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企画記事
『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト:第1回 銅纏いののけ者、ルーカ
作:若月 繭子
※本連載はカードの情報および「Ikoria: Lair of Behemoths - Sundered Bond」(amazon電子書籍版)の一部の抜粋や私訳をもとに、著者とウィザーズ・オブ・ザ・コースト日本チームとの間で確認して作成した記事であり、一部固有名詞等の翻訳が正式なものと異なる可能性がございます。ご了承ください。
《サヴァイのトライオーム》 |
驚異と怪物の次元イコリア。豊かな自然を誇る世界は数あれど、途方もなく巨大な生物とその多様性においてここに敵う所はない。息をのむ絶景を水晶が彩り、都市をも踏み潰す巨獣がその間を闊歩する。ここでは怪物こそが支配者。その事実を受け入れない限り、イコリアで生き延びることはできない――とはいえ身の程を知ったとしても、絶対的強者を前にした者の運命は変わらないのだが。
だがこのイコリアにて、人間もまたその機知と決断力を駆使して生き延びてきた。彼らは何世代にも渡る苦難と学びを経て都市を作り上げ、技術と魔法の力で怪物を退けている。聖域ドラニスはその中でも、人間の文明が最も繁栄する大都市だった。その防衛軍は揃いの制服から「銅纏い」の別名で呼ばれ、イコリア最強と名高い。都市を襲い来る怪物を迎撃するだけでなく、小人数で構成された精鋭特殊部隊が、熟達の技術とチームワークを駆使して怪物を狩りに出る。銅纏いの誰もが憧れるその部隊を率いる隊長は、名前をルーカといった。
ルーカとジリーナ
この日もルーカは一体のナイトメアを仲間との連携の末に討伐し、ドラニスへの帰路についた。聖域の中心へ向かうにつれ道幅は広くなり、人の往来は増し、城壁の高さと分厚さも増してゆく。その上には警告の水晶が並び、衛兵たちが監視を怠らない。壁の中に広がる農場や街並みを過ぎ、ルーカたちはドラニス中心部へと入った。多くの若者が、彼らを尊敬のまなざしで見つめてくる。若い兵士は皆、いつの日かこの精鋭部隊の一員になりたいと願っているのだ。無論かつてのルーカもそうだった。真新しい制服をまとった兵士を見ながら、彼は時の流れを実感した。
バリスタや重火器を備えた石壁の先に、愛するドラニスが広がっていた。この聖域が興った時以来、一度も怪物によって陥落したことのない無敵の街。水晶を抱える尖塔が幾つもそびえ立つ、整然として美しい都市。それら全ての中心には、サヴァイ最大の水晶であるアガリスを取り囲むように城塞が建てられていた。街の防衛の要、ドラニス軍の本拠地であり、同時に世界で最も美しい女性の家でもあった。ルーカは微笑み、足を速めた。
「『大きくて真っ黒で、網から脱出しようとうごめいていた』? 隊長ならもう少し参考になるものを書くものでしょう」
ジリーナが彼を睨みつけた。ルーカが思うに世界で最も美しい女性、彼の婚約者が。
《ジリーナ・クードロ》 |
「ナイトメアだぞ、わかるだろ。沢山の赤い目、棘だらけで……気持ち悪い」
「情報収集は防衛の大切な要よ」
「防御の要は、出ていって怪物を殺すことだ」
「殺す方法を知っていればね。そしてどこから来たのか、何を食べたいのか、そしてそれらを引き付ける香りは何なのか」
ルーカは降参して両手を挙げた。
「わかったよ! それは重要だ。理解した。けどそいつらを屠殺する時にそういう話を聞かせてはくれないだろう?」
「将軍へ提出しなきゃいけないのよ」
ジリーナは壁の時計を一瞥し、立ち上がった。長身でしなやか、黒い肌に黒髪を頭の後ろでまとめた彼女は、地味な制服に身を包んでいても息をのむ美しさだった。ルーカも立ち上がり、扉を塞ぐように動いた。
「それで終わりか? 俺の顔を見ることができて何とも思わなかったのか?」
「もちろん嬉しいわよ。無事でいてくれるのも。けれどこれから……」
ジリーナは表情を少しだけ和らげ、けれどかぶりを振った。
