今あやつは戻り、我が愛情を嘲る。あやつは我にそのような感情など明らかに持ってはいなかったのだ。我が達成の全てを羨んでのこと、それは明白だった。我が広大な知性と賢き戦略。あやつが求めるもあの老女から与えられることはなかった魔術の技。無数の麗しき臣民が我が威厳と力に打たれ、それらの愛を受けて我は間もなく寛大な君主として世界を統べる。
《ドラゴンの信奉者》 アート:Yongjae Choi |
だがあやつが我よりも優れているとはいかなるつもりだ? 共有を拒む魔術を何故誇示する? あやつはあまりに弱く臆病で戦うこともできぬ、全く価値もない無の存在。我ら古龍の中でも最弱、我らの一員に連なることすら値せぬ。恐らくあやつは我が栄光を奪い取り、自らのものとしたいのであろう。怒れるのも無理はない、我が容易く振るう力を持たずに生まれたのだから。
それであっても、あやつは龍の牙よりも鋭い嘲りの一噛みを我が心臓へ忍び込ませたのだ。
あやつはまたも我を見捨てたのだ。計画的に。嘲りのように。恩着せがましく。
我は、千もの太陽のように眩しく熱く燃えながら、拒絶の冷たさに悲嘆し、初めて寒気を感じた。あやつは我が友好の申し出を断り、我が寛容を叩き返すべく戻ってきたのだ。
そのような者であったとは。他者の幸運に喜びではなく、憤りだけを抱くとは。
そのような者であったとは。他者の達成と成功に満足や楽しみではなく、苦々しさだけを得るとは。
妬みの中に逃げる事しかできぬ者であったとは。
怒りの内に。
怒り。
あやつが怒りを持ち、我が持たぬ訳があろうか!
白熱の火花が我が胸の深くに点り、太陽のような眩しい一閃とともに我が視界を奪った。見通せぬ暗闇が視界を満たした。よろめき、落下し、完全に方向感覚を失い、内臓がよじれるような中に我は身を起こした。
そして自らがもはや生誕の山頂ではなく、鏡のように平坦で静かな、果てのない海らしきものの上を浮遊していることだけが判った。動くのは我のみであり、翼が水面に影を投げかけていた。その不可解な場所に太陽はなく、ただ水面と突き出た岩と、絶えず囁きかける秘密がかすかに聞こえていた。骨の奥深く、かすかな響きから我は推測した。ここは次元ではなく、未知の工作員によって築かれた作り物の何か、とはいえ持ち主は鉤爪も足跡も残していない。何者が、もしくは何が、それほどの力を? そして何故ここは見捨てられたのだ?
幾つもの泡が空に穏やかに浮遊し、降下し、我が鱗に触れて弾けた。
弾けるごとに、消える直前の息をのむ一瞬に、甘美な風景が目の前に広がった。ここではない地、ここではない世界、ここではない次元。
ああ!
次の吐息とともに、我は全てを理解した。プレインズウォーカーとなったのだ。
ウギンがずっとわめき散らしていたその存在に。望みながら達成できなかったものに。
最初の不意の旅から後は容易かった。全てを繋ぐ網の如き暗黒の塊を出入りすることで移動する。我は一つの世界から次の世界へ、その次の世界へと渡った。
その先に広がる驚異を見たなら、ドミナリアの宝物など無味乾燥と言えたであろう! 我は百もの世界を、そして更に百を訪れた。その間も、我以外に世界の間を歩く者の痕跡はなかった。我こそあらゆる知的生物の中で最初に、次元の間を渡り歩く可能性を発見したのだ。永遠と無限が長いこと我を待望しており、今や我を歓迎したことは疑いなかった!
