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翻訳記事
選択せよ
Kelly Digges / Translated by Mayuko Wakatsuki
2011年2月21日
どちらの味方となるか、選択をする時が来ました。
実のところ、私達の誰にも選択肢はありません。奴等がやって来てからというもの。
ファイレクシアにひざまずくなど、正気の沙汰ではありません! ファイレクシアを占めるのは全てあの油に感染した、この世界に新たに産み落とされた醜い怪物、そして自由意思で力を得ることを選択した僅かな狂人達。私はもう一度言いましょう、ファイレクシアにひざまずくなど、全くもって正気の沙汰ではありません! 一度も彼等の姿を見たことがなくとも、彼等が何者かということを全く知らなかったとしても。
そう遠くない昔、ミラディンはまさしく貴方達の世界のようでした。都市に街道、部族と国々。五つの太陽に見守られながら、比較的平和に繁栄する文明のネットワークを形成していました。今や、我々は生き残るための戦いに閉じ込められています。かろうじて理解している敵との戦い。我々の世界の繁栄のうわべの下で孵化し、我々の誰の人生よりも長い間をかけて育ってきた脅威。もしかしたら、貴方が気づいていないだけで貴方の世界にもそのような物が存在しているかもしれません。それが頭をもたげたなら、直面する覚悟をして下さい。
ここで起こっていることを繰り返してはなりません。手遅れになるまで戦うことを先延ばしにしてはなりません。無防備な貴方を犠牲にさせてはなりません!
何故ミラディンを守るのか?
ミラディン人達は貴方達によく似ています。我々は個人であって、我々自身の期待、欲求、目標があります。我々はそう願った時は協力し合い、仕方なく仲たがいもします。ですが我々の不一致は、奴等が僅かな間に行った事に比べれば些細なものです。ヴィリジアン・エルフによる憎むべきトロールの粛清や、ヴァルショクとゴブリンの山道を巡る戦いさえも。今やその何もかも重要なものではなくなりました。我々の間の相違は、我々と彼等との決定的な違いに比べれば全くもって小さいものと知った今では。
違いは単純です。自由意思です。
わかるでしょうか。貴方達の世界の科学者や哲学者は、自由意思というものが本当に存在しているのかと主張するかもしれません。それは忘れて下さい。貴方は貴方自身の自由意思を感じることができますか? 朝目覚めた時いつも、貴方はそれを感じる。選択です。今日何をしますか? 何になりたいですか? どんな目標に向けて努力をしますか? 間違いなく、その選択は本物です。
ファイレクシア人達はその選択を奪い去ろうとします。その自由を。貴方の意思を失わせ、変えようとします......一つのクリーチャーに、一つの物に。奴等自身等のように。巨大で非人間的な奴等の階級制度の中で、ファイレクシアの君主が貴方に与えたいかなる命令をも遂行する、のろのろ歩く自動人形に。貴方に与えられるのは組み込まれる場所だけで、人生はありません。貴方にあてがわれた物だけで、目的はありません。個性などありません。個人などありません。貴方はありません。
ファイレクシアは国ではありません。種族でも、そのような運動でもありません。病気なのです。貴方の身体を腐らせ、心をねじ曲げ、そしてファイレクシア自身を繁栄させる原材料にしてしまうのです。
それがファイレクシアの栄光なのです。奴等が「偉大なる行い」として崇める行動です。我々に、子供達に、兄弟姉妹に、我々が愛する全てのものへと押しつけるよじれた目的なのです。
我々が奴等を止めない限り、そしてこの世界を取り戻さない限り。これは我々の使命です。我々の目標です。
我々は耐え抜きます。
こちらの世界では
ここ我々の世界でファイレクシア側につくことは、多元宇宙全てを支配しようと倒錯した巨大な超有機的組織へと君の意思を明け渡すことを意味はしない。君の肉体や精神を失わせたり皮をはがれされたり再処理されたり、その他を許すことを意味はしない。ただ何枚かのカードをプレイすることを意味する。
いろいろな意味で、我々の世界でファイレクシアを支持するのは簡単だ。アイデアで、構築で、あるいは一致団結したり自己修養を目指すような理論的に高い心がけ、そのいくつかを目指すことでも。もし君がファイレクシア人を全くもって素敵なものだと思うなら、もしくは邪悪な意思を滴らせたフレーバーテキストを読むのを愛するならば、もしくは彼等がかつてマジックに登場していた頃の甘美な記憶があるのなら......ああ、君はファイレクシアを簡単な方法で楽しんでいる。そうだろう?