「予想しよう。君は他の将校四十人の列の中に座っている。そして二分間立ち上がって、全てが順調だと報告して、また座る。一方、そいつらは穀物の割り当てを一時間議論している」
「多分ね。それで?」
ルーカは彼女の背後に滑りこみ、両腕をその腰に巻きつけた。ジリーナは彼に寄りかかった。その重さが温かく心地よかった。ルーカは顎を彼女の肩に乗せた。
「なら休んでしまえよ。将軍に怒られる? 何のためにドラニス最強の男がいると思ってるんだ」
「あなたでも無理よ」
ジリーナはそう言ったが、ルーカを引き離しはしなかった。
「ルーカ、職場では駄目」
「じゃあ職場から出ようか」
彼女は厳しい表情でルーカを睨みつけ、そして、真の笑顔を見せた。ルーカが恋に落ちた、大きく純粋で、少しいたずらな笑顔。偉大なるクードロ将軍の娘、ジリーナ大尉の知られざる表情を。
猫の怪物
ルーカの特別部隊に新たな命令が下ったのは、ナイトメア討伐からわずか一日後のことだった。休暇を中断され、まだ酔いの抜けきれない彼らはしきりに不満を口にした。ルーカは咳払いをし、机に広げた地図を指示した。
「文句は終わりだ。既に事態は進んでいる。昨夜、何かが外縁部に飛びこんだ。バリスタを何発か避けた後、小さな農場に降りた。当該区域の部隊が二十人を送り込んだが、戻ってきたのは二人だけだ」
全員がその報告に黙り込んだ、副官のエーファが手を挙げた。
「その二人からの報告内容は?」
「明らかに猫だ。巨大で、翼があるのは明白だ。それ以上は何もわからない。城壁から監視しているが、まだどこへも行ってはいないらしい。装備を揃えて十五分後に城門に集合だ」
例え二日酔いであっても、彼らは命令通りに行動した。二十分後には出発し、幹線道路から離れ、晩夏の畑の間を走る曲がりくねった道を進んだ。ルーカは接近戦を想定していた。空を飛ぶ怪物相手に遠距離戦は危険すぎるのだ。多くの怪物が酸や炎や棘といった手段で、こちらの刃が届かない所から攻撃を仕掛けてくる。近接戦から入り、空へ逃さずにいるのが得策と思われた。
やがて見えてきた農場は、見たところ無事のようだった。とはいえ大きな建物が三棟、また畑の作物は大きく育っており、怪物が隠れられるような場所は至る所にあった。このまま進めば、逆に待ち伏せをされる可能性が高い。ルーカは作戦を立て、作業小屋の間にトリップワイヤーと誘引の罠を仕掛けさせ、仲間たちを配置し、待った。
それから約一時間、彼らは待ったが怪物の兆候は一切なかった。もし怪物が食後の睡眠を貪っているとしたら? だがこちらから出ていくのは得策ではない。ルーカは伸びをし、肩を鳴らし、そして凍りついた。木を引っ掻くわずかな爪音。動くものは何もない。だが……
「気をつけろ。近づいてきている」
彼がそう声を発した瞬間、小屋の壁が粉々に砕け散った。それを破壊したのは人の頭ほどもある巨大な手で、長い鉤爪が伸びていた。壁に隠れていた仲間は短い悲鳴を上げたが、その胴体が革鎧から皮膚、筋肉までも易々と切り裂かれた。
沈黙、そして叫びが上がった。ルーカは剣を抜き、だが怪物は脚を引いたかと思うと跳躍し、作業小屋の屋根を易々と跳び越えた。
巨大な猫だった。二日前に倒したナイトメアよりも大きく、背丈はルーカよりも遥かに高い。分厚く白い毛皮に薄茶色の縞模様、前足と口元には血が飛び散っていた。大きく開けた口には牙がぎらつき、長い犬歯二本が剣のように伸びていた。猫は翼を広げて悠々と滑空し、降下と共に前足を叩きつけ、さらにもう一人が倒された。
その時点で、ルーカは二歩を踏み出したに過ぎなかった。怪物の動きはあまりに素早かった。エーファが駆け、怪物の脇腹へ短剣を突き立てると、それは短い悲鳴を上げた。彼女は刃を抜いて素早く下がり、ルーカへと手を挙げて警告した。トリップワイヤー。エーファは注意深く後退しながら罠をまたぎ、血まみれの短剣を振って猫を誘った。金属製の鉤と鉄線は怪物の硬い皮膚にも食い込むよう設計されている。大猫は片足を上げ……そして動きを止めた。立ったままエーファを睨みつけ、うなり声とともにルーカへ頭を向けた。罠を見破った! この怪物は素早いだけでなく想定以上に賢いのだ。ルーカは剣を振り上げた。飛びかかってきたなら屈んで、そして――