それであっても、我はまたもウギンを思った。この栄光を誰かと共有したいと、もしくは少なくともあやつを許そうと。あやつが遂に我と我が達成を認める様を耳にしたく思った。
我は身勝手な生物ではない。この達成をあやつが模倣できずとも、知識までも閉ざすことは卑しいように思えた。その時は我ら稀なプレインズウォーカーと、下等な知性体とを隔てるものを理解せずにいた。決して手の届かぬ無数の世界の広がりへと繋ぐ、無比の灯というものを。
我はあやつを思った。日々の始まりの時のように再び友誼を結べると信じた。ゆえに我は故郷へと戻った。
説明するまでもないが、おぬしら人類が測るに膨大な年月が過ぎていた。我が去ってからドミナリアは激しく変化し、大半をかすかに認識できるに過ぎなかった。川の流れは変化し、島は切り離され、湖は干上がり、海面は上昇して定住に適した岸を浸していた。そして古龍らが長きに渡って戦っていた。希薄な平和が大地の多くを統べていた。古龍全てとその子らの中でも、クロミウム・ルエル、アルカデス・サボス、パラディア=モルス、そしてあの煩わしい獣のアスマディだけが生き残っていた。ルエルは有益な観察者に扮して地を放浪し、あらゆる者がその知恵と善意を称えていた。とはいえ略奪と支配に生きる同胞より優れているということはなかった。あやつは望む所全てに介入し、人類の中にそれを拒否できる者がいるだろうか? アスマディは今なお落ち着かぬ熱意で彷徨い、望むまま略奪し、燃やし、時折あの気難しいパラディア=モルスと組んでいたが、大体においては単独であった。
広大な世界を捜索したが、ウギンの痕跡はなかった。やがて、我は幼少期にウギンと共に滞在したアルカデスの王国へと向かった。
《策略の龍、アルカデス》 アート:Even Amundsen |
アルカデスは極めて偏向的な年長の同胞の物腰で我を歓迎し、我が長いこと何処に身を潜ませていたのかと訝しみ、几帳面に取り締まる広大な帝国を誇らしく見せつけた。だが我はそれ以上を知っていた。
「ウギン? 君とあの子は生まれた時からずっと一緒にいたものだな。だが君達二人があの龍殺し共を滅ぼして以来見ていない。あの子は死んだと君が言ったであろう」
「そう言ったのではない」 我は正した。「あやつは死んでなどいなかったのだ。ただ隠れているに過ぎぬ。我らが最後の戦い、まさにその瞬間に戻ってきたではないか」
アルカデスは変わらぬ傲慢な優越と共に頷いた。「君が軍勢を見捨てて逃げたあの戦いか? 彼らは保護した。喜んで我が保護下に入った。安心するがよい」
「我らが軍勢に割って入ったあやつを見なかったのか?」 アルカデスの忘却にただ驚き、我は問いかけた。
「ボーラス、君はあの日我を失っていたのだよ。君が幻を見ていたことは疑いない。君はずっとウギンの死を恥じていた、そうではないか? 彼を守ってやれなかったことを悔やんでいたのではないか? それとも君は傍観して彼を何か鼻持ちならぬ術で殺されるに任せたのか? ずっと疑問に思っていたのだよ。君はウギンを羨んでいたのではないかね? あの子は君よりも利口で知恵もあった」
我が、ウギンを羨む? 馬鹿げたことを。
そして我は理解した。アルカデスは我を見くびっているのだと。若く気紛れであった頃のように、怒りに癇癪を起こさせようとしているのだと。だが我は成長した。ずっと、ずっと成長した。我は最初にして我が種唯一のプレインズウォーカー。ドミナリア全土を統べるというのは、アルカデスのような狭量の暴君には良いだろう。アルカデスが惨めで弱く短命な人間を支配する隙に、我は遥かに成長したのだ。
我は優雅な建築を、気難しく整然とした街路と都市の区域を見つめた。アルカデスは崖の頂上に築いた宮殿からそれらを統べていた。そして我は同胞の横柄な心に疑念の虫を這わせた。ここに住まう人々は、ことによると自分が思う程の価値はないのではないか? あるいは彼らは真に自分を尊敬などしておらず、法に従ってもおらず、ただそう装っているだけなのではないか。あるいは自分は寛大な王の皮をまとった暴君であるとして、転覆させて支配を奪う計画を立てているのではないか? 耳が届かない所で噂をしているのではないか? あらゆる街角や国の隅々にまで工作員を送り出し、彼らに報告させてはどうだろうか。そうすれば扇動者を絶やすことができる。反逆者を密告した者には報酬を、仲間を差し出すほど勇敢で大胆な者には相当の額を与えるというのはどうか。そして十分でなかったら、疑わしい地域ごと焼き尽くす。街全体でもいい。焼き尽くせ。焼き尽くせ。
最後の微笑み一つとともに、我は魔術で身を包むとドミナリアを発った。我が植えた疑念は根を張るか、もしくは枯れるか。どちらにせよ、アルカデスが我を煩わせることはもはやない。次元を決して渡れぬのだから。身体の内にそのための力を持たぬのだから。それは我のみなのだ。
