臨死体験ファイル#1
その日は、多くのティーンエイジャーたちが待ち望んでいた日だった。運転の仕方を習う、最初の日だ。
当時私は15歳で、あっという間に近づいてくる夏の間に運転免許を取るため、授業を受ける予定でいた。私は基礎を学ぶ必要があったので、母は練習場所としてはいたって普通なところで授業を始めることにした――駐車場だ。
(訳注:日本の運転免許と異なり、アメリカでは実技試験の練習を路上で行なってもよい州があります。その際には助手席に指導する人(この場合は母親)が座ります。)
母は週末に、車で近所の学校まで連れていってくれた。駐車場には誰もいなくて、運転するのにもってこいの場所だった。文句なしの練習場だ。そう、母がある些細なことを見落としていたことを除けば......
私たちは席を替わり、私は初めて運転席に身を置いた。基本的な操作をざっとおさらいしたら、いよいよその時だ。私はシートベルトを締め、エンジンをかけてミラーを確認し、それから最初の課題に取りかかった――駐車した場所からバックで出る。
最初の課題はうまくいった。私はギアをリバースに入れて、2本の白線を踏むことなく出た。
「オーケー、ガヴィン、その調子よ! 今度は前に進んでみましょう」
私は、ペダルの判別が甘いままアクセルを強く踏み込んだ。
ギアはリバースに入れたままだ。
普通の駐車場なら、これは大した問題にはならなかっただろう。だがここでは命取りだった。
そう、この学校は、丘を登る長く曲がりくねった道を走らなければたどり着けないようなものだったのだ。屋根が真っ白で各教室には小さな窓がついていて、素朴なコテージを思わせる素敵な学校だった。生徒たちは素晴らしい眺めの中で授業を受けることができた。とはいえ、まさに崖の端に建っていたことは玉に瑕だ。
私たちは時速数マイルでまっすぐ崖に向かっていた。
母が私に「ブレーキ、ブレーキ!」と声を張り上げた。私は「やってるよ、やってるのに!」と大声で返した。何度も何度も、無意味にアクセル・ペダルを踏みながら。
パニック状態の中で、私は母の方を見た。本当に一瞬だけだったけれど、そのとき見た母の目は今思い出してもぞっとする――今でもはっきりと思い浮かべることができるのだ。母は強い人だ――70年代はずっと軍隊に所属していて、野球ボールの直撃を受けても、痛みをものともしなかった。また長い間看護婦をやっていて、血を見ても母の視線はぴくりともしない。だから、そんな母の目に訴えかけるようなものを見たのは私の人生で初めてで、そして唯一のことだった。恐怖と涙をたたえた目には、「こんなところで死なせないで」という気迫のようなものが混じっていた。銃口を向けられた人はこんな目をするのだろうなと想像できる、そんな目だ。母の目は震えていた。
次の一瞬で、私は目を下に向け、足を置くべき場所をあらためて確認した。別のペダルを叩きつけるように踏み、それで済むことを祈った。
鋭いブレーキ音と共に、車は止まった。
私は大きく息を吐いた。時間にすればわずか数秒だったが――せいぜい7秒くらいだっただろう――、それは私の人生で一番恐ろしい7秒間だった。
念のためエンジンを切ってから、私は車の後ろへ回って崖にどれだけ近づいたのか確かめた。
端からわずか数フィート。
これ以降の運転練習はすべて、別の駐車場で行われることになったのだった。
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まず何よりも、基本のしくみを学ぶべし
労せずして初心者から上級者になることは、誰もが夢見ることだ。その間にあるステップはどれも時間がかかるもので、手早く終わらせることができるならこの上ない。
だがしかし、大抵の場合、その考え方はとても危険だ。
私たちは皆、今自分が何をしているのかわかっているつもりになりがちだ。私たちはいつでも正しい決断を下していて、私たちが正しいということを脳内に伝えるニューロンは気のせいなんかじゃない、という風に。だが、まったく新しいものに対しては、決断を下すのに十分な情報を備えていないというのが本当のところだ。
例を挙げよう。これまで使ったことのないデッキ――おそらく最新のプロツアー優勝デッキなのだろう――を手にしていきなり変更を加えるプレイヤーを、私はたびたび目にしている。何が大切なのかその基準となる枠組みも持たず、1ゲームも回さずに、手術台の上へそのまま乗せてしまうのだ。
どのように動いているのか、その基礎を学ばずして効果的な変更を行うのは、並大抵のことではない。私は、開胸手術のシーンばかりのドラマを録画予約することはないだろう。同様に、サム・ブラック/Sam Blackによる最新傑作のサイドイン、アウトを知らないプレイヤーがそのデッキに最適な変更を加えられるとは思えないと、私はそう断言できる。
これと同じ例がもうひとつある。同じようにまったく新しいデッキを手にして、そのままプレイテストをほとんど行わず大会に持ち込んだあげく、それがうまくいかなければ「ダメなデッキ」と決めつけることだ。これは良い経験とならないだけでなく、そのフォーマットに対する見方を誤った方向に歪めかねない。君たちはデッキが良くないと考えているのかもしれないが――それは乗り手の経験が足りていないだけなのかもしれないのだ!
