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Magic Story -未踏世界の物語-
電光虫プロジェクト
電光虫プロジェクト
Doug Beyer / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2015年5月27日
ラヴニカの各ギルドは不承不承、今やジェイス・ベレレンがギルドパクトの生ける顕現であると受け入れている。ギルド同士が衝突することがあれば、それらの間へと裁定を下すことになるのはベレレンだということが明らかになっている。明らかでないのは、プレインズウォーカーであるというベレレンの真の正体――その知識を持つ僅かな者を除いては。イゼット団のギルド魔道士ラル・ザレックはその新たな生けるギルドパクトに何の愛着もないが、実のところ彼もまたプレインズウォーカーであり、その共通の特性が、突如として極めて重要となる。
《地下世界の人脈》 アート:Yeong-Hao Han |
地底街の名もなき街路からは空が見えていた。そしてこの数週間、第十地区にかかり続けているものと同じ雲が、同じ柔らかな霧雨を都市へと落としていた。ラル・ザレックはその低い街路を先導し、精神魔道士は彼の一歩背後を進んでいた。
「ベレレン、もしお前が俺の頭に根を伸ばそうというなら、頭の上のあの雲から全力の稲妻が突然、全部、一斉に、お前に向かって落ちると思えよ」ラル・ザレックは低い声で言った。
「ならば、何処へ向かっているのかを教えてくれないか」 ベレレンが尋ねた。
「すぐにわかる」
「君は知っているよな、『すぐにわかる』って台詞を言うような相手には、俺は即座にそいつの心へ飛び込むって」
ラルは肩越しにその精神魔道士を振り返った。「第十地区では他のどの地区よりも頻繁に落雷があると知ってたか? 何故だかわかるか?」
「君か?」
ラルは得意げな笑みで言った。「よくできました」
二人は玉葱のべたつく匂いが漂う店先を通り、フードを被ったエルフ達がしかめ面を二人へと投げかける、黴臭い路地を進んだ。
「驚いたよ、ラル。君が......俺に接触してくるとは」 ベレレンは言った。
ラルは肩をすくめた。「他にいなかったからな」
ラヴニカのあらゆる潜在的な友と情報筋の中から、ラルは自分が絶対に接触しようとは思いもしていなかった魔道士を選んだ。ジェイス・ベレレン、生けるギルドパクトとも呼ばれる、全ギルドの調停者――ラルの奮闘にもかかわらず、その地位をさらっていった者。
「君が言っていた話からするに」 ベレレンは続けた。「この情報が少しでも広まってしまったなら、まずいことになるんだよな」
ラルはベレレンをちらりと振り返った。トレードマークの外套を着こんでいないこの精神魔道士は妙に――地味に見えた。が、現にそのやりかたで上手く溶け込んでいた。かの有名な生けるギルドパクト様ではなく、どこにもでいるラヴニカ人、第十地区の、これといった特徴のない一市民として。彼は目立たないように何らかの補助的な幻影を用いているのかとラルは思った。それは真の問題ではなかった――ラルは彼を簡単に発見した。それこそが、真の問題だった。
「もしこの計画がこのまま順調に進んで、結果がわかってきたなら、最悪の事態になるだろうな」 ラルが言った。
ラルは地下道の壁に取りつけられた扉の前で立ち止まった。彼は少しの間その取手を帯電させ、そしてひねって開いた。彼とベレレンは横道へと入り、扉を背後で固く閉めた。
「ニヴ=ミゼットはどの程度感づいているんだ?」 ベレレンの声がこだました。
《思考を築く者、ジェイス》 アート:Jaime Jones |
「もしあいつがパターンを既に把握していたとしても、それについては黙っている。そして何ごとも黙っていることはできない奴だ。つまり、まだわかっていないという事だろう。だけどお前も知ってる通り、あいつはむかつく程に明晰な奴だ。そして辛抱強い奴じゃない。俺がすべてを話していない事を気付きつつある」
「君が調査結果を改竄しているのか?」
