READING

読み物

翻訳記事その他

カイ・ブッディが『マジック』にもたらしたもの

Corbin Hosler

2026年2月5日

 

 私が初めて癌について知ったのは、ジム・バルバーノ/Jim Valvanoからであった。私が7歳か8歳のとき、彼の有名なスピーチを見て、寝る時間を大幅に過ぎてもこっそりESPN(スポーツ専門チャンネル)を見続けていた頃には、彼はジミーVの名で知られていたが、彼は伝説的であると同時に、異色のバスケットボール・コーチでもあった。1983年、ノースカロライナ州立大学のチームが「あり得ない」とまで言われた勝利を成し遂げたとき、彼は大学バスケのプロモーションの顔となった、熱血のニューヨーカーであった。

 当時の私は、そんなことはまったく知らなかった。私がバルバーノ・コーチについて覚えていることは、バスケットボールとは無関係のことであった。彼は癌と共に生き、そして癌と共に死ぬことについて語ったのである。私がそうした事柄を学んだと記憶しているのはそれが初めてであり、1993年のESPYs(スポーツ表彰番組)での46歳の彼のスピーチを10分間聴いたこと――ESPNはいまなお毎年それを全文再放送している――で、病、スポーツ、そして強さに対する私の考え方が形作られ始めたのである。

 バルバーノのスピーチは、彼の死の約2か月前に行われた。会場の同僚にも、家で見ている視聴者にも、そして何年も後にリプレイでそれを目にする少年にも、彼は包み隠さず語りかけた。そして残った不朽のメッセージが「諦めるな、決して諦めるな」である。設立以来30年以上の間に、ジミーV財団は癌研究のために約5億ドルを集め、そしてここ最近、私の胸に強く残るもう一つの瞬間をもたらした。

 その夜、バルバーノのスピーチの前に私が見ていた司会者の一人が、スチュアート・スコット/Stuart Scottである。象徴的な決め台詞と、ありのままの自分を大胆にさらす姿勢で知られ、彼はハイライト映像を芸術の域にまで引き上げた。2014年、スコットは自分にできる最良の形でバルバーノの功績に敬意を表することになる。身体が崩れていく苦しみの中、彼はESPYsのステージに立ち、間もなく自らの命を奪う癌について、自身の考えを率直に語ったのである

「あなたが死ぬことは、癌に負けたことを意味しない。癌に勝つとは、どう生きるか、なぜ生きるか、そしてどのように生きるかによって決まる。」

 「どう生きるか、なぜ生きるか、そしてどのように生きるか」――私はこの言葉を決して忘れなかった。そしてカイ・ブッディの訃報を受けて以来、どれほど言葉を尽くしても包みきれないもの、すなわち「カイ・ブッディが『マジック』にとってどれほど大きな存在であったか」を言葉にしようとするたびに、私は何度もこの言葉へ立ち返ってきたのである。

 

 カイ・ブッディは癌に伴う合併症により、46歳でこの世を去った。そしてESPNで取り上げられた先達と同じく、ブッディは自身の世界をコミュニティに開き、診断を共有し、コミュニティがサポートや思いを返せるための道を用意したいと願う仲間や専門家たちと共に歩んだのである。

 彼の死には、カイが築いたコミュニティから愛が溢れるほどに寄せられている。『マジック』という存在そのものはブッディと切っても切り離せない。1990年代後半に彼のスター性がこのゲームを世界的なものへ押し上げたからである。そして長年のチームメイトから新しいファンに至るまでが口をそろえて語る通り、もう一つ、否定しようのない事実がある。競技としての『マジック』に対するブッディの貢献がいかなるものであれ、コミュニティとしての『マジック』に対する彼の貢献は、それをはるかに凌駕しているということである。

 1997年のプロツアー・マインツでのプロツアー・デビューから、2024年の第30回マジック世界選手権でのトップ8まで、ブッディは常に舞台を照らし続けた。だが彼は、プロツアーを目指す者のTwitch配信に現れて励ましを送っていたり、大会ロビーでフットボール談義に混ざっていたりもする、そんな人物でもあった。友人と固まって脇へ引っ込むより、隣にいる人とドラフトデッキの話で気さくに会話を始めるタイプのプレイヤーであり、しかもその会話はドラフトデッキの話だけで終わらない人物であった。冷徹な計算が求められるゲームの中で、ブッディの温かさは、彼と接点を持ったすべての人にとっての恩恵であり、ほとんどすべてのプレイヤーとカバレージ・メンバーが、ブッディの人当たりの良さにまつわる話を一つは持っているのである。

 私自身とブッディとの出会いも、それを映している。私は2014年に『マジック』のカバレージを始めたが、プレイヤーを「見て読む」側から「話す」側へと世界が切り替わった瞬間を、いくつも鮮明に覚えている。だが、駆け出しにとってそれは言うほど簡単ではない。私はすぐに理解した。当時、誰もが会話に応じてくれるわけではなく、とりわけ控室で見かけたこともない新人に対してはなおさらであった。ヒーローには会ってはいけない、という言葉もあるほどだ。