君たちが既に十分な時間、運転をしているのならば、たとえ後ろが50フィートもの落差がある崖であろうが私は心配しない。しかし、まったくの素人にハンドルを渡すなら、最初の場所として崖の上は適切ではないだろう。
ちなみに、トップ・プレイヤーたちは5回使ったくらいでは良いデッキかどうかの判断はしない――見極めるのに100回は使うのだ。
サイドボーディングにも、同じような例がもうひとつ見られる。デッキに不慣れなままサイドボーディングを行い、実際にはデッキを悪化させているというプレイヤーを、私はあまりにも多く見ている。どのカードを抜いてどのカードを入れるかわからないままだと、サイドボードをすればするほどリスクはどんどん大きくなっていくだろう。
デッキの運転を始める前に、ペダルがどこにあるのか習得する時間を取ろう。それはきっと、私たちを落下事故から救ってくれることだろう。
臨死体験ファイル#2
90年代をシアトルで過ごす少年の例に漏れず、私は大のスポーツ・ファンだった。父が私のスポーツに対する情熱を理解してくれていたことも追い風で、彼はシアトル・マリナーズのシーズン・チケットを私に分けてくれた――そして、芳しくない結果に苦しみ抜いた次の年、マリナーズはついに全盛期を迎えようとしていた。
奇跡的なシーズンだった。マリナーズはシーズンの終わりに向けて次々とゲームをこなしていた。プロツアー予選で2敗ラインに身を置きながら、ごくわずかな可能性に賭けているプレイヤーのように。奇跡が起きると考えている人は誰もいなかった......それでも、彼らはやってのけた。
残り30試合強を残して、首位との差は11.5ゲーム。(参考までに言うなら、野球の順位決めにおいてゲーム差を縮めるには、こちらが勝って首位のチームが負けなければならない)。そこからマリナーズは残った36試合のうち25勝をあげ、メジャー・リーグの歴史上最もドラマティックな巻き返しのひとつを始める第一歩を踏み出した――それと同時に、リーグ内の他のチームが調子を崩し始めたのだ。
終わってみれば、マリナーズは同率で首位になっていた。すると今度は、ブラッド・ネルソン/Brad Nelsonとギョーム・マティノン/Guillaume Matignonのプレイヤー・オブ・ザ・イヤー決定戦よろしく、プレイオフ進出を賭けたタイブレーク・ゲームに挑まなければならなかった。マリナーズはこのゲームに勝利し、球団史上初となるプレイオフ進出を決めたのだ。
ワールド・シリーズ制覇とまではいかなかったものの、プレイオフもまた素晴らしかった。クレイグ・ジョーンズ/Craig Jonesの《》トップデッキさながらのひと振りもあって――Wikipediaにページがあるくらい有名な一発だ!――、シアトルは興奮の絶頂にあった。
そんな中でバスケットボールのシーズンも始まり、シアトル・スーパーソニックスが猛烈なスタートを切ったものだから(その年はNBAチャンピオンシップには負けたものの、64勝18敗と信じられないような成績でシーズンを終えた)、父と私はなんとしてもチケットを取らなければならなかった。シアトルのスポーツは熱狂の渦にあったのだ。
寒さの厳しい1月のある日、私たちはソニックスのプレイを観戦しにキー・アリーナへ出かけた。ゲームは最高だった――だがその後、最悪なことが起こった。
ゲーム後、私たちは歩いて会場をあとにした。私が寝る時間はとっくに過ぎていて、外の空気は吐いた息が唇で凍るほどに冷たかった。ふたりとも早く車に戻って家に帰りたかった。そこで父が、新しいプランを持ちかけた。
「近道をしよう。そっちの方が早いから」
「近道なんてあるの、父さん?」
「噴水をちょっと横切るだけさ」
シアトル・センター内でもひと際目立つもののひとつが、万国博覧会に向けてスペース・ニードルと共に設置されたインターナショナル・ファウンテンだ。地上に巨大な穴が空いていて、その中にこれまた巨大な、30フィートもの大きさの金属製の噴水があり、360度どこにでも噴き出す水は高さ120フィートにも到達する。噴水が稼働する夏と秋と春には、すり鉢状の穴で水の間を駆けまわる子供たちと一緒に、噴き出す水がベートーベンの調べに合わせて踊るように移り変わる。