「俺を誰だと思っている、ラル・ザレックだ! ベレレン、お前が知ってるかどうかはわからないが、イゼットの魔道士がイゼットの調査を邪魔するものか。俺はただ......自分の能力を全部使っていないだけだ。その上、奴の侍従がありとあらゆる探知を駆使して俺に付き纏ってきやがる」
「君は俺に......どれほど多くの探知を?」
ラルは立ち止まり、ジェイスを振り返った。「かなりの数だ。ニヴ=ミゼットはお前がプレインズウォーカーだともう気付いているのかもしれないくらいにな」
「電光虫計画」はニヴ=ミゼットではなく、火想者の現在の侍従であるメイリーの発案だった。メイリーはメーレクの製作に携わったことでギルドマスターに強い印象を与えた精霊術士だった。暗黙の迷路と生けるギルドパクトの大失敗、その全てから続く数週間のうちに、ベレレンが長い間に渡って行方をくらましていたとそのドラゴンは気付いた。そして侍従メイリーが、彼の動きをもっと詳細に追跡することを提案した。
そこでラルが、ベレレンの失踪を記録し説明する計画の首席調査員として指名された。勿論、彼は既に知っていた、何故ベレレンが失踪するのかを――彼は同類、プレインズウォーカーであり、ラヴニカという次元の外で時を過ごしているのだと。
ニヴ=ミゼットが真実を知りつつあるという考えに、ラルの首筋の筋肉は張り詰めた。そしてそれは若い頃の暗く、嫌な思い出の場所に触れた。ラルはつらい状況の下、自身のプレインズウォーカーという面を隠すことを学んでいた。そして彼はそれを再び体験したくはなかった。
それを差し引いても、ニヴ=ミゼットがその真実を手にしたならどう動くか、どんな恐ろしい事が待っているかを彼は十分予測できた。彼は好奇心の精神にのっとって、発見したありとあらゆるプレインズウォーカーを熱心に解剖するだろう。もしくは自身の優位性を主張し、自身の存在に関する嫉妬心を鎮めるべく、単純に全員を食べてしまうだろう。彼はあらゆるプレインズウォーカーの行き来を追い、ラルが苦心の末にイゼット団の中に成し得た尊敬を受ける地位を駄目にしてしまうだろう。
更に、他のギルドはこの知識にどう反応するだろうか?
どう転んでも危険ではあったが、彼はその計画を主導することへと即座に同意した。二流の薬術師か何かにベレレンを追跡させ、他の次元の存在を証明させ、全てを破滅させてしまうよりは、自分が電光虫計画を主導し、調査を何とか動かす方がましだった。
ラルは認めていた、自分はこの仕事に適した者だと――彼のとった筋道は素晴らしかった。ニヴ=ミゼットがその計画を委ねるや否や、彼の精神は音を立てて回転し、ギルドパクトを追跡する方法が次々と弾けるように発案されるのを止められなかった。対象に、次元渡りのような「不連続性」が観測された時に小さな魔力を送り出す、緻密なエンチャントの設計に手を貸した。イゼット団の下っ端がベレレンの外套へとそのエンチャントを植え付け、そしてラルは第十地区上空に動的な増幅フィールドを呼び出した――地区の住人達はそれを、先月から続く腹立たしいほどに頑固な時雨模様の天気として経験した。その時雨のフィールドは追跡魔法の小さな発信を、探知可能な頭上の稲妻として拡大する。疑念をもたらすほどの露骨さを見せることはなく。
《天才の煽り》 アート:Terese Nielsen |
それは完璧なシステムだった。他のイゼットのギルド魔道士達は証拠となる稲妻の観察を始めた。ただ最後の瞬間、ラルは自身の根気強い嵐をひねり、その正確さを薄れさせることを忘れなかった。そのため電光虫計画はプレインズウォーカーの存在をすぐさま証明してはいなかった。
データは横振れを始め、状況はただちに悪化した。
「何故言ってしまわないんだ?」 ベレレンは暗い地下道を先導するラルへと尋ねた。「迷路の時に君は俺に挑戦しただろう、イマーラに全てを明かして。でも今君はプレインズウォーカーのことをニヴ=ミゼットに隠しているのか?」
ラルは足を止めたが、ベレレンを振り返りはしなかった。「お前にはわからねえよ」 彼ははねつけるように言った。
「わかることはできる」 ジェイスは言った。片方の掌を上に向け、肩をすくめて。「だけど感電死はしたくない」