ゆえに、久遠の闇より出でて我が瞑想次元にやって来た際、そこにウギンの姿があった時の衝撃と喜びたるや! あやつは水面の上を漂い、自らの鏡像を見つめていた。まるでそれ以上の事は想像できぬかのように。
「ウギン! いかにしてここに来たのだ? 片割れに再会できて実に嬉しい。お前を永遠に失ってしまったのかと思っていた」
だが我に向けた言葉はなかった。あやつはただ敵意だけを持ち、怒りと嫉妬と憤りと嫌味に駆り立てられ、嘲りの記憶と恩着せがましい笑い声が続いた。そして他者へと知られたくない物事の真実を我が明かすかもしれぬという怖れ、あやつよりも我を信じるであろう者への怖れがあった。
物騒に、警告もなく、純然たる荒々しい怒りと悪意の憤りとともに、あやつは襲いかかってきた。身を守る以外の選択肢はなかった。まずは瞑想次元の広大な水上にて、そして次元を貫き千々に荒れる道の中にて、我らは幾日、幾月、幾星霜を戦った。鉤爪と牙と魔術にて戦った。幾度もの苦闘を重ね、あやつは容赦なく、我は休戦を申し出ようとしたがその全ては拒絶された。あやつが望むのは我の死、自分よりも先に次元を渡ったという事実は、あやつにとって許されざる罪であった。我が持たぬ嫉妬に、あやつの心は食い尽くされていた。
何ができたであろうか? 宥める術はなかった。
最終的に、異なる航跡を経て、我らは瞑想次元へと帰還した。そこで、純粋に身を守るべく、我はウギンを殺害した。
巨大な水飛沫と共に、あやつは静かな水面に落下した。その衝撃は雷鳴のように響いた。巨大な波が転覆して岩の小島をなぎ倒し、行く先の全てを飲みこみ破壊した。波は繰り返し起こり、瞑想次元の彼方をも越えて次元そのものを繋ぐ暗黒の網までも達した。あるいは龍ですら測れぬ久遠の闇の深みまでも。ウギンの死がそうさせたかのようにその波は瞑想次元を溢れ出した。そして重しを陶器の鉢に落としたかのように、器そのものにもひびを入れた。
激しい波は我を瞑想次元から流し去った。投げられた槍の如く、我は十、二十、百もの次元を越え、ドミナリアのマダラ諸島へと強かに落下した。既に古龍戦争の記憶は伝説へと消えていた。傷つき呆然とし、回復は困難であったが成し遂げた。多くの戦いが我が目前に待っており、それらは難なく受け止めた。
小さきネイヴァよ、我が魅惑的な生涯の長き物語に興味を抱いたことは間違いなかろう。ウギンの偽物語を正した後、全てを伝えておぬしを楽しませることはやぶさかでない。だが我が目的から気を逸らせているとおぬしは信じておるな。そうではない。
もはや空は見えなかった。ただその龍の眩惑的な両目と角のまばゆい曲線と、卵型の宝石がその先端の間でゆっくりと回転しているだけだった。
その笑みから牙が見えた。一口で、自分など食われてしまう。
「常々落胆するのであるが」 龍は優しい声で言った。「人というものは実に軽率に、我ら龍は人の肉を好むと考える。実際には全くもって好みなどではないのだが」
龍は頭を低くした。ネイヴァはもう一歩後ずさったが、背後はもうウギンが眠る繭だった。それ以上は動けなかった。
「おぬしは理解しておらぬ。我にとって時間は幾らでもあるが、おぬしはそうではない。答えよ。ウギンは何処におる?」
「ウギンは死んだ」
「いかにも。我も瞑想次元にてあやつを殺した際にはそう信じた。あやつが死んだと信じて出発し、だがそれは誤りであった。いかにしてかあやつは死んでなどおらず、以来我を悩ませている。最近ではイクサランにて、魔法の道具を用いて我を捕えようと杜撰な計画を立てておったな」
「イクサラン?」 彼女はその言葉を絞り出した。何でもいいからこの龍を喋らせ続けなければ。
「その名はおぬしにとって何の意味もない。こことは異なる次元だ。その短く粗く不快な人生において目にすることなど決してないものだ」
《高地の湖》 アート:Noah Bradley |
四肢が体温を失い、心臓が動きを緩めた。まるでウギンの最大の敵、ニコル・ボーラスの破壊的な力に対峙しているよりは無感覚に倒れた方がいいと身体が判断したかのように。だが屈するわけにはいかなかった。
「ウギンは死んだ」 再び、かすれた囁き声でその言葉を絞り出した。「ウギンの骨はここに横たわってる。岩の中に」
「ほう。成程」 彼女を怖気づかせる低い声とともに、龍の凝視が峡谷の先へと向けられた。「ウギンの身体が落下してこの峡谷を作ったのか。あやつの身体が真にそこにあるのであれば、ありうることだ」
「骨は見えないのか?」
龍は鉤爪を地面に叩きつけ、轟音は崖に反響した。「我に問うでない。ところでおぬしは他者から消耗品だと思われておる。それは恥ずべきことではないか?」