それが君の顔をじっと見つめているのを想像してほしい。
カードゲームの中ではない。フィクションの世界に安全に隠されている、フィクションの人々を殺したり隷属させたり、フィクションの文明を絶滅させるものではない。今ここにあることを想像してほしい。
思い描いて欲しい、怪物のような破壊のエンジンが、君が知っている世界から全てを汚く反転させた大地に送り出されるのを。想像して欲しい、君が常に享受してきた社会や制度、我々の全ての文明、生活の全てが、突然エイリアンによる絶滅の手(と爪と歯と触手)に直面するのを。疫病のように犠牲者を苦しめ、カルトのように改宗を迫るのを。
驚きをもって想像して欲しい。今、もしかしたら常に、ほんの僅かの食糧や水、動物、君が出会う誰かがファイレクシアの汚染を媒介していたら。そしてそれが身体を衰弱させる以上に悪い疫病だったら。君は神経を病むだろう。物事をそういった目で見てしまうだろう。不安や自暴自棄の中に生きるか、人生を戦いに費やすか......もしくは彼等に加わって、君が今まで大切にしてきた全てを投げ出すか。
それが、ミラディン人達が直面している選択だ。
そしてそれこそが、ミラディン人を支持する最良の理由になりえると私は考える。彼等は真のいい奴等だ。もし彼等が敗れたなら、全てを失う。そしてファイレクシア人達とは違い、我々は彼等がどのように感じるかを想像できる。
もちろん、これはただのカードゲームだ。いくつかの点で、善と悪は構成要素のそのまま一部とはなっていない。だがミラディン人達は、ただ崇高な理想や目的のための犠牲を体現している。そして君がゲームをプレイする時、誰も君の意思を入口の所で置いてくるようには言わない。
「ファイレクシア人どもは無敵ではない。あきらめるな。勝つのは我らだ!」
―反乱軍のリーダー、ジュリアン
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どちらの一部となるか、選ぶべき時が来た。
実際には選択肢などないがな。なに、長くはかからない。
おお、選択。最も厳密な意味においてはそれは常に可能かもしれない。ファイレクシアは強要しない。向上させるのだ。変化させるのだ。完璧にするのだ。もし貴様がその栄光に顔を背けることを選ぶならば......よろしい、それが貴様の決断か。そして貴様は対価を支払う。だがそこがそれの素晴らしいところだ、まさしく。ファイレクシアを永遠に拒否できる者などおらぬ。我々が何者であるか一度目にした事さえなくとも。我々についての知識など無くとも。
そう遠くない昔、ミラディンという世界は不満のまどろみの中にあった。その地表の下で偉大なる行いが展開されているとも知らず。何かがおかしいと知らせた住人もわずかにいたが、奴等の世界は決してかつてのものではなくなった。だが奴等はそれを知らず、そして奴等の懸念は声とならない。もしくはあまりに恐ろしいか欺きだとし、優位性を得るのに執着して競争相手や敵に耳を傾けずにいた。そして奴等自身を見るに至って、何が起こっているのか知った。
奴等はばらばらで弱く......無意味だ。我々こそこの世界の、そして全ての世界の未来だ。我々はファイレクシアだ。
何故ファイレクシアに加わるのか?
貴様自身を見るのだ。さあ。
痛ましいな、違うか? 貴様。本物の「貴様」。機械の中の幽霊。死にゆく肉の殻に囚われ、変わることもできず、発展することもできず、血管を破裂させるか骨折を起こして死ぬまで遅々として鈍く衰えてゆく。そしてそれで終わりだ。貴様が学んだもの全てが。経験した事の全てが。可能性の全てが。貴様の終わりだ。
なんという無駄!
そしてなんという愚かな選択か!その肉と骨でできた不合理な人形に貴様の時間全てを費やし、できるだけ長く良く保ち続けるのか? それともそれを無視し、貴様の取るに足らない人生の擦り減っていく日々の中で、精神生活に生きることを試み、自身を発見するとでも言うのか? 貴様自身の「自然な」生物学の動かし得ない欠陥に囚われ続けながら?