その一方で、噴水は冬の間は稼働しない。ただし、たまにある定期メンテナンス時は別だ。
私たちはすり鉢状の穴の端に近づくと、滑りそうになりながら何歩か中に入った。その日のメンテナンスで噴水が出した水が凍りついて、コンクリートの表面には厚く氷が張っていた。すり鉢全体がひとつの大きなスケート・リンクとなっていたのだ――坂がすごく急なスケート・リンクに。
私たちはお互いの手をしっかり握り合った。「気をつけてな、ガヴィン」
それがきっかけだったと思う。さらに一歩踏み出した私は、凍った床で小さな足が滑るのを感じた。
次の瞬間、私は背中から倒れ夜空を見上げていた。父の手が私の手に絡んでいるのがわかり――彼も転んでいた――、それから風を、押し寄せる風を感じた。私の身体はどこへ飛ぶかわからないアイスホッケーのパックのように氷の上をすごいスピードでどんどん転がり落ち、まっすぐスティックに向かっていった――巨大な金属製のスティック、噴水へと。
私はそれを目の端に捉えた。自分ができる限り衝撃に備えようとした。そして、目の前が真っ暗になった。
次に私が見たのは、真っ赤な景色だった。
身体のいたるところに血がついていた。見上げると、そこに父の顔があった。彼は私を抱えて、足を引きずるように歩いていたのだ。父の顔にも血がこびりついていたけれど――私たちふたりの血が混ざっていたことだろう――、彼は奇跡的になんとか私を抱えたまま坂を登り、噴水を出た。かなりの時間がかかったのだと思う。周りには誰もいなかった。
父はそこからさらに長い時間をかけてよろめきながら歩き、本来の行き先であった車までたどり着いた。私を中に寝かせると、灰色の本革のシートがたちまち血で染まった。弟には座らせたことがなく、私が座っているときは絶対に何も食べてはいけない席だった。父は車に鍵をかけ、どこかへいった。きっと助けを呼びにいったのだろう。
再び暗闇が訪れた。
次に目を醒ますと、暖かかった。病院だ。縫う必要がある、と誰かが言っているのが遠くから聞こえたけれど、これまでに比べたらずっと良かった。
生きていたんだ。
医者は、私が後遺症の残るような傷を負っていなかったことを奇跡だと言った。前髪を上げて、本当に近くで見れば傷跡を確認できるだろう――でもそれだけだ。その傷跡はこの日起きたことへの戒めだ。私の人生で、縫うような怪我をしたのはこの1回限りだった。
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横着をするのは危険である
マジックについて書かれたものはたくさんある。君たちのデッキ構築の助けとなることを目指している情報は、たくさんある。ほどよく使うなら、そういうものは実に便利だ。ところが、デッキ構築のプロセスすべてにおいて横着をするようになれば、問題にぶつかることになるだろう。
これまで何度も起きてきたわかりやすい例が、リミテッドでのデッキ構築だ。(リミテッドでのデッキ構築は多くの点で、構築でのデッキ構築スキルの中核となる)。多くのマジック・プレイヤーが、ドラフト終了後カード・プールを眺め、使えるカードを23枚選んで、17枚の基本土地の必要な割合を導き出す。それはもうほとんど自動的なプロセスだ。呪文23枚、土地17枚。君たちもこれに沿ってデッキを組み、だいたい制限時間の75%くらいかけて組むのが適切だとされている。
だが、残りの25%の時間を使って、定番のデッキ配分から外して考えてほしい、と私はあえて言いたい。
例えばどんな風に? よし、土地の枚数を変えたい4つのケースを挙げよう。
- マナ・カーブが高く遅いデッキの場合、土地を18枚にすることを検討する。