鋭い音がして、特大のクロスボウの矢が猫の肩に突き刺さった。怪物はルーカに背を向け、抗議の声を上げると射手へと跳躍した。
「間に合わない、逃げろ! 撤退する!」
ルーカの叫びに、全員が同じ結論に達した。だが怪物は翼を広げて滑空し、即座に追いついた。射手は首を噛みつかれて宙へ持ち上げられ、まもなく絶命した。
「逃げろ! 俺が後につく!」
ルーカの叫びにエーファは一瞬ためらったが、駆け出した。ルーカは振り返り、無防備に見せかけながら、剣は怪物の喉元へと狙いをつけた……だが相手は速すぎた。長い鉤爪の手がルーカへと伸ばされ、彼は剣を突き出した。
そして、緑の光が閃いた。
ルーカは感じた――
飢え。二本足は不味い。筋と骨ばかりだ。
痛み。矢が肩に刺さり、肉を裂いている。
そして何よりも、心の奥で駆り立てる衝動。行きたくない場所へ、避けたい危険へ向かわせる、異質な強制力――
壊せ。壁を壊せ、塔を倒し、水晶を倒し、二本足を殺し、壊せ、壊せ、壊せ。
彼は目を開き、悲鳴を上げた。
異質な力
ジリーナが城塞の病室へ駆けこむと、ルーカは寝台の上に身体を起こして医師二人の質問に答えていた。だが彼らだけではなく、ノートと鉛筆を手にした女性士官が待機していた。ジリーナは萎縮させるような凝視で彼女を睨みつけた。
「婚約者と二人だけにさせて」
「勿論です。隊長からの報告を記録し次第、すぐに退室致します」
ルーカは片腕に包帯を巻き、額に擦り傷がある程度で大きな怪我はないようだった。その傍へ急ぎたいという衝動をジリーナはこらえた。父が見ている、いついかなる時でも。ジリーナが医師へと説明を求めると、彼らは互いに顔を見合わせた。
「重傷ではありません。ですが私たちには完全には理解できない出来事が起こったようで、彼にはまだ秘儀の残滓があります。今まで見たことのない類の魔法です」
「出来事? 教えてくれ、部隊に何があった?」
ルーカもわからないというように尋ねた。病室の後方で、士官が素早く鉛筆を動かしていた。ジリーナが医師たちへ向き直った。
「私に数分間下さらない? あなたがたの患者には無理させないように約束するから」
医師たちは将軍の娘と口論をする気はなかった。彼らは頷き、部屋を出て扉を閉めた。あの士官は椅子に座ったまま、その鉛筆はノートに向けられていた。
「状況は良くなかったと言わざるを得ないわ。エーファ軍曹を除いて、部隊の全員が殺された」
ジリーナの言葉に、ルーカは息をのんだ。
「何が起こったのか聞かせて。覚えている限り」
「ああ。その怪物についての命令を受け取って――」
彼は客観的に話を進めた。農場の様子、慎重な待ち伏せ作戦。だが怪物の実際の攻撃に話が及ぶと、その軍人としての表情が揺らいだ。
「あの怪物は……賢かった。俺達がどこにいるのかを、作戦を理解していた。壁越しにゴックスを掴んで引きちぎって、誰も反応できない間にゲドラへ襲いかかった。何もかもを把握していた」
「失礼ですが、それは確かですか? その怪物は実際に罠の存在や危険を察知していたと?」
筆記を進めながら士官が尋ねた。
「明らかにそのように行動していた。あれほど賢い猫は見たことがない」
ルーカは説明を続けた。続く戦いと退却、だがその先の話に及ぶと再び彼の表情が曇った。
「そして……閃光があった。感じた。猫、その……心、感情。飢えと痛みと、ドラニスに……来たがっている? ドラニスを破壊するために。同時に、猫の方も……俺の感情をわかっていたと思う」
何てこと。ジリーナの喉が痛いほど乾いていた。
「ドラニスに行かなければという感覚に迫ったところで、何かが折れた感じがした。そして怪物は……退いていった。次に思い出せるのは、ここで目を覚ましたことだ。気を失っていたんだと思う。一体何が?」
「エーファ軍曹が助けを求めに来たの。彼女が区域の防衛部隊と共に戻ってくると、あなたが意識を失って倒れていたので、城塞に連れ戻したのよ」
「怪物は? 何故俺を殺さなかった?」
「思っていたよりも矢傷が深かったのかも。部隊がまだ捜索中よ」
「俺が行く。俺があれを倒す。仲間がやられたんだ。俺が間に合っていれば――」
そこで、士官が音を立ててノートを閉じた。
「将軍へ報告に向かいます。ルーカ隊長、お時間を頂きまして感謝致します」