ラルは地下道の苔むした壁に手を走らせた。「ベレレン、俺がどうやってイゼットの一員になったか知ってるか? 俺が今所属する場所を見い出すために、何を経験したかを知ってるか? 俺はちっぽけな地区で育った。ちっぽけな奴らばっかりのな。そいつらは俺の嵐の魔術を応援してくれたと思うか? そんなわけなかった。誰もが『雨魔道士』を嫌がった」 ラルは唐突に、前腕の手甲の紐を引いた。「俺は素早く学んだよ、自分の秘密を守ることを。俺は自分の力で第十地区に来て、話し方を覚えて、地区を覚えた――何処に行けばメシが食えるか、何処で寝るのは危ないか。俺は全部のギルドの歴史を勉強した、何もかもをすっかりな。俺はイゼットを見出し、その全てを学んだ――ギルドに入って働くために、ニヴ=ミゼット自身の方程式に基礎をおく嵐の魔術を。俺の人生で一番幸せだった日は、イゼット団に入り、ギルド魔道士になれた日だ」
「でも、君はただのギルド魔道士じゃない。君はプレインズウォーカーだ」
「俺の灯は、これまでやってきた事を失うもう一つの道筋を寄越したに過ぎない。俺は第十地区の嵐魔道士だ。俺はな、心の底からラヴニカ人なんだよ」
ラルはベレレンへと振り返り、自身の胸を指差した。「そしてニヴ=ミゼットが迷路を公にした。だがどいつがギルドパクトになった? 俺がその地位を手に入れようとした結果どうなった? 部外者が、何もやってない奴が。どっか別の次元からの侵略者が。お前はふらりとやって来て、謎を解いて、今やお前が俺の世界の運命を左右する地位にある。俺がそれをどう思っているか、わかってるのか?」
地下道の暗い明りの中、ラルはジェイスが額に皺を寄せるのを見た。精神魔道士は熟慮しながら、視線を投げかけていた。ラルは考えこむこの侵略者を置いて進みたい衝動にかられたが、彼はベレレンの表情が変化するのを見た。
「君は俺を懲らしめたいと思ってるんだろう」 ベレレンは言った。「俺がイマーラとやった事を壊したいだろう、君の前で迷路を解いた仕返しに」
ラルは溜息をつき、わずかに肩を落とした。ベレレンはどこか若くも年老いているようにも見える――時雨に縮れたその頭髪は少年のようで、だがそこかしこに苦脳の皺が刻まれ、衰えているようにも見えた。
「お前の友達との関係を壊したいとは思ってなかったよ、ベレレン」 ラルは言った。
「いいんだ」 ジェイスは言った。「あるべき姿だから。彼女にとってはその方が安全だから」
ラルは浮かない顔で視線を落とし、手甲をもてあそんだ。「あの人は覚えていないのか?」
ベレレンは腕をひっかいた。額の滑らかな皮膚の一部に皺を寄せ、だが彼は黙ったままでいた。
「お前のせいじゃない」 ラルは言った。「あるべき姿だ。さっき聞いてきたよな、何故俺が奴に自分のことを言ってしまわないのかって。そうしようと思ったさ、最初はな。俺は自分が生きる世界に、俺を理解して欲しかった――俺が何者か、あいつらが、何の一部かを。奇妙な真実を理解していない、俺達のイゼット団がそんなことでいいのか? だけどお前はニヴ=ミゼットを知らない。その真実はあいつを裂いちまう。あいつをひっくり返しちまう。そして俺達をひっくり返しちまうだろう。それから......」 ラルは肩をすくめた。彼は前に進み出て、強調するように両手を動かした。「考えてみろ、もしニヴ=ミゼットが――この次元全体が――いつ、生けるギルドパクトがこの次元の外に出るかを正確に知ることができたら、どうなるか。ベレレン、単純にそれを考えてみろ」
ベレレンの両眼が一瞬泳いだ。彼はこめかみを掻いた。「君はその計画を終わらせることができないのか?」
「予定した通りには行っていない。あのドラゴンは俺を急かしている」 ラルは地下道を下り続けた。「こっちだ。もうすぐ着く」
ベレレンは懐疑に隔てられるように動かなかった。「俺を何処へ連れていくのか、頼むから教えてくれないか?」
ラルは指先で額を掻き、ベレレンのテレパシーを真似た。そして僅か二文字の単語を口の動きで伝えた。「来 い」
その日の早朝、ラルはイゼットギルドの本部に立ち、あのドラゴンへと正面きって嘘をついていた。