- 最高のデッキが組めて、マナ・スクリューが繰り返し起きない限り負けない場合、土地を18枚にすることを検討する。
- マナ・カーブが低く速いデッキの場合、土地を16枚にすることを検討する。
- デッキが弱く、幸運が味方しなければ勝てない場合、土地を16枚にすることを検討する。
これらはリミテッドにおける注意点だが、似たような問題が構築においても見られる。各アーキタイプで適切とされる土地枚数に、こだわり続けるプレイヤーもいることだろう。しかし実際には、デッキのマナ・カーブや必要性によって、土地の枚数は大きく変わるのだ。サイモン・ゲールツェン/Simon Gortzenがプロツアー・サンディエゴをジャンドで制したとき、彼が起こした「大革新」のひとつは単純に土地を27枚に増やしたことだった――そこへさらに、《》を加えていた! 《》や《》のような「クリーチャー化する土地」が、多くの土地をプレイすることへの抵抗を和らげていたのだ。
ふたたびリミテッドの話になるが、単にデッキから抜くカードを選ぶ際にもこの問題が浮上する。通常、ドラフトでは本当に使いたいものではないカードが一定数あり、君たちはそれらを過去の経験だけで判断して、使わないカードの山へ追いやってしまうだろう。だが本来は、毎回ドラフトをするたびに、自分にこう問いかけるべきなのだ。「今回のデッキにはこいつが必要だろうか?」
私は、コンリー・ウッズ/Conley Woodsが《》を複数採用したドラフトで3-0したのを見たことを、決して忘れないだろう。「ギルド門侵犯」のリミテッドでは《》が多くのプレイヤーにからかわれているけれど――少ないながらも、私はこいつを強力なカードとして使ったドラフト・デッキを組んだことがあるのだ。
構築においても同じことが言える。組み上げられたアーキタイプや、いつも抜けていくカードを通して見えてくる完璧なサイドボードは、たくさんある。これから見つけるものを先に知ることは、決してできないのだ。
プレイテスト中に横着をすれば、偏った結果に繋がるだろう。デッキ構築中に横着をすれば、最適には一歩及ばないカード選択をすることになるだろう。プレイ中に横着をすれば、ひどいプレイを誘発するだろう。横着することすべてが悪いわけではないけれど、横着をする場合は必ず、そこで何も失っていないことを再確認する時間を取ろう。そして、凍った地面を踏んでいると気がついたなら、それはたぶん、引き返すか、噴水を大きく迂回することを選ぶべきなのだ。
臨死体験ファイル#3
90年代後半のある年の夏、もうすぐ7歳を迎えようという夏のことだった。私はプールに行きたがっていた。
何らかの理由があるらしく(まあ、虫の居所が悪いとかそんな理由だろう)、弟はそこまで行きたがらなかった。そこで母が弟とキャビンに残り(このとき私たち家族はバカンス中だったのだ)、父が私をプールへ連れていってくれた。
プールに着くと、父がライフガードの代わりをしてくれて、私は浅いところに入った。
私は水しぶきを上げたりプールから父に話しかけたり、しばらく楽しんでいた――と、そのとき、近くのキャビンに泊まっている隣人がやって来た。父は彼に気がつき、おしゃべりを始めた。そしておしゃべりが政治や経済や80年代の話になってくると――そう、どんどん盛り上がるのがわかりきっている話題だ――、私は退屈になってきた。
そこで、私は退屈になったときにいつもやっていることをしようと思った。プールの縁に沿って泳ぐことだ。小さな子供のころに泳ぐなんて、と思われるかもしれないけれど、泳ぐといってもプールのへりを掴んで手を使ってプールを一周するだけだ。当時は水泳の基礎しか知らなかったから、この方法を使ってなんとかプールを探検していたのだ。
私が父から離れていくにつれて、おしゃべりは熱くなっていった。父はもうまったく私に注意を向けていなかった。そのまますっかり深いところへ(泳いでは行けないような深さへ)来たそのとき、ふいに素敵なアイデアが思い浮かんだ。手を離したらどうなるんだろう?