ジリーナが抗議するよりも早く、その士官は部屋を出ていった。ルーカはわけがわからないといった表情で尋ねた。
「何が起こっているんだ?」
「後で。ごめんなさい、ルーカ。説明している時間はないの。愛してるわ」
「ジリーナ!」
だが既に彼女は扉へ向かっていた。
ジリーナは城塞内で生まれ育ち、その内部構造を誰よりも熟知していた。あらゆる近道を駆使して彼女は父親の執務室へ向かう士官を出し抜いたが、結果は変わらなかった。将軍の執務室の隣室にはブリッド大佐が待機していた。息を切らさないようにジリーナが到着すると、大佐は軽蔑的な視線で彼女を見つめた。
「将軍に話があります。今すぐにです」
「将軍は緊急の業務に取り組んでおります。お待ちください」
ジリーナは反抗的な気分で、控えの間に並ぶ硬くて不快な椅子に着席した。この大佐が自分を嫌っていることは知っていた。立場を脅かされると思っているのだ。数分してあの士官がノートを手に到着すると、ブリッドは執務室へと案内した。ジリーナはかっとなった。
「緊急の業務と言いましたよね?」
「これが緊急の業務です。どうかお待ちください」
少なくとも長くはかからなかった。士官はほんの数分後に退出し、続けてジリーナが通された。父の執務室は城塞の最上階にあり、三つの側面が窓になっていた。巨大な一枚岩の机、壁のコルクボードは地図や注意書きで埋まっていた。
《ドラニスのクードロ将軍》 |
銅纏いの司令官、クードロ将軍はもはや若さの盛りではなかったが、角が取れたとはとても言えなかった。剃り上げた頭は磨かれたように輝き、豊かな灰色の口髭はしっかりと整えられていた。長身ではないにしても、その存在感は実際以上に将軍を大きく見せていた。ジリーナが胸に手をあてて敬礼すると、父親は頷いた。机の上には、士官が渡したノートと一枚の紙だけがあった。
「ルーカと話したのだな、大尉」
執務中、将軍は常に公人として彼女に接していた。
「彼は農場での出来事について、完全に混乱しているようです」
将軍はノートを指で叩き、頷いた。
「いかにも。そしてこの報告はエーファ軍曹からのものと実質的に一致している。『隊長と怪物は緑色の線で繋がり、数分後に怪物は背を向けて去った』。君も同じ報告を読んだことがあるはずだろう。この新種の……感染の説明を。研究者全員が基本的に同意している。人が怪物と不可解な絆を形成するのだと」
《眷者の居留地》 |
将軍の口調は、明らかに不愉快であると告げていた。
「そういった人間はその後、自らの怪物に共感を示す。居留地を離れ、荒野に住むことを選ぶ者すらいる! その病がドラニスに到達するのは時間の問題だった。ここに広まることは許されない」
ジリーナは冷静な表情を保とうとしたが。心の内はひどく焦っていた。
「閣下、ルーカ隊長以上にこの都市へと忠実な者がおりますでしょうか?」
「無論おるまい。そうでなければ、君の結婚に同意などしなかっただろう」
「では何故、彼が不実に落ちると思われるのですか? 怪物と意思疎通ができるのであれば、あるいは――」
「意思疎通など何もない! 怪物は人間の破滅以外は何も望んでいない。銅纏いはあらゆる男女の鉄の心と勇気で成り立っている。穴に隠れるラバブリンクや戦いから逃げるスカイセイルとは違うのだ。我々はドラニスであり、厳しい現実に真っ向から立ち向かうのだ」
将軍はノートを横に動かした。逆向きでも、ジリーナはその下の文字が読めた。拘禁通知……
「君の感情で判断を曇らせないように。そしてこれは私にとっても簡単なことではない。だが非常に恐ろしい怪物との、かつてなく難解な繋がり。彼が示す危険に目を背けてはならない」
ジリーナは憤怒を押し殺した。
「父さん、お願いです――」
「その制服を着ている時は銅纏いとして生き、同じ規則に従う筈だ。お前のことは……甘やかしているかもしれない。だが命令に異を唱えることは許されない。良いか?」
長い沈黙の後、ジリーナは背筋を伸ばして敬礼した。
「はい、閣下。理解しています」
「宜しい。君の……難しい立場を考慮し、午後は休暇を与える」
「了解致しました」