ラルは両掌を近づけ、その間にぼんやりと電気の弧を躍らせた。彼は探知結果がよりよく見えるようにと、ニヴ=ミゼットの巨体が床に投げかける影から僅かに外れた位置を保ちながら脇に寄った。そのドラゴンは空中に映し出された探知結果を調べていた。それはゆっくりと回転する星の群れが不規則に散らばっているようだった。ラルは報告へと多少の確実性を与えるために、そのフィールドについての逸話を語ることを考えた。だが彼は知っていた、それはドラゴンを苛立たせ、必然的に受ける非難を速めるだけだと。だがそれでも彼はそうしたかった。
彼の隣では、侍従メイリーが興奮してその手を口に当てていた。ラルは眉を上げた――かすかな批判の仕草かもしれない、だが友好的なものとも判断できる――そして彼女の上から下まで一瞥した。彼はこの侍従を好いていたが、もしもこのドラゴンが彼女に飽きたならその晴れやかな経歴に何が起こるだろうかとも思った。
ニヴ=ミゼットは稲妻の閃きがデータとして記録した点が散らばる図を入念に見ながら、不平そうに唸った。それらは一つのパターンと言うには十分に完全ではなかった、ラルが申し分のない仕事をしたのであれば。だがラルも見て、そのデータが少々奇妙だと気付いた――多すぎるのだ。
これはまずい、彼は思った。
「宜しい」 ニヴ=ミゼットは言った。「矛盾のない反復を示し始めたな、ザレックよ」
《火想者ニヴ=ミゼット》 アート:Todd Lockwood |
ラルは歯を軋ませた。彼は宙に浮かびちらつくデータを凝視した。理解とともに、活気のない電流が彼の脊髄を跳ねて流れた。「これら全てが私の探知というわけではありません」 ラルは言った。「これらは、全てがギルドパクトのものというわけではありません」
「その通り、新しいものです」 メイリーが喋ると、目の上で眼鏡が小刻みに動いた。「イズマグナスと私とで、爆風追いと精霊術士の一隊を連れて行き、貴方の技術を複製しました」 彼女が手を振ると、光の点が輝いた。
ラルの頭に血が上った。「どうしたんですか、私に相談もなくこんなに多くの探知を設置するというのは」
「多少の時間はかかりました。ですがミジックスと私とで貴方の探知呪文を測定し、効果範囲を改良できました」 ラルは「どうやったのか説明しろ」という意味で言ったのではなかったが、侍従はそう受け取っていた。「私達は今や数百人という市民を追跡しています、そして新たな信号を二つ発見しました――新たな電光虫です。言いました通り、私達はそれらの不連続性を追っています。宜しいでしょうか?」
二つの新たな信号。ラルは輝く図にそれらの正確な位置を見ることができた。また別のプレインズウォーカー達がラヴニカを行き来している。彼らはすぐさま、そのパターンを見出すだろう。
「火想者様」 ラルは言った。彼の心は焦っていた。「この試みは我々の結果の有効性を危うくしかねません。計画全体への危険性を意味しています」
「ザレックよ、おぬしの調査にはもう少々危険性が必要かもしれぬな」 ニヴ=ミゼットは言った。「だが侍従による拡張を含めても、まだ明確とは言えぬ。更に明晰なデータが必要だ......可及的速やかに」
ラルはそのドラゴンの、鱗の柱のような首筋を見上げ、そして目を合わせた。それらはガラス玉のように見え、だがその背後には熱があった。「かしこまりました、火想者様」
「貴方の嵐増幅魔法の精度を向上させる案が幾つかあります」 侍従はそう言って眼鏡の位置を直した。「勿論、貴方の手も必要です」
「精度を向上させる?」
「そうです。私達は一連の回転静止性ダイナモをニヴィックスの屋根に取り付け、それらを使用して貴方の嵐の伝導率を測定します。改良の余地があることは言うまでもないと思います」
ラルはかぶりを振った。「不合理ですよ」
「私は――今何と?」
「静電フィールドは狭い伝導帯域に依存します」 ラルは言った。彼女はこれを更なる昇進に変えようとしているのだろうか? 故意に彼の地位を落とそうとしているのだろうか? 「追加のダイナモは感度を乱すだけでしょう。魔力が多すぎたなら、平衡状態が崩壊します」