その瞬間はまさに、エドガー・アラン・ポーの『天邪鬼』そのものだった。冒険をしたいという気持ちだったのかもしれない。父の気を引きたかったのかもしれない。あるいはたぶん、たぶんだけれど、私がただのばかな子供だったのかもしれない。のちに私は母にこう話している――「一体どうなるのか確かめたかったんだ」
何よりも、私は深いところで泳げたためしがなかった。何としても挑戦したかった。私は他の何もかもを振り切って、ひとりで泳いでやるんだという考えが私を支配するのに任せた。
手を離す。と同時に私の身体は沈み始めた。
沈みゆくなかで、私は自分の居場所を伝えることをしなかった。水しぶきを上げることも手足をばたつかせることも叫ぶこともせず、ただ沈んでいった。ネコが道のど真ん中を行くのは車にぶつかりたいからだ、と言わんばかりに。何が起こっているのかはわかるけれど、何もしなかった。
私はプールの底に行き着いた。肺は息切れを起こして痛みを感じるようになり、そこでようやく脳が、これはもしやまともな判断ではないんじゃないか、と気がついた。私はのしかかるような水に対して腕を動かそうとしたが、何も起こらなかった。水の下では水しぶきを上げることはできない。私にできることはなかった。完全に沈みきっていたのだ。
永遠に続く責め苦のように時が刻まれていった。息はすっかり切れていた。すぐに呼吸をしないと、もう二度と呼吸ができなくなると思えた。
そのとき、ものすごい音が聞こえた。
頭上で水がふたつに割れて、目の前が真っ白になった。父が私をすくい上げ、水の上へ連れ戻したのだ。
私がいなくなっていることに気がついたのは、会話がいったん止まって周りを見ることができたからだと、父はのちにそう言っている。もし話が続いていたら、もう数分は気がつかなかったことだろう。完璧なタイミングだった。本当に良かった――バカンスで来たプールで、10フィートの距離に親がいるなかで溺れ死んでしまったなんて話は、冗談にもならなかっただろう。
ようやく吸えた空気は、最高に美味しかったと言うほかないよ。
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ひとつのことに捕われすぎてはならない
視野狭窄は良いものではない。(ラヴニカ・ブロックのリミテッドなら話は別だ。悪くない場合もあるぞ)。ひとつのことに捕われすぎると、それ以外のすべてを見逃してしまう危険がある。私はプールの深いところで泳ぎたいと思うあまり、自分の命を危険に晒したのだ。
私は、毎週膨大な数のデッキリストに目を通している。そのなかで毎週のように見られる一番多い間違いが、ひとつのことを突き詰めて他のすべてに目をつむっていることだ。
巧みなコンボのアイデアが浮かんでも、それを実現するためには5色すべてに手をつけなければならない場合がある。とっても面白い相互作用があるけれど、その相互作用を組み込んだ良いデッキを作るのかと思いきや、ひたすら短絡的にその相互作用を追い求めるようになっているデッキもあったのだ。
場合によっては、視野の広さというのはメタゲームへの備えにおいて大切な考え方だ。あるひとつのデッキを倒そうと考えると、君たちは他のすべてを見逃すほどに意識するようになる。全試合のうち4分の1でも《》と戦う可能性があるなら、その1マナの脅威を打ち倒すことこそがすべて、という風になるのだ。大会で優勝するには、当たった相手すべてと戦わなければならない――当たるデッキがひとつだけ、ということにはならないだろう。
また、来ることのないマッチアップを意識しすぎて、当たったことすらない何かのために貴重なサイドボードの枠を使ってしまうこともある。二度と赤単に負けるものかと躍起になって、《》を3枚サイドボードに入れることもある......たとえそれが、イベント全体を見ても3つか4つくらいしかないデッキだとしても。
マジックの試合をやっていて、他のことを見逃すほどひとつのプレイに集中したせいでミスをしてしまったことは何回あるかな? それはたぶん、私たちみんながやってしまうことだろう。いつもできうる限り最高の決断を下す必要があるデッキ構築においては、ものごとをあらゆる角度から見て、さらに引き際を知ることが肝心なのだ。
臨死体験ファイル#4
電車を降りてから2マイル、まだ一度も人の姿を見ていなかった。携帯電話は圏外。食糧はペットボトルの水が3本とサンドイッチ、それから前日にジュノーで買ったソフトキャンディ、それですべてだった。
そのとき私は、氷河を登ろうとしていた。
ひとりで登るなんて、そんなはずじゃなかった。しかしこれが現実だ。
話はさかのぼる。
年に一度のマジック・クルーズ(リンク先は英語)、2012年の行き先はアラスカだった。アラスカといえば学生時代の友人がスカグウェイに住んでいて、観光地で働いていた。私がアラスカへ行くことを伝えると、彼女はスカグウェイでやったなかでもとびっきり感動したことを私に用意するため、手を打ってくれることになった。それがロートン氷河登りだ。
予定はこうだった。私は朝7時に船を降り、駅へ向かう。電車は途中で私のためだけに特別に停車して――友人が私をここで降ろしてほしいと車掌に伝えてくれているのだ――、そこから2マイルほど森の中を歩いていく。すると、ロートン氷河にたどり着く、といった次第だ。帰りは午後4時までに戻って、電車に拾ってもらわなければならなかった。船へ戻る時間に間に合わなくなるからだ。
当初の計画では、クルーズからあとふたりが一緒にハイキングをする予定だった。ところが、ふたりとも寝坊して朝7時に姿を現さなかったのだ。私は選択を迫られた。この貴重な経験を諦めるか、リスクを取ったとしてもひとりで向かうか。
私が選んだのは後者だ。
そういうわけで、私はそこにいた。目の前には、氷河へと続く登り道が2マイル。連絡を取る手段はなく、あたりに人がいる痕跡もなかった。食糧は最小限だ。電車から、この道をクマが登っていて、ヘラジカ(驚くほど気性が荒く、攻撃的な動物なのだ)から命からがら逃げているのを目にした。私は、これから人生初のスノーシューズを履くところだった。ある考えが頭をよぎった。「怪我なんかしたら、おしまいなんだぞ」
本当にそうだろうか? たぶんそうだろう。3人いてそのうちひとりでも私がいる場所を知っていれば、何かしら伝えて捜索隊が私のところへ来る可能性はある。しかしいずれにしても、その日がもう気持ち良く過ごせないのは間違いない。
それからどうしたかって? 前に進んだよ。普段は、命に関わることからはできるだけ離れるようにしている。ずっと夢見ていたウィザーズ社で仕事を始めたばかりだし、それを急に辞めるなんて考えられなかった。でも今回ばかりは、氷河を登るリスクを受け入れた。
わかるかい? それだけの価値があったんだ。
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ときにはリスクを取るのも悪くない
人は当然、リスクを嫌う。確実なものを取れるというのに、わざわざリスクを取ることなんてあるだろうか?