執務室を出るなり、ジリーナは急いだ。逮捕ではなく拘禁、つまり将軍は内密に問題を始末したがっている。父はルーカを殺し、それは街のためだと告げるのだろう。そしてクードロ将軍は迅速な行動を好む人物だった。ルーカを処分するべきと思ったならば、速やかにそうするだろう。今はルーカに隠れてもらわねばならない。
ジリーナは廊下を駆け抜けて病室へと辿り着いた。扉を開けると、ルーカはまだ一人だった。彼は病床から降り、よろめいて立ち上がった。
「ジリーナ、どうした?」
「歩ける? 父があなたを処刑したがっている。時間はないわ。逃げないと」
「何だって! そんな――将軍と話をさせてくれ」
「父は怖れているの。時間を稼がないと。後で父には私が話すから」
ルーカは彼女を見つめ、表情を引き締めた。特別部隊の隊長として、不測の事態への対応には慣れている。だが自分が逃げたとしたら、ジリーナが関わっていると将軍は察するだろう……
「考えがあるの。私の言う通りにして」
彼女は一本のナイフを取り出した。
ドラニスからの脱出
「通せ、でなければこの女を殺す」
「離しなさい、ルーカ! この裏切り者!」
ジリーナの演技は真に迫っており、ルーカは本気で付き合わねばならなかった。彼はジリーナの喉元にナイフを当てながら、怯えた使用人や遠巻きに見つめる警備兵たちをゆっくりと突破していった。彼女の背中、誰にも見えない所でジリーナが彼の手を握り締めた。
城塞の厨房から裏庭へ出たところで、ルーカはジリーナを置いて走り出した。街の外へ出てしまえば、地勢を熟知している。怪物が潜んでいるような森の中へも隠れることができる。守るべき街よりも、それを脅かす怪物の地の方に詳しいというのはなかなかの皮肉だった。
《聖域封鎖》 |
銅纏いが巡回する大通りを避け、ルーカは数時間をかけてドラニス西端の小さな門へと辿り着いた。だがここでは大規模な門のように人並みに紛れることはできない。特殊部隊の隊長が裏切ったという知らせがまだ届いていないことを祈るしかなかった。ルーカは制服を整え、何気ないふうを装って近づいた。この門に詰めるのは年老いた軍曹と新兵たちで、彼らはルーカの徽章を見ると背筋を伸ばして敬礼した。彼は柔和に挨拶をして門を通り抜け、周囲の雑木林に入った。だが安心した所で、慌てたように囁く言葉が聞こえた。特殊部隊。命令。閣下。すぐに軍曹が新兵二人を引き連れて駆け、ルーカの前に立った。
「身分証をご提示願えますか? 新たな命令が届いたのです。特殊部隊の隊長が裏切って、将軍の娘を殺しかけたと」
「それは……」
ルーカはのらりくらりとポケットを叩き、必死に考えを巡らせた。だが新兵の一人が不意にルーカを指さして彼の名を叫んだ。ルーカは声を強張らせて告げた。
「軍曹、通してくれ。これは命令だ。特殊部隊の任務だ」
だが軍曹は歯を食いしばり、剣を抜いた。兵士たちも全員がそれに倣い、ルーカを取り囲むように移動した。ルーカは苦しい面持ちで剣に触れた。力ずくで突破することはできるだろう、けれどただ命令を遂行しようとしている老人と若者を傷つけるなど……
その時、ルーカと兵士たちの間の地面に何かが刺さった。軍のクロスボウではなく、狩人が使う弓矢。彼らが顔を上げると同時に、矢が刺さった地面から緑色のエネルギーが弾け出た。それは渦を巻き、次第に一つの形を成していった……鹿。ルーカがかつて見たどのような鹿よりも巨大な、緑色に輝く半透明の鹿だった。その身体を通して警備兵たちの姿がはっきりと見えた。鹿は鼻を鳴らし、片足で土を踏み鳴らすと兵士たちへと突進した。
振り回される枝角と足蹴の攻撃に、新兵たちは悲鳴を上げて逃げ出した。多少経験のある者は戦おうとしたが、次なる矢から今度は巨大な猪が現れ、荒々しい突進で突き飛ばした。
「こっちに!」
森の奥深くから女性の声が聞こえた。矢と同じ方角から。
一体何が起こっているのか、誰が助けに入ってくれたのかルーカには見当もつかなかった。とはいえこれは、誰も殺すことなく街から逃げられる機会かもしれなかった。
彼は走り出した。森の中、外套をまとった人影が待っていた。
(第2回へ続く)
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