メイリー侍従はニヴ=ミゼットを見上げた。「火想者様、首席調査員と意見の不一致がありました。私達が必要とする感度を得るためには更に多くの魔力が必要と私は考えます」
ドラゴンは首をゆっくりと二人の魔道士の間を行き来させた。そして、メイリーを見た。「進めるがよい」
ラルは、両者が自分の反応を観察しているとわかっていた。彼は無言でいた。
「ダイナモへの調整は間もなく完了するかと思われます」 侍従は言った。「明日の朝、嵐への改善を実施致します。お立会い願えますでしょうか?」
ラルはニヴ=ミゼットを見上げた。ドラゴンはその歯を見せていた。恐らくは激励の笑顔を意図しているのだろう、だがラルにとっては威圧の誇示のように見えた。ラルは湾曲した牙に、唾液が光っているのを見た。
「了解致しました」 ラルは言った。「全て上手く行くことを祈りましょう、そして真実を学べることを。では明日」
ラルとベレレンは苔むした地下道を下り続けた。律動的な詠唱と行軍の足音が頭上から彼らへと響いていた。ラルは重い鉄製の蓋へと続く梯子に手を伸ばした。彼は一本の指を唇に当ると――ベレレンは頷き――それを登り、鉄の蓋を押し開けて抜け出た。ベレレンは静かにその後に続いた。
二人は夕暮れの薄闇の中、灯火に照らされた大通りに面するボロスの駐屯地、その隣の脇道へと出た。ラルとベレレンは駐屯地の建物へと続く低い入り口に身を隠しつつ、訓練演習中のボロス軍兵士達が通過する様子を観察した。道に点在する浅い水たまりに彼らのブーツが音を立てた。ラルは頭上に広がる時雨のフィールドをちらりと見て、近くの時計塔で時間を確かめた。
《ボロスのギルド門》 アート:Noah Bradley |
「その場所を見てろ」 ラルはそう言って、道路の向こうの路地へと頷き示した。「ちょうど時間だ」
二人はボロス教官の先導の詠唱を聞きながら待った。雨とは言いきれないものが頭上の頑固な雲から柔らかく降り注いだ。ラルは再び時計を確認した。
「俺は故郷を覚えてない」 何も訊かれていないのに、ベレレンは静かに言った。
「何の話だ?」
「君はラヴニカで育ったと話してくれただろ。俺の、子供の頃の記憶はもう大体が無い。ぶつ切れの、少しの印象だけだ。俺が覚えていることのほとんどはここで、ラヴニカで始まってる。君のようにここに起源を持つわけじゃないし、確かに沢山の、他の次元にも行ってる。だけど俺だって、自分の心底はラヴニカ人だと思ってるよ」
ラルの中にちくりと痛むような、濃密な感情が持ち上がった。そして彼はそれが迸り出るのをこらえるように、唇を噛みしめた。「同じなものか、ジェイス。俺とお前とは違う」 彼は言った。そして逆の横道の監視へと再び顔を向けたが、彼はベレレンの手首へと手を置き、握り締めた。
「ラル?」
「ああ?」
「初めてだな、俺を『ベレレン』以外で呼んでくれたのは」
「ふん」 ラルは時計塔を再び確認し、路地をじっと見た。
更に数分が経過し、ジェイスが口を開いた。「稲妻が落ちても落ちなくても、俺達が何を監視しているのか教えてくれないか。でないとそろそろ君の頭の中を洗いざらい見たくなってくる」
ラルは顔をしかめた。「今起こっている筈だった」 頭上の雲は沈黙していた――証拠となる雷鳴も、次元渡りの兆候もなかった。「プレインズウォーカーだ、俺が追跡してきたのは。電光虫計画がまだ発見できていない奴だ。そいつは常に、毎日夕方に出現する」
「毎日夕方?」
「歯車仕掛けのように正確に。そいつは出現し、街のどこかを訪ねて、朝がくる前にまた次元渡りをして去る」
「何者なんだ?」
「わからん。人間だ。背は高くて、身体つきは逞しい。鋭い目つき。どうもボロス内の何かと接触しているらしい。そいつと接触する機会を俺は得られなかった」
ジェイスは唇を引き締めた。「何故俺にそいつを見せようと思ったんだ?」
「運が悪いことに、そいつが完璧なパターンだからだ。何よりも明確なデータだ。そいつの旅は几帳面すぎる。侍従メイリーや他の研究者がそいつの不連続性から推定し、プレインズウォーカーについて知るのは何ら難しくないだろう。俺達はニヴ=ミゼットから、そいつを隠さないといけない」 ラルは両手指を合わせ、小さな稲妻の弧が彼の指から指へと跳ねた。「俺はそいつを追跡する魔法を打ち切った。だが他の奴らがそいつを見つける危険性はある」
「ああ、それなら俺達はこれを論理的に考えないといけない。どうにか彼らを撒く計画を立てて、どうにか魔法を......」
「......明日だ」 ラルが遮った。「あいつらは明日、そいつを発見するだろう」
ラルはあまり眠れなかった。
「首席調査員ザレック」 ギルドの本拠地、ニヴィックスの屋根に上がるのを手助けしながら、侍従メイリーは言った。「本日の改良作業への準備は――宜しいですか?」
「はい」 ラルは欠伸をしながら言った。「増幅呪文の準備をします。少々お待ち下さい――多くの魔力を呼び起こす必要がありますので」
「万全の準備を行って下さい」 侍従はそう言って彼へとしなやかな、うなりを上げるケーブルを二本手渡した。「ニヴィックスの備蓄に直接繋がります」 彼女は彼と目を合わせようとした。「そして、ザレック殿――私達の行った拡張について。私の領分を踏み越えるつもりはありませんでした。これは貴方の計画です。貴方に相談すべきでした」
《イゼットの魔除け》 アート:Zoltan Boros |
ラルはそのまま手甲へとケーブルを取りつけた。彼の皮膚は刺すように痛み、毛髪がまっすぐに伸びた。魔力が身体を通って流れ、ラルは気分が浮き足立つのを抑えられなかった。彼はただ、自身とジェイスが立てた計画が上手くいくことだけを願った。
「とにかく、貴方が嵐を増幅しましたらすぐに、選別された有望な対象全てへとよりよく集中できるでしょう」 メイリーは言った。彼女は眼鏡を片目へと滑らせた。「何が彼らの空間的不連続を引き起こしているのか、正確に知ることができる筈です」
ラルは都市へと身体を向けた。彼はケーブルからマナを流入させ、呪文を成そうとした。彼の視界にひびが入って白色と化し、だが彼は頭上の嵐が乱れ、波立つのを感じた。彼は一度深く息を吸っては吐くと、空へ向けて両腕を勢い良く伸ばした。
「そうです!」 メイリーの声が聞こえた。「増幅しています!」
ラルは嵐が争いうねる音を聞いた。まるで巨大な獣が元気よく目覚めるようだった。それは彼を押し返し、だが彼は更に強く押し戻し、嵐へとマナをうねらせてそれを成長させ、強めていった。
「何かがわかりそうです」 メイリーが言った。「続けて下さい!」
ラルは呪文を完成させた。そして魔力が彼の腕を離れて、頭上の嵐へと脈打ちながら向かうのを感じた。視界がはっきりとした。彼は自分達を取り囲む、潜在的な魔力を弾けさせる壮大な嵐を目にした。彼の毛髪は逆立ち、静電気が音を立てていた。屋根のそこかしこに置かれたダイナモ装置がうなりを上げていた。
目の前で起こったことが何をもたらすかを考えたとしても、それは彼に、自分にうってつけのギルドにいると確信させてくれる時間だった。
《ラル・ザレック》 アート:Eric Deschamps |
一際強い突風が宙に渦を巻き、ニヴ=ミゼット自身が建物の上に姿を現した。彼は翼を誇示するように広げて魔道士二人の隣、屋根の上の定位置へとやって来た。それはまるでクジャクが周囲へと羽根を見せつけるようだった。「調査員達よ、結論はいかに?」 彼は言った。
侍従メイリーは計測装置を見積もった。「更なる正確さで目標を定めています」
ラルは重く息をつき、手甲からケーブルを外した。計画は成功か失敗かが判明する――そしてどちらの場合でも、ニヴ=ミゼットは動く。頭上では鋭く響く雷鳴を伴い、稲妻が空を飛び交っていた。
メイリーの表情が歓喜から懸念へと変化した。「何かが変です」 彼女は言った。「探知が。それらに何か不規則なものが」
「何ですか?」 ラルは尋ねた。「見せて下さい」
メイリーは彼へと計測装置を示した。「嵐は不連続性を記録しています――それは生けるギルドパクトのもの。ですが......それは彼がずっと第十地区にいるとも示しています」
ラルは難しい目をして、装置の光の点をじっと観察するふりをした。「ううむ。ベレレンは何か自身にマナの制約的なものを適用していたのか......嵐はそれを電気的な不連続性として記録したのか」