いいかい、多くの偉大なる革新には、リスクがつきものだ。大切なのは、そのリスクが手に負えないものではなく考え抜かれたものであることを、しっかりと確かめることなのだ。
今回のケースでは、私は怪我を負ったり命を落としたりする可能性があることを知っていた――普段避けようとしているものと比べて、はるかに高い可能性だ。それでも私は考え、今後の人生のためになる経験はそのリスクに見合う、と判断した。そして実際、今回の経験はこれまでになく素晴らしく、息を呑むほどのものだった。Facebookに投稿した写真や動画を見直すと、それらは今でもまだ、私に世界が変わるような感覚を与えてくれるのだ。
マジックにおいても、(考え抜かれた)リスクを取ることで正解に行き着くことが多くある。
君たち好みの見事なデッキがあっても、ある特定のデッキに勝てなかったりあまり使われていなかったりすれば、君たちはそれを使わないかもしれない――だが、君たちのデッキを打ち負かすものを使う機会が十分に得られないなら、それは選択する価値のあるリスクにほかならないだろう。
サイドボードに11枚もの対策カードを入れないと勝てないような、ひどいマッチアップもあるかもしれない。それなら11枚もサイドボードの枠を浪費するのではなく、そのデッキとは当たらないと腹を括った方が良いこともあるだろう。
優れた新しいデッキを持っていても、誰の話題にも上がらないという理由で使うのをためらってしまうかもしれない。他の人が使っていない理由なんか本当に必要かい? 新しいデッキというのはいつも、どこからともなく動き出すものだ。プロツアー・ベルリン2008にエルフ・コンボ・デッキを持ち込んだことを、私は憶えている――まったく新しいものを使うリスクを心配したばかりに、回すこともせず選んだのだ。振り返ってみれば、せめて使ってから選ぶべきだったのは間違いない......でもそのときは、初めてのプロツアーでそんなに大きなリスクを取ることに不安があったのだ。
定石から外れてリスクを取ることを、怖がらないでくれ――もちろん、考え抜いた結果生まれたリスクのことだ。君たちだって、一生に一度の大冒険に乗り出すことはできるのだ。
(以下のデッキ募集部分は、原文・本日掲載分の記事から収録しております(訳文は次々週4月30日掲載予定です)。 この節の文責・編集 吉川)
2週間後(翻訳は4週間後)には、『ドラゴンの迷路』を携えてモダンに目を向けていこうと思う! 以下の要件をお読みいただきたい。
フォーマット:モダン(『ドラゴンの迷路』を含む!)
デッキの制限:皆さんのお気に入りの『ドラゴンの迷路』のカードを、できる限り多く詰め込んだモダン・デッキを送ってくれ!(週の後半まで提出を待ってもらってもかまわない、それまでにより多くのカードが公開されるのだから。)
締め切り:4月23日(火)午前10時(日本時間)
すべてのデッキリストを英語で、こちらのリンク先のフォームからメールでお送りください。デッキリストの提出時には、以下のようなフォーマットで入力してください。
あなたのローマ字氏名+'s+デッキ名(英語)
Standard(フォーマット)
20 Land(土地カード 枚数とカード名・英語で)
20 Land
4 Creature(クリーチャー・カード 枚数とカード名・英語で)
4 Creature
4 Other Spell(その他の呪文カード 枚数とカード名・英語で)
4 Other Spell
4 Planeswalker(プレインズウォーカー・カード 枚数とカード名・英語で)
皆さんをモダンでわくわくさせるのは、『ドラゴンの迷路』のどのカードだろう? そう、今回はそれを見せるショーケースだ! モダンは天才の頭脳によって物理法則が定められる宇宙で――何が起こるのか私には見当もつかない。しかしそれも楽しみというものだ! 皆さんが考えついた成果を見るのが楽しみでならない!
それまで、フィードバックやコメントがあれば気軽に送ってほしい。フォーラムへの投稿でも私へのツイートでも、皆さんの声をチェックすることをお約束しよう。
また来週お会いしよう!
Gavin / @GavinVerhey