よりよい道がある。
肉体は不自由かつ必ず死にゆく、馬鹿げていて不便なもの。我々と一つになり、そして貴様が十分に強ければ永遠の命を手にすることができるだろう。我々は貴様の構造そのものを、貴様の目的に合わせて作り変える。
目的とは何か、という問題が持ち上がってくるな。遠慮なく言わせて貰おう。貴様にそんなものなど無いと。
おお。貴様には目標や欲求、気まぐれな出来心があって、それを常に貴様の肉の脳味噌に保持してそれを目指そうとしている。だが貴様が信じているものは、愛おしく抱きかかえているものは全て......儚いものだ。偽りだ。貴様は貴様自身に偽りを囁いている、愛や友情や幸福は永遠であると(馬鹿らしい!)。そして貴様の脆い幻想が叶わぬ時は失望の中に生きる。何故なら生とはそのように働かないからだ。
だがファイレクシアは...... ファイレクシアは永遠だ。
我々はかつて破壊された。我々の世界は完璧にばらばらに吹き飛ばされ、灰にまで落ちぶれた。だが今や我々は蘇った。我々は常に蘇る。我々に対抗する無価値なクリーチャー達は、我々の感染を痕跡までも踏み消すことは決してできない。我々の影響の最後の一粒までも取り除くことは決してできない。いくらかの痕跡は残り、休眠し、姿を隠す......誰かがそれを発見するまで。ファイレクシアの油の一滴が残っている限り、どんな世界でも、我々の運命は保証されている。
全ては一つに。
こちらの世界では
ミラディン人達とは違って、君達や私はミラディン・ファイレクシア戦争で生命を作り変えられる危機には瀕していない。我々は安全で脅されていない家や都市で贅沢にも座り、どちらの側に与しないのが正しいのか良いのか、だけどどちらの側に与するのがクールなのかを考えている。
そしてファイレクシアは本当にクールだ。
まず、そこには確かな誘惑がある、何故なら彼等は悪役だ。我々がゲームの外に存在して欲しいと思う類の奴等ではないし、もしくはできるだけ離れた所から背中を見ていたい存在だ。それはゲームとフィクション両方における楽しみの一つだ、君はそいつら悪役になることができる。罪を気にすることなく。
数多くいる悪役の中でも、ファイレクシアの評価はとても高い。彼等は心なきエルドラージや神河の精霊達と、ニコル・ボーラスや陰謀団の長期計画との間で何がしかの役割を果たす。彼等は頭脳を持ったモンスターであり、計画を立てるゾンビだ。そして、最も永続的で驚くべき魅力的な悪役のように、彼等は君自身を彼等の一部にしてしまうことによって君を打ち負かす。
ファイレクシア人達を巡る過去のストーリーにおいて、善玉側の2人、アーテイとクロウヴァクスがファイレクシアによって堕落させられ、彼等の軍勢の指導者となった。それは死より酷い運命であり、そして呪いたくなるほどに良いストーリーとなってくれる。
マーク・ローズウォーターが記しているように、「大群」のコンセプトは新しいものではない。スター・トレックのボーグ(訳注:文化や技術を侵略対象とするエイリアン)的存在はフィクションのいたる所に存在する有名な例だ。だがファイレクシア人達は、普通のゾンビ的品質の大群型悪役と、異様な精神的側面との結合だ。彼等には聖典や司祭があり、比類なくぞっとする完璧にねじれた宗教的階級制がある。ドクター・フーのダーレク(訳注:イギリスのSFテレビドラマシリーズと、それに登場する悪役)は、彼等自身こそが宇宙で最も優れた生命の姿だと信じているかもしれない......だが彼等はそれについての讃美歌を歌ったりはしない。だからこそファイレクシアはぞくぞくして、異様で、クールだ。
とても印象的な悪役達という存在感を超えて、ファイレクシア人達はいくつかの現実世界のアイデアと結ばれている、私が個人的に発見したとても注目せずにはいられないような技術と、ますます曖昧になっている有機生命と人工生命による知的生命の延長と改良。彼等は基本的にそういったアイデアの最も恐るべき、いやな可能性の解釈だと認めよう。だが腐った肉体を身にまとい、膿漿を滴らせていようとも、彼等の完成への理想の増大には何か訴えかけてくるものがある。
そしてそれこそが、ファイレクシアを支持する最良の理由になりえると私は考える。彼等はフィクションの悪役の最もクールな要素と、現実の人生の何か力強く誘惑的な魅力との融合だ。
これはただのカードゲームだ、もちろん。善人であれとは誰も言わない。
ファイレクシアは虚空から生まれた。機械の父、偉大なるヨーグモスはその完成された形を予見なされた。かくして"偉大なる進化"が始まった。
?ファイレクシアの聖句
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