「ですが、ただの幻影魔法かもしれません」 彼女は言った。
「もしくは何か別の、通常の変動なのか」 ラルは付け加えた。
「嵐はそれらをずっと電光虫として記録していたのですか?」
「十分な増幅が無い場合は、嵐は識別できる差異を持たないように見えます」
侍従は計測装置のつまみを回し、再び読み取り、苛立った。「ですが、私達のあらゆるデータはそれを基礎としています。対象は実際に失踪してはいない――彼らはただ嵐から見えなくなってしまっただけです」
《火想者ニヴ=ミゼット》 アート:Svetlin Velinov |
ニヴ=ミゼットは口を開いた、その声は雷鳴そのものだった。「この方式は」 彼は声を響かせた、判事が被告へと死罪を言い渡す流儀で。「信頼できぬことは明らかだ」
ラルは頷いた。「申し訳ございません、火想者様。探知呪文の調整許可を他の調査員へと与えるべきではありませんでした。私の責任です」
「計画は終了だ」 ドラゴンは厳しい調子で言い、翼を広げて宙へと叩きつけた。その巨体が浮かび上がった。「おぬしらがこの先も自身の有用性を証明したいのであれば、何もかも考え直すべきであろう」
「承知致しました、火想者様」 侍従メイリーも言った。
ニヴ=ミゼットは何かを躊躇い、その両眼はわずかな、奇妙な間だけ二人に留まった。そして彼は宙で背を向けると雲間へと飛び立った。彼の翼は嵐に穴を開け、それを轟きとともに消失させた。
「申し訳ございません、ザレック首席調査員」 侍従は言った。「それともこう言うべきでしょうか、ギルド魔道士ザレック」
ラルは首を横にかしげた、少しだけ肩をすくめるように。その侍従はまもなくギルド魔道士としての彼に会うかもしれない。どう返答しようか彼は考え、そして言うべきことを決めた。それはきっとあのドラゴンの仕事でしょう、と。
前日の夕刻、一人のプレインズウォーカーがボロス軍駐屯地の二階に身を隠し、耳を澄ましていた。彼は対探知呪文の防護魔法がかけられたこの場所へ張り込み、そして通った視界から眼下の脇道、二人の男が隠れて低い声で話し合う場所を見下ろすことができた。そのうち一人はイゼット団の身なりで、銅製の腕甲を身につけていた。もう一人はラヴニカの生けるギルドパクトと彼は認識した。そのプレインズウォーカーは厳めしい興味とともに観察していた。尾行の二人は明らかに、彼のいつもの到着場所を監視している。その場所から、彼は二人の会話を把握することができた。
「俺はそいつを追跡する魔法を打ち切った。だが他の奴らがそいつを見つける危険性はある」 イゼットの魔道士が言った。
「ああ、それなら俺達はこれを論理的に考えないといけない。どうにか彼らを撒く計画を立てないと」 ギルドパクトが言った。
魔道士二人は一つの計画を議論した。彼に馴染みのない複雑なイゼットの嵐魔術と、ドラゴンのギルドマスターをも巻き込む、危険だが賢い誤魔化しを。
「お前の幻影を監視する、余分の探知をつけようかと思う」 イゼットの魔道士が言った。「嵐を増幅させたら、お前は書斎へとプレインズウォークする。だがお前の分身は既にそこにいる。嵐はそれ自体と矛盾する――ありふれた呪文の結果と同じように不連続性が記録される。計画全体に欠陥があると証明されるには十分だろう」
生けるギルドパクトは頷き、二人の会話は結論に達した――そして彼は徒歩では去らなかった。その代わりに少しだけ集中し、そしてあの特別な細波とともに消えた。
生けるギルドパクトはプレインズウォーカー。それは明らかだった。
一方でイゼットの魔道士は、下水の梯子を降りて視界から消えた。
そのプレインズウォーカーは綺麗に剃った顎髭を撫でた。彼はもはや追跡されてはいない、それは確定していた。そして彼はあの、ギルドの調停者について、重要な新情報の一片を手にした――実りのある張り込み、彼の通常スケジュールを変えた価値は十分にあった。彼は鎧の凹みを調べ、ボロス歩兵隊の詠唱の最後の名残が消える中、その場を立ち去った。
アート:Richard Wright |
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