 そのような文脈の中で、私は初めてブッディに会った。その後数年にわたり彼と接した経験、これは他の誰かと比べて特別でも異質でもなかったのかもしれないし、むしろブッディが誰に対しても示していた同じ配慮であったからこそ、いっそう特別であったのかもしれない。なぜなら『マジック』が追いかけるに値するキャリアである、と私に確信させたからだ。この人がこのゲームの顔なのだとしたら、これ以上の親善大使は望めない。勝っても負けても、ブッディは「ジャーマン・ジャガーノート」の手を握りたい者、あるいは《非凡な虚空魔道士》のプレイセットにサインしてほしい者のために、必ず時間と場を作った。そしてそれは、ついさきほど自分が打ち負かした相手であることすら多かった。競技『マジック』が荒波の時代を迎えていく中で育った古参ジャッジたちは、ブッディのスポーツマンシップを高く評価している。近年のブッディは、イベントで新しいチームメンバーと意欲的に協働するようにもなり、その中には、彼が初めてプロツアーで優勝したときにはまだ生まれていなかった者も少なくない。要するに『マジック』とプロツアーのコミュニティがブッディに惹かれたのは、彼の実績だけではない。彼の人間性である。

 これがブッディの生き方である。彼は、30年にわたり数百万人の子どもと大人に、『マジック』をプレイしてみよう、プロツアーへ行けるかもしれない、自分もカイのようにプレイできるかもしれない、そう思わせる生き方をした。誰も完全にカイと同じようにはプレイできない。だが2026年のプロツアーは、カイのようにプレイしたいからだけでなく、カイのような人間になりたいからこそプロツアーにいる人々が、大勢いるのである。

 

 ブッディの偉業は、おそらく二度と並ばれない。彼の優勝7回はこのゲームの歴史上、他の誰よりも多く、1998~2002年にかけてのトロフィーの数は想像を超えている。彼は98年と99年の両方で世界選手権とプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを同時に獲得し、一気に頂点へ駆け上がった。その後も、いまだ前例のない「14回中6回」のプロツアー優勝を成し遂げることになる。その中には、2001年のプロツアー・ニューオーリンズでの記憶に残る優勝も含まれており、カイがまた勝つはずがないと疑った解説者が「自分の帽子を食べる」羽目になったほどである。

 トップ8の舞台に最初に上がった5回で、ブッディは5回ともタイトルを獲得した。その結果「日曜日のカイに負けなし」という格言も生まれた。スチュアート・スコットと並んでESPN2に映った「『マジック』のジャーマン・ジャガーノート」という神話は、この一部であった。

 1998~1999シーズンは、ブッディが初めてプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得したシーズンである。だがそれは最後どころか、始まりに過ぎなかった。彼のプロツアー優勝街道は、史上屈指の輝かしき連なりの一部であり、その帰結として2000~2003年にかけて驚異の3年連続プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを達成し、通算4回の獲得とした。他のどのプレイヤーも2回を超えていないのだ。

 「プロツアー『ローウィンの昏明』」では、行弘賢が昨シーズンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞者として称えられた。そのトロフィーは2024年、同じく殿堂入りメンバーであるウィリアム・ジェンセン/William Jensenの発表により、「カイ・ブッディ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー・トロフィー」という相応しい名前へ改名された。トロフィーの名はブッディへの永遠の栄誉であるが、過去と未来の受賞者にとって、それ以上の意味を持つ。何千人ものプレイヤーが、一年を通して「カイのトロフィー」を掲げることを目指して努力し、そしてそれを成し遂げるのはただ一人である。だが彼らの誰もが、カイのトロフィーにふさわしい生き方はできる。それこそが、どんなタイトルよりも長く残る遺産であり、そしてカイは、そのタイトルのすべてすら手にしていたのである。

 

 『マジック』は33年の歴史を持つ、世代を超えるゲームである。2026年の目まぐるしい世界では、それが現代の尺度でどれほど長い時間であるかが、しばしば当然視されてしまうと私は思う。私が参加するフライデー・ナイト・マジックには、初めてこのゲームに触れるティーンエイジャーや若い大人が大勢いる。統率者を遊んでいようが、スタンダードを遊んでいようが、あるいは単にブースターを開封していようが、彼らがそこにいる理由の一部にはカイ・ブッディがいるのである。

 それはカイが『マジック』を「世界に知らしめた」からだけではない。彼が「誰もが同じ地図を持てる」ように尽力したからでもある。彼は、異なる背景を持つできる限り多くの人々にとってこのゲームが包摂的であるべきだという強固な擁護者であり、そのための彼自身の行動は、『マジック』が多くの人にとっての命綱となるための土台を築く助けとなった。ここ数か月、ブッディの友人たちは、ブッディに伝えたいと誰かが望んだあらゆる物語を彼に共有した。送られた何千ものメッセージは、数日ではなく数週間にわたって届き続けた。そのどれ一つとして、大会タイトルに触れていなかったのである。

 未来の王者に「カイ・ブッディ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー・トロフィー」が授与されるのを目にするとき、私が思い浮かべるのはそのことである。もちろん、これは卓越への表彰である。だが同時に、それは『マジック』とカイ・ブッディを永遠に結びつける精神にふさわしく生きる、という誓いでもある。

 
  • この記事をシェアする

RANKING

NEWEST

CATEGORY

BACK NUMBER

サイト内検索