「消耗品? 皆私に頼ってるんだ!」
「小さき者よ、そこまで神経質になることはない。おぬしの祖母がおぬしを重んじるのは、真に大切な孫を守るために有用であるからに過ぎぬ。巫師の才能を受け継いだ方をな。お前に魔術の才能は無いのであろう?」
「私は一人前の狩人だ!」
「いかにも、いかにもおぬしは一人前の狩人よ。誰もが狩人よ。だがおぬしの片割れは巫師。自らを拒んだ才能を持つ者を愛すというのは極めて悩ましいことよ。おぬしが手に入れられなかったものだ。そのためおぬしは取り入り、世辞や称賛を口にすることを求められる。真に価値あるのはおぬしの方であるのにな。おぬしは来たる年の氏族を養う者だ。夏には民を高地に導き、冬には低地へ連れ出す者だ。おぬしは長、だが願ったことも求めたこともない片割れという重荷を負っている。当然行うべき偵察と狩りの責務を与えられるのではなく、片割れを見守らせ、待たせられることを強いられている。公平ではないな? おぬしが片割れから解放されたなら、遂に真の自身となれる、そうではないか? ようやく自らに相応しい、偉大なる狩人にして長になれるのだ。ネイヴァよ、我がその力となろう」
その言葉は実に柔らかく、説得力をもって心に入りこんでいった。古い憤りに火花が灯った。過去のあらゆる苛立ちが心の最前列に這い戻ってきた。それは目の前の龍だけが宥められる激しい頭痛のようだった。だがこの龍を信頼はできなかった。彼女は消えゆく思考にすがった。「どうやって私の力になれるんだ? 何で私を助けようとするんだ?」
「おぬしの力にならなくば、我はタルキールを破壊せざるを得なくなるであろう。恥ずべきことではあるまい? おぬしはその破壊を防ぐことのできる唯一の者であるのだから」
「じゃあ何でタルキールを壊したがるんだ?」 恐れ、震えながら彼女はかすれた声で尋ねた。
「ウギンがタルキールを愛しておるために。だが第一の理由は、あやつがここで再誕するような事があってはならぬため」 龍は言葉を切り、そして魔法のように柔らかく温かな息を小さく吐いた。それは彼女の震える身体を過ぎていった。「ネイヴァよ、悩むことはない。我とてこの次元を消し去りたくはなく、むしろおぬしの力になりたいのだ。共にタルキールから敵を一掃しようぞ、全ての龍と全ての氏族を。おぬしは広大な世界を狩り、その前に立ち塞がる者はない。我が力があれば、おぬしがかつて夢見た全てをもたらすことができる。おぬしのために用いようではないか。おぬしに必要なのは、ヤソヴァを連れて来ることのみ。今すぐに」
今すぐに。その言葉は脳内に反響した。全くもって真実だった。ベイシャはずっと、あのゴブリンの死体が入った網以上の重荷だった。祖母が死んだなら、若く経験のない囁く者を受け入れる家族などない。そうすれば全員を死の危険にさらしかねないのだから。ただ片割れを守りたいだけなのに、何故全てを諦めるよう求められるのだろうか? 古の道は決して自分のものではない。未来への道の障害でしかない。
「ここに。この中に。隠れてる」
その笑みが世界の全てを照らした。「連れて来るのだ。さすればおぬしは報奨を得るであろう」
過去にしがみついても自分に未来はない。テイ・ジンへ言った通り、古い道など死肉食らいに与えておけばよい屍でしかない。
《アタルカの命令》 アート:Chris Rahn |
だがあの若き幽霊火の戦士を、彼の勇気と自己犠牲を思うと彼女の骨格に震えが走り、その決意に深手を負わせた。偉大なる龍爪のヤソヴァをニコル・ボーラスに売り渡したと彼が知ったなら、何と言うだろう?
「小さきネイヴァよ、我はヤソヴァに害を成したいわけではないのだ。力を貸したいのだ。それだけだ。行くがよい」 その声が強張った。脳内が圧迫され、頭蓋骨が破裂するかと思うほどだった。
膝をつき、彼女は壊れた岩の破片を除けて中へ入った。その薄暗がりの中、息詰まる狭い空間に、ベイシャが眠るように横たわり、規則正しく呼吸をしていた。祖母は瞑想の姿勢に足を組み、目を閉じ、左手は太腿の上に置いて右手はベイシャの剥き出しの指を優しく掴んでいた。その様子はネイヴァの心に嫉妬の穴を穿った。祖母はいつもベイシャの方を好んでいた。自分よりもベイシャを愛していた。
祖母の身体を外へ出さねばならない。だがそれは後でもいい。鞘からナイフを抜くと、彼女はベイシャの無防備な喉へとその刃を押し当てた。